◇クロス


第一話 冬山の悲劇


 師走の山は寒い。
 時々木漏れる淡い太陽光に、葉を落とさぬ木はざわざわと音をたてて木枯らしと戯れる。

「女連れで修行なんか出来るかっ!」
 一人の少年がそう言って啖呵を切った。
「そんなことを言ったって、あかねくんとて大事な無差別格闘流の跡取りの一人だ。共に鍛錬に励むのに何の支障があろうや?」
 息子を宥めるように玄馬が言う。
「何で女だとダメなのよっ!あんただって半分は女の子じゃないの。」
 全否定された傍らであかねは鼻息が荒い。
「うるせー。俺は男だ。」
「水に濡れたら変身するくせに、何よ、変態っ!」

「まあまあ・・・喧嘩しに山まで来たわけじゃないんだから。」
 あかねの父、早雲は割って入った。

「とにかくだ、俺は俺のやり方で今回の修行メニューはこなすからな。邪魔すんなよっ!」
「何が邪魔よっ!あたしだってあんたと組むのは御免だわっ!」
 万事この調子である。二人は互いにぷんとソッポを向くとてんでバラバラの方向で修行を始めた。

 ふうっと父親同士が溜息を吐いた。
「たく・・・バカ息子め。もう少し歩み寄るということを知らないのか。」
「素直さの片鱗もない娘だからなあ・・・。あかねは。」
「許婚と決めたのは、やっぱり無理があるのだろうか?天道君。」
「いや、二人とも不器用なだけだと思うがね、早乙女君。」

 乱馬とあかねが許婚として引き合わされて二年は悠に過ぎた。
 はじめから反目しあっていた二人は、いまだ互いの本当の気持ちを殆ど顕にしていない。この反目が互いの本当の気持ちの裏返しであることは、誰しもが知っているのだが、まるっきり進展がない。
 高校三年生、二人とも出会って二年半が過ぎ十八歳という年齢になったにも関わらず、である。
 早々と二人とも上の学校へは進学しないことに決めていた。それぞれ決意固く、無差別格闘流を継承するために修行することを進言してきた。当然父たちが期待しているのは、無差別格闘流が一本化されること。だが、当人たちはその事には何ら意思表示を示さない。
 好きだの愛しているだの、そんな戯言には縁はなく、相変らずの痴話喧嘩。 
 一体何時になったら、互いの本当の気持ちを確認しあってくれるのか。父親たちは途方に暮れていた。
 少しでもその意志を問いかけようと、嫌がる二人を無理矢理に山へと連れて入った。どうもそれが二人には気に入らないらしい。

「全く、頑固一徹ったらありゃしないんだからっ!」 
 あかねは力任せに倒木を殴り倒していた。
 負けん気だけは強いこの娘。
「そんなにあたしが修行に邪魔なわけっ?」
 目の前の倒木は、薪へとどんどん転身を遂げる。今夜の焚き木へと添加されるだろう。
 バキッ!と乾いた音がして、木が小さく素手で割られてゆく。機嫌が悪い割りには仕事は速かった。いや、機嫌が悪いからこそ、どんどんと薪割りが進むのかもしれなかった。
「えいっ!」
 一際大きい倒木へ手を入れたとき、傍で草むらが鳴った。
「誰?お父さん?」
 人の気配にあかねは思わす声を掛けた。
「すいません。木に足を取られて動けないんですぅ・・・。」
 心細い声が聞こえてきた。父親たちの声でなければ乱馬の声でもない。か細い少年の声だ。
「どうしたの?」
 元来のお人好しが顔をもたげたあかねは、声のする方へと足を踏み入れた。そこは繁みの中。草や木が鬱蒼と茂って、道などない。足場を確認しながらそっと降りていった。
 と、確かに、倒木に足を挟まれて動けないでいる少年がそこに居た。ハイキングの井手達ではなさそうだ。薄い絹がさらさらと蒼く光る、ちょっと綺麗な衣装を身に纏い、凡そ山へ入る格好ではない。舞台衣装のようなきらびやかさが印象的だった。
 何でこの少年がこんなところで足を取られてジタバタしているのか。不思議ではあったが、助けることのほうが先決だと思ったあかねは、木々を掻き分けて彼の近くまで来た。
「待ってて、今、木から足を抜いてあげるわ。」
 そう言うと、はあっと構えた。修行中の彼女は道着姿である。易々と力を拳へと伝えられた。
「やあ、はっ!」
 手刀で、彼の足元を直撃した。

 ガリッ!

 木片が砕け飛ぶ。
「助かりました。」
 足を抜いた少年はあかねにぺこんと頭を下げた。
「どうしてそんな格好になったの?」
 当然の疑問をあかねはぶつけた。
「あ・・・木漏れ日がとっても気持ちよかったから、つい、あの上で居眠りをしていて、転がり落ちたんです。」
「あの上で?」
 あかねは少年が指差すほうを不思議そうに見詰めた。そこには、大きな岩が崖はだから突き出している。あそこから落ちたらとても無事ではすまないような高さである。

 と、目の前でガサガサと草が撥ねる音がした。乱馬がにゅっと顔を出す。
「何だよ、あかね。こんなところで。あんまり奥深く入ってると迷うぜ。」
 どうやらあかねが見えなくなったのをそれとなく心配して探しにきたようだ。
「薪がなくって飯が炊けねえって親父たちがブツクサ言ってんだ。早く来い。だからおめえを修行に連れてくるのは嫌なんだよ。」
 ぶっきらぼうに言い放つ。
「何よ、偉そうに。あたしはただこの子を助けてあげてただけよ。」
 あかねは今しがた少年が立っていた方向を指差した。

「寝ぼけてんのか?だあれも居ないっつーの!」
 乱馬は小馬鹿にしたように吐き出した。
「え?そんな筈は・・・。」
 あかねが振り返ると、確かに誰も居ない。さっきまで喋っていた少年の影も形も気配も全て消えていた。
「たく・・・。まき割りに夢中になって妄想でもかましてたんだろ。幼稚な奴め。」
「失礼ねっ!さっきは確かに居たのよ。」
「まあいい。早く薪持って来いっ!晩飯が作れねえじゃねえか。」
「わかったわよ。」
 二人とも鼻息が荒い。
「言っとくがな、おめえは飯を作ろうなんて思うなよ。とても食えた代物作れはしねえんだから。」
「うるさいわねっ!」
 果てることのない喧嘩口調。
 そんな言い争いをしながらもと来た道を辿る二人を見詰める瞳があった。その瞳の持ち主たちは高い高い木の天辺近くの枝先にちょこんと座っていた。



「それでおまえを助けたのはあの少女かい?」
「ああ。そうだよ。何も言わずに引き上げてくれたんだ。」
「たく・・・。おまえもドジを踏んだものだね。何に気を取られていたっていうんだい?」
「ついね。助けてくれた少女の見事な薪割りに見惚れていたんだ。そしたら突風が吹いてきて。気がついたら真っ逆さま。」
「大天使ガブリエルともあろうものが・・・。」
「僕だってたまには失敗もするさ。ミカエル。」
「でも・・・。ご覧、あの二人。」
 ミカエルと呼ばれた青年は、遥か下を歩く乱馬とあかねを指差した。
「美しい絆の糸を持っているじゃないか。」
「ああ、だからそれも気になって。力任せに薪を割るあの少女の手に結えられた運命の絆がどんな男に結ばれているかというのもね。だから、上から見ていたわけさ。」
 ガブリエルは悪びれる風もなく言葉を継いだ。
「なるほど・・・。でも、あの二人。喧嘩中のようだぞ。美しい絆の糸があれじゃあ台無しだ。」
 ミカエルはそう吐き出した。
「二人ともまだ、年端もいかなくて、互いの想いに素直になれないだけだろうよ。そういうカップルは多いさ。まだ精神的に大人になれないんだ。」
「クリスマスまでにはまだ日にちがあるな。」
 ミカエルは突然脈絡もなく呟いた。
「おい。ミカエル?」
「なあ、ガブリエル。人間の男と女の絆がどんなものか確かめてみたいとは思わんか?」
 唐突な問いかけにガブリエルは思わずミカエルの顔を覗き込む。
「ミカエル、まさか・・・。」
 ミカエルはにっと笑って言った。
「あの二人にちょっとした細工をしてみようか・・・。」
「そんなことが天のお父さまにばれたら。」
「何、大丈夫だ。少しの間の慰みだよ。天へ帰る道がイブまで開けないんだから。な?悪いようにはしないさ。」
 いたずらっ子のようにミカエルの瞳は輝いていた。それから天へと手を振り翳す。
「天地の精霊よ。我に力を。あの二人に、聖なる試練を。」
 そう言うとだっと振り下ろした。



 そんなことが己たちの上の木の上でこそこそと話し合われているとは知らない乱馬とあかねは、ずっと道すがら言い合いを続けていた。


「たく、おまえは何もできねえんだから。偉そうにするなよ。」
「何よ。あんただってまだまだヒヨッコじゃないの。それに優柔不断だし。人のこと言えた義理じゃないわよっ!」
「けっ!おめえみたいなガサツな女には何も言われたかないよ。」
「誰がガサツなのよっ!」
「おめえだよっ!」

 だんだん上がるテンション。
 そう。その気概の高まりに、つい、異変に気がつくのが遅れてしまった。
 普段の冷静な二人なら、気がついただろう異変にだ。
 ごごごと微かな地鳴りがして、いきなり、道の土砂が滑り落ちたのだ。
 足元からごっそりと、地滑りを起こしたようなそんな感じだった。
「危ねえっ!」
 乱馬が叫んだ瞬間、砂煙が上がった。そしてみるみる下へと引きずり込まれるように滑ってゆく。上からはバラバラと石が転げ落ちてくる。乱馬は咄嗟にあかねを己の方へと手繰り寄せた。そして抱え込むように胸へと押し込めると、受け身の体制を取った。
 受け身を取ることで、少しは衝撃を和らげられる。武道家としての当然の行動であった。あかねも乱馬と同じように身を屈めた。彼女の身体も無意識のうちに受け身を取ったのだろう。良く、訓練されていた。
 身体に感じた衝動はそう激しいものではなかった。
 どのくらい道端の斜面を滑っていったのだろうか。
 砂煙が落ち着いて、ふうっと人心地がついた。幸いなことに滑り落ちた場所は平らな谷底。乱馬はふうと息を吐いた。そして天上を見上げる。
 このくらいなら自力で上に上がれる。そう思って安堵した。
 それから、腕に引き寄せたあかねに向かって問い掛けた。
「大丈夫か?あかね。怪我はねえか?」
 だが返事はない。
 抱え込んだあかねを見て仰天した。そう、乱馬が腕に沈める前に落ちてきた石にでもあたったのだろうか。天頂部に傷口が開いていたのだ。そしてべっとりと血が滲み出ていた。
「あかね?おい・・・。あかね?」
 思わず怒鳴っていた。
「あなたは誰?」
 微かに開いた瞳。続いて漏れる言葉。
「あかねっ!」
 乱馬が叫んだ次の瞬間、あかねはどおっと乱馬の方へと倒れ込んだ。
「あかねーっ!!」

 枯れた冬山に、乱馬の悲鳴とも言える叫びが響き渡った。



 つづく




ミカエルとガブリエル
天使の名前・・・聖書に出てくるのはこの二人のみ(だったと思う)
CROSS・・・十字架、受難、交差・・・などの意味を題名にかけたつもり


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