スローラブ 11



第十一話 それぞれの闘い


二十一、

「なあ、乱馬。」
「何だ?」
「あかねさんは、茉里菜のインチキに気付いてるんだろうか…。」
 じっと、見据えながら、乱馬は答えた。
「さあな…。あいつは相当、鈍いからな。」
「気付いていない可能性の方が高い…か。」
「黙って試合に集中しろよ。気が散るぜ!」
「言われなくても、集中するわい!」
 再び、二人、肩を並べて雁首を試合場へと転じた。


 試合場のあかねと茉里菜。
 あかねの肩が激しく上下している。
 額に浮かんでいた汗は、滝のように床へと流れ落ちている。が。激しい闘気は収まる事を知らず、じっと、茉里菜の方を見据えて睨みつけていた。

「随分と、しぶといですわねえ…。わたくしの気弾を浴び続けて、そうそう立っていられる選手は少ないですのに。」
 息切れひとつせず、顔色も変えず、茉里菜はあかねに向かって言葉をかけた。
「あんたの、へっぽこ気弾なんか、少しも利いちゃないわ。」
「あーら、その割には、お息が上がっていらっしゃいますことよ。きょーっほっほっほ。」
 激しい気弾の嵐を掻い潜ったあかねは、確かに、息切れし始めていた。それに対して、茉里菜は余裕綽々(よゆうしゃくしゃく)だ。
「もう、勝敗は決まっておりますわ。そうやって、いつまでも逃げ切れるものではありませんことよ。」
 あかねを挑発し続ける。

(確かにそうね…。このままじゃ、不味いわ。)
 あかねは上がる息を整えながら、考える。
(この娘(こ)、あれだけの気弾を打っていながら、全然息切れしないなんて…。)
 あかねは、じっと茉里菜を見据えた。とてつもない、違和感があかねを取り巻き始めていた。
 思い出すのは、樹海での乱馬の言。

『綾小路茉里菜が気弾を打ってたって?』
 さも、意外そうに、あかねに言った乱馬。
『ええ…。あたしもこの目で見たわよ。だって、天道家(うち)の門、気弾で壊しちゃってくれたもの。』
『門戸を砕くくらいの気弾ねえ…。変だな…。あいつは気弾を扱えるくらいの技量を持っちゃいねえぞ…まだな。』
 そう言いながら、乱馬は小首を傾げる。
『あんたが、面倒を見てたんじゃないのお?大学側の意向を受けてさあ。』
『まさか!そりゃあ、気の技を授けてやってくれって話が全く無かった訳じゃねえさ。でも、俺は首を縦に振ったことはないぜ。』
『そ、そうなの?』
 意外な答えだった。
『ああ…。あいつは「根性論」や「努力」っつーのが、苦手な高慢ちき娘だしな…。こっちの言う事なんて、てんで聴く耳持たない練習方法しかしない奴だったし…。確かに瞬発力に関しちゃあ、目を見張るもんはあった…。だからこそ、女子無差別格闘界のトップに立てたんだろうけどよ…。それに、付け焼刃のような薄っぺらい基本力しか持ってねえもん。そんな奴に気弾なんて危なっかしくって教えられるかってーのっ。』
『でも、女子学生チャンピオンを何度か取ってたんでしょう?巨漢のチームメイトを軽々と倒して、あんたのチームでも頭角現してたじゃないの。』
『どーだか!無差別格闘はまだ、世間に認められるようになって日が浅いしな。そんなに選手層は厚くはねーぞ!買いかぶりすぎかもな…。』
『どういう意味よ…。』
『所詮、お山の大将だよ。茉里菜は。確かに、強いことは強いし、それなりの才能っつうのはあるんだろうが…。だが、今までの学生格闘界には、おめえがエントリーしてなかったろ?』
 と乱馬はにやっと笑った。
『それに、気技っつーのは、おめえも体感してわかってんだろうけど、そう易々とできるもんじゃねえ!鍛錬によって積み上げられてきた確かな「基礎」と「極限まで高めた体力と気力」によって、初めて生み出されるもんだ。茉里菜にそれだけの素養と実力が伴ってるとは、俺は、どうしても思えねーんだが…。』
『でも、見事な気弾だったわよ。』
『本当に、そいつは、気弾だったのかあ?……、まあ、良いや。茉里菜(あいつ)の事を考えたって仕方ねえ。それより、おめえの気技を仕上げる事の方が先決だぜ。時間もあまりねえしな…。気のコントロールはかなりのところまで完成に近づいてるみてえだし…。もう一頑張りしてみっか…。』
 夜明けを控え、明るくなり始めた空の下の、乱馬との修行。それを、思い出していた。

(あの時、乱馬は、確かに茉里菜が打ったのは本当に気弾だったのか…って考え込んでたわね。……。そうよ、本当に、茉里菜が打っているのが気弾なのか…。)
 あかねの中にも疑心が生じた。
 気弾などの気技は、人間離れしているだけあり、相当なエネルギーを消耗するものだ。体内に溜め込んだ気を一気に相手にぶつけることで生じる、広大な気エネルギー。実際にしゅぎょうしたあかねであるからこそ、その大変さが身に染みてわかっている。
 なのに、茉里菜のこの軽々しさは何だ?これだけの気弾を連続で打てば、もっと疲れていても良さそうなもの。
(気力で耐えているのかしら…。でも、それにしては、汗も少ないし、息も全然乱れていないわ。)
 あかねは意を決した。
 もう一度、この身を茉里菜の前に曝け出して、気弾を打たせて、瀬戸際で確かめる。

(そうよ、このまま、負けるわけにはいかない!茉里菜の気弾が本物だったとしたら、どこから打ってくるのか、どういう類(たぐい)の気弾なのか…。冷気か熱気か炎かそれとも気合か…。見極めないと、勝てない!ようし!)
 あかねはぐぐっと踏ん張った。そして、ジリジリと茉里菜へ向かって、身を乗り出した。あまり、離れていては、茉里菜の気の軌道は見えない。ギリギリまで近寄って、直接、目で見て確かめなければ、前に進めない。
 だが、それは、同時に危険な賭けでもあった。
 間際まで近寄って逃げ遅れたら、見極める前に激しい気弾に強襲されるかもしれない。そうなれば、一巻の終わりということも有り得る。
 女のときの乱馬ほど、この身は軽くない。どちらかといえば、力で押していくタイプのあかねは、瞬発力に欠けるところがある。
(そうだ…。気…。気を使えば…いけるわ!)
 咄嗟に閃いた、対抗策。
 気には気を使えばよいと思ったのだ。

「はあああっ!」 
 あかねは体内の気を一所へ集め始めた。一点集中。己の右掌へと、気を一気に集める。右手が焦げるほどに、熱くなり始める。体内中の血液が右掌へ集って、沸騰するような感覚に襲われる。
 微動だにせず、じっとリング上で、茉里菜と対峙した。

「きょほほほほ。やっと、覚悟を決めたのかしらん?」
 茉里菜はにっと笑って、あかねを冷たく見下ろしていた。
 動きを止めてくれたあかね。まるで狙いを定めて思い切り打ってくれ、と言わんばかりのあかねの態度だった。
 右手と左手。二つの掌を組んで重ねあわせることで、右手側の道着にこっそりと仕込んだ「装置」を作動させ、あたかも、気弾を打ったかのように見せかけるのだ。砲口は下にした右手の中指と人差し指の付け根の皮膚の中に巧みに埋め込んである。砲口さえターゲットに向けて定めれば、威力の有る気弾が解き放てる仕組みになっていた。妖の技。仕込んだ装置本体は誰にもわからないくらい、小さくして袖口に縫い込んである。
 こっそりと道着の袂に仕込んだ「本体の作動スイッチ」を入れた。
 右手の人差し指と中指の付け根辺りが、急に熱くなる。熱源がいつ飛び出しても良い、スタンバイ状態へと切り替わる。
(わたくしの気弾装置のエネルギーも、そうたくさんは残されてはいませんの。そろそろ決着をつけさせていただかないと、やばいのですわ。)
 実は、彼女も焦り始めていた。
 あかねがなかなか捕まらないところへもって、気弾の連打。いくら、機械から打ち放たれる気弾とはいえ、無限ではない。綾小路コンツェルンの技術者を総動員して作り上げた「気弾砲装置」。それとて、エネルギーがカラになれば、無用の長物に成り果てる。
 まだ、エネルギーが空っぽになるまでには、多少、余裕があったが、それでも、そろそろ仕留めないと、まずい事になる。
「いきますわよ!最大級のを、お見舞いしてやりますわ!」
 茉里菜とて必死であった。


「ダメだ!あかねさんっ!」
 すぐ近くで、良牙が思わず声をあげた。
 良牙には、あかねが気弾を使って、茉里菜の気を相殺しようとする、あかねの魂胆があからさまに見えたのだろう。
「あかねさん!茉里菜の気弾は本物の気を使っちゃいない!だから、気で相殺しきれない!このままだと、茉里菜の気弾の餌食になる!試合序盤で、既に体験したろうがっ!」
 良牙がそう呟きながら動きかけたのを、乱馬はグイッと肩に手を置いて引き止めた。
「よせっ!良牙!この先は、誰も足を踏み入れることができねえ、あかね(あいつ)の領域だ!」
「乱馬、貴様…。」
 身体を反転させて乱馬と対峙しようとした。だが、乱馬は渾身の気合をこめて、良牙を制しにかかっている。身動きすら取れない。そのくらい強い力が乱馬の利き腕から流れこんでくる。乱馬の身体のどこに、そんな力が篭っているのか、わからないくらい、強い抵抗だった。
「黙って見届けろ!それが、俺たちにできる唯一の事だ!」
 良牙を押し退けるように、きつく言い放った。

「あかねさんっ!」
 良牙の叫ぶ声と同時に、リングの上の二人が動いた。

「望みどおり、リングへお沈みなさい!天道あかねっ!乱馬様の目の前に惨めな姿をさらすが良いですわ!きょーっほっほっほ!」
 茉里菜は、一際大きな笑い声を響かせ、砲口をあかね目掛けて解き放った。

「今だわっ!」
 あかねは思い切り、目を見開き、茉里菜の掌を凝視する。そして、そのまま、気弾を、身構える茉里菜向けて、思い切り弾き飛ばした。

 ゴオオッ。

 激しい音がして、両者の掌から、それぞれの気柱があがったように見えた。
 茉里菜のものは赤い炎系のレーザービーム。あかねのものは蒼白い気砲。いや、砲弾よいうより、雷様の稲妻、電撃流と呼ぶほうが妥当だろう。
 相殺どころか、あかねの気砲は、衰えることなく、前に飛んだ。どうやら、相殺しようと解き放った気の塊ではなかったようだ。相手を貫かんばかりに、迷うことなく真っ直ぐに気砲が飛んだのである。
 と同時に、己の解き放った気柱の勢いに押され、あかねは後方へと、吹き飛ばされて。放った気をエネルギー源として、巧みに、茉里菜の気の軌道から逃げたのである。

「なっ!何ですってえっ?」
 茉里菜が、気弾を打ったままのポーズで固まった。ターゲットを仕留めた、と思った瞬間、あかねは居る筈の場所から少し後方へと動いていたからだ。そればかりか、己の目の前で、あかねが解き放った気砲が、弾けた。
 それは決して大きな気砲ではなかったが、バリッと勢い良く、茉里菜の目の前で光り輝き、弾けて消えた。小さな雷が落ちたような感じだろうか。

「び、びっくりするじゃありませんこと!」
 茉里菜はあかねが解き放った気砲の威力よりも、その音に驚いたようだ。
「こけおどしのような、小さな雷さまのような気砲ですことっ!」
 と、嘲る言葉も忘れない。


「へへっ、あかねの奴、そう出たか。」
 にやっと乱馬が笑った。
「なるほど…。あかねさんは、気で相殺していたんじゃかわしきれない茉里菜の気弾を逆に、攻め入ったのか…。」
「ああ、真っ直ぐに飛んでたろう?あいつの気砲が…。それに、気砲を打ったときの反動を利用して、後ろに飛び退きやがった…。なかなかやるじゃねえか。」
 乱馬は楽しそうに呟いた。
「まるで、蒼いイカヅチのような気砲だったな…。」
 良牙の言に
「九能が居たら、泣いて悦びそうな気砲の名前だな…。」
 と乱馬が笑った。
「それに…。あいつも気がついたみてえだぜ…。今の捨て身の攻撃で、茉里菜の気弾の正体がな。」
 乱馬は付け足すように、言い放った。
 その言葉にハッとして、良牙があかねの方を見やると、フツフツと体内から気焔が湧き上がってくるのが見えた。
「今度の一撃で勝負はつくぜ。」
 体内の残された気を、一気に高めている様子が窺い知れる。
 それは、「怒りの気」のようにも見えた。
「ああなった、あいつを止めるのは、俺だって出来ねーかもな。」
 乱馬はくすっと笑った。


「今のは油断いたしましたが…今度は命中させ、あなたを破壊してみせますわっ!」
 茉里菜はあかねに言い捨てた。その言葉に、あかねの肩がピクンと反応した。
「あんたよくも…。この神聖な無差別格闘競技の闘い場に…。」
 あかねの解き放った言葉は、そこで止まった。怒りでその後を継げなかったのだ。
「な、何ですの?」
 急変したあかねの態度に、ぎょっとした茉里菜が焦って言い返す。
「あたしは許さない!絶対に、あんたを許さないわっ!」
 怒りであかねの気焔が一気に萌え上がった。
「小癪な!今度こそ、狙い撃ちですわっ!」
 さっと茉里菜が身構えた。既にスイッチは入れっぱなしだ。機械内にチャージされたエネルギーがそろそろ最大値に差し掛かるだろう。
「やれるものなら、やってみなさいよっ!」
「勿論、やらせていただきますことよっ!」
 怒れるあかねに、茉里菜は容赦なく、気弾を打ちはなった…。

 だが、彼女の右手はピクリともしない。
 気弾どころか、ブスブスっと不気味な音しか漏れ聴こえて来なかったのである。

「何故、何故出ませんの?」
 焦ったが、時、既に遅きに逸していた。
「どうして、スイッチが入りませんの?」
 カシャカシャと装置のスイッチを何度も押したが、反応はない。
 さっきのあかねの放った「蒼いイカズチ」攻撃で、装置に不備が生じたようだった。
 ガサゴソと焦りながらスイッチを何度も押そうと試みる。と、装置を埋め込んである右掌辺りが、一瞬、光を放った。ボンッとはじけるような音と同時に、ピリピリッと走る痛み。
「えっ?壊れましたの?」
 
「あたしの怒りの気砲、浴びなさい!存分にっ!やあああっ!」

メキメキ、メリメリ、バキッ!

 赤い雷同が、茉里菜を強襲していく。怒りが臨界点を引き上げ、蒼いイカヅチを茜色に変えたのだ。しかも、機械を道着に仕込んでいる。無事で居られるわけが無かった。機械を媒体にして、あかねの気砲が茉里菜を襲った。
「きゃああっ!」
 感電したように、ビリビリッと茉里菜の身体が震撼したかと思うと、ボッと雷光が瞬いた。
「何故…。わたくしが、こんな事って…。」
 仰向けに倒れる茉里菜の視線の先に、静かに腕を組みながら黙って佇む、乱馬が見えた。
「乱馬様…。」 

 ドオオッと音をたてて、茉里菜がリングの上に沈んだ。
 あかねが息を切らせて、じっと、勝敗の行く末を見守る。ハアハアと激しい息遣いが、遠くまで響いてきそうだった。

 大観衆のどよめきが、一気に飲み込まれたように、立ち消えた。それが大歓声に変転するのに、そう時間は要しなかった。

「勝者!天道あかねっ!」
 主審判が、大きな声で、勝利宣言を下した。

「勝った…。あたし…勝ったわ!」
 そう悟った瞬間、体中の力が抜け落ちた。
 もう、立つ力も残っていない。最後の気弾に全力を使い果たしたのだ。真っ白の燃え尽きた身体は、床へと吸い込まれるように、崩れていく。
 
 その時、一人の青年が、リングのすぐ脇から勢い良く飛び出していた。

 会場中にどよめきが響き渡る。
 脇から飛び出したのが、早乙女乱馬だったからだ。
 誰しもが、チームメイトの綾小路茉里菜を抱き上げるのだろうと、疑って止まなかった。だが、乱馬は倒れ伏した茉里菜になど、目もくれず、手を差し伸べたのは、勝者、天道あかね。
 その瞬間、また、会場全体が、うねるようにどよめいた。

「莫迦…。己が立てるくれえの気くらい、残しておくもんだろ?普通…。」
 そう言いながら、彼女の身体を抱き上げる。
 あかねから、反応はなかった。いつもなら、ここで、「うるさいわね!」とか言う、減らず口が返って来るのだろうが、それすらなかった。
 乱馬に応対できるほどの気力すら、あかねには残されていなかったのだ。
 全身全霊で最後の気砲を打った証拠であろう。閉じられた口元は柔らかく微笑んでいる。

「何故…勝者は天道あかね…ですの?私はまだ、闘えますわ!」
 レフリーの勝利宣言が気に食わないのか、茉里菜がよろめきながら立ち上がった。

「やめな!勝者はあかねだ。…それは、おめえ自身が一番わかってるんじゃねえのか?」
 乱馬は背を向けたまま、静かに言い放った。

「何をですの?何を言っておられますの?」
 フルフルと茉里菜の唇が震える。

「勝利の女神は、卑怯者の上には微笑まねえ…。そうだろ…。」
 静かなる怒りの声を轟かせる乱馬。

 はらりと茉里菜の道着が肌蹴た。
 あかねの放った気弾によって、ボロボロになった道着から、ポロリと黒コゲになった機械の破片がこぼれ落ちた。

「最早、言逃れはできねえ…。おめえの放っていたのは気弾じゃねえ。本当の気弾ってのは、あかねが解き放ったヤツのように、真っ直ぐで美しいもんだ…。おめえは、神聖な勝負の敗者にもなり得ねえ、ただの卑怯者だよ…。」
 
 茉里菜は、茫然自失、ガクリと肩を落とした。
 白日の下へ晒された、己の不正行為。乱馬の心を引き止める事もできない、悔しさで、顔が強張っていた。
 


二十二、

「ここは…。」
 蛍光灯の眩い白い光に、思わず眩しそうに、瞼をしばたたかせた。

「あ、気がついた。」
「あかねえっ!」
 明星大学のチームメイトが、すぐ傍であかねに駆け寄った。

「あたし…。試合していて…。そう、試合はどうなったの?茉里菜は?」
 急に起き上がろうとしたのを、チームメイトたちは制しながら言った。

「大丈夫。勝ったわよ。」
「大勝利よ、あかね!」
 チームメイトたちが、わっとあかねに群がってくる。
「見事な勝利だったわ。」
「綾小路茉里菜はどうやら、ズルしていたみたいだけど…。」
「でも、そんなこと、関係ないくらい、最後はあんたが茉里菜をリングに沈めていたわ!」
 と、順に口を継ぐ。
「あかね、力を使い果たしたみたいで、そのまま、その場に倒れこんだのよ。」
「物凄い攻撃だったものねえ…。最後の気弾は。」
「あたし、見惚れちゃったわよ!」
「凄いわあ…。いつの間に、あんな気弾を会得したの?」
 ぺちゃくちゃと容赦なく畳み掛けてくるチームメイトたち。彼女たちなりに、あかねの勝利を称(たた)えているようであった。

「そう…。やっぱり、茉里菜の技は、不正だったの。」
 安心したような、残念だったような複雑な心情だ。
「協会側は今回の茉里菜の不正行為を重く見て、彼女はもう、無差別格闘技界には身を置けないでしょうねえ…。」
「そりゃあ、そうよ。気弾だってウソついて、小型ビーム砲を搭載していただなんて。」
「呆れて物も言えないわよ。」
 と、憤慨してみせる。
「まあ、茉里菜もそれなり、必死だったのよ。追われた女王のプライドに賭けて、あたしに勝ちたい気持ちが膨らみすぎたんでしょうね…。道を踏み外してしまうくらいに…。」
「あかね、あんた、あれだけ、痛めつけられて、意外とあっさりしてるわねえ。」
「優しいんだ。」
 チームメイトたちが、そんな言葉を投げかけてくる。
「だって…。技の真偽はともかくも、この闘いのおかげで、あたし…。自分の気技を会得する事ができたんですもの。」
 と、微笑んだ。
「え?もしかして、あかねって気技、初めて使ったの?」
「えええーっ?」
 チームメイトたちは驚いた。
「ええ、あたし、ここんと頃ずっと、気技を使いこなすのに真剣だったもの…。己の気技が何たるものか、どんな方向性を持たせばよいか、まるで見えてなかったの。でも…。この試合のおかげで、完全につかめたわ。あたしだけの気技がね。」
「かなわないなあ…あかねには。」
「度胸あるなあ…。」
「本当に、格闘技が好きなのね。」
 チームメイトたちが笑った。
「でもさあ…。」
「やっぱり、あんた、早乙女選手とのっぴきならない仲だったわねえ。」
「うりうり、薄情しろっ!」
「ただの、同門じゃないでしょう?」
 と、話題を別に振ってきた。
「い、いきなり何なのよ!それっ。」
 キョトン、とあかねが瞳をめぐらせると、チームメイトたちがいっせいにはやし立てた。
「だって、倒れたあんたを抱きとめたのは…。」
「あにはからんや、早乙女乱馬選手だったんだからあっ!」
「かっこよかったわよ!颯爽と横から現われて、地面に崩れ落ちる前に、さっと、こう、抱きとめて…。」
「そうそう、王子様みたいにさあ!」
 身振り手振り付きで説明してくれる。

「え…?ら、乱馬が?」
 ぎょっとして、固まる、あかねを他所に、勝手に盛り上がる面々。

「大胆にも、お嬢様抱っこなんかされちゃってさあ。」
「救護室(ここ)まで連れて来てくれたんだよ。他の者にはあかねは触らせないって感じだったなあ…。」
「あんたと、早乙女選手って、本当は恋人同士なんじゃないのぉ?」

「ち、違うわよ…。乱馬とあたしは、そんな…。」
 慌てて、否定に走る。が、チームメイトたちは、すんなりと納得してくれなかった。

「真っ赤になって、否定するところが、ねーえ。」
「そーよ、そーよ。どう見たって、普通の同門同士って感じじゃなかったわよっ!」
「薄情しちゃいなさい!あかねぇっ!」
「ああ、あたしも一度でいいから、早乙女選手にお嬢様抱っこして欲しいわぁん!」

 あかねの顔は既に、カーアッと真っ赤に熟れていた。

「そうそう。そろそろ、早乙女選手の試合が始まると思うけど。」
「あかね…。もう、大丈夫そうだから、観にいく?」
「観に行くわよねえ!」

「え、ええ…。そうね。観ておきたいわ。ぜ、是非ね…。」
 まだ、動揺が収まりきれず、ドックン、ドックンと心臓が爆音をたてて暴走している。
「そうと決まったら…。」
「レッツゴー!」
 
 チームメイトたち数人にかしずかれて、あかねは救護室を出た。一応、詰めていた医師から、試合後、再診を受けなさいと簡単に促された後、試合会場へと向かった。
 観客たちは既に、武舞台へ上がった、乱馬とその対戦相手に釘付けられている。あかねたちが会場へ足を踏み入れた時は、試合前の異様なほどの興奮が、競技場全体を包み込んでいた。
「何とか試合開始には間に合ったわ。」
「凄い熱気ねえ…。」
 辺りをキョロキョロ見詰めながら、チームメイトたちが、唸る。人垣を掻き分けて、己たちの関係者席へと進む。
「あ、あかねだあっ!」
「来た来た、こっちよ!」
 別行動を取っていた他の座席番チームメイトたちが、手を降りながら、あかねたちを迎え入れる。関係者席だから、そこそこ、観戦するのに悪い場所ではない。特等席でもなかったが、それなりだった。
 あかねは促されるままに、チームメイトたちに囲まれて座った。
 一応、女子部の覇者。どこからとなく、様々な視線が己に注がれる違和感を感じながらも、着席する。
 真正面に見える武舞台には、乱馬が対戦相手と共に立っていた。
 
(また、大きくなったわね…。乱馬。)
 憧憬をこめた視線を乱馬に手向けた。まだ、どこか、あどけなさが残っていたであった頃に比べて、肩幅も重量感も一回り増した。少年期を抜け、青年期に差し掛かっている。
 気の強さや白い道着のせいもあるかもしれないが、リングに上がると、乱馬は実際よりも、大きく見えた。決して、大柄ではないが、鍛えこまれた肉体の美しき調和は、見る者を惹きつける力がある。

「凄いわねえ…。学生の分際でこんなに観客を集めちゃうんだもの…。」
「そりゃそうよ。今やプロでも、早乙女選手の上にいる選手は何人居るかしらん。」
「もしかして、いきなり日本ランキング一位になっちゃうかもよ、プロデビューしたら」
「あったり前でしょ!」
「プロへ転向したら、その時は、マスコミも放っておかないわね。」
「今以上に注目されるわねえ…。」
「いつ、プロへ転向するんだろ?」
「噂じゃあ、もうすぐだって話だわよ。」
 チームメイトたちが、かますびしく囁く声が耳に入る。
 乱馬がプロへ転向したら、ますます、存在が遠くなる。どんどん己の手の届く範囲から離れて、遥か彼方へ、格闘界の高みへ。
 少し、感傷的な心情になった。
「あかねは訊いてない?彼がそろそろプロへ転向するってさあ。」
「知るわけないでしょう?」
「だって、同門じゃん。」
「同門のよしみで訊いてないの?」
「き、訊いてないわよ。…あたしがいちいち、乱馬の動向を知ってるわけないじゃないの!」
 と、強く言って、ふっと言葉が止まった。
 乱馬の口から、将来のことについて、聞かされたことは、今の今まで一度だって無い。

 その時、わああっと、一斉に歓声が上がった。
 試合が始まったのだ。

 会話はそこで途切れ、皆、一様にリングの上に集中する。
 
 相手は関西方面で名の知れた選手らしい。乱馬に負けずと劣らない、筋肉質な身体をしている。いや、見た目は乱馬よりも体格が良いかもしれない。
 まずは、二人、真正面からぶつかり合った。
 乱馬の拳が目にも止まらぬ速さで舞う。それを、ひょいひょいと相手は避けて通る。

「火中天津甘栗拳…かあ…。」
 乱馬の得意技の一つである。
「何、それ。」
「技の名前?」
 あかねの言を興味深げに、チームメイトたちが訊いてきた。
「ええ、彼の持ち技の一つよ。火の中の栗を避けるように、目にも留まらぬ速さで拳を相手に打ちこんでいく、必殺技なの。拳は止まっているように見えているけど、一秒間に何十発も相手に当てているのよ。」
「へええ…。」
「あかねは彼の拳が見える?」
「え、ええ…。このくらいの速さならね。相手も見えているみたいよ。良く避けているわ。乱馬のスピードは半端じゃないけど、挑戦者もかなり意識して修行してきたようねえ。」
 意識的に乱馬はスピードを落としている。あかねには、それが良くわかった。簡単にのしあげてしまっては、観客も面白くないとでもいうサービス精神なのだろうか?それとも、修行をつけてあげているつもりなのだろうか。
 バチンと音が弾けて、相手が後ろに吹き飛ばされた。思わず、乱馬の手に力が入ったのだろう。相手は目を白黒させて、乱馬を見据える。

(勝負あったわね…。乱馬との力の差は歴然だわ。)
 あかねは相手を見限っていた。恐らく、乱馬にも同じく、既に結果は見えているだろう。

 だが、相手も西日本学生チャンピオン。タダでは倒されるつもりはないらしい。格闘技を生業としてやっていこうという若者だ。窮鼠とはいえ、侮ることはできない。油断は最大の失敗を呼び込むものだ。
 相手は、一瞬、はっしと、険しい瞳で乱馬を見た。気焔に萌えた瞳だった。そして、ぎゅっと拳を握り締めると、ここぞとばかりに飛び出してきた。

 ボンッ!

 まさかのタイミングで、相手の気弾が乱馬の目の前で弾けた。
 始めから狙っていたのだろう。

「や、やべっ!」
 相手の尋常ならざる動きに紙一重で気付いた乱馬は、間一髪、打ち込まれた気弾を避けて、後ろへと飛び退いた。
 案の定、乱馬が立ち退いた辺りに、対戦者の放った気弾が着弾したようで、床にボコッと大穴が開いていた。いくら、乱馬とて、いきなり大きな気弾を浴びせられれば、少しはダメージがあったろう。
 急襲が空振りだったと知り、相手は悔しそうな顔を、乱馬に手向けた。
 強い気弾も当たらなければ、ただのこけおどしだ。

「へっ!気弾を打って来たか。面白れえっ!」
 乱馬はにっと笑った。そして、相手へと言葉をかけた。
「おまえ、かなり修行を積んだんだな。すげえよ!こんな気弾を討つ奴が、同年代の学生に居たなんてよ!」

「え、ええ。俺かって乱馬はんに追いつきたい!追いついて、いつかは抜き去ってやりたいって思うとった!せやから、決して諦めへんっ!気弾で真っ向勝負や!!」
 関西弁でそう言いながら、第二弾を乱馬へ向けて解き放った。

「うげっ!連打かよっ!」
 乱馬はぐっと十文字に腕を前に組むと、体内の気を放出させた。
「でやああっ!」
 気で気を押し、相殺する。同じくらいの気弾を当てて、相手の気弾を駆逐したのだ。

 バアンッ!

 目の前で二つの気弾が激しくぶつかり合う音がした。
 互いに、気焔に飲み込まれないように、後退する。
 もうもうと煙が、気弾がぶつかった辺りに立ち上った。
 会場はシンと水を打ったように、一瞬、静寂に包まれる。そして、次に、大歓声が沸きあがる。


「す、凄い試合ねえ。」
「あたし、興奮してきちゃったわ!」
 あかねのチームメイトたちが、目を爛々に輝かせながら、リングに惹きつけられている。
(乱馬、楽しそうね…。)
 あかねの目にも、新たなライバルの出現を心から歓迎しているような風に見えた。
(乱馬や良牙君以外にも、強い人が続々現われている…。)
 乱馬は強い。だから、彼に負けるのは仕方がない。肉体も気力も、遥かに己の力を乱馬が凌駕してしまった。だが、彼以外の男性に負けるとは、思いたくもなかった。
 今、目の前で乱馬と対戦している西のチャンピオン。さっきの技を見る限り、己の力量の更に上を行っている。そう思った瞬間、焦りよりも、一抹の寂しさがあかねを覆った。
 女と男の力の歴然とした差を見せ付けられているような気がしたのだ。
(もう、あたしの力じゃあ、てんで話にもならない領域の世界へ、男子学生格闘界も入ってしまったのね…。)

 複雑なあかねに対して、乱馬は嬉しそうだった。
「ここまで気を扱って粘る奴は、良牙以外には居ねえと思ってたが…。すげえっ!すげーじゃん!」
 肩で息をしている相手を見詰めながら、乱馬が言い放つ。
「その根性に敬意を表して、俺の大技を見せてやるぜ!」
「大技?」
 相手がきょとんと乱馬を見やった。
「ああ、見せてやる。俺の必殺技…だから…。追って来い!諦めずに、俺を追って来い!」

 次の瞬間、乱馬の足は、軽く螺旋のステップを踏み始めていた。
 挑戦者の熱い闘気が彼の足元へと、少しずつ集り始めている。乱馬のステップは、螺旋の渦の中心へと向かっているではないか。

「ら、乱馬、あんた、まさかっ!」
 乱馬の動きの意味に、いち早く気付いたあかねが、ガタッと席を立ち上がった。
「あかね?」
「どうしたの?」
 急変を不思議に思ったチームメイトたちが、驚いてあかねを見上げる。
「飛竜昇天破!飛竜昇天破を打つ気なの?乱馬っ!」
「ひりゅうしょうてんは?」
「何、それ…。」
 怪訝な顔でチームメイトたちが反芻した。
 乱馬の必殺技の飛竜昇天破だが、彼が公式試合でこの大技を使ったことは、あかねの記憶には一度も無い。屋内の競技場でこの大技をかけるには、危険すぎるからだ。下手をすると回りを巻き込んで破壊しかねない。「禁じ手」として、公式試合では封印している筈である。
 従って、この技の存在を知る者はあかねと良牙以外には居まい。

「危険よ!危険過ぎるわっ!やめてっ!やめなさいよっ!乱馬あーっ!」
 あかねが叫んだのと同時に、乱馬の右拳が空へ振り上げられていた。

「飛竜昇天破!」
 乱馬の声が、高らかに響き渡っていった。



つづく 




 この作品、どこか乱馬のキャラが「ドラゴンボール」の孫悟空みたいになっています…。意識して書いていたわけじゃないんですけど…。
 あかねを見る乱馬の目は、父親的ですな…。私の妄想世界では、未来の乱馬は達観した青年というのが基本スタンスなので。

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