スローラブ 4



第四話 失踪

七、

「大変だよ、あかねえっ!」
 乱馬に会いに出た早雲と早乙女夫妻。三人は大慌てで家に入り込んできた、早雲が真っ青な顔を巨大化させ、うろたえている。
 何より、平常心を失っているのは、綾小路茉里菜によって壊された門扉を見ても、気付かずに家に入ってきたことにあろうか。
「どうしたの?お父さんたら、そんなに慌てて。」
 怪訝な顔を浮かべながら、あかねが問い返す。早雲だけではなく、乱馬の父、玄馬も何となく浮き足立っていた。まだ、変身体質をそのまま治せないで居る玄馬は、パンダのなりで、父、早雲とおろおろしている状況だった。

「乱馬君が行方不明なんだよ〜。」
 半べそをかきながら、早雲があかねに言った。
「乱馬が行方不明ですってえ?」
 何事だと、あかねもきびすを返す。どこか山に修行に篭って、遭難したのではないかという危惧感があかねを襲う。
 心臓がバクバクと音をたてながら唸り始めたのが自分でもわかった。とともに、心が締め付けられたような感覚が、全身を覆う。
 
「大丈夫よ…。あかねちゃん。遭難したとかではないわ。」
 うろたえている男二人の後ろから、乱馬の母が落ち着き払って、顔を覗かせた。
 その一言に、何とか凍りかけた心が解ける。
「遭難じゃないんだったら、どういうことです?行方不明って…。」
 当然の問いを持ち出す。もしかして、さっき、綾小路茉里菜が家に乗り込んできたことと関係があるのかもしれない…。咄嗟にそう思った。
「合宿所を黙って出ちゃったみたいなのよ。困った子だわ…。」
 のどかがポツリと言った。
「合宿所を出たですって?何です?それ!」 
 的を射ない父親たちより、冷静な乱馬の母、のどかに尋ねることが有効だと悟ったあかねは、彼女に集中的に問い掛けた。
「乱馬ったら、三回生に上がった春を期に、合宿所を出て「一人暮らし」を始めたんですって。」
「一人暮らし?乱馬が?」
「共同生活の格闘部寮を出てどこかへ引っ越したってことね。ほらさあ、乱馬君の学校って、確か、二十歳を越えて三回生になれば、合宿所を出ることもできるって事だったわよねえ。強制的な合宿所生活って、案外、乱馬君くらいの花形選手ともなれば、大変な部分があったんじゃないの?それで、三回生になったのを機に、合宿所を出ちゃった…って考えるのが妥当なんじゃないのかしらん。」
 なびきが、横から口を挟んだ。彼女なりに、乱馬の通う大学の情報を持っている上での、憶測的回答だった。

 心そこにあらずの状態で、うろたえている中年親父たちとは対照的に、女性陣は冷静だった。 

「ちょっと待ってよ、引っ越した…なんて事、乱馬から何も訊いてないわよ。」
 なびきの言葉に、あかねが言い返した。
「だからさあ、誰も訊いてなかったから、騒動になってるんじゃないの?つまり、ここに居る、誰一人、乱馬君の引越し先を知らないってことなんでしょ?おば様。」
「ええ、そうよ。そのとおりよ、なびきちゃん。」
 乱馬の母がコクンと頷く。
「で、お父さんたち、乱馬君が勝手に合宿所を出て、姿をくらませたから、焦っちゃってるんだわよねえ。」
 なびきは、ちらっと、父親たち二人を垣間見た。
「えええええっ!?」
 あかねはそのまま絶句。
 どうやら、のどかの話をまとめると、先頃、乱馬は親に知らしめることなく、勝手に合宿所を引き払い、自立生活を始めたのだ、というのである。
「合宿所に立ち寄って、監督さんに伺ったんだけど、親が知らない筈ないでしょうって不思議がられてしまってねえ、詳細はわからずじまいだったの。ごめんなさいね。」
「そりゃ、そうよねえ…。普通、親に引越し先くらい連絡寄越すのがあたりまえでしょうし…。本人はともかく、親の顔写真まで寄越せって学校はないからねえ…。偽者かマスコミ関係者とかと間違われたんじゃないの?」
 なびきがウンウンと頷く。
「そうかな…。あんまりマスコミ業界的な雰囲気を持っているとは思えないけど…。お父さんたち。」
 あかねがおろおろとうろつきまわる、早雲とパンダを見ながら、首を傾げる。
「ま、昨日のスポーツ紙の記事の事もあるからねえ…。学校側のガードが固かった…ってことも考えられるけど…。」
 なびきの答えは、至って、合理的だった。理屈にも合う。

「乱馬君には乱馬君の、何かやんごとなき事情があるんでしょうけど…。黙って出て行っちゃうってのは、ちょっとねえ…。」
「寮を出るとなると、資金繰りとかもあるでしょうし…。何を考えて、合宿所を出たのかしら、あの子…。」
 乱馬の母、のどかが、なびきの背後からのんびりと声を張り上げる。主婦らしく、下宿にかかる自活費用の心配を、乱馬の心情よりも優先的に、真っ先にしているようだ。
「そうねえ…。寮で何か嫌なことでもあったのじゃないかしら。いじめとか。」
 のほほんとした口調でかすみも応じる。

「乱馬がいじめられるわけないでしょうが、気の弱い奴ならともかく。あの、ナルシストの格闘馬鹿が!」
 あかねは、思わず、ツッコミを入れていた。

「困った子ねえ…。」
「そうですわねえ…。」
 のどかとかすみ。この二人の言葉運びは、通常よりも、テンポが遅いので、気が削がれる。
 一向に困った気迫を感じないのである。

「で?学校側は把握しているみたいなんですか?乱馬の居所。」
 あかねが問いかける。
「どうやら、知らないみたいね。現住所も、天道道場、つまり、ここってことで届けが出ているみたいだったわ。」
 のどかが言った。
「やっぱり、何処かのマスコミ関係者かと思って警戒されて、真実を教えてもらえなかったのかもしれないけれど…。」
 ふううっとのどかがため息を吐き出す。
「個人情報の流出が問題になっていますものねえ。親と名乗って変なこと訊いて来る方もいるかもしれませんわ。」
 と横からかすみが茶々を入れる。
「それにね、大学の授業も休学届けが出てるんですって。」
 のどかが、付け加えるように言った。
「大学も休学ですってえ?」
 あかねがとんでもないと驚いた。
「ええ、授業どころか、部活にも顔を出していないみたいなのよ…。何でも、次の大会に向けて、秘密の特訓をするから、詳細は部外秘ってことで表向きは通っているようだったわ…。でも、その実、監督さんすら乱馬の動向を把握してないって様子だったみたいなの…。」
 のどかが言った。
「授業にも出ず、休学届けを出して、次の大会に向けてしのぎを削る…かあ。…らしくない行動よね。」
 乱馬の性格を把握しきっている、合理主義者のなびきは、ポツンと言った。
「そんな、篭らなきゃならない強敵が学生に居るとは思えないし…。やっぱ、あれかなあ…。そろそろプロデビューを考えているのかしらねえ。スポンサーがついたとか…。
 それとも…。さっきの高飛車女の専属コーチを買って出て、それで身を隠したなんてこと…。」
 ちらっとあかねを見やる事も忘れない。
 あかねはさっきの騒動を思い出したのか、わなわなと、肩を震わせていた。

「そんな悠長な事を言っている場合じゃないよ!乱馬君が行方不明となると、この道場の未来はどうなるんだい?!」
『乱馬がワシらやあかねちゃんを捨てるなんてこと…。』
 バッフォーと雄叫びを上げながらパンダが看板を差し出す。

「何なら、乱馬君の居所、あたしが調べてあげましょうか?」
 なびきが、話に入ってきた。
「勿論、タダってわけにはいかないけれど。」
 と右手を差し出す動作も忘れない。

「あんな奴!ほっておいたら良いのよ!」
 なびきの問い掛けを、あかねが拒否した。
 乱馬が黙って宿替えをしたという事実に、あかねの頭の中で、何かが作用したのである。乱馬に対する不信感が一挙に増大し始めた。
 自身の「勝気さ」もぐっと頭をもたげて来た。
「こっちから時間使って捜すなんてバカバカしいわ!」
 つい、鼻息も荒くなる。
 乱馬のこととなると「ムキ」になる性格は、出会った頃と、何ら変わらない。
「本当に何も調べなくて、良いのかしらん?」
 ふふんと鼻先で笑いながら、なびきが問い質してくる。
「良いわよ!大切な試合だって近いし!ほっときゃ良いのよ、あんな奴っ!」
 目の前に居ない喧嘩相手にも関わらず、啖呵を切ってみせる。相談も報告も何もなされず、行方不明になったことに、あかねなりに反発しているようだった。
「そっか…。あんたは、綾小路茉里菜とかいう小娘との真っ向勝負に臨むんだっけ。」
 なびきが言った。
 小太刀や右京を烈火砲弾という技で翻弄していった小娘のことを思い出したのだ。
「本当に気にならないの?もしかしたら、乱馬君、彼女のコーチしてるかもしれないわよ。」
 なびきがあかねを揺さぶりにかかる。
「乱馬がどこで、誰のコーチをしていようと、あたしには関係ないの!それより、あたしも武道家の端くれよ。あんな技を見せ付けられて、おまけに一方的に勝負を挑まれて、黙ってるわけにはいかないの!
 乱馬のことなんか、構ってる余裕なんか、これっぽっちもないわ!だから、ほっときゃ良いのよ!あんな奴!」
 ますます鼻息が荒くなる。

「あんたがほっときゃいいってんなら、、別に、あたしも無理強いはしないけど…。本当に良いのね?捜さなくて。」
 ちらっと父親や乱馬の両親を顧みながら、なびきが言った。
「あかねぇー、そんな事言わずに、捜してもらおうよー。」
 すっかり弱気になっている早雲が、うろたえながら、「捜索不用説」を断言したあかねに擦り寄った。
「だからあっ、捜さないったら捜さないのっ!ほっときゃ良いの!乱馬なんか!」
 言われれば言われるほどムキになって、全否定し始めた。

「お父さん、あかねは一度言い出したら、きかないわ。強情だもの…。あかねが要らないっていうんなら、あたしも伝手(つて)を使って捜し出すのを遠慮しとくわ。あたし、無償で調べるほど、暇人でもお人好しでもないし…。あかねも、それで良いわよね?」
 確認するようになびきがあかねの方向を見た。
「ええ、良いわ!乱馬なんかほっときゃ良いのっ!だから、お父さんたちも、うだぐだ言ってあたしの修行を邪魔しないでね!」
 鼻息が荒いまま、あかねは道場へ向かって歩き始めた。どすどす、と外股よろしく、床を踏みしめながら、去って行く。明らか、怒っている態度だった。

 あかねが去っていくのを見送りながら、まだ、おろおろしている父親たちを見かねて、かすみが言った。
「あかねちゃんが、ああ言ってる以上、そっとしておきましょう。お父さん、おじさま。乱馬君も何か事情があって、知らせて来ないんでしょうし…。」
「そうねえ…。私たちに、余計な心配をかけたくないって、乱馬も考えた末の行動かもしれませんわ。」
 のどかも穏やかに、言い含めた。

『そんな、殺生な!』
「このまま戻って来なかったらどうするんだい?」
 パフォーンとパンダと早雲が悲愴な顔をして、抱き合っている。
「信じることも大切かもしれませんわ。お父さんたち。」
 かすみがニコニコ微笑みながら、とりなすように言った。

 ◇

「ふう…。たく、あかねは一度言い出したら訊かないところがあるから…。」
 その場を離れたなびきが、大きくため息を吐き出した。
「ごめんなさいね、なびきちゃん。」
 傍でのどかが笑っていた。
「良いんですよ、返って、この方があたしも動きやすくなったし。」
 二人して、何やら秘密の相談をしているようだ。
「そういえば、何となく、出かけている間に、天道家の景色が変わってしまっているわね。」
 のどかが、庭先を見ながら、呟くように言った。今頃、門戸がとんでもなく壊されていることに気がついたのだろう。いや、気付いていても切り出す余裕がなかったのかもしれない。
「門戸を壊したとんでもない格闘娘が乗り込んで来ちゃってねえ…。」
「あらあら、小太刀さんや右京さん辺りかしら?」
 のどかは、見当がついた名前を挙げる。
「もっと迷惑な連中よ!たく、乱馬君のご学友みたいですわよ、おばさま。」
 なびきが言う。
「今朝の朝刊紙に出ていた、あかねちゃんに負けたどこかの大富豪のお嬢様ね。」
「綾小路茉里菜って小生意気な娘です。やっぱり御存知でしたか。」
 乱馬の母親はこくんと頷く。やっぱり、この乱馬の母は、なかなか侮れないとなびきは思った。
「それよりも、なびきちゃん。あかねちゃんは望んでいないようだけれど、やっぱり乱馬の居場所を…。」
 のどかはこそっと耳打ちした。
「ええ、私の情報網を駆使して捜し出しますわ。たく…。乱馬君ったら、あたしにこんなメールを送りつけてくるなんて。」
 なびきはこそっと、己の携帯電話の画面を開く。

『あかねを頼む!乱馬』
 そこには、こう、たった一言、打ち込まれていた。
 絵文字も無い、文字だけの液晶画面。

「たく、何であたしに…なのよ。」
 なびきが呟くように言った。
「あなたが、一番、あかねに近くて、頼りになるって思ってるのよ、あの子は。なびきちゃん。」
 のどかが、真摯になびきを見詰める。
「ホント、頭に来るわ!まるで、この先何かが起こることを想定して、あかねの力になってやってくれって言わんばかりの、このメールだもの。」
「で?メールの送信元は?」
「多分、出先のパソコンから一度きりのフリーメールアドレスを使っての送信みたいです。送り先の特定ができないように…とでも彼なりに考えてのメールだったみたいで。リターンは出来ませんでした。
 乱馬君に浅知恵を伝授している協力者が居るのかもしれないです…。」
「そうね…。あの子、携帯電話なんか持ってないはずだし…。」
 ふうっとのどかがため息を吐く。
「本当、どこで何をしているのかしら…。こんなに、みんなを心配させて。困った子だわ。」
「大丈夫ですよ…。本当に何か、人には言えない、のっぴきならない事情ってのが生まれたんでしょうから…。」
「なびきちゃんも、忙しいのに、無理言ってごめんなさいね。」
「あたしの威信にかけても、乱馬君の居所は、捜し出してやりますから。うふふふ。あたしを、出し抜こう打なんて百年早いわよ。乱馬君。」
 なびきは楽しそうに笑った。

「それから…。あかねちゃんのことなんだけど…。」
「暫く静観しているのが一番でしょうね。あの子はムキになると、突っ走っていく傾向があるから。乱馬君の鼻を明かすために、気技を身に付けるしかないって思ってるだろうし…。」
「でも、あかねちゃんが、決め技となり得る、新しい気技を身につけるとなると…。」
「一筋縄ではいかないでしょうね。短気だから余計に…。」
 ふっとなびきがため息を吐く。
「主人が気技を打てればよかったんですけど…。」
「たとえ、おじさまが打てたとしても、あの様子じゃあねえ…。」
「指南役はできないでしょうねえ…。」
 庭先でまだ、パフォパフォ弱気のパンダを見て、思わず、二人、また、深いため息が漏れた。

「当てがないわけではないんだけど…。ただ、彼が都合よく、この家に現れてくれるか否かは、天に運を任せるよりも厳しいし…。」
 なびきがポツンと言った。
「彼?」
「ええ、良牙君です。」
「乱馬の親友さんね。」
「でも、良牙君といえば、大学生になっても、放浪生活が常になっているから、大学の合宿所にも殆ど居ないそうですし…。今頃どこでどうしているのやら…。こっちから連絡をつけるのが難解だってことが玉にキズですけど…。」
 確かに、良牙も乱馬の好敵手だけあって、気技指南役には持って来いだろう。だが、あの、極端な方向音痴は健在であった。昨日の試合にも、結局現われなかった。恐らく今も、試合会場を求めて彷徨っているのではないだろうか。
「だからと言って、己だけの力量であかねが気技を会得できるようになるとは、考えにくいし…。」
 ちらっと、道場脇のあかねを見やる。前にうず高く積み上げられたブロックを、気合一つで割っているあかねが目に入る。
「力技なら、誰にも負けないんだろうけど…。あかねは…。」

「はあああっ!」
 猛烈な手刀が振り下ろされ、幾重にも積まれたブロックを粉砕していく。が、こんな技は珍しくもなんともない。力技ではなく、あかねが会得したいのは「気技」。
 それでも、あかねは、何かにとりつかれたようにブロックを割る動作を続けている。恐らく、己でも、どんな修行が有効なのか、手探り状態なのだろう。

 と、ボコボコっと地面が盛り上がる。
 ドンと地面がはじける音がした。幾日も雨が降って居ないから、地面はカラカラに乾いている。それが、足元から盛り上げられて、彼(そいつ)が現われたのだ。
 気合を入れかけていたあかねが、後ろに転がった。

「試合会場は、どこだーっ!」

「り、良牙君!?」
 あかねが尻餅をつきながら、驚いて声をかけた。
「あ、あかねさん…。と、いうことは…ここが、試合会場かあ!?」
 どうやら、関東大会の試合会場を探し求めて、彷徨っていたようだ。
「ここは、天道家よ…。それに、試合はとっくに終わってるわよ、良牙君。」
 苦笑いしながらあかねが良牙に接した。
「何だってえーっ!?俺って奴は、また、乱馬との勝負を逃してしまったのかあ?」
 だああっと頭を抱え込んで良牙がわめき散らした。


「ホント、間が良いってのは、こういうことを言うのかもしれないわねえ…。」
「天の思し召しかもしれませんわ。」
 突然の来訪者、響良牙の出現に、天道家の空気は俄かに変わった。

「風が吹き始めたわ…。心地良い、五月の風が…。ね。」
 なびきの言葉を受けて、のどかがコクンと頷きながら、にっこりと笑った。
 さわさわと渡っていく、新緑の風に、庭先の木立が揺られていた。



八、

 良牙が天道家に来訪して、少しばかり、どんよりと歪んでいた空気が落ち着いた。

「へえ…。乱馬の奴、逃げたんですか。」
 あかねの身の回りに起こった「異変」の話を聞きつつ、良牙が唸った。
「まあ、逃げたっていうのとちょっとニュアンスが違うみたいなんだけどね。」
 あかねは苦笑しながら話し込む。良牙という旧友の来訪に、少し気が楽になったような気がする。これも、良牙の飾らない誠実な性格が、ある種の「癒し効果」をもたらしてくれているからに違いない。
「乱馬めっ!このところ負け無しだから、奢ったに違いない!僕が試合に間に合いさえすれば、ガツンと一発、お見舞いしてやれたのに。」
 と拳を作って悔しがる。
「で?あかねさんは、その「綾小路茉里菜」とかいう女と対決するために、気の技を完成させたいと?」
「この際、茉里菜のことはさておいて、そろそろ、あたしも真剣に気技を修行して身に付けたいって思って、気に留めてすすんで修行はしてきたのよ。でも、なかなか、コツがつかめなくて、停滞しちゃってるの。情けないわ…。」
 と正直に明かす。
 実際、去年辺りから、気技を打つための修練を積んできていた。基本となる気の生成は、かなりの確立でコントロールできるまでにはなっていたのだが、如何せん、壊滅的打撃を与えるまでの技にどうしても、組み上げられないのであった。

「見てて!」
 試しにあかねは、気を掌に集めてみる。実際良牙君に、己の技量を確かめて貰うためのデモンストレーションだ。
「はあああっ!」
 集めた気玉を当人は思いっきり、庭先の石灯籠目掛けて、打ち出した。

 スポン!

 気のない音がして、煙が一瞬、もうもうと上がっただけで、ダメージは加えられない。石灯籠を倒すどころか、ただ、煙を発生させただけで終わってしまう。

「やっぱ、ダメかあ…。」
 ふううっとあかねは肩を落とした。
「こんなんじゃ、茉里菜の気技には到底追いつけないわ。」
 と、ため息混じりに、沈み込む。
「そんなに、その、綾小路茉里菜って女の気技は凄かったんですか?」
 良牙が尋ねてきた。
「ええ。悔しいけど、足元にも及ばないわ。ほら、そこの門戸、見事に破壊されちゃってるでしょ?彼女が気弾でぶっ壊してくれたのよ。」
 と、門戸の残骸を指差した。
「へえ…。気弾で門戸をねえ。どら。」
 良牙は立ち上がると、門戸の残骸の方へと歩み寄る。そして、しゃがみこんで、じっと破壊片を手にとって、考え込む。

「うーん…。何か、妙だな。この欠片。」
 良牙は呟くように言った。
「へ?何が妙なの?」
 あかねが後ろから覗き込んだ。
「ほら、この欠片。焼ききったようなコゲがあるでしょう?こう、何かで燃やしたような。」
 と、良牙が指で焦げた痕跡を指し示した。
「それが、どうしたの?」
「彼女は炎系の技でも使ってたんですか?」
 良牙はあかねに茉里菜の繰り出した技について、詳細を尋ねてきた。
「うーん、あたしが見た限りでは、あんまり良くわかんなかったわ。でも、技をまともに受けた、右京も小太刀も火傷のような裂傷を負っていたから、炎系の気技だったのかもしれないわ。」
「炎系の気技ねえ…。手で打ってたんですか?」
「ええ、気をはあっと溜め込んで、こう、両掌を前に迫り出すように重ねて組んで、どおっと。」
 あかねは実際に、騎乗でバランスを取りながら、右京や小太刀目掛けて放った、構えを再現して見せた。
「そんな具合にですか…。変だなあ…。」
 良牙は腕を組んで黙り込んでしまった。
「どうしたの?」
 なかなか次の言葉を継がない良牙に、あかねは不思議そうに尋ねた。
「純粋に体内から放出させる炎系の気技を打つ奴は、見たことがないもんで…。」
「はあ?」
「何か、炎を呼び込みそうな現象が近くにありました?例えば、おじさんたちの煙草とか、焚き火とか。」
「いえ、別に、誰も火なんか使ってなかったわよ。それがどうしたの?」
 あかねの問い掛けに、良牙がゆっくりと言葉を選びながら、説明を始めた。
「つまり、乱馬が周りに巻き込んだ相手の熱い闘気を利用して冷たい拳で竜巻現象を起す大技、「飛竜昇天破」を打つのと同じ論理で、周りに炎を呼び込むキッカケみたいなのがないと、炎系の技は打てない、と思うんです。手品師が口から炎を噴出すのにも、タネとかが仕込んであるのが、当たり前でしょう?それと理屈は同じで…。
 人間の闘気が炎を作り出して表に出すなんて、訊いたことがないよなあ…。」
 良牙が腕を組んで、考え込んだ。
「そ、そういうものなの?」
 あかねは目を丸くして良牙を見返した。
「そいつ、本当に人間だったんですかね?」
「人間だと思うけれど…。」
 あかねは苦笑いしながら言った。妖怪的な笑いはしていたが、確かに人間だった。
「気技ってのは、持てる気を増幅させる「キッカケ」をそこに作り出せるか否か…。それが技の鍵になってるものなんです。」
 良牙は解説し始めた。
「は、はあ。」
 あかねは小首を傾げながら、良牙の話を聞いていた。
「そのキッカケは千差万別。乱馬の「飛竜昇天破」は相手の闘気を螺旋の渦の中へ巻き込んで、そこへ冷気の詰まった拳を突き上げれば、後は勝手に闘気が物凄い渦を作る…そんな技。
 で、俺の「獅子咆哮弾」のキッカケは「不幸」だ。不幸な歪んだ気持ちが体内の気を一気に増幅させて打ち込むのが「獅子咆哮弾」。それはあかねさんも知ってるでしょ?」
「ええ、まあ…。獅子咆哮弾に魅入られると不幸だけを呼び込むだなんて、シャンプーのお婆さんが言ってたわよね。」
 獅子咆哮弾の完成形を見た、乱馬対良牙の闘いを思い出しながら、あかねが言った。
「乱馬も「猛虎高飛車」を打つけど、あれも、高飛車な気分を増幅させて打つ気技でしょ?」
「そうね。ふんぞり返って打つくらいだものね。」
「気技は何も体内の気を全てぶつけて打つ技じゃない。勿論、気を全て注ぎ込んで打つ技もあるにはあるだろうけど…。どっちかというと、そういうのは珍しい方じゃないかな…。」
「じゃあ、綾小路茉里菜の技は特別ってこと?」
「いや…。僕は実際に見ていませんから、断言はできませんけど…。」
「特別な大技なんだ。」
 考え込むあかねに、良牙は元気付けるように言った。
「あはは、でも、大丈夫です!さっき、あかねさんが打ったくらいの気で充分、気技の完成は可能です。」
「ホント?」
 あかねの瞳に光が戻った。
「あれくらいの気を自在に扱えるようになれば、あとは何かキッカケを与えてやれば、想像以上の破壊力を持つ気技が生まれますよ、多分。」
「何かのキッカケ…。例えば?」
 矢継ぎ早に繰り出される、あかねの問い掛けに、良牙は口ごもった。
「うーん、さすがに…。そこまでは僕も…。」
 と言いながら、焦って、両手をあかねの前に翳して振った。また、瞬時にあかねの顔が曇ったからだ。
「あ、いやあ、気はその人、個人個人によって性質が違いますから…。あかねさんに向いた気も探せば絶対にある筈です。それを探しましょう!そこから組み立てれば、きっと、あかねさんに合った、気技が短時間で打てるようになると…。いや、絶対に打てます!」

「そうね。考え込んでいても、何にもならないわね…。あたしに合った「キッカケ」かあ…。」
 ぎゅっとあかねは拳を握り締めた。
「ありがとう、良牙君。何とかなりそうな気がしてきたわ。」
 とにっこりと微笑んだ。その笑顔にノックアウトされた良牙。
「よ、良かったら、僕がコーチしましょうか?」
 張りの良い声で、そう切り出していた。

「本当?」
 あかねの瞳がキランと輝く。
 良牙も気技のエキスパートだ。願ったりかなったりのコーチではないか。しかも、乱馬と違って真面目に修行に付き合ってくれるだろう。
「ええ…。僕でよければ、喜んで。」

「良かったわね!あかね。」
 かすみがが後ろからあかねの肩をポンと叩いた。ニコニコと笑っている。
「お姉ちゃん…。」
「良牙君なら、あんたの新しい気技を編み出すのに、良いコーチになってくれるわよ。さっきの、ドドンパ娘さんを吹っ飛ばすような強烈な気技を教えてもらいなさいね。」
「そうね!そして、あの高笑い娘っ子や乱馬の鼻を明かしてやるわ!」
 俄然、やる気が出て来た。ぎゅっと、拳を握り締める。
「良牙君も、我が家で気兼ねなく過ごしてくださいな。寝食の心配はなさらないでね。」
 と、主婦らしい御言葉。

「あかねさんと、一つ屋根の下…。」
 良牙も、目の前がパアアッと明るくなるような気がした。頭上でエンジェルが羽ばたいている。うるうると瞳も大きく見開かれる。おまけに、乱馬は居ない。
「あかねさん!頑張りましょう!乱馬なんか、ぶっ飛ばすくらいの強い気技を、俺と二人で完成させましょう!」
 ぎゅうっと、あかねの手を握り締めながら、良牙が言った。
「はい、コーチ!」
 その気になったあかねは、思わずそんな言葉を吐き出していた。

(乱馬め!あかねさんを悲しませる事ばかりしやがって!ここらで天誅を加えてやる!
 いや待てよ…これはもしかして、あかねさんに近づく最大のチャンスかも…。
 いやいや、待て!俺にはあかりちゃんが居るじゃないかーっ!
 だが、しかし…あかねさんも捨てがたく。
 一体どうすればよいんだーっ?)
 …良牙心の中で、そんな声が鳴り響く。

「どうしたの?良牙君。」
 笑ったり、ぎゅっと拳を握ったり、頭を抱え込んだり、心の声に合わせて態度に出てしまう良牙を見て、あかねが不思議そうに尋ねた。
「あはは…。いや、何でもありません!早速、気をコントロールして自在に打つ修行から始めましょう!」
「はい!」



「何とかなりそうかしらね…。でも、良牙君はいつ、行方知れずになるかもわかんないから…。家の中でも平気で迷うし…。」
 二人の様子を物陰から覗き込みながら、なびきが呟く。
「一応、ここは、保険もかけておくべきかしらね。」
 そう呟くと、なびきはデニムのポケットから携帯電話を取り出し、親指で押し始めた。



つづく




 五年後の二人を取り巻く世界も、十六才の頃と人間関係もあまり変化なく、でも、かといって進歩が全くなかったわけではなく。
 ああ、何てねっちりとした感じでこの作品を書き進めているんだろう…。と、書いている当時、かなりどう展開させるか、プロット組みながら考え込みました。遅々としてなかなかキーボードが進まなかった要因はその辺りにあったと思います。


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