らぶ☆パニック


第五話 あばんちゅーるイブ

一、

 彼らが、鏡を抜けたのは、草木も眠る丑三つ時。
 真夜中だった。
 日付は明けて、十二月二十四日。クリスマスイブだ。
 夜の早い天道家の面々は、めいめい、深い眠りに落ちていた。
 誰も居ない、真っ暗な茶の間。そこに忍び込んだ小人爺さんが頃合を見計らって、コンパクトをトントントンと叩いて、中の二人を、外へと導き出したのだ。

「ふう…。真っ暗だな。」
「そうね…。ちょっと怖いかも。」
 鏡らんまはひしっと鏡乱馬の腕に絡んだ。
「やあ、お二人さん、ごきげんよう。」
 目の前に見慣れぬ爺さんが居るのを見つけて、鏡らんまが怪訝な顔を向ける。
「ああ、この人なら、協力者だから。」
 と、鏡乱馬は警戒心の欠片もない。
「協力者?」
 鏡らんまはきょとんと見上げた。
「ワシは、いわば、君たちに素敵なクリスマスイブをくれる、サンタクロースみたいなもんじゃよ。」
 人懐っこい笑顔で爺さんは鏡らんまに対した。
「サンタクロースねえ…。にしては、ちょっと小いさすぎるような気もするけど…。まあいいわ。出してくれてありがとう。」
 と、鏡らんまも愛想を振りまいた。
「で、おぬしは、どんなイブを過ごすつもりかね?」
 小人爺さんは尋ねた。
「そうねえ…。ハニーに良く似た、乱馬さんとイチャイチャっていうのがいいかしら。他に適当な男を捜すのも、時間がないし、面倒だから…。」
「へへ、適当に近場でって奴か。おめえらしいや。」
 と、鏡乱馬はにっと笑った。
「ハニーはどうするの?」
「俺か?俺なら適当に可愛い子を見つけて、そうだな、イブデートでもすっかな。」
 咄嗟に、口から出任せを言った。もし、ここで、あかねとイブを過ごすとでも言おうものなら、多分、彼女はヘソを曲げる。そう踏んだのだ。
 原像の乱馬があかねに惚れているせいもあってか、鏡らんまにとって、あかねは「最大のライバル」となっているらしい。何かと彼女に「寸胴」ときつく当たるのがいい証拠だろう。
 今ここで、本音を言って、彼女を刺激するのは良くない。鏡乱馬なりに、考え至った結果だ。
「イブデート…。上手く行くと良いわね。」
 あっさりと彼女は信じ込んだようだ。
「ほっほっほ…。互いに素敵なクリスマスを迎えられると良いのう…。」
 小人爺さんは目を細めて笑った。
「じゃ、私、このコンパクトを借りるわ。」
 と鏡らんまは今まで自分たちが入っていたコンパクトを取った。
「あん?何に使うんだ?」
 鏡らんまの意外な行動に、鏡乱馬が不思議そうな顔を手向けた。
「うふふ…。ナイショ。これは、あの人と、邪魔されないように、クリスマスイブを過ごすアイテムになるの。」
 と嬉しそうに語る。
 小人爺さんはにっと笑うと、それぞれに発破をかける。
「ワシは適当に、おぬしらをフォローしてやるから、安心して、イブを過ごしなされ。」
 などと愛想も振りまく。
「さてと…。ここの連中が起き出す前に、移動すっかな…。ベイビー、おめえも、上手くやれよ。」
「うん。あなたもね、ハニー。」

 互いに微笑み合いながら、別れた。
 鏡らんまはまずは天道家の母屋のどこかへ忍び、朝を待つつもりらしい。
 鏡乱馬は爺さんを伴って、外へ出た。そして、道場の屋根の上にあがる。
「さて、おまえさんはどうするつもりかね?」
 爺さんが尋ねる。
「そうだなあ…。あいつが上手い具合に、乱馬を惹きつけるのを待つかな…。」
「ほお、待つと?」
「ああ。あいつの策略はだいたいわかった。元々同じ原像から生まれたからな。考えなんかすぐに想像がつく。乱馬があいつに絡め取られたところで、乱馬に成りすまして、あかねさんを狙おうかと思ってる。」
 とにんまり笑った。
「ほう…。原像のふりをするのかね?」
 小人爺さんが目を細めた。
「ああ、同じ顔をしているからな。その方があの娘に近づきやすい。」
「でも、それだけでは、彼女は靡かぬと思うぞ。ほっほっほ。」
 爺さんは笑った。
「靡かないって?」
「ああ、そうじゃよ。女は勘が鋭いからのう…。偽者と本物を見分けられては、上手い具合にあそこへ連れて行くことはできぬぞ。」
 と進言したのだ。
「じゃあ、どうすればいいんだよ。」
「ふふふ。とにかく、乱馬に成りすまして、あかねとかいう娘と二人きりになるんじゃ。」
「二人きりにねえ…。その先はどうするんだ?」
「その先は…。ワシに任せておけ。何、悪いようにはせん。必ず、おまえさんにくっついて、あそこへ行くようにしむけてやるよ。何しろ、ワシは魔法が使えるでな。」
 と、爺さんは自信ありげにふんぞり返った。
「わかった、上手くやってくれよ…。俺、ちょっと、この道場の屋根裏で仮眠を取るわ。」
 ふわああっと大きく伸び上がる鏡乱馬。
「そうじゃな…。イブの夜まで、まだ時間もあるしのう…。」
 爺さんもコクンと頷いた。それから、二人、瓦屋根を伝い、道場の屋根裏へと忍び込み、横になった。

「果報は寝て待て…だな。」
 そう言いながら、目を閉じた。


 夜が明けきってしまうと、天道家の朝の営みが始まった。
 今日はクリスマスイブ。年に一度のセレブな夜が待ち受けている。

 一番早くに起き上がったかすみが、台所へ入ると、コトコト家事を始めた。大家族の天道家。恐らく今夜は家族総出のパーティーになるだろう。そう思って、たくさんの料理を作り始めた。
 
「何とか仕上がったわ…。」
 ふうっとあかねは手編みのマフラーを手に、にっこりと微笑む。夜なべにつぐ夜なべ。最後の糸の始末をつけて、ホッと溜息を吐く。
「昨日の晩は、誰かが下で遅くまで起きていたようだけど…。」
 と吐き出す。夜なべしていた彼女は、どうやら、鏡の国の住人たちの気配を感じていたようだ。だが、どうせ、眠れない夜に誰かがテレビでも見ていたのだろうと高をくくっていた。
 夜通し編み物と格闘していた彼女、さすがに疲れ切っていたので、朝の光を感じると、そのまま、ベッドに倒れこみ、眠ってしまった。クリスマスプレゼントを仕上げた安堵感で、幸せな眠りに落ちる。
(この前は鏡らんまのせいでデートが没になったけど…。ちょっとでも良いから乱馬と二人きりになって、これを渡そうっと…。乱馬、喜んでくれるかなあ…。)
 まどろみながら、ぼんやりとそんな事を考える。心はすっかり乙女チックであった。


 一方…。
 眠ってしまったあかねとは違って、朝から「ハード」な男。それが乱馬だった。

「あかねへのプレゼント、よーっし!」
 と、こそっと部屋でほくそえむ。そう、この前、一足先にイブの気分を満喫しようと計画していたイブ前デート、その時に渡すつもりだった小さな箱。いろいろ考えた挙句に、こそっと買ったペンダントがそこに入っていた。ハートを象ったシルバーに、ちょこんとイミテーションのガラスがダイヤモンドのように乗ったシンプルなデザイン。右京や猫飯店でこき使われたバイト代をそれに当てた。高校生のバイト代なので、そう大した金額のものではなかったが、己ではじめて買った気の利いたプレゼント。今から渡すのに緊張していた。
「いつ、どうやって、こっそりと手渡すかなあ…。」
 一番、それが、肝心だった。
 家族の手前、絶対、誰にも悟られたくはなかった。
「今夜皆が寝静まって、こっそりとサンタになるのも悪くねえなあ…。」
 にたにたとほくそえむ。
「きゃあ、乱馬、嬉しい…。だなんて、言ってくれたら良いなあ…。」
 若い彼の煩悩がぼわっと脳裏に沸き立った。
「で、すかさず、ぎゅっと抱きしめて、チュッ…。だっはっは…。」
 まだ、触れた事のないあかねの唇。あわよくば、そのまま、「ファーストキッス」まで持ち込みたい。淡い下心がちらちらと見え隠れする。枕を抱えて、仰向けに転がってみる。
 このくらいの年齢の少年は、どうやって初キッスを奪うかを、入念にシミュレーションしてみるものかもしれない。
「よっし、頑張るぞーっ!」
 と気合が入った。

 だが、ハードだったのは、彼の願望や妄想ばかりではなかった。

 いつものように、朝ご飯を食べに下へ降りる。
 と、開け放たれた、茶の間の向こう側の縁側に、ずらりと並ぶ、少女たちを見つけたのだ。
 一人は見慣れぬスカート姿の右京、一人はスリットなチャイナドレスに身を包んだシャンプー、そして、もう一人は場違いなカクテルドレスを着込んだ小太刀。まだ、時間も早いというのに、それぞれ、目いっぱいめかしこんで、そこで待ち構えていた。

「でえ…。おめえら…。朝っぱらから、人んちの庭先で、何やってんだ?」
 異様な雰囲気の三人を見て、思わず、たじっと後ずさる乱馬。

「乱ちゃんっ!クリスマスイブをウチと一緒に!」
「乱馬っ!チャイニーズなクリスマスイブを楽しむねっ!」
「乱馬様っ!今宵、クリスマスイブは私と!」
 気合の入った声が、それぞれ彼に呼びかける。
 彼女たちには彼女たちの、事情があるというもの。
 訊かれなくてもわかるというもの。今日はクリスマスイブだ。彼女たちの「クリスマスイブを賭けた女の闘い」へと、否が応でも引きずり出された瞬間だった。

「いや、良い…。朝っぱらから、俺にかまうな…。」
 たじったじっと後ろへ下がるが、聞く耳など持ち合わせる少女たちではない。
「頼むから、そっとしておいてくれーっ!」
 そう叫ぶと、乱馬はだっと駆け出していた。
 それを合図に、一斉に、少女たちが襲い掛かる。
 そっとしておけるわけがない。今日はクリスマスイブ。
 のそのそと、朝ご飯を食べに現われた、早雲や玄馬が見守る中、「クリスマス杯乱馬争奪戦」の幕が切って落とされたのである。




二、

「さてと、始まったか。」
 道場の屋根裏から、こそっと庭先を覗いていた鏡乱馬がにこっと笑った。
「そうみたいじゃのう…。どら、鏡の力で追いかけてみようかのう…。」
 小人爺さんはそう言うと、手に持っていたコンパクトを取り出した。真っ黒な色をした、シンプルなコンパクトだった。中にある鏡も、何となく歪んだ色に見えた。おそらく、コンパクトの色仕様のせいだろう。
「へえ…。爺さんもコンパクトを持ってるのか。」
 鏡乱馬が後ろから覗き込む。
「ああ、これは、いわばワシの大切な鏡じゃからなあ。」
 と爺さんはふっと言葉を吐き出した。
「大切な鏡?」
 訊きなれぬ言葉に、問い直したが、爺さんはそれについては、何も答えなかった。
 ただ、言えるのは、彼が最初に出て来た鏡でもある。
「ほら、見えるじゃろう?あやつらの行動が。」
 そう言いながら鏡を彼の方へ手向けてやる。
「うへっ、すげえ。」
 テレビカメラの場面変換のように、乱馬と三人娘たちの追いかけっこが見えた。
「どんなからくりになってんだ?」
 鏡乱馬は目を見張った。
「なあに、鏡状になっている、そこら中の窓やガラスに映った映像を、ここに映し出しているんじゃよ。鏡でなくても、人の姿を映す物は世の中に溢れておるからのう…。」
 爺さんは笑いながら説明してくれた。
「これで、奴らの動きが手に取るようにわかるって仕組みか。」
 素直に鏡乱馬は感心して見せた。強い味方だと、改めて爺さんを見直す。
「どうれ、暫く、高みの見物といくかのう…。」




 今日の三人娘はいつもに増して、しつこかった。
 今夜の乱馬を、誰が物にできるか。それぞれの下心満杯の乙女心をビンビンにぶつけ合いながら、乱馬を追いすがる。めかしこんだ彼女たちが走り抜けるのだから、何事かと、街行く人が興味深げに振り返るほどだ。

「乱ちゃん!待ちいやっ!」
「逃げるなんて、卑怯ですわ!」
「乱馬っ!覚悟するねっ!」

 各人の熱の入りように、思わず、何の争奪戦か忘れそうになる。
 韓流スターたちに群がる、おばさんたちよりも、怖いと思った。

「何で、こんなことになるんだようっ!」
 あの中の一人にでも捕まると、お終いだ。それだけは、確実にわかる。首根っこに縄をかけられて、市中引き回しの刑だけに留まるまい。
 いや、しつこかったのは、彼女たちばかりではなかった。

「乱馬っ!シャンプーをかどわかすとは、いい根性してるだ!覚悟っ!」
 前方から、暗器が飛び込んできた。
「うへっ、ムースっ!」
 乱馬はすんででそいつを交わす。
 と、今度は反対側から、九能が飛び込んでくる。
「早乙女乱馬あっ!尋常に勝負せいっ!それ、突き突き突き突き突きーっ!」
「九能先輩っ!危なっかしいじゃねえかー!」
 繰り出される突きを避けて飛ぶ。
 と、今度は苦無(くない)や手裏剣が飛んできた。忍者が良く使う、あれだ。
「げええっ!てめえは小夏!」
「乱馬様には恨みはございませんが、右京様を渡すわけにはいきませんのっ!」
 はしっと睨みつける先で、忍者装束のカマ忍小夏が攻撃をしかけてくる。更にその後ろには、巨大な郵便ポストが突進してくる。
「ほらっ!突撃ーっ!!右京様の恋敵ーっ!」
「でえっ!紅つばさまで…。」

 あたりは、雌雄乱れ飛ぶ、壮絶な「闘い(バトル)」へと転じていく。

「畜生!寄ってたかって、何だってんだよーっ!!」
 クリスマスイブの練馬の町に、怒号が響き渡った。



 とにかく、しつこい少女や少年たち。
 それぞれの「欲望」を心に秘め、ターゲットである、乱馬へと襲い掛かる。
 さすがに、これでは、乱馬もたまらなかった。

 息が上がって来た頃だった。

 どこからともなく、バケツの大軍が、己の身、目掛けて飛んできた。

「うへっ!今度は何だあ?」
 さっさと避ける乱馬。そこへ水飛沫が容赦なく襲い掛かる。その一つにとっつかまって、バッシャと頭から、水をひっかぶってしまった。

「つ、冷てえっ!」
 叫び声と共に、女体へと、その身は転じていく。女らんまへと変化する。
 だが、追尾の手は緩まない。彼の後方を、三人娘や、それをとりまく少年たちが、怒号を上げつつ、追い上げてくる。

「畜生!踏んだりけったりだぜえっ!」
 逃亡の足を緩めることなく、らんまは走った。

「だったら、助けてあげましょうかあ?」
 ふと気がつくと、らんまの隣りに人影があった。頭からシーツのような布を引っかぶり、身を隠しているが、同じ歩調でぴたりとくっ付いてくる。

「て、てめえは…。」
 シーツの下を覗き込んで、乱馬は思わず声をあげた。
 それは、自分と見紛うほど、似た少女。
「ふふふ、また来ちゃった。」
 悪びれずに、走りながら舌を出した。
「おめえ、コピー(鏡らんま)か?」
 その問い掛けに、コクンと頷く。
「おめえ…。封印コンパクトの中で、あいつ(鏡乱馬)といちゃついてたんじゃねえのか?」
 驚きながら、らんまは振り返る。
 らんまは大きな目を丸くして、彼女を見やった。
「せっかくのクリスマスイブだから、出てきちゃった。」
 と笑う。
「じゃあ、鏡乱馬も一緒に出たのか?」
「まあ、良いじゃない。ハニーの事は…。それより、今の状況、何とかしたいって思わない?良かったら、助けてあげるけど…。」
 鏡らんまは話をもちかけてきた。
 後ろを見ると、まだ、しつこく大人数が己を追いかけてくる。このままだと、己のエネルギーが切れて、ヘトヘトになり、つかまってしまうのも時間の問題だろう。少女たちの気合の入り具合は、いつもよりも激しかった。
 横に居る、鏡らんまは、力も技も、原像の己とそう変わらない。飛竜聖天破も打てるほどの達人だ。
「あの寸胴女と楽しいクリスマスイブを迎えたいんでしょう?」
 などと、くすぐるような言葉もかけてくる。そうだ。ややこしい連中にかまっている暇があれば、あかねとの時間作りに専念したい。もわっとそんな欲望じみた考えが浮かんだ。それが彼の運のつき。
「背に腹は変えられねえかな…。」
「じゃあ、私の頼みを聞いてくれる?」

 そら来た、交換条件だ。
 そう思った。だが、鏡らんまはあっさりと言った。
「頼みって言っても、鏡乱馬を探す手伝いをして貰いたいだけだから…。」
 と付け加えた。
「鏡乱馬を探すだあ?」
「ええ、私が目を離した隙に、鏡コンパクトから逃げちゃったんですう…。今頃彼は、またナンパを繰り返してるかも…。」
「げえっ!そいつは一大事じゃねえか!」
 そうだ。鏡乱馬は己に生き写しだ。そんな彼に街でナンパされると、また、大騒動になる。第一、あかねは鏡乱馬が抜け出した事を知らないのだ。彼のナンパ風景を、またあかねに目撃でもされたら…。
 冷静な判断がそこで途切れた。
「わかった!手伝ってやるから、手を貸してくれ。」
 と返事してしまった。
「オッケー、じゃあ、私があなたに代わって引き受けるから、後は、ここで身を潜めてて頂戴。あの子たちをまいたら、ここへ戻ってくるからね。良い?動いちゃだめよっ!」
 鏡らんまは己がかぶっていたシーツを引き剥がすと、らんまへふわっとかけた。そして、そのまま、彼を脇道の方向へと押しやった。

「どわっ!」
 突然だったので、バランスを崩し、らんまはシーツをかぶったまま、路地の方へと投げ出された。

 らんまと鏡らんまが、入れ替わった瞬間だった。。

 鏡らんまは身を翻して、らんまとすりかわって、追っ手から逃げ始める。。

「ほーほっほ。捕まえられるものなら捕まえて御覧なさい!」
 と声を発しながら逃げた。

「乱馬っ!」
「乱ちゃんっ!」
「おさげの女っ!乱馬様をいずこにっ!」
「おおお、おさげの女っ!」
「何処いくだーっ、おらと神妙に勝負せいっ!」
「右京様あーっ!」
「突撃ーっ!」
 ドッドッドッドと音がして、身を潜めていたらんまの前を少年少女たちが通り抜けていく。

「やれやれ…。」
 遠ざかる集団を見送りながら、ふっと溜息を吐き出したらんまだった。



三、

 さて、鏡らんま。
 身軽さは本物のらんま以上かもしれなかった。女である分、幾分か身も軽い。
 追っ手をかく乱して、町中を駆けた。

「さて、ベイビーのお手並みを拝見すると行くかな。」
 小人爺さんとコンパクト鏡を通じて、覗き込んでいた、鏡乱馬がにっと笑った。

 路地に逃げ込んだ鏡らんまは、まず右京と対峙していた。

「乱ちゃん…。追い詰めたで。」
 じりじりと右京がコテを手ににっと笑った。
 鏡らんまはふっと右京に愛想を振りまいた。
「やっと二人きりになれたな。」
 男乱馬さながらの語り口調になった。
「乱ちゃん?」
 右京の顔が緩んだ。
「ごめんよ、これを僕から渡したくて。逃げてたんだ。」
 そう言いながら、懐からプレゼントの包みを出す。
「これ、ウチに?」
 右京の顔がぱああっと明るくなった。
 そして、ガサガサっと包み紙を開いた。
「コンパクト?」
 そこにあったのは、ピンク色のコンパクト。

「そうはさせないある!そのプレゼントは私のものっ!」
 すかさず、横からシャンプーが飛び込んできた。
「何言うてるねん、乱ちゃんはウチにこれを渡したんやで!」
 突っかかる右京。
「もう、しょうがないなあ…。」
 鏡らんまはにっと笑うと、コンパクトを手に取った。
「乱ちゃん?」
「乱馬?」
 唐突に鏡らんまがコンパクトを手に取ったので、争っていた二人の動きがピタリと止まった。

「この鏡はね、魔法の鏡で、可愛い子しか、その姿を映さないように出来ているんだって。どっちが僕に似合うか、覗いてご覧。鏡に姿が映った方に、この鏡をあげるよ。」
 と誘い込む。
「そういうことやったら。」
「私に決まってるね。」

「じゃあ、「せーの。」で見るんだよ。ほら、いっせーのっ!」

 促されるままに、シャンプーと右京は同時に鏡を見た。
 いずれの姿もコンパクトにくっきりと映し出される。

 瞳が鏡に映し出された途端だった。

「うわーっ!何やこれっ!」
「引き込まれるあるねーっ!」
 二人とも、同時に、コンパクトへ吸い込まれて行く。
 そして、そのまま、鏡の中へと消えていった。

「ふっふっふ、一丁上がり。」
 そう、鏡らんまは封印コンパクトを使ったのである。巧みに二人を誘い、コンパクトを見るように仕向けたのだ。
 右京とシャンプーを鏡に閉じ込めて微笑んでいると、背後で声がした。

「おお、そこに居るのはおさげの女っ!」
 迷惑男九能であった。
「な、何?」
 はっとして振り向くと、両手を広げて、鏡らんまを抱擁準備する青年が見えた。
「おさげの女…。僕とクリスマスデートだあっ!」
 突っ込んでくる彼の方向へ向かって、鏡らんまは思わず、持っていたコンパクトを振りかざした。
「いやああっ!」
 そう言いながら目を閉じる。
「おさげの女ーっ!」
 九能の声が、傍で響きながら、鏡の中へとすうっと消えていく。
 完全に声がなくなると、鏡らんまは閉じていた瞳を見開いた…。
「上手い具合に、吸い込まれてくれたみたいね。」
 にんまりと微笑むと、パコンとフタを閉めた。そこに映し出される文字は「封印」の二字。

「早乙女乱馬…。シャンプーをどこへやっただ?」
 今度はグルグル眼鏡のムースが彼女をみやった。
「シャンプーさんなら、あなたにこれをと言って、立ち去りましたわ。」
 と苦し紛れに言い訳する。
「ん?シャンプーがこれをだと?」
 ムースは眼鏡を手に、怪訝そうに鏡らんまが差し出したコンパクトを覗き込む。
「ええ、そうですわ。」
 そう言うと、鏡らんまは背後から、思いっきりムースを押した。
「うわあっ!な、何だ?」
 つい、鏡面を見てしまったのだろう。そのまま、ムースはコンパクトへと吸い込まれてしまった。

「ホント、この辺りの人間って単純ね。」
 ふうっと息をつくと、今度はリボンが後方から飛んできて、地面をえぐった。

「あなたはおさげの女っ!乱馬様をどこへやったの?大人しく、白状なさいっ!」
 小太刀だった。彼女は、兄の九能同様、男乱馬と女乱馬が同一人物だという事実を、今でも飲み込んでいない。それだけに、女乱馬をライバル視する気持ちが強いのだ。
「さあ…。彼が何処へ行ったかは、知らないわ。」
 鏡らんまは小太刀相手に、シラを切る。
「そういう、不埒(ふらち)な輩には鉄槌(てっつい)ですわっ!」
 ひらりと小太刀の身体が空に舞い上がった。そして、くるくると巧みに新体操の小道具、リボンを鏡らんま目掛けて突き立てる。
「これを見なさいっ!」
 鏡らんまは、上空に飛び上がった小太刀目掛けて、再び、コンパクトを振りかざした。
 鏡らんまに狙いを定めていた、小太刀。自ずから、コンパクトを見てしまった。
「な、何ですの?きやああっ!」
 金切り声と共に、コンパクトへ吸い込まれていく。

「ふう…。これで、あらかた片付いたかしら…。」
 
 彼女のすぐ後ろを、ドドドッと駆け抜けていく二つの影。
 小夏と紅つばさだ。
「右京様ーっ!」
「右京様へ突撃ーっ!」
 右京の名前を口走っている。
「まあ、あの子たちは、追いかけてる人物が違うから、あのままでも大丈夫そうね。」
 ふっと頬を緩めると、鏡らんまはパチンとコンパクトのフタを閉じた。


「おめえ…。あいつらを全員、その中へ閉じ込めやがったのか?」
 背後で今度はらんまの声がした。
 どうやら、様子が気になって、追ってきたらしい。彼の瞳が険しく、鏡らんまを捕らえる。
 鏡らんまの行状を、一部始終、見ていたようだった。

「あら、見てたのね…。いやーん、エッチ。」
 鏡らんまは両手を前に、目をぱちくりやってみせた。

「エッチじゃねえだろーっ!てめえ、封印コンパクトを使って、あいつらを閉じ込めてどうするつもりなんだ?」
 思わず意気込むらんま。

「大丈夫よ…。素敵なイブの時間をこの子たちに邪魔されたくなかっただけ。危害を加えようだなんて思ってないから…。」
 そう言うと、鏡らんまはすいっとコンパクトをらんまの手に握らせる。
「おい…。」
 どういうつもりだと、問い返す前に、鏡らんまが言った。
「これをあなたに預けておきます。」
「俺に預けるだあ?」
「ええ、そうよ。あなたが望んだ時に、彼らを出してあげれば良いわ。もちろん、今でも。…。ただ、今出しちゃったら、どうなるかは、自ずとわかると思うけど。」
 と脅すことも忘れない。

 今、ここで迷惑な面々を鏡から出せば、結果は自ずと見える。勿論、一斉に、らんまに襲い掛かってくるだろう。また、鬼ごっこが始まるのは明らかだった。
 
 コンパクトを持ちながら、ゴクンと唾を飲み込んだ。
「まあ、今、出しちまったら、また騒動が始まるしなあ…。こいつらを出すのは、もうちょっと後でも良いかな。」
 と笑ってみせる。
「あなたがそうしたいなら、どうぞ。」
 鏡らんまは特に反論もしない。
「じゃ、俺が預かっとくわ。」
 そう言って、上着のポケットにコンパクトを押し込んだ。

「邪魔者が居なくなったところで…。」
 鏡らんまはにこっと微笑んだ。
「ああ、鏡乱馬を探す約束だったな…。」
 らんまはコクンと頷いた。鏡乱馬を探すという約束で、彼女に窮地を助けてもらった。
「その前に…ちょっと。」
 鏡らんまは、目の前でもじっとした。
「あん?どうした?」
 らんまは怪訝な顔を差し向けた。

「あのね…。ちょっと、今の戦いでブラジャーのホックが外れたみたいなの…。」
 と、もぞもぞっとそんなことを言った。
「あん?ブラジャーだあ?」
 唐突な言葉に、思わず目を、くりくりと見張るらんま。
「だって…。あなたのコピーだけど、私は正真正銘の女の子だもの…。」
 と、もじっとしてみせる。
「まさ、俺にとめろとか言わねーだろうな。」
 じろっと視線を投げる。
「やっだーっ!自分でやりますわよ…。」 
 バッチンと背中を叩かれた。
 ちょっとその間、あっち向いててくださいません?」
「あ、ああ…。勿論だぜ。とっととなおせ。あっち、向いててやらあ。」
「やだ、恥ずかしがっちゃって。乱馬さんったら。きゃはっ!」
 と鏡らんまは、大袈裟にはやしたててみせる。こうやってらんまの警戒心を解いたのだ。
「でえっ!くだらねーこと言ってねーで、とっととやれっ!」
 ぷいっとソッポを向くらんま。
「たく…。女ってえのは、面倒臭えよな…。」
 ブツブツと言いながら、らんまはじっと待った。
 
 その間に、鏡らんまはごそごそと懐を探った。
 そして、懐から、もう一つ、コンパクトを取り出した。そして、くすっとほくそえむ。
(へへへ、鏡屋敷のお爺さんに、もう一つ封印の鏡を預かっていたのよねえ…。私って悪女。)
 そう心で吐き出す。
 それから、コンパクトのフタをそっと後手で開け、らんまに向かって身構えた。

「いいわよ。こっち向いてくれても。」
 と言い放った。
「お、おう…。」
 らんまが不用意に振り向いた途端だった。
 鏡らんまは持っていたコンパクトを、らんまめがけて翳しだした。
 突然の行為だったので、勿論、鏡から視線を反らすことはできなかった。

「でっ!」
 コンパクトの鏡と視線が合った途端、物凄い勢いでらんまの身体が引っ張られた。

「てめえ、どういうつもりでーっ!」
 そう凄みながらも、らんまはぐんぐんと鏡に吸い込まれ、消えて行った。


「ふふふ、どういうつもりって…。全てはあなたと、素敵なクリスマスイブを迎えるためよ。」
 鏡らんまはコンパクトをパチンと閉じると、ふっと上から唇を寄せてみせた。

「これで、クリスマスイブのアバンチュールを存分に楽しめるわ。」
 るんるんと鏡らんまはその場からスキップで街へ駆け出していた。



つづく




アバンチュール
 aventure フランス語
 語意は「恋の冒険」「恋の火遊び」という意味になります。
 さて、乱馬君とあかねちゃんの運命やいかに?
 鏡乱馬と鏡らんまのアバンチュールはどうなる?


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