スローラブ 2


第二話 春の嵐、女の闘い


三、

「あかねっ!やったじゃん!」
「大金星よ!」

 武舞台から降りたあかねを待ち構えていたのは、チームメイトたちの満面の笑顔だった。あかねが倒した堂原サトコは、女子学生ランキングも全国で五指に入る有名選手だ。この大会も優勝候補の一角として、名が上がっていた選手である。
 その選手を、あっさりと倒してしまったのだ。
 チームメイトたちの意気が高揚するのも頷ける。
 が、当のあかねは、無感動だった。
 あかねは、対戦相手がそんなにたいして強くないと、最初から踏んでいた。身体から発せられる気は確かに強靭ではあったが、それ以上の威圧感はなかった。
 会場脇に居る乱馬などは、恐ろしいくらいの「気迫」が発せられてくる。彼の場合、気そのものは押さえ込んであるが、それでもなお、抑え切れない「鬼気」とした気合が、否が応でもビンビンと肌を通じて伝達されてくるのだ。そういう、気迫が、サトコには一切なかった。むしろ、あかねは勝ってあたりまえだと思っていた。
 汗を拭くあかねの目の前を、チームメイトに抱きかかえられながら、対戦したサトコが会場を後にしていた。彼女にっとっては、あかねは無名選手。そんな無名選手にやられた衝撃からか、悔し涙を顔中に浮かべている。
「油断したから、負けたわ!」
 などと、負け惜しみを言う声がちらりと聞こえてくる。

「潔く負けを認めたら良いのにねえ…。」
「あまり、美しくない引き際よね。」
 その声を耳にした、あかねのチームメイトが、こそっと耳打ちしあう。
「でも、ホント、あかねって、強い!」
「正直、あの堂原選手にさらっと勝っちゃうなんて思わなかったわ。」
「ウンウン。これなら決勝まで残れるんじゃないの?」
 かなり失礼なことを友人たちは口走っているのだが、あかねは気にも留めなかった。元々、あかねは強い選手であったが、彼女の本当の実力を知らないから、まぐれで勝ったと思われても仕方が無いからだ。
「ありがと…。次もさっさとケリをつけるわ。」
 対するあかねは、汗もさほど流れていないし、息も全くあがっていない。渡されたタオルで軽く顔をしごきながら、友人たちのエールに応える。

 友人たちと接する一方、さっきから、乱馬の気配を感じていた。
 じっと、投げかけられる無言の瞳。タオルから顔を離すと、その視線の先に彼の姿があった。腕組みしたまま、無言でじっとあかねを見詰めている。軽く、口元は微笑んでいるようにも見える。
『やったじゃねえか!ま、おめえの実力からしれみれば、そんなもんだろうがな。』
 そんな、声が聞こえてきそうだ。
『ええ、勝ったわよ!あたしだって、やるときはやるわ!』
 ほんの一瞬だが、互いに、視線でそんな会話を交わす。

 だが、すぐさま、二人の心の会話は遮られた。
 乱馬の方へ、あかねが倒した相手が歩み寄ったからだ。何か、一言二言、会話を交わしている。同じチームメイトだ。何か、アドバイスでもしたのかもしれない。
 その、敗者のすぐ横、他の女子選手が乱馬にしきりに話しかけているのも見えた。

「あれ、綾小路茉里菜、よ。」
 あかねの横でチームメイトの一人が囁いた。
「綾小路茉里菜?」
 あかねは問い返す。
「あかね、あんた、まさか、知らないとか?」
 チームメイトたちがあかねを見返した。
「知らない…。」
 あかねは真正直に応えた。
「あんたさあ…。一応、無差別格闘に身を置くんだから、現在の学生チャンピオンの名前くらいは覚えてないと…。」
「そうよ!早乙女乱馬の恋人だなんて噂もあるわよ。」
「乱馬の恋人?」
 どちらかというと、そちらの言葉に、反応した。
「ほら、ああやって、親しく話してるじゃない。」
 ちらりと、乱馬の方向へ、皆が向き直る。
「綾小路茉里菜の実家って、大富豪なのよ。」
「確かに、金持ちそうな派手な名前だものね。」
「金の力もさることながら、容姿端麗、格闘センスも抜群って、各界から注目されてる、無差別格闘の花なんだから。」
「ふーん…。そうなの。」
 あかねはふいっと吐き出すように言った。
「何のん気なことを言ってるのよ。次の準決勝を勝ち進んだら、あんたの対戦相手になるわよ。」
「あら、あっちも勝ち進めば…の話じゃないの?」
 ツンと突き放すようにあかねは言った。
「そんなに軽く言わないでよ。前回のチャンピオンよ。それに、勿論、今大会の優勝候補なんだから。もう…。」
「全く、あかねったら。堂原を簡単に破ったからって調子に乗っちゃって。」
 チームメイトたちが、口々に、あかねの強気を批判する。
「そ…。強いの、あの娘。」
 あかねはあくまで強気だ。見た感じ、さっき対戦した堂原同様、強い気は感じない。乱馬のように、鬼気迫る化け物のような気迫を、隠している感じでもなかった。
 名前は態を表す、と良く言われるが、それを地で行っているような感じでもある。とにかく、顔立ち、雰囲気、全て派手なのだ。強いて言うなら、格闘スケートの白鳥あずさと九能の妹、小太刀をホウフツとさせる感じがする。
 いわゆる「お嬢様タイプ」なのだろう。香水でも道着に滴らせているような、そんな感じだ。

『早乙女乱馬の恋人だなんて噂もあるわ…。』
 そう言ったチームメイトの言葉が、あかねの脳裏をこだまする。
(まさかねえ…。どちかというと、あのタイプは乱馬は苦手だと思うけど…。)
 ちらちらと、乱馬の居るベンチの様子を伺いながら、否定に走る。
 たしかに、馴れ馴れしく乱馬に接しているようだ。何を話しているかわからないが、高飛車笑いが時々聴こえてくる。
 きょほほほほ…と特徴的な笑い声が、ヤケに耳についた。
 そんな、様子を見るにつけ、早乙女乱馬の許婚として、だんだん腹がたってきた。
 己の知らない乱馬を知っている、茉里菜に対して、得も言えぬ嫉妬のような、不機嫌な感情があかねの心に湧き出してきた。
 それが闘志に変わるのに、時間はかからなかった。

「ほら、あかねってば、ボーっとしてないで!準決勝戦が始まるわよ。」
 傍らでチームメイトの由佳里が声をかけてくれた。

「南東京大学、入谷麻紀選手、対、明星大学、天道あかね選手。」
 壇上ではコーリングが始まっていた。

「あ、行くわ!」
 あかねは慌てて、武舞台へ上がる。

「緊張してるの?大丈夫?あかね…。」
「がんばってね!これに勝てば、明星大学史上初の決勝戦よ!」

 今大会のダークホース、天道あかね選手の出現に、再び会場は湧きあがる。
 あかねも美人選手の一角をなしている。俄かファンで会場が湧くのも少しは理解できた。
 乱馬は相変わらず、距離を置きながら、腕組みしたまま、あかねを見上げていた。その傍らには、女子チャンピオン綾小路茉里菜が寄り添うように立って、じっと、壇上の両者を見上げていた。この勝者と、次の決勝戦を争う事になる。それなり、真剣な瞳が、あかねを追いかけてくる。
 勿論、壇上のあかねは、両者の視線を、感じ取っていた。共に、同じ方向から寄せられる、鋭い視線。そう、双方、同じ方向から…ということに、再び、ムッとなった。

「始めっ!」

 主審の開始の合図を受けるや否や、あかねはダッと飛び出した。
 準々決勝戦では相手の様子を見ながら慎重に試合を運んだあかねが、一転、今度は初めから激しい動きに出たのだ。
 会場はあかねの攻撃に息を飲む。
 右手を方のように平に構え、刀のように薙ぎ下ろす。準決勝の相手も、堂原と同じような巨漢の女子選手だったが、そんな、体格差など、諸共しない猛攻振りだった。
 戸惑ったのは相手だろう。
 か細いあかねの身体からは想像のつかない程の激しい手刀が容赦なく、振り下ろされてくる。それも、息もつかせぬ連打だ。
 何発、手刀が相手の身体に入っただろうか。

 反撃の暇もつかめぬまま、短時間であかねにのされてしまった。

「勝者、天道あかね!」
 審判は高らかにあかねの勝利を告げる頃には、ズタボロに引き裂かれた対戦相手が、白目を剥いて武舞台へと転がっていた。
 あまりの激しさに、一瞬、会場が水を打ったように、静まり返ったほどだ。
 その静寂と、審判の発した勝利宣言に、ハッと我に返る。

「凄まじい気迫ねえ…。あかね。」
「すっごい…。」
 花道を凱旋してくるあかねに向かって、チームメイトたちが目を白黒させながら、声をかけてきた。

「ちょっと、やり過ぎちゃったかな…。」
 担がれてくる担架を見ながら、あかねがペロッと舌を出した。
 つい、乱馬と同じ場所から注がれる、ライバルの視線に苛ついて、セーブせずに対戦者をぶちのめしてしまった。大人気ない闘い方だったと、己でも反省しきりだ。


 舞台を降りると、何やってんだ…と言わんばかりの非難ゴウゴウの苦い視線があかねを見詰め返してきた。乱馬の視線だ。

(もう、わかってるわよ!やりすぎたわよっ!でも…。あんたのせいなんだから!)
 あかねはその視線に向かって、そう投げ返す。乱馬の傍らには、闘志むき出しのチャンピオン最有力候補があかねを見詰めていた。
 女の闘いは既に、始まっている。
 
(今は、乱馬とは敵の大学同士だものね…。)
 少し寂しい気持ちになったが、それが勝負の世界だ。


四、

 女子の準決勝までが終わったところで、男子の準々決勝が始まる。
 最初のカードは、早乙女乱馬対響良牙戦。
 決勝戦まで間があるので、あかねも観戦することにした。
 
「へええ…。良牙君もエントリーしてるのかあ…。」
 そう、舞台を見ながら言うと、チームメイトたちが再びざわつく。
「あかね、響選手も知ってるの?」
 と目を輝かせる。
「知ってるわよ…。ウチの道場に出入りしてたこともあったし。」
「すっごい!響選手って、爆砕技のスペシャリストよねえ。」
「あはは…爆砕点穴ね。」
「爆砕点穴って技、見たことあるの?」
「何度かね。」
「私なんか、見たこと無いのよ!」
「乱馬と良く小競り合いしてたからなあ、良牙君は…。」
「あんたさあ…。早乙女選手のこと、タメで呼んでんの?」
 あかねに向けて、チームメイトたちが問いかける。
「え?あ…まあね。」
「さすがに、同門のよしみよねえ…。早乙女選手もあんたのことタメで呼んでたりして…。」
「そうね…。あいつに、さん付けで呼ばれたことなんかないわね。」
「ええええっ!」
「すっごおい。やっぱ、相当親しいんじゃないのっ?」
「シッ、静かに、始まるわよ。」
 あかねは話をはぐらかせにかかった。勿論、友人たちはあかねと乱馬が許婚であるという衝撃的な事実は知らない。

 武舞台には乱馬一人が上がっている。

「あれ…。響選手は?」
 ざわつく会場。
 と、主審判は高らかに言った。
「響選手。試合放棄につき、早乙女乱馬選手の不戦勝!」
 ドッと会場が湧いた。溜息と共に、くすくすと笑い声も漏れてくる。

「不戦勝だってさあ…。」
「響選手、また、不戦敗なんだあ…。」

「また?」
 あかねが問いかけると、チームメイトが答える。
「あかねって、無差別格闘技に身をおいているのに、本当にエントリーしている強豪選手の試合結果なんかは何も知らないんだあ。」
「響選手って、遅刻の常習犯なのよ。」
「間に合わずに、不戦敗って結構あるんだよね。ちょっとおっちょこちょいなの。」
「それがかわいいって人気者でもあるんだからあ。」

「そ…そうなの。」
 良牙の遅刻の原因について、思い当たる節があるあかねは、言葉に詰まった。

(もしかして、良牙君…。会場に来る途中で迷ってて、試合に間に合わなかったんじゃあ…。)

 彼の方向音痴は、相変わらず凄まじいようだ。持って生まれた性質でもあるから、そう簡単には治らないだろう。
 壇上の乱馬も何かを悟ったように、ふううっと溜息を吐き出している。
『あいつめ!まーた、大事な試合を前に路頭に迷ってやがんな?』
 そんな素振りだった。

「響選手って結構、強いから、好カードだと思ってたのにいっ!」
「あーあ、今回も早乙女選手と対戦できなかったのねえ…。」
 友人たちも、溜息を吐き出していた。
「今回もってことは、前にもあったの?」
 あかねは友人に尋ねる。
「ええ、この前もその前もまたまたその前も、早乙女選手と対戦できなかったわよね…。」
「ホント、響選手も結構いい線いくと思うのに…。」
「ここぞってところで、必ず欠席か遅刻なのよねえ…。」
「目覚まし時計、壊れてるのかしら?」

(はは…。あははは…。良牙君らしいわ。)
 あかねは心の中で苦笑いした。恐らく、いつも、会場を求めて迷いまくっているのだろう。

 続いて行われた、男子の準決勝も、順当に乱馬は勝ち進んだ。
 激しい手刀の連打で相手をノックダウンさせて勝ち進んだあかねと違って、彼はスマートな闘い方だった。明らか、力量が違う選手に、気技を一発、ぶち込むだけで淡々と勝った。
 格の違いをそのまま見せ付けてくるような、これ見よがしな勝ち方だ。

(乱馬と同等に闘える相手はそうそう周りに居ないか…。)
 あかねは、ふうっと溜息を吐いた。
(乱馬…。暫く見ないうちに、また、強くなったわ。)
 周りに聴こえないように、あかねは心でそう、吐き出した。

 男の子には絶対に負けたくない。十代の前半はずっとそう思って、無差別格闘の練習に明け暮れた。小学生の頃は簡単にのせた相手も、中学に上がって暫くすると、体格が違ってくるにつれ、力の差を感じさせられる。それが嫌で、とにかく、男には絶対に負けない。そう思い続けて懸命に突き進んできた。
 それを脆くも崩し去ったのは、目の前に立つ、早乙女乱馬。
 天道道場に最初に現われた日、あかねは彼と手合わせしている。女に変身していたにも関わらず、彼はあかねを寄せ付けなかった。あかねが打ち込む拳や蹴りを尽く避けられ、軽くあしらわれた。
 だが、あの頃の乱馬は、まだ、あかねと今ほどの歴然とした違いは無かったように思う。技や動きはともかく、蹴りや拳の強さは、むしろあかねの方が上をいっていたかもしれない。
 が、天道道場で居候し暮らすうち、良牙やムース、シャンプーの婆さんや、八宝斎の爺さん、パンスト太郎やハーブ、サフランといった強い相手と勝負するうちに、己の手の届かない遥か高みに上ってしまった。
 たとえ、女の乱馬と勝負しても、今のままでは、あっさりと、負けてしまうだろう。
(あたしも、この五年間、サボってた訳じゃないのになあ…。)
 何より、渡り合った勝負の場数と質が違い過ぎる。いや、そればかりではなく、女と男の体格の差、気迫の差を否が応でも見せ付けられた瞬間でもあった。
 会場のそこここで、女性たちが浴びせる、乱馬への熱い視線を感じた。
 みな、一様に乱馬の試合運びに魅入られている。アイドルを見るような黄色い声まで飛んでいるのだ。
 乱馬は淡々と武舞台から降りる。声援など、耳に届いていないような立ち居振る舞いだ。落ち着き払っている。邪念も邪心もない。ただ、あるのは、目の前の敵を倒すという、強い思いのみ。

(もう、追いつくことすらできないのかしら…。)
 得も言えぬ寂しさがこみ上げてくるのは、何故だろう。
 急に乱馬が遠くへ行ってしまったような、そんな思いに襲われた。

 が、勿論、そんな「感傷」に浸っている暇はない。
 
 次は己の出番だ。

 学生無差別格闘技選手権関東大会、女子決勝戦。
 そう、さっき、乱馬に馴れ馴れしく声をかけていた、お嬢様「綾小路茉里菜」との対戦が待っていた。
 
『早乙女乱馬の恋人だなんて噂もあるわ…。』
 そう言った、チームメイトの声が、まだ、脳裏にこだまする。

(冗談じゃないわっ!)
 勝気さが、むくむくと頭をもたげてきた。
 乱馬の女性遍歴に対する嫉妬的感情が、あかねの心を支配し始めていた。高校時代、シャンプーや右京、小太刀と張り合った、あの勝気な少女が再び、あかねの内側から覗き始める。
 乱馬のこととなると、昔から何かとムキになった。乱馬と離れて暮らすようになって、落ち着いてしまったかに見えていた。
 だが…。離れていた時間が長ければ長いほど、再燃すると、性質が悪かったかもしれない。
 実際に、恋人と彼に宣告された訳でもないのに、心にどす黒い感情が湧きあがり、浮き足立ってくる。それが、格闘技前の緊張感と結びつき、やはり、自制心を失いかけていた。

(絶対に負けないんだからっ!)

 対戦相手である「綾小路茉里菜」という女性に…というよりも、長らく関係をそのまま保留し前進も後退もしようとしない煮え切らない許婚、早乙女乱馬に対する「想い」がそのまま爆発した…と表現した方が適切だろう。

『あいつ…何、ムキになってんだ?』
 実際、あかねを見上げていた、乱馬自身、苦笑いしてしまったほどである。
 初めて参加する「選手権」という大舞台という設定を持っていたにしても、気合を入れすぎているように見えたのだ。
 よもや、原因が己に潜んでいるなどとは、この、鈍感男にわかるはずもなかった。

「両者、始めっ!」
 主審が手を挙げた途端、あかねの猛攻が始まった。
 さすがに、学生チャンピオンを数回手にしたというだけあって、綾小路茉里菜も、簡単に倒れる相手ではなかった。あかねの勢いに圧倒されながらも、拳や蹴りをすんでで交わしていくのは、さすがだというところだろうか。
 試合の場数が違うので、あかねのようなタイプの扱いにも、ある程度は慣れているのだろう。

「全く、素人は鬱陶しいですわっ。」
 と、あかねを挑発するようなことを平気で口にする。
 そう。茉里菜にとって、ぽっと出のあかねは「素人」に毛が生えたほどにしか過ぎない。
 その言葉に、あかねの方が切れた。こうなっては、あかねに理性の欠片など、微塵も残らなかった。
「素人呼ばわりしないでくれるっ!今まで選手権にエントリーしていなかっただけよ!」
 あかねのスピードが増した。
「そんな、激しく動いたら、最後までスタミナが持ちませんことよ!」
 案の定、茉里菜の口調は「お嬢風」である。
「あたしは、生半可な鍛え方とは違うの!」
「小生意気な!お望みどおり、粉砕してあげますわ!」
「やれるものなら、やってみなさいよっ!」
 武舞台の上で、火花散る、女の闘い。
 だが、あかねの方が茉里菜の技よりも、一歩抜きん出ていた。物心付くかつかぬかの幼きより、父早雲に指導され、鍛え養いぬかれた根性と力の元が違った。ただ、今まで、試合にエントリーする術が無かっただけ。
 茉里菜の放ってきた拳など、取るに足らぬものだった。ガッシと左手一つで、茉里菜の渾身の右拳を押さえ込んだ。

「なっ、何ですってえ?」
 焦ったのは茉里菜の方だった。今まで対戦してきた相手とは、格段上だ。いや、今までこれほどまでに強い女子選手が居たろうか。
「こんなの、恐くもなんともないわっ!でやああああっ!」
 強襲してきた茉里菜の拳を、左手で掴むと、反対の右手に渾身の力をこめて送り出す。
「きゃあああっ!」
 茉里菜の身体が宙を舞った。何とか体勢を整えて着地しようとよじったところを、あかねは更に、左足で蹴り上げた。見事にあかねの放った足は、茉里菜の胴体に入る。そして、ドオッと横へと茉里菜の身体は滑り落ちる。
「どう?今の、相当効いたんじゃない?」
 すかさず、あかねは更に攻撃へと転じられるように、腰を落として身構える。
 だが、茉里菜はそれっきり、立ち上がれなかった。
 それほど、あかねの攻撃が強烈だったのだ。あまりの猛攻の激しさと身体に受けたダメージの深さで、発する言葉も失ったまま、起き上がることすらままならなかったのである。
 
 茉里菜にしてみれば、初めての屈辱だったろう。暫し、身動きすら取れず、武舞台の床の上に転がったまま、微動だにしなかった。

「勝者!天道あかね!」
 主審は高らかにあかねの勝利宣言をした。
 その途端、会場が割れんばかりに湧き立った。学生女王が無名選手に剣もほろろに薙ぎ倒されたのだ。誰がこんなことを予想したろうか。恐らく、この会場に居る、早乙女乱馬以外の人々は、予想だにしなかったろう。

「凄いわ!あかねっ!」
「圧倒的な強さで勝っちゃった!」
 あかねのチームメイトたちが、抱き合って喜ぶ。
 一方、茉里菜や乱馬の所属する、城海大学チームのベンチは、シーンと静まり返った。一体、何が起こったのか、把握できないで居る。

 勝者のあかねは、武舞台脇の花道を、胸を張って歩いていた。
 激しい動きをしたにも関わらず、息一つ切れて居ない。

 あかねの通る道の先に、乱馬が居た。腕組みしたまま、視線も動かさず、すれ違い様に、あかねに声をかけてきた。

「おめえさあ…。何、気負ってんだ?力で押すだけが無差別格闘の技じゃねえだろ…。今のままだと、おめえの選手生命は…いや無差別格闘技は、ここで終わっちまうぜ!」

 怒ったような言い回しだった。

「何よっ!」
 カチンと来たあかねが、乱馬へと反論ののろしを上げようとした瞬間だった。
 どよっと会場がどよめき立つ。振り向くと、今さっき倒した相手が、ガバッと乱馬の胸へ飛び込んでいくのが見えたのだ。しかも、ワアアッと泣きはらした瞳で、乱馬の胸へと滑り込む。
 破れたチャンピオンが、チームメイトの乱馬へと駆け込んだ。
 いや、ただ、それだけには見えなかった。
 勿論、あかねはそのまま固まり、乱馬に投げかける筈だった「勝気な言葉」も行き場を失ってしまった。
 一体何が…。
 考える暇もなく、今度はあかねの周りにチームメイトたちが群がる。あかねの勝利に酔いしれてのことだ。興奮冷めやらぬ会場の雰囲気も合間って、あかねは乱馬から遠くへと引き離されてしまった。

「次は負けないから。絶対に負けないから!」
 微かに、彼女が乱馬にそう言っているのが聞こえた。
 
(あの娘、一体、乱馬の何なのよ…。)
 微かだった不安が急にもこもこと黒い煙を上げながら、あかねを包み始める。
 五月晴れの美しい天気にもかかわらず、あかねの心に大きな暗雲が立ち込める。
 気になりつつも、友人や取材陣にモミクチャにされながら、乱馬とそれ以降、一言も交わす間もなく、分け入られる。
 出会って五年目のプラトニックカップル。何か異変が広がり始めている。当人たちが望むとも望まなくとも、容赦なく、トラブルは発生するものだった。



つづく




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