らぶ☆ぱにっく


第七話 イブと下心



一、


 クリスマスイブの街並みは、カップルたちのもの。
 そう思った。

 どちらを向いても、雰囲気の良い、カップルたちが当然のように闊歩している。
 それぞれ、肩を抱いたり、手を繋いだり。見ているこちらが恥ずかしくなるような、あつあつカップルが、そこかしこ、自分たちの世界を作り上げている。
 勿論、カップルで無い人も居るが、待つ人の下へ急ぎ足なのだろう。手にしたケーキの箱が眩しい。

 そんな周りの熱を、身体いっぱい浴びながら、街を行くカップルがあった。
 ちょっと黒のテーラードジャケットに身を包んだ乱馬。こちらも大人っぽいタイトなワンピースとコートのあかね。実年齢より少し大人っぽく見える装い。
 センスの良い、のどかさんがコーディネートしているだけあって、ビシッと決まっている。だが、どこかぎこちないのは、経験の無さが起因しているようだ。
 余裕のある鏡乱馬に対して、あかねの方は、すっかり恐縮しきっている。どこか不安げだった。
 それもそのはず。
 いつもは「恥ずかしがりや」の乱馬が、今夜に限って、凄く積極的なのだ。
(どうしたの?乱馬…。)
 と問いかけたい気持ちを持ちつつも、彼の積極性に押されて、何事も言い出せないでいる。そんなあかねを知ってか知らずか、乱馬は嬉しそうである。

 暖冬とはいえ、さすがに暮れ近くなるとシンから冷えてくる。夕暮れ間近となると、余計にだ。そろそろ太陽は西の端へ消え、闇が近寄ってくる。だが、今日はイブ。暮れなずもうとしていても、イルミネーションが眩く、街は賑やかだ。
 昼間から点灯していたとはいえ、やはり、周りが暗くなってくると、イルミネーションも美しく栄えはじめる。飾り付けられたツリーに、思わず見惚れて、じっと見上げる。

「どんなに飾ったツリーよりも、今のあかねの方が可愛いよ。」
 鏡乱馬が、歯の浮くような台詞を投げかけてきた。
 その言葉に、遂にあかねが疑問をぶつけた。
「ねえ、乱馬…。急にどうしちゃったのよ。」
「急にどうしちゃった…って何がだよ。」
 鏡乱馬はにこにこしながら聞き返す。
「だって…。今日の乱馬、変よ。」
「変ってどういう風にだよ。」
 あかねの問い掛けに、直球を投げ返してくる乱馬。
「いつも、あんた、そんなに積極的じゃないじゃない…。それを、家族の前で交際宣言なんかしちゃって…。」
「嫌だった?」
 とにっこり微笑みかけてくる。
「嫌だって思わないけど…。」
 あかねはつい、俯いてしまう。
「じゃ、良いじゃん。皆は祝福してくれたしさ…。それより、せっかく、クリスマスで街は賑わってるんだし…。クリスマスイブって言えば、特別な夜じゃん。楽しもうぜ。」
 と、今度は手まで絡ませてくる。華やいだ雰囲気が乱馬を積極的にさせているのか。
 強く手を握られて、あかねは黙り込む。
 何故だろう、違和感が彼女を襲っていたのだ。
 だが、鏡乱馬は、気にすることなく、ぐんぐんと引っ張りながら歩いていく。
「とっても、良い場所へ連れて行ってあげるよ。」
 と一言言い置く。
「良い場所?」
 あかねはきょとんと問い返す。
「ああ…。あかねならきっと気に入る。」
 見上げた乱馬は自信ありげだ。

 あかねの感じた違和感が、やがてはっきりするのに、そう時間はかからなかった。

 小夏とつばさが、キョロキョロしながら歩いているのと、ぱったり出くわしたのだ。
「あ、あんたたち…。」
 思わず、あかねが声をかけてしまった。

「あ…。あかねさん。」
 小夏が返事を返した。
「どうしたの?こんな時間に…。今日はお店お休みなの?」
 あかねは問いかけた。
「ええ、店を開けたいんですが…。肝心な右京様が何処へ行かれたのか…。」
 と困った顔を差し向ける。つばさが後ろから問いかける。
「乱馬様…。右京様があの後どちらへ行かれたか、御存知ありません?」
 その言葉尻に、あかねは乱馬が右京と会っている事を知った。
「さあ…。」
 と鏡乱馬は首を傾げて見せた。本当は、小人爺さんの差し向けた鏡映写機で、右京たちが、鏡らんまのコンパクトに閉じ込められた事を確認していたが、白を切ったのである。
「あんた、右京に会ってるの?」
 あかねが問い質す。
「ええ、昼前でしたか、右京様やシャンプーさん、小太刀さんに追いかけられておられました。」
 小夏が言った。
「それホント?」
 あかねは自分があずかり知らないところで、やはり、乱馬を巡る争奪戦があったことを、改めて認識した。恐らく、己が疲れて眠っていた頃の話なのだろう。
「ああ…。今朝方、しつこく追いかけられたけど。」
 とあっさり鏡乱馬は肯定した。

(こいつらも、一緒にコンパクトへ閉じ込めるべきだったかな…。)
 ちらっとそんな考えも過ぎったが、勿論、おくびにも動揺は出さない。本物の乱馬より、かなりずる賢かった。
「乱馬様、あの後、右京様たちから逃げられたんですよね?」
 小夏の問い掛けに、コクンと頷く。
「何とか皆から逃げて、奴らをまいて天道家(うち)に帰ったよ。」
「その後、右京様がどうなさったか御存知ありません?あれからずっと帰って来ないんで、心配で…。」
 つばさも不安げだ。
「さあ、あの後、あいつらがどうしたかなんてことまで、俺は知らねえな。」
 とわざと大きく首を傾げてみせる。
「右京の腕っ節だったら、暴漢に襲われるなんてことはないでしょうけど…。帰ってないなら心配ね。」
 あかねも同調した。

「帯刀様ーっ!小太刀様ーっ!」
 と、また、耳慣れた叫び声が聞えた。道路の反対側を、歩く佐助であった。

「あれは…。佐助さんじゃない。」
 あかねは指をさした。
 佐助も、九能帯刀と小太刀を探し回っている様子だ。
「九能さんも小太刀様も右京様と一緒に乱馬様を追いかけておられたようですが…。」
 ちらっと小夏が見上げた。
「確かに、追いかけられたけど、その後、奴らがどうしたかまでは知らねーよ。俺は、とにかく、逃げまくって、ようよう、天道家(うち)に帰り着いたんだから…。」
 と鏡乱馬は同じ言い訳を繰り返すだけだ。
「九能先輩にも追いかけられたの?」
 あかねは乱馬を見上げる。
「ああ、何だか知らないけどな…。」
 鏡乱馬はあまり詳しくは話せない。実際に追いかけられていたのは、本物の乱馬だったし、それを捕獲したのは鏡らんまだ。あまり多く語ると墓穴を掘る。だから、適当に話をあわせて、あしらったのだ。
「そうですか…。お手を煩わせました。他を探してみます。」
 諦めたのか、小夏はペコリと頭を下げると、つばさを伴って、イブの街へと消えていく。

「変ねえ…。右京だけじゃなくて、九能先輩や小太刀も居ないなんて…。」
「他人のことはどうでも良いじゃねーか、それより、イブだ。イブ。」
 また乱馬はあかねを引っ張ろうとした。

「婿殿…。」
 今度は前からシャンプーの曾婆さんが顔を覗かせた。
「でえっ…。びっくりした!」
 鏡乱馬は大きくのけぞってみせた。
「誰でいっ!てめえ…。」
 つい、言葉が漏れた。
「誰って、シャンプーちゃんのお婆さんよ。」
 あかねがそう答えた。
「あ、そっか、シャンプーの婆ちゃんか…。」
 鏡乱馬は冷や汗をかきながら、あかねに合わせた。彼はコロン婆さんとは初対面だったので、誰だと問いかけてしまっていた。
「婿殿…。シャンプーとムースを知りませんかのう?」
 婆さんは鏡乱馬を覗き込みながら言った。
「シャンプーとムースも居ないの?」
 あかねは目を見張った。
「シャンプーとムースも…と言うことは、他にも居なくなった者が?」
 コロン婆さんは目を細めた。
「右京や九能先輩も居ないんですって…。さっき、小夏さんとつばさくん、それから佐助さんが一所懸命探してたから。」
 とあかねが答える。要らないことは言うな、と鏡乱馬が一瞬険しい瞳を向けたが、すぐに気を取り直して、婆さんに言った。
「二人とも、俺を追いかけてたんだけどよ…。」
「ムースが乱馬を?何で…。」
 あかねの問い掛けに、鏡乱馬は言った。
「さあ…。シャンプーが俺を追いかけていたのが気にいらなかったみてーだぜ。だが、その先は知らねえ…。まとめて、まいて逃げ帰ったからな。大方二人とも、どっかへ行ってんじゃねーか?」
 といい加減に答える。
「変じゃなあ…。今夜はクリスマスディナーセールをするから、シャンプーもムースも、店が忙しいのは知っておるはずなのじゃが。夕方には店に帰るように言い含めておいたんじゃが。ワシは婿殿と上手くやっていて、帰宅を忘れたのかと期待しておったのじゃが…。違うようじゃしのう…。」
 と、手を繋いだ乱馬とあかねを見やった。
「あ…。」とあかねは真っ赤になりながら手を振り解く。
「まあ、それは良いんじゃが、もし、シャンプーとムースを見かけたら、すぐに戻ってくるように言ってはもらえないじゃろうか?」

「え、ええ…。勿論。」
 あかねは、焦りながら答えた。
「頼みましたぞ。」
 コロン婆さんは二人に念を押すと、店が忙しいのだろうか、すぐに猫飯店の方へと駆けて行ってしまった。

「さてと、邪魔者は居なくなったし…。」
「え?」
「あ、いや…。そろそろ、俺があかねのために予約していた場所へ、連れて行こうかなあ…。なんて。」
 鏡乱馬は思わせぶりにあかねに対した。
「あたしのために予約?」
 あかねは思わず鏡乱馬を見返す。
「ああ、ちょっとしたコテージを予約してあるんだ。ちょっとここから遠いけど…。」
 そう言いながら、駅へと誘う。
「でも…。」
 少しばかりあかねは躊躇した。このまま、乱馬に身を委ねて良いのやら、迷いが生じたのだ。
「大丈夫…。あかねなら気に入るさ。それとも、何もしないで天道家(うち)へ帰る?」
 巧みに鏡乱馬はあかねを乗せる。
 家に帰れば帰ったで、楽しいホームパーティが待っているだろう。だが、せっかくの乱馬の好意を無にもできない。
「良いわ…。ついて行く。」
 その言葉に、鏡乱馬は心の中でガッツポーズを示した。下心を露骨に出すわけにはいくまい。とにかく、あかねを湖畔の屋敷へ誘わなければ、楽しいイブも始まらない。
「じゃあ、行こうか。」
 と気安くあかねに声をかけた。
 コクンと揺れるあかね。二人、練馬駅のホームへ上がり、電車に乗って練馬の町を離れた。






二、



「ねえ?お腹いっぱいになった?」
 ゆっくりと食を進める乱馬に、鏡らんまはそろそろ痺れを切らしてきたらしく、そんな言葉を投げかけた。

「もうちょっと…。」
 乱馬はゆっくりと口を動かす。
 さすがに、そろそろ、お腹が満杯になってきた。だが、ここで食事が終わったと言えば、次に来るのは修羅場。少しでも、先に引き伸ばしたい刑の執行。
 だが、それもさすがに限界がある。明らかに、彼の口も手も鈍くなってきている。
「お腹もいっぱいになったし、そろそろ、日も暮れたわ。」
 と鏡らんまは熱っぽい瞳を乱馬に巡らせる。
「そっか…。日も暮れたか…。じゃあ俺、休むわ。じゃ!」
 そうあっさりと言い含めると、鏡らんまからすっと離れようとした。

「ふふふ、今夜は寝かせてあげないから。」
 鏡らんまが、背中越しに声をかける。

 たらーりと汗が、乱馬の背中を伝い出す。

(やっぱり、こいつ…。)
 危惧していたことが、現実味を帯びた瞬間だった。

「ねえ、あ・な・た…。朝まではたっぷりと時間があるわ。さあ、邪魔者も居ないし、思う存分、イチャイチャちましょう!」
 がばっと両手を広げると、鏡らんまは、乱馬目掛けてまっしぐら。

「でえ…。やめろーっ!俺は、自己愛好なんて趣味はねえっ!来るなっ!寄るなっ!さわるなーっ!!あっち行けーっ!」
 乱馬の怒号が響き渡り、鏡らんまとの追いかけっこが始まった。

「何で、そんなにつれないのーっ?」
 鏡らんまはしつこく追いすがる。
「だから、俺は自己愛好なんて趣味はねえっつーってるだろっ!てめえは、俺のコピーだろ?どんなに可愛くたって俺の写しだ。愛せるわけねーだろがっ!」
「でも、ハニーは私を愛してくれてるわっ!」
「だったら、鏡乱馬(あいつ)にしとけっ!オリジナルである俺に言い寄るなっ!第一、何であいつじゃなくって俺に言い寄ってるんだよっ!」
 逃げ惑いながら、乱馬が吐きつける。
「だって、明日のクリスマス、ハニーと私は結婚するの。だから、これが他の男といちゃつける最後のチャンス。」
「何だそりゃっ!」
「独身最後のアバンチュールのチャンスなの!さあ、あたしと一緒に楽しく過ごしましょう!」
「勝手なことを言うんじゃねーっ!!」

 もし、他の人間が、この場に居たら、何と言う破廉恥なと言われそうな事を、平気で投げつける鏡らんま。

「てめえ、いい加減にしやがれーっ!」

 ドオンと乱馬は気弾を鏡らんまに浴びせかけた。

「ふん!こんなもの、こうよっ!」
 浴びせた気弾を、これまた強い気弾で返す。
「そっか…俺のコピーだから、俺の技は…。」
「きかないわっ!さあ、観念して、私を抱いて!ダーリン!」
「だあっ!俺はおめえのダーリンなんかじゃねえっ!」
「もう、絶対朝まで放さないんだからーっ!」
 よろけた乱馬へ、鏡らんまは馬乗りになって行った。





 乱馬がコンパクトの中で四苦八苦していた頃、天道家の人々は、こぞって道場へと集っていた。

「帰って来たら、すぐにでも借り祝言だ。」
 そう言いながら息巻いている、家長の早雲。
 乱馬とあかねがクリスマスイブデートに出かけて行った。今夜は帰らなくても良いからという、親の言いつけを守って、朝帰りなら朝でも良い。この際、ここでクリスマス祝言を挙げてしまおうという事になった。内々でやるにしても、それなり広い場所が望ましい。ということで、道場へ祝言の用意をして、帰宅した二人をそのまま祝福しようという計画。
「長い道のりだったね…。天道君!」
「ああ、そうだね、早乙女君。」
 父親二人は、互いに頷きあいながら、道場をデコレーションしていく。
「凄いセンスね…。この飾り。クリスマスだか、正月だか訳わかんないわ…。」
「乱馬もあかねちゃんも、帰って来たらさぞかし驚くでしょうねえ…。」
 のどかも楽しそうだ。
「まあ、別の意味で驚くかもしんないけど…。派手ハデで…。」
 なびきが苦笑いしながら、かすみが持ち込んだデコレーションを飾っていく。紅白だのクリスマスカラーだので、コテコテに飾り付けられていく。
 なびきが感想を漏らしたように、クリスマスだか正月だか、訳のわからぬ、物凄いことになっている。
「気は心よ、なびきちゃん。」
 かすみがのほほんとそれを制する。
「ま、祝われるのはあたしじゃなくて、乱馬君とあかねだし…。良いっか…。」
 この姉もまた、無責任だ。

「ん?何だこれ…。」
 道場の真ん中で、玄馬が何かにつまずいた。
 足元を見ると、コンパクトが落ちている。
「おや、これは…。鏡屋敷のご老人が置いていったコンパクト?」
 玄馬はそれを手に取った。
「あ、それね…。夕方、鏡らんまちゃんが入って行ったわ。」
 なびきが思い出して、告げた。
「ほお…。こんなところに置いてあったら、踏んづけて壊してしまうかもしれないところだよ。」
 早雲がそいつを見ながら言った。


「こめんくださーい!どなたかいらっしゃいませんか?入りますよ、入りました。」

 と、そこへ、某新喜劇のような一人突っ込みで、鏡屋敷の爺さんが天道家に現れた。

「あらら。これは鏡屋敷のお爺さん。」
 かすみがまず、頭を手向けた。
「おお、皆さんお揃いで…。」
 爺さんは、色白い顔を一同に手向けた。
「これはこれは、鏡屋敷のご老人…。何しにお越しですか?」
 家長の早雲が進み出る。

「ああ、封印カーテンが予定より早く出来上がりましたので、二人を引き取りに参りましたじゃ。」
 と爺さんは言った。

「ほお…。もう、修繕できたんですか?」
 早雲が目を細めた。
「ええ、幸い、封印の布切れが早く手に入りましたでな…。年の瀬も押し詰まって参りましたし、あまりこちら様にご迷惑をかけるのも何ですから…。」
 と愛想笑いを送った。
「それはそれは、ご苦労様です。」
「で、あの二人は何処へ?」
「あの二人なら、多分、その中よ。」
 なびきが促した。
「ほお…。自らコンパクトの中へ。」
 爺さんは感心しながらコンパクトを見詰めた。封印という文字が妖しく鮮やかに表面に浮き上がっている。
「どら…。」
 そう言うと、やおら、コンパクトを手に取り、逆さにして叩いた。

「あ、お爺さんっ!二人の時間を邪魔しちゃ悪いわよっ!」
 なびきが止めに入ったが、時遅し。爺さんはトントンと鏡を叩いていた。

 がたん、と音がして、鏡の中から、人影が現れる。
 乱馬が下に、鏡らんまが上に、折り重なるように抱き合って現れた。

「ダーリン!」
「や、やめろーっ!」
 鏡らんまが乱馬に馬乗りになって、襲っている場面だったのだが、端から見ると、じゃれあっているようにしか見えない。


「おおおっ!」
 一同、息を飲んで、折り重なった二人を見詰める。

「ほらほら、お爺さんが無用心に中の二人を出すから…。たく、もうちょっと遅かったら、「塗れ場」だったかもしれないわよ。」
 なびきが苦笑しながら言った。
「塗れ場も見たかったような気もするが…。わっはっは。」
「あなたっ!」
 じろりとのどかに睨まれ、思わず玄馬は首をすくめた。

「しかし…。」

 乱馬と鏡らんまは外に飛び出した事に気が付かず、修羅場を続けていた。
 じっと、己たちに注がれる視線。
 その、異様な視線に、ようやく乱馬は外に出られたことを知った。
「た、助かったぜ…。」
 と口から漏れた。
 が、視線が合った、早雲が、さっと横にそらす。

「すまないね…。君たち…。続きはまた、鏡の中で存分にやってくれたまえ。」
 などと、吐き出している。
 どの瞳も、乱馬を鏡乱馬と疑っていないようだ。

「で、でえっ!違う!違う!」
「何が違うの?ダーリン!」
 ひしっと首根っこへ抱きついて来る鏡らんまを必死で振りほどきながら、乱馬が叫んだ。
「俺は乱馬だっ!鏡乱馬じゃねえっ!」

 その言葉に、凍りつく人々の顔。

「な、何ですって?それは、本当なの?」
 まず、反応したのは、乱馬の母のどかだった。

「あ、ああ…。俺は鏡乱馬じゃねえ!オリジナル乱馬だ!」
 そうがなった。だが、彼の首根っこには、衣服を乱れさせた鏡らんまがひしっと抱きついている。

「本当なのかねえ?乱馬くぅ〜ん…。」
 でんどろでんどろ、早雲の顔が巨大化し、胴体を離れた。

「でえ…。おじさん、何か勘違いしてねえか?」
 乱馬は思わず、焦った。

「勘違いって言われてもねえ…。その格好じゃ…。」
 となびきが笑う。
 確かに、鏡らんまなど、着ていた衣服が脱げかかっているし、おさげが振りほどけかけている。
「乱馬っ!あなたにはあかねちゃんという許婚がありながら、何て破廉恥なっ!」
 のどかが、刀を持って切りかかろうとする。

「で、でええっ!落ち着けっ!落ち着いてくれっ!おふくろっ!俺は無実だーっ!」
 わたわたと、逃げの体制に入る乱馬。

「まあ…。乱馬君、思い余って、自分のコピーに手を出しちゃうなんて…。」
 かすみまでもが、のほほんと、的外れの事を言い出す始末。

「だから、はめられたんでいっ!こら、離れろっ!てめえーっ!」
 かぶりついてくる、鏡らんまを必死で引き離そうと懸命だった。

 と、上から、水が浴びせられた。
 玄馬が、外にあったバケツに水を汲んできて、一気に乱馬の上から流し込んだのだ。

「つ、冷めてー!!こら、親父、何しやがんでいっ!」
 ぶるぶると頭を振るわせる乱馬は、みるみる縮んで女へと変化した。

「ほお…。やっぱり息子じゃったか。おまえ。確かめるのにはこうやって水をあびせかけるのが一番じゃ。わっはっは。」
 大口を開き笑う玄馬。

「だから、俺だっつーとるだろがっ!このボケ親父っ!」
 らんまはまだ残っていたバケツの水を玄馬へと浴びせかけた。
「ぱっふぉー!(何をするっ!)」
 玄馬の雄叫びに、つっかかる、らんま。

「まあまあまあ…。ここは穏やかに…。」
 早雲が絡み合う早乙女親子をなだめにかかる。

「あああっ!」
 と、なびきが思い切り声をあげた。

「どうした?なびき…。」
 はっとして、天道家の人々は、皆、なびきを振り返る。

「本物の乱馬君がここに居たとなると、じゃあさあ、夕方、あかねを連れて出て行ったのは…。誰よ…。」

 あああっ、という顔を、天道家の人々全員が手向ける。


「じゃあ、何かね?あれは鏡乱馬君だったということかね?」
 早雲がせっついた。
「ということになるわね…。自動的に…。」
 なびきが頷く。
「あかねはそれを知っているのかね?」
 早雲が尋ねた。
「いえ、あの子は多分、本物の乱馬君に誘われたって思ってるんじゃないかしら…。」

 天道家の人々の顔色が、一斉に変わった。

「何ですってえっ!あの寸胴娘とハニーが一緒に出ていったですってええっ!?」
 一番、でかい金切り声を張り上げたのは、鏡らんまだった。
 今の今まで、乱馬に言い寄っていたことなど、棚に上げて、鏡乱馬があかねを連れて天道家を出たと聞かされた途端、掌を返した。
 彼女の瞳の中に、「嫉妬」の炎が燃え盛り始める。
「お、おい…?」
 その様子に、思わずらんまが声をかけたくらいだ。

「なあ、そもそも、おめえ、何で俺をコンパクトの中へ押し込めやがったんだ?っていうか、どうやって、封印の鏡から外へ出た?」
 と、尋ねた。

「ハニーが、独身生活最後のアバンチュールクリスマスイブを楽しもうって持ちかけてきたんです。」
 鏡らんまがメラメラと瞳を輝かせながら言った。
「独身生活最後のアバンチュールだあ?何だよ、それ…。」
 思わず、訊き返す。
「私とハニーは明日、鏡の国の教会で結婚式を挙げることになってましたけど、結婚したら、アバンチュールは出来なくなるって…。どうせなら、この世界でクリスマスイブを面白楽しく過ごそうって、そう言ったものだから、私は乱馬さんと独身最後のアバンチュールを楽しもうと思って、誘い込んだんです。」

『おまえ、誘われてのこのこ入ったのか?』
 玄馬パンダが、看板をらんまの横へ立てかけた。
「あほっ!んな訳ねーだろっ!俺ははめられたんだっ!っておふくろ、刀こっち向けねえでくれっ!」
 のどかの刀の切っ先がこちらを向いていることにはたと気が付いた。

「ってことは、もしかして、鏡乱馬君は最初からあかねを口説こうとして、鏡らんま(あんた)をそそのかしたのかもしれないわね。」
 なびきが、ポツンと分析してみせる。

「な、何ですってえ?寸胴女がハニーを誑(たぶら)かして…。誘ったですってえ?」

「そこまで言って無いけど…。」
「っていうか、あかねが鏡乱馬を誑かすわけねーだろ…。普通逆だぜ…。」
 なびきとらんまは苦笑したが、激高した鏡らんまは、めらめらと燃え上がり、最早、周りの言葉を聞く耳すら持ち合わせていなかった。

「にしてもさあ…。不味いんじゃないの?乱馬君。」
 なびきがらんまを促した。
「あん?」
「鈍いわね、あんた。あかねは乱馬くんと鏡乱馬が入れ替わったことを知らないのよ。ってことは、このまま騙されて…。キスとかベッドシーンとか…。」
「そうね…。朝帰りしても良いって許可までしたものね。お父さんは。」
 とかすみ。

「な、何いっ?」
 今度は乱馬が、思い切り叫ぶ番だった。

「ねえ、それはそうと、鏡らんまちゃんと鏡乱馬君はどうやって、そのコンパクトから抜け出したの?外から叩かないと、出られない構造になっていたのじゃないのかしら?」
 かすみが、のほほんと、核心に触れるようなことを訊いてきた。

「それなら、ハニーに味方している小人の爺さんが、手引きして、私たちを出してくれたんです。」
 鏡乱馬と一緒に居た、小人の爺さんが、協力してくれたのだと鏡らんまは説明した。
「小人の爺さんだって?何者だ、それ…。」
「さあ…。」
 鏡らんまは小首を傾げる。
「てめえ、思い出さないと、おめえのハニーがあかねと、いんぐりもんぐりしてしまうかもしれねえぞ…。」
 ぼそっと耳元で囁くらんま。
 それを聞くと、鏡らんまの瞳が変わった。
「思い出しました…。鏡屋敷の森のはずれにある、小さな湖の畔の洋館に住む、精霊だって言ってました。確か。」

「あん?鏡屋敷の森のはずれにある…。えっと、小さな洋館に住む精霊?」
 要所をはしょりながら、反芻するらんま。
 と、今度は鏡屋敷の爺さんが素っ頓狂な声を張り上げた。

「な、何ですとお?鏡屋敷の森の外れにある、湖の洋館ですとお?」
 
「び、びっくりするじゃねえかっ!爺さんっ!」
 真後ろで思い切り叫ばれたので、らんまは耳を押さえた。

「いかん!そりゃいかんぞ!」
 爺さんは蒼白な顔を差し向けた。

「はあ?何がいけねーんだ?」
 おろおろしはじめた爺さんに、乱馬は怪訝な顔を差し向ける。

「あの湖の畔の洋館に居た魔物なら…。そいつは「鏡悪魔」ですじゃ!」

「鏡悪魔あ?」

「ええ、そうです。その昔、鏡屋敷がまだ栄華を極めていた頃、西洋人の鏡に潜んできた来た西洋悪魔ですじゃ。見境無く女性を襲うので、恐れられておったのを、高名なキリスト教の司祭が封じていた、凶悪極悪女ったらし悪魔ですじゃ。」

「な、何だって?そ、それじゃあ、そいつが…鏡乱馬を手引きしてるって言うのかよ。」

「だとしたら、大変なことになりますぞ。あかねさんという娘さんは、無事ではおられますまい。」

「ざまあみろですわ。あの寸胴女!」
 横で吐き出した鏡らんまに、爺さんはさらに追い討ちをかけた。
「ちなみに、言い伝えによると、その鏡悪魔は、契約した人間に乗り移り、悪さします。おそらく、小人はおまえさんのハニーと契約していると考えられますのう。」
 と言い切る。
「何ですってえ?じゃあ、ハニーも…。」
「危ないですな…。」
 狼狽し始めた鏡らんまを見ながら、爺さんはあっさりと答えた。
 
「こうしちゃいられねえ!そこへ連れてけっ!爺さんっ!」
 らんまも思い切りせっついた。

 窓の外、降り出した雨の音が響き始める。
 これから起ころうとしているイブの危機。天道家の一同は黙って、顔を見合わせるばかりだった。



つづく




 プロットと組んだ段階では八話で完結できる筈だったんですが…。
 筆が乗った結果、予定を大幅に超過してしまったパターンであります。


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