人の性は悪にして其の善なるものは偽なり。今、人の性は生まれながらにして利を好むあり。是れに順う。故に争奪生じて辞譲亡ぶ。生まれながら疾悪するあり。是れに順う。故に残賊生じて忠信亡ぶ。生まれながらにして耳目の欲の声色を好むあり。是れに順う。故に淫乱生じて礼儀文理亡ぶ。然らば則ち人の性に従い人の情に順わば、必ず争奪の出で犯文乱理に合いて暴に帰す。故に必将ず師法の化と例義の道あり、然るに後に辞譲に出で文理に合いて暴に帰す。此れを用って観る。然らば則ち人の性の悪なること明らかなり。其の善なる者は偽なり。マルクス主義からみれば、理論は重要なものであり、その重要性は、「革命的理論なくしては革命的運動はありえない」というレーニンのことばに十分にしめされている。しかし、マルクス主義が理論を重視するのは、まさしく、そしてただ、それが行動を指導できるからに他ならない。たとえ正しい理解があったとしても、空談義するだけで棚に祭りあげ、実行に移さないならば、その理論がどんなにりっぱなものでも、意味はないのである。認識は実践にはじまり、実践を通じて理論的認識にたちかえなけてばならない。認識の能動的機能は、感性的認識から理性的認識への能動的飛躍にあらわれるだけでなく、もっと重要なことだが、理性的認識から革命的実践へという飛躍にも現れなければならない。世界の法則性についての認識をつかんだならば、もういちどそれを、生産の実践、および科学実験の実践に応用しなければならない。これがつまり理論の検証と理論の発展の過程であり、全認識過程の継続である。一人を殺さばこれを不義と謂う。必ず一の死罪があり。若し此の説を以って往かば、十人を殺さば不義を十重す。必ず十の死罪あり。百人を殺さば不義を百重す。必ず百の死罪あり。此の当きは天下の君子みな知りてこれを非とし、これを不義と謂う。今、大いに不義を偽して国を攻むるに至りては、則ち非とするを知らず、従いてこれを誉めてこれを義と謂う。情に其の不義を知らざるなり。故に其の言を書して以て後世に遺す。若し其の不義を知らば、其れなんの説ありてか其の不義を書して以て後世に遺さんや昭和維新は日本だけの問題ではありません。本当に東亜の諸民族の力を総合的に発揮して、西洋文明の代表者と決勝戦を交える準備を完了するのであります。明治維新の眼目が王政復古にあったが如く、廃藩置県にあった如く、昭和維新の政治的眼目は東亜連盟の結成にある。満州事変によってその原則は発見され、今日ようやく国家の方針となろうとしています。東亜連盟の結成を中心問題とする昭和維新のためには二つのことが大事であります。第一は東洋民族の新しい道徳の創造であります。ちょうど、われわれが明治維新で藩侯に対する忠誠から天皇に対する忠誠に立ち返った如く、東亜連盟を結成するためには民族の闘争、東亜諸国の対立から民族の協和、東亜の諸国家の本当の結合という新しい道徳を生み出していかなければならないのであります。その中核は満州建国の精神である民族協和の実現にあります。この精神、この気持ちが最も大切であります。第二にわれわれの相手になるものに劣らぬ物資力を作り上げなければならないのです。この立ち後れた東亜がヨーロッパまたは米州の生産力以上の生産力をもたなければならない。百戦百勝は善の善なる者に非ざるなり。戦わずして人の兵を屈するは善の善なる者なり。


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