らぶ☆パニック


第三話 げにおぞましきもの



一、

 あかねが公園を駆け出した頃、反対に、公園へ向かって物凄い勢いで駆けて来る人影があった。
 本物の乱馬だった。

「ちぇっ!うっちゃんやシャンプーたちに絡まれているうちに、すっかり遅くなっちまったぜ!やっと、まいてきたけど、しつこいったらありゃしねえ。」
 ずっと昼間から追いかけっこをしていたのだろう。どことなく、服装がよれているように見えた。着替えに帰る暇もなく、ただ、ひたすらに、あかねとの待ち合わせ場所へと向かう。
「あかねの奴、怒ってねえよな…。俺の事情わかってくれてるよな。」
 少し不安だが、これから先に広がる、あかねとの楽しい時間に、心は踊り始める。
 誰にでも経験はあるだろう。付き合い始めた頃のウブなカップルの、純粋な想い。これから奏でる、恋愛の序奏部。
 先に婚約ありき、のとんでもない関係だったとは言うものの、真剣に今後の事を考え始めた矢先。一抹の不安はあるものの、気分は決して悪いものではなかった。
 とにかく、一刻も早くあかねと落ち合って、楽しい午後を過ごす。ただ、その一点の思いにつきた。


 一方、あかねはというと、訳のわからない、乱馬の所業にすっかり気落ちしていた。
 目の前で、右京やシャンプー、小太刀にまで気を遣う、転倒振りを見せ付けられたのだ。動揺しないで居られようか。
 怒るというよりも、情けないという気持ちの方がでかかった。

 そのすぐ後ろを、鏡乱馬が追いかける。
 今しがた、己を思いっきり引っ叩いた気の強さに、グンと惹かれてしまったのである。
(俺のベイビーも相当な気の強さだけどなあ…。あの娘もそれに負けてねえぜ。)
 その辺りが気に入ったのかもしれない。
 いや、元々、乱馬のコピーである。彼の惚れている「天道あかね」に惹かれれても、当たり前。
 男と言うものは、反発されれば逆に自分の思い通りにしたくなる。そんな心理も手伝ってか、とにかく、自分を思いっきり張り上げたあかねの素性を確かめようと思ったのだ。
(はて…。前に会った事もあるような気もするが…。)
 天道家に世話になっていた一週間の事など、彼はものの見事に忘れていた。これまたこの男の身勝手な性。あの頃は、鏡らんまに首っ丈で、他の女性が見えていなかったのだ。だから、あかねのことを覚えていなくても、仕方があるまい。
 それに、原像の乱馬よりも、若干、虚像の方が記憶力も学習能力も低かったようだ。これは生まれてからの人生経験の違いだろう。原像は十七歳の健康的な少年。対する虚像は去年生まれたばかりの見てくれだけは育った少年。その違いがあったのかもしれない。
「よう、相棒。好みの女を早速見つけたようだな。」
 ふわああっと伸び上がりあくびをしながら、小人爺さんが語りかけた。
「ああ、可愛くて気の強い、俺好みな娘を見つけた。」
 鏡乱馬はあかねを追いながら、そんなことを言った。
「ほお…。あの前に行く、髪の毛が短い少女か?」
 小人爺さんは好奇心をむき出しに、尋ねた。
「ああ、そうだよ。」
「なるほど、ああいう娘が好みなのか。」
 チャイナ服の懐からひょっこりと顔を出しながら、小人爺さんが頷いてみせる。
「っと、いけない。隠れろっ!」
 小人爺さんは突然、鏡乱馬に命令した。
「あん?」
「いいから、そこの木陰へ早くっ!言うとおりにっ!」
 小人爺さんに促されて、鏡乱馬は傍の木陰へと身を隠した。
「一体なんだって言うんだよっ!あの娘を見失っちまったらどうしてくれるんだよ!」
 ブツブツ文句を言う鏡乱馬に、小人爺さんはたたみかけた。
「ほれ、目ん玉を見開いて、よく見てみろっ。」
 小人爺さんが促す。
「前だあ?」
 言われた先へ、じっと目を凝らす。
「げ、あれは…。」

 鏡乱馬の視線の先に、乱馬の姿が飛び込んできたのだ。

「へえ…。ありゃ、俺の原像様じゃねえか。
「ふふふ、こいつはいい!ちょっと影から観察して様子を伺うとしよう。」
 と小人爺さんは笑った。




 鏡乱馬と小人爺さんと、ほぼ同時に、本物の乱馬は、前方から物凄い勢いで歩いてくるあかねを見つけていた。
 何かあったのか、形相が物凄い。どこか声をかけ辛い感じがあった。
 だが、臆することなく、乱馬はあかねを呼びとめた。

「あかねっ!」
 遅くなったのを怒っているのかと思った彼は、目いっぱい愛想笑いを投げかけてみる。

 だが、あかねは、ジロリと乱馬を一瞥しただけで、「ふん!」と大きな鼻息を漏らす。そして、ぷいっとソッポを向いて通り抜けようとした。

「おい!こらっ!あかねっ!」
 勿論、鏡乱馬との経緯を知らない乱馬にとって、あかねの態度は全く解せない。
 だが、乱馬が話しかけるのを、あかねは尽く無視した。

「こら、あかねっ!おいったらおいっ!」
 遂に乱馬はあかねの前に踊りかかると、わっしと肩をつかんで引き止めた。

「何よっ!」
 あかねの物凄い顔が、目の前で己を睨み付けた。ギロリと突き刺さんばかりの目だった。
「あかね?…。」
 思わず、一歩後ろへ引き下がる。
 今のあかねは、とにかく付け入る隙を与えぬほど、怒気に満ちていることを察した。
「ど、どうしたんだ?あかね。」
 わけがわからない乱馬が、恐る恐るあかねに話しかける。
 やっぱり、遅くなったのを怒っているのかと思った。
「だから、あたしに気安く触れないでっ!」
 ドンっとあかねは乱馬を押した。
「こ、こらっ!いきなり何なんでいっ!訳わかんねーぞ!」
 遂に、乱馬も困惑して切れた。
「訳がわからないのは、こっちよ!この、裏切り者っ!」
 バシンとあかねのビンタが乱馬を強襲した。
「い、痛ってえっ!何なんだよ、藪から棒に!俺はぶたれる言われなんてねえぞ…って、こらっ!なに無視してんだ!あかねっ!」
 訳のわからぬ乱馬だが、逆に彼のテンションが上がっていく。
 ぐいっとあかねの腕を引こうとしたその時だ。

「乱馬っ!」「乱ちゃん!」「乱馬様っ!」

 更に悪い事に、そこへ、三人娘が現れた。
 彼女たちの登場で、ますます、話はこんがらがる。
 さっき、鏡乱馬に優しくされたにも拘らず、放り出されたから、行き場がない想いが彼女たちを支配していたから堪らない。

「乱ちゃん、急に居なくなるなんてずるいわ!ウチに可愛いって言っておいて。」
「何言うね!乱馬は、さっき私をぎゅっと抱きしめてくれたね。だから、クリスマスイブは私と過ごすね!」
「ほーっほっほ、大事な上着をかけてくださった、乱馬様のお気持ち、この小太刀、痛み入りましたわよ!」
 順番に、ドンドンドンと乱馬の身体に圧し掛かってくる。

「でえっ、てめえら、何訳のわかんねーことを。口走ってやがんでいっ!」
 三人に同時に引っ張られて、乱馬は狼狽しながら見上げる。

「ふん!もてて、さぞかし、嬉しいでしょうねっ!」
 あかねはますます不快感を顕にした。
「せいぜい、クリスマスイブでも、正月でも楽しみなさいよっ!この最低男っ!」
 あかねは思いっきりあかんべえを乱馬に食らわせると、ずんずんと遠ざかって行った。

「だから…。何だってえんだ?こら、あかねっ!説明しやがれーっ!」
 だが、そんな怒号は、三人娘の猫なで声によって、かき消されていった。

 その様子を垣間見ながら、鏡乱馬と小人は、目を丸くする。

「へえ…。原像の奴、結構、もてるんだ。あんなにたくさんのカワイ子ちゃんに囲まれて、何て羨ましい奴…。」
 鏡乱馬がほつんとそんなことを言いつけた。
「で?本当にあの気の強い娘で良いのかな?」
 小人が問いかける。
「ああ、原像があんだけ苦労してる相手だ。それを口説き落とすってのも、なかなか楽しいんじゃねえかな。」
 鏡乱馬が目を細める。
「それもそうだな。簡単に靡く娘より、難しい娘の方が、手に入れたときは嬉しいものだしな。ってことでクリスマスイブはあの娘で決まりで良いな?」
 鏡乱馬の頭がコクンと揺れた。



二、

 さて、夕刻の天道家。
 乱馬は、ボロボロになった身体を引きずりながら、何とか天道家まで引き上げてきた。
 実際、あれ以後も、大変だった。
 口々に、クリスマスイブの同行権を主張する三人娘の猛烈なアタックに、辟易しながら、また、街を散々逃げ回った。彼女たちが諦めたのは、日も落ちてかなり経ってしまった頃だ。

「畜生…。何だってんだよ。あかねの奴。」
 まだ、あかねの豹変理由がつかめずに、思わず苦言が口から漏れる。
 何事もなければ、今頃、都心のでっかいクリスマスツリーを、イブに先駆けて二人で肩を並べて見上げ、幸せな時間を共用し、ほくほく顔で練馬へ帰り着いていた頃だったかもしれない。
 だが、結局は、未履行で終わった。
 損した気分になったばかりでなく、天道家の門戸が見えると、どっと疲れが来てしまった。

「ただいまあ…。」
 重い足を引き釣りながら、ガラガラっと引き戸を開く。と、待ってましたとばかりに、なびきがひょいっと顔を出した。

「乱馬君、ちょっと。」
 と手をこまねく。
「あん?」
 靴を脱ぎながら、なびきの方へ顔を手向ける。
「あんたさあ、あかねとまた、何かやらかしたの?」
 怪訝な顔でなびきが尋ねてきた。
「何だよ…。」
 あかねの名前が出て来たので、思わず、むすっとする。
「だって、あかね帰って来たきり、自分の部屋へ閉じこもっちゃって。何か物凄い剣幕だったから気になってさあ。何かあったんじゃないかってね。」
「こっちが訊きてえくらいだよっ!あかねの奴、何が何だってんだよっ!人のこと、いきなり思いっきり引っ叩きやがってよう。」
 思わず、ボロッと胸の内が漏れた。
「あらら…。あかねにビンタ食らわされてたんだ。そりゃあ、相当だわね…。」
「そうだよ!俺だって、何で張り手かまされなきゃならないのか、わかんねーっつんだ!おかげで、せっかく楽しみにしていたデートがよう。」
 とそこまで言って、ハッと口元を抑えた。
「せっかく楽しみにしていた、何ですって?」
 なびきが、ニヤニヤ笑いながら、問いかけてくる。
「んにゃ、何でもねえっ!とにかく、公園ですれ違いざまに、いきなり「パシン!」だもんなあ…。何か訊いてねえか?なびき。」
 と誤魔化しながら逆に問いかける。
「さあ…。あたしもさっぱり見えないんだけどね。かすみお姉ちゃんに言わせれば、乱馬君に原因があるみたいだって言ってたから。」
「そうだよ、乱馬君。とっととあかねに謝ってきたらどうかね?」
 早雲がひょこっと顔を出した。
『おまえが悪い。』
 のそっと玄馬パンダが後ろから看板を出す。
「あのなあ、謝れっつたって、何に対して謝るんだよ。理由が思い当たらないんだぜっ!俺は…。」
 つい、言葉の勢いが荒くなる。
『どうせ、貴様の事だ、何かあかね君をえぐるようなことを言ったんじゃろう?』
 玄馬がきゅぽきゅぽと看板に文字を書いてコミュニケーションしようと試みてくる。
「だから、何も心当たりがねえんだってばあっ!」

 押し問答を続ける玄関先。
 その彼らの背後で、ガラガラっと引き戸が開いた。

「すいませーん。」

 老人の声だ。

「すいませんって俺が謝る道理がねえっつってるだろっ!」
 その声を受けて、乱馬がつい、そんな言葉をかけてしまった。

「乱馬君、違う違う、後ろ後ろ。」
 玄関先が見えていたなびきが、そう乱馬を促した。
「あん?」
「だからお客様。」
「客だって?」
 驚いて振り返ると、確かに客人が居た。

「ああ、あんたは…。」
 知った顔だったので、思わず乱馬は指差していた。
「鏡の館の爺さんじゃねえか…。」

「お久しぶりでございますな。」
 爺さんはにっこりと笑った。

「お、おい、鏡屋敷の爺さんが今頃、何の用があるってんだよ!」
 乱馬は思わず口調が荒くなった。
「ちと、困った事が起こってしまいましてな。あなた方の力を借りようと思って、山奥から出て来たんでございますよ。」
 穏やかだが、はっきりとした声で爺さんが乱馬に言った。
「いやあん!ハニー、久しぶりねえっ!」
 そう爺さんが言い終わらないうちに、乱馬の背後から、抱きついてきた人影があった。

「でえっ!お、おめえは…。」
 首を一瞬絞められそうになって、乱馬があたふたした。
「あらら…。もしかして、あんたは、鏡らんまちゃん?」
 なびきの声に鏡らんまはコクンと頷いた。
「げっ、何でまた、おめえがシャバに居るんだよ。って、もしかして、封印がまた、引き千切られちまったのかよう。」
 思わず、そんなことを尋ねていた。
「まあ、あたらずしも遠からずですな。ちょっと困ったことが起こってしまいましてのう…。」
「そういえば、鏡乱馬君の姿が見えないわねえ…。」
「一緒に鏡の中で楽しく暮らしておったのではないのかね?」
 早雲も一緒に目を見張った。
 鏡らんまは鏡乱馬の居ないことを指摘されると、どどっとその場に泣き伏してしまった。
「お、おい…。こら、おめえ、どうしたんでい?急に。」
「えええん、ハニーに逃げられてしまったんですうー、えーんえーん。」
 と鏡らんまは泣き出してしまった。



 立ち話も何だからと、鏡屋敷の爺さんと鏡らんまは、天道家の客間へと上げられた。

「何にもありませんけど…。」
 と、のほほんスマイルでかすみが、お茶を出した。
 爺さんと鏡らんまを囲んで、天道家の人々が周りへ座った。


「ハニーってもしかして、鏡男乱馬のことかしらねえ?」
 なびきの問い掛けに、コクンと頷く。
「ハニーの行く先を知りませんかあ?」
 鏡らんまが媚びるような瞳を一同に投げかける。
「ハニーの行方ねえ…。」
 ううむと一同は腕を抱え込む。
「ねえ、乱馬君。確か、あかねは、あんたに腹をたててたって言ってたわよねえ。」
 なびきが乱馬を見返した。
 ヘソを曲げてしまったあかねは、現在この場所には居ない。
「そんな事、今は関係ねえだろっ!」
 思わず、乱馬は声を荒げた。
「わかんないわよ…。あかねが腹をたてていた相手って、もしかすると、鏡乱馬君だったんじゃないかしらねえ。」
 鋭いなびきの指摘が飛んだ。

「あん?」
 乱馬は、怪訝な声をあげる。

「だから、あかねが相手にしたのが、鏡乱馬君じゃなかったかしらって、言ってるのよ。だって、あんたはあかねが気分を害する原因に心当たりがないんでしょ?」

「ああーっ。そっか。確かにその可能性は高いや。」
 乱馬の顔がはっと色めき立った。

「かすみや、あかねをここへ呼んできなさい。」
 早雲に促されて、かすみがあかねを呼びに上がる。

 暫くして、あかねが口をへの字に結んだまま、降りてきた。
 わざと、乱馬に視線を向けないように、明後日を向きながら、隣りに座す。
(たく…。いつまで怒ってんだよ!)
 乱馬は顔を引きつらせながら、あかねを伺う。

「揃ったところで、話をまとめてみますかな。」
 早雲が仕切りながら、鏡屋敷の二人に、事の仔細を尋ね始める。

「実は、あの鏡は、一年に一度だけ、封印が緩む日があるんですじゃ。一日のうち、夜の時間が一番長くなる冬至の日没後、限られた時間だけ、鏡の世界とこちらの世界に通じる道が開かれてしまうんです。
 封印が緩むのを避けるために、私ら鏡の管理人は、代々、冬至の夜だけ、封印を強固にするのに、カーテンにお札を貼らなければならないんですが…。」

「要するにさあ、お爺さんがお札を貼るのを忘れて、鏡乱馬君が鏡から抜け出てしまったって言うわけでしょう?」
 なびきが、横から口を挟んだ。
「単刀直入に言うとそうです。」
 爺さんは苦笑いしながら言った。

「でもよ。鏡の世界からこっちの世界へ、奴は何しにやってきたっていうんだ?あっちの世界では、おめえら、結構仲良くやってたんじゃねえのか?」
 乱馬は鏡らんまを見やった。

「ええ、ハニーと私はそれなり楽しく暮らしていました。」

「ハニーねえ…。あんまりガラじゃないけど…。」
 思わず、苦笑いがこぼれる乱馬。
「ねえ、鏡乱馬君がハニーだったら、あんたは何て呼ばれてたの?」
 なびきが好奇心に満ちた目で尋ねる。

「ハニーと言えば、ベイビーですわ。」
 鏡らんまがきっぱりと答えた。

「ハニーとベイビーねえ…。」
「ははは、仲良しさんにそぐった呼び方だねえ…。」
 早雲が思わず苦しまぎれに答えた。
 思わず、天道家の一同は、鏡男乱馬と鏡女らんまが、ハニー、ベイビーと呼び合うところを想像して、胸が気持ち悪くなったようだ。皆の顔が、うぐっと一瞬、固まった。

「ハニーと私は、それは仲良しさんでした。ただ、一点、彼に不満があるとすれば、元来の浮気性です。」

「浮気性ねえ…。」
 ギロリとあかねの視線が乱馬に突き刺さった。
(俺は浮気性なんかじゃねえぞ!)
 そう視線で答えながら、鏡らんまの話に耳を澄ます。

「私、ハニーの浮気性に止めを刺すために、結婚することにしたんです。」

「結婚っ!」
 一瞬、客間の空気が白んだ。一同、思わず、顔を見合わせて固まった。

「鏡乱馬と鏡らんまの挙式ねえ…。ちょっと空恐ろしい感じがするわ。」
 なびきが乱馬を見ながらぽそっと吐き出した。
「そうよねえ…。乱馬君とらんまちゃんが結婚するようなものですものねえ…。」
 とかすみも感心してみせる。
「結婚というからには、子供を作る行為なんかもしちゃうわけだし…。あはははは。」
「お父さん!それ以上想像したら、ダメよ。」
 隣りからかすみが釘を刺す。

「クリスマスの日に結婚式を挙げる予定で、教会を予約して、衣装まで作っていたのに…。よよよよ…。」
 鏡らんまは、畳の上に泣き伏した。

 ぼわんと、一同の脳裏に、鏡乱馬と鏡らんまの挙式風景が、ババンと迫り来る。

「何か、想像しちゃあいけないものを、ど迫力で想像してしまったわ…。」
 あははとなびきが脱力しながら笑った。
「そうだね…。ある種の禁忌(タブー)な領域に足を踏み込んでしまいそうな。わはははは…。」
「だったら想像するなっつーのっ!」
 傍らでむすっと乱馬が口をへの字に結ぶ。それを見ていた、鏡らんまが言った。

「ああ、ハニーが私との挙式を望まないというのなら…。」
 そう言いながら、がばちょと乱馬の上に、ひっしと圧し掛かった。
「あなたが、ハニーの代わりになって、私と結婚しましょうっ!!」

 それを眺めて居た一同の脳裏に、ピシピシとヒビが走った。

「こらっ!やめいっ!何しやがるっ!!」
 乱馬は押し倒されて、思わず、ジタバタと足掻いた。
「ハニーが居なくても、同じ顔のあなたがいれば、それでも私はかまわないわっ!さあ、鏡の世界に一緒に行って、結婚式を挙げましょう!」
「でいっ!やめいっ!くおらーっ!!」

「ちょっと、何やってるのよっ!同じ顔同士で!不潔っ!」
 思わず響くあかねの怒声。そして、ずかずかと二人に歩み寄ると、炸裂した蹴り。

「まあ、寸胴(ずんどう)女の嫉妬?いやあねえ…。」
 鏡らんまがそいつをすっと避けて、冷たい瞳をあかねに返す。

「だから、そんなんじゃないって言ってるでしょうっ!それに、何よ、その寸胴ってのはっ!」
「わたっ!あかねっ!やめろっ!ぐわああっ!」
 更に蹴り上げる足に力がかかり、哀れ乱馬は、畳に沈んだ。

「まあまあまあ…。あかね、ここは落ち着きなさい。」
 早雲が苦笑いしながら仲裁に入る。
「ほらほら、あかね。ヤキモチはたいがいにしてっ!そこっ、鏡らんまちゃんも、乱馬君はあんたの結婚相手の鏡乱馬君じゃないんだから、媚びないのっ!」
 なびきも一緒になだめる。だが、彼らの目の前の畳の上に、ボコボコにされた乱馬が、ぐてっとうつ伏せに沈んだまま、果てていた。

「で、時にあかね、あんた、乱馬君と昼間何があったの?乱馬君が不埒だとか、許せないとか口走ってたようだけど…。」
 と、なびきが話題を変えて降り投げた。
「別にっ!」
 あかねの鼻息はまだ荒い。
「あんたの言動から予想するに、乱馬君が、他の女の子にナンパするなり、優しくするなり、ちょっかいかけてたんじゃないのかしらん?」
 あかねの肩がピクンと動いた。なびきの言っていることが当たっていたからだ。
「ふふふ、あんたって、本当にオコチャマねえ。すぐに態度や顔に出るんだから。」

「何よ!お姉ちゃん。今は鏡乱馬のことで、乱馬がどうのってことは関係ないでしょう?」
 相変わらず、機嫌も悪いらしく、珍しくなびきに突っかかる。

「だからね、あんたが見かけた乱馬君ってのは、鏡乱馬君だった可能性もあるんじゃないの?ほら、そこの乱馬君は、あんたが機嫌を損ねてる理由が、全然わかってないようだし。ねえ、乱馬君はシャンプーや右京、小太刀に優しくした覚えなんてないんでしょう?」
「ああ、全然ねえよっ!第一、俺は追いまわされてずっと逃げ回ってたんだからようっ!」
「じゃあ、この場面も知らないわよね?」
 にたっと笑って、なびきが、懐から何枚かの写真を取り出した。

 そこには、嬉しそうに、三人娘それぞれに笑いかける乱馬が写り込んでいる。
 乱馬は、ガバッと畳から起き上がると、その写真を引ったくり、己の目の前に並べて見比べる。

「な、何だ?この写真はっ!」
 そう言ったまま黙り込む。
「ちょっと、お姉ちゃん、いつの間にそんな写真…。」
 あかねも後ろから覗き込んで、ぎょっとする。
「どう?乱馬君、その写真の光景に心当たりあるかしらん?」
 なびきの推理に、あかねの目が見開かれていく。
「ねえよっ!何なんだよ、これはっ!」
 乱馬は写真を見ながら叫んだ。見ると、己が右京やシャンプー、そして、あの小太刀にまで媚びを売っているところが写り込んでいる。背中がぞわっとなった。
「本当に、あんたじゃないの?」
 あかねはまだ疑うように問いかける。

「馬鹿っ!よく見ろよっ!俺の今着ている上着と色が違うじゃねえかっ!ほれっ!俺は着替えに帰ってねえから、赤いチャイナなんて着てねえぞ!」
「あらまあ、ホントねえ…。今の乱馬君は青色のチャイナだけど、この乱馬君は赤いチャイナね…。確かに、朝出たきり、家には戻ってないわ…。」
 ワンテンポ遅い調子で、かすみが感心してみせる。

「ほら見ろ!俺は無実じゃねえかっ!」
 乱馬はあかねへ視線を流すと、エヘンとふんぞり返った。浮気現場を押さえたつもりが、他人だったので、疑った女房を見返す。そんな亭主のように、あかねをちらっと見た。

「ふふふ、これではっきりしたわね。あかねは鏡乱馬君と遭遇していた。ってことは、彼はこの辺りに出没してるってことになるわ。」
 なびきが笑った。それから、乱馬の前に、手をすいっと差し出す。
「おい、何だよ、この手は…。」
 怪訝な顔でなびきを見返す乱馬の瞳。
「あら、あんたの無実を証明してあげたんだから、その情報提供料。ま、今日のところは樋口一葉か夏目漱石、一枚で許してあげるわ。」
「で、てめえ、金取る気かようっ?」
「あら、当然よ。これで大手を振って、あかねと仲直りできるんだし…。安いものだと思うわよ。」

「まあ、まあ、鏡乱馬君がこの辺りへ出没していることはわかったのは良いとして…。これからどうするのかね?」
 早雲が、大人らしく、仕切りながら問いかける。

「暫く、この子を預かってくださらぬかな?その間に、ワシは破れた封印の鏡のカーテンを繕わねばなりませんし…。それに、鏡乱馬も探し出すのにも、協力して欲しいのじゃが…。」
 鏡爺さんが、一同を見渡しながら懇願した。
「そうしてちょうだいな、ハニー!」
 ひしっと鏡らんまが乱馬の腕に絡みつく。
「そうねえ…。この子を野に放つと、またどんな騒動を引き起こすかわからないし…。」
 ちらりとなびきの視線。
「乱馬君の傍なら、他に目移りしないから安全だしね。」
 とかすみはニコニコ笑っている。
「好きにすればいいわよっ!」
 乱馬にくっつく鏡らんまを見ながら、あかねはフンと鼻を鳴らしつつ言った。
「まあ、それが妥当だろうね…。わかりました。暫く天道家にこの子を預かりましょう。で、できるだけ早く、もう一人の乱馬君を探し出すお手伝いもさせていただきますか。」
 早雲はそう宣言した。



つづく




 乱馬と鏡らんまの濃厚な絡み合いを想像して、うげえっとなった方すいません!

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