らぶ☆パニック
第八話 鏡の悪魔
一、
あかねは、寂しい一本道を、鏡乱馬と共にタクシーで揺られていた。
だんだんに家並みはなくなり、舗装されてはいるものの、侘しい一本道を車で揺られながら行く。
「本当に、この先に家なんか、あるんですか?お客さん。」
タクシーの運転手も初めて通る道らしく、不安げだ。
「大丈夫。その先に小さなコテージがあるです。」
と隣りの鏡乱馬は自信ありげだ。
「で、今夜はそこでイブを?」
にっと若いカップルに向かって、親父ドライバーは語りかける。
「ええ…。そのつもりです。」
とはっきり言う鏡乱馬。
「若いというのはよろしいですなあ…。親御さんは大丈夫で?」
「ああ、それなら心配いりません。僕らは婚約してるんです。」
乱馬はきっぱりと言い切った。
「へえ…。若いのに婚約ですか。」
と、真面目に感心して見せるドライバー。
「なあ、あかね。」
「え、ええ…。親が決めた許婚同士なんです、あたしたち。」
あかねもコクンと小さな頭を揺らせた。
「ひえええっ、親同士が決めなさった許婚ですか。許婚っていう言葉なんか死滅したものと思っていましたが…。」
と、目の前に小さな明りが見え始めた。
「もしかして、あれですか?」
運転手は鏡乱馬に語りかける。
「え、ええ…。あれです。」
「本当に、こんなところに建物なんかあったんだ…。」
ホッとしたのか、それとも不安になったのか、あかねはじっと先の建物を見詰めた。
湖が横にある。それが、タクシーの光に照らされて、キラキラと輝いて見えた。
メーターどおりの金額を払うと、乱馬は先に立って降りる。
タクシーはエンジン音を吹かせると、Uターンして、元来た道を戻っていく。遠ざかるタクシーの赤いブレーキランプとエンジン音。
と、ザザザザと音がして、ポツンポツンと上から雨が滴り落ちてきた。
「雨が降ってきたみてえだな。」
ふうっと恨めしそうに鏡乱馬は上空を見上げた。
「え…?」
驚いたのはあかねだ。
「あんた…。何で?」
と言いかけた。
そうだ。乱馬は水に触れると、変身してしまう呪いを身体に穿たれている。だが、目の前に居る乱馬はどうだ。雨がしこたま、ザザザっと降り注いでいるにも関わらず、変身する気配がない。
「何で変身しないかって?」
クククと鏡乱馬が笑い出した。
それから、あかねの肩をグイッと引き寄せる。
「あんた…。まさか、鏡乱馬。」
あかねは身を硬くした。
「だったら、どうなんだい?あかね…。」
妖しく揺れる、鏡乱馬の瞳。
身を硬くしたあかねは、一瞬、彼を蹴り上げようと、足を振り上げた。
彼女とて、武道家の端くれ。自分の身を守る術くらいは心得ている。奇襲あるのみ。そう思った。
「遅いっ!」
鏡乱馬は、あかねの気配を察知していたらしく、さっと身を翻してそれを避けた。それだけではない。あかねの腕をぐいっとつかみ上げる。
「ちょっと、放してよっ!」
あかねが怒鳴った。
「おまえさあ…。俺が早乙女乱馬のコピーだということ、忘れてるんじゃねえのか?」
と薄気味悪く笑う。
乱馬のコピー、即ち、彼同等強いということだ。
最近はめきめきと力をつけている。出逢った頃より、数倍も強くなった乱馬。女性と男性の元々持っている力の差が、歴然としている。その、力の差を、まざまざと見せ付けられた。
「とにかく…。悪いようにはしねえよ。おめえは、俺の原像でもある早乙女乱馬が愛してる女だ。俺も奴のコピーだから、おめえに惹かれるのは当然の事かもしれねえが…。」
「でも、あんたには鏡らんまちゃんが居るじゃない。あんたが乱馬を映して生まれてから、ずっと惹かれあってるんでしょ?なのに、こんな事してて良いの?」
あかねは畳み掛けた。
「あいつも俺と同じ原像から生まれた奴だ。俺の気持ちはどこかで理解してんじゃねえのかな…。」
「そんな、勝手な論理。」
「今の俺には、どちらも捨てがたい女なんだ。おめえも手に入れたい。じゃねえと、こんな事しねえよ。」
「あたしの心はどうなるのよ?」
「俺が一番大事なのは、俺自身さ…。おめえの気持ちは二の次だ、悪いな。」
そう言うと、滴る雨の中、鏡乱馬はにっと笑った。
降りしきる冷たい雨。
鏡乱馬はあかねをつかみながら、洋館の扉を開いた。
キイイっと木が軋む音がして、小屋の入口が開く。
あかねを捕まえたまま、鏡乱馬は中へと入る。それから、パタンとドアを閉めた。
中は綺麗に清掃されていた。古びた内装ではあったが、木の温かみがある。床にはエンジ色の絨毯が敷き詰められ、土足でも大丈夫だ。
入ってすぐ目に入ったのは大きな暖炉。レンガで造られているその炉辺(ろばた)には、薪火がくべられていた。柔らかな光のはずなのに、歪んで見えた。
中央には大きなテーブルが一つ。真ん中にキャンドルと、小さなコンパクトが置かれている。
「やあ、やっと来たかね。」
と、奥から声がした。
見ると、小人爺さんがそこに立っていた。
「爺さん…。いろいろ準備してくれたんだ。」
にっこりと、鏡乱馬は話しかける。
「ああ…いろいろ準備して、おまえさんが来るのを待っておったよ…。」
爺さんはヒゲをしごきながら言った。
「誰?」
あかねはキッと小人爺さんを見詰めた。
「俺を導いてくれた協力者だ。」
鏡乱馬は笑った。
「協力者?あんたの?」
あかねが怪訝な顔を手向ける。何故か知らないが、ぞくっときた。とても、そんな生易しい爺さんには思えなかったのだ。
「ああ、協力者だよ。」
鏡乱馬は屈託無い。
だが、爺さんはそんな鏡乱馬を見て言った。
「そちらの娘さんの方が、ワシの本性を見抜いておるようじゃのう…。」
「え?」
鏡乱馬が、そう問い返した途端だった。
禍々しい蒼い光が、一瞬、きらめいた
そして、あっという間に鏡乱馬を包んだ。
「なっ!」
鏡乱馬は余りの眩さに思わず目を閉じる。
カアッともう一度、瞬いて、光が消えた。
シュウシュウと煙る音が上がった。
「こ、これは何だ?どういうことだっ!」
あかねの目の前で不適に笑っていた、小人爺さんの様子がおかしい。いや、隣に立っていた、鏡乱馬の様子もおかしかった。
「ふふふ、どうだね?身体が入れ替わった感想は…。」
ぎょっとして、己の横を見やる。鏡乱馬が、にやりと微笑みながら、小人を見下ろしている。
「じじい、てめえ、まさか…。俺と入れ替わりやがったのか?」
小人が乱馬を見上げて叫んだ。
「ふっふっふ…。そのとおりだよ。ワシがおまえの身体を引き受けてやったんじゃ。」
「な、何ですって?」
あかねはぎょっとした。
「てめえ、どういうことでいっ!」
小人が全身を震わせてがなった。
「ふん、最初から、こうするつもりじゃったんだよ。若くて瑞々しい肉体を手に入れ、あわよくば、花嫁も手に入れたかったのでな。おまえさんは良くやってくれたよ。こんなに可愛らしい娘を、ワシのために、用意してくれたんじゃからな。」
にいっとあかねを見ながら、鏡乱馬を乗っ取った小人爺さんが笑った。
「な、何だって!てめえ、最初から俺を利用するつもりで…。」
小人は更に畳み掛ける。
「ふふふ…。最初に契約書を交わしたろう?ワシが協力する代わりに、ワシにその身体を差し出すとな…。」
「そ、そんなこと契約してねえぞ。」
わなわなと震える小人を見下ろしながら言った。
「よく読まなかったおまえさんが悪いさ。ほら、ここにしっかりと書いてあるわ。」
「読まないって言ったって、俺の読める言語で書かれてねえぞ!それ、横文字じゃねえか。しかも英語でもねえし!」
「ああ…。外国語じゃよ。ワシは元は百数十年前にはるばる、西洋から来た悪魔なんでな。」
「てめえ…。最初からこうするつもりで。俺をはめやがったのか!」
「ふん、もうおまえには用は無い。この館から失せろ!その小人の身体でこの森で彷徨いながら、果てるが良いわ。」
バタンッと、触れもしないのに、扉が開く。
「うわあああっ!」
そこから伸びてきた風の触手。それに絡まれるように、小人の身体が吸い込まれて行く。
「畜生!てめえ、覚えてやがれーっ!」
鏡乱馬が押し出された時、瞬時に動いたのはあかね。彼が吐き出されたドアの方へ、ダッシュした。
(外へ出られる!)
風の誘いとともに、走り出せると思ったその時だった。
「おまえは、逃さねえぜ。」
すぐ耳元で声がした。振り返ると、ピタリとあかねに寄り添うように、悪魔が立っていた。
「いやああっ!」
悲鳴を上げながら、振り切ろうとしたが、ガッと右肩を捕まれ、抱きかかえられる。
「だから、逃しはしねえと言っただろ?あかね…。」
じっと覗き込んでくる、漆黒の瞳。その中に吹雪く、雪を見たような気がする。
冷たい瞳の輝き。あかねを刺すように、きらめく光。そいつが、あかねの瞳の奥へ突き刺さってくるような間隔を覚えた。冷たい欠片があかねの瞳を通して、体中に流れ込んだ気がする。
トクン。
それに反応して、心臓が一つ、唸りを上げた。
そこから送られる血液が、一瞬の間に凍りついたような感覚に捕らわれ、体中の力が抜け落ちていった。
「ほら…。君はもう、僕から逃げられない。この夜のしじまの中で、永遠の愛を僕と誓おう…。あかね。」
妖しく語りかける言葉に、あかねはコクンと頷いていた。
二、
「さすがに、この時間になると冷えてきたなあ。」
ぶるるっと思わず乱馬の身体が震えた。山の空気が締め切った窓を通しても、冷たくなってくるのがわかる。
ガタゴトとでこぼこの山道を車が揺れる。すっぽりと羽織ってきたジャケットの帽子をかぶる。
「お客さんたちも、あの洋館へ行きなさるか。」
運転手は気さくに話しかけてくる。
「お客さんたちもということは他にも客を乗せたのですかね?」
早雲が助手席から語りかけた。
「ええ…。つい数時間前に若いカップルを乗せましたよ。」
と運転手が対した。
「若いカップルですか?」
「ええ、何でも許婚同士だって言ってました。青年の方はおさげ、娘さんの方はショートカットでしたかね…。おっと、そちらの助手席の後ろのあんちゃんだったんじゃ…。いや、まさかね。」
バックミラーを覗きながら、運転手がぎょっとして吐き出した。
「あんちゃん、双子か何かですかね?」
「あはは…。双子と言われたらそんなものかもしれませんがなあ…。わっはっは。」
早雲が吐き出した。
鏡コピーとその原像である。そんな、説明をしたところで、通りすがりのタクシーの運ちゃんにはわかるまい。そう思って双子の兄弟ということにした。
「にしても…。皆さん、集団でお出かけですか。はああ、もしかして、さっき乗せたカップルさんの結婚式か何かで?最近は珍し婚が流行ってますからねえ…」
と、愛想の良い運ちゃんはハンドルを握りながら言う。が、結婚式と聞いて、乱馬が思い切りムスッとした。そんな事があっては堪らないと思ったからだ。
「いや、ちょっと一族総出で観光などを…。」
早雲は適当に作り話をしながら、話を合わせていく。
「クリスマスイブに家族旅行ですかあ…。ほのぼのとして、よろしいですなあ。」
と運ちゃんが笑った。
鏡屋敷の爺さんから詳細を問い質した一行は、鏡乱馬とあかねを求めて、この山奥へと足を進めてきた。クリスマスの渋滞を避け、電車を乗り継いで最寄まで来た。そこから、山道へタクシーを飛ばす。一台で乗り切れない人数なので、分乗している。
一台目は早雲と、乱馬、と玄馬、そして鏡屋敷の爺さん、二台目にはかすみとなびきそして鏡らんまがそれぞれ乗り込んだ。一台目は男ばかり、二台目は女ばかりを集めた。鏡らんまは乱馬と乗りたがったが、要らぬ混乱をさけたいので、無理矢理引き離した。
乱馬の母、のどかは、天道家で留守番をしている。
のほほんとしていても、それぞれ癖のある、格闘家の娘たち。彼女たちに囲まれると、さすがの鏡らんまも見動きがとれず、渋々、乱馬と別れるのを承諾した。
どうやら、鏡乱馬とあかねはこの道をこのタクシーで辿ったことが、運転手の口ぶりからわかった。
(あかね、待ってろ!絶対、助けてやるからな!)
乱馬は祈るような気持ちで、後部座席に座っている。
山道は暗い。雨がガラスを伝って後ろに流れていくのをぼんやり眺めながら、ぎゅっと手を握り締める。
やがて、車は、小さな湖畔の洋館の横に横付けされると、滑るように止まった。
「着きましたよ。」
促されて外を見る。
確かに、妖しげな洋館がそこに立っていた。
「さっき乗せたお客さんもここから降りて、歩いていかれました。」
メーターをたたみ、清算をしながら、運転手さんが教えてくれた。
「あかねがあの中に…。」
降りしきる雨を避けるのに、乱馬はすっぽりと身体をジャケットと衣服で身を包む。手には手袋までして、雨が当たらないようにする。でないと、女に変身してしまうからだ。できれば、男のまま、鏡乱馬と相対したい。そう思った。女になると、縮んだ分、どうしても力が弱くなり、不利だからだ。
「このまま雨の中に突っ立ってるわけにもいかないから、中へ入ろうかね…。」
早雲が不安げに言った。
チラチラ揺れる、明りが、洋館の窓からこぼれている。辺りはシンと静まり返って、雨の音以外は何も聞えない。
と、その降りしきる雨の向こう側に、人の気配を感じた。
「誰だ?」
思わず暗闇に向かって叫びつける乱馬。
洋館屋敷とは反対側の暗がりに、そいつはポツンと雨に濡れながら立っていた。
「あ、あの爺さんは、ハニーの傍に居た小人!」
鏡らんまがすかさず反応した。
「何だって?」
乱馬もその声に反応する。
と、そいつは、じっと乱馬たちを見ていたが、すいっと腰を引いて逃げようとした。
「あいつ、逃げる気だ。」
「キイイッ!逃さないわよっ!」
乱馬の先に鏡らんまが飛び出した。
「皆は先に館に入って待っててくれ。多分、あかねと鏡乱馬が居るだろう…。俺はあいつ(鏡らんま)と小人をとっ捕まえて来る。」
そう言うと、鏡らんまを追って森の中へと駆け出していた。
「気をつけるんだよ、乱馬君たちっ!」
早雲はそう促すと、館の扉に手をかけた。
「じゃあ、ワシらは先に、館に入ろう。」
ゴクンと咽喉を鳴らしながら、早雲は扉をノックした。
「ごめんください…。どなたか、いらっしゃいませんか?」
そう言いながら、ドアノブを回す。
キイイッと軋んだ音とともに、扉が開いた。
「カギはかかってないみたいだね…。入らせてもらうか。」
及び腰になりながら、早雲と鏡屋敷の爺さん、かすみ、なびき、そして雨に濡れて変身した玄馬パンダ一行が、洋館の中に足を踏み入れた。
洋館の中は、きれいに装飾されている。
「結構雰囲気が良いじゃないの。装飾品も高級そうだし。」
なびきが辺りを見回しながら言った。
「あかねーっ!鏡乱馬君っ!」
早雲は二人を呼んだ。
「皆さんようこそ!」
奥に設えられている階段から、人影が降りてきた。
「君は…。鏡乱馬君?」
早雲が目を見張った。
赤い絨毯が敷き詰められた階段から、黒いタキシードで正装した「悪魔乱馬」が降りて来たからだ。胸には白いバラが飾られている。
「あんた、その格好…。」
なびきも目を見張った。
「ああ、これですか?これから始まる宴(うたげ)へ臨むためですよ、皆さん。」
悪魔乱馬は不逞な笑いを浮かべた。
「宴(うたげ)?」
怪訝な顔を差し向けながら、見上げる早雲に、悪魔乱馬はすかさず言った。
「ええ…。これから僕はあかねさんと結婚式を挙げるんです。その祝いの宴ですよ。」
「な、何だってえっ?」
早雲の驚いた声。
「き、君の相手は鏡らんまじゃなかったのかね?」
きびっと見上げる。
「いえ、あなたの娘、あかねさんですよ、お父さん。」
クククと彼は笑った。
「そ、そんな事、ワシが許すとでも…。」
「許していただきますよ。いえ、それだけじゃない、祝福もしていただきます!」
悪魔乱馬はさっと右手を横に振り上げた。
「なっ!何だこれはっ!」
「雪?」
「いえ、ガラス片のようよっ!」
彼の合図と共に、無数に降り落ちてきたキラキラした物。
いきなり降り注いできたので、避けることもできない。
「うわああ…。何だこれは。」
「きゃああっ、身体に入っていくわっ!」
「お父さん、早乙女のおじ様っ。」
「ぱふぉおおっ!」
一同の悲鳴が轟いた。
その粉のような破片が身体に降り注ぐ。
「それは、魔境の破片。その破片が身体に刺さると、身体に飲み込まれ、わが意のままに操れるようになるんですよ。」
悪魔乱馬は笑った。
久しく、床にのたうって苦しんでいた天道家の人々は、やがて、何事もなかったようにすうっと立ち上がった。
瞳からは「意思の光」が抜け落ちている。まるで操り人形のように空っぽの瞳をしていた。
「ふふふ、せっかくここまで来ていただいたのですから…。僕たちの式をゆっくりと祝福して行ってくださいな…。」
その言葉に、早雲もかすみもなびきも玄馬パンダも頷く。
「では、皆さん、宴の準備を…。こちらへどうぞ。さあ、宴の準備を。」
悪魔乱馬は持って来た鏡を魔法でパリンと割った。と、鏡の欠片がどんどん人型に変わる。黒い服を着た執事や使用人、メイドの姿に変わり始める。どうやら、魔法で宴を準備させる人手を作り出したようだ。
彼らは悪魔乱馬の魔法で生命を得たかのように、せっせと館内を動き始めた。
「さて、身内の皆様はそれぞれ、素敵に着飾ってきてください。奥のクローゼットにドレスがたくさんご用意してありますよ。」
悪魔乱馬に促されて、一同は奥の部屋へと吸い込まれるように消えていく。誰も、後ろを振り返ることなく、闇の中へと消えていった。
「ふう…。うかつに入らなくて正解だったわい!」
と吐き出す爺さんが一人。鏡屋敷の番人だった。彼は天道家の人々と行動を共にせず、一歩下がって、屋敷の外から中の様子を眺めていたのだ。
「悪魔め、本性を現しよったか…。おっと、こうしてはいられないのう。」
鏡屋敷の爺さんは、そこ抜け出すと、らんまと鏡らんまを追って、森へと分け入る。
「待てーっ!待ちやがれっ!」
乱馬と鏡らんまは、森の奥へ駆け出した、小人爺さんを追って、雨の中を走り回っていた。
雨がザアザアと降りつけてくる。否応無しにずぶ濡れになり、気を遣ってはいたが、乱馬は既に女へと変身を遂げていた。従って、女乱馬が二人、揃って追いかけている構図だ。
それはそれで壮観だった。
鏡らんまもらんまに負けず劣らず、足は速い。
小人の小さな手足では、すぐに追いつかれてしまった。
「てめえ…。もう逃げられねーぞ!」
「さあ、ハニーをどうしたか、白状なさいっ!」
両側からたたみかける。
「ひい…。ごめんよう…。」
観念したのか、小人がぺたりと座り込んだ。
泥の中に座ったので、衣装もドロドロになっている。
「てめえ…。一体全体、どういうつもりで…。」
らんまが小人の首根っこを捕まえて、上に引き上げた。
バタバタと小人は足をばたつかせたが、うるうると涙目になった。
「泣いて誤魔化そうったって、そうはいかないわよっ!」
鏡らんまもキッと睨みつける。
「俺も、何が何だか、わかんねーんだよう。おーいおい。」
小人は大声を出して泣き始めた。
「んなこたあ、ねーだろ!てめえが鏡乱馬を手引きしてあかねをたらしこんだという、ネタはあがってんだ!吐けっ!すっきり白状しろっ!」
「そうよっ!洗いざらい言っちゃいなさいっ!」
ダブルらんまに意気込まれて、すっかり小人は意気消沈していた。
「信じてもらえねーかもしれねえけど…。俺、本当は、早乙女乱馬・男のコピーなんだ。」
媚びる瞳が話しかけてくる。
「な、何馬鹿なこと言ってるのよ!ハニーはそんな、小さくないし、じじいじゃないわっ!」
キイイッと鏡らんまがせっつく。
「だから、俺とあいつが入れ替わったんだ…。あいつは最初からそのつもりで、俺をはめやがったんだっ!畜生!」
心底悔しいらしく、小人は涙を浮かべた。
「嘘つけ!また、そうやって俺たちを騙そうとしたって、その手は食わねーぞ!」
らんまもはっしと睨みつける。
「とにかく、覚悟しやがれっ!」
バキバキッとらんまは指の関節を鳴らした。
「だから、身体が入れ替わったって言ってるじゃねえか!」
ジタバタしながら小人が暴れる。だが、首根っこをしっかりと押さえつけているので、逃れられない。
「この期に及んで、まだ嘘をつくつもりかっ!」
だんだんに激高していくらんま。
「多分、その小人が言ってる事は本当のことじゃよ。お二人さん。」
背後から声が響いた。
「誰だ?…。って、鏡屋敷の爺さんじゃねえか。」
ずぶ濡れになりながら、現れた見覚えのある老人。
「ああ、ちいとばかり不味いことになったでな。…その小人と鏡乱馬が入れ替わったというのは、多分、本当のことじゃ。」
爺さんは息を切らせながら言った。
「ほ、本当か?そいつは…。」
らんまと鏡らんまは互いに顔を見合わせる。信じられないという瞳を爺さんと小人に投げる。
「大方、悪魔の術にかかって、変えられてしまったんじゃろうよ…。」
「悪魔ですってえ?」
目を丸くした鏡らんま。
「な、何でだ?何のために、そんな事…。」
せっついたらんまに爺さんは言った。
「恐らく、あかねさんとかいう娘さんを花嫁にするためじゃろう。」
「なっ!何だってえっ?」
今度はらんまが大声を張り上げた。
「あかねを花嫁にするだとお?じ、冗談じゃねーぞ!こらっ!」
ぐぐぐっと爺さんの襟元をつかむと、締め上げた。
「こりゃ、落ち着きなされっ!ワシを締め上げてどうするんじゃ、ぐえええっ!」
爺さんは目を白黒させた。
「悪魔の奴、そんな事を言ってた。あかねを連れて来てもらえば、俺にはもう用はねえって。それで気がついたら俺とあいつは入れ替わって、こんな姿にされちまってた。」
小人が彼らの傍で悔しがった。
「ほ、本当に、あなたがハニーなの?」
鏡らんまが不安そうに覗き込む。
「ああ、本当だよ、ベイビー…。」
憂いた瞳が鏡らんまを見上げた。
「大方、悪魔の言うとおり、契約書に安易にサインなんかしたんじゃろう?おぬし。」
爺さんの言葉に、小人は頷いた。
「へっ!てめえの浮気心が招いた事じゃねえか!」
らんまは冷たく言い放った。
「そんな言い方は無いと思うわっ!原像が浮ついてるから、私たちコピーも浮気性になるのよ!」
「そうだ、そうだ!」
コピーが二人して口を揃えた。
「なっ…。それは言いがかりってもんだろうがっ!」
らんまはキッとコピーの二人を見返した。
「まあ、鏡に映った己の姿に見惚れて、恋人を作らず天に召された鏡屋敷の令嬢の無念が乗り移っているとはいえ、原像の姿に多少は影響されますからのう…。」
爺さんもウンウンと頷く。
「てめえら、他人(ひと)の事を好き勝手に…。」
らんまはギロリと見やったが、ふっと怒りを納めた。こんなことで言い争っている場合ではないと思ったのだ。
「まあ、この際、コピーの性格のことはどうだって良いじゃろう…。問題は、悪魔の奴じゃよ。このまま、あいつをのさばらせておいたら、おまえさんの身体も戻らないだろうし、あかねさんとやらの貞操も危ない…。」
「それは困るわ!ハニーがこんなチンクシャ爺さんだったら、結婚したって楽しくない!」
鏡らんまが両手を口の前で握り締め、うるうる瞳を差し向ける。
「俺だって、こんな身体でずっと居るのはごめんだ!元の良い男に戻りてえ!」
鏡乱馬も切望した。
「そうだな…。良い男じゃねえと、これからの結婚生活だってばら色にはならねーもんな。」
コクンコクンとらんまが頷く。
「こうなったら、俺たちで力を合わせて、あの鏡悪魔をやっつけて、あかねやおめえの身体を取り戻さねえと…。」
らんまが身を乗り出した。
「私に良い策がありますぞ。」
鏡屋敷の老人が、きらりと眼鏡を光らせた。
つづく
このピンチを原像でもある乱馬君はどうやって乗り切るのでしょうか?
一年前書いた話なので、きっちり作者の私も、展開をすっかり忘れております(苦笑)
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