◇昇竜覇闘 
  第1章  犬も食わない夫婦げんか

半官半民さま作


 ある日のこと、九能からあかね宛てに一通の手紙が届いた。あかねが開いた手紙を乱馬がのぞき込む。伊豆からさらに南へ下った絶海の孤島、喜界ヶ島に、リゾートランド『九能アイランド』を作ったから遊びに来いと言うのだ。招待券も入っていた。その地図を見ながらあかねが呆れたように溜め息をつく。
「こんなところにお客さん来るのかしら。」
「おもしろそうじゃねえか。」
乱馬があかねの肩越しに地図を見て、あかねに笑いかけた。
「そうね…………あらっ?」
あかねがもう一枚紙を見つけて読み上げる。乱馬がまたあかねにくっつくようにしてその紙をのぞき込む。そこにはこう書かれていた。
『鬼の秘宝探し。八武岩にまつわる鬼伝説。その岩すべてを砕いたとき何かが起こる。』
そう書かれた紙には、島の略図と岩の位置が記されていた。しかもその八武岩というのは武闘家にしか砕くことができないという。
「へえ、鬼の秘宝か。よしあかね、行こうぜ。」
秘宝の言葉に八宝斉と玄馬ががばっと乱馬を見た。その含みのある笑い方にあかねが眉をひそめる。嫌な予感がした。

 その日の夜は生暖かい風が吹いていた。風呂から上がって、乱馬は居間でくつろいでいるあかねの側に座り込む。
「なんかいやな風吹くわね………」
あかねが隣に来た乱馬の顔を見上げ話しかけた。タオルで濡れた髪を拭きながら、乱馬があかねの顔を見下ろす。
「なんだおまえ、何不安そうな顔してんだよ。」
「だって………」
あかねが下を向く。その手にはまだ先程の島の地図が握られていた。
「ねえ乱馬、やっぱりやめない? 何かいやな予感がする……」
「ばーか。」
笑って乱馬がつんとあかねのおでこをつついた。
「ガセネタでしたー、てなことになるかもしんねーけどよ。もし本当に宝あんのならめっけもんだぜ。」
「あんたやっぱりおじさまの息子よねえー……」
あかねが溜め息をつく。ふいに2人の顔色が変わった。窓の外に妙な気配がある。全身の筋肉が瞬時に緊張した。音もなく乱馬が窓の側まで歩み寄る。あかねが無意識のうちに拳を構えた。ばっと乱馬がカーテンをはぐる。鬼の面を被ったえたいの知れない女が窓の外に立っていた。
「誰だ!」
乱馬が強い口調で声をかける。
「あはは…ふふ………あなた方、喜界ヶ島へ向かうおつもりですか………」
「だったら何なのよ。」
かんに触る笑い方をするその女にムッときて、あかねが険を含んだ声を返す。そのあかねの方には目もくれず、女は乱馬を見て言葉を続けた。
「あなた…………秘宝をお探しなのでしょう? あのことをご存じ?」
「なんでえ、あのことって。」
女がまた含み笑いをする。
「秘宝が武闘家にとって重大な意味を持つこと……」
「なにいっっ?!」
思わず身を乗り出した乱馬に、女は腹の知れない視線を向ける。その鬼の面の奥で、女の瞳が妖しく輝いた。
「おい、どんな意味なんだ! 教えろよ!」
乱馬が少なからず興奮して女を詰問する。彼は格闘と名のつくものに負けたことがない最強を誇る武闘家である。当然強さを求めることについては人一倍興味がある。
「うふふ………その答えは、喜界ヶ島で教えることにしますわ………」
そう言って女は乱馬に手を差し延べた。一も二もなく乱馬はその手を取る。武闘家にとって重大な意味を持つという、その秘宝の謎を知りたくてたまらないのだ。
「乱馬っ!」
あかねが叫んだ時は遅かった。乱馬と、鬼の面を被った女の姿が眩い光に包まれる。ぶわっと庭中を照らしたかと思うと、次の瞬間跡形もなく消えた。2人の姿を飲み込んだままで。
「あかね、今の光は何だ。」
父親たちが駆けつけたときはすべて終わっていた。あかねは、乱馬と鬼の面をつけた不審な女が消えた空をきっと睨む。
「喜界ヶ島………行ってやろうじゃない!」

 あかねは1人、船で島へ渡る。乱馬を追って。東京から十時間はかかるため、あかねは1人船室で海を見ていた。
「ばか……もう心配ばっかさせるんだから………」
乱馬は最強の格闘家。そうそう危険なことなどないはずだが、あかねにとっては気がかりな許婚。無事な姿を見るまでは安心できない。
「あの女、何者かしら。」
乱馬を連れ去ったえたいの知れない女のことを思い出す。鬼の面を被っていた。妙な術を使うようだった。ぎりっと拳を固め、それでもあかねは決意する。あの女と闘う羽目に陥っても、そのためにどんな傷を負おうとも、ぜったいに一緒に帰る。乱馬と。あかねがぐいと缶ジュースを飲み干す。そして、片手でぐしゃっと潰した。汽笛が鳴る。どうやらもうすぐ島へ着くらしい。船室の窓からあかねは島を見る。喜界ヶ島は、来る者を拒むような妙な圧力を感じさせる、怪しい雰囲気の島だった。桟橋を降りあかねは島の奥へと駆け出す。一刻も早く乱馬の無事な姿を見たかった。

 あかねが走り込んだ先は巨大な闘技場だった。ごおう、と中を風が吹き抜ける。数多の武道家たちがここで闘い、多くの者が力を失ったであろうそのコロシアムは、不気味なまでに静まりかえっていた。あかねが一足踏み入れる。カター……ンと、音だけが響き渡った。
「てめえが相手か…………」 
ふいに声が響く。一瞬あかねはびくりと身を縮ませたが、すぐにその声の主を知った。彼女にとっては一番聞き慣れた声であり、今一番会いたい声だった。
「乱馬!」
その声に相手が驚いたように駆け寄って来る。
「あかね? 何でおまえがここに来るんだよ!」
闇の中から乱馬が姿を現す。秘宝を狙う鬼の面を被った女に言いくるめられ姿を消した彼の無事な姿を見て、あかねがほっと安堵の溜め息を漏らした。
「あんたがいなくなったから、心配して助けにきたのよ。」
あかねが乱馬を見上げて言う。一瞬乱馬の顔に嬉しそうな影がよぎったが、すぐ照れて裏返しの言葉を吐いた。
「おまえみてえな鈍い女の助けなんか待ってたら、年が明けちまうぜ。ったく余計な真似ばっかりしやがって。」
その言葉に、明らかにあかねがむっとした表情になった。
「何よその言い方。ひとがせっかく助けに来てあげたのに…………」
はっと、あかねが思い当たる節ありという顔つきになって、じろっと乱馬を睨んだ。ゆっくりと言葉を刻むように言う。
「わかった。」
「何だよ。」
仏頂面で乱馬が答える。しかし次にあかねの言葉を聞いた瞬間思い切り目を見開く。
「あの鬼女とよろしくやってたんでしょう。悪かったわねぇ、じゃまして。」
「なっっ……! 何言ってやがんでえまったく。」
ぎらりと睨み合った。
「おれはなー、あの女に山ん上でいきなり落とされたんだぞ!このコロシアムで待ってりゃ秘宝の正体がわかるとか言われてよ。」
「ふーん。であたしを倒してあの女と仲良く宝を手に入れるつもりだったわけ。」
「んなわけねーだろが! だいたいおめーはいっつもいつも…………!」
「いっつもいつも何よ。」
あかねが乱馬を睨み上げて鼻息荒く答える。そのあかねの顔を見下ろして、乱馬も噛みつきそうな顔になった。
「かわいくねえっっ!」
「何よばかっ! あんたみたいなヘンタイに言われる筋合いないわ!」
ぎりぎりと歯がみし合った。ほとんど顔がくっつきそうな近くで睨み合っている。乱馬は、短気でけんかっ早くとことん勝負にこだわる物騒な性格の持ち主で、あかねは、凶暴かつ怪力で言葉より先に手が出てしまう、ものすごく気の強い性格である。
「ちょっと乱馬、あんた、けんか売ってんの!」
「……おもしれえ……買ってもらおうじゃねえか!」
そして彼らは性懲りもなく、しょっ中繰り返している夫婦げんかを始めた。
「はあっっ!」
乱馬がだっと間合いを詰めあかねに突きを繰り出したより一瞬早く、あかねの強烈な蹴りが乱馬の腹を直撃した。その衝撃に乱馬は5メートル以上もふっ飛ばされる。慌てて起き上がったそこに、態勢を立て直す間もなくあかねが攻撃してきた。
「雷鳴回脚蹴り!」
天道流の奥義の一つで、あかねがよく好んで使う、恐るべき破壊力を持った蹴り技である。乱馬の、火中天津甘栗拳に匹敵する破壊力を持つ。見事にくらい乱馬はさらに吹っ飛ばされた。がばっと起き上がる。乱馬もさすがに怒った顔つきになっていた。
「あかねてめー、奥義使いやがって、調子に乗んじゃねえっ!」
目にも止まらぬ突きが唸り、風を伴いあかねの頬を掠める。
「きゃっ!」
乱馬の鋭さに思わずあかねが悲鳴を上げる。その声に乱馬の戦闘意欲が一気に萎える。一瞬動きが止まり、そこにあかねの体落としを食らってしまった。地面に叩きつけられ乱馬が俯せに潰れる。
「このアマあ………もうかんべんできねえっっ!」
「黙れどヘンタイ野郎があっ!」
またふつふつと怒りが沸いてくる。互いにばっと間合いを取った。
「覚悟しろあかね。おれはマジだからなっっ!」
「ほお、おもしろい。やれるもんならやってみなさいよ!」
まったく互いに引く気はない。ちえっと乱馬が舌打ちした。この手におえないじゃじゃ馬をおとなしくさせたかった。
(しょーがねえ、あれ使うか。)
再度互いに間合いを詰める。すっとあかねの体が沈む。察知して乱馬は宙高く飛び上がった。あかねがくるりと振り向く。まただっと乱馬の方へ間合いを詰めたところで、乱馬はあかねの背後に飛び込んだ。あかねが振り向くより先に、乱馬はすっと両手を伸ばし後ろから思い切りあかねの胸をつかんだ。乱馬の裏奥義で、胸囲掌握鷹爪拳である。男相手だったら鉤爪形にした指で強く相手の胸部を突き衝撃を与える技で、女相手だったら動きを止めるための技である。その時までは純粋に、あかねの動きを止めるだけのつもりで乱馬はこの技を使った。しかし……
(おおおわっ、や、や、やわらけぇーっ!)
乱馬の脳裏が白くなった。次の瞬間、自分が何をしたか理解した。ぼん、と音をたてて乱馬の顔が真っ赤になる。それと同時に、あかねの闘気がかつてないほどに高まる。
「らぁ〜んん〜まぁぁぁぁ……」
「ま、待てあかねっ、こっ、これは純粋に勝負としてだな……」
「問答無用ーっっっ!」
おろおろしている乱馬の胸倉を掴み、頭上高く差し上げると、あかねは思い切り地面へと振り下ろす。爆破音がした。ずうう……んと地鳴りが響く。地面がクレーター状に大きく穿たれる。その中心部に、まだ怒りの表情が取れないあかねが、足だけ出して残りは全部地面に埋まり込んでいる乱馬を睨んでいた。はあはあと息を弾ませ、顔を赤らめている。ぼこっと音がして地面の中から乱馬の腕が伸びた。土ぼこりを伴って身を起こす。座り込んだ。ぺっぺっと口に入ったらしい土を吐きながら、乱馬が仏頂面であかねを見上げる。あかねはまだ怒っている。両手でしっかり自分の胸をかばっている。
「何考えてんのよこのスケベッ!」
「うるせー、おまえこうでもしなきゃおとなしくなんねーだろーが!」
乱馬がぼやく。ダメージが大きいらしく即座に立てなかった。ようやく腰をさすりさすり乱馬が起き上がった。したたかに打ちつけられた痛みがまだとれないようである。
「あてててて…………ちえっ………」
あかねはまだ自分の胸をかばったままじっと乱馬を睨み続けていたが、乱馬が腰をさすりながらあかねを見て立ち上がると、すっと構えをとった。
「まだやる気?」
ちっと乱馬が舌を打つ。
「やめる。」
その言葉を聞いてようやくあかねがにこりと笑う。乱馬がその笑顔にどきりとした。
「うふっ、勝っちゃった。いー気分。」
「ばかやろー。負けてやったんだよ。(おまえを本気で殴れるわけねーだろ。ったく。)」
あかねはにこにこと笑いながら乱馬を見た。その笑顔に照れながら乱馬が仏頂面をする。
「ちえっ、いい気なもんだぜ。」
「拗ねないの、ばかね。」
ふと、あかねがじっと乱馬の顔を見た。そのつぶらな瞳に乱馬の顔が映る。
「でも………無事で良かったわ。」
その言葉に、乱馬が照れて頭を掻いた。あかねが微笑んで見上げているその笑顔が眩しい。
「……あ、ああ……その………心配かけちまって…………」
うつむいたまま小さく呟いた。
「……悪かったな。」
「ううん………」
あかねが首を横に振る。そっと視線が絡んだ。ふいに恥ずかしくなり2人うつむく。あかねが頬を染め、傍らで同じように赤くなっている乱馬を見上げた。
「帰ろう、乱馬。もうここには用はないわ。」
「いや………ここまで来たんだ。その鬼の秘宝ってのを見てみようじゃねえか。」
乱馬がおもしろそうに隣にいるあかねに語りかけた。あかねが怪訝な顔をして乱馬を見上げる。その顔は獲物を狙う顔つきに変わっている。仕方ないわね、とあかねは溜め息をついた。
「そうね。あたしも落とし前つけさせたい相手いるし………」
「誰だよそれ。」
「あんたをだました鬼女よ。」
「………あいかわらず鼻息荒れーな、おまえ。」
乱馬はあかねを促すと、出口へと向かった。
「秘宝って何だと思う? 格闘家の涎前の的だっておとうさん言ってたわ。」
「そうらしいな。強つく張りのおやじやじじいがこっちに来てるって話だし。」
そう話しながら二つの影が闘技場の入り口へと向かい、消えた。



つづく





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