らぶ☆パニック
第二話 二人の約束
一、
商店街に差し掛かると、あちこちからクリスマスソングが流れ出す。
今日で二学期は終了し、楽しみにしていた冬休みに入る。制服姿の女子高生たちの団体が、颯爽と通り抜けていく。手には学生鞄。その中に入った成績表や冬休みの宿題の事を考えると、少しは気が重かったが、それでも、今くらいは「浮世」を忘れたかった。
暫く会えなくなる友人たちと、今日はゆっくり年内最後のお喋りに興じる。彼女たちはみな、そう決めていた。
クリスマスを前に、街は華やいだ雰囲気だ。ショウウインドウに飾られたクリスマスプレゼント用の小物や洋服。惹き付けるように、少女たちはそれらを覗き込む。
「ねえ、見て見て、あれ、可愛い。」
「あー、あんなブランド物のバック、肩にかけて颯爽と歩いてみたいわねえ…。」
「彼氏がくれないかしら?」
「あー、あんた、彼氏作ったのぉ?抜け駆けは許さないんだからあっ!」
かしましい声が辺りに溢れる。
その中に、あかねが混じっていた。
「ねえ、あかねはクリスマスイブ、どう過ごすの?」
「やっぱり、乱馬君とデートなわけ?」
好奇心に溢れた友人たちが、目を輝かせながら尋ねてくる。慣れっこになったとはいえ、友人に好奇の目を向けられるのは、あまり心地良くない。途端、あかねの顔が曇った。
「何も、特に予定はないわ。」
と、いつもの如く素っ気無く答える。
「ええ?ホントに?」
「まさか、まだ全然進展してないとかあ?」
無責任な追求が始まる。
「たく、二人の奥手もここまで来たら、天然記念物ものね。」
「そうよ、あんたたち、仮にしも「許婚」の間柄でしょう?」
と、問いかけられる。
「そんな事言ったって、乱馬とは親が勝手に決めた許婚なの!あたしのクリスマスには関係ないわ!」
また始まったかと、半ば溜息混じりに、あかねは友人たちの追及をかわす。慣れっこになったとはいえ、正直勘弁して欲しいと思っていた。
心複雑な十七歳。
まだ将来を決めてしまうには早い年齢だ。
相変わらず、乱馬といえば、格闘少女たちにモテモテで、事あるごとに追い回されている。今日だって、校門で、シャンプーと右京と小太刀の三つ巴の争奪戦が繰り広げられていた。
彼女たちの現在のテーマは、「誰が乱馬とクリスマスイブを過ごすか。」にある。クリスマスが近づくにつれて、激化する小競り合い。当の乱馬といえば、逃げ惑うばかりで、承諾もせず、かといって否定もしない。
あかねにしてみれば、そんな乱馬の態度が、本当は堪らなく、優柔不断に見えた。
というのも、当人たちだけの秘密だが、つい先頃、乱馬とは少し、進んだ関係になっていたからである。
秘密裏に、関係を一歩前進させていたのだ。関係を進めたと言っても、好きを少しだけ、互いに認めただけである。手を握ったこともなければ、キスをしたこともない。ただ、ホンの少し、本音を打ち明けただけだ。
二人とも、どうしようもなく天邪鬼なところがある。特に、父親や友人たちに茶々を入れられるのが堪らなく嫌だった。
互いの「好き」を認め、家族に公表することは、「押し付けられた許婚を認めた」ことになる。当然、父親たちは泣いて喜ぶだろうし、すぐにでも祝言と言い出すかもしれない。「好きを認めた」と言うものの、祝言を挙げるまではまだ早すぎる。共にそう思っていた。まだ高校生という身分もさながら、二人とも親の管理下を抜けていないし、何分、将来設計もまだゼロに近い。一緒に家庭を築くには、若すぎた。
同じ屋根の下に過ごす身の上、家族に悟られないように気を遣うのも大変だった。
「好き」を認めて以来、己も乱馬も極端に二人きりになることを避けているのだった。先走ろうとする親たちに邪魔されぬように、少しずつ育みたい。その想いが強かったのである。
それに、二人にはまだ、乗り越えなければならない「壁」がいくつかあった。
その一つが、三人娘の存在だった。
『いい加減に付き合うつもりは無いっていう意思態度くらいは、はっきりさせても良いじゃない?』
とあかねは乱馬に助言するのだが、
『そんな言葉が通用する相手ばっかなら、苦労なんかしねえーっつーのっ!』
とツッケンドンだ。
確かに、常識の欠片も持ち合わせない、中国娘と浪花娘と思い込み娘の三人が相手だ。乱馬がはっきりと断りを入れても、しつこく食い下がってくるだろう。だが、言ってもみないで、逃げるだけの生活をしている乱馬。傍で見ていてもどかしかった。
だが、だからといって、あかね側からリアクションをするのははばかられた。自分から乱馬との関係を大っぴらにすることは、父親や姉たちの策略にはまって、許婚を容認してしまうことになる。勝気な彼女からしれみれば、「やっぱり」とか「良かったわね。」とか家族や友人たちに言われるのも、何となくシャクにさわる。
複雑な乙女心が、彼女の中に渦巻いていた。
「はああ…。」
気にしていたわけではないが、つい、溜息がこぼれた。
「ああ、あかね。また喧嘩でもしてるのかな?」
と、耳聡い友人が伺ってくる。
勿論、友人たちにも、乱馬との関係が進んだことは、一言も触れたことがない。
「ねえ、やっぱりイブは乱馬君と過ごしたいんでしょ?」
「そうよねえ…。乱馬君ってああ見えて、結構意地っ張りだから、自分から誘ってこないんでしょう。あんたも大変ねえ。」
中学時代からの古い付き合いの友人ほど、そんな言葉をかけてくる。
「あかねの方から攻勢かけちゃえば良いのに。」
そんな事まで言う始末。
「そうよ、たまには乱馬君に色っぽく迫ってさあ、三人娘なんか見返してやれば良いのに。」
「じ、冗談でしょう!そこまでやりたくないわよっ!」
つい、怒鳴り気味の声が漏れる。少し下心があるものだから、余計に言い方が荒くなるのかもしれない。
「色香で迫れないんなら、せめてプレゼントだけはねえ。で、あかねは何あげるの?もう決めた?」
「全然決めてないわ。」
と素っ気無く答える。本当は決めてあるのだが、喜んでもらえるかどうかは自信がない。去年はマフラーだったから今年はセーターだなんて思ったのが運の尽き。「誰でも簡単に編めるセーター」という本を買ってみたが、複雑すぎる。
結局断念して、またマフラーを編んだ。それでも、必死で編み針棒を動かしているので手袋の下は、バンソウコウだらけ。
照れ臭いから友人たちには、道場の組み手で痛めたと言ってある。連日、夜遅くまで頑張っているので、寝不足気味だ。
乱馬は何も要らねーぞと言ってはくれているが、それでも、折角「好き」を認めた相手だ。このまま何もなしに過ごせるわけがない。
ほとほと己の不器用さが嫌になっていた。
「あらあら、乱馬君、まだあの子たちから逃げてるわよ。」
友人が、明後日の方向に乱馬を見つけたらしい。そんなことを口走った。
「え?」
と振り向くと、確かに、乱馬が居た。すぐ後ろには、シャンプーと右京、そして小太刀が追い回してくるのが見える。
「だあっ!しつっこいっ!」
乱馬はボロボロになりながら、町中を追い回されている様子だ。
「ホント、もてすぎる相手ってのも、問題よねえ。」
友人がポツンと吐き出す。
「あんな奴の、どこが良いんだか。」
とわざと口にしてみる。
「あーら、乱馬君って結構ポイント高いじゃないの。顔立ちだってルックスだって、決して悪くはないし並み以上よ。それでもって、運動力は抜群。格闘界の新星って結構名前も挙げてきてるしさあ…。」
「イケメンの部類に入ると思うけど。」
「そ、そうかしら?」
乱馬のことを褒められるのは悪い気はしない。
「でもねえ…。言い寄ってるのが、危険な人たちばかりってのが玉に傷よね。だから、あんまりキャアキャア表だって言われてないけど。」
「あらそう?下級生にはファンクラブがあるって小耳に挟んだけど。」
「ファンクラブっ?」
思わず、あかねは耳を疑った。
「あら、そんなに驚くことじゃないわよ。だって、あのルックスに格闘センスだもの。隠れファンがうじゃうじゃ居たって不思議じゃないって。」
「あかねも大変よねえ…。将来の旦那があれだけもてると。」
「ホント、せいぜい、気をつけないと、誰かに持って行かれちゃうわよ。」
「さてと、お腹もすいたし、そろそろお店決めようよ。」
「んーとね、できれば安いランチのあるところ。」
「きゃはは、あそこにしよう!」
女子高生の変わらぬかしましさ。あかねは、やっと乱馬の話題から解放されたと、ふうっと大きく息を吐き出した。
(ふう…友達の追及をかわすのも、大変だわ…。あたしってすぐに顔に出ちゃうから…。)
あかねが頑なに友人たちの好奇心から己をガードしていたのにも、実は訳があった。
クリスマスイブやクリスマスは、家族たちの追撃がしつこいのは目に見えている。勿論、三人娘だって黙っては居まい。
ならば、いっそ、先にクリスマス気分を味わいに行こうかということになった。「クリスマス先取り計画」である。
実は、今日、十二月二十二日がその決行日だった。
折りしも終業式。友人たちを隠れ蓑に、ランチを済ませて、適当に家に帰ってから着替えて出かける。で、乱馬と落ち合い、夕飯までに帰宅する。
目的地は都内にある大きなクリスマスツリー。その点灯を見て、街を闊歩し帰ってくる。それだけのデートだ。でも、二人にとっては、ドキドキの計画だった。とにかく、誰にもばれたくは無い。何にしても、二人の秘密にというドキワクが堪らなく、刺激した。
(乱馬、うまく三人娘をまきなさいよ。それで、待ち合わせ場所へね…。)
あかねは、街角へ消えていった乱馬の背中を眺めながら、一軒のファーストフード店へと吸い込まれて行った。
二、
「で、どこへ行くってんだ?」
鏡乱馬は懐へとこっそり話し掛けた。
ガタンゴトンと電車に揺られて、山から街へと移動中だ。
彼のポケットには、小さくなった爺さんがポツンと陣取っていた。手乗り爺さんのようだ。
「決まってる。おまえさんの型となった人間が居る街じゃよ。」
爺さんはあごひげを摩りながら言った。
「俺の型だって?」
「ああ、そうじゃよ。おまえさん、鏡の国の人間じゃろう?ということは、おまえさんの元になった姿の人間が居るっていうことじゃ。原像となった人間が居る街にて女の子をナンパする方が物に出来る、成功率がぐっと上がるってことになるからのう。それに、おまえさんが望めば、その原像と入れ替わることだってできるぞよ。」
「入れ替わるだって?」
「ああ、そうじゃよ。人間界が気に入れば、個体を入れ替えて、そちらを鏡の国へ戻してしまうことだって可能じゃってことだよ。」
爺さんは笑いながら言った。
「ひゃあ、そんなことができるのかよ…。」
鏡乱馬は真面目に感心して見せた。
「おまえさんはいわば、原像を映した虚像ということになるからのう。望めばおまえさんが原像に成り代わることもできる。まあ、まずは、原像を探しに行くのが一番だということがわかったかの?」
「で、爺さんは、俺の原像が何処に居るのか知ってるのか?」
懐へと畳み掛ける。
「ああ、ワシの魔法を持ってすれば、簡単じゃ。ほれ、次の駅で降りるんじゃぞ。」
と指示することを忘れない。
切符だってこの爺さんが魔法で世話してくれた。お金の持ち合わせなどない鏡乱馬だ。適当な魔法でおそらく路銀を出したのだろう。あまり深くは追求せず、爺さんの言いなりになって、電車に乗った。
いくつか路線を乗り換えて、都内へ出る。
車窓から見える町並みに、少しドキドキする鏡乱馬だった。
「こっちの世界は広いんだな…。」
そんな言葉をもらした。
鏡の世界も適当に広い。何人かの住人がその世界にもいる。皆、それぞれ、何某かの言われがある「魔鏡」の住人。それぞれの鏡が繋がって一つの世界を形成していた。殆どが「封印」されていて、鏡の外へ自由に出られるわけではなかった。
鏡の住人は、己と因縁のある鏡だけから現世へ行き来が出来る。従って、他の鏡を出入り口として使うことはできなかった。だから、鏡乱馬の出入りできる鏡は、あの鏡屋敷のでかい鏡だけであった。
鏡の世界の住人は、こちらほど、人数は居ない。大昔の人間もいれば、今の人間もいる。ごく限られた空間の人間関係。鏡乱馬はその中で、鏡らんまと共に、刺激の少ない営みを送っていた。
やがて、彼らを乗せた電車は、降車駅へと滑り込む。
「練馬」そんな文字が躍っていた。
「何か、地味でパッとしねえ街だなあ…。」
思わずそんな声が漏れた。
鏡の世界でも、こちらの世界の事は面白いほど入ってくる。常にどこかの鏡が開かれているものだから、ある程度の情報は手に出来た。
「東京って言ったら、もっと都会だって思ってたのによう…。俺の原像はこんな場末の街に住んでるんだ…。」
ふうっと溜息が漏れる。
生まれて間もない頃、鏡らんま共々、一週間だけ滞在した街だ。記憶に全くないわけではないが、それでも、期待の方が大きい鏡乱馬だ。原像の乱馬が東京の片隅の案外小さな街ということに、つい、愚痴が零れ落ちたのだろう。
「ふふふ、まあ、そう言うな。場末の街とて、捨てたものではないぞよ。」
「そっかなあ…。」
場末とはいえ、東京の街だ。
人口は多い。
パッとしない街とはいえ、若い女性はたくさん居た。
「どっかに俺好みの可愛い子ちゃんが居ないかなあ…。」
元来の浮気性が早速、首をもたげた鏡乱馬。早速、女の子の品定めを始める。
「たく、おまえさんも好きじゃなあ…。」
くすっと爺さんが笑った。
「まあ、ワシの魔力は夜じゃないと、上手く発せられんから、暫く休ませてもらうとするかのう…。その間は好きにやれや。」
爺さんはそう言うと、ポケットの奥に引っ込んだ。しばし、惰眠でも貪るつもりなのだろう。
「んじゃあ、遠慮なく。」
鏡乱馬はキョロキョロとあたりを見回しながら、適当な女の子を物色し始めた。
丁度その頃、あかねは待ち合わせの街外れの公園へと足を急がせていた。
「友達と夢中で話してたから、すっかり遅くなっちゃったわ。」
少しだけ心持ちよそ行きのいでたち。ピンクのボアのセーターに白いスリットなスカート。よそ行きをあまり強調したら家族の餌食になるので、おとなしめな感じにしてある。勿論、ノーメイク。街に居れば埋もれてしまうような服装だ。
待ち合わせは三時だった。
乱馬もどこから来るかわからないから、アバウトである。公園も駅に近いところを選んだ。電車にすぐ乗れる便宜を取った。
切符はあかねが買うことになっていたので、先に構内で買っておいた。ここから都心部へ出て、お目当てのクリスマスツリーを見に行く。本当に簡単なデートだ。
本当の恋人になれば、行き先など、どうでも良い。二人きりになれる時間が欲しい。それが本音だろう。付き合い始めの初々しい頃は、それが基本である。
長らく同じ屋根の下に過ごしていても、互いに恋人として自覚したのはほんの数日前。二人で計画した初デートと言っても良い。それだけに、あかねもそわそわしていた。恐らく、乱馬も同じ気持ちだろう。
そう信じてやまなかった。
「多分、あの様子じゃあ、乱馬の方がちょっと遅めに来るだろうけど…。」
ランチを食べた帰り道、まだ、三人娘に追いかけられている乱馬を見た。彼女たちもクリスマスを前に、猛攻をかけているようで、思ったよりも手強くしつこかったようだ。
乱馬の性分から見ても、ギリギリのラインで彼女たちをふり切り、約束場所にあわられるつもりだろう。あまり早く姿を現して、あかねとの落ち合いを知られることは、彼なら極力避けてくる。あかねには乱馬の心情が手に取るようにわかっていた。
これも、長く彼と同じ屋根の下に暮らしている結果だろう。
いつ、乱馬が来ても良いように、ふっと腰をベンチに降ろした。傍にこんもりと木々が迫る公園ベンチ。すぐ傍にモニュメントがあり、その影になっている。
あまり目立たない場所だった。
ここを待ち合わせに指定したのはあかねだ。
乱馬も二つ返事で引き受けた。
せっかく共有しようとしている大切な時間。あまり目立つ場所で待ち合わせるのは気が引けた。ここなら万が一誰かに見つかったとしても、偶然を装えるだろう。こういう付き合い始めは、要らぬことに気を回してしまうものだった。
暮れが近いので、行き交う人々はどことなく忙しそうに見える。
今年は暖冬傾向が強いからか、腰掛けても寒いとは思わなかった。陽だまりでもあったので、とても十二月の末とは思えない陽気。雨がないというのが、何よりあかねには嬉しかった。乱馬も恐らく同じだろう。
何となく、今朝のテレビの天気予報にも聞き耳を立ってていたように記憶している。彼にとって「雨」はうざったいものだ。それはあかねにも同じだった。
一緒に居られるのなら、男のままで居て欲しい。
性別転換に関して、こだわりは持っていないつもりだが、傍に居てくれるならば「男乱馬」が良い。そう思うのも、また、あかねの本音だった。
だから、雨よりは好天が良い。
そんな、乙女心を抱えたあかねが佇む、街外れの公園ベンチ
目敏く見つけた瞳があった。
彼の背中におさげが揺れる。
「おっ!あの娘、なかなかいい感じじゃん!」
そんな言葉を漏らした。
そう、乱馬ではなく、彼を原像に持った虚像。鏡乱馬だったのだ。
「好みだな!はっきり言って。」
そう、グッときた。
原像が惚れた娘だから、ピンと来るものがあっても当たり前だったかもしれない。何より、この広い空の下、あかねを目に留めてしまった偶然。
「へへ…。声をかけてみよう!」
原像以上に積極的な鏡乱馬は、つうっとあかねの方へと足を進めた。
勿論、あかねも、はっとして、彼を目敏く見つける。
彼女にしてみれば、鏡乱馬が再び、鏡から抜き出て来たとは、露知れず。だから、近寄ってきたのが「乱馬」と疑わなかった。当然のことだろう。
「よっ!」
視線が合うと、鏡乱馬からそう声をかけてきた。
あかねは、それに対して、ふっと微笑を浮かべた。
(おっ、あたりは上々じゃねえか!)
ぱああっと鏡乱馬の心が明るくなる。
(もしかしたら、脈があるかも!よっし、押していくぜっ!)
元々、早世した鏡の持ち主の無念が篭った鏡の精霊。それが、乱馬の姿を写して現れた虚像。ナンパの気持ちも半端ではない。
「座って良いかな…。」
と声をかけた。
何となくそわそわとする、乱馬の様子。そのぎこちなさに、あかねの方も、乱馬と疑わず、コクンと頷く。
(やったー!)
ぽわああっと鏡乱馬の周りに、ナンパの花が咲き乱れる。
すっとあかねの傍に腰を下ろした。
あかねも、それを受けて、そわそわした。
いくら、愛情を確かめたと言っても、まだ、互いの気持ちを顕にしたところの初々しい関係。彼女なりに「照れ」が入っていたのだ。
何とも度し難い「緊張感」が二人の上、それぞれに降りてきた。
想い人が現れて嬉しいあかねと、ナンパが成功しそうで上滑る鏡乱馬と。それぞれの期待が交差する公園ベンチ。
「遅かったね…。」
あかねが真っ赤に頬を染めながら言った。
「そ、そっかあ?」
何を言われたのかわからずに、適当に返答を返す鏡乱馬。二人の間合いが、少しずつ詰められていく。
(よっし、このまま肩を抱くぜっ!)
ぐっと気合を入れて、まずは鏡乱馬があかねの細い右肩へ手を伸ばす。
(やだ、乱馬ったら、いきなり積極的なんだから…。)
ドキンとあかねの心臓が、高鳴ったように思った。
トンと肩に手を置かれただけで、どうにかなってしまいそうなくらい、心音は高鳴っている。口から出てくるのではないかと思うくらいにだ。
鏡乱馬はかまわず、あかねをぐいっと己の方向へ引き寄せてみる。あかねが嫌がるかどうか、まずは様子見のつもりだったのだろう。
静寂が二人の上を、すうっと降りてくる。
あかねは真っ赤になったまま、俯いていた。積極的な乱馬に、彼女なりに翻弄されかかっていたのだ。まさか、いきなり肩を抱き寄せられるとは思っていなかったのだから、仕方があるまい。
ドク、ドク、ドク、ドク。
心音は耳元に響くくらいに高鳴っている。
(どうしよう…。このまま甘えちゃって良いのかな…。)
あかねは嬉し恥ずかし想いで頭がいっぱいになっていた。
隣りに居るのが乱馬だと信じてやまなかったので、積極的な乱馬に、ぽおっとなっていた。
「乱馬様あ…。」
「乱ちゃんっ!」
背後で急に声がして、思わず、鏡乱馬の手が離れた。
あかねもビクンと肩が動いた。
聞き覚えのある声。
そろりと後ろを振り向くと、そこには、物凄い形相をした少女が二人。一人は寒空なのにレオタード、もう一人は和風の着物のような服。
小太刀と右京の二人だった。
「な、何だ?おめえらは…。」
思わず、鏡乱馬は、二人の剣幕に押されて、たじじっとなった。
「それはこっちの台詞ですわ!急に居なくなったと思っていましたら…。こんなところで昼間から堂々と、天道あかねといちゃいちゃと!」
「そうやで!最初に約束したんは、ウチらやないか!」
「そうですわ!泥棒雌猫にさらわれて、指をくわえている私たちではありませんことよっ!
ずずずいっと少女らが迫る。
「ちょっと、そういう言い草は無いんじゃないの!?」
さすがのあかねも、カチンときた。泥棒猫呼ばわりされて、プライドが傷ついたのだ。
「もうばれたって良いわっ!乱馬、はっきりと言ってあげてっ!」
あかねが反撃に出た。
「はっきりって?何をだ?」
きょとんと瞳を返す鏡乱馬。」
「だから、あんたの思ってることを、はっきりと口にしなさいって言ってるのよ!」
暫く考え込んでいた鏡乱馬。
(うーん…。乗り込んできた子、どっちも結構美人じゃねえか…。)
心の中で思い切り不埒なことを考えていたのだ。
「乱ちゃん、何、言いたいんか知らんけど、ただではすまんで!ただではっ!」
右京がはっしとコテを手に身構える。
「何、そんなに凄んでんだよ…。君。」
鏡乱馬はそう言うと、すっと右京のコテを手に取った。
「乱ちゃん?」
思わぬ乱馬の行動に、度肝を抜かれた右京が、ぎょっと鏡乱馬の瞳を見返す。
「女の子がそんなもの、振り回しちゃあいけないぜ。たく、可愛いのが台無しだぜ。」
そんな歯の浮いた台詞が乱馬の口をついて出た。
ポワンと右京の顔が真っ赤に染まった。さっきまでの怒気が、しゅるるっと音を立ててしぼんでいくのが見える。
「まっ!乱馬様っ!それはどういうことですの?右京が可愛いなんてっ!」
キイーと言わんばかりの声で今度は小太刀が睨んだ。
「君だって、こんな冬空に、そんな薄着じゃ、風邪ひいちゃうよ。ほら。」
そう言うと、羽織っていた自分のチャイナ服を脱ぎ、小太刀の肩にさりげにかけてやる。
これまた想像を超えた乱馬の行為だ。小太刀は乱馬の上着を羽織ったまま、こちらもポワンと真っ赤に染まる。
「乱馬っ!やっと見つけたあるよっ!」
そこへ飛び込んできたのは、シャンプーだった。彼女もまた、持っていた武器を乱馬に投げつけてくる。
「おっと!危ないなあ。」
鏡乱馬は難なくそれを避けると、すいっと、シャンプーへと手を差し出した。それから、ふわりとシャンプーを胸に抱きとめる。
「君も、可愛いのに…。もっと女らしくしないと綺麗なのが台無しだ。」
「ら、乱馬?」
シャンプーもその場に骨抜きになって、頬を染めた。
「女の子は逞しいのよりも可愛いのが素敵だよ。」
乱馬はにこにこと、三人に愛想うよく微笑みかける。
「乱馬様が私に可愛いだなんて…。」
「いや、可愛いって言ったのはウチにや!」
「違う、私にあるよっ!」
我に返った三人は口々に主張し始める。
「まったく、どうしたっていうんだよ…。皆可愛いのに。そんなんじゃ、台無しだよ。子猫ちゃんたち。」
乱馬は三人が言い争うのを見て、それぞれの肩に手を置きながら言い含めた。
堪らないのはあかねである。
優柔不断なだけだと思っていた乱馬が、いきなりナンパに転じたのである。
それも、あかねの目の前で、それぞれに媚びを売るような態度をとって、へらへらしている。それが、己への最大の侮辱だと悟るまで、時間はかからなかった。
「乱馬の馬鹿っ!」
愛情の反動でもある、往復ビンタが、鏡乱馬に向かって繰り出されるまでに、そう時間はかからなかった。
呆気にとられて、ビンタを振りかざしたあかねを見返す、鏡乱馬。
「あんたなんか、あんたなんか、大っ嫌いっ!!」
あかねの目に薄っすらと涙。
信じていた乱馬に裏切られたという思いが、涙を浮かべさせてのかもしれない。
「馬鹿あっ!」
思い切り捨て台詞を叩きつけると、だっとあかねは駆け出していく。
「あ、君っ、待ってっ!」
思わず後を追おうとした乱馬に、はっしと食い下がる三人娘。
「乱ちゃん!あかねなんかほっとき!」
「そうあるよ、乱馬っ!」
「乱馬様っ!さあ、私と午後のひと時を!」
ぐぬぬっと手をつかんで、引き止める。
だが、鏡乱馬の心に火が灯るのを、彼女たちは止めることができなかった。
「あかね…。って言うのか、あの娘。」
彼の瞳がメラメラと燃え始める。
鏡乱馬は、しがみついてきた三人娘の腕を、振り解くと、だっと、駆け出していた。
「決めたっ!あの娘を落としてやるぜっ!クリスマスイブは、あの娘とランデブーだ!」
そんなちんぷんかんぷんな決意の言葉を吐きつけながら。
つづく
鏡乱馬の乱入で、いきなり話がややこしい方向へ流れているような。
一之瀬、本当は女乱馬も「らんま」と表記しないで作品を書くのですが、この作品はたくさんの乱馬が入り乱れるので、それぞれ「乱馬」「らんま」「鏡乱馬」「鏡らんま」で書き分けていきます。(そうしないと、書いてる本人にも区別がつかなかったのであります。)
また、鏡の中の世界については、一之瀬のオリジナルです。原作には言及されていません。予めご了承くださいませ。
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