天と地と

第六章  光と影




 いつものように祠へと足を進め、そしてこっそりと覗いてみる。見慣れてしまった後ろ姿を認め、あかねは声をかけた。
「乱馬、来てたんだ」
「……よ、よお」
「なによ、どうかしたの?」
「べ、別に、なんでもねー」
 妙に決まり悪げな態度でそう呟くと、茂みの奥へと目を転じる。こういう風に視線を逸らす時というのは、大体なにか後ろめたいことがある時だ。けれど、自分が乱馬に対してなにかしたという記憶もない。第一、昨日は結局会えなかったのだ。
「ねえ、なんなのよ」
「だから、なんでもねえ」
「気になるじゃない」
「か、関係ねーだろ、おまえには」
「…………」
 そう言われて、ぐっと言葉を呑む。そんな風に言われては何も言えなくなってしまう。
 俯いたあかねの姿を見た乱馬は、動揺を覚えつつ、けれどなんと言っていいのかも思いつかず押し黙っているしかできなかった。
 どう言えというのだろう。
 昨日父親に「いい女でもいるのか」などと野卑されて、ふとあかねの顔が浮かんでしまい、さっきあかねに声をかけられた時からまともに顔が見れないだなんて、とてもじゃないが言えやしなかった。

「──あたし、なにかした?」
「……へ?」
「あたし、なにか乱馬にひどいことした?」
「な、なんだよそれ」
「……だって、ずっと怒ってるし」
 言っているうちに胸が苦しくなってきて、あかねはますます顔が上げられなくなる。今日はもう、このまま帰ってしまおうか──とそう思った時、乱馬があわてたように言った。
「ば、別におれは怒ってなんかねー。なに勝手に勘違いしてんだよ」
「じゃあ、なんなのよ」
「だからおやじが──」
「親父──乱馬のお父様?」
「ああ」
「お父様と喧嘩でもしたの?」
「──そんなようなもんかな」
「それで怒ってるの?」
 他に適当な言い訳も思いつかず、結局「まあ、そんなとこ」と乱馬は呟いた。

 乱馬の父親。
 一体どんな人なんだろう?

 今まで考えもしなかった乱馬の家族の存在に、不思議な気持ちになった。そういえば、自分は乱馬のことをなにも知らないに等しいのだ。自分の身の上を軽々しく話せないからこそ、相手のことも聞き出しにくかった。
 相手にだけ求めて自分はなにも語らないだなんて、随分と失礼な気がして、そういった話題をあかね自身さけていた。だからなのか、それとも興味がないだけか。乱馬も口にしなかったから尚更だ。
「ねえ、乱馬のお父様ってどんな人?」
「ただのすちゃらかおやじだよ、いーかげんだし、ずるいし、自分勝手だし、適当だし」
「つまり、あんたに似てるってことなのね」
「冗談じゃねえ。あんな奴に似ててたまるかよ」
 憮然とした顔がおかしくて、あかねは声をあげて笑った。そんなあかねの顔を見て安堵したのか、乱馬もまた顔を緩ませ、そして問いかける。
「おめーのとーちゃんは、どんな人なんだよ」
「うちのお父様は、そうね、立派な人だと思うけど──」
「けど?」
「娘達には甘いって、みんなに言われてる」
「姉ちゃん、いんのか」
「うん。上に二人ね。乱馬は?」
「おれは一人だよ」
 そんな風に、当り障りのない普通の家族構成を話した。そこで乱馬が父と二人で暮らしていることを知り、母親が不在であることも知った。あかねの母がすでにこの世を去っていることを知ると、彼にしては珍しくなぐさめともつかないようなことをもごもごと口にして、あかねを笑わせた。
 普段亡くなった母に対する周りの言葉は「王妃」に対する賞賛──、惜しい方を亡くしたというお決まりの言葉だ。その言葉に対して不平があるわけではない。そうやって慕われていたのだと思うと、あかね自身誇らしい気持ちにすらなる。
 けれど、乱馬の言葉は単に「家族を亡くした少女」に対する言葉であって。普段向けられることのない、そんな当たり前の気遣いが、なんだかくすぐったいような感覚だった。
 立場など関係ないただの女の子でいられることが、嬉しく感じられた。




「……あ」
 小さく洩らして、あかねはとっさに乱馬の影に隠れた。
 中の町のメインストリート。そこを今、通る一行がある。その真ん中辺りで、一番目立つ馬の背に乗った男が姿勢を正し通り過ぎていくのが見える。
「なんだよ、急に」
「…………」
 見つからないために隠れた──と、そう言うことが出来ないまま、口篭る。何故顔見知りなのかと問われたら、答えようがなかった。ただの町娘であるはずのあかねが、天の町の有力者である「九能帯刀」と知り合えるはずなどないのだから。
「あの男、知ってるのか?」
「知ってるっていうか、顔と名前くらいは……」
「そうだよな、有名だし」
「有名……?」
「ああ、たいした腕を持った役人だっていうけど、それを笠にした天誅人じゃねーか」
 不機嫌そうにそう言った乱馬を見上げ、あかねは眉をひそめる。
 天誅人。
 天の意向を受け、咎人を討つ者のことをそう称する。
 傭兵であったり、用心棒であったり。腕に覚えのある者達がすべて名前を手にするわけではなく、それなりの功労を認められた者──優れた腕を持っていると国に判断された者だけが手にすることの出来る称号であり、武を志す者にとっては頂点ともいえる。
 といってもこの名は正式なものではなく、あくまでそう呼ばれているというだけの名で、彼らの正式な役職は「国営警務官」という、れっきとした官職である。
 だがどんな名前であれど、国の治安を守る彼らを民は歓迎するし、崇めてもいる。
 けれど、今の乱馬の言い方は逆だった。反感を含んだ──そんな口調であったことが、あかねには不思議だった。九能も含め、彼ら警務官の仕事ぶりは、あかねも立場上よく耳にしている。町の中での争いごとや揉め事──上にあげてくるまでもない小さな諍いの数々を抑え、王である父も助かっているとよく口にしているのだ。「役人だ」という理由で彼らを嫌う者もいないわけではないけれど、敬われるだけの仕事をこなしていると、あかねもそう思っている。
「……乱馬は、警務官たちが嫌いなの?」
「好き嫌いの問題じゃねーよ、やり口が気に食わないだけだ」
 あかねの問いに、乱馬は口を開く。
「国の官職だかなんだか知らねーけど、だからってやっていいことと悪いことがあんだろ。理由を聞きもしねーで家柄だけで優劣つけてるよーな奴ら、おれは気に入らねー」
「──どういう意味……?」






「おお、あかね殿。聞きたいとこがあるなどと、そのような遠回しな言い方はいらぬもの。この九能帯刀の愛は、そなたにしか向いてはおりませんぞ」
「──いえ、そういうことではなく……」
 やはり失敗だったかしら──と、あかねは少しばかり後悔した。なんだか多大な勘違いを与えてしまった感じがしたけれど、ここは城内の庭。彼とてあまり大きな行動には出ないだろうとはふんでいるけれど、節度に欠けるのがこの男の「欠落」だ。時間が長引けば、どんどん気持ちが盛り上がらないとも限らない。
 あかねは手短かに、そして本題に入ることにした。
「仕事──警務官の仕事について、知りたいんです」
「なんと、我が仕事にご興味を持って下さるとは!」
「普段、どういったことをなさっているんですか?」
「基本的には町を回り、騒ぎを静め、また騒ぎになりそうな噂などがあればその真偽を確かめる。なにかあってからでは遅くなってしまう」
「──では、その騒ぎの原因などは……」
「なに、つまらないことばかり。いちいち聞いてなどはいられませぬ。町は広いうえ、我が仕事は忙しいですからな」
「でも、理由があるからこそ争いになるのでしょう? それを解決しないことには、本当に静めたことにはならないんじゃありませんか?」
「申し上げた通り、争いのほとんどが往来の喧嘩。喧嘩の内容など、どれも同じようなもの。いちいち相手にするほどではない。つかみかかっていくほとんどが町の下に住む者。彼らの言い分はいつも愚にもつかぬことばかり──」
 うんざりといった風に、帯刀は肩を落としてみせた。この話はこれでもういいだろう──といった態度であったが、あかねが聞きたいのはまさにその部分なのだ。
「愚にもつかないというと、具体的にはどういうことなんですか?」
「あかね殿。そなたのような姫君が耳にいれる必要などありませぬ」
「言えないような、ことなんですか」
「そういったことではなく──」
「では答えてください」
「──彼らは単に我らをやっかんでいるだけなのだ。たいした力もない輩でありながら、上の者に牙を向く。ただ住む場所が違うというだけの理由で、天の町に住む人達に反抗している……。その筆頭が土蜘蛛なのです」
「……土蜘蛛」

 天に仇なす者の総称だ。
 主に土の町を拠点にして活動を行っているらしい。幼い頃から土蜘蛛というのを忌むべき存在とされており、あかねにとってその名前は遠い世界のようであり、また危機感を煽る言葉でもある。
 町へ出るようになって、至るところでその名を聞くようになった。肯定する意見もあれば、批判的な意見もある。どちらともつかない意見の者も含め、町の人にとっても「別世界のこと」と思っているふしがある。
 中の町はとても広く、天に近い場所と土に近い場所とではまた意見も変わってくるのであろうが、あかねが乱馬とともに赴くのは、主に市を形成している中心部──中の町の、さらに真ん中ともいえる場所であったから、肯定とも否定ともつかない意見が多いのはそのせいでもある。

「でも、土蜘蛛というのはたしか土の町の……」
「その通り。奴等はあの土の民。地に下り、地に生きる輩。それを今になって天に向かって侵攻しようなど片腹痛いわ」
「侵攻?」
「これは僕としたことが失言。忘れてくだされ、あかね殿」
「無理です! そんな事態になっているんですか?」
「あかね殿が心配なさることではない。奴等などに我らは負けはしない」

 九能は不適に笑う。だが、あかねの胸には不安が過ぎった。師である東風が動きまわっていたことは、関係あるのだろうか? 
 そこから先、なにやら朗々と述べる帯刀の言葉は、あかねの耳には届いてはいなかった。







作者さまより
九能先輩(じゃないけど)、久しぶりに登場して、書いてる本人がビックリ。
どうせなら、真之介辺りに喋ってほしいのにー……。



 九能ちゃんの役どころも気になるとことです。
原作とは違った風味の味付けは、書き手の手腕一つ。原作を底本としながらも、どう肉付けされていくか…パラレルの醍醐味はその辺りにあるように思います。
 乱馬の謎、あかねの国の抱える事情。その他の人物たちの動き。
 次の展開が楽しみです。
(一之瀬けいこ)


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