スローラブ 1


第一話  純情恋愛一直線


一、


「えええーっ!本当に進展してないのおっ?」
 突拍子も無い声が、ホールいっぱいに響いた。
 一斉に声のした方向に人の視線が集中する。
「ちょっと、そんな大声出さないでよ。恥ずかしいじゃないの、ゆかったら!」
 シッと口に人差し指を当てながら、あかねは友人たちを促した。恥ずかしいじゃないと言わんばかりにだ。
「あ…ごめん…。」
 周りの白んだ空気を敏感に察知し、ゆかは口をつぐんだ。
 隣に座っていたさゆりは、声を潜めはしたが、明らか好奇心をむき出しに、問い質してくる。
「そうよ、あかねっ、高校当時のまま、二人の関係が何も進んでないなんて…信じらんないわよ、普通。ねえ。」
 ゆかもさゆりも、猜疑の瞳をあかねに手向ける。
「だって、本当に何もないんだから、あたしたち。」
 あかねは、少し困惑気味の笑顔を友人たちに手向けながら、持っていたトンと置いた透明のグラス。目の前には色とりどりのご馳走の皿が、ずらっと並んでいる。
 高校時代の親友たちと落ち合って、ランチタイムを楽しんでいる真っ最中だった。
 久しぶりということも合間って、いろいろな話に花が咲く。それぞれ、別のキャンパスにて、花の大学生活を謳歌(おうか)している。
「成人式も済ませたのに、まだ、身体も許し合ってないなんて…。ある意味「奇跡」に近いわよ、それ…。」
「親同士公認の許婚なんでしょそれなのに、その様子じゃあ純情恋愛一直線ね。」
 まだ、好奇の瞳をたぎらせながら、ゆかとさゆりがあかねにせっついた。
「だから、許婚ったって、それは親が勝手に決めたことであって…。」
「本当に、あかねってば、のんびりやさんなんだから。」
「てっきり、結婚秒読みかなあ、なんて思ってたわ。」
「ま、まさかっ!あたしたちまだ、学生よ!」
「あら、学生でも同棲してるやつも結構周りに居るわよ。それに、もう、お互い成人してるんだから。」
「親公認なんだしさあ、何の障害もないじゃないの。」
 二人口を揃えて、攻撃してくる。
「あのねえ、あたしも乱馬もまだ、無差別格闘の修行中の身なんだから!結婚なんて…。」
 早く話を切ってしまいたいと思うが、ゆかもさゆりもなかなか話題を逸らせてくれない。
「じゃあ、あの週刊誌にあった早乙女君の記事、あながち、「ウソ」じゃないのかしらねえ。」
「あ、あたしも先週、美容院へ行ったとき、読んだわ。」
 ゆかとさゆりは身を乗り出してきた。
「週刊誌の記事って?」
 あかねが大きな目を巡らせてきびすを返すと、ゆかとさゆりは顔を見合わせた。
「そっか、あかねは、ああいう女性誌なんか読まないか。」
「若手格闘家を扱った特集に乱馬君のこともちらりと載ってたのよ。」
「へええ…。乱馬の記事がねえ…。そんなに有名人じゃないのに。」
 あかねは感心して見せた。
「何、のん気なこと言ってんの。乱馬君って人気のお株急上昇中の若手格闘家よ。」
「無差別格闘界ではダントツの注目株なんだから。ここ数ヶ月で知名度も上がり始めてるし…。芸能界だって注目してるみたいよ。」
「芸能界があ?」
「昨今、スポーツ選手は芸能界からも引き合いあるじゃん!乱馬君ってかなり女の子たちに注目されててさあ、若い格闘ファンが一気に増えたった評判があるの、あかね、あんた、知らないの?」
「知らない…。あんな奴のどこが良いのよ。」
「もう…。これなんだから。乱馬君って、結構、世間じゃあ女の子たちの評点高いわよ。」
 ゆかが人差し指を天に立てながら言った。
「ルックスだって悪くないし、クールなイメージがあって、何よりも強いもの。負け知らずなんでしょ?」
「負け知らずったって、学生リーグの中での話よ。まだ、一般の試合にエントリーしたことないもの。ま、無差別格闘技種目には年齢制限があるから、一般試合に乱馬が出場権を得られるのは、この夏以降からってことになっているけど…。」
 あかねはグラスを口に宛がいながら、言い切った。
「一般の試合にエントリーしたら、それこそ、誰もほっておかなくなるわよ!」
「この次の世界大会にはエントリーする気じゃないのぉ?」
「だからこそ、今のうちに、何とかしとかなきゃ、結婚どころじゃなくなるぞぉ!あかねっ。」
「し、知らないわよっ。第一、今は一緒に住んでないし…離れてるから。」
 あかねは突き放すように言った。


 そうなのである。
 乱馬が天道家を出て久しい。
 すんなり大学進学を考えたあかねと違い、乱馬は大学へ進学するか否か、高校三年生のとき、相当悩んだようだ。武道を極めるのに余計な学問は不要、彼自身はそんな考えを持っていた。高校を卒業と同時に天道家、いや、日本を出て海外雄飛しながら修行を積んで強くなる。それが、当初彼が描いていた将来設計の第一歩だった。
 だが、格闘センス抜群の彼を、世間が放っておく訳が無い。
 高校三年生の時に父親たちに騙されるようにエントリーされ、たまたま出場した「無差別格闘技」のジュニア大会で他を寄せ付けぬ好成績を出した。結果、世間の注目を集めてしまう。こうなると、当人の思惑とは別に、引く手数多の「大学入学勧誘青田刈り合戦」が始まったのだ。
 少子化が言われている最中、各大学も生き残りをかけて苦戦している。そんな大学教育ビジネスがスポーツ界の若き鬼才をみすみす放っておくわけがない。
 夜討ち朝駆け、大学進学への誘いが、そこここから持ち上がった。
「タダで学卒の資格がとれるのだぞ!タダぞ、タダ。」
 はしゃぎまわるスチャラカな玄馬親父はともかく、人格者のあかねの父、早雲も乱馬に進学を薦めた。
「ただ、強いだけに頼る武道の時代は終焉したよ。武道家には、強いだけでなくそれなり教養も求められる時代になった。それに、残念だが、世間的に認知されたばかりの「無差別格闘技」は一匹狼ではなかなか大会にエントリーするチャンスもないのが実情だ。大学や企業のクラブチームに所属していれば、そちらからエントリーもしてもらえるし、必要なケアが受け易い。
 特に修行の伝手や目的もないのなら、せっかく誘われている大学へ進学する選択肢も悪くはないよ。進学してみて、必要ないと判断すれば、すぐに辞めても良いわけだから…。」
 試行錯誤の末、結局、高校を卒業すると同時に、乱馬は誘われた大学のひとつに進学した。施設面、学費免除面、様々考えた末、首都圏の郊外地にある城海大学を選んだのだった。特待生で授業料、寮費一切全額免除の進学であった。
 また、あかねも別の大学へ進学した。
 それぞれの大学でそれぞれ違う環境下、「武道家」を目指して日夜、修行を続けているのである。
 乱馬の進学先は天道家からは都心とは反対側に電車で小一時間。決して通えない距離ではなかったが、体育会系の必須クラブとなれば「寮生活」を強いられるのは自明の理。まだ「稚拙さ」が抜け切れない若さの学生。何かがあっては大変と、大学側も「寮生活」を強いているのだ。
 大学入学と共に、乱馬は強制的に寮生となり、強肩な管理下の元、詰め込まれつつ学生生活を過ごしているのだ。


「記事には何て書いてあったのよ。」
 やはり気になるあかねは、友人たちへ問いかけた。このまま、何も知らないのも何となく癪に障る。
「彼女の気配なし…ってね。彼女募集中だなんて書いてあったような…。」
「なっ、何ですってえー?」
 くすっと友人たちは笑った。明らかにあかねの反応を喜んでいるようだ。そら来たと言わんばかりの、態度だった。
「ウソよ。乱馬君がそんな事、言うわけないじゃない。」
「そうら。あかねってば、何だかんだ言っても乱馬君の事、かなり気にしてるじゃん。」
 にやにやと友人たちはあかねを見返す。
 やられた、と言わんばかりのあかねの困惑顔。
「記事にはただ「修行中の身の上ゆえ女には興味なし」っていう風に書いてあっただけよ。」
「あ、心配しなくても、親が決めた許婚が居るなんてことも一切触れられてなかったわよ。」
「世間にばれていたら、それこそ、あかねのところに集中して、取材がくるんじゃないの?」
 ふうっと軽く溜息を吐く。
「ほんと、乱馬君って、格闘界だけじゃなく、世間的にも有名になりつつあるみたいよ。ほら、去年の全国学生選手権、春も秋も、敵なしでぶっちぎったじゃない。」
「マスメディアが、そろそろ加熱の一途を辿るんじゃないかしらねえ…。今注目の無差別格闘流の若き王子様って具合にさあ。」
 ゆかがあかねを覗き込む。あかねの表情の変化を窺い知ろうとしているらしい。
「あたしには関係の無い話よ。」
 ムッとしてあかねが突き放した。
「でもさ、乱馬君の近況を何も知らないって?乱馬君さあ、あんたをほったらかしてるの?携帯で毎日メールを送ってくるとかさあ、無いの?」
「あるわけないじゃん。だって、乱馬、携帯、持ってないもの。」
 素っ気無くあかねがさゆりの問い掛けに答えた。
「はあああ?」
「このご時世に携帯電話一つ、持ってないのぉっ?」
 コクンとあかねの首がたてに揺れる。彼が携帯を持ったという話は耳にしない。
「面倒臭がりやで不精な奴だから、使いこなすのも億劫なんでしょうよ。よしんば、持っていたとしても、連絡なんてしてこないわよ。」
「便りが無いのが無事な知らせっていうの?」
「たく…、信じられないカップルね。」
「だから、乱馬とはそんな関係じゃないんだってばあっ!」
 つい、唾が飛ぶ。

 進展どころか、確たるものは何もない。その状況は、今も昔も変わらない。
 天道家を出て行った今、時々、思い出したように電話をかけてくるくらいの交信だ。それも、最初の送信ブザーから公衆電話なのはバレバレ。
 電話がかかると、気を利かせて、家族は必ずあかねに変わってくれるが、一言二言、言葉を交わすだけだ。しかも、「元気でやってるか?」くらいの会話しかない。
 それでも、数ヶ月に一度くらいは天道家へ顔を出す。彼の両親がいまだ、天道家の食客であるからというのもある。が、あかねの顔を見に帰ってくるのだと、彼の母、のどかは、笑う。その割には、どこへ出かけるでもなく、道場で汗を流すか、寝て過ごすか、そんな休日を過ごしてまた、寮へと帰って行く、そのくり返しだった。
 関係を進めるといった兆しは全くない。
 五年間も許婚をやっているにも関わらずである。
 本当に「許婚」と思っているのかすら怪しいが、かといって、破談にしようとする気もないから、二人の関係は高校時代から「そのまま」なのである。
 彼の過ごす寮は規律も厳しいらしく、進学して幾度か、シャンプーや右京、小太刀辺りがちょっかいを出しに行ったらしいが、門前払いで会うことすらできなかったらしい。彼女たちも、ガードの硬い大学側には降参したのか、ちょっかいも出さなくなったようだ。

「じゃあ、この大型連休も彼と会うことは?」
「あるわけないでしょ。」
 あかねは淡々と答えた。
「もっとも、試合会場で見かけることはあるかもしれないけどね。」
 と付け加えた。
「あ…。そっか、大会があるんだっけ。」
「まあね。一応、関東地区の強豪校が揃う学生大会だし、一応、あたしの学校もエントリーはしてあるから、会場で見かけるかもしれないわ。」
「ねえ、もしかして、あかね、デビュー戦になるんじゃないの?」
「ええ…。まあね。うちの大学のサークル、今回初めてエントリーさせてもらったから。」
 あかねは謙遜しながら言った。
 弱小のあかねのサークルは、今まで積極的に学生大会へエントリーなどしていなかった。強い大会に出るなどということは、あかねが入部するまで全く考えられなかったのである。弱小の無差別格闘技部であった。

「ごめん、あたしもさゆりも、その日は旅行へ行くから、応援に駆けつけられないわ。」
「せっかくのデビュー戦を観戦できなくて、ごめん!」
 と拝まれる。
「良いって、別に。気にしないで。」
 出されたデザートのケーキを横目にしながら、あかねが言った。
「あれ?あかね…。ケーキ食べないの?」
 フォークをつけようとしないあかねを、不思議がってゆかが問いかける。
「一応、試合に向けてセーブ中なの。カロリーオーバーして太るわけにいかないから。残念だけどデザートは食べないわ。かわりに食べる?」
 と皿を前に出す。
「そっか…。大会が間近だから、そういう気も遣わないといけないのね。」
「格闘家も大変ねえ…。」
 そう言いながら、さっそく、あかねに出されたケーキを半分こしている友人たちがいた。

 あかねの大学は自由な校風なので、他の大学サークルとは違い、サークル内の「締め付け」は緩い。弱小のサークルだから、規律などあっても、無いに等しい。
 自己管理が基本なので、こうやって試合も近いが、友人と会って喋る時間も持てる。他の学校の体育会系サークルなら、合宿して集中鍛錬しているから、無理だろう。だが、勿論、あかねのサークルは違った。弱小サークルのゆえに、部員への締め付けは皆無だ。
 もっとも、体育系の総合施設だけは充実しているので、家のオンボロ道場では心許ない高度な修行メニューを、あかねなりにこなせ、強い相手が居ないという致命的なデメリットはあったが、基本練習をこなすには、全く支障がなかった。
 実際、あかねの専属トレーナーは、相変わらず、父親の早雲と乱馬の父、早乙女玄馬だということが、弱小ぶりを伺わせている。
 それどころか、試合にエントリーすらなされないような「趣味サークル」だったのである。
 が、あかねの強さが並みでは無いということと、早乙女乱馬と同門だということが、最近、大学側の知れるところとなった。皮肉な事に、マスコミが乱馬に感心を寄せた結果、天道あかねが同門の上、そこそこの実力があると、知られる事になったのである。だが、あかね自身はまだ世間には無名の選手だった。
 今まで、エントリーもしていなかった大会に、この春、やっと大学側も重い腰を上げた。
 学生大会にエントリーできて、素直にあかねは喜んだ。
 実は、あかねの元にも、引く手数多の推薦入学の誘いがあったのだが、敢えて、それを受けなかったのだ。乱馬と同じ大学からも引き合いが来たが、辞退した。別に乱馬が入学を決意したから辞退したわけではないが、「彼の許婚」という立場が互いを縛る事は目に見えていた。他にも優良な体育学校からの引き合いがあったが、学生の本領である「学業」のために進学先は自分で選び、一般入試で入学を決めたのである。彼女の学部はスポーツ実技の体育学部ではなく「スポーツ機能学科」だった。どちらかといえば、スポーツに従事するプロフェッショナルを影から支える側の専門知識を養う学部である。
 結局あかねは、あくまで「サークル活動」の領域を出ないサークルでの活動を、大学生活の前半二年間、続けていたのであった。
 だからといって、無差別格闘技を疎かにしたことはないし、乱馬に負けたくないという「勝気さ」が彼女を格闘技の世界に駆り立てていたのも、事実でもあった。

「でもウチのチームは弱小だから…。」
 ケーキを嬉しそうに頬張る友人たちを見比べながら、そんな言葉が心を巡っていた。
「全国大会まで残ったら、今度は必ず応援にかけつけるからね、あかね。」
「頑張ってね。」
 友人たちはあかねへそんな声をかけていた。



二、

 所詮アマチュア大会とはいえ、学生大会には独特な雰囲気がある。
 種目によっては、学生といえども、プロに近い状況で身体を組み立てた選手が、大手を振って世界を股にかけて活躍している。各人、大学の看板を背負って、試合に臨むのだから、それなり、力も入るというものだ。
 関東地区の限定大会とはいえ、強豪大学が名を連ねているから、手を抜くわけにはいくまい。

 大会二日目、今日が千秋楽だった。

 昨日は男子と女子、それぞれ違う会場で試合が行われたから、乱馬とは会わずだった。が、あかねも乱馬も当然、大会二日目に駒を進めていた。
 有名な乱馬の大学の選手に比べると、市井の無名の新人選手、天道あかねを注目する人間は皆無に近かった。高校時代に出たジュニア大会でそれなりの成績を収めていたにも拘らず、過去の人と成り果てていた。
 女子無差別格闘技は、乱馬の所属する城海大チームがぶっちぎっていたのも確かな事であった。部員が二桁以上居る自チーム内で切磋琢磨し、この大会に駒を進めた正選手に残るのさえ、大変なチームが弱いはずがない。
 あかねの大学は、無差別格闘技に関して言えば、全く無名校だった。それ故、こいつは誰だと言わんばかりに、二日目の会場で、周りの学生選手たちからジロジロと見られた。
 
 あかねも、落ち着かない雰囲気の中、じっと緊張気味に出番を待っていた。

「あかね、調子はどう?」
 同じチームの同級生たちが数人、あかねに声をかけてきた。
「まあまあね。特に悪くも無ければ、良くも無い…ってところかしら。」
 道着の黒帯をギュッと締めながら、答える。
 気合は隆々、このまま、いつでも武舞台の上に立てる。
「今回、あかね、決勝戦まで残れるかなあ…。」
 友人たちがあかねの回りを取り囲んだ。あかねと違って、無冠のサークル生たち。すでに予選で敗退し今日の出番はなく、あかねの応援のために貴重な時間を費やしてくれている。
 当然の事ながら、エントリーした中、あかねだけが今日の試合に残っていた。
「まあね、武舞台に立つ以上は、誰だって優勝を狙うものでしょう?」
 とあかねは、淡々と答える。
「昨日の試合、物凄かったもんねえ…。何人も有名な選手があんたに薙ぎ倒されてさあ…。」
「端で見ていて、メチャクチャ気持ちが良かったわあっ!」
 キャピキャピと友人たちがはしゃいでいる。
「ほら、そこここからカメラがあんたを狙ってるわよ、あかねっ!」
 友人は辺りを見回しながら示唆する。
 確かに。会場に入った時から、携帯電話のカメラやデジタルカメラのレンズが、数多、こちらに向けられていることを、感じ取っていた。中には失礼な奴が居て、真正面からフラッシュをたいて来る奴まで居る。
 無名とはいえ、昨日の活躍が呼び水になっていることは確かだ。
「たく、鬱陶しいったらありゃしないわ。昨日までは全然、見向きもしなかったくせに…。」
 あまり良い気持ちはしない。友人たちがいなければ、「辞めてください!」と突っかかっていきたいくらの心境であった。
「あっちは物凄いカメラや取材陣よねえ…。さすがに学生無差別格闘技の雄、城海大学ね。貫禄が違うわ。」
 友人は、ふと数十メートル先に陣取る大学サークルの先へと目を転じた。
 人垣の先に、見慣れたおさげが揺れている。
「城海大学の早乙女乱馬か…。やっぱ、一流選手は発する気迫が違うわね。」
「本当、注目株だけあって、格好も良いし…。」
「そうよね。野獣が多い格闘技にあって、ルックスが絶対的に良いわ!」
「あんな人が彼氏だったら、言う事なしね!」

「どこが!」
 友人たちの乱馬寸評に反応して、あかねはつい、声を荒げてしまった。

 その声に、同級生たちが、ハッとしてあかねを見返す。
「そっかあ、あかねって、確か、彼と同門だっけ。」
「うんうん、水臭いぞうっ!そんなこと、入学以来、つい最近まで、あんた、一言も教えてくれなかったじゃん!」
 友人たちの視線がかしましい。その、言葉の端々に、有名人と知り合いであるあかねに対する憧憬の念が少し含まれている。
「ねえねえ、彼ってどんな少年時代を送ってたの?」
「同門だったら、子供の頃から知り合いなんでしょう?」
 大学に上がってから知り合った友人たちには、乱馬との接点が全く無い。だから、歯に衣着せずに、好奇心むき出しで、気軽に問いかけてくる。
「そんなに古くからの知り合いじゃないわ。」
 と冷たく突き放すように答える。
「でも知り合いなんだ。良いなあ…。彼に手ほどきしてもらったとかさあ…。」
「実は、ロマンスとかがあったりして。」
 にっと友人が笑う。

「そ、そんなのあるわけないでしょうがっ!」
 また、ムキになって声が荒らいだ。

「あかね?」
 友人たちは、あかねの過度な反応に、一瞬、戸惑いを見せたが、すぐさま、戻った。
「ねえ、あかね、何ムキになってんの?」
「あやしいわねえ。」
「もしかして、やっぱり、何かあるんじゃないのぉ?早乙女選手と。」

「あ、あるわけないわよっ!もう!試合に集中できないから、ここでその話は終わりよ!終わりっ!」
 そう言って、一方的に話を切った。
 今日は準々決勝戦から入る。つまり、八強は既に決まっていた。昨日までの緩い試合運びではいくまい。どんな伏兵が潜んでいるとも限らない。何しろ、あかねにとって、この大会が初陣だ。無駄話で適度に緊張をほぐすのは良いだろうが、行き過ぎるとかえって逆効果になる。

 実際、己の試合時間がすぐそこに迫っていた。格闘部の顧問が準備を促すために、あかねの元へとやってくる。
「天道さん、準備の方は大丈夫かな?」
 声をかけてきたのは、三十代半ばの体育教官だ。無名の大学が、あかねの躍進で二日目まで残っているのだ。ニコニコと、嬉しくてたまらない様子だった。
 友人たちや父親たちの応援もあり、大学側もようやく、無差別格闘技チームを編成し、この大会に臨んでくれた。その誠意に応えたい。あかねも素直にそう思っていた。
 あかね以外のチームメイトは、一回戦で皆、姿を消したが、それでも、大会にエントリーして出場できたことは大きな進歩であった。
 やっと、念願晴れて、本格的な大学選手権に出られる。チームメイトたちはあかね以上に喜んでいたかもしれない。
 そんな中、あかねが、上位に残っている。チームメイトの誰一人、予想だにしなかったことだ。
「あ、はい。準備万端整っています。」
 あかねは大きく答えた。
「その意気や良ーし!油断しないで、がんばっていこう!勝ち負けは気にしなくてよいからね。ここまで残れたこと自体、奇跡に近いんだから。」
 そう言って立ち去った顧問の後姿を見ながら、ふううっと息を吐き出した。言葉の端に、勝ち残る期待が全くなされていない事を感じ取った。
 
 そんな己とは対照的に、向こう側の城海大学ベンチは、取材陣が大挙として群がっている。

「そんなに、有望株なのかしらねえ…。あいつ…。」
 誰にともなく呟きかけた。

 準々決勝は、乱馬と同じ大学の女子選手が相手だった。
 しかも、己と同じ三回生。
 彼の大学は女子も選手の壁が厚い。幾度も闘った選手が居たが、今回対戦するのは、初めての選手だった。
 無差別格闘技は柔道とは違い、体重別のエントリーではない。無垣根の重量同士が肉体戦を繰り広げる。あかねの今回の相手は、あかねの倍はありそうな巨漢の女性だった。
 肉弾戦を得意とするあかねでも、手こずりそうなくらい、頑強そうだった。
「大丈夫?あかね…。」
「体格差が物凄いけど…。」
 傍に居る、友人たちが、心細げに声をかけてきたくらいだ。
「大丈夫でしょうよ…。多分。」
「彼女、柔道の重量級から、その奔放な技や強い足腰を買われて、城海大学に入って無差別格闘技に転向したそうよ。」
 友人があかねに耳打ちしてくれた。
「なるほどね…。だから、まだ、気が荒いんだ。」
 あかねも納得する。
「気が荒いの?」
「何?それ…。」
 耳慣れぬ言葉に、チームメイトがあかねに問い返す。
「体から発せられる気が一定してないのよ。見てくれだけで実力はそんなに無いかもしれないわね。」
 あかねはさらっと言って退けた。実は、あかねくらいの上級者になると、相手の発する気でだいたい、強さそのものがわかる。
 だが、友人たちは、あかねが強がっているとしか思えなかった。日ごろの練習の様子から、少しはあかねが強い事は知っていても、大会の中でどのくらいの位置につけているか、想像できなかったのだ。今まで、学生大会にエントリーすらしていなかった弱小大学。どのくらいのランクにつけているか、皆目不明なのも、仕方がないことだった。

「そりゃあ、あかねは今大会のダークホース的存在だけど。」
「あの子、昨日の初戦は相手を寄せ付けない圧倒的な強さだったそうだよ。何と言っても、城海大は選手層が厚いわ、そんな中、出場して二日目に残ってくる選手だから、一筋縄じゃいかないだろうけど、その強気でがんばってね。」
 と、なだめすかすように、あかねへ気合を入れてくれる。
「任せといてっ!勝ちに行くわ!」
 あかねの闘争心に火が灯る。こんなに高揚するのは久しぶりだ。何より、やっと、大きな大会に出場できたことが、嬉しかった。

 相手が誰であれ、乱馬と同じ大学チームの相手には負けたくなかった。
 それが、今のあかねの正直な心情である。
 乱馬を取り囲むマスコミの様子に、あかねなりの、乱馬に対する「ライバル心」が、もこもこと頭をもたげてきたのだ。
 チーム環境も整備され、そのためにだけあるような強豪大学チーム。一方、己の属するは、今までエントリーすら出来なかった弱小サークルチーム。
 その雲泥の差に、煽られるように、闘争心をかきたてられる。

 無差別格闘技の場合、対戦相手が戦意をなくす、ノックダウンと呼ばれる、戦意消失時点まで闘うのが基本である。勿論、怪我などによる続行不能も勝敗の範疇になる。
 ただし、無限に闘うのではなく、一試合、十五分というタイムが設定されている。そのタイム内で勝負が決まらない場合は、延長線マッチが五分間行われ、それでも決着がつかないときは、五名居る審判の判定によって勝敗が決まる。
 また、気砲など、気の技を使うことも許されている。ただし、相手の急所攻撃や観客席に被害が出た場合は、重大な反則となる。下手をすると大会出場権そのものを剥奪されかねないから、よほどの上級者でないと、気の技は使わない。
 無差別格闘は、格闘技、数多ある中でも、もっとも、エキサイティングで、荒々しい競技であった。ゆえに、最近、人気が急速に上がってきて、その裾野も広がり始めていた。
 競技が人気を集めるためには、スター選手の存在が外せないが、早乙女乱馬、響良牙が代表的な若手であろう。そう、良牙もこの世界で乱馬とは別の大学で精進して励んでいた。今大会にもエントリーされていたので、乱馬と闘うことになるのは必至だろう。
 昨今の格闘ブームは、若いスター選手の出現に、盛り上がり始めていた。
 今日の女子部の初戦に、昨日の初日、彗星のように表舞台に立った、天道あかねが出場し、優勝候補の一角、堂下サトコという巨漢の女傑と対決するということもあり、試合を前に、会場内は熱気がこもり始めていた。
 ちらっと感じる横方向。鋭い視線が、あかねの肌を突き刺して来た。
 痛いほどの野獣の瞳。
 早乙女乱馬の視線だった。
『どんくらい、おめえが修行を積んできたか、ここで見届けさせてもらうぜ!』
 強い眼光は、容赦なくあかねを射抜いてくる。彼の強い気が、たくさんの観衆の中から際立って、あかねに投げかけられてくる。
『わかってるわよ、あんたのチームの子には、あたし、絶対、負けないんだから!』
 ちらっと横目で一瞥して、乱馬の瞳に応えた。
 一呼吸置いて、次に、真正面から対戦相手を見据える。噂どおり、堂下サトコ女史は、とてつもなくでかい。
 本当に女性か、と目を疑いたくなるくらいの体格の良さだ。本人が女性申請しているのだから、女性であることは間違いないのだろうが…。
 友人たちが心配して危惧するのも頷ける。

(さて、一暴れしてやるわ!)
 ゴクンと唾を飲み込み、丹田に力をこめる。

 武舞台中央の審判がさっと旗を差上げた。
 試合の始まりを告げる合図だ。
 相手は猪突猛進、あかねを正面から捕らえようと、動き出す。
 体重が重そうな割には、動きが俊敏だ。

(さすがに、鍛え込んであるようね。)
 あかねの頭は冴えきっていた。

 あかねはさっと、相手の攻撃をかわした。逃げたのではなく、一呼吸、外したのだ。体重の軽いあかねは、重量級の選手とやりあうのが不利なのは、自明の理。相手はあかねを真正面から捕らえて潰す作戦に出て来るのは目に見えている。

(簡単には捕まらないわよっ!)
 あかねは体重が軽い分、動きが機敏だ。
 相手は俊敏なあかねを捕らえきれない。が、猪突猛進を辞めようとしない。執拗にあかねへ攻撃を仕掛けてくる。あかねのスタミナを奪い、いずれ、巨漢に捕らえ、押し潰してやる、という魂胆が見えてくる。
「ほっ!はっ!」
 あかねは軽やかに跳びながら、敵の攻撃を避けた。
「逃げてばかりで勝負する気はないのか?この卑怯者っ!」
 相手はあかねを挑発し始めた。あかねがなかなか、捕まえられない事に業を煮やしたのだろう。
 卑怯者呼ばわりされて、あかねが高揚し、熱くなり始める。
「誰が卑怯者ですってえ?」

「あかねっ!動きを止めちダメよ!」
 あかねの動きが止まったのを、チームメイトたちは危惧した。
 ここで動きを止めてしまえば、相手の思う壺だ。巨漢に捕らえられたら、勝機を逃す。誰もがそう思った。

「そんなに言うなら、かかってらっしゃいなっ!相手してがえるわよっ!」
 あかねは翻ると、ダンッと床に足をつけ、その動きを止めた。
 サトコはにっと笑った。捕らえ切れなかったあかねが、自ずから動きを止めてくれたからだ。飛んで火にいる夏の虫。彼女にはそう思えたに違いない。
「フン!言われるまでもないわっ!このまま、あたしの手で倒してあげるわ!でやああああっ!」
 相手はあかねが動きを止めたことを良いことに、全身全霊の気をでかい身体に充満させて、襲い掛かって来た。

「あかねええっ!」
「いやああっ!」
 チームメイトたちの悲鳴がすぐ傍で聞こえたような気がする。
 身体の大きさがあまりにも違い過ぎる。熊のような巨漢に、あかねの身体は一溜まりもなかろう。ここに居る、誰もがそう思ったろう。

 だが、実際は違った。

 最大限に引き付けておいて、あかねはふわっと軽く上に飛んだ。
 ギリギリのところで相手の猛進をかわしたのだった。
「え?」
 サトコはあかねが自分の視界から、すっと消えたことに驚いた。己の想像を超えて、遥か頭上をあかねの軽やかな身体が飛び越える。

 勿論、飛び際に、あかねは強烈な足蹴りを相手に入れるのを忘れなかった。
 あかねの長い脚が、サトコの獰猛で大きな背中を強く蹴った。ひ弱に見えて、実は強健なあかねの右足からの天空蹴り。

「なっ!そ、そんな…。」
 虚を疲れた対戦相手が、怯んだ。
 勿論、とどめの如く、駄目押しすることも忘れなかった。
 着地間際に、右ひじでつんのめった相手の身体を、更に、強く薙ぎ払い、突き飛ばす。勿論、反則技ではない。
 ドザアアッ!
 鈍い音と同時に、相手の巨体は、そのまま前のめりに床へと倒れこむ。

 大歓声が会場を包み込む。
 あかねの大胆かつ美しい動きに魅せられた観客が、どおおっと慟哭のような歓声をあげた。

「勝者、明星(みょうじょう)大学、天道あかね!」
 勝利を告げる、正審判の声が高らかに響き渡った。




つづく




 五年目の乱馬とあかねの風景…コミヤリエさまからのリクエストのお題でありました。「あまり関係が変わらず結婚してない二人」のシチュエーションが良いとおっしゃられましたので、それをベースに物語を考えました。
 本作の二人は、原作以上にプラトニックな二人です(汗
 しかも、くどい物語になりました。
 本人は短編でさらっと書き上げるつもりだったんです…。なのに、五年後の二人は一筋縄じゃなく…。(言い訳)
 場面設定をしっかり書き込まないと先に進めない…ってなことで第一話はとってもくどい書き方をしております。しかも、何度、導入部を書き直したことか…。(私にしては珍しく、ベースにした設定までごっそり書き直してしまった程であります。)
 また、よく掴みきれないわからん乱馬が登場してくるし…。あかねちゃん、追い込まれてくし…。乱あファンの皆様、ごめんなさい。

 なお、本作品は当然の事ながら、団体名、大会名、大学名、全て架空のものであります。
 書き終えてから「明星大学」が存在していることに気がついて、焦った結果、読み方を変えればええかい!という結論に至りました。ということで「みょうじょう」と読ませてください、お願いします。


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