小悪魔とクリスマス



 深々と更ける夜。今宵はクリスマスイブ。特別な夜。
 だが、天道家は既に夢の中。戸締りもしっかりされ、大きなガラス窓には雨戸も入り、明りも全て消えている。
 ガタッという音と共に、一人の少年が二階の窓から家へと侵入を試みた。
 着ている服はボロボロ。ズボンも赤いチャイナ服の上着もよれよれになり、所々、糸がほつけて破けている。服だけではなく、見え隠れする腕や顔のあちこちに、無数のすり傷があった。血こそにじみ出ていないが、赤く腫れ上がっている箇所もある。喧嘩でもしてきたような有様だった。
 疲れきった表情で帰宅したが、生憎、玄関も裏口も全て厳重に鍵がかけられている。鍵を持たずに飛び出したので、中へ入ることができない。更に、家の者たちは皆休んでしまったようで、静まり返っている。呼び鈴を押して開けてもらうのも躊躇された。
「ちぇっ!」
 青年は舌打ちをすると、身を翻すと、庭の木に駆け上り、トンと一階の屋根の上に乗っかった。経験からして、トイレと風呂場、そして、二階の踊り場の施錠は普段から外されている。トイレと風呂場は換気通風のため、階段の踊り場の窓はこうやって、時折、締め出される事があった少年のために、「閉めずの窓」となっていたのだ。
 瓦を踏み破らぬように、そっと忍び足で丁寧に屋根を伝い、身軽に閉めずの窓を開き、家の中へと降り立った。
 と、唐突に声が、少年をとがめた。

「あーら、遅いお帰りだこと…、乱馬君。」
 ビクッとして振り返ると、人影がこちらを向いていた。にんまりと悪魔の微笑を浮かべている。
「何だ、なびきか。脅かすなよ!」
 と吐き出すように少年は言った。
「クリスマスイブの夜ってーのに、こんなに夜更けまで、どこほっつき歩いてたのかしらねー。」
 半分攻めるような、半分からかうような涼やかな瞳で、なびきは乱馬を見やった。月明かりがさあっとさしこめる。折りしも今夜は満月。真ん丸お月様が、窓辺から照らしつけていて、結構、足元は明るい。
「るせー。仕方ねーじゃん。あいつらときたら、ホント、しつけーったらありゃしねーの。イブを一緒に過ごそうって、三人がかりで追いかけまわされ続けたんだぞ。」
「何、威張ってるのよ…。ほんと、あんたったら、己のしでかした状況が、まるでわかってないんだから…。」
「俺だってなあ、今夜はご馳走だってかすみさんも言ってたから、早く帰ろうと思って、頑張ったんだけどよー…。何か、こう、クリスマスイブってーのでか、恐ろしいくらいに皆、鬼気としててよー。シャンプーもうっちゃんも小太刀も、気合入りまくっててよー、しつけーったらありゃしなかったんでい!夕方からこっち、ずっと、逃げて逃げて、逃げ回ってて…。」
「あたしに言い訳したって始まらないわよ。…ったく。」
 ふうっと溜息を吐き出しながら、なびきは乱馬の言葉を遮った。
「あ…。あのさー、やっぱ、あいつ…。怒ってたか?」
 そっと伺うように、なびきに問いかけた。
「まーね…。帰宅しない居候なんかほっておいて、先にイブのパーティーやっちゃいましょうって…。そりゃあ、不機嫌の極みだったわねー。」
「やっぱり…。」
 うぐっとなって俯く乱馬。
 あかねと特別な約束事はかわしてはいなかったものの、イブの夜くらいは、好き合う者同士、一緒の空間に居たいと思うもの。そう、一年に一度しかない、ロマンチックナイトをすっぽかしたに等しかった。
「あの子なら、さっさとご馳走食べて、家族と団欒して、風呂に入って、寝ちゃったわよー。」
 となびきは、妹の様子をちゃっちゃと話してみせる。

(こりゃ、相当怒ってるよな…。やっぱり…。)
 心音がドキドキと高鳴り始めた。どうすれば、許婚の怒りを解けるか。思案に入る。

「クリスマスイブに許婚をほったらかすあんたも、あんただと思うわよー。」
「だから、俺は、ほったらかそうと思ってほったらかしたわけじゃなくて…。あいつらが、三人がかりで…。」
「って、懸命に言い訳したところで、ほったからした事実には変わりないんじゃないのぉ?」
 冷たくなびきに言い放たれた。
「う…。」となったまま、言葉に詰まる。この先どうすれば良いのか、見当も付かない。許しを請うにしても、どうすれば良いのやら。
 はああああっと、思わず長い溜息をなびきの前で吐き出してしまった。
「その様子だと、クリスマスプレゼントも準備できなかったんでしょ?」
 にんまりとなびきが笑った。
 そうなのだ。際まで何を贈ればよいのか、悩みに悩んだ末、購入できずにイブに突入し、昼間慌てて、街に繰り出そうとしたところで、三人娘に捕まったのだ。後は追いかけっこ。結局、何も買えず、逃げ惑うだけになってしまったのだ。

「情けないわねえ…。本当に。たく…プレゼントでもあれば、まだ何とかなったでしょうに…。」
「仕方ねーだろ?買う暇無かったし…。それに、何を贈ればあいつが喜ぶか見当もつかなかったし…。結構、難しいんだぜ…。プレゼントを選ぶってーのは!」
 ブツブツと再び言い訳を述べる。

「ふふふ、一つだけ、妙案があるんだけど…。」
 見透かしたように、なびきが乱馬に問いかけてきた。
「妙案?何だ?」
「あかねのご機嫌を治す方法よ。」
「教えろ!今すぐ!頼む!」
 なびきの言葉に、すぐさま喰らいついた。手を前であわせて、拝みこむ。
「はい…。情報料。」
 そう言うとすうっと手を差し出してきた。さすがに守銭奴なびき。
「金取るのかよ…。」
「あったりまえでしょう?妙案を授けてあげるんだから。これであかねとラブラブになれたら、安いものでしょう?」
「わかったよ!で?幾らだ?」
「そうねえ…。」
 そう言いながらなびきが立てた手は五本。
「こら!んなに持ち合わせねーっつの!」
「あら、あんた、最近アルバイトしてなかったっけ?あかねのプレゼント買うつもりで溜め込んでたんじゃないの?」
「ゆすってたかる気か?おまいは…。二千円くらいしかおまえに払う余裕はねーの!」
「ならそれで、妙案の権利を譲ってあげるわ。」
「いきなり60パーセントオフかよ…。もしかして、足元見て吹っかけたのかよ?」
「文句言うなら、教唆してやんないわよー。それとも、何?一人であかねの機嫌取り、何とかできるの?」
「わーった!わかったよ!払うからちゃんと教えろよ!」
 渋々、財布をズボンから取り出した。
「じゃあ、あたしの言うとおりになさいね。…きっと上手く行くわよ。」
 なびきは乱馬から千円札を二枚、巻き上げると、にんまりと微笑んで話し始めた。
 一気にプランを離し終えると、なびきは念を押すように言った。
「わかってると思うけど、眠ってる部屋には入らないで、ドアにはさむだけにしなさいよー。あかねに気付かれたら、夜這いと間違えられるだろうし、そうなったら、無事じゃすまないわよー。」
「わかってるよ、俺だった明日のクリスマスの太陽はちゃんと拝みてー。」
 いや、本当は言い訳の一つも、今夜中にあかねにしておくつもりであったのだが、変にあかねを刺激するだけだと、なびきに反対されたのだ。
「唇の一つもあげれば、事足りるだなんて、そんな甘い考えなら、大やけどするわよー。あんた、一年で一番大事な夜をすっぽかしてるんだからねー。」
 チクチクとなびきに言われると言い返せなかった。
「とにかく、あたしの言うとおりになさいね。」


 ☆ ☆ ☆


「ほんとに、こんなので、あいつのご機嫌が治せるのかよ…。」
 半信半疑であかねの部屋のドアに封筒を挟み入れた。明日、あかねが目覚めて部屋を出れば、その封筒が目に留まるだろう。
 なびきに言われたとおりのメッセージを書いた紙切れを入れたただけ封筒。他に何も入っていない。勿論、プレゼントもだ。
 本当は部屋の中へ足を踏み入れて、枕元へと置いてやりたかったが、あかねもあれでいて腕が立つ。気配を察して起き上がって来ないとも限らない。


「たく…。なびきの奴、もしも、効果が無かったら、払った金は全部返してもらうぜ!」
 そう心に吐き出しながら、言われたとおり、メッセージをボールペンで自書して、あかねの部屋のドアの奥へとぐいっと挟み入れた。

 後は野となれ山となれ…。

 明日朝、あかねの反応を待つだけだった。


 ☆ ☆ ☆


 翌朝は、冷え込んだものの、よく晴れ上がっていた。
 昼間から夜にかけての、三人娘との本気の追いかけっこが利いたのか、朝は遅めに目が開いた乱馬だった。あれからシャワーを浴びて布団へ潜りこむと、とっくに夜中の二時を回っていた。
 イブのご馳走にありついて酔いつぶれたのか、隣の布団で寝ている親父の玄馬も、なかなか目覚めなかったようだ。パンダのまま、ゴロンと布団に寝ているものだから、邪魔だった。が、分厚いパンダ毛皮のおかげで寒くはなかった。玄馬もパンダ毛皮に覆われていると、自分も暖かいのだろう。冬の夜は、人間モードよりもパンダモードで寝ていることの方が、圧倒的に多いような気がする。

 寝ぼけ眼を擦りながら、階下に朝ご飯を食しに下りると、大きな柱時計はとっくに九時を回っていた。
 十二月二十五日。勿論、冬休みが始まっていて、学校へ行かずとも良い。
 乱馬と玄馬以外の家族は、とっくに朝食を終えていて、かすみが朝の家事に、黙々と勤しんでいた。

「おはよう、乱馬君。よく眠れた?夕べは遅かったようだけれど…。」
 にっこりと洗濯物籠を両手に抱えながら、かすみが声をかけてきた。
「え、ええ…。まあ…。」
 ちらちらと気になるのは、茶の間の朝ご飯の食器を下げようとお盆を片手にしているあかねの姿だ。当然、昨晩から顔を合わせていない。彼女の様子はどうか、己に対して、怒っていないか。
 全神経を集中させて、あかねの気配を真剣に伺う。
 なびきが意味深な微笑を浮かべて、ポンと乱馬の肩を叩いて、茶の間から引き上げて行った。早雲は新聞を広げて、熱心に記事を目で追っている。

「あ、乱馬、おはよー。」
 乱馬の姿を認めたあかねの方から、声をかけてきた。
「お、おはよー。」
 恐る恐る返事を返す。
 
(あ、あかねの奴、怒ってねえか…。)
 じっと、耳を済ませるが、予想に反して、怒声は放たれて来なかった。それどころか、にこっと乱馬を見て笑ったではないか。
(どうやら、怒ってない…みてーだな。)
 良かったと、ホッと胸を撫で下ろした。
(いやいや、まだ安心できねーぞ。)
 びくびくしながら、次の言葉をかけた。
「あのよー…。昨日はさー…。」
 そう言い掛けたのだが、先にあかねが喋りだした。
「ねー、乱馬、今日一日、あたしの言う事なんでも訊いてくれるって、ホント?」
 きらきらとした瞳で問いかけられた
「あ、ああ…。そのつもりだけど…。」
 と返事を返した。
「ほんとに訊いてくれるのよね?」
「お、男に二言はねー。」
 実は乱馬、なびきに言われて、封筒の中に『クリスマスプレゼントのかわりに、今日一日、あかねの言う事なら、何でもきいてやる。』というような言葉をメモって入れておいたのだ。
 そんな物で誤魔化せるのか、半信半疑であったが、どうやら、あかねはその言葉の見事に釣られたようであった。

「じゃあ、ねえ、さっそくだけど…これにつきあってくれる?」
 すうっと何やらチケットみたいなものを差し出された。

『女同士で過ごすクリスマススペシャルデー、ペアご招待券』
 そう書かれてあった。

「何だ?これ…。」
 思わず、問いかけていた。
「なびきお姉ちゃんに貰ったの。ほら、お姉ちゃん、大学に入ってから、ずっとコスメティックサロンでアルバイトしてたでしょう?そこの忘年会のビンゴゲームで当たったんだってさー。なびきお姉ちゃんはクリスマスは時間が作れないからって、あたしに友達と行っておいでって譲ってくれたのよ。
 エステ体験とかして、メイクアップとドレスアップもさせてもらって、夜景を見ながらのディナーまでついた特別招待券。ねーねー、これ一緒に行ってよね。」
 と上機嫌で話してきた。
「なびきがかあ?こんなのをタダでくれたのかよ?」
 半信半疑であかねを見やる。
「うん。気前良く、ポンとくれたわよ。勿論、お金なんて要らないって言ってたわ。元々貰ったものだからって…。」
「ふーん…。あのなびきが…ねえ…。」
 昨夜、情報料としていくらかを取られた乱馬にしてみれば、不可解だった。
「ほら、今日一日は、あたしの言う事ならなんでもきいてくれるんでしょ?だったら、乱馬、あたしにつきあって一緒に行ってくれるわよね?」
「……。わかったよ。行けば良いんだろ?」
 乗り気はしなかったが、渋々承知した。己から今日一日はあかねの言う事をきいてやると切り出した以上、約束は守らねばなるまい。
「そー、一緒に行ってくれれば、文句はないわ。ほら、さっさと変身して。」
 そういうと、あかねはばさっと頭の上から冷や水を乱馬に浴びせかけた。

「冷てー!くおらー!いきなり水ぶっかけやがって!」
 ブルブルと頭を横に振り、水気を飛ばしながら、文句を垂れる。
「だって、女同士で過ごす…って銘打たれているんだから、女性専用なのよ。だから、あんたも、女に変身してくれなきゃねー。」
 小悪魔的な微笑を返された。
「ちぇっ!わかったよ!付き合えば良いんだろ?付き合えば!」
「そーよ、付き合ってくれたら文句は無いわ。ほら、そんなダサいチャイナ服じゃ体裁が悪いから、あたしの服貸してあげる。着替えなさい。」
 あかねは乱馬を自室へと連れて上がると、クローゼットを開いて、あれやこれやと着て行く服を物色し始める。
「これが似合うかしらねー。それとも、こっちが良いかしら…。」
 などと、乱馬と向き合いながら、いろいろとコーディネイトしていく。どうも、女のこういうところは、乱馬には理解できない。
「面倒臭えなー。俺は何だって良いから、さっさと決めてくれ!」
 勿論、男なので、あまりこういうのは得意ではない。ましてや、己が着せられるとなると、別問題だ。
「じゃあ、あんたはこれね。」
 あかねがすっと洋服を取り出すと、乱馬の前に広げて見せた。
「うげ!こんな、ひらひらなワンピースなんか着とって言うのかよ!」
 と文句たらたら。
「文句言わないの!今日一日はあたしの言う事、何でもきいてくれるんじゃなかったっけー?」
「わかったよ!着るよ、着ます。着させていただきます!」
 はきつけるように承知した。
「そうそう、素直にはいって従いなさいよねー。下着だって、今日は男物ははかないでよねー。」
「何でだよ!」
「だってエステもついてるのよー。男物なんか着てたら変でしょーが。」

(こいつ、イブの鬱憤を晴らしにかかってやがんなー。)
 思わず、そう感じてしまった程だ。
 あかねとて、乱馬が男の子であるのは百も承知だろう。できれば、女の格好などしたくないと思っているのも知っている筈だ。なのに、下着まで女物を強要してきたのだ。
(ひょっとしてS(エス)っ気あるんじゃねーのか?こいつ…。いじめて喜んでねーか?おい…。)
 何とか乱馬の着替えが終わると、
「乱馬は部屋から一端、外へ出ていてねー。あたしが着替えるから。」
 と平然と言う。
(ちぇっ!女同士っていうのなら、俺の前で着替えたって良いだろーが…。)
 と内心で吐き出していた。
(こういうところだけ、俺を男と認識して扱いやがって!)
 勿論、声に出して言える言葉ではない。心の声を音ににした瞬間、あかねの鉄拳が飛んでくるのは間違いあるまい。
(たく…。たかが、着替えるのに、何分かかってんだよー。)
 ブツブツ言いながら、廊下に立っていた。はき慣れぬスカート姿なものだから、足元がすーすーと寒くてたまらない。いい加減にして欲しいと、恨めしそうにドアを見ていると、パタッと開いた。
「お待たせー!行くわよ。」
 と出てきたあかねも、お出かけ用のワンピース姿。己が男の格好でないことが、悔しくなるくらい清楚な感じのいでたちだった。
「こらこら、ずっくじゃ可笑しいわよ。その服で!パンプスはきなさい。貸してあげるから。」
「靴も女のはかなきゃならねーのか?」
「当たり前でしょう?今日一日はあんたは女の子として、振舞ってよねー。」
 渋々、パンプスを履いた。あかねの靴なので、弱冠サイズが違っていたが、大は小を兼ねるので平気だった。無論、パンプスを履くことに抵抗もあったが、今のあかねの前では覆せまい。諦めて、パンプスに足を入れた。
 コツコツと、かかとが歩くたびに、音を発する。
「何か、内股になったようで、気持ち悪いぜ…。」
 耳慣れぬ音と靴の感触に、顔をしかめて歩き出す。

「あら、あかねちゃんと乱馬君、揃ってお出かけ?」
 洗濯物を干してきたかすみが、門戸の前で二人を見比べて声をかけてきた。
「うん。昨日言ってたなびきお姉ちゃんのチケット活用してくるのー。」
「あらまあ、良かったわねえ。気をつけていってらっしゃいな。」
「はーい、晩ご飯、二人は要らないから。ほら、乱馬、行くわよ。」
「お…おう!」
 手を引かれて歩き出す。
 ショートヘアーの少女とおさげの少女。どこから見ても、女同士の友人にしか見えまい。誰一人、不審がる人は無く、すいすいと公道を歩いて行く。
「あら、そこへ行くのは天道あかねとおさげの女じゃありませんこと?女同士でクリスマスとは。お可哀想に。」
 早々に、小太刀の目に留まったようだ。
「文句ある?」
 あかねは頬を膨らませて、小太刀を見返した。
「いいえ、別に。女同士で楽しげですこと。私は乱馬様を探して楽しませていただきますわ。」
 そう言い放つと、どこかへ消えて行った。
「良かった!気付かれなかった!」
 ふううっと溜息を吐き出したのは、あかねだけではない。乱馬も安堵していた。小太刀は兄の九能帯刀同様、おさげの女と男の乱馬が同一人物とは、つゆにも思っていないようだっだ。
「たあく!まーだ、諦めずに俺のこと探し回ってんのかよー。」
 と溜息が漏れた。
「みたいだわねー。他の二人も同じように探してるかもしれないからー。」
 そういうと、あかねはすっぽりと乱馬の首にマフラーを巻きつけた。
「あん?何のつもりだ?」
 不思議そうに乱馬があかねを見返した。
「それを深々と首から顔にまきつけて、あんただって悟られないようになさいよねー。シャンプーと右京は小太刀と違って、女のあんたを認識してるでしょ?気付かれたら、逃げ回らないとダメになるわよ。」
 とあかねが言った。
「そーだな…。顔をモロ出ししてちゃあ、不味いか…やっぱ。」
 素直にあかねの申し出を聞いた。格好は女だし、顔とおさげさえ隠してしまえば、そう簡単には見抜けまい。シャンプーだって右京だって、乱馬が女の格好をすることを嫌っているのは良く知っているだろう。それに、あかねに今日一日はつきあうと言った手前、できるだけ引き離される事態は避けたかった。
 すっぽりとマフラーを頬辺りまで巻きつけ、後ろに編んだおさげ髪もマフラーのしたに上手く隠れるように調節した。こうやってみれば、ただの寒がりのあかねの友人にしか見えないだろう。
「これなら、大丈夫よ、きっと。」
 あかねはにっこりと微笑むと、駅に向かって歩き出す。
 確かに、変装は上手くいったようで、途中、シャンプーが乱馬を求めて自転車で走り回っているとことに出くわした。が、感心一つ持たずに、あかねたちを一瞥すると、どこかへ走り去って行ってしまった。
「へええ…。効果覿面かあ…。」
 くすっとあかねが笑ったほどだ。
「昨日も女に変身して、まいてしまえばよかったんじゃないの?」
 と穿った瞳を乱馬に手向けた。
「うるせーよ!そんな余裕なんかあるかよー!」
 ぶすっと膨れっ面。

 
 ☆ ☆ ☆


 電車に乗って、都心へ。
 今日の目的地は恵比寿町。元々は「エビスビール」の工場があった場所。いまや注目されるデートスポットの一つだ。なびきに貰ったチケットの提示するとおりを辿って、その一角にあるサロンへと足を踏み入れる。
「天道様、お待ちしておりました。」
 と愛想良く店員が寄って来て、二人を招き入れる。
「まずは、岩盤浴をどうぞ。」
 と言われて、奥へ通される。下着の上にガウン一丁となって、更に奥へ。今流行の岩盤浴だ。
 体験の前に、まずは水をたっぷりと胃袋へ流し込まれた。岩盤浴は大領の汗をかくらしいので、脱水症状になるのを避けるためだろう。がぶがぶと言われるままに、水を飲み干す。と、宛がわれた個室へと、あかねと共に入る。
 高温多湿。ムッとした熱気が身体を包んだ。
「ここに寝っ転がってリラックスしてください。」
 お姉さんに言われるまま、二人、位置に着く。二人とも、岩盤浴は初体験。辺りが物珍しくて溜まらない。

(ちぇっ!男だったら、もっと楽しめたろうになあ…。)
 などと、不埒なことを考えつつ、いわれたとおり、あかねと並んで横になる。

「うわー、良い気持ち…。すっごい汗が出るー。」
 あかねは嬉々としている。確かに、物の数分とたたないうちに、身体中から汗が滴り落ちた。
「あー、うーん、気持ち良いー。」
「親父か、おまいは…。」
 思わず、苦笑いしたくなるほど、うーんと唸るあかね。あかねでなくとも、乱馬も同じ気持ちであった。身体がほこほこ、そして、汗がじわじわ。修行中なら嫌なジメジメ感も、今は心地よい。
「マッサージさせていただきますねー。」
 途中で入って来たお姉さんが、身体を揉み解し始めると、溜まらなく、気持ちが良かった。
「あー、身体が喜んでるわー。素敵…。はあ…。ああ…。うふん。」
 隣の乱馬に遠慮する事無く、隣のあかねは艶っぽく吐息を吐き出し続けている。
(男だったら、俺、間違いなく、立ってるな…。あそこ…。)
 と思わず苦笑いがこぼれた。今は女なので、別段、身体に変化はない。己もお姉さんが揉み解し始めた。
「うー、ホントだ。気持ち良いや…。」
 身体中をもみもみされながら、こっちも良い気分に陥っていく。
 あまりの気持ちよさに、マッサージがすんだころは、すっかりと夢の中。うつらうつらとしてしまった。

 身体中の汚れを汗と一緒に流してしまった。そんな感覚で目覚める。

「後は水分補給もしっかりなさってくださいね。」
 と、また、大量の水をしこたま飲まされた。が、汗をしこたまかいた後だ。胃袋だけではなく、身体中に水分が浸み込まれていくような、新鮮な感覚だった。

「気持ちよかったわねー、岩盤浴。」
「ああ、また来たいと思っちまったぜ。」
 お肌はつるんつるん、すべっすべ。光沢を放っている。
 
 勿論、ここで終わるわけではない。
 肌に艶と張りが出たところで、次はエステだ。
「今度はこっちだってー。」
 嬉々としてあかねは乱馬の先を歩く。
(うー、女ってーのは、わからねーや!)
 その後ろを行きながら、乱馬はふううっと長い溜息を吐き出した。

 エステティックサロン。全身をリフレッシュした後は、顔のお手入れ。
 仰向けに椅子にもたれさせられると、今度は綺麗な手のお姉さんが、クリームを顔中に塗りたくってくる。勿論、初体験なので、顔がべとべとして気持ちが悪い。
 クリームを塗り終わると、手をあてがって、マッサージを始めた。
「痛くはございませんか?」
 などと訪ねて来る。
「だ、大丈夫です。」
 思わず声が上ずる。ちらっと横目であかねを見れば、心地よさげに顔をマッサージのお姉さんに託している。
「真っ直ぐ上を向いて、目を閉じてください。」
 と言われてしまった。

 すりすり、ぬべぬべ…。ペタペタ、くるくる。
 そういう擬音が顔から響いてくるような気がした。
「このマッサージで見違えるくらいに肌が美しく蘇りますよー。」
 などとお姉さんが声をかけてくる。
「は、はあ…。」
 そうとしか返答できなかった。普段、野ざらしに晒しっぱなしで美容になど気を遣うことはない。最近は男でも、こういう美容サロンへ通うらしいが、さらさらその気などない。いくら手入れしても、元は格闘家の男だ。
(何だかなあ…。)
 気分はぱっとしないのも仕方があるまい。
 
 それでも、終わってみると、確かに、肌の張りが違っているように思った。鏡越しに盗み見るあかねの顔も、一際、輝いているような…。

「じゃあ、今度、着替えてくださいね。あちらにある衣装、どれでも着ていただいて良いですよ。」
 とにっこり微笑まれた。
 部屋一杯に、いろいろなイブニングドレスが並んでいる。天道家のクローゼットでは絶対にお目にかかれない色艶やデザインのものばかりだ。
「何か、今日だけお姫様になった気分よ。」
 とあかねは機嫌が良い。洋服を前に、どれにしようか迷っている様子だ。
「乱馬、どれが良いと思う?」
 そんなことを尋ねられても、戸惑うばかりだ。
「どれだって一緒じゃねーのか?」
 と無愛想に返答すると
「真面目に言ってよねー!」
 と膨れっ面になる。
「だから、おめーが着るんだから、おめーで決めろっつーの!直感ってのがあるだろーが、好みもあるだろーし…。」
「じゃあ、これなんか良いかしら?」
 と前に宛がって見せてくる。
「うーん…。胸がねえおめーには、こういう大人っぽいのは似合わないんじゃねーか?」
「何ですってえ?」
「俺は客観的に言ってんだ!おめーだと、胸の谷間もないから、ストンだぜ…こういうスリットなのは…。」
「そっか…。確かにちょっと物足りないかなあ…。」
「なんだったら、胸パッド入れて貰うか?」
「もー、いやらしい!そういうところで男視点に戻らないで!」
「つーか、俺は男だ!」
「だから、あんたの好みを訊いてるんじゃないの!あたしにどんなのを着せたいとかさあー、無いの?」
 真摯な瞳を投げかけられても、乱馬は困惑するばかりだった。今、己の好みを
答えたとしても、男としてリードするわけではないからだ。
 どうせなら、とっておきは男の時に見せて欲しい…。正直な心情である。
「じゃあ、これならどうかな?」
 と今度は淡いピンクのドレスを見せた。ちょっと幼い感じもしたが、あかねの清楚さならそれくらいが妥当かもしれないと思い
「それなら似合うんじゃねーか?」
 と言ってみた。
「そーお?じゃ、あたしはこれにしよっと…。乱馬は?」
「俺か?どれでも良いや。あかね、適当に選んでくれよ。」
 全くもって、どうでも良かった。ドレスに興味がある男ってのも変だろうから当たり前なのであるが。
「んとねーあんたは小さいから、可愛らしいを全面に出した方が良さそうだわねー。」
 と真っ白な短めのドレスを手にした。
「おい…。こんなの着るのかあ?レースふりふりだぞ…。」
 一瞬絶句した。
(やっぱり、こいつ、俺の事、いじめて喜んでやがるな…。)
 そう疑ってしまいたくなるほどだった。

「もう、二度とこんなの着ないでしょうし…。これにしなさいな。似合うわよ、きっと。」
「たあく、他人事だと思って適当に決めてるんじゃねーだろーな?」
「そんな訳ないでしょ。ほら、決めたら着替えましょうよ。あ、あんたはあっち向いて着替えてね。こっち向いたら承知しないんだから!」

(だから、そういう時だけ、男に戻すなっつーの!)
 ブツブツ心で吐き出しながら、袖を通すドレス。
「うへー、やっぱ、こんなブリブリ…。」

「似合いますよ。お二人とも。じゃあ、それにあわせてヘアメイクしましょうか。」
「ヘアメイク?」
 問い返すと、
「髪型を整えるのよ。」
 とあかねに言われた。
 と、椅子に座らされると、いきなり髪の毛をくちゃくちゃとやられ始めた。
「おさげを解いて、後ろにたらしますね。」
 そういうと、思いっきり髪の毛を引っ張られ、ブラシでほぐすようにとき始めた。
「結構、細い赤毛なのねー。癖がないようだけど、まとまりにくそうね…。」
 担当のお姉さんが言葉を吐いた。
「そ、そーですか?」
 と返事を返す。男のときより、弱冠、細めになる女時の髪。
「ちゃんとケアしておかないと、年令を重ねたら髪の毛が抜けて細るかもしれないわよ。」
 などと言われてドキッとなる。
(まさか、親父のようにハゲるなんてことねーよな…。)
「たまにはトリートメントして、労わってあげてねー。」
 などと言われてしまった。
 髪型は後ろにたらした感じで仕上げてもらった。あかねは短いので、少しつけ毛してもらってボリュームを出したようだ。

「髪型が決まれば、最後はメイクね。」
 とメイク係のお姉さんが二人を見比べた。
「まだ、顔をいじくられるのが残ってるのかよ…。」
 辟易としたが、仕方が無い。
「メイクの基本をお教えしながらやっていきますから、良かったら、テクニック、覚えて帰ってね。」
 と柔らかく言われた。毛頭、乱馬は覚える気などなかったが、あかねは熱心に耳を傾けていた。メイクの世界に男が居ないわけではなかろうが、格闘家の乱馬には無縁の世界だった。
 ねちねち、ぺちぺち。手やコットンで香水がきつい化粧水やクリームを顔中に塗りたくられる。
(たく…。俺の顔は壁じゃねーっつーの!顔中、工事されてるみたいだぜ…。)
 そういう感想しか持てなかったのも仕方があるまい。鏡に映る己の顔。衣装居合わせて、可愛らしくメイクされ変化していく。
「ナチュラルな感じが良いわねえ…薄めにしとくわね。」
 とか言われるものの、乱馬にしては、十分「濃い目」のメイクだ。これのどこが薄い化粧なんだと言いたくなるほど、いろんな物を顔に刷り込まれたような気がする。

「これで良いわね。可愛らしいお嬢様に仕上がりましたよ。」

 メイクの椅子から立ち上がると、長丁場にどっと疲れが出た。このまま背伸びして、衣装など脱ぎ捨ててしまいたい程に、窮屈な気がした。

「後はハンドバックや靴といった小物ね。」
 そう言うと、今度は衣装に合った小物を、メイクの人が出してきてくれた。
 勿論、靴はハイヒール。ピカピカの靴。
 ネックレスやイヤリングもつけてくれた。
「何か、別世界の生き物になった気分だぜ…。」
 やっと仕上がったとき、こそっとあかねに耳打ちしたくらいだ。
「そう?あたしは別に、楽しかったけど…。」
 あかねは上機嫌でにこにこしている。
「そりゃそーだろ。女のおまえと男の俺じゃあ、感性が違うっつの…。」
 聞こえないくらいの小声で吐き出した。

 が、仕上がってみると、確かに、あかねの美しさに、暫し、見惚れてしまいかけだ。いつもとは違う、いつもよりもぐっと清楚で美しい少女が己の傍に立っていた。いや、本当にそう思った。
 己の今の姿が疎ましいくらいに、あかねは可愛らしく輝いて見えた。
(このまま、どっかへかっさらって行きたいくれえだ…。)
 化粧せずとも可愛いと思う許婚だったが、こうやって磨かれると、また、別の魅力を感じるのは何故だろう。心音がバクバクと波打ち始めるのを止める事はできない。
(くそー!男だったらなー!)
 と悔しくてたまらなかった。


 ☆ ☆ ☆

「ねー、どうしたの?さっきから黙りこくっちゃって。」
 窓際の席に二人、正面に向いて腰掛けながら、あかねはフォークを置いた。
「いいや、別に…。」
 少し不機嫌な声で乱馬は答えた。
 あれから、ドレスアップしてから、二人、この高層ビルの最上階のレストランでディナーを過ごしていた。
 こうやって、夜景と共に眺めるあかねは、真正面から凝視できぬほど、色っぽく美しい。普段とは違う衣装と化粧。勿論、間際に見て、時めいているものの、己の姿をガラス窓に映すと、そのまま、意気消沈してしまう。

(たく…。女の姿のままじゃあ、残酷だっつーの!)
 吐き出していた。

「でも、綺麗な夜景ねー。」
 あかねは下げられる食器を横に、窓ガラスの向こう側へと瞳を滑らせて溜息を吐いた。
 促されて眺める夜景。さすがに、大帝都東京。東京タワーやレインボーブリッジなど、馴染みの建造物が辺りと共に、一層、輝いて見える。
「いつか、もうちょっと大人になったら、イブはこうやって美味しい食事しながら夜景を眺めたいわねー。」
 とポツンと言った。
「俺はやだねー。」
 ぶすっとした口調で、乱馬は取り消しにかかった。
「何でよ?ロマンチックじゃないのー。女の子はこんなシチュエーションに皆あこがれるものなのよ!」
「たく、冗談じゃねーぞ。俺は御免こうむりたいね…。」
 その言葉にあかねの顔がみるみる曇る。意見の相違をここまでバチッと言い捨てられては、立つ瀬がない。
「たく、これじゃあ、蛇の生殺しだぜ…。」
 と乱馬は、長い溜息を吐き出した。
 運ばれてきた食後の珈琲の香りが、すぐ傍で立ち昇る。
「は?蛇の生殺し?」
 一体、何を言い出すのかと、あかねの瞳が手向けられる。
「良い女がすぐ傍に居るのに、手が出せねーなんて、まっぴらだっつーの!どーせなら、今度は男でこういう場に臨みたいもんだぜ。ったく!」
 ゆっくりとあかねの方へと向き直った。
「乱馬?」
「だからー、イブを棒に振ったのは悪いと思ってるけど…こういう仕返しはきついぜ、この小悪魔。」
 ちらっと一瞥しながらあかねを見やる。
「別に、あたしはそういうつもりで…。」
「おめーはそう思ってなくても、俺には拷問だっつーの!あー、今すぐにでも、こんな衣装脱ぎ捨てー!」
 正直な心からの声だった。
「クリスマスに女同士じゃ、ムードもへったくれもねーだろ?あー、もーやってらんねー!来年…はまだ学生だから無理だろうけど…。その、稼げるようになったら、俺の甲斐性で、男としておめーをここへ連れて来てやらあ!そんなにロマンティックナイトがお好みだったらよー。」
 そう言いながら、ぷいっと横を向いてしまった。己としてはかなり突っ込んだ言い方をしたからだ。
「ほんと?」
 あかねの瞳が一際輝いたように思える。
「約束してやらあ。実現はかなり先になるだろーけどな…。」
 はにかんだ様に言い返した。

「でも…んっとに、男に戻りてえーっ!」
「ちょっと、声、でかいったら!もーっ!」
 乱馬の雄叫びが辺りに響いて、周りに居た人たちが驚いて、二人に数奇な視線を送ったとか。


 散々なクリスマス。それはそれで、二人の思い出として、深く脳裏に刻まれたことに違いない。







 2007年12月25日 完


 クリスマスに掲載が間に合いませんでした。年賀状のせいで(爆
 改作して来年、使おうかとも思ったんですが…とりあえず、こっそりと突っ込むことに…。

(c)Copyright 2000-2007 Ichinose Keiko All rights reserved.
全ての画像、文献の無断転出転載は禁止いたします。