らぶ☆パニック
第九話 クリスマス・パニック
一、
湖の畔の古い洋館。
聖夜はだんだんに更けてゆく。
夜更けと共に、降りしきっていた雨にみぞれが混じり出し、日付がクリスマスに変わる頃には雪に変わっていた。白い綿雪がしんしんと天空から舞い降り始める。
洋館の周りを巡って、少し開いていた窓から侵入を果たす。蝋燭がたかれている大広間以外は、暗闇に包まれている館の中。鏡らんまとらんまはそっと辺りを伺いながら潜入した。共に、きらびやかな衣装を身に付けていた。
上手い具合に、湖畔の洋館と鏡屋敷はそう遠い距離ではなかった。
「昔は、この洋館と鏡屋敷は、お隣さんみたいな関係だったようですからな。」
と鏡屋敷の爺さんが説明してくれた。
「明治時代の初めに日本へビジネスで渡来した西洋人の別荘だったと言われておりますからなあ、あの湖畔の洋館は。西洋人の荷物に紛れて、悪魔が巣食ったコンパクトも一緒に日本に入って来たようです。」
「へえ…。西洋の悪魔だったのか、あいつは…。」
らんまが感心してみせた。
「でも、日本語は上手だったぜ。」
続けて小人乱馬が不思議そうに尋ねる。
「まあ、相手は悪魔ですからのう…。適当に言葉を覚えたのでしょうな。
とにかく、我が館に古くから伝わっている話によりますと、洋館の主と共に伝来した「鏡の悪魔」は見境い無く女性を襲うので、迷惑がられておったそうです。それを、通りがかったさるキリスト教の司祭が、館にあった姿見の鏡に閉じ込めたそうです。以後、第二次世界大戦が起こり、日本は危ないからと、洋館に住んでいた西洋人もビジネスをやめ帰国の途につかれたのですじゃ。そのまま、洋館は長い間うちやられ、尋ねる人も住む人も居なかった。きっと、西洋人は悪魔を封じた姿見をそのまま、置いていかれたのでしょうなあ…。」
鏡爺さんがそんな話を教えてくれた。
「置いていかれた封印の悪魔かあ…。そいつも鏡を行き来できるんなら、こいつらと同じように、誰かのコピーだったのかもしれねえな…。」
らんまはちらりと鏡らんまを見た。
「可能性はありますな。鏡は持ち主の霊がこもるとも言いますからのう。現に我が屋敷の鏡にこもった霊は、ナンパなコピーを生み出しましたしなあ…。」
「こら、感心してる場合じゃねえぞ。こうしている間にもあかねの貞操が危険に晒されてる。」
「寸胴女だけじゃなくって、ハニーの童貞も危ないわ。」
と、鏡らんまも必死だ。
「童貞…ねえ…。」
その言葉に思わず苦笑する。
「まあ、細けえことは良いや…。肝心な悪魔だが、どうやって倒せば…。」
「それなら、ワシに思案がありますから、ご安心なされ。」
爺さんは、鏡屋敷の物置へ入ると、ごそごそと何かを漁り始めた。
「爺さん?何やってんだ?」
らんまが怪訝に声をかける。と、お爺さんは、一つの道具を持って、らんまへと差し出した
「乱馬さんとやら、これをあなたにお渡しておきます。」
鏡屋敷の爺さんが、そいつを乱馬に手渡した。
「これは?」
怪訝な顔をして、乱馬がそれを見た。爺さんの手に、ハエ叩きと思(おぼ)しき物が握られている。ただ、普通のハエ叩きと違っているのは、「破魔」という文字が平らになった叩き部分に書かれている。
「それは、悪魔の術を解く道具じゃよ。」
そう言って笑った。
「鏡の悪魔の術を解く道具だって?何でこんなものを使うんだ?」
きょとんと爺さんを見詰める。
「今頃、ワシ以外の天道家の方々は、悪魔に魅入られ、上手い具合に、操られているじゃろうからな…。」
「な、何だってえ?そいつは本当かっ!」
思わず、らんまははきつけていた。あかねが捕らわれていることはわかったが、天道家の面々まで奴らの意のままに、とは思わなかったのだ。
「本当じゃよ。ワシは用心したから、館の中へは入らなかったんじゃ。館は奴にとって、いわば、最良の魔域(テリトリー)。奴を封印した司祭のせいで、魔力の大半を失っているとはいえ、奴の魔域の中では術も巧みに扱えるというもんじゃ。」
「てめえ、そういう肝心な事は早く言えっ!早くっ!」
らんまの口から思わずツバキが飛んでいた。
「第一、テリトリーがあって、やばいと思ったら、親父たちにもちゃんと説明しとくべきじゃねーか!わざわざ人質を増やしただけじゃねーか!このすっとこどっこい!」
早口で叫び飛ばす。
「まあ、細かい事は良いではないか。済んだ事はしょうがない。」
爺さんは動じる気配が無い。
「良くねーぞ!こらっ!」
思わず反論しかかるらんま。だが、彼を押し退けて爺さんが言った。
「これは、悪魔の術を解くための道具なのじゃよ。ほうれ。」
と、唐突に、ハエ叩きについて説明し始める。
「もしかして、これで親父やおじさんたちを叩けってか?」
らんまが尋ねると、コクンと鏡屋敷の爺さんの頭は揺れた。
「多分これで、術は解ける。」
「多分?何だそりゃ…。随分曖昧な…。」
思わず息を吐き出すらんま。
「我が屋敷の旦那様が、お家盛んなりし頃、西洋から来た司祭が帰り際に譲り受けた代物だそうですじゃ。悪魔叩きとも呼ばれておりましてなあ…。もし、鏡の悪魔が姿見から抜け出て、悪さをしたときはこれで、魔術にかかったものを叩けと言われたものらしいですな。じゃが、古い言い伝えですから、詳細はワシにも、さあっぱり!」
と両手を広げてみせる爺さん。
「てめえ…。何かメチャクチャ無責任じゃねえか?」
乱馬は苦言を呈した。
「まあ、これで操られている人の背中を軽く一発叩けば、我に返ると言われておるから、試してみれば良いですじゃろう。」
「効かなかったらどうすんだよ?」
「その時はその時。また、別の方法を考えれば良い。」
あっさりとしたものだ。
「どうする?そいつを使ってみるかね?」
爺さんはらんまに畳み掛けた。
「わかった、預かっとく。」
らんまは答えた。
「携帯に便利なように、ほら、こうやってコンパクトに仕舞えるからのう。」
爺さんは棒についているネジを緩めると、すすすっと三分の一くらいの長さに縮んだ。
「何か、変なところだけ便利な道具だなあ…。こいつは…。」
思わず苦笑いがこぼれる。
「丁度良い事に、二つありますからのう…。ほれ、こっちはコピーが持つと良いじゃろう。」
と、鏡らんまに渡した。
「変に準備が良いよなあ…。二つもあるのかよ。」
苦笑いするらんまに
「何、スペアでしょうな。」
と爺さんは屈託無い。
「さて、そろそろ悪魔館へ乗り込むかのう…。」
爺さんが笑った。
「どうやって?俺たちの面は割れてるんだぜ?」
「何、さっき偵察してきたところによると、奴は魔法で使用人をたくさん作り出し、結婚式の世話をさせようとしておった。それを逆に利用するんじゃよ。ほっほっほ。」
爺さんは鏡らんまとらんま、そして小人乱馬を招き寄せ、こそこそと打ち合わせした。
「なるほど…。そいつは妙案だぜ。」
小人乱馬が笑った。
「妙案過ぎて、涙が出そうだぜ…。ったく、また女装させられる身にもなってみろ!」
らんまだけは乗り気がしないらしい。
「頃合を見計らって男に戻ればよいじゃろう。」
「そんな格好で男に戻ったら「変態」だぜ?爺さん…。」
「男に戻った時は、衣装を脱げはよいじゃろうが!いちいち、うるさい男じゃのう、おまえさんは。それとも、おまえさんは下着も女物を着るのかね?」
「馬鹿っ!女物の下着なんて、死んでも着ねえよっ!」
「なら、細かい事は気にするな。」
爺さんは暢気だ。
「そうよ、あなた。男はあんまり細かいことをごちゃごちゃ言っちゃあ、打目よ。」
と鏡らんまも同調する始末。
「たく、誰のせいで、こうなったと思ってやがんでいっ!」
らんまは怒鳴りつける。
すったもんだの末、メイド姿へと着替えが終わった。
「さて、急ごう。結婚式が始まってしまっては、不味いからのう…。」
「ああ、そうだな。」
「絶対、俺の身体を取り戻してやるぜ!」
小人がはきつける。
「おめえ、先に言っとくが、戻ってもあかねを口説くなよ!」
らんまは念を押すのを忘れない。
「ハニーをこんなチンケなじじいにした恨み、存分に果たしてやるわ!」
「行くぜっ!」
一同は、深く頷きあった。
二、
悪魔の館。
賑やかに、結婚式と宴の準備が進められていた。
悪魔乱馬が魔法で作った使用人たちが、せせこましく、準備に余念なく動き回る。
その中に紛れて、らんまと鏡らんまが潜入した。フリフリのスカートスタイルのメイドの格好をしていた。ダークグレイのスカートの裾にレースのふりふりがついている。真っ白のエプロンとヘアーバンドが初々しく見える。
一緒にくっついてきた、小人乱馬が思わず「可愛い。」と言ったくらいだ。
「てめえに、可愛いと言われても嬉しかねーな…。」
「早く、元の身体に戻してあげるからね、ハニー。」
らんまと鏡らんまが、そう答えた。
爺さんも一緒に潜入を決め込んだらしく、普通に執事の格好をしていた。背広に蝶ネクタイ。特に変わり栄えはない。
「さあ、行くぜ!」
らんまと鏡らんま、そして爺さんは館に潜入する。小人乱馬も目立たないように、隠れながら、彼らの後に従った。
何食わぬ顔をして、悪魔乱馬が作った使用人たちに紛れる。
すんなりと溶け込んでしまうところは、さすがだった。
元々、奴が魔法で作り出したメイドや使用人たちは、感情や知能など埋め込まれていないのだろう。黙々と働いている。それに紛れて、こそこそと動き回りながら、辺りの様子を伺う。
どうやら、二階の奥に一同が集められているようだった。二階へあがるメイドたちに紛れて、らんまも鏡らんまも一緒に入った。
そこは教会の礼拝堂のような部屋になっている。
ただ、教会と違うのは、中が黒系統の色でまとめられていたこと。清楚な色である、白は配色が少なく、黒光りした椅子や壁が不気味さをかもし出していた。
中央には十字架ではなく、獣の顔をした像が立っている。禍々しい雰囲気がある像だ。
普通なら、キリストを抱いたマリア像でもありそうなものなのに。その辺りからして、妖しい雰囲気が漂っていた。
周りには、愛想の良い笑い顔立ちのメイドがずらりと並ぶ。一種異様な雰囲気が漂っていた。らんまと鏡らんまも、彼女たちと同じように、作り笑いを浮かべて、それぞれ配置に付く。
(何か、馬鹿みてえな顔してんだろうな…。今の俺…。)
苦笑いを堪え、そう思いながら耐えていた。
そうこうしているうちに、ぞろぞろと天道家の人々が集り始める。
それぞれにこやかで晴れやかな顔をしているが、どこか取ってつけたような雰囲気があった。
なびきの表情が、天使の如く穏やかだったのが、とても不気味に思えた。それはそれで、ある意味、普段よりも凄みがある。
皆、それぞれ、黒っぽいドレスや衣装を身に付けている。早雲も礼服だった。かすみとなびきも黒を貴重としたコスチュームだ。なびきなどは、黒いラメ入りのドレス。玄人の女性に見えたくらいだ。
かすみは何処まで行っても穏やかである。なびきのように穏やかな表情をしていても違和感がない。「清楚」という言葉がそのまま当てはまりそうなスーツを着用し、にこやかだった。
らんまの父、玄馬は、着替えるのも億劫だったのか、パンダのままだ。
(たく、親父め…。こんなところまで、不精した格好しやがって…。)
思わず、そう感想を持った。
オルガンが厳かに鳴り響き、天道家の人々の顔も緊張に包まれた。
やがて、後ろ側の扉が開かれて、悪魔乱馬とあかねが覗いた。
悪魔乱馬はふてぶてしくも、笑顔をたたえている。あかねの先に立ち、ゆっくりと前方の祭壇へと歩みだした。その後ろには、あかね。
これまた、漆黒のウエディングドレスに身を包んでいた。悪魔の花嫁らしい、井出たちだ。手にしているブーケは深紅のバラ。それ以外は、真っ黒の装束で身を固めている。
その、妖しき美しさに、らんまは息を飲んだ。己には見せたことがないような笑顔を、始終、悪魔乱馬に手向けているのも気に食わなかった。
(畜生、あいつ、あかねを前に、にやにやしやがって!)
ぐっと耐えながら拳を握り締める。ここで早やってはいけない。だた、その思いだけで耐えた。
(怒りは後で一気に爆発させてやるぜ!みてろよ!)
その一心だった。
彼のその緊張は、証人とも言える、司祭風な男が入ってきた時、頂点に達した。
彼の合図により、オルガンの前奏が始まり、式が厳かに始まる。
教会形式を模しているとはいえ、どこか禍々しいものを感じる、黒いチャペルだった。
「さあ…。あかねさん…。」
悪魔乱馬は進み出て、あかねを中央へと誘う。
「早乙女乱馬、汝、この者を妻と認め、生涯をかけて愛する事を誓うか?」
まず、悪魔乱馬へ問い質される誓いの言葉。
「はい。」
当然の事ながら、はっきりと返事が返された。
「天道あかね、汝、この者を夫と認め、生涯をかけて愛する事を誓うか?」
同じ問い掛けがあかねになされる。
コクンと揺れる、あかねの頭。
「ならば、二人、この誓約書にサインを…。」
ひらりと、司祭は一枚の紙を祭壇へと差上げた。
と、その時だ。
「させるかっ!」
がばっと、小人乱馬が乱入して、その紙きれを横取りする。
「き、貴様っ!性懲りも無く!まだうろついていたのかっ!」
悪魔乱馬が怒鳴った。
「へっへーん!この結婚式、絶対にぶち壊してやるんだ!」
彼は彼なりに必死になっているらしい。
「そうはさせるか!そら、皆の者、奴を捕らえ、誓約書を取り戻すんだ!」
悪魔乱馬の声に、一斉に、それまでにこやかだった、御付の者たちが襲い掛かる。
「けっ!絶対に捕まるもんか!」
小人乱馬はちょこまかと、間をすり抜け、逃げ惑う。
「貴様、ここが我がテリトリーとわかっていて足掻くか!浅はかな奴め!」
悪魔乱馬が彼に向かって吐きつける。
教会のドアがギイギイと音を立てながら閉まった。
「おまえは、逃げられはせぬ!大人しく、その誓約書を渡せ。」
悪魔乱馬ははきつけた。
「いやだね!おめえ、あかねさんにサインさせて、俺みたいに悪魔と契約させるつもりなんだろ?さしずめ、悪魔との結婚の誓約書。ならば、こんなものっ!」
破り捨てようとした。だが、硬い紙だったのか、千切れはしなかった。
「ふん、無駄だというのがわからないのか。さあ、奴からあれを奪えっ!」
促されて、物影から飛び出したメイド。
巧みに、小人乱馬からそいつを奪い取と、契約書をひらつかせた。
「でかした、よくやったな…。メイドよ。」
悪魔乱馬はしてやったりという顔を小人乱馬に手向けた。そして、メイドに対して、契約書を貰おうと手を差し出した。その時だ。
「それは、どうかしらん…。」
紙を持っていた、メイドが、にっと笑った。それから、思いきり、アカンベエを悪魔乱馬に差し向ける。
「なっ?貴様はっ!」
悪魔乱馬の顔がみるみる険しくなった。
己にアカンベエをした顔に、見覚えがあることに気が付いたのだ。
「貴様はコピー女乱馬っ!」
その怒号を合図に、今度はらんまも乱入した。
「てめえの思うようには絶対にさせねー!食らいやがれっ!」
そう言いながら、ハエ叩きを手当たり次第、メイドたちに差し向けた。
バシン、バシン。
気持ちの良い音がして、叩きつけられたメイドたちは、虚空へと立ち消える。そう、ハエ叩きの効力が、思わぬ効果をあげたのだ。
「せーのっ!」
「とりゃーっ!」
息もピッタリとあった、らんまと鏡らんま。元は同じ個体であることをほうふつとさせる。
間髪なしに襲い掛かる、メイドや使用人たちは、ハエ叩きで打ちのめされて、アブクのように、次々、消えて行く。
「貴様たち…。やってくれるじゃないか。」
悪魔乱馬はギリギリと地団駄を踏んで悔しがる。
「へっ!言ったろ、てめえの思うようにはさせねーっ!」
「ならば、これではどうかな?」
すっと悪魔乱馬は手を上に差上げる。
ピカッと光がきらめくと、今度は、天道家の人々が、二人に勢い良く襲い掛かった。
「くっ!小賢しい手を!」
らんまと鏡らんまはさっと横に飛びながら、天道家の面々を避けた。
「どうじゃ?身内は打てまい!」
にやりと悪魔乱馬は笑った。
「生憎様っ!身内だって、打てらあっ!」
らんまは振りかぶり、まずは、傍に居た玄馬パンダの背中を思いっきり叩き上げた。
パシン!
強い音がして、玄馬パンダが前につんのめった。
シュウシュウシュウと背中から湯気があがり、コロンと鏡の欠片が玄馬パンダのでかい図体から抜け落ちて、パリンと割れた。
「ぱ、ぱフォ?」
我に返ったのか、玄馬パンダが辺りを見てキョロキョロしている。
「次っ!おじさんっ!」
今度は早雲目掛けて、ハエ叩きを打ち下ろす。
パシン!
再び、強い音が響き渡る。
「ぐげっ!」
今度は早雲が白目をむいて倒れこんだ。玄馬パンダの時と同じく、タキシードの背中から、シュンシュンと音がして、コロンと鏡の欠片が抜け出てきた。
「…。はて、ワシは一体…。」
早雲は呆然と、辺りを伺った。
「次っ!なびきだーっ!」
らんまはそのまま、振りかぶって、今度はなびきに襲い掛かる。
「きやあああっ!」
なびきの悲鳴と共に、背中が打ちのめされた。
さすがに女性なので、さっきの二人よりは、幾分手加減したつもりだった。それでも、パシンと鋭い音が弾け飛ぶ。
「乙女の柔肌に対して、何てことすんのよーっ!痛いじゃないのーっ!」
なびきは、欠片が抜け出ると同時に、らんまに対して文句を叩きつける。
「慰謝料高いんだからねー!」
と捨て台詞を吐くことも忘れない。さすがと言うべきだろう。
「たはは…。なびき、てめえはこんな時も…。ま、いい。えっと、今度はかすみさんだーっ!」
そう言いながら、打ち下ろしかけて、はっと動きが止まった。
「らんまく〜ん…。かすみを打つ気かねえ?」
巨顔化した早雲が、目の前を漂流しているのに出くわしたのだ。
「でええっ!見逃してくれっ!何もかすみさんが憎くて打つんじゃねえやいっ!こうしねえと、魔法が解けねーんだったらっ!」
そう言い訳したが、躊躇したらんまの真後ろを、鏡らんまが駆け抜けた。
「私に任せてっ!」
そう言うと、逃げ惑っていたかすみの背中目掛け、鏡らんまがハエ叩きを打ち下ろしていた。
「いやああっ!」
パアン!
かすみの悲鳴と共に、響き渡る平打ちの音。
「か、かすみっ!」
巨顔化していた、早雲がへなへなと意識を失った。愛娘の中でも、一番大人しいかすみに対する、平打ちの仕打ちが、こたえたのだろうか。
かすみはなよなよっとそのまま床に倒れこんだ。
「お父さん…。」
はらりと、涙が一粒。
「らんまく〜ん…。一体君は何のつもりでかすみをー泣かせたーっ!!」
ガバッと起き上がった早雲が、再び、らんまに襲い来る。
「でええっ!人聞きの悪い事言うな!第一、叩いたのは俺じゃねえっ!鏡らんまだよ、おじさんっ!」
思わず、そんな言葉を叩きつけるらんま。
彼らの目の前で、鏡らんまは更に襲い掛かる、メイドたちへ向かって、「えいっ!やあっ!」と、面白おかしくハエ叩きを振り回しているのが見えた。
「彼女は元はといえば君のコピー。コピーの責任はその大元の君が取るのが筋ってものだろう?らんまく〜ん!!」
巨顔がゆらゆらと揺れた。
『恐れ多くも、かすみさんに…。何てこと…。』
どこから用意したのか、玄馬パンダまで、看板にそんな言葉を書きつけている。
「だから、そんな事、やってる場合じゃねえって、おじさんっ!親父っ!あかねを助けるのが先だろがあっ!」
らんまはそう、吐き出したが、既に遅きに逸した。
らんまよりも一瞬早く、危機を察知した、悪魔乱馬があかねを己の腕にがっしりと抱き寄せていた。あかねの瞳は虚ろなまま、悪魔乱馬に身を寄せる。それが見えたのだ。
「そら見ろ!あかねをあいつに横取りされちまったじゃねーか!この馬鹿親父どもっ!」
らんまは鼻息荒く、父親たち二人にはきつけていた。
「ふん、危ない危ない。花嫁まで取り戻されては、元も子もないからなあ…。」
ゆらゆらと揺れるシャンデリアの上、悪魔乱馬が見下ろして笑っている。
「畜生!てめえ、あかねを返せっ!」
下側かららんまが叫んだ。
「返せと言われて、素直に返すほど、お人よしでもないよ。こうなったら、おまえたちの手の届かぬところへこの娘を連れて行き、力ずくでも、嫁にしてやるわっ!」
すいっと悪魔乱馬が手を挙げた。
と、ゴゴゴゴっと足元が盛り上がる。
階下から何かが二階の床を突き破って、出現した。それは、小さなコンパクトだった。
「あ、あれは…。」
「コンパクト?」
一同が見ている中、悪魔乱馬はあかねを抱えたまま、シャンデリアの上から、現れたコンパクト目掛けて飛び降りた。真っ黒なコンパクトだ。
コンパクトは貝殻のように、パックリと口を開くと、落ちてきた悪魔乱馬とあかねをばっくりと飲み込んでしまったではないか。
「な、何っ?」
それは一瞬の出来事だった。
呆然と、一同が見守る中、悪魔乱馬とあかねを飲み込んだ鏡はパチンと音をたてて、その扉を閉じる。まるで意思を持っているかのように、そいつは、そのまま、床にちょんまりと静まってしまった。
「しまった!あいつめ、あかねを鏡の向こう側に連れて行きやがった!」
だっと駆け寄ると、閉じたコンパクトを開こうと、手をねじ込んだが、口はしっかりと閉じられていて、開く事はできなかった。
それだけでなく、鏡はぷいっと横を向く。
「な、何だ?こいつ、意思を持ってるのか?」
らんまが悔しそうにコンパクトを見やる。
「畜生!馬鹿にしやがって!」
足蹴にしたが、コンパクトは微動だにしない。
「これこれ、乱暴に扱ってはいかんよ…。」
どこに潜んでいたのか、鏡屋敷の爺さんが駆け寄ってきた。
「恐らく、これは、悪魔の本体を牛耳る鏡じゃろう。まさしく、鏡悪魔の魂の拠り所の鏡」
爺さんはコンパクトを見ながら言った。
「悪魔の本体だって?」
らんまの問い掛けに、爺さんは頷く。
「ああ、そうじゃ。奴はこの鏡に古くから巣食っておったのだろうよ。」
「ってことは…。」
「この中の世界は即ち、彼のまんまの領域。」
「じゃあ、あかねはどうなる?」
乱馬は爺さんを見ながらせっついた。
「恐らく、この中であやつと結婚の誓約をさせられるじゃろうな…。」
「じ、冗談じゃねえぞ!こらっ!」
「じゃあ、ハニー身体もこのままなの?!」
らんまと鏡らんま、ダブルらんまは、グググッと爺さんの胸倉をつかみ上げた。
「だから、落ち着けと言っとろーが!この若輩者っ!」
爺さんは苦しがりながら、ダブルらんまにはきつけた。
「びえええん!ハニーもこのままじゃあ、小人爺さんのまま、余生を送るのね…。」
と鏡らんまが泣き出した。
「ベイビー…。」
しゅんとしょげ返っている、小人乱馬の横、鏡らんまは何を思ったのか、傍にあったポットを手に取ると、バシャバシャとらんまに湯を浴びせかけた。
「熱っ、熱いじゃねーかっ!このアマッ!」
みるみる乱馬は男に戻っていく。と、そこへ、鏡らんまがひしっと抱きついてきた。
「こうなったら、あなたしか居ないわっ!あなたも許婚を盗られては、私しか居ないはず!さあ、迷わず私と結婚しましょう!」
強引にも、乱馬へと抱きつく。
「な、何だ?」
飛びつかれた乱馬はそのまま後ろに倒れこむ。
「さあ、あなた、あかねさんの代わりに私と結婚よっ!」
「こら、体裁考えろっ!今のままなら、変態カップルだぜっ!」
乱馬は思い切りがなりたてる。それもそのはずだ。二人ともメイドの格好だ。メイド衣装のまま、乱馬は男に戻っていた。とても、危ないカップルが、ひしっと抱き合っている。
事実、周りを取り囲んでいた天道家の人々は、呆気に取られて、二人を冷たくみ護っている。かすみなど、「あらららら…。」と一言発しただけで黙り込んでしまったくらいだ。とても正常とは思えない。
そんなこと、どうでも良いと言わんばかりに、ひっしっと抱きついたまま離れようとしない鏡らんま。
『なんと、素早い心変わり!』
玄馬パンダが無責任に看板を差上げて囃したてる。
「でえっ!やめんかーっ!」
ジタバタと足掻く乱馬に、小人乱馬が追い討ちをかけた。
「てめえ、俺のハニーをかどわかしやがって!許さん!」
と参戦した。
「ハニー!」
「泥棒めっ!」
「やめっ、やめーいっ!!」
三つ巴の取っ組み合い。
天道家の面々は誰も止めることなく、虚しく「三人の乱馬たち」戦いを見詰めていた。
と、その時だった。
悪魔乱馬とあかねを吸い込んだコンパクトに、男に戻った乱馬の手が触れた途端だった。
パカンと音をたてて、コンパクトが開いた。
さっきまで、らんまがあれだけ押し開けようとしても、びくともしなかったというのにだ。それだけではない。コンパクトは口を開いたその拍子に、乱馬の前に振りかぶった。
「え?ええええっ?」
あんぐりと口を開いたコンパクトは、そのまま、乱馬へと口を開いて襲い掛かった。
「な?」
そのまま、乱馬の頭上からぱっくりと飲み込むような動作をすると、再び、きらめかんばかりの光を彼に投げつける。
「なっ、何だ?う、うわああああっ!」
一同が見とれているその前で、コンパクトに乱馬が吸い込まれて行ったではないか。光に導かれるかのように、乱馬はそのままコンパクトの中へと消えていく。
「な、何が起こったんだ?」
「乱馬君がコンパクトに食べられちゃった…。」
「どうなってるの?」
早雲と、かすみ、なびきが、順々に驚愕の声を張り上げる。
「そ、そうか!」
ポンと一発、鏡屋敷の爺さんが手を打ち鳴らした。
「悪魔は乱馬さんのコピーに乗り移ったんじゃ。ということは、原像も虚像も一心同体みたいなもの…。乱馬さんに触れた途端、コンパクトが悪魔本体と勘違いして飲み込んでしまったのじゃ。多分…。」
「何だか、説得力がない、いい加減な話よねえ…それって…。」
なびきが白い目で爺さんを見返した。
「いずれにしても、この先は彼自身で切り開いてなんとかしてもらわないといけないということだろうね…。」
早雲が腕組みしながら言った。
「後は、天に任せて待つのみ…ですな。」
鏡屋敷の爺さんは、ふっと溜息を一つ吐き出した。
しんしんと冷え始めた館の中。窓の外を見ると、雪がちらつき始めていた。
つづく
乱馬くん、遂に悪魔乱馬と対決です。
で、次回が最終話になります。長かった(笑
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