らぶ☆パニック


第六話 アバンチュールの行方

一、

 さて、ここはコンパクトの中。
 そこは手狭な空間だった。
 そんなに広い世界ではない。せいぜい、高校の教室くらいの広さである。
 前面が鏡張り。キラキラと輝いて見える。

「いってえ…。畜生、コピー(鏡らんま)めっ!」
 らんまはふうっと溜息を吐いた。
「あいつ、一体、何のつもりでこんなところに俺を閉じ込めやがったんだ?」
 とブツクサぶうたれる。
 中からは外の様子が一切わからない。外界とは一切断絶された世界が広がっていた。
 懐を探ると、もう一つのコンパクトが手に触れる。シャンプーや右京、九能、ムース、小太刀が吸い込まれたコンパクトだ。
「ちぇっ!あいつ、二つも封印の鏡を持ってたなんて…。畜生!油断したぜ。」
 と言葉が漏れる。
「ってことは、ここでこいつを振ったら、あいつらが、ここへ出てくるんだろうな…。」
 じっと掌に収められたコンパクトを見詰める。
 コンパクトを開き、逆さにして、振ってやると、中へ捕らわれた連中が出てくる。そんな仕組みになっていることは、前回の鏡騒動で見知っていた。

 彼の脳裏に、吸い込まれた連中の顔が、ポワンと浮かんだ。
 
 あまり広くないこの場所に、彼らが飛び出してきたらどうなるだろうか。
 わいのわい、とさぞかしうるさい事だろう。
「あはははは…。あいつらを出してやるのは、浅はかな考えだよな…。ここは暫く、あいつらには出てきて貰わねー方が、得策だぜ。」
 そう吐き出すと、再び、コンパクトを懐へしまいこんだ。
 己一人で、ここに居た方が良い、そう判断したのである。
 外の世界で追い回されるのはまだしも、こんな狭い中、物騒な連中がひしめいたら、無事ではいられないと思ったのだ。懸命な判断だったろう。

「たく…。何か考えがあるから、俺をこの中に押し込めやがったんだろうし…。足掻いてもどうにもならねえから、暫く、休んでおくか。」
 乱馬は仰向けに寝転がった。
 中は外とちがって、ほどほどに暖かい。一番理想的な気温に調整されているようだ。音も無く静かだった。




「ハニーめ、まんまと乱馬をコンパクトに閉じ込めたみてえだな。」
 ふっと鏡乱馬の頬が緩んだ。
「ふふふ、なかなかやり手だのう。あの娘も。」
 小人爺さんも感心した。
「これで、俺も安心して、アバンチュールに身を委ねられるぜ。」
 とにっこり微笑む。
 根は原像の乱馬と似通っているところがあるこの鏡乱馬。どこか、本命の彼女に気を遣う「性癖」があるようだ。乱馬があかねに気を遣いながら、他の少女たちの攻勢を逃れるのと同じような意味合いがあるのかもしれない。
 本命の鏡らんまがアバンチュールを楽しめるなら、己もかまわないだろう。少しでも罪の意識が軽くなる、とでも思っているのだろう。身勝手な意識には違いないが。
「じゃあ、そろそろワシたちも、行動を起こすとするかのう…。」
 爺さんがにっと笑って、鏡乱馬を促した。
「おまえさんは、乱馬に成りすますのじゃぞ。そして、あかねと二人きりになるチャンスを作るんじゃ。」
 爺さんが鏡乱馬を促した。
「ああ、勿論、そのつもりさ。」
 鏡乱馬はコクンと頷く。
「くれぐれも鏡乱馬だと悟られてはいかんぞ!計画がオジャンになるぞ!」
 爺さんは鏡乱馬に念を押した。
 鏡乱馬は親指を立てて、ガッツポーズを取ると、天道家の母屋へと上がった。

「さてと、ワシは、己の準備をするかのう…。ふふふ、何も疑うことなく、あやつはワシの事を信用しとるわい…。」
 そんな言葉を嘯くと、爺さんは再び、小さくなって、辺りに紛れた。




 さて、一方、鏡らんま。
 らんまをコンパクトに捕らえて、こちらはご機嫌だった。

「ふふふんふん、今夜、私はあの人と、素敵なクリスマスイブを。」
 そう言いながら、街中を走り回る。鏡乱馬から差し入れてもらったお金で、いろいろ買い漁っていた。
 まずは洋服に始まり、化粧や香水など、身を飾る物。それからたくさんの出来合いのご馳走。調理する術はないので、手っ取り早く、スーパーの惣菜売り場に駆け込む。そこで、二人分のご馳走を適当に見繕う。
「あとこれもなくっちゃね。」
 と言いながら、枕と毛布まで買い込む始末。
「クリスマスツリーも欲しいわ。」
 ということで電飾華やかなものを買い求める。

「あら、あれは…。」
 そんな鏡らんまを目に留めた人物が一人。
 クリスマスの街を闊歩していた、なびきだった。かすみに言われて、色々な物を買いに来たいたのだ。
「乱馬君よねえ?」
 と怪訝な顔を差し向けた。
 乱馬は起き抜けに、シャンプーや右京、小太刀に襲われて天道家を出て行ったきりだ。
「ふーん…。もしかすると、あかねとデートするのかしらん。」
 好奇心がむっくりと頭をもたげた。彼女にとって、乱馬とあかねは「良いカモ」になり得る相手だ。クリスマスイブに、女のなりで乱馬が街をうろついて楽しそうにショッピングしている光景など、彼女にしてみれば「カモがネギ背負って歩いている」のだ。

 と、そこへ、上手い具合に佐助がキョロキョロとやってくるのが見えた。

「帯刀様ーっ、小太刀様ーっ!」
 どうやら、九能兄妹を捜しているらしい。
「丁度良いわ。」
 なびきはつかつかとそちらへ立ち寄る。
「佐助さん。」
「あれ?なびき殿。」
「ちょっとお願いがあるんだけど…。」
「いや、みども、帯刀様と小太刀様を求めて居て、忙しいのでござるが…。」
「まあ、そういわないで。ちょっとおつかい頼まれてくれないかなあ。」
 と手を合わせる。
「おつかいでござるかあ?」
「これを天道家(うち)まで届けてくれるだけで良いのよ。ほら。これ、お駄賃。」
 と言いながら、千円札のピン札をひらつかせる。
「こ、こんなにいただいて宜しいので?」
 ゴクンと佐助の咽喉が鳴る。町内切っての金持ち、九能家のお庭番とはいえ、奉公人の彼は、びた一文たりとも自由になるお金はない。案外、九能一家はケチらしく、佐助はいつも極貧生活に耐えているようだ。
「ね、お願いね。」
 なびきは気持ちよく、千円札一枚で佐助に自分のおつかいを頼み込んだのである。
「さて、これで用事もなくなったし…。存分に乱馬君を観察できるわ。」
 とにっこり笑った。
 彼女の鋭い勘で、「これは何かある。」と踏んだのだ。ピピピと何か予感が過ぎったのである。
「乱馬君を観察していたら、案外、「決定的瞬間」が拝めるかもしれないものねー。」
 と携帯電話をもそもそっと取り出す。昨今の携帯電話にはカメラ機能がついている。それで、彼女なりに「決定的瞬間」を収めようという魂胆だった。
 女になるのを嫌がる乱馬が、女のまま居るのが解せない部分もあったが、彼女が買い込んでいる物を見て、それなりに納得した。
「女物の洋服や小物は女のままじゃないと、買えないわよねえ…。ふふふ…。あれはきっと、あかねに何かするつもりね。」
 と彼女なりに解釈したのだ。
 この頃許婚同士の二人の雰囲気が怪しい。と、この鋭い姉は、気付き始めていたのだ。相変わらず喧嘩しているが、妙にそわそわし始めたところがある。裏側で何かが起きていると思うに余りあった。





「こんなもので良いかしらん。あの人と、クリスマスイブを楽しく迎える準備は。」
 そう言いながら、鏡らんまは買い物したものを思い切り手に持った。
「うんしょっと。」
 目いっぱい買い込んだので、両手が塞がっている。元が乱馬のコピーなので、それなり力は強い方だ。買ったものを思い切り抱えると、天道家へ向かって歩き出す。

「家に帰るつもりね…。」
 シャッターチャンスに恵まれないまま、なびきがこっそりと後から鏡らんまをつけた。
 
 鏡らんまは、天道家に入ると、母屋へ行かず、そのまま、道場の方へと歩いて行く。
 どうやら、人目を完全に忍んでいる様子だ。
 去年はこの道場で、客をたくさん招いて、クリスマスパーティーを賑やかにやったが、今年はそんな予定はない。かすみもごく内々でこじんまりと家族パーティをやるつもりで、朝から準備に余念が無い。
 だから、道場は静まり返り、閑散としていた。

「ふーん…。道場かあ…。案外盲点だわよね。」
 なびきは、こっそりと鏡らんまの行状を伺っていた。

 そんな事とは露知らず、鏡らんまは道場の中央に、買って来たものを置いた。
「おっと、忘れたらいけないわね。」
 鏡らんまは母屋の方へ駆けて行った。

「忘れたらいけない?何かしら…。」
 怪訝な顔でなびきはじっと様子を伺っていた。

 暫くして、鏡らんまは、やかんを持って道場へと帰って来た。もうもうと湯煙があがっている。

「やかん?何に使うのかしら…。」
 なびきは相変わらず、息を潜めてじっと鏡らんまの様子を観察していた。
 
 やかんを板の間にドンと置くと、買って来た包み紙をがさがさと開く。そこから、衣装を取り出すと、それに袖を通し始めた。
 まずは下着から。レースが美しくあしらわれている、紫色のブラジャーとショーツだ。それにスリーブもある。それをそそくさとつけると、今度は、ちょっとしたカクテルドレス。シックなワインカラーのノースリーブドレス。胸元が開き、胸の谷間がちらりとセクシーに覗く。それに、ふわふわの綿毛のような襟巻きを巻きつける。それから同色のシルクの手袋も忘れない。
 着替え終わると、そそくさと化粧品を取り出して、唇へと塗り始める。慣れた手つきであった。

「やっぱり、鏡らんまね。あの子は。」
 思わずなびきが苦笑したくらいだ。
 あれが乱馬なら、大問題になるだろう。第一、乱馬は女体化したとしても、絶対、己からドレスなど袖は通さぬだろうし、化粧だってしない。
 特に下着。彼は女の時であろうが無かろうが、常にトランクスを愛用している。それも男物だ。
 だが、目の前に居る「乱馬」は、勝負下着と言わんばかりに身に付けている。彼が乱馬なら、レースふりふりの下着など、着用するわけが無い。第一、誰に見せるのか。
 そんな状況から推理しても、彼は男乱馬ではなく、女の鏡らんまと思った方が道理にかなう。もし、今、目の前に居る乱馬が男乱馬であったら、甚だしく問題になることだけは確かだった。
「でも、鏡らんまちゃんだったら、鏡乱馬君と大人しく封印の鏡の中に入っていたわけだし…。誰か叩き出さないと外へ出られない筈よねえ…。どうやって出て来られたのかしら?…。」
 と小首を傾げる。鏡世界の二人なら、確かに、自分から進んで鏡に入ったはずだし、誰かに出してもらわない限り、自発的に外に出てくることは、まず、不可能だ。
 なのに、目の前に居るのが、鏡らんまだとしたら…。
 考えれば考えるほど、謎だった。
「でも、あれだけるんるんとお洒落しているくらいだから…。鏡らんまちゃんだと思った方が自然よねえ…。」
 
 ルージュを最後に引き終わると、にっと鏡らんまは笑った。中性的な魅力が溢れる、女性へと変身を遂げていた。
「さてと…。やかんのお湯も用意したし、準備は万端よ。ここならコンパクトを置いていたって誰にも怪しまれないわ。」
 そう言いながらポケットからコンパクトを取り出した。
 「らんま」を閉じ込めたものだ。
「待っててね、あなた!」
 そう言うと、鏡らんまは、やかんと買って来た荷物を、めいっぱい両手に抱え、コンパクトを見た。そして、そのまま、荷物ともども、鏡の向こう側へ消えていった。
 鏡は彼女を吸い込むと、パタンと独りでに、フタを閉じてしまった。


「あらら…。あの子、鏡の向こう側へ行っちゃったわ…。」
 なびきが目を丸くした。
 それからコンパクトに歩み寄る。そしてコンパクトを手に取った。
 何の変哲も無い「封印コンパクト」だ。
 じっとコンパクトを見詰めていたが、むやみやたらに、降り叩いて、中から楽しんでいるカップルを出すわけにもいかないだろう。
「ま、鏡らんまちゃんだとしたら、中に鏡乱馬君が居るんでしょうしね。彼のためにコンパクトから抜け出て、クリスマスイブの準備をして、めかしこんで入っていったんでしょうよ…。多分ね。」
 なびきは、一人納得すると、持っていた封印のコンパクトを、そのまま道場の真ん中に置いた。
 それから、何事も無かったように、母屋の方へと歩き出した。


「あら、乱馬君。」
 母屋へ上がると、なびきとすれ違った。
「よっ、なびき。何だ?」
 乱馬はふっと言葉を返した。
「シャンプーや右京たちから逃れてきたの?」
 なびきは問いかけた。
「あ、ああ…。あいつらなら、まくのに苦労したぜ。」
 とわざと大袈裟に言ってみせる。
「ふーん…。まだ追いかけっこしてるのかと思ったけど。結構早く抜け出てきたんだ。」
 なびきはじろじろと鏡乱馬を観察した。
 素人目には、乱馬も鏡乱馬も全く見分けがつかないだろう。ホクロ一つに至るまで、見事にコピーした乱馬である。

(やっぱり、さっきのはコピー(鏡らんま)の方よか…。)
 なびきは納得した。

「なびきっ、わかってると思うけど、あいつらが尋ねて来ても、俺は天道家(ここ)には居ねーからな。」
 と鏡乱馬は頼み込む。さすがにコピー。本物の乱馬が口にしそうな言葉は、だいたいわかる。
「ところで…。あかねは?」
 なびきにちらっと尋ねてみた。本当はこっちが訊き出したかった。

「あかねなら、夕べ遅くまで何かやってたみたいだから…。遅い朝ご飯を食べに降りてきたけど、また二階の自室に上がったから、昼寝してるのかも。」
 と言った。
「昼寝ねえ…。たく、良い身分だな…。ま、今夜は眠らせないつもりだから、それはそれで良いんだけど…。」
 ぼそぼそっと吐き出す。
「あん?今夜がどうしたって?」
 語尾は小さく言ったので、なびきには聞こえなかったようだ。
「いや、別に…。今夜はクリスマスイブだなあって、あははは。」
 とわざと明るくつくろった。

(いけねー。つい、本音が口を吐いて出ちまうぜ…。気をつけねえと…。)
 と自戒しながら、その場を去った。


「やっぱり、鏡らんまちゃんだったのね…。さっきの子。乱馬君がああやって、家の中をウロウロしているところを見たら…。きっと、鏡の中で楽しく過ごすために、抜け出してただけなのね…。……。でも、だとしたら、どうやって鏡から出たのかしら…。」
 なびきはふっと足を止めた。
「ま、良いか!どうせ、他人事だし。鏡らんまちゃんが鏡乱馬君と仲良くしたって、あたしには全然関係のない話だものね。それより、かすみお姉ちゃん、手伝わなくっちゃ…。」
 なびきは独り言を放つと、その場を離れて行った。




二、

 果報は寝て待て。

 そんな言葉があるが、鏡の中のらんまの場合は、「ふて寝」の部類に入るだろう。
 鏡の空間に、一人ポツンと放り出されたのだ。
 正確には一人ではなく、彼のポケットの中には同じ境遇に陥った、迷惑な連中が数多居たが、さすがに彼らと供託するつもりも無かった。まだ、一人で、この閉鎖空間に居た方がマシだと踏んだのである。
 何もすることがなければ、無駄に体力を使わないこと。それに尽きる。
 彼は今朝、起きてから、何も口に入れて居ない。ご飯を食べていなかった。
 動き回れば腹が減る。
 仕方なく、じっと、鏡張りの天上を眺めながら、ぼんやりと寝転がって過ごす。
 
 一体、どのくらいの無駄な時間を、ここで過ごしただろうか。
 そろそろお腹は限界に近い。

「畜生っ!腹が減ったなあ…。」
 と言葉が漏れる。
 辺りは鏡がキラキラと光る以外、何も無い。食料の持ち合わせも無い。
 だんだんと、空腹で頭が白んできた。

 と、天上がいきなり光った。

 何か、大きな穴がそこへ開いたような感じだった。

「あなたぁーっ!」
 大きな声が己を呼んだ。
 すると、いきなりドサドサと上から物が降って来る。

「でっ…。な、何だ?」
 おちおち、寝転がってもいられない。
 らんまは慌てて、起き上がる。
 と、そこへ、でん、と鏡らんまが落ちてきた。

「ごめんね、お待たせしちゃって。」
 えへっと鏡らんまが入ってきた。

「別におめえなんか待ってねえ!」
 らんまはがなりながら、鏡らんまを見上げる。
 と、頭からいきなりお湯。
「でっ!あちちち、あちっ!熱いじゃねえかっ!このアマっ!」
 思わず怒声を吐きつける。
「火傷しちまったらどうしてくれるんだよっ!」
 真っ赤に茹で上がった顔を鏡らんまに手向ける。
 だが、熱っぽい鏡らんまの目を見て、ハッとなった。

(こいつ、まさか…。)

 今度はひんやりとしたものが、身体を駆け抜けた。
 男に戻されたのが、良い証拠だ。
 鏡らんまは完全に「女」の瞳に陥っている。

(不味い!こんな狭いところで、こいつと二人きりだなんてよう…。)
 前歴があるだけに、鏡らんまの行動は確信的と言って良いだろう。

(ここは、あんまり刺激せずにだな…。せっかく、腹のたしがそこにあるし…。)
 食べ物を見て、腹の虫がぎゅるるるると鳴いた。

「お腹が減ってるのね。」
 鏡らんまが乱馬の腹をじっと見詰めた。
「ああ…。朝から何も口にしてねえからな…。へとへとだぜ。」
 わざと、疲れたように言ってみせる。
 鏡らんまは暫く考えるような素振りをしていたが、
「良いわ。腹が減っていては戦はできないわね。じゃあ、先に食事にしましょうか。」

 これは行ける。
 そう思った。乱馬は、ホッと溜息を吐く。
 とにかく、食べ物を食ってる間は、襲われることはあるまい。こちらも、腹が減っていては、逃げ切る体力も持てないだろう。背に腹は変えられない。とにかく、逃げるために食う。そう決めた。

「はい、クリスマスイブのご馳走よ。」
 そう言いながら、鏡らんまはフライドチキンやオードブルなどを、目の前に並べて見せた。

 ぐううっ!

 乱馬の腹の虫は、正直だ。

「さあ、たんと召し上がれ。」
 にこやかにしている鏡らんまを目の前に、
「じゃ、遠慮なく、ご相伴に預かります。」
 と言いつつ、腹の中へとおさめていった。

(とにかく、ゆっくりと時間を稼ぎながら食うぞ…。こいつのことだから、その先はとんでもねえことを要求してくるに違いねえんだ!…。)

「何?私の顔に何かついてる?あなた。」
 視線が合った途端、そんな言葉を返してくる鏡らんま。
「いや、美味しいなこれ…。」
「そう?気に入ってくれて、らんまちゃん嬉しい!」

(ははは…。やっぱ、俺には自己陶酔、自己敬愛の趣味はねえな…。)
 思わず、苦笑が漏れる。
「何?どうしたの?」
 と問いかける鏡らんまに
「いや、別に…。ははははは…。」
 顔を引きつらせながら、愛想笑いして、誤魔化すしか、術がない。捕らわれの乱馬であった。




 さて、コンパクトの中で、乱馬が苦労していた頃、もう一人の乱馬も、行動を具体化しはじめていた。

 
 
 ふっと何気なく目覚める。
「いっけなーいっ!もう、夕方前じゃない。」
 あかねは、時計を見て驚いた。三時をゆうに回っている。
 少しだけ、のつもりが、相当な間、眠りに落ちていたらしい。昼前頃、横になったから、三時間は寝ていたことになる。
 
「わあ…。寝すぎちゃったわ。」
 思わず、動揺する。
 特に、これといって、イブの予定は入っていなかったが、昼間三時間を眠っていたとあっては、時間を無駄にし過ぎだ。
「乱馬…。あの子達に追いかけられて、捕まっちゃったかしら…。」
 同時に、不安になる。
 これと言って、きちんとイブの約束してあるわけではない。いくら、己が彼の本命だったとしても、約束を取り付けていなければ、イブを一緒に過ごせるかどうか、危うい。
 この前の先取りデートは、鏡らんまたちの乱入でフイになっている。リベンジできるかどうかも、不明だ。

「ああん!あたしの馬鹿!先に、乱馬と約束しとけば良かった。」
 後悔してみたところで、先に立たない。

「どうしよう…。」
 不器用に包んだ、マフラー入りの包みを軽く抱きしめながら、思ったときだった。

 コンコン。
 部屋をノックされる音。

「はあい。」
 と返事を返す間もなく、ドアが開き、入ってきた少年。
「乱馬?」
 あかねははっとした。
 見覚えのある、おさげ髪の少年が、微笑を浮かべながら、入って来た。

「あかね…。これから、街へ行かないか?」
 思いがけない乱馬の誘いであった。

「街?これから?」
 驚いて、あかねは彼の顔を見返した。
 今までは、秘密裏に進めてきた関係前進。だから、同じ家の中でも、家族の目を避け、言葉を掛け合うのを我慢してきた。そんな、彼から、積極的に誘われるなどとは、夢にも思っていなかった。

「あれ?あかね、俺とクリスマスイブを過ごすの、嫌だった?」
 とたたみかける、笑顔。
「い…。嫌だなんて…。そんなこと、あるわけないじゃん…。」
 気持ちの準備がなかっただけに、あかねなりに動揺している。ぼそぼそっと恥ずかしげに言葉を返す。
「じゃあ、決まりだな。イブデートしようぜ。」
 本物の乱馬ではなく、鏡乱馬だ。本物よりも、ずっと積極的にあかねを誘った。
「イ・イブデート…。」
 その言葉を聞いて、あかねの方が動揺した。誘われて嬉しくないわけではなかったが、正直、乱馬の積極性に戸惑った。


「へえ…。クリスマスデートねえ…。」
 開ききった扉の向こう側で声がした。
 にこやかに、あかねたちを覗き込む顔が、ずらりと並んでいる。

「お姉ちゃん、お父さんたち…。いつの間に…。」
 さああっとあかねの身体から熱が引いた。

 乱馬の誘いの言を、しっかりと聞かれてしまったようだ。

「あかね、良かったじゃん。乱馬君から誘ってもらって。」
 なびきがにやにや笑っていた。
 その後ろ側で、父やたち二人が、手を取り合いながら小躍りしている。かすみも、のどかさんもにこにこと笑いながら、二人を見詰めていた。
「乱馬!やっとその気になったんじゃな!」
 にたにたと玄馬が笑った。
「うんうん…。今夜は帰らなくても良いからねえ…。乱馬君、あかねを頼んだよ!」
「おまえも、これで一人前の男じゃなあ、わっはっは!」
 二人が赤面するようなことを、平気で囃したてる、デリカシーのない父親二人。
「乱馬、せっかくだから、お洒落していきなさい。こんなこともあろうかと、ちゃんとお洋服も準備してあげてるのよ。」
 母親ののどかまで、頓珍漢な事を言い出す。
「あかねちゃん、良かったわねえ。」
 にこにことかすみも笑っている。
「これで、晴れて、正真正銘の許婚ね。」
 なびきが冷やかした。

「ちょっと、お父さん!お姉ちゃん!あたしは別に…。」
 動揺するあかねを横に、乱馬が言った。
「良いんじゃねえの?みんなも、ああ言ってくれてるんだから…。この際、交際宣言したって。」
 と、あかねの肩をぐいっと抱き寄せる。
「え…。乱馬?」
 あかねは息を飲み、そのまま固まってしまった。
 乱馬が積極的に出てくるなどとは思わなかったからだ。いや、積極的というより、少し強引な気すらした。
 尤も、隣りに居るのは、本物ではなく、鏡乱馬だから、モア積極的。だが、あかねは、激しく動揺した。
 乱馬の積極的な言動と行動。
 今まで恥ずかしがりの奥手だった彼が、急に大人びて見えた。

「僕、今日からあかねと交際します。な?いいだろ?あかね…。」
 一本ネジが外れて頓珍漢な家族たちを前に、鏡乱馬は堂々と宣言した。こう、はっきりと宣言されてしまっては返す言葉もみつからない。

「交際宣言だって?本当かね!」
「ヒューヒュー。」
「へええ、乱馬君、その気になったんだ!」
「まあ…。」
「乱馬、男らしいわ…。」

 かしましい、家族たちを横に、あかねは固まったまま動けない。
 鏡乱馬は漆黒の瞳を輝かせながら、あかねの肩をぎゅっと握った。
 ぽおおっとあかねの顔が真っ赤に萌える。

「とにかく、行っといで!クリスマスイブデート、大いに宜しい!」
 バンバンと父親の早雲が、二人の肩を叩いて祝福する。
 あかねはただ、ぼんやりと、奇声を上げて祝福する家族たちの声を、遠くで聞くばかりであった。



つづく




 鏡らんまも鏡乱馬もオリジナルよりはかなり積極的です。というより「煩悩の塊」というだけなのかもしれませんが。
 彼らの煩悩は何を引き起こすのか…。乱馬とあかねはその餌食になってしまうのでしょうか?

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