ACT2.片耳のイヤリング


 不器用なあかねも次第に環境に慣れ、一週間も過ぎる頃には、紛いなりにも「猫の手」くらいの人材にはなっていた。相変わらず不器用さからくる失敗で周りの失笑を買うこともあったが、それなりに言われた働きはこなせるようになっていた。その分、笑顔を出せる余裕がでてきたのである。
 彼女の笑顔は秀逸で、同年代の男の子たちの目を引く。アルバイトや独身男性たちの注目株になっていった。
 がさつさや不器用さが、かえってチャームポイントに見えてくるほど清廉なあかね。決して作られた笑顔ではなく、自然体の輝き。
 日が経つにつれて、彼女を見るアルバイトたちの目が色めきだってゆくのだ。

 あかね本人はともかく、傍に侍る乱馬は正直、気を揉んでいた。
 大介やひろしたちと休憩を取っているときも、入れ替わり立ち代わり、アルバイトの同年代や大学生たちが、好奇の目を曝しながら、平気であかねのことを訊いてくる。
「ねえ、君たちさあ、あのショートヘヤーの彼女と親しいみたいだけど、同じ高校?友達?」
というふうに、下心を込めて探りにくるのである。
「けっ!あんな寸胴女の何処が良いって言うんだよ・・・。」
 乱馬はその度に、投遣りな言葉を吐き出す。
「なんだ?ヤキモチか?まあ、仕方ねえな。」
「あかねは可愛いからな・・・、実際。」
 大介もひろしも笑いながら答える。
「何処が可愛いもんか・・・。粗暴だし、不器用だし。」
 乱馬は面白くなさそうに言葉を継ぐ。
「なあ、乱馬。強がるのもいいけど、ちゃんと唾つけとかねえと、いずれあかねを誰かにさらっていかれるぜっ!」
「ああ、隙があればって思ってる連中はザラにいるからなあ・・・。俺だって、もっと強かったらあかねさんを自分のものにしたいって思うことあるんだから・・・。」
 ひろしが笑いながら言った。
「うんだ、うんだ。俺だって同感だ・・・。」
 大介も首を縦に振る。
 乱馬はソッポを向いたままそれには答えないで腕を組んでいた。
「親が決めたって言ったっておまえには大切な「許婚」なんだろ?少しくらい優しくしてやったらどうだ?クリスマスだって近いんだから。」
 大介の発言に
「クリスマスなんて関係ねえよっ!キリスト教徒じゃねえしなっ!それに俺はまだ修行中の身の上だっ!」
 そう言い飛ばすと乱馬は仕事場に戻ってゆく。
「やれやれ、あの調子じゃあ、キス一つまともに交わしてねえだろうな・・・。」
「そうだな・・・。素直じゃないのはあかねも相当だからなあ・・・。人事だけどな・・・。」
 大介もひろしも顔を見合わせて、溜息を吐いた。

 あかね同様、乱馬も注目を引く存在になっていることが、事態をややこしくしている節がある。
 乱馬自身、気にも留めていないことだったが、彼もまた、職場の人気を一身に集める存在であった。
 見惚れるような身体と、自信に満ち溢れた立居振舞い。目立たない筈がない。
 彼の場合、ファンの年齢層があかねよりずっと広かった。同年代だけではなく、ぐっと上の年齢層、そう、おばさんたちの人気も高かったのである。
 休憩時間に食堂などでぼっと佇んでいると、誰彼となくおばさんたちが入れ替わり立ち代わり近寄って来ては声をかけてゆく。元々、愛想も悪いほうではない。彼はおばさんに対する免疫が無い分警戒心もない。気軽に会話に応じるものだから、何時の間にかファンが増えていったのである。言わば「おばさんのアイドル」になっていたのだ。
 ともすれば、息子や娘と同年代の男の子、乱馬。おばさんたちにはそれなりに可愛らしく映っているのであろう。
「彼女の一人や二人いるの?」
「高校では何やってるの?」
 などと言った他愛もない会話を交わしてゆくのだ。
 おまけに、おばさんたちはやたら愛想が良く、やれどこの御土産だとか、売り場の試供品だとか言って、乱馬にお裾分けなどもくれたりするのである。
 勿論、おばさん連中だけではなく、同年代の女の子からも魅力がある存在には違いなかった。
 
「乱馬くん、人気あるわね。」
 さゆりがあかねに話し掛けた。
「この前も、子供服の売り場にいる、なんて言ったけ・・・高一の女の子が彼に声を掛けてたわよ。」
 ゆかが怪訝に話し掛ける。
「関係ないわよ、私には。」
 あかねはムッとして言い返した。少しばかり勘に触ったようだった。
「いいのかな・・・。そんなこと言っちゃって。ホントは気が気じゃないんでしょ?」
「別に・・・。いつも、シャンプーや右京が乱馬に言い寄ってるし、それと変わんないわ。」
「愛されてる余裕・・・なわけ?」
 さゆりが問うと、
「だから、乱馬とあたしは・・・。」
「親が勝手に決めた許婚・・・。って言いたいんでしょ?」
 ゆかが隣から反復した。あかねは黙って下を向く。
「ホントに、まどろっこしいんだから・・・あんたたちって。」
「ぼちぼち、少しくらい進展したっていいんじゃないの?その分だとファーストキッスだってまだなんでしょ?奥手なんだから。」
 ゆかもさゆりも諭すように言う。 
「だから、乱馬とあたしはそんな関係じゃないのっ!そんな関係になり得ないのっ!もう時間だから先に行くわよっ。」
 あかねは溜まらずにそう言い吐くとさっさと売り場へ戻って行った。
 

 そんな調子だから、乱馬もあかねも、店舗の中では、滅多に言葉を交わすことはない。そればかりか、帰り時間になっても、あかねには男のアルバイト連中が、乱馬にはおばさんたちが、それぞれ侍っていて、一緒に帰ることもままならなくなってきた。
 同じ屋根の下に住んでいても、家では家族の手前元々親しげに話すことも珍しいので、共有できる時間は、高校にいるときよりもグンと減った。
 乱馬は乱馬で不機嫌で、あかねはあかねでツンケンしているような状態だったのだ。
 大見得張って喧嘩を派手にやらかしているのではなく、何となく吹き込む木枯らし。正面切って口喧嘩をしている方が、或いはまだ、性質が良かったかもしれない。
 吹き始めている微妙な隙間風。
 
「ねえ、あんたたち、最近ちょっと様子が変よ。」
 こういうことには目敏いなびきが、あかねと廊下ですれ違い様に話しかけて来た。
「変って何よ・・・。」
 あかねが問い返すと、
「だって、あんまり派手に喧嘩やらかさないし、会話だって弾んでないじゃない。バイト先で何かあったの?」
 と訊き返された。
「何もないわよ・・・。いつもどおりよ。」
 あかねはムスっとした表情で答えると、さっさと二階へ上がっていた。 
「ならいいんだけど・・・。ま、いいかっ!気にしたところで、一文の得にもなんないから。」
 損得勘定で何事も片付けてしまうなびきは、淡々としたものだ。首を突っ込んでみたところで、当人同志の問題だと踏んだのだ。
 かすみも同じようにあかねと乱馬の隙間に気がついていたが、こんなときはお節介を焼いても仕方がないと経験上わかったいたので、そのままに捨て置いた。 のどかに至っては心配するかすみを傍目に
「大丈夫よ。たまにはこんな静かなトラブルも二人の絆を固くするには必要なことだわ。つべこべ言ってても、乱馬はあかねちゃんにゾッコンよ。」
そう言って笑い飛ばした。
 早雲と玄馬は、そういう微妙な空気には無頓着で、大っぴらな喧嘩がない分、二人の間の微妙な変化には気がつかないほど脳天気だったかもしれないが。



 そんなある日のことだった。
 いつものように、昼休みになって、客に紛れて食品売り場をウロウロしていたあかねとゆか。こうやって、休憩時に昼食を調達してくることがあった。制服を支給されている正規の社員やパートとは違って、私服の短期アルバイト。その辺りは気楽だった。
 今日はお昼を何にしようかと、ゆかと共に歩いていると、あかねの目前でいきなり老婦人が倒れ込んできた。
「あっ!」
 あかねは咄嗟に老婦人の身体を懸命に支えた。運動神経が並以上に発達している彼女は造作なく老婦人を受けとめることができた。
「あ、ありがとうございます。」
 老婦人はあかねの腕に寄りかかって身を起こしながら丁寧に礼を述べた。
「どうなさったんです?」
 心配そうにあかねが覗き込むと
「いえ、持病の心臓がちょっと痛くなったものですから。」 
「まあ、大丈夫ですか?お顔の色が良くないようですけど・・・。医務室へお連れしましょうか?」
 あかねは心配げに老婦人に問い掛けた。
「大丈夫です。ご親切にありがとうございます。いつものことですから少しばかりベンチで休んで行けばすぐに歩けますから。」
 老婦人を支えながら暫らく考えていたあかねは、
「おばあさん、お家はご近所ですか?」
 と改めて問いかけた。
「ええ。すぐ近くの商店街の奥に住んでいますけど。」
 老婦人は息を吐きながら答えた。
「じゃあ、私お送りします。商店街なら、ものの15分もあれば往復出きるし。」
 お人よしの彼女は困っている人をほっておけない性質なのである。
「あかね、でも、休憩時間が。」
 ゆかが横から声をかけたが、一度言い出したからには後へ引かないあかねの性格。
「いいわよ、すぐに戻ってくれば食べるくらいの時間はあるから。私ちょっと行ってくるからよろしくね。」
 そう言って、老婦人を肩に抱えると、
「さあ、行きましょう。おばあさん。お荷物は私がお持ちしますから。」
 老婦人は恐縮していたが、あかねが熱心に言ってきたので、
「ありがとう、娘さん。お言葉に甘えさせていただきますよ。」
 そう小さく呟いて、あかねに身を任せた。
 後ろから乱馬たちが来た。大介はすれ違うあかねに 
「どっか行くの?」
 と問い掛けたが
「うん。ちょっとおばあさん送ってくるわ。先に皆で食べててね。」
 そう言うとあかねは出口へ向かって歩き始めた。
「お人よしね・・・あかねったら。まあ、そこが良いところなんだけど。」
 ゆかが苦笑しながらそう言い残した。
 大介たちの後ろから、乱馬は黙ってあかねを見送った。

 外は思ったより、風が冷たかった。まだ日が高いというのに、太陽の光は心細く、冬の到来を嫌が応でも感じずにはいられない。
 この前まで美しく色付いていた大通りの並木も、今はすっかり葉を落としてしまい、小枝の骨子だけを天に向かって曝していた。
 あかねは冷たい風に身を竦めながら、老婦人に付き添って、大通りの横断歩道を渡って行った。行き交う人々も、歳末が近いとあって、どことなく忙しげに通り過ぎて行く。
「ほんとにお世話をかけますねえ。」
 老婦人は恐縮したようにあかねに言葉を掛けてきた。
「いえ、いいんです。昼休みだし。私、このくらいのことしか役にたたないから。」
 失敗続きの自分を省みながらあかねは答えた。
「持病を持っていらっしゃるなんて、大変ですね。」
「いいえ、もう、それは慣れっこになっていますから・・・。急に寒くなったんで、身体がついていかなくなっただけでしょう。もう、歳ですからねえ。」
 スーパーの大きな建物の脇には、大通りを挟んで、古くからこの辺りにある商店街のアーケードが立ち並んでいる。殆ど日の差さないアーケードは、表通りの店舗の賑わいとは違ってどこか寂しげに見えた。でも、歳末の売り出しで、そこそこの人通りはある。クリスマスのイルミネーションが霞んで見えた。
 老婦人は、奥まったところにある貴金属店を経営しているらしく、降ろされたシャッターを開けて中へと入っていった。

「ここ、おばあさんの家ですか?」
 あかねは後ろに続きながら中へと入って行った。」
「ええ。もうかれこれ五十年以上ここに店を構えてるんですよ。つい、この前まで、一緒にいた亭主に先立たれて、今は一人で切り盛りしているんです。」
 老婦人は答えた。
 あかねは店内を物珍しそうに眺めながら老婦人の話に聞き入った。
 何でも、ずっとこの地で商売を続けてきたが、夏に病気でつれあいを無くしてからというもの、地方でやはり商売を営む息子が隠居を勧めて誘ってくれているのだという。散々悩んだ揚句、店を閉めて、近々そっちへ移ることになったというのだ。
「もう、一人でやってゆくにも、疲れてしまったし、孫たちに囲まれる生活もいいかなと思いましてね・・・。クリスマスイブの日に閉めることにしたんですよ。」
 老婦人は寂しそうに笑った。
 あかねは話を聞きながら、ふと、傍らのガラスケースに目が移った。
 そこには、淡いブルーに輝くクリスタルのイヤリングが光っていた。それも、双ではなく、片方だけの代物だった。
 あかねが目を留めたのを見て、老婦人が解説し始めた。
「それはね、『エンジェルドロップ』って呼ばれる片耳の耳飾なのよ。珍しいでしょ?もう、何十年も前からこの店に飾ってあるものでね。若い頃に、亡くなった私の夫が古い馴染みがお金に困ったときに借金の肩入れをしてあげたときに、お礼に頂いたものらしいの。おじいさんは大切にしていたみたい。おじいさんが良く言ってたのよ。これは、店の守り神さまみたいな品物だって。これがこの店に来てすぐに私と出会って恋をして。幸せになれたってね。だから売り物じゃないの。ほら、値札が付いていないでしょ?」
 そう言って思い出話をしてくれた。
 老婦人の淡い恋と旦那さまの優しさと。
 『エンジェルドロップ』はずっと二人を見続けてきたのだろう。
「あかねさん、って言いましたっけ?これをお礼に差し上げましょう・・・。あなたみたいな人にこれを持っていて欲しいから。」
 最後に、老婦人はそう言った。
「いいえ・・そんな。私は何も役に立ってませんよ。そんな大切なものを戴くなんて・・・できません。」
 あかねは断わったが、それでは私の気が済まないからと老婦人は頑なに言い続けた。あかねが余りに無欲なので、返って微笑ましく思えたのだろう。老婦人はこう切り出した。
「なら、この店をたたむクリスマスイブの日に、これを買い上げて行って下さいな。あなたのアルバイト代で。それならいいでしょう?そんなに高価なものではないから、そうね、五千円もあれば、充分ですよ。その代わり、大事にして下さいな。きっと、「エンジェルドロップ」はあなたに幸福をもたらしてくれるでしょう、ね?」
 あかねは、五千円でも値段が安過ぎると思ったが、散々考えて、老婦人の好意に甘えることにした。
 それでも、何だか後ろめたいような気がしたあかねは、心臓が悪いおばあさんの為に、店を閉めてしまう二十四日まで、夕方、代わりに買物をして、届けてあげることで折り合いを付けた。「類稀なお人好し」。それが彼女の良いところだったかもしれない。聞くところによると、老婦人の孫が、二十五日には迎えにこの町までやってくるという。それまでの間の不自由に少しでも応えようと思ったのだった。
「何から何までお世話をかけてしまって悪いんですけど、私もあなたのような優しい娘さんと夕方少しでも会話できて、少しは励みになるっていうところですね。」
 老婦人は人恋しかったのだろう。あかねの申し出を、とても嬉しそうに受け入れたのだった。
「早速、今日から来ますね。おばあさん。」
 あかねは長居をしてしまった店を後にして、大急ぎで戻って行った。

 思わず話し込んでしまった分、小一時間あった休憩時間も、もう十分も残っていない。
 バックヤードに戻ってから、今日の昼食は諦めようと思った。これから買いに走っても間に合わないだろう。仕方なく、缶の飲み物だけで済ませようと、いつもタムロしている自販機の前に差しかかった時、後ろから徐に紙袋が差し出された。
 驚いて振り返ると、乱馬が無表情で立っていた。
「これでも、食っとけ。ものの五分もあったら、胃袋に詰め込めるだろ?何も食わねえよりはマシだろうさ。昼飯抜いちまうと、後で辛いぜ。只でさえおまえはとろいんだからな・・・。」
 それだけ捲くし立てると、さっさとその場から立ち去る乱馬。
 あかねが袋を握り締めて突っ立っていると、
「いいな・・・。やっぱり、乱馬くんって優しいね。あかねのこと心配でしょうがないんだね・・・。」
 ゆかがひょっこり顔を出した。
 あかねが呆然と立っていると
「ほらほら、早く食べないと、休憩時間が終わっちゃうわよ。ね?」
 ゆかが急き立てるようにあかねに言った。
「乱馬ったら・・・。」
 あかねはほっと一つ息を付くと、紙袋から肉まんを取り出して、急いでお腹に掻き込んだ。
 肉まんと一緒に乱馬の温かさが、そのまま、身体中に染み渡るような気がした。
 



創作ノート
おばさんを敵に回すなかれ・・・
こういう、大型店舗でアルバイトするときの鉄則。
私も店舗ではないが、流通関係のパートやっている。やっぱり、若い男の子はかわいい・・・それだけ私もおばさんになったってことか?
それはさておき、某流通へ勤めていた私の経験の切り売り的なプロット。
流通のバックヤードはだいたいこんなもの・・・?
物書きは己の私生活や経験を切り売りする商売だなんて誰かが言ってたが、そのとおりかも・・・。




(c)2003 Ichinose Keiko