天と地と
   第二章  フォロー・ミー



「おい、大丈夫か?」
「な、なにすんのよ!」


 顔を覗きこまれて、あかねは反射的に押しのけた。
思いのほか強い力で押され、少年の身体が揺らいだ。あかねの身体を支えたままバランスが崩れ、そしてそのまま尻餅をつく。少年に覆い 被さる形で倒れこみ、あかねは慌てて身を引いた。
「痛ぇな、あんだよ人がせっかく助けてやったってのに」
「…………」
 ぶつぶつと呟く少年を、改めて見る。
 特別どうということのない服装。その上に乗っている顔は、今は不機嫌面をしている。整った顔立ち──美少年という顔ではないけれど、どこか愛嬌のある顔をしていて、後ろ髪をおさげに結わえているのが印象に残った。
「おい、人の話聞いてんのかよ」
「──え?」
「え、じゃねえよ。それとも頭でも打ったのか?」
「──あ、ううん。平気……」
 ポンポンと威勢よく飛び出してくる言葉に圧倒されながら、あかねはようやく言葉を返す。そして思い出したように言った。
「あ、ありがとう。助けてくれて……」
「……あんだよ、ちゃんとしゃべれるんじゃねえか」
 ぼそりと呟き、少年の顔が緩んだ。
「あんな所に登る女も珍しいよな」
「だって、よく見えなかったんだもの」
「それで落っこちてりゃ世話ねーな」
「そんなつもりじゃ──」
「そうだよな、風船に見とれてたんだよな。ガキみてー」
 そう言ってケラケラと笑い始める。あかねは唖然とした。
 初対面のくせに、なんて口の利き方だろうか。
 こんな風にぞんざいな口調で話されたことなど、ついぞない。ましてここまで笑われたことなど一度もない。せいぜい姉のなびきが含み笑いをする程度だ。
「わ、笑うことないでしょっ! なによ、失礼ね」
 カッとなってあかねは少年に怒鳴った。
 なんて奴!
 まだ笑いの残る顔を精一杯睨みつけ、あかねは立ち上がる。少々足がふらついたけれど、根性で持ち直した。さらに笑われるのはもうごめんだ。
 背を向け歩き出す後方から、少年の声が追いかけてくる。
「なあ──」
「…………」
「なあ、おい」
「────」
「なあってば、おまえ」
「おまえなんて軽々しく呼ばないでよね!」
 しつこい声に、ついに振り返った。少年はなにを怒られているのかわからないといった顔つきだ。
「しょーがねーだろ。おれ、おまえの名前なんて知らねーし」
「あかねよ! て──」
 天道と言いかけて、それを呑み込む。
 知られるわけにはいかないと思った。
「で、一体なんなのよ。用がないなら、ついてこないで」
「いや、別に用ってわけじゃねえけどよ──」
「じゃあ、なんなのよ」
「おまえ、どこ行くつもりなんだ?」
「か、関係ないでしょ、そんなこと」
「たしかに関係ねーけど……」
「けど、なによ……」
「そっち、行き止まりだぞ」
「……え?」
 顔を前方に戻す。
 割合に広い道が、何メートルか先で右に折れている。
「あそこを曲がれば食糧庫だ。んなとこに用があんのかよ」
「…………」
「……おまえ、この町の住人じゃねえのか?」
「──そ、そういうわけじゃ、ない、けど……」
「けど、なんだよ」
「あんまり、この辺りには一人で来たことなかったから……」
 声のトーンが落ちていく。
 猛烈に恥ずかしかった。
 また笑われるかと思い、身を竦めた。
 すると少年は明るい声で言った。
「なんだ、おまえもか」
「え? も、って……」
「おれも、この辺りはよく知らねーんだ」
「だって、行き止まりだって──」
「ああ、さっきおれも間違えたんだよ」
「──なによ、そっちだって人のこと言えないんじゃないの」
「だから親切に忠告してやったんだろーが」
 恥ずかしさを誤魔化すように、あかねは少年を上目遣いで見る。対して少年もまた、むっとした顔であかねを見た。双方睨み合ううちに、ふっと頬が緩んだ。
 おかしさが込み上げてきて、あかねは笑った。
 同時に少年も笑い出す。
 しばらく二人で笑いつづけ、収まったころにはすっかり気持ちも落ち着いていた。
「なあ、だったら一緒に探険しようぜ」
「探険?」
「知らない街の探索だよ」


 市勢を知ることも大事だぞ──


 父の言葉が蘇ってきた。
 一人であちこちを見て回るよりは、誰か連れがいたほうがいいと思った。城の者には見つかりたくもない。
「イヤなら無理にとは言わねーけど……」
 なにも言わないあかねから、返事を「否」と解したのか、少年は言い訳がましくぼそりと呟く。その小さな声に、あかねはゆっくりと首を振って答えた。
「──ううん。そんなことない」
「そっか」
 なにか考え込むような顔を一瞬見せたが、次にまた笑顔になる。
 子供みたいな笑顔だと、そう思った。

「おれは乱馬。行こうぜ、あかね」
「──うん」


 名前を呼ばれて、何故か大きく胸が跳ねた。


    

 この国は、大きくは三つに大別される。
 城の麓──貴族階級に準ずる家が多く並ぶ街。一般に「天の町」と称されるのがそこだ。
城から一番遠い場所にある町。全体がまとまっているわけではない──いくつかの集落が存在し、各長が取りまとめている地域。ちょうどピラミッドの土台部分に相当する場所になる。天から最も遠い所という意味を持つ言葉から、「土の町」と呼ばれている。
 残るはその中間。上も下も、ここなくしては生活が行えない商業地区。国の中心とも言える場所──今、あかねがいるのがその「中の町」だった。


 初めて来たというわけではない。
 ちょっとした買い物に来たこともあるし、通りを歩いたとこだってある。
 父や姉と一緒である時や、そしてまたこっそりと一人抜け出して。なびきなどは、それこそしょっちゅう行き来をしているようではあるが、あかねは商いに関わっているわけではない。ただの気晴らしだ。
 道幅はそこそこ。
 天の町のように、なにもかもがゆとりをもって建っているわけではないので、そこに慣れていると少々狭苦しくも感じるだろう。荷馬車がぎりぎりですれ違える程度の通りの両脇に、多様な店が軒を連ねている。
 呼び声。
 ざわめき。
 流れる人波は、時々立ち止まる客を避けるようにして流れを変えながらも、前へと続いていく。
 その流れに沿うように、あかねは少年──乱馬と歩いていた。
 同じ道を歩いていても、どうしてだろう? 何故か、違う道のように感じられる。隣を歩いている乱馬の声が、喧騒に紛れて切れ切れに聞こえてくる。
「すげー混雑してんな」
「今日は大きな市が立ってるからじゃないかしら?」
「……そっか。そういやそうだな」
 一人納得したように頷き、再び辺りを見渡してみる。
 キョロキョロと落ち着きのない奴だと、あかねは思った。
(それとも男の子って、みんなこういうものなのかしら……?)
 あかねが普段目にしている男性といえば、父親世代ばかりだ。よく会う男の子といえるのは、「欠落者」の四人ぐらいなものだろうか。 それでもあかねに対して擬似麗句を並べ立てるばかりの彼らにあって、乱馬の言葉はひどく乱暴で遠慮がなかった。
「なあ、あかね」
「なに?」
「腹減らねえか、なんか喰おうぜ」
「──ちょ、待ってよ」
 これまた自分勝手に結論づけると、さっさと歩き始める。
 こちらの都合を聞こうともしない乱馬の態度に、あかねは呆れ返るばかりだ。
(なんなのよ、あれ!)
 それともこれが当たり前なんだろうか?
「城」に住む自分の認識の方が間違っているのだろうか──いや、きっとそんなことはないはずだ。
 つまり、ただ単に、乱馬がああなだけなのだ。
 人の波に消えた乱馬の姿が再び現れる。彼の手には汁碗がふたつ。あかねの前までやってくると「あっち行こうぜ」と、スタスタと歩き出す。
「…………もう」
 文句を言うのにも疲れて、あかねは乱馬のおさげ髪を追った。





つづく




パラレル作品の一つの魅力は、その世界観の設定にあります。
乱馬とあかねというキャラクターがどういうふうに邂逅するのか。そしてどんな世界を生きていくのか。
パラレルになっても乱馬は乱馬であり、あかねはあかねであること。これが基本ですが、それがどのように作者さまによって作りこまれていくのか。

乱馬とあかねが出会いました。これからこの二人の前にどんな未来がひらけていくのか。
わくわくは続きます。
(一之瀬けいこ)





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