第七章  在り処



「乱子ちゃん?」
「あ、あかね──ちゃん……」

 人波の間に、見覚えのある頭を見つけて、あかねは思わず声をかける。肩を震わせて振り向いたのは、予想違わず、あのおさげ髪の少女だった。
「やっぱり、乱子ちゃんだ。あれからお父様にはちゃんと会えたの?」
「……ええ」
 以前に一度だけ出会った──、父親とはぐれてしまったというこの少女と町を歩いたとこをあかねは思い出していた。
「よかった、また会えて」
 そう言って安堵の笑みをあかねは洩らし、そんなあかねを見て乱子は複雑な笑顔を浮かべる。
 また会えたと喜んでいるけれど、「また」もなにもない。あの日の出会いが初めてではないし、あれからだってずっと顔を見ている。ただ、今のこの姿──「乱子」と名乗る少女の姿ではなく、男の「乱馬」としてなのであるが、そんなことを目の前のあかねに打ち明けることなど出来はしない。
 第一、信じてくれないだろう。乱子と乱馬が同一人物だなんて──

「今日もまたお父様と一緒なの?」
「……まあな」
「ふーん、乱子ちゃんとお父様って仲がいいのね」
「──別に仲なんてよかねーよ」
「でも、一緒に出かけてくるんでしょう?」
「それは──」
 なにかを言いかけて、乱子はその先を呑む。構わずあかねは言葉を続ける。
「家族で一緒に出かけるだなんてこと、あたしにはきっともうないだろうし……」
「なに言ってんだよ、おまえにだっておやじや姉ちゃんいんだろ」
「いるけど──無理よ」

 一緒に──ということは、それは国の式典であったり儀式であったり。公の場でしかないだろう。
 幼い頃のように、ただの「家族」としてどこかに出かけたりすることはきっともうない。年を重ねるに連れて、無邪気ではいられなくなる。立場や責任といった言葉は、どんどん大きくなるばかりだ。

「この前のそうだけど、おまえ、なんでもかんでもそうやって自分で無理だって決めつけてねーか?」
「……え?」
「無理が通れば道理が引っ込むって言葉知らねーのかよ」
「道理を曲げて通すだなんて……」
「通すことが第一。後はなんとかなんだろ」
 あっけらかんとした乱子の言葉に、あかねは目を丸くする。
 あかねにとって道理──すなわち「天の盟約」は絶対だ。それがすべてであり、世の筋道──そうあるべき姿を示すものである。それに反することは「天への乱心」とも取られかねない。「天道」の名を継ぐ者にとって道理とは、それくらに重いものだ。
 それをたいしたことではないという態度の乱子。
 一体この少女は何者なのだろう。
 そんな意見を平然と述べていると、異端と呼ばれてもおかしくない。
「──そんなこと、天の神がお許しになるはずがないわ」
「天の神?」
「そうよ、道を外れたことをするだなんて、そんなこと──」
「おまえ、信仰深いんだなー。今時そんな風に天道を擁護する奴なんて珍しいぞ」
「擁護……?」
「天の下にいて、こっちを見下ろしてるような奴等になにがわかんだよ。下のことも知らないくせに偉そうに君臨してるよーな奴」
「────」
「道なんてもんを決めるのは、神様じゃねーし、生きるのはおれなんだから──」
 言いかけて、乱子は言葉を止めた。そして慌てたように「悪い、ちょっと用事思い出した」と告げると、おさげを翻し、店の軒先に消える。その姿を呆然と見送り、再び前方に戻した瞳で、あかねは大柄な男の姿を捉えた。
「お嬢さん、つかぬことを伺うが……」
「あ、はい」
「この辺りでこう、後ろ髪をおさげに編んだ少──」
「乱子ちゃん、のこと、ですか?」
「乱……子?」
「ええ、あたしと同じ年くらいの女の子──、あ、もしかして、乱子ちゃんのお父様ですか?」
「わしか?」
 僅かに止まり、しばし考え、大声で笑い始める。
「そうじゃそうじゃ、わしがあいつの父親じゃ」
「そうですか」
 あまり似ていない親子だと、あかねは心の隅でそう思った。
「お嬢さんは、あやつとどういった仲なのかね」
「仲って言われても……、この間、一度会っただけですし……」
 友達──と称するほど、知っているわけではない。にも関わらず、なぜか一緒にいても緊張感がないのが不思議ではあった。
「ふーむ、時にお嬢さんはお幾つで?」
「はあ?」
「いや、女性に年齢を訊くのは失礼であったの。乱──いやあの子は今年で十六でな、あの通り色気もそっけもない男──いや子供で、父親としても先行きが心配でなあ。それがまさかこんな可愛らしい娘さんと知りおうとったとは……」陽気にそこまで告げると、男はぼそりと呟く。「……あのばか息子、なかなかやるではないか」
「は?」
「いやいや、こちらの話じゃ。わっはっは」
 往来にもかかわらず、大声でそう笑う。嫌みのない笑い方──つられてこちらも笑みを洩らしてしまうような、そんな笑い声だった。
「乱子ちゃんならついさっき、用事を思い出したとかで、そこの──」と、乱子が消えた軒先を指差し、「その店先をすり抜けて行ってしまいました」
「そうか──、逃げおったなあいつ」
「……どうかなさったんですか?」
「いやいや、こちらの話じゃ。では失礼して──」
 軽く手を上げて礼を返し、あかねが指差した軒先へと向かう。その途中で振り返り、あかねに問うた。
「忘れるところじゃった。お嬢さん、宜しければお名前を聞かせてはくださらんか」
「あかねです」
「あかね……? そうか、あかねくんか……」
「はい」
「我が子ながらふがいない奴じゃが、仲良くしてやってくれ」
 そうして今度はあかねに向かい一礼すると、大きな身体に似合わず素早い動きで、乱子の軌跡を辿るようにして消えた。
 今まで出会ったことのないタイプの人物だった乱子の父親。そういえば名前を聞かなかったとこに今更ながら気づいたけれど、まあいいかと思い直す。今度乱子に会ったら訊こう。そう思った。
 会えるとはかぎらない。
 けれど、何故かまた会えるような予感がしていた。
「いけない、早く行かなくちゃ……」
 今日は珍しく連れがいる。
 この町にある施設に用があるという東風についてやって来ていたのだ。
「先生、心配してるかも」
 小走りに立ち去るあかねの姿を、通沿いの建物の屋根から覗く影がある。その影に、二回りは大きな影が近づく。影は、振り向きもせずに憮然とした顔で口を開いた。
「なに話してたんだよ、おやじ」
「ほう、気になるのか乱馬」
「まさか余計なこと言ったんじゃねーだろうな」
 身体を弾かせて振り返り、乱馬が父親に詰め寄る。
「余計な──とは、なんのことじゃ」
「だから、乱子がおれだとか──……、そういうことだよ」
「そういうとは、他になんかあったかのう?」
「てめーな!」
 怒声とともに掴みかかる息子を押し留めて、父は真面目な顔つきとなると溜息とともに洩らした。
「安心せい、言うてはおらん。おまえが──乱馬が乱子という娘であるとこなぞ、言うてもなかなか信じやせんじゃろう……」
 ふう──と、重い息をつくと、胸倉を掴んだままの乱馬の手を外す。
「おまえとて、あの子を騙すのは辛かろう。父は涙を禁じえんぞ」
「元はと言えば、てめーがてめーの都合でこんなややこしいことになっちまったんじゃねーか!」
 大袈裟な態度で空を仰ぐ父の顔に、今度こそ力いっぱい拳を叩き込む。
「痛いではないか」
「やかましい、他人事みてーなツラしやがって。本当に旅芸人に売り飛ばすぞ」
「──乱馬よ」
「んあ?」
「あかねくんといったか、あの娘さん」
「──が、なん、だよ」
「男の乱馬としては、言うべきことはもう言うとるのか?」
「な──、だ、だから、そんなんじゃねーっつってんだろーが!」

「やかましい、騒ぐんなら他所でやんなっ!」

 迫力の怒声とともに、下からは「営業妨害対策」の放水が浴びせられる。避けるすべもなく大量の水を浴びた後に立っているのは小柄な少女と、モノトーンの毛色に覆われた不思議な動物──。
 彼と、彼の父親は、つまりそういう身体なのである。




「ああ、いたいた。あかねちゃん」
「すみません、先生」
「迷子にでもなっちゃったのかと、心配したよ」
「やだ、先生。子供じゃないんですから」
 心配顔の師に、あかねは笑顔を返す。東風も微笑を浮かべると、改めて周囲をぐるりと見渡してみる。
 中の町。その中心街の一角──ここは国の施設が立ち並ぶ場所だ。一見して「役人」とわかる人々の姿が多く見られる。あかねがあの「天道あかね」であることを知る者も、少なくはないだろう。そうして騒ぎになるのは、あまり好ましくない。にもかかわらず、あかねを誘ってここへやってきてしまったのは、頼まれたからであり、また東風自身も心配していたからだ。
 あかねが最近、頻繁に下りているらしいことはなんとなくわかる。一人でいることを苦にしない程度、慣れ親しんでいる証拠だろう。
(だから、心配なんだけどね……)
 彼女は「光明心」だ。
 この世の光となる力を宿している身──、それを狙ってくる輩がいないとはかぎらない。
 力が一体どんなものであるのかを知る者は少ない。とくに天より下へ行くほど、情報は疎かになる。ただ「天道あかねが国にとって大事な万能の力を持っている」という程度のものとなり、ならばあかね自身を捕らえてしまえば力を自由にできると考える者がいてもおかしくはないし、国中至るところへ足を運ぶことが多い東風の耳には、当然よくない噂も入ってくるのだ。

「──ねえ、先生」
「ん、なんだい?」
「天って、一体なんなんでしょうか……」
「──え?」
「お父様やお姉さまたちが民のためにと思って行っていることは、本当に民のためになるんでしょうか。天の町に住む人だけじゃなく、中の町や、もっと下の民にとって、あたし達の存在ってなんなんでしょうか」
「急にどうしたんだい、あかねちゃん?」
「……ごめんなさい、いいんです。忘れてください、あたしヘンなこと言っちゃった」
 あかねは我に返ったように否定し、笑い、そして歩き出す。
「先生、早く帰りましょう」
「──これはただの独り言なんだけどね……」
「え……?」
「僕は早雲様の命を受けてあちこちに出かけたりするし、それ以外でも勿論僕自身の意思で出歩いてる。だからただ城内にいるよりは色んな声を聞く機会が多いんだよね」
 あかねが東風を振り返ると、彼はあかねではなく、町並みを──それを通り越して別のどこかを眺めるような瞳で、遠い空を見ていた。
「天は遠くて、決して手に触れることは出来ないけれど、でも人は地に触れることは出来る。天も地も、どちらも人にとって大事なもので、どちらか正しいのかなんて答えは、きっと存在しないんだよ」
「天と地と……」
「答えがないなんて、教師が言う言葉じゃないけどね」
 東風がそう言って、あかねに瞳を下ろす。
 この人は強くて優しい人だと、あかねはそう思った。
「ありがとうございます、東風先生」
「なにがだい?」
「いえ、なんでもありません」
 あかねは穏やかに笑う。そして、東風に向けて言った。
「そうだ先生。かすみお姉さまにお土産買わないんですか?」
「──え、か、かすみ様に、かい?」
 途端狼狽しはじめる東風を見て、今度は声を出して笑い、その背を押した。
「さ、先生。あたしが一緒に選んであげますから、行きましょう」
「いや、でも、ね、あかねちゃん」
「いいから、いいから」


 天からは、溢れんばかりの陽射しが降り注いでいた。




つづく




 己の属性の「天」に疑問を抱き始めたあかね。乱子の一言が心に引っかかっているのでしょうね。
 対する、東風先生は、この世界でも、あかねを見守る、身近な大人として、登場されているんですね。
 乱馬は何やら「天」に一物を持っているようですが。
 あかねと乱馬と乱子と。さて、人間模様はどう絡まっていくのでしょうか?
(一之瀬けいこ)

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