◇NIGHT☆NIGHT

後編



 薄暗い灯りの元で、覗き込むと、少女はぱっちりと円らな瞳を開いた。
「う・・・ん。」
 目をこすりながら、闇を伺う。
「やべ・・・。」
 そうは思ってみたものの、咄嗟にどうすればよいか判断に迷った。視線が合った。
 少女は不思議そうな顔つきで、目の前に佇む乱馬を見詰め返してきた。
「お兄ちゃん、だあれ?」
 率直に疑問を投げかけてくる。
 その顔は、どこから見ても、幼いあかねであった。前に写真をちらりとかすみさんから見せてもらったことがある。あの、ショートヘアーの気の強い少女をそのまま幼くした幼女がそこに居た。
「あ、あのよう・・・。メ、メリークリスマス。だ。」
 手を挙げて答えた。
 我ながら何をくっちゃべってるかと思うような受け答え。まあ、イブの夜だから辺り障りない答かと思った。
「お兄ちゃん、サンタさん?」
 幼女はくりんと目を輝かせた。本格的に目が冴えてしまったらしい。
「あ、ああ。俺はサンタさんだ。あかね。」
 どもりながらそう答えた。
「わあ。本物のサンタさんだ。あかねのお名前を知っているもの。」
 幼女はますます目を輝かせて身を乗り出してきた。
(ええい、ままよ。このままサンタで押し通してやろう。)
 その無垢な瞳に当てられた乱馬は、俄かにそう決意した。
「でも・・・。サンタさんっておじいちゃんじゃなかったの?ご本の中のサンタさんはみんなおじいちゃんなのに・・・。今目の前に居るサンタさんはお兄ちゃんなんだね。」
 子供の観察力は鋭い。また、妙に理屈っぽい。
「あ、ああ。絵本の中のサンタさんは一応それらしくおじいさんに書いてあるけれどな。お兄ちゃんは、その、何だ、サンタさんの見習中なんだ。」
 咄嗟にウソも方便。
「見習?」
「ああ。サンタさんの修行中とでも言うのかな?」
「シュギョウなら、あかね、知ってる。あかねもね、強くなるために毎日道場でシュギョウしてるもの。へえ。お兄ちゃんってサンタさんのシュギョウ中なんだ。」
 よく考えてみるとサンタの修行など口から出任せなのはわかるのだが、その辺はまだ子供。素直に彼の言うことを信じて鵜呑みにしてしまったらしい。
 無邪気だなと思った。

 と、あかねは枕元に目を転じた。
 そこには大きな靴下が置かれている。何か入っていることを確認すると、あかねはそれをごそごそとやってみた。靴下の中から、小箱が出てきた。
「ねえ、これってクリスマスプレゼント?」
 あかねはまん丸な目をいっそう大きくして乱馬を覗き込んだ。
「あ・・・ああ、そういうことになるのかなあ。」
 勿論、乱馬が置いたものではない。本物のサンタが置いたものでもないだろう。何故なら、包み紙によく知るデパートの包装紙が使われていたのが見えた。
 大方、父親の早雲が、寝際にこそっと忍ばせて行ったものに違いない。
「開けていい?」
 あかねは小首を傾げて聞いてきた。
「ああ、いいよ。お前の物だからな。」
 乱馬は愛想を振り撒いた。ここは何としてもサンタに成りすましていた方がいいだろう。
「何かなあ・・・。」
 あかねはがさがさと音をたてながら、包み紙を破いた。と、中からはトランプが出てきた。絵柄は可愛らしい花柄だ。
「わあ、トランプ。あかね、欲しかったの。」
 プレゼントを前に無邪気に笑う。
「ねえ、お兄ちゃんのサンタさん。あかねとトランプで遊んでくれないかなあ・・・。」
 と早速きた。
「あ、いいぜ。まだ迎えが来るまでには時間もありそうだからな。」
 乱馬は二つ返事で引き受けると、さっとトランプを切り始めた。
「何をする?」
「ババ抜き!」
 威勢のいい答えがあかねから返った。
「よっしゃ。いっちょうやるか!」
 懸命な読者の皆様ならご承知の通り、乱馬はトランプ札には滅法弱い。前に博打王キングとの対戦でそれは露呈している。構えた顔は、持ち札の良し悪しが全て出てしまうくらい、素直で読みやすい。
 幼稚園児のあかねといい勝負になったことは、言うまでもなかろう。わざとではなく、真剣にやって、負けるのだ。かなりの腕前だったのである。
 相手にしてもらっている幼女のあかねは、喜んだ。対等に相手ができるからである。いや、自分の方が若干強い。
 請われるままに、あかねとの勝負に昂じてやった。
「お兄ちゃん、弱いね・・・。」
「るせーっ!」
 この調子である。すっかりご機嫌になったのかあかねは屈託なく話し掛ける。
「あかねのお願いしていたプレゼントとは違ったけど、いいよ、とっても楽しいな。」
「お願いしていたプレゼントってトランプじゃなかったのか?」
 こくんと小さな頭は頷く。
「でもいいの。サンタさんに会えたから。」
 何と素直な笑みが零れるのだろう。乱馬は心臓が跳ね上がるのを感じていた。
(たく・・・。何だって言うんだよ。こいつの笑顔は・・・。可愛い顔を向けやがる。まだ、こんなに幼いくせに、俺を夢中にさせやがる。)
「ほら、次はあかねの番だぜ。」
 時めいた己の心を隠すように乱馬はあかねに次のカードを取ることを促した。だが、返事はなかった。
「あかね?」
 いつか疲れ果ててしまったのだろう。トランプ札を持ったままこくんとうな垂れている。そして、すうっと寝入ってしまった。

「まだ、眠さには勝てねえ年頃か・・・。」
 ふっと緩んだ緊張。
 寝入ってしまったあかねをそっとベッドへと運び入れてやる。毛布を掛けて蒲団を掛けて。それから、そっと寝顔を覗き込む。
 と、枕元になにやら紙が畳んで置いてあるのが目に入った。
「何だろ?」
 乱馬はそいつをひょいっと手にとった。
「これは・・・。」
 たどたどしいひらがながそこへ浮かびだす。まだ就学前のあかねの文字。

『サンタさんへ。
ぷれぜんとはいらないからおかあさんにあわせてください。』

 そうしたためられていた。

「あかね・・・。」

『まだ、母親と死に別れて間がない少女の切ない願いを訊きいれてやってくれ。』

 サンタとのやり取りが鮮やかに浮かび上がる。 
 そうなのだ。あかねは、母親と別れてまだ間がないのだ。サンタへの一番の願いは、母親に会うこと。それだったのだ。
 何故か切ない想いが一気に乱馬の胸へと突き上げてきた。
(こいつは、こんな幼い頃に、母親と別れたんだ・・・。)
 今更ながらに、心が震えた。
「お母さん・・・。」
 ふと言葉が漏れてきた。寝言だ。
「お母さん・・・。」
 また切なげな声が漏れた。母親の夢でも見ているのだろうか。
 あかねの顔を覗き込んではっとした。
 彼女の瞳から流れ出た涙を見てしまったのだ。つうっと流れる一滴の涙。
 思わずその涙をその手ですくい取った。
 切ない想いが駆け抜ける。
「あかね・・・。母ちゃんがそんなに恋しいか。そうだよな・・・。まだ、こんなに幼いんだもんな・・・。夢の中でしか甘えられないんだもんな・・・。」
 いつも強がりを言っている少女の面影と重なった。
 乱馬は蒲団から僅かにはみ出したあかねの小さな手を握り締めていた。柔らかで頼りげない幼い手。
「あかね・・・。母ちゃんが居なくてもおまえはおじさんや姉さんたちの愛情に育まれて大きくなるんだ。おまえを置いて亡くなった母さんの分も、みんな精一杯に愛情を注いでくれてさ・・・。それに、俺も・・・。母親の愛情には及ばねえかもしれねえが、いつだっておまえの傍に居て守ってやるから・・・。だから、安心して眠れ。小さなあかね・・・。夢の中で母ちゃんにたっぷりと甘えてな・・・。」
 すると微かな微笑みが彼女からもれた。
 乱馬の声が聞こえたのかもしれない。
「メリークリスマス・・・。」
 あかねに向かってそう呟いていた。

「ホーリーホーリー、彼女は幸せに微笑んだようだね。」
 
 と背後で声がした。
 見ると傍に本物のサンタが佇んでいた。
「じいさん。たく・・・。びっくりするじゃねえか。」
 乱馬は握り締めていたあかねの手を放した。顔はほのかに赤らんでいる。
「さてと、聖夜は短いんだ。急がないと夜が明けてしまう。ぼちぼちおまえさんを元の世界に戻してやらねばなあ・・・。ほっほっほ。」

 えっと思った瞬間だった。
 足元がぐらっときて、空間が一瞬揺らめいて見えて。そして気がつけば、見慣れた空間。
「ここは・・・。」
 目をこすって見ると、そこはいつものあかねの部屋。

「ホーリーホーリー、後は上手くやるんだよ。」

 そう声が聞こえた。
「じいさん?」
 振り返ったときにはもう、誰も居なかった。今まで着用していたサンタの服は、何時の間にかいつものチャイナ服へと戻っていた。勿論、付け髭もない。
「上手くやれって言われても・・・。」
 そう言いかけて立ち止まる。ベッドの中にあかねの姿を認めたからだ。枕元のスタンドが橙色にあかねの姿を照らし出している。蒲団も掛けず、服も着替えず。ベッドに倒れ込んだそのまま、寝入ってしまったようだ。
「たく・・・。こんな格好で、風邪引いちまったらどうするんだよ。」
 そう言って毛布をかけようとして手が止まった。
 手元に何かある。紙袋だった。青いリボンが目に入る。包み紙に添えられた白いカードに宛名が書き込んである。
『乱馬へ』 
 確かにそう読めた。
(こいつもしかして・・・。)
 カードを取って目を落とす。
『Merry Cristmas!』
 そう書かれた文字は黒いペンで消してある。その下にある、違う書き込み。
『乱馬のバカ!バカバカバカ!』
 そう殴り書きしてあるのが見えた。
「乱馬・・・バカ・・・。」
 閉じた口から漏れる駄目押しの寝言。
(たく・・・。こいつは、この期に及んで・・・、可愛くねえな・・・。)
 そう思ってあかねを覗いた。だが、次の瞬間、はっとした。
 
 覗きこんだ顔に、伝った涙の後が浮かんでいる。

「乱馬の・・・バカ。」
 
 そう象る表情は、どこか哀しげだ。
 ズキンと心が唸った。

 こいつは、俺のことずっと待ってて・・・。

 そうに違いないと、確信した。

 言いたいことを言えずに、クリスマスイブのプレゼントへと想いを封じ込める。まるで、さっきまで一緒だった幼い頃のあかねと一緒じゃなねえか・・・。逝ってしまった母親と、おまえのことを等閑(なおざり)にする許婚と、恋しいと思う相手は違うものの・・・。

 己の罪への贖罪よりも、こみ上げてくるのは「純粋な愛しさ」。弱さを隠して必死で虚勢を張る強がりなあかね。彼女の心の奥に見え隠れする、脆さ。本当は誰よりも寂しがりやなあかね。それがはっきりと見えてしまった。

「俺の負けだな。それも完敗だ・・・。」
 無防備なあかねから覗いた本心に、乱馬は打ちのめされた。
 枕元にあったプレゼントへと手を伸ばす。
「プレゼント、受け取ったぜ。」
 それから、傍にあったペンでカードに書き入れた。
「Merry Christmas、my sweetheart.(メリークリスマス、愛しい人よ。)」
 そう囁くとあかねの頬にくちづけを寄せた。本当は唇へ寄せたかったが、我慢した。寝入ってしまっている彼女の唇を奪うことには、流石に躊躇われ自制心が働いたのだ。
 あかねは起きる様子もなく、長い睫を閉じたまま寝息をたてていた。己の勝手な思い込みかもしれないが、軽く微笑み返してくれたような気がした。


 明日の朝、目覚めたら、あかねは乱馬の残したカードを読むだろう。
 そして、『Thank you.今日は暇か?どっか出かけようぜ・・・。プレゼントの代わりに何かおごるよ。乱馬』と、短い文章を見つけるだろう。
 そしたら、とびっきりの微笑を返してくれるだろうか。
 きっと返してくれるに違いない。
 
「サンタのじいさん、ありがとうな・・・。本当にプレゼントが必要だったのは、この俺だったのかもしれねえ・・。」
 
 そう窓の外に視線を送る。
 その向こう側に、笑いながら夜空を滑ってゆくサンタのソリが見えたような気がした。

 これは不思議なクリスマスイブの物語。
 寂しがりやの少女と、そして、少し素直になれた少年の。




 完






半官半民さんのお誕生日のお祝い小説として書いたもの。
リクエストは「ファンタジックなクリスマスの話。で、乱馬があかねにキスしてもらえそうでしてえない。」
某所にてHM用プロットを組み立てる際に、いろいろレクチャーしていて貰ったリクエスト。
ファンタジックで切なくて、それでいて暖かな、そんな情感を意識した作品として描いてみました。
HMで展開した「クリスマスバトル」があまりにも暴走し過ぎたので、それの反動で描きました。
己が叩きだした中では今年一番か二番を争そうほど好きな話です。珍しくくどくなく、読みやすいかも。

実はまた一本ネタがこれから派生して浮かんだのですが・・・今は書く暇ないなあ。
夏物語なので(笑)来夏にまたHMあたりで展開できればと思っています。私の妄想の泉は底なしなのかも(苦笑
(一之瀬けいこ)


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