らぶ☆パニック


第一話 鏡の国からコンニチハ!



 皆さんは覚えておられるだろうか?
 森と泉に囲まれて、ひっそりと佇む「鏡屋敷」と呼ばれた洋館。
 そう、あの「封印」の鏡がある、洋館だ。
 封印の鏡、すなわち、今から百年と少し前の明治中頃、この館に住んでいた、さる令嬢の「恋愛せずに若死にした無念」が篭った曰くつきの鏡。この鏡に写った者の姿を借りて、生前の無念を晴らすため、ナンパをしまくって付近に迷惑をかけまくるとコピー人間が現れる鏡だ。
 この鏡、以前に修行で嵐に遭遇し、一夜の宿を求めた乱馬の姿を借り、天道家周辺の人々に大迷惑をかけた。女と男、一対の乱馬の姿を貰い、無事に鏡の中へ帰って行ったのは、丁度、去年のことになる。
 その、鏡屋敷で、今宵、再び異変が起ころうとしていた。




一、

 日本列島の西に高気圧。対する東、北海道あたりには低気圧。その間に横たわる等圧線は、これでもかと言わんばかりにひしめき合って縦線が並んでいる。数万メートル上空を寒気が吹き抜ける。
 西高東低。
 こんな、典型的な冬型の気圧配置になる前は、冬の入口とはいえ、結構温暖な日々が続いていた。そこへ寒気団が降りてきたのだ。
 湿った温かい空気は、北から進入してきた寒気に押され、一気に冷やされる。温暖な空気と寒冷な空気が混ざり合う場所には前線が生まれ、えてして嵐が吹き荒れる。
 季節外れの雷が鳴り響き、雨が降り注ぐ。
 そんな、不穏な天気の夜の事であった。

 その日、鏡屋敷を管理している、執事の老人。年の頃は七十代半ば過ぎくらいだろうか。白髪で真ん中と耳辺りを覗けば剥げている。丸い眼鏡をかけ人の良さげな穏やかな顔立ちをしていた。
 彼は、いつものように、大きな鏡のある部屋で、暖炉に薪をくべながら、ゆっくりとくつろいでいた。鏡の前には「封印」と書かれたカーテンがつら下がっている。鏡の向こう側に暮らしている、迷惑な鏡の住人たちを、こちらの世界に寄越さないための、封印のカーテンだった。このカーテンが、厚く鏡を覆っている間は、何事も起きない。だが、一度、封印のカーテンが解かれると、とんでもない大迷惑な鏡の住人が現れるのである。
 封印のカーテンは異常がなく、今夜もしっかりと閉じられていた。だから、爺さんはすっかり安心して、その夜をくつろいでいたのだった。
「おお、外は季節外れの雷嵐か。」
 爺さんは、窓の外を眺めながら、そんなことを思った。時折思い出したように、差し込んでくる「稲光」。この年になると、怖いとは思わなかったが、雷は何か、隠微なものを暗示させるに余りあった。

「こんな夜に、何事も起きなければよいがのう…。」
 爺さんは、窓の外を眺めながら、ふううっと長い溜息を吐く。
「もうじき、一年も終わりかのう…。街は今頃クリスマス間近で賑わっておろうなあ…。」
 濃いお茶をすすりながら、爺さんはどっかとソファー深く、胴を沈めていた。街の喧騒からは程遠い、山間の地。クリスマスだからとて、飾り付け一つない洋館だった。年寄り一人では、飾り付けようにも面倒なことはできない、そんな風だったのだ。
「はて…。何か、重要なことを忘れているような…。」
 爺さんはコトリと湯のみを傍に置きながら、首をかしげた。己は重要な用事の何かをしなければならなかったような、気がしたのだ。
「うーむ、思い出せぬなあ…。思い出せぬとなると、気になるわい。そろそろ、年でモウロクしてしまったかのう。」
 爺さんは、お茶を飲みつけながら、そんな独り言を吐き出していた。

 と、背後の大きなカーテンの向こう側で、ごそごそという音が聞えてきたような気がした。
 ガサゴソガサゴソ。
 確かに音がする。
 そいつは、だんだんに音のボリュームを増している。

「はて…。鏡の向こう側の世界の音かのう?」
 爺さんははっとして、鏡を振り返った。「封印」のカーテンが、仰々しく垂れ下がっている。その向こう側が鏡が光源もないのに、鈍い光を放っているように見えたからである。
「か、鏡が…光っとるのか?」

 その時だった。
 眩いばかりの光源が、鏡から発せられた。

「おおおっ!」
 思わず声を荒げ、後ろに倒れこむ。
 と、鏡を封印していたカーテンが、さああっと内側から開いた。
「な、何?」
 はっとして、息を飲む間もなく、そこから一人の人間が、ポンと飛び出してきた。

「ラッキー!外へ出られたぞ!」

「お、おまえさんは…。」
 呆気にとられながら、爺さんが見詰める視線の先。おさげを垂らした少年の姿がそこにあった。
 早乙女乱馬と同じ赤いチャイナ服を着た少年。そう、この魔鏡に映った乱馬の姿を写した、コピー人間、鏡乱馬であった。

「よっ!爺さんっ、元気だったか?」
 少年は、にたあっ、と笑いながら、爺さんを見た。

「お、おまえさん、な、何で出られたんじゃ?封印のカーテンは閉じられていた筈なのに…。」
 ふるふると指をさしながら、爺さんは尋ねる。驚きのあまり、泡を食っているような言い方だった。

「へっ!爺さん、やっぱり今日が何の日か忘れてやがったな…。」
 少年はにっこりと微笑んだ。
「何の日って…。」
 爺さんははてと考え込む。
「えっと、今日は確か、十二月の二十一日…。終い弘法の日じゃが、お大師さんはこの館には関係ないし…。ううむ…。」
「やっぱ、ボケて忘却へ入ってたか。」
「おい、今日は何の日じゃね?」
「へへへ、今日は冬至だぜ。」
 とにいっと笑って見せる。
 冬至。北半球では、一番夜が長くなる日だ。
「お、思い出したわい!なるほど、今日は冬至じゃわい。」
 ポンと爺さんは合いの手を打った。

「そういうこと。冬至。一年で一番夜が長い日だ。つまり、闇が一番深い日ってわけ。」

「しまった、ワシとしたことが、すっかりカボチャを炊くのを忘れておったわい!…じゃなくってえ…鏡に封印を二重にするのを忘れておったわ!」
 やっと、彼が出て来た事情が飲み込めたらしい。確かにボケが少し回っているのか、反応が鈍かった。

「冬至の夜には特別な封印カーテンを施さねえと、鏡の国から自由に出入りできるってこと、すっかり忘れてたんだろ?爺さん。まあ、そのおかげで俺が、こうして出られたんだけど。」
 と鏡乱馬は笑った。
「っと、こうしちゃいられねえや。やっと、あいつから逃れて、こうやってシャバへ出られたんだ。目いっぱい楽しまねえと。ってことで、あとは宜しく頼まあっ!」
 ちゃっと右手を挙げると、鏡乱馬はそそくさと、鏡屋敷を出て行ってしまった。

「お、おい!よろしくって、おまえさん!」
 爺さんは、はっとして、慌てて後を追おうとしたが、所詮はご老体。鏡乱馬の若い肉体に敵う筈はなかった。
「いかん…。奴が外へ出てしまうと、ナンパしまくり、また周辺へ、大迷惑をかけてしまうぞ!早く連れ戻さねばっ!」
 
 と、慌てている爺さんの背後で、また、何かの気配がした。

「ん?」
 怪訝に思って振り返ると、鏡が再び、ポワンと光を発するのが見えた。
「あわわわわ…。」
 驚いた爺さんの目前で、また、封印のカーテンを抑えに回ろうとした、だが、内側からひらりと開いた。
 と、今度はうら若き女性が現れる。彼女の背中にもおさげが垂れる。今度は女らんまの姿を写した、鏡らんまであった。

「ああ、待って!ハニーっ!」
 そう言うと、パタリと床に倒れ伏してしまった。

「もうし…。おまえさん。もうし…。」
 ピクリとも動かないのが気になったのか、爺さんが背中をさすった。

「きいいいっ!悔しいっ!あたしから逃げて行くなんて!!」
 急に彼女は起き上がると、わっしと封印のカーテンをつかんだ。
「ハニーの馬鹿っ!」
 そう金切り声を上げると、つかんだカーテンをぐぐぐっと引っ張って、引き千切った。

 バリバリ、ぶちぶちぶちっ!

 布の引き裂かれる音と共に、無残にも封印カーテンは破れて床に落ちてしまった。

「うあああああっ!な、何てことを!」
 爺さんはガクガクと膝から床に崩れ落ちる。

「あらら、やっちゃった。おほほのほ。」
 カーテンを引き千切った、鏡らんまは案外落ち着いていた。ペロリと舌まで出している。
「ほほほじゃないぞよ!この年末のクソ忙しい折に、また、ワシの仕事を増やしおって…。」
 爺さんはカーテンの残骸を手で引き寄せながら、思わず苦言を呈した。
「やっちゃったものは仕方がないわよ。そんなにカリカリすると、髪の毛が抜けますわよ。それより、お爺さん!あの人は、私のハニーは何処(いずこ)へ?」
 鏡らんまは、狼狽する爺さんへと、畳み掛けるように、鏡乱馬の行方について尋ねた。
「ああ、あやつなら、さっき、ここから出て行きよったわ。」
「な、出て行ったですってえ?きいいっ!さては、婦女子をナンパするつもりなのねえっ!許せないわっ!」
 と息巻く。
「お爺さん、お願い。あの人を取れ戻すのを手伝って。このままじゃ、あたし、鏡の世界へ戻れない。」
 しくしくと鏡らんまは泣き始める。

「もとい、おまえたちを二人とも、このままこの世界へ留めおくわけにはいかん。鏡屋敷の番人としても、連れ戻さねばならんが…。しかし…今夜が冬至じゃったことを、すっかり忘れてしまうなんて…。ワシも年を取ったのう。」
 爺さんは、ふううっと深い溜息を吐く。
「にしても、おまえさん、なんちゅう格好をしておるんじゃ?」
 爺さんは思わず、鏡らんまに目を転じる。彼女は純白のドレスを着用していたのだ。いわゆる、ウエディングドレスという代物だった。
「ああ、これはね、あの人との結婚式に臨むための衣装よ。きゃはっ。」
 そう言いながら鏡らんまは頬を染める。
「結婚衣裳?ってことは、おまえさんたち…。結婚するのかね?」
 ポカンと爺さんは口を開いた。
「ええ、晴れてこのクリスマスに挙式を挙げることになってましたの。なのに、びええええん!」
 感情的にかなり不安定になっているのか、それとも元々の性格なのか、鏡らんまは泣いたり笑ったり、忙しい。
「今日は、最後の仮縫いだったんです。で、ハニーと一緒に仕立て屋さんに出かけて、口論になって…。」
 ひっくひっくとしゃくりあげながら、鏡らんまは、鏡世界で起こったことを、爺さんに説明し始めた。


「なるほどのう…。挙式してしまうと、他の女の子をナンパできなくなることに気がついて、あやつが逃げたというのかね。」
 一通り、話を訊き終わって、爺さんは腕を組んだ。
「そうなんです。あたしが引きとめようとしたら、『挙式までは俺は自由だー!』って叫んで、そのまんま、逃げ出していっちゃたんですう。」
 しくしく泣きながら、鏡らんまは説明する。
「で、表を歩いていたら、こちらの世界へ通じる結界が開いているのを見つけて、すかさず、飛び出して来てしまったというわけか。」
 爺さんは気を落として沈んでいる、鏡らんまが気の毒になってきた。

「お願い、お爺さん、ハニーをクリスマスまでに見つけ出して、鏡世界へ戻してください。じゃないと、結婚式が挙げられないわ。式場もキャンセルになっちゃう!もしかすると結婚も出来ないかもぉ。そんなことになったら、あたしの夢が、ハニーとのるんるん新婚生活があ…。そうなったら、あたし、こちらの世界へちょこちょこ出向いて来て、男ナンパしまくって迷惑かけてやるんだからあっ!」
 なよなよと鏡らんまはその場に崩れ伏した。だが、口走っている事は支離滅裂だった。

「まあ、いずれにしても、鏡屋敷の番人として、鏡世界の人間をいつまでもこちらへ留めておくわけにもいかぬからなあ。わかった、何とか探し出して、彼をクリスマスの挙式までには連れ戻してやろう。」
 爺さんはコクンと頷いた。



二、

「まあったく、とんでもねえ、話だぜ。」
 夜道を駆けながら、鏡乱馬はふうっと吐き出した。
「結婚式を挙げたら、他の女に手を出しちゃいけねえ、なんて、誰が決めたんだよっ!けっ!んな話訊いてなかったしよ。やってらんねー!」
 そんな文句が次々と口に浮かんでは吐き出される。
 どんどんと山道を下る。
 半分にくっきりと浮き上がった月が、さめざめと上から照らしつけてくる。
「くっそー!折角シャバに出て来られたんだし、クリスマスの結婚式の日までは、好き勝手きままに過ごして、可愛い婦女子をたくさんナンパしてやるんだっ!」
 誰も居ない、山にそんな彼の声がこだまする。

 ピーヒュルルルル、ピーヒュルー。

 どこからともなく風に乗って、笛の音が聞えてきた。

「あん?何だ?こんな山中で。」
 ピタリと彼の足が止まった。

 ピーヒュルルル、ピーピープー。

 面白おかしい、高い音色だ。まるで、鏡乱馬を誘うように、森の外れの方から聞えてくる。
 興味を持った鏡乱馬は、誘われるように、その音色を辿って、山道を変えた。
 背の高い枯れ草や枯れ木の生い茂る山道を抜けると、そこには美しい小さな池があり、その畔に、古びた洋館がポツンと立っていた。池の水面は、月が映し出され、キラキラと輝いて見える。
 笛の音は洋館の中から響いてくるようだった。

 特に行くあてもない、鏡乱馬は、意を決すると、その洋館へ向かって進みだした。赤レンガで築かれた古い洋館。門戸は錆び付き、ざっと見たところ、窓も閉じられている。勿論、電灯を灯すための電線なども通って来ている風はない。
 庭木も手入れされず、棘が伸び放題の木。とても、人が住んでいるようには見えない荒れ方だった。
 だが、笛の音は確実にその中から響いて来る。
 少し不気味にも思えたが、鏡乱馬も元は「鏡世界の住人」、いわば、鏡の精みたいなものだったので、臆することなく、門戸を開き、館の内部へと入っていった。
 ギイイッと玄関の観音扉を開き、中へ足を踏み入れる。

 館の中は荒れ果てていて、部屋の奥にポツンと一つ、姿見鏡が立てかけてあった。その中から、笛の音が響いて来る。
「姿見鏡の中から笛の音?」
 鏡乱馬は、そいつを覗き込んだ。と、姿見の鏡の中に小さな小人と思しき人影が、窓辺に向かって笛を吹きつけているのが見えた。

 鏡乱馬の気配を察したのか、笛の主が、音色をピタリと止めた。

「誰じゃ?そこに居るのは。」
 と鏡の中から声が返る。

「何だ、女の子じゃないのか。ちぇっ、じいいかあ…。」
 鏡乱馬は見当違いの言葉を投げた。

「おい、おぬし…。ワシが見えるのか?」
 くるりと振り向いた人影は、老人といった風体だった。白い口ヒゲがもじゃもじゃと生え、顔の中心には真っ赤な鼻、目は少し飛び出し気味にぎょろりとしている。服装は、黒いフード付きの中世ヨーロッパの木こり風。いわゆる「絵本の小人」が着ているような感じの服だった。何より、彼の足元には、だらりと垂れた細い針金風の「尻尾」があった。耳の尖がり具合からも、人間ではないことは明らかだった。

 そいつは、ひょっこり、鏡の中から鏡乱馬を見上げる。

「ほお…。おまえさんも鏡の国の人間じゃな。」
 そう言いながらにっと笑った。

「爺さん、わかるのか?」
 鏡乱馬はきょとんと言葉を返した。

「ああ、わかるよ。おまえさんの身体からは、鏡の国の匂いがプンプンと漂ってくるわい…。それにワシが見えるんじゃからな。普通の人間じゃないってことになる。」

「鏡の国の匂い?そんなのあんのか?」
 思わず、自分の身体をクンクンとかぎ始めた鏡乱馬。
「どら…。ちょっと頭の中を覗かせてみいっ!」
 爺さんは鏡乱馬を見上げながら、じっと彼を覗き込んだ。
 
 コン!

 と音がして、鏡乱馬のデコ目掛け、コンパクトの中から小石が飛んできた。

「痛っ!何しやがるんでいっ!」
 いきなりだったので、鏡乱馬が激しく言葉を吐き付けた。

「ふむ、なるほどのう…。冬至の封印無きを良い事に鏡世界から抜け出て来たのか。ふむふむ、決まった女の子とのクリスマス挙式の前の最後の思い出のために、自由を求めて抜け出して来たのか…。ほおほお。」
 爺さんは、今ので鏡乱馬の事がわかったらしく、にんまりと彼に向かって微笑んで見せた。
「なっ…。てめえ、俺の脳味噌を覗いたのか?」
 ぎょっとして、鏡乱馬が小人を見下ろす。
「ああ、ちょっとだけ覗かせてもらった。この石をぶち当てると、頭の中身がぷわっと浮かび上がってきて、ワシに伝わるんじゃよ。」
「へえ…。便利な石なんだな。」
 鏡乱馬は小さな石を指につまんでじっと眺めながら感心してみせる。
「で、こんな鏡の中で何やってんだ?」
 と疑問を更にぶつけた。
「ま、ちょっとばかり、事情があってな。この中に閉じこもっておったんじゃが…。」
 爺さんは鏡乱馬を見上げると、にこっと微笑を浮かべた。
「ふむ、丁度良い退屈しのぎにもなりそうじゃのう…。そろそろ、この中に居るのも飽きておったところじゃ。よかろう…。」
 一人で何かを納得したらしく、コクンと頷いた。それから、爺さんは鏡乱馬に相談事を持ちかけてきた。

「どうじゃ?おぬし。折角、鏡世界から抜け出て来たのじゃ。面白おかしく過ごしてみんか?」
 と誘いかけてくる。

「いや、元々そのつもりで抜け出して来たんだけど、俺…。」
 怪訝な瞳で、鏡の中の爺さんをとらえた。

「だから、ワシが「おまえさんの独身最後」の思い出作りに、いろいろ手を貸してやると言っておるんじゃ。」
 爺さんはにいっと笑った。

「手を貸すぅ?爺さんがかあ?」
 ますます怪訝な瞳を手向ける鏡乱馬をあしらいながら、爺さんは言った。

「ふん、こう見えても、ワシは魔法が使えるんじゃぞ。どうじゃ?人間界で気に入った女の子を見つけて、ロマンチックなクリスマスイブをここで迎えるというのは。最高の思い出になると思うがのう…。ほっほっほ。」

「ここで?ロマンティックなクリスマスイブを、女の子と迎えるだあ?こーんな、オンボロ屋でか?」
 思いっきり嫌な顔を差し向ける鏡乱馬。

「ふん!ボロだと馬鹿にしおったな。良かろう、見ておれっ!」
 爺さんは、笛を取り出すと、ヒョロロとひと吹きした。
 と、どうだろう。コンパクトから光が溢れ出て、みるみる室内がぱあっと明るくなり、絢爛豪華な洋室へと様変わりする。窓はステンドグラスがはめこまれ、月明かりがさあっと篭れて美しい。そればかりでなく、クリスマスツリーが中央にデンと据えられ、ちょっとしたパーティー会場のような室内に大変化した。

「すっげえ…。」

「どうじゃ?ちょっとしたもんじゃろ?」
 爺さんは笑った。

「どうやったんだ?爺さん。」
 目を見張る乱馬に、小人は答えた。
「何、ワシの魔法を持ってすればこのくらい、お茶の子さいさいじゃ。これでも、ワシと組むのは嫌かね?」
 甘い誘いを鏡乱馬に手向けた。
「うーん…。そうだな…。可愛い女の子をナンパしてきて、ここで思い出を作るのも楽しいかもな。…結婚したら束縛されちまうっていうし…。ベイビーの手前、極上のシチュエーションで浮気するのは命がけになるだろうし…。」
 ブツクサと、己の心内を吐きつける。
 ここで断っておくが、「ベイビー」とは鏡らんまの事をさす。
「でもよ、爺さんは何で俺にそんな誘いをするんだ?ただの親切にしちゃあ、出来ずぎのような気もするんだけど…。」
 怪訝な顔を差し向ける。
「ふふふ、退屈しのぎじゃよ。ワシはこの山を根城に暮らしておった森の精霊なんじゃが、ちょっとした悪戯をしたばっかりに、この鏡の中へ閉じ込められてしまったんじゃ。」
 と思わせぶりに溜息を吐く。
「精霊かあ…。だったら、魔法も自在に使えるってことだな。」
 ふむと、鏡乱馬は頷いて見せた。
「で、もしかして、久々にシャバへ出て、女の子といちゃつこうなんて下心を持ってるとかあ?」

「んなもの、あるわけないわい!そりゃあ、おまえさんの事じゃろう!さっき頭を覗かせてもらったが、おぬし、煩悩の塊じゃろうがっ!」
 爺さんは声を荒げた。だが、すぐ、声を穏やかに落として、続ける。
「そりゃあ、ワシも、もうちと若ければ、ここから抜け出て、おまえさんと一緒に女の子をナンパして、和気あいあいとやるのも悪くはないがのう…。おまえさんも鏡世界の人間なら、いずれは連れ戻されよう?折角、抜け出て来られたんじゃろ?クリスマスイブの思い出を作りに加担してやろうと思ったまでさ。ま、おまえさんの好きにするさ。ワシが得する話でもなし、別に強要するつもりもないがのう…。」
 と素っ気無く答えた。返ってそれが、鏡乱馬の欲望を増殖させてしまったのかもしれない。

「オッケー。爺さん、その話、乗った。」
 元々軽い鏡乱馬。爺さんの素性などそっちのけで、二つ返事で了解を出してしまった。

「ほう、その気になったかえ?」
 キラッと爺さんの瞳が一瞬光った。浮かび上がった魔物の笑み。だが、爺さんはそれを巧みに、人懐っこい微笑みの下に隠すと、すいっと一枚の紙切れを鏡の鏡面に差し出した。
「んじゃ、決めたところで、サインを貰おうかのう。」
 と何か見慣れぬ文字が並ぶ。
「サイン?」
 鏡乱馬が問い返すと、
「ああ、ワシと共にクリスマスイブまで遊んでくれるという、一種の約束書みたいなものじゃよ。これにサインしてくれれば、ワシはここから抜けられるんじゃ。そして、おまえさんの願い事をかなえてやれる。
 クリスマスイブが明けるまでは、追っ手から逃れる事もできるぞ。それ、おまえさんが居なくなって、騒いでおる連中も居るじゃろう?それとも、クリスマスイブを楽しむ前に連れ戻されても構わぬのかな?」
 まるで鏡乱馬の複雑な胸の内を知っていて、見透かしたような言い方だった。暗に、結婚前の最後の思い出作りを諦めるか?と言わんばかりに。

 じっと鏡乱馬は考え込んだ。
 むやみやたらとサインはするな。それが、鏡世界でも通用する掟だった。
 が、きっと執念深い鏡らんまは、今頃自分を、血眼になって探しているに違いない。彼女に捕まれば、有無も言わされず鏡世界へ引き戻され、クリスマスの挙式日の前でも、さっさと結婚式を挙げさせられてしまうだろう。
 彼女を愛していないわけではなかったが、もうちょっと「自由の身」でいたかった。ギリギリまでは楽しみたい。それがナンパな彼の本音だった。

「わかった、サインするよ。その代わり、思い出作りに協力して、クリスマスイブをここで楽しく過ごさせてくれるんだろうな?」
 と念を押した。
 クリスマスイブが過ぎれば、鏡世界に戻って、何食わぬ顔をして、また鏡らんまと平穏に鏡の国で暮らせばすむことだ。嫉妬深い彼女も、元の鞘に戻れば、怒りも静まるだろう。そんな都合の良い事を考えてしまった。
 思うに、浅はかな男である。

「勿論じゃ。共に楽しい企てをして、可愛い女の子を連れて来ようじゃないか。なあ、お若いの。」
 爺さんはにっこりと微笑んだ。

「じゃ、サインするよ。」
 鏡乱馬は鏡面に差し出された書面に、傍にあったペン先で、すらすらとサインを入れて言った。「早乙女乱馬・複写」。確かに鏡の国の文字でそう書かれていた。
 サインが終わると、どうだろう。
 ぱあっと鏡から光が差し込めてきて、爺さんが、鏡の中から抜け出てきた。

「へええ、すっげえ。本当に出てきやがった。」
 鏡乱馬は目を見張った。
「案外、小せえんだな。爺さん。」
 身長はどう見積もっても一メートルもない。

「よっこらせっと、出してくれてありがとうよ。サインしてくれた契約書はこれじゃな。」
 そう言いながら、爺さんは懐へ契約書をしまいこむ。
 っと、これで契約成立じゃ。可愛い好みの女の子を捜して、クリスマスイブにここへお連れしようじゃないか。ワシがちゃんと力を貸してやるからのう。」
「ああ、頼りにしてるぜ。爺さん。」
 がっと二人は、ガッツポーズを取った。

(しめしめ…うまく騙されてくれたわい。ワシをこの鏡から出してくれたばかりでなく、悪魔の契約書にサインを入れてしまったとは知らずに…。くくく、この男を利用して、可愛い娘をこの魔鏡へ連れて込んで、今度こそ、ワシの長きにわたった独身生活に終止符を打ってやるわい。ほーっほっほ。)
 そんな小人爺さんの企みなど、何も知らぬ、お目出度い鏡乱馬であった。



つづく





 「決定的瞬間を作品に。」それが、内出七海さまのリクエストでありました。
 原作モードの楽しい作品をという事でしたので、そこから妄想を派生させ、結局は、クリスマスネタへと進化させてしまいました。
 鏡乱馬と鏡らんま。まだ彼らしか出ていませんが、当然、乱馬とあかねに絡んできます。また、危なっかしいオリジナルキャラクターまで蠢いておりますし…。前ふりだけで一話使っちゃったーっ!

 「鏡らんま」のお話は原作コミックスの35巻を参照してくださいませ。知らない方は、先にそちらをお読みくださると、雰囲気がわかって楽しめるかと思います。
 冬至のくだりは一之瀬の創作でありますので、ご了承くださいませ。
(2004年12月作品)

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