ACT.4 ヤキモチとクリスマスプレゼント


 ニ人組よりも、乱馬の危惧は、別の男に向けられ始めた。
 二人組と同じときに配属されてきた眼鏡の大学生だ。
 乱馬と同じ仕事を命じられたものの、非力で、なよっとしていて、おまけに相当のドジというやさ男だったが、何故か憎めない裏表のない平凡な大学生、村上であった。男版あかねといったところだろうか?
 乱馬はさばけた性格をしていたので、村上が何を失敗しても、軽く受け流せた。しかしながら彼は端で見ていてひやひやするほど頼りない。
 でも、いつも一所懸命に、眼鏡をいがませながら頑張る姿は、おばさんたちにも好評で、どんなにドジでも誰も彼のことを悪くは言わない。不思議な魅力の持ち主だった。
「まるで、男のあかねだな・・ありゃ。」
 大介もひろしも苦笑しながら村上を見ていた。

 ある晩のこと。
 いつもの夜道ヘ飛び出した乱馬は、あかねが村上と歩いてくるのを目撃してしまった。
 ・・・今日は一人じゃあねえのか?・・・
 怪訝そうに目を見張ると、さっと暗闇の中に隠れた。
 楽しそうに会話を弾ませながら向こう側から歩いてくるあかね。
 彼の心の衝撃はかなりのものといって良いだろう。
 天道家の曲がり角に来たときに、
「ありがとうございました。村上さん。ごめんなさいね。あたしってホントにドジだから。」
「いや、僕の方こそ、悪かったです。怪我がなくて良かったですよ。じゃ、また明日。」
 村上は頭を後ろに掻きながらあかねに向かってそう言うと、元来た道を辿り始めた。どうやら、あかねを送ってきたらしい。
 欲望を剥き出しにしている二人組と違って、村上のようなタイプには、警戒心の欠片などあかねは持ち合わせていないに違いない。
 ことがあかねのこととなると、冷静な判断が出来なくなる乱馬は、心が凍り付いてゆくのを感じた。
 
 次の日も彼はあかねの隣に村上の影を見て驚いた。
 次の日も、また次の日も・・・。
 あの日から毎晩のように、村上があかねを送って来る。楽しそうに会話を弾ませながら。あかねが他の男に向かって笑顔を振り撒いている様子を見ながら、乱馬は日毎に猜疑心が膨らんでゆくのを感じた。
 ・・・何故あいつがあかねと一緒に帰って来るんだ?
 彼を苦しめる命題。
 ・・・迎えに出るのはもう辞めよう・・・
 そう決心するのだが、ついつい、あかねのことが心配で夜道を辿る。まるで、密会現場を覗き見るようで、嫌な気分を味わいながらも、目を離せない自分。

 ・・・俺って何やってんだ?そんなにあかねが信用できないのか?・・・

 繰り返される自問自答。

 自然、あかねに対し、以前にも増してツンケンドンになる。彼の不機嫌さは極限に達しつつあった。
 こんな具合だから、当然、あかねに対しても、優しくなれる筈がない。
 あかねと隣り合う食事時も、苦虫を潰したように、黙ったまま、箸を動かす。
 天道家の人々は、乱馬のそんな態度が腑に落ちなかったが、いつもの喧嘩だろうとたかを括っていた。
 あかね自身、乱馬の態度の硬化に、当惑していたくらいだ。
 ナイーブな彼のこと。仕事場でツンケンされるのはそれはそれで気にならなかったが、家での態度が変過ぎる。
 あかねは食後、すぐに道場へ消えてしまう乱馬を見送りながら、複雑な心境にかられる。ここ数日間というもの、彼とはまともに口を訊いていない。それどころか喧嘩も満足にしていない。
 ・・・何よ。一人で逆立っちゃってさ・・・乱馬のばか。
 ガシャンっ!と大きな音がした。
「あかねちゃん?」
 あかねは無意識のうちに持っていた茶碗を思いっきりテーブルに打ちつけていた。
「ごめんなさい。」
 あかねは俯いて真っ赤になっていた。
「あかね・・・考え事も良いが、ご飯を食べている時くらいは辞めなさい。みんな迷惑するわよ。」
 かすみがにこにこしながら忠告した。
 はいと答えて、あかねは箸を置いて立ちあがった。
「あら?今晩のテレビ特選番組、見るんじゃあなかったの?」
 なびきが声をかけた。
「ううん。いいわ、ちょっとやりたいことが溜まってて。」
 あかねはそう言うとさっさと茶の間を後にした。
「道場へ行くそぶりもないわね・・・。やっぱり二人ともちょっと変ね。」
 かすみは首を傾げた。
「ほっときなさい。関ったって、結局は元の鞘に収まるんだから。それより、テレビ、テレビっと。」
 そう言ってなびきはテレビのスイッチを押した。

 

 あかねは別に浮ついた気持ちで村上と付合っているのではなかった。
 そう、たまたま時間がかち合うのだ。申し合わせていた訳ではなかったが、老婦人の店を出て商店街を抜けると、決まって村上が待っている。
 最初は偶然、商店街の出口であかねとぶつかったのだ。
 あかねが持っていた紙袋からクリーム色の毛糸が転がった。咄嗟のこととはいえ、ちょっとおでこを彼の胸にぶつけてしまった。村上はこれ以上屈めないのではと思うほど平謝りにあかねに謝り続け、天道家までの道程を送ってきたのだった。同じスーパーでアルバイトをしていることを知るところとなった彼は、いつも一人で歩いてくるあかねを偶然を装って待っていたのである。
 純情な彼は、決して下心を剥き出しにはしなかった。しかし、あかねの純朴な人柄に次第に心が惹かれてゆくのは男として当然のことかもしれなかった。今日は言おうか明日は言おうか・・・。そんな淡い恋心を秘めていつもあかねを待つ。
 あかねはそんな想いを彼が秘めているとは微塵にも感じていない。
 いつも待っている彼に、
「今日も会いましたね・・・。」
 などと気楽に声をかける。心にも留めていなかったからこそ、そんな言葉を掛けられるのである。
「いつも、この時間になるんだね。あかねさん。帰りに何処かへ寄ってるの?」
 村上は訊いてみた。
「ええ。ちょっと約束があって。」
 あかねは小声で答えた。
「約束?」
「ええ。」
 あかねは微笑みながら答えた。その仕草の一つ一つが可愛らしくて、村上はそれだけでぼーっとしてしまうのだ。あかねはその気が全くないのだから、普通に会話を楽しんでいるだけだった。
 あかねはいつも紙袋を抱えていた。
「それは?」
 村上はいつも大事そうにしている紙袋が気になっていたので、決心して尋ねて見た。
「靴下・・・なんです、あみかけの。」
 嬉しそうにあかねは答えた。
「あかねさん、編物をするの?」
「あ、でも、私って物凄い不器用女だから・・・殆ど原形が残らないんですけど、今年こそってちょっと力が入ってて・・・。毎晩、ある人に教えてもらいながら少しずつ頑張ってるんです。」
「へえ・・・。」
 村上は興味をそそられるらしく、訊いて見た。
「あかねちゃん用の?」
「え?ええ・・・まあ。」
 はぐらかすようにあかねは答えた。あかねと乱馬が許婚だという事実は、ゆかとさゆり、大介とひろしの4人しか知らない。言ったところでどうなる関係でもないし、大騒ぎになるのが落ちだから敢えて明かしていないだけだった。
「僕も欲しいな・・・。」
 村上は顔中を真っ赤にしてあかねに向かってポソッと発言した。
「え?」
 あかねには聞こえなかったらしく、立ち止まって村上を見返した。
「だから・・・その・・・。」
 彼がもう一度言おうと思ったとき、傍でカタッと音がした。
 
 そこには乱馬が黙って立っていた。

「乱馬?何やってんの?あんた?」
 
 それには答えないで乱馬はそのまま通り過ぎようとした。
「ちょっと、乱馬っ!乱馬ったらっ!!」
  あかねの呼びとめる声に
「うるせえっ!ロードワークやってるだけだっ!早く帰れよ。おじさんが心配してるぞっ!」
 振り返りもせずに乱馬はそれだけを言い捨てて通り過ぎようとした。
「あいやーっ_!乱馬ではないか?嬉しいね。出前の帰りに会えるなんて。やっぱり乱馬と私、赤い糸で結ばれてるね。」
 シャンプーが自転車を漕ぎながらそう言って、乱馬の前に立ちはだかった。
 そして、自転車を地面に下ろすと、さっと乱馬に抱きついた。
「こらっ!シャンプーっ!離れろっ!」
 乱馬はジタバタしながら引き離しにかかったが、シャンプーはお構いなしに抱きついてくる。
「ねえ、乱馬・・・。もうじきクリスマスね。愛する私と二人っきりでクリスマスイブを過ごすね。ね、乱馬。」
 シャンプーは猫なで声で乱馬に擦り寄る。
「こらっ!シャンプーっ!乱ちゃんに何するねんっ!」
 後ろからコテが飛んで来て地面に突き刺さった。
「うっちゃん・・・。」
 久遠寺右京だった。
「クリスマスイブにはウチが乱ちゃんとデートするんやっ!」
「乱馬は私とデートするねっ!」
「いや、ウチとやっ!」
 いつもの押し問答が始まった。
 
「いいわね・・・もてもてで・・・。」
 あかねが乱馬を睨みつけて言い放つと、
「うるせえっ!おめえに関係ねえだろ・・・。寸胴女っ!」
 乱馬は村上を尻目にわざとあかねに悪態を投げつけた。
「そうね、あんたが誰とクリスマスを過ごそうと、あたしには関係ないわっ!勝手にやってなさい。行こうっ!村上さんっ!」
 あかねはそう声をかけるとさっさとその場を立ち去った。
「ちぇっ!かわいくねえ・・・。」
 乱馬はあかねの後姿に言葉を投げた。

 あかねは腸が煮え出しそうなほど頭に血が上っていた。
 村上は、思わぬお邪魔虫の出現にすっかり、告白の気持ちが萎え掛けていたが、今を逃すと後がないとそう思った。
 ・・・もう、乱馬のバカっ!誰とでもクリスマスを過ごしなさいっ!シャンプーでも右京でも・・・。
 あかねの歩みは明かにどすどすと地面を思い切り蹴っていた。
 その気迫に圧倒されながらも村上は必死できっかけを掴もうと間合いを計っていた。
 あかねは乱馬のことで頭が一杯になってゆく自分が情けなかった。これはヤキモチ以外の何物でもない。自分でもちゃんとわかっていたつもりだ。傍にいる村上のことなど、どうでも良かった。自分の考えの世界に没頭していて、はーっと思わず溜息を吐いた。
「どうしたの?何か悩み事でもあるの?」 
 溜息があまりにも切なく聞こえて、村上は思わず声をかけた。
「あ・・・ごめんなさい。あたしったら。」
 あかねは初めて、村上の存在を思い出していた。
 村上は優しく微笑み掛けるとあかねの手を取った。
「え?」
 突然のリアクションにあかねは驚きの声を上げた。
「むらかみ・・・さん?」
 村上は真っ赤に顔を火照らせながら、一気に言い放った。
「よ、よかったら僕と、クリスマスイブを過ごしてくれませんか?」

 冷たい風があかねの傍を吹き抜けて行った。

 思いもよらぬ展開に、あかねは言葉を失った。
「あ。あの・・あたし・・・。それは困ります。」
 そう言い出すのがやっとだった。当然だ。口でとやかく言っていても、あかねの目には乱馬以外の男が目に入るわけがない。
「あかねさん。僕はずっときみが好きで・・・。」
 村上が腕を引っ張ろうとするのをあかねは必死で避けた。
「ごめんなさい。あなたとお付き合いなんてできないわ。」
 あかねが振りほどこうとするのを村上は必死で留める。
「どうして?」
「どうしても・・・。ごめんなさいっ!」
 堂々と乱馬のことを言えば良かったのだが、動揺していたあかねは村上から逃げることを優先させてしまった。
 それが悪かった。
 駆け抜けざまに、向こうから走ってくる乗用車が見えなかったのだ。

 急ブレーキの音がした。

 あかねはそれでも直前に、自動車の影に気が付き、必死で交わそうと身体を動かした。
 直撃は避けられたものの、あかねは次ぎの瞬間、道路脇にうずくまっていた。
「あかねさんっ!」
 村上の悲鳴をどこか遠くで聞いたような気がした。
「乱馬・・・。」
 捻った足を抱えながら、あかねは思わず許婚の名前を呼んでいた。





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