◆雷が鳴る前に
彩瀬あいりさま作


 空が光った。
 遅れてゴロゴロと腹に響く音が、静寂を突き破って轟く。
 雷だ。
 雨がぽつぽつと、そしてズボンの裾を濡らすほどに降り始め、
 瞬く間に世界は水を得る。
 公衆電話を探す。
 どこかの店先にならきっとあるだろうけれど、そこまで行くのも一苦労だ。
 空を見上げ、そして思い切って軒先を飛び出した。
 通りを何台かの車が通って行き、わずかな水が跳ねるのを反射的に避ける。
 電話、電話
 走りながら左右を探す。
 背負った大きなリュックが肩に喰い込む。
 上に丸めて乗せてある簡易テントは防水だが、その他の部分に水滴が染む。
 肩と、腕と、水玉を作っていく。
 連れて身体は変化する。
 雷雲。
 墨を薄くして広げたみたいな雲が空一面に広がっている。
 やっと見つけた一台の電話。
 ポケットから取り出した十円玉を投入口に落とす。
 じゃらっとコインの鳴る音と、受話器から聞こえる通話可能の音。
 大きな受話器を耳につけながら指慣れた番号をダイヤルする。
 数回の呼び出し音の後で声がした。

「はい、天道です」

「……あかねか?」
「乱馬……?」
 耳慣れた声なのに、全然違う声に聞こえる。
 電話は不思議だ。
 遠いようで近い。
 受話器から響く声はまるで耳元の囁き。
 耳の奥が熱くなって、妙にドキドキする。

「どうしたの?」
「ああ、明日帰る。そんだけ」
「そう、わかった」
「…………」
「…………」
 気まずい沈黙が訪れた。
 切っちまえばいいようなものの、なんとなくタイミングが掴めない。
「あ……」
 小さな声が聞こえた。
「あんだよ」
「雷──」
「雷……?」
 問い返した時、頭上で轟く音。
「そっちも降ってんのか?」
「うん、どしゃ降り」
「そっか」
「そっちは?」
「そんなに強くは降ってねーけど、時間の問題かもな」
「そう……」
 再び沈黙。
 雨脚はだんだんと強くなり、足元を満たしていく。
 靴に水が染みていくのがわかった。
 一際空が輝いた。
 受話器の向こうから小さくあかねの悲鳴が聞こえた。
 遅れるようにしてこちらの空が太鼓を打ち鳴らす。
「雷が恐ぇーのかよ、情けねえの」
「ちょっとびっくりしただけよっ」
「デカかったな、今の」
「そこでも聞こえたんだ」
「そっちよりかは遅いけどな」
 言って苦笑する。
 あかねも笑っている気配が伝わってくる。
 重ねて置いた十円玉を継ぎ足していく。
 場所の隔たりが少し寂しいようで、でも心地よかった。
「いいこと教えてやろっか」
「なに?」
「雷。空が光ったら数を数えればいーんだよ」
「数を?」
「光って、音が鳴るまでの間。そうすりゃ恐くねえ」
「恐いなんて言ってないでしょ」
 いつもの怒ったふりをした声が聞こえた。
 次の雷がなる前に、どんな言葉でからかってやろうかと考えて、
 一呼吸おいてから口を開いた。








その昔、良く雷が鳴ると、数を数えてどのくらいの距離の先に稲妻が走ったか、予測したものです。
私も、子供の頃はメチャクチャ雷が怖かったのですが・・・今はもっと怖いものがたくさん出来たのでそう感じなくなりました。
乱馬も雷よりも怖い物があるのかもしれませんね。
でも、外で鳴るとあんまり気持ちは良くないのは変わりがありませんが…。
(一之瀬けいこ)



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