ACT.3 疑惑


 その日を境に、あかねはみんなと離れて一人で帰宅するようになった。その理由付けも歯切れが悪く、
「ちょっと毎日寄らないといけないところができたから・・・。」
としか表現しなかった。あかねからすれば、自分が勝手に交わした老婦人との約束事に乱馬たちを巻き込むのが忍びないと判断したからのつれなさである。
 しかしながら、乱馬には他人行儀に見えた。
 ・・・今更俺に、隠し事もねえだろう・・・
 彼は彼で、慣れない思考を巡らせる。しかし、あかねが言いたがらない以上、根掘り葉掘り訊くのも気が引けて、結局、そのままになってしまう不甲斐なさ。
 
 頃合を同じくして、バイトの人脈にも異変が起こった。
 新しいアルバイターたちが入って来たのだ。
 これから暮れに向かって、販売は拡充してゆく。年末の量販店は目まぐるしいほど商品が動く。何処でも猫の手を借りたいほどの忙しさだ。出きれば雇う側としても、人件費を安く、そして質のいい労働力を補いたい。となれば、学生のアルバイトが一番手っ取り早い。
 新人たちの中に、いかにもと思われそうなルックスの良い大学生二人組が入って来たのも、丁度その頃だった。
 二人とも見た目には爽やかそうな好青年。美形で女の子が好みそうなセンスの良さと身のこなし。
 それまで乱馬を取巻いていた女の子たちは、こぞって彼らに色目を使い始めた。
 乱馬は女の子のことなど頭の片隅にも気にならない性分だった。いや、あかねという許婚が存在している彼に、他の女の子に目が移らなかったと言った方が妥当かもしれない。そんな調子だから、自ずと近寄ってくる女の子にも、ぶっきらぼうで、これといったリアクションを返さなかったから、女の子たちの方で見切りをつけていったのだろう。それすらも気にも留めない無関心ぶりだった。
 他人にどう評されようと俺は俺。天上天下唯我独尊。
 絶対な自信家ではあったが、こと恋愛に関しては疎いのである。
 
 そんなときに入って来た大学生アルバイターニ人組。
 女の子の扱いにはこ慣れているらしく、会話も上手い。おべっかも上手い。人気が集るのも無理がなかった。女子休憩室では、アルバイトの女の子たちがこぞって彼らのことを口にする。
 しかしながら、おばさんたちにはその二人組、好ましい青年には写らなかったらしい。
「あの手の男は相当遊んでるね。」
「何人もの女の子を毒牙にかけているかもね。」
 そう言った囁きが乱馬の前で堂々と巡らされる。相変わらず彼はおばさんのアイドルという地位は揺るがなかった。
「あたしは、よっぽど、早乙女クンの方が良いわね。」
「純情だし、飾らないし・・・。ホントに女っ気がないわね、あんたって。」
 正面切っておばさんたちに言いたい放題言われるが、乱馬はたいして気にも留めなかった。
 おばさんとは、人生経験が長い分、人を見る目は肥えていて手厳しいものだ。
 期せずしてその評価もだいたい正しいことが多い。
 彼女たちが評したとおリ、実はこの二人組、とんだナンパ野郎だったのである。
 それだけならまだしも、あかねに目を付けたのである。

 天道あかね。
 並以上のルックスに細いながらもしなった体つきも悪くはない。
 性格は勝気だが、優しさがある。純情で清楚で爽やかだ。
 男気もどうやらないらしい。
 一冬遊ぶのにはもってこいの逸材だ。

 彼らにはそんなふうに写ったらしい。
 
「あの天道あかねって子をクリスマスイブまでに口説き落したいな。」
「いや、口説くのは俺の方だぜ・・・。」
「あの様子じゃあ、男に免疫がなさそうだから、強持てだろうぜ。おまえじゃ役不足だ。」
「だから、口説き甲斐があるってもんさ。可愛いし、隣に侍らせたら絵になっていいだろうな。」
「身体だっていいって言いたいんだろ?抱いてみたいとかさ。」
「まあな・・・。それより、どうだ?賭けしないか?」
「賭け?」
「ああ、クリスマスまでに彼女を口説き落した方が、クリスマスのデート代を持つっていうのは。」
「ホテル代もか?面白そうじゃん。OK!!乗った。」

 全くトンでもない会話だった。
 こういったことを平気で更衣室で喋っているのである。
 
「おい。乱馬。あかねのことだぜ。あんなこと言わせておいていいのか?」
 彼らが立ち去った後で、ひろしが乱馬に詰め寄った。
「別に・・・。俺とあかねは・・・。」
「親が決めた許婚だから関係ないってか?いいのか、そんな悠長なこと言っててよ。」
 大介も割り込んできた。
 乱馬は黙ったまま横を向いていた。心の中では・・・あかねがあんな連中なんかに捕まるもんかっ!・・・そう叫んでいたのである。自分でも手に負えない跳ねっ返りをそうやすやすと手なずけられるものかと心に言い聞かせていた。
 乱馬はそのまま上着を取ると更衣室を後にしようとドアに手をかけた。
「おい・・・乱馬っ!」
 ひろしが引き止めた。そして
「一言だけ忠告しとくけどな・・・。あかねは強くて腕がたつかもしれないけど、女の子だってこと忘れるなよ。男なんて所詮、狼なんだ。中には手段を選ばすっていう悪どい連中だっているぜ。」
「そうだな。あかねを大切に思うんなら、真剣に守ってやらねえと、さっきの連中みたいな奴に純潔を持っていかれちまうぞ。」



「真剣にあかねを守らないと、純潔を持っていかれるぞっ!」

 ひろしの一言が、思いもよらず重圧になって乱馬の脳裏にこだまする。
 
(ちくしょー。なんで俺がこんなに気を揉まなきゃならねえんだよ・・・。)
 乱馬は毎日のように、帰宅が遅くなったあかねに悶々と気を揉んだ。
 いつも帰ってくるのは、門限ギリギリの七時頃。

 天道家の住人たちも、あかねの帰宅がいつも遅いのを、さすがに心配し始めた。
「乱馬くん!あかねは最近、君よりずっと帰宅が遅いようだが、残業でもしているのかね?」 
 早雲が見兼ねて乱馬に問い詰めた。
「知らねえよっ!んなもん。何か用があるから遅いんだろうよっ!」
 乱馬は不機嫌に答えた。
「何だ?その云いようは。仮にしも乱馬、貴様はあかねくんの許婚じゃろ?待っててやるとかしないのか?」
 玄馬が水を注した。
「うるせえよっ!知らねえったら知らねえんだからっ!」
 乱馬は父親たちの攻勢から逃れるようにして、茶の間を退散しにかかる。
「こらっ!乱馬っ!逃げる気かっ!!」
 玄馬が叫ぶと
「ロードワークへ行くんだよっ!逃げてるんじゃねえっ!修行だ、修行っ!!」
 
 乱馬が地団太を踏みながら、茶の間から立ち去ると
「たく・・・乱馬め。何を考えとるんだ・・・。今ごろロードワークだなんて。」
 玄馬がぶつぶつと言い捨てた。
「大丈夫よ・・・おじさま。」
 横からなびきが茶々を入れる。
「心配ないわよ。乱馬くん、このところ、毎日のように帰宅するとすぐにロードワークへ出掛けてるのよ。」
 かすみがにこにこしながら答えた。
「それがどうした?」
 玄馬がぽかんとしたようにきびすを返すと、
「親子揃って鈍いわねえ・・・。だから、あかねが帰宅したら、五分ともあかない間に帰ってくるのよ、乱馬くん。」
 なびきが雑誌をめくりながら答えた。
「乱馬、きっとあかねちゃんの帰りを心配して途中まで迎えに出ているんですわ。」
 のどかがお茶を入れながらにこやかに答えた。
「そういうこと。だから、ほっときゃいいのよ。ああいうややこしい性格だから、正面切って迎えに行けないだけよ。きっと彼、暗い夜道の影からそっと帰ってくるあかねを息を潜めて見守ってるのよ。」
 
 なびきの指摘は正しかった。
 事実乱馬はそれなりにあかねが気になってしょうがないのだ。
 彼の危惧は、何よりあかねが帰宅を何故ずらし始めたのか、理由を話して貰えないところにあった。
 くらい夜道の端っこで気配を消しながらずっとあかねの帰宅を待って、彼女が歩いてくると、そっと後をつけながら影から見守るのである。
 ・・・一体全体、毎日、毎日、何やってんだよ・・・
 あかねの後姿に語り掛けながら息を殺す。夜道で悪漢に襲われないように。
 いや、男の影がないのを、毎日のように確認してほっと胸を撫で下ろす。そんな自分が情けないと思いながら。
 
「真剣にあかねを守らないと、純潔を持っていかれるぞっ!」

 ひろしの忠告が氷の刃となって心を傷めつけてくる。
 ・・・あかねを守りたい。いや、絶対、他の誰にも渡したくない。
 乱馬はそう心で叫んでいつもあかねを見守っていた。
 
 乱馬が危惧するまでもなく、ああいう軽い手合いの男どもに対してロクな感情を抱いていないあかねは、大学生たちが近寄って来ても、ろくずっぽ相手にすることなく、したり顔で過ごした。

「ねえ・・・そんなに連れなくしないでよ。」
「俺たちは本気なんだから・・・。」
 何かあるごとにあかねにシツコク絡んでくるようになってきた二人組。プライドを賭けても口説き落とすというとんでもない使命感に燃えているようだった。
「だから、あたしはあなたたちとは付き合う気持ちなんて全然ありませんっ!」
 その日の夕刻、まとわりつくようにあかねを待ち伏せていた二人組は夜道を帰るあかねを両方から攻め立てる。
夜道は暗い。
「ねえ、例えばここに誰も来なかったら、あかねちゃん、君どうする?」
周りに誰も居ないことを確かめると、男の一人が近寄ってきた。
あかねは後ずさりしながら
「じょ。冗談でしょ?」
 と固唾を飲んだ。
「冗談じゃあなかったら?」
 もう一人が抱え込むようにあかねの傍に周り込む。こうなったら力ずくでも・・・二人組は頷きあった。
 あかねはやれやれというように身構えた。ちゃんと間合いを取ることができれば、こんな男の一人や二人、軽くのせる自信があった。
 しかし、相手に怪我をさせるのも、バイトを首にされそうで嫌だなったおもったあかねは、一つ息を飲み込むと、ハッと止めた。そして、拳を握ると傍らに置いてあったブロックをこれ見よがしに一撃で砕いて見せた。
 バラバラとブロックが飛び散った。
 あかねの力の凄まじさに驚いた二人組は、それ以後ぱったりとあかねには近寄らなくなった。

 しかし、伏兵は彼らだけではなかった。思わぬところから落とし穴が開く。




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