ANGEL DROP

ACT1.アルバイト


 期末考査が最終日を迎えたその日。
 乱馬とあかねはそれぞれの級友たちに囲まれて、アルバイトの勧誘を受けていた。冬休みの間、近くにオープンした大型スーパーマーケットでアルバイトしようというのだ。
「ねえ、いいじゃん。あかねも一緒にバイトしようよ・・・。冬休みだからって特別予定もないんでしょ?」
「そうだよ。皆で揃って働くのも良いぜ。」
 ゆかにさゆり、大介、ひろし。いつもの仲良しグループだった。
「でも、お父さんやお姉ちゃんが許してくれるかしら・・・。」
 あかねは乱馬をチラッと見やりながら答える。未だかつて、アルバイトなどということを申し出たことはない。かすみはモチロンのこと、あの、守銭奴の姉、なびきですら、一般的なアルバイトに出たことはないのだ。なびきの場合は、乱馬に集ったような形式のグッズ販売やちょいとした出来心のような金儲けはするのだが、ちゃんと勤める形でのアルバイトはしていない。多分、自分から仕える形のアルバイトはなびきには不向きなのが彼女自身わかっているのだろう。
 それはともかく、父親や姉たちがどういった反応を示すのか、あかねには全く未知数だった。
 乱馬は乱馬で、最初から無関係を装い、大介たちの話も生半可にしか聞き流していない様子だった。
「あかねがやるとなったら乱馬も来るだろ?どうせ、冬休み取りたててすることもないだろうし・・・。」
「そうだよな・・・。あかねの許婚としちゃあ、ほっとけないのが人情だもんな。それとも何か?天道家でぬくぬくと冬休みをだらけて過ごすつもりか?乱馬くん。」
 大介もひろしもニヤニヤしながら問い掛けてくる。
「誰がぬくぬくとなんか過ごすかよ・・・。」
 乱馬は無愛想に顔を叛ける。
「ねえ、あかね・・・。やろうよ・・・。」
 ゆかもさゆりも熱心に声をかけて来る。
 あまりの熱心さに、あかねの心も揺らいでいた。経済的に云々というよりは、ここら辺りで社会の風に当たってみるのもいいかもしれない。学校と家の往復と、決して普通ではない家庭環境と。世間というものを覗いてみるもの悪くはないだろう。
「いいわ。お父さんたちに話してみるわ。」
 あかねは意を決したように言いきった。乱馬はその横で、無愛想な顔を向けながら黙り込む。

 ・・・まあ、仕方ネエか・・・

 言い出したら決して後を引かない許婚。彼女が応と言うなら、自分も乗らないわけにはいくまい。彼なりに判断を下していた。
「乱馬も来いよ。許婚ほったらかしておく訳にはいかねえだろ?」
 大介が曰くありげに乱馬の肩に手を当てた。
「そうだな・・・。これで、クリスマスプレゼントの出所は確保できるもんな・・・。な、乱馬。」
 ひろしが女の子たちには聞こえないような声で囁きかけた。
 
 ・・・クリスマスプレゼントか・・・

 今更ながらに、乱馬の脳裏にその言葉が反復された。
 全く考えていなかった訳ではあるまいが、家から貰う小遣いのみで賄うには寂しすぎる懐。なびきに頼るには後の代償が怖い。
 ・・・試験勉強では散々世話になったしな・・・ちゃんとあいつに返礼しておくのも悪くはないか・・・
 何かにかこつけなければ、クリスマスプレゼント一つ渡す理由付けができない不器用な乱馬。あかねを盗み見ながら、ふっとひとつの決意をしていたのだった。

 家に帰ると、早速あかねは茶の間で玄馬と将棋をさしていた父親に友人たちから勧められたアルバイトの件について相談を持ちかけた。
「ねえ、お父さん。いいでしょ?」
 あかねは筋道立てて自分の意見を述べた後、早雲に問いかける。
「まあ・・・。アルバイトだなんて・・・。わざわざそんなことをしなくても、あかねはお小遣いに困っているわけじゃあないんでしょ?」
 傍らで編み針を動かしながら長姉のかすみが口を挟んできた。家事手伝いに従事する天道家の賄い婦はアルバイトということ自体に否定的なようだった。
「お姉ちゃん、相変わらず考えが古いんだ・・・。別に変なことして儲けるわけじゃないからいいと思うけど・・・。当然、乱馬くんも一緒にするんでしょ?」
 なびきが助け舟を出してくれた。
「え・・・。あ、まあ俺も、ってことになるかな・・・。」
 乱馬は急に言葉を振られてちょっと戸惑いながら返事する。
「ちょっと、なんであんたまでバイトするのよ・・・。」
 あかねがきっと見返した。
「うるせえ・・・。俺だっていろいろあるんだよっ!あ、言っとくけどなあ、おめえとは「無関係」だからなっ!」
 乱馬がむっとした表情で答えた。
「そうね。乱馬も社会勉強しておくのは悪いことだとは思わないわね。あなた。」
 のどかが洗濯物を畳みながら口を開いた。
「そうさなあ・・・。乱馬も実社会の厳しさを、この辺りで学ぶのもまた然りかもしれんなあ・・・。」
 玄馬が腕組しながら同調した。
「けっ!実社会に学べだなんて、まともに働かなねえ親父にだけは、絶対に言われたくない言葉だよな・・・。」
 乱馬は吐き捨てる。
「よしっ!いいだろう。」
 早雲があかねを見ながら快諾した。
「ほんと?お父さんっ!」
 あかねの目が輝いた。
「武士に二言はない。その代わり、許婚の乱馬くんも一緒にだ。」
 早雲はあかねを見詰めながらそう言いきった。
「えーっ!?乱馬も一緒じゃないとダメなの?」
 あかねがつい口走ると
「おめえなあ・・・。俺だって別におめえと一緒にバイトしたい訳じゃないんだぜ・・・。」
 乱馬も憮然と答える。
 このカップルの素直ではないところは、こうした会話の節々に、お互いの気持ちを隠すような言葉の応酬を繰り広げてしまうところにあるのだ。
「ああ。年末だし、物騒だからな。乱馬くんと一緒なら安心しておまえを働かせられる。いいね、あかね、乱馬くん。」
 早雲は腕を組みながら二人にきっぱりと言い含めた。
「まあ、良いわ。仕方ないわね。」
 あかねは不服そうに装ったが、本当は、乱馬と一緒で安堵したのである。
「いいよ。付合ってやるよ。」
 乱馬も心情はあかねとたいして変わりない。
 
 こうして、二人のアルバイト生活が始まった。
 波瀾に満ちた冬休みの幕開けであった。


 
「いってきまーすっ!」

 乱馬とあかねは朝の光の中、揃って玄関を駆け抜けた。
 今日からアルバイトが始まる。試験が終わってしまえば事実上、冬休み。後は成績表を貰い受けに二十日に学校へ立ち寄るだけだまだ受験からは日が遠い風林館高校の2年生たちはアルバイトに余念がない生活を送るのが普通だった。
 乱馬は珍しくチャイナ服を着ずに、のどかが用意したトレーナーとGパンなどを着用していた。それだけでも、なんだか別人と走っているような気がして、あかねは自然に笑みが零れてくるのを我慢した。
「何だよ・・・人の顔をじろじろ見やがって・・・。なんか付いてるか?」
 乱馬が横であかねを見返した。
「ううん・・・別に・・・。馬子にも衣装かなって思っただけよ・・・。」
 白い息を吐きながらあかねが答えた。
「聞き捨てならねえ言葉だな・・・。へっ!おめえみたいな寸胴に、言われたかねえよっ!」
 そう言って旋毛を曲げた乱馬はヒョイッと塀の上へ乗ってしまった。
 実際、いつも違う井出達に乱馬自身、戸惑っていたのだった。
 途中で、ひろし、大介、ゆか、さゆりと合流して、開店前のスーパーマーケットに入って行く。

 揃って面接を受けて即日採用となったあかねたち。
 今日から、たっぷり夕方の五時半まで、この箱ビルの中で働くのだ。
 
 男の子たちは、力仕事のバックヤード作業が中心になる。日用品や食料品の日々の品出し管理が中心になる。乱馬も例外に漏れず、大介やひろしたちと一緒に一階の商品の担当になった。商品が到着するトラックのプラットホームから箱の山々を伝票管理しながら荷降ろしして、次々と台車に乗せて売り場に搬入してゆくのだ。
 平均的な高校生以上、いや並外れた運動神経の持ち主の乱馬は、ここでも、その力が発揮された。彼の筋力、腕力は頭角をいち早く現わした。大介やひろしがすぐに音をあげてしまうような力仕事も難なくこなす。乱馬はすぐさまバックヤードで、重宝がられる存在になった。
 そればかりか、鍛えぬかれた強靭な肉体は、嫌でも人目を引く。均整の取れた体つきの彼は、何時の間にか、おばさんパートや社員のお姉さん、アルバイトの女子高生、大学生の注目株になった。
 一方、あかねたち女子は食料品やバラエティーグッズ、オモチャなどの歳末売り場に借り出されることと相成った。あかねはゆかと二人で、文具・玩具売り場に配属になった。さゆりは別のファンシー雑貨に配属されたが、売り場が近いから、疎外感はなかった。
 始めから、接客やレジを担当出来る訳ではなく、最初は売り場を覚える為にも、商品整理を指示された。売り場の棚は、思った以上に荒れるもので、一つ一つを丁寧に手早く整理して行くのが始めの仕事だった。
 あかねといえば、人並み以上の不器用な女の子。
 本人は一所懸命に取り組んではいたものの、がさつさは相変わらず表面に出てくる。商品を出すときに台車をひっくり返したり、違うところに陳列したリと、失敗、失敗の連続技であった。同じ所に配属されたゆかにフォローしてもらいながら、慣れぬ手つきでオロオロし通しだった。

 要領良くこなしながら、すぐさま戦力として大いなる期待を背負った乱馬と、要領を得ず悪戦苦闘するあかね。
 二人の活躍は、対照的と言っても良かっただろう。

 あかね自身、日毎に少しずつ慣れてはくるものの、己の出来の悪さに嫌気がさしてしまうこともしばしばだった。自然と彼女は溜息を吐くことが多くなった。
 あかねらしくない精悍さのない表情に傍らの乱馬は心配そうに目を向けていたが。

 一日経ち、二日経ち・・・。
 
 三日目の昼休憩の時のこと。
 バックヤード脇の自販機の横でひろし、大介、ゆか、さゆりと落ち合った。珍しく休憩の時間が一緒になったのである。この手のスーパーでは、一斉に休憩を取ることはまずない。休憩時間は個別になることが多いのだ。
 あかねは、自販機にもたれかかりながら、はーっと溜息を吐いた。
「どうしたの?」
 さゆりが問うと、
「ん。あたしって仕事しているって言うより、邪魔しちゃってるって感じなのよね。ゆかみたいに包装紙ひとつまともに扱えないし。商品持ってただオタオタしているっていう状態でしょ?これで良いのかなって、思っちゃって。」
 と力なく答えた。
「ちゃんと役に立ってると思うぜ。あかねはそれなりに頑張っている訳だし・・・。」
 大介が傍らで話し掛けてくる。
「そうよ。ちゃんとお給与分の働きはしてるわよ。商品整理しかやってなくっても、それはそれで立派な役割なのよ。私の売り場の主任さんが言ってたけど、品出しが充分じゃないと、在庫管理が出来なくなって、発注一つままならないんですって。発注できないとなると、機会ロス(業界用語・・・在庫があればたくさん売れるであろう商品が欠品の為売れないで損を被ること)が増えるって。私達みたいなぱっと出のアルバイトには単純作業を期待されているわけだから、それでいいのよ。」
 缶コーヒーを取り出しながら、さゆりが説得力のある答えを返してくれた。あかねはそれをぼんやりと眺めながら、更にもう一つ溜息をつく。
「大丈夫よ。あかねはあかねでちゃんと、お年寄やちっちゃい子たちに親切に接客してるじゃない。さっきだって、迷子を上手くあやしてたし・・・。」
 ゆかが笑いながら話し掛けた。

「年寄りと子供相手すんのは、おめえの得意分野じゃねえかっ!」

 いつの間に来たのか、乱馬がぽそっと後ろから声をかけてきた。
「何ですって?」
 あかねは目を剥いて振り返り、乱馬の方を振り返った。
「ま、せいぜいしっかりやんなって。ジタバタしたって始まらねえし、出来ることからこなしていきゃあいいんだよっ!ほれ、差し入れっ!さっき商管(商品管理室の略語)のおばさんに貰ったんだ。」
 そう言いながら乱馬は温かい缶を一つあかねに投げると、
「んじゃあなっ!」
 そう言って、後ろ向きに手を振りながらさっさとその場を離れた。
「何よ偉そうに・・・。」
 その後姿を見送りながらあかねが言い捨てる。
「相変わらずね・・・乱馬くん。もう少し言い方があるでしょうに・・・。」
 さゆりが笑いながら言った。
「あんな風でも、いいじゃない。彼ってあかねのこと、心底気にかけてるみたいね。羨ましいな。」
「乱馬の奴、何だかんだ言いながら、ちゃんと見てるんだよなぁ、あかねのこと。」
 ゆかと大介が続けさまに言った。
「そんなこと・・・無いわよ。」
 あかねは赤面しながらムキになって言い返す。
「その缶がいい証拠だぜ。あーあ。ごちそうさまっ!」
 ひろしが飲み干した缶を投げると、さっさと仕事場に戻って行った。

 あかねの手には乱馬が投げた温かいコーヒー缶が握り締められていた。



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創作ノート
クリスマス小説
私は某流通企業に勤めていた経験がある。
その頃のことを少し思い出しながらこの作品を描いた。


(c)2003 Ichinose Keiko