第七話 器の巫


一、

 玄馬の奇術で生まれた、土の傀儡(かいらい)人形たちは、勇猛果敢に、乱馬へと襲い掛かった。

「くっ!自分で動けねえからって、こいつらに俺を襲わせる気か…。」
 乱馬はばっと避けた。

 ケケケと奇声をあげながら、人形たちは乱馬目掛けて、襲い掛かる。
 土人形とはいえ、攻撃力は半端ではなかった。
 ひょいひょいっと避ける乱馬だが、奴らの一人の攻撃が乱馬へと当たる。と、ピッと乱馬の道着が破けて、血が飛び散った。

「何よ、あの土人形っ!」
 あかねが声を荒げた。
「見た感じ、土塊(つちくれ)とはいえ、かなりの力を持っておると見た。そら、乱馬君が苦戦しておる。」
 早雲も目を見張った。
「あれは土でできた傀儡人形です。一言主命は、もとは須佐之男神の収める根の国出自の国つ神だったと言われています。だから、根の国、つまり土の力を自由自在に用いることができるんです。」
 樹が解説してくれた。
「十五匹も居るわ。あれだけ数が多かったら、圧倒的に、乱馬に不利よ…。」
 あかねが叫んだ。
「あらまあ、乱馬君も大変ねえ…。」
「お姉ちゃんてば、状況把握してるの?」
 かすみとなびきも、のほほんと座しながら観戦を決め込んでいる。

「くっ!」
 あかねの指摘どおり、乱馬は苦戦を強いられていた。
 土塊なので、破壊しても破壊しても、また固まって再び、攻撃してくる。
(不味いな…。これだけ数が多くては、気砲を打つにしても、気の無駄遣いになる。かと言って、飛流昇天破のような気の大技を打つには、集中できねえ…。どうする?)
 と、土人形の攻撃をかわしながら、考える。
 上手い考えもまとまらず、乱馬は次第に、土人形たちに追い込まれて行った。

「ふふふ…。ざまあないな。乱馬よ。諦めて、ワシの前に屈しろ。さすれば、命までは取らぬぞ。可愛い子供じゃからな。」
 玄馬は呪縛の中で、余裕しゃくしゃく乱馬を見詰めていた。
「ぬかせっ!実の子にこんな仕打ちしときやがって、父親風吹かすなんて、しゃら臭えっ!」 
 思わずかっとなったところで油断した。
 見ると、十五匹の土塊玄馬たちが、一斉に乱馬へと襲い掛かって来た。逃げるのも間に合わない。

「し、しまったっ!」
 やられると思った瞬間、上から、気が飛んできた。

「上手いぜっ!神足爺さんが居たんだっけ!」
 乱馬がほっと息を吐きつけた。

「何?もう一人居たのか?」
 玄馬がきっと見据えた。

 ドン、ドン、ドンと音が弾けて、道場の屋根から、気が土人形へと打ち落とされる。
 それを受けて、人形は次々に壊され、土塊にと返っていく。

「おお、神足老人も居られたのか。一気に形勢逆転だ!」
 早雲が色めき立った。
「見て、土塊人形も、再生しないわ。」
 あかねが指差す。
「お爺様の念を込めた気弾です。お爺様とて術者の端くれ、一言主命の傀儡とて、再生はできぬのでしょう。」
 樹が再び、解説してくれた。

 最後の一体を打ち砕いたところで、爺さんは屋根の上でよろめいた。

「お爺様っ!」
 樹の声がこだました。

「大丈夫じゃ!それより、乱馬さん、その五鈷鈴で、そやつを!」
 爺さんは、何とか踏みこたえて、落下は免れたようだ。

「わかった、俺が封印してやるっ!」
 光が五鈷鈴を包み始めた。
 天道家に描かれた、六芒星と五芒星の陣が、同時に戦慄き始める。

「くっ!」
 目の前で、玄馬が目を見開く。

「今度は容赦しねえ!親父ごと、封印されやがれーっ!一言主ーっ!!」
 乱馬は五鈷鈴の五鈷の方向を、玄馬へと定めた。
 そこから発せられる、激しい光。

 辺り一面、光に包まれる。
 縁側から見ていたあかねたちも、その眩さに、手を翳して目を細めた。
 光が玄馬の身体を駆逐した。少なからず、その場に居た人々にはそう見えた。

 光が収まったとき、乱馬ははっしと玄馬を睨んだ。

 と、玄馬はみるみる土塊に変わっていく。そして、ボロッと土塊が崩れ落ちた。

「な…。親父が崩れた?」
 はっとして、土塊を見たときだ。
「残念だったな!乱馬よ。そいつも傀儡人形だ。」
 玄馬の声が遥か後方から聞こえてきた。
「何っ!」
 思わず声の方に振り返って、ぎょっとした。
 いつの間にか、玄馬が後ろの松の木の上に、すっくと立っていたのだ。

「不味いっ!乱馬さんが封じたのは、土塊人形だったんだ。本物は、土人形に紛れて、とっくに、結界から逃げたしていたんだっ!」
 樹が叫んだ。
「樹さん?」
 彼の様子の変化に、あかねは思わず声をかけた。
「でも、何故?五芒星の陣が、一言主命を呪縛していた筈なのに…。五芒星の陣が効かなかったのか?」
 狼狽する樹は、陣を見て、はっと表情を変えた。
「陣が、五芒星が解かれている。」

「な、何だって?」
 乱馬が樹を見返した。

「さっきの乱馬さんやお爺様との攻防戦の中で、いつの間にか、描いた陣の一部が、消えているっ!」

 樹の叫びと共に、それまで隠れていいた月が、再び光を取り戻したように、雲間から顔を出した。
 深遠なる月の光。
 その月の光を背に、だっと、玄馬は、松の木から一気に道場の屋根へと駆け上がっていくのが見えた。

「まさかっ!一言主命は、お爺様を「要の術者」にするつもりなのではっ!小寒様ではなくっ!」
 樹は叫んだ。
 
 道場の大屋根の上に、仁王立ちする鬼神姿の玄馬。
 脇に、神足爺さんをしっかりと抱きかかえている。爺さんは抵抗する力も残っていないようだった。
「無念…。」
 一言言って、だらりと身体を玄馬に委ねてしまった。

「我、要の術者を得たり…。」
 玄馬が爺さんを月に差上げて、高らかに叫んだ。
 それからジロッと乱馬たちを見下ろした。

「次は「器の巫」を得じっ!」
 玄馬の瞳が、月に照らされて、不気味に光ったように見えた。
 その輝きが、乱馬をはっしと捉えた。そして、屋根の上から飛び降りる仕草を見せた。

「そうはさせません!」
 玄馬より速く、樹が動いた。
 金剛杵を片手に、乱馬の元に駆け寄った。そして、金剛杵を握っていない手で、空に星印を刻むと、乱馬の直ぐ傍に金剛杵を突き立てる。ぱあっと小さな陣が乱馬の足元に広がった。
 そして、玄馬を見上げていきがった。
「器の巫は、乱馬さんは渡しませぬっ!私の結界を解かぬ限り、乱馬さんはあなたの元には引き寄せられませぬ。一言主命、お爺様を離して、私と神妙に勝負せよっ!」
 樹の甲高い怒鳴り声が天道家の庭先に響き渡る。

 が、玄馬は、樹の様子を見て、フフンと笑った。
 そんなことを言いながら、印を結ぶ。左手の人差し指を、すっと、正面へ手向け、空へ印字を切っていく。
 切り終ると目を見開いて言った。
「ご苦労だったな、役行者の血を受けし若き術者、鴨野樹よ。おぬし、我がために、わざわざ、六芒星の陣をも、解いてくれたようじゃな。」
「な、何だって?」
 焦った樹の視線を受け、玄馬はにやりと笑みを浮かべた。
「ふふふ、残念だったな…。乱馬はワシの求める器の巫(かむろぎ)にはなれぬのよ…。そやつの本性は「男」だからな。男は巫女にはなれぬ。」
 彼の切った印字から、ごおおっと音が響き始めた。
 ビリビリと空気が、振動し始める。
 印字が振動と共に、ぎらぎらと青白く光り始める。星型の陣が、鮮やかに玄馬の目前に浮かんだ。

 そして、くわっと目を見開き、言葉を投げつけた。

「ワシが、欲しかったのは、こちらの娘じゃ!」

 そう言い終わるや否や、玄馬は目の前の陣を、己の気で飛ばした。シュンッと陣が、玄馬を見上げる、天道家の人々の方へと、真っ直ぐに飛んだ。
 それに反応するように、もう一つ、別の気配が、母屋の下から競りあがってくる。
 それは、玄馬が放った陣に引き上げるかのように、もうもうと黒煙と共に這い上がってきた。
 だんだんに象られていく黒い影。
 そいつは、黒い竜になった。
 おどろおどろしい、赤い瞳を持つ、魔獣だ。

「な、何っ!」
 乱馬も樹も、突然の黒竜の出現に、驚愕の声を上げた。

「き、きゃあああっー!」
 つんざくような悲鳴が続いて起こる。
 黒竜は真っ直ぐに、飛んだ。
 口にあかねを咥えると、そのまま空へと舞い上がる。

「あ、あかねっ!」
 乱馬は叫んだ。
 そして、間髪入れず、あかねを咥えて飛んだ、竜に向かって、気を浴びせかけようと身構える。
 ドンと乱馬の目前で気が弾け飛んで、消えた。
 不発弾のように、気はすうっと消滅してしまった。

「なっ!俺の気が飛ばねえっ!クソッ!」

 ドンドンと、何発か立て続けて打った。
 だが、気は、放った瞬時に白煙と共に、消滅する。

「畜生っ!何で気が飛ばねえーっ!」
 焦る乱馬。その上空で玄馬が笑った。
「無駄じゃ!乱馬よっ!」
 玄馬の声が響いた。

「ダメです。乱馬さん。あいつが言うように、攻撃はききません。」
 気の毒そうに樹が言った。
「ど、どういうことだ?」
 食って掛かった乱馬に向かって、樹は言った。
「僕が張った金剛杵結界は、どのような攻撃も無効にさせる働きがあるんです。でも、相手から攻撃を受けないかわりに、こちらからの攻撃も無効になる。つまり、諸刃の剣のような結界なんです。」
 樹は消沈しながら言い放った。
「な、何だとおっ?」

「そう言うことだ!わっはっは。結界の中に居るおまえの気の攻撃は、全て無効じゃ。おまえはその結界に護られている代わりに、攻撃を仕掛ける事も、その結界から出ることも敵わぬのよっ!」
 玄馬は勝ち誇ったように、言った。

「親父っ!てめえ、最初っからそのつもりで!樹をあかねから引き剥がし、俺へと手向けやがったなっ!」

「ご名答!是が非でも、「器の巫」を手に入れたかったのでな。用心には用心したということじゃ。ふふふ、気の扱えぬおまえなど、ワシの敵ではないわっ!」
 そう言うなり、玄馬はさっと竜の背中に飛び乗った。
「術者と巫は貰って行くぞっ!わーっはっはっは。」

 憎々しげに言い放つと、玄馬はそのまま、すいっと黒竜と共に、夜空へと舞い上がった。

 月が煌々と、天道家の庭先を照らしつけている。
 その中を、玄馬は黒竜にまたがり、あかねと神足爺さんを両腕に抱え、そのまま、飛び去って行ってしまった。

 
「あかねーっ!!」
 虚しく、乱馬の叫び声が、天道家の庭先で、こだましていた。



二、

「畜生っ!親父の野郎!ふざけやがってっ!」

 ドンッと地面に、拳を突き立てた。
 ビリッと音がして、乾いた地面にヒビが入る。
 樹の張った、金剛杵の結界は、事が去った今、ようやく解けたのだ。

 乱馬はどさっと、そのまま、投げ打つように、腰を下ろす。肩は沈み、おさげも背中から静かに後ろに垂れる。
 歯をぎゅっと食いしばり、そのまま、降ろした拳を見詰めた。

「乱馬さん…。」
 刺さっていた、金剛杵を抜くと、樹がゆっくりと彼の背後へと回った。

 シーンと天道家の面々は、暗く歪む。
 その中、元気なのはかすみ一人だけだったかもしれない。
 彼女は、微笑を絶やさず、せっせと、台所と居間を行ったりきたりして、動き回っていた。
「温かいお茶が入りましたよ。」
 微笑みながら、湯のみを差し出す。
「ほら…。皆さん、そんな神妙な顔なさっても…。沈んだままでは、良い思案も出てきませんわよ。」
 そう言いながら、次々に、温かい緑のお茶を、それぞれの湯飲みへと注いで回る。
 かすみは、かすみで、動揺したが、この場は己がしっかりと立ち、他の者たちの平常心を呼び覚まさねばならない、そう、決意したようだった。この場で、一番、冷静だったのは、かすみだったろう。
 主婦の強さと母親的な配慮と。かすみは若いとはいえ、幼きよりこの屋の主婦を務めてきただけのことはある、女性であった。
「ここはお茶でも飲んで、一息入れてくださいな。そうすれば、自ずと道も開けてきますわ。」
 一通り、お茶を淹れ終るとかすみらしい言葉で、一同を促した。

「そうだな…。かすみが言うように、こういう時にこそ、平常心を持たねばならぬな。どれ、いただこう。」
 早雲がまず、湯飲みを取った。
 それから、その場に居たものたちに進めた。
「ほら…。まずは、一息入れ、そこから考えよう。きっと、方法はある。」
 その言葉に、まずはなびきが同調した。
「そうね…。落ち込んでいたって、一文の得にもなりゃしないわね…。株で大損した時は、次の株を考えなければならないもの。」
 次に、なびきが「らしい言動」を吐き出した。
「ほら、樹さんも、乱馬君も。咽喉が渇いていたら、良い考えだって巡ってこないわよ。お茶はカテキンが豊富で、頭のめぐりにも効くと思うわ。」
 かすみは、にこっと微笑むと、トンと湯飲みを二人の前に置いた。

 もうもうと上がる湯のみ。
 乱馬はかすみに促されるままに、手に取った。そして、一口、胃袋の中へと流し込む。
 温かい茶湯が、咽喉元を通って胃へと流れ込んでいく。茶の香りに何故か、ホッとした。
 お茶には、人間を落ち着かせる作用があるのだろう。
 武道家にとって、基本であるにも関わらず、目の前の大事に、すでに平常心は失われ、ただ、狼狽するだけの自分に、乱馬は喝を入れた。

「なあ、樹、全部、俺たちに話してみてくれねえか?ウっちゃんの店では、彼女たちが居たし、時間がなかったから、上辺しか事情を聞かされてなかったけどよ…。」
 乱馬はコトンと湯飲みを置くと、樹へと顔を手向けた。

「まずは、てめえの家に伝わる、一言主命の封印の事だ。」

「わかりました、全て、お話します。」
 樹は、静かに口を開いた。
「でも、その前に…。すいません、お腹が減ってしまって…。何かつまむものをいただけないでしょうか。」
 と続けた。
「て、てめえ…。夕方、ウっちゃんの店であれだけたらふく食っておいて、まだ腹の中に食い物が入るのかよっ!それに、あかねがさらわれて、この状況下で食えるのかよっ!」
 乱馬は呆れて樹を見返した。
「すいません…。ボクのお腹は、尋常じゃないんです…。その、お腹が減りすぎると、ちょっとまずいことも起こったりするもので…。」
 小さくなった樹に乱馬は食って掛かる。
「まずい事だってえ?…てめえのお腹が減るのと、一言主の事件と、どっちが大事なんでいっ!」
 ぐぐぐっと、樹の襟ぐりをつかむ。
「だから、あながち、一言主の事と無関係でもないんですってば…。」
 乱馬に突っかかられて、目を回しながら、樹は必死で申し開きをしようとする。

「まあまあまあ…。乱馬君。ここは穏便に。青春期はとかく腹が減るものだ。それに、腹が減っては戦もできん。かすみ、何でも良いから、夜食でも作ってきて上げなさい。」
 早雲が苦笑いしながら、かすみに支持した。


 ややあって、かすみは、残った食材をお盆に入れて持って来た。
「乱馬君の余った夕食だけど、これで良いかしら?」
 かすみがドンと皿を置くや否や、がっつくように、樹はお腹の中に、それらを流し込んでいく。

「たく、どういう神経してんだよ、てめえは…。」
 乱馬は、これ以上何も言えねえやと言わんばかりに、ふううっと大きな溜息をついて、樹を見た。
 
 天道家の人々が、奇異の目で見守る中、樹は出された料理をぺろりと平らげた。だが、一見してあかねが作った物だけは、箸を器用に避けている。
 残ったのは、あかねの作ったコロッケと思われる物体のみだ。

「あかねの料理は、鉄の胃袋も壊しかねねえもんな…。」
 その様子に、乱馬は、更に溜息を吐く。


「私の家は、古代から、奈良県の葛木山を根城とする、祭祀一族でした。」
 たらふく食べて、落ち着いた樹は、丁寧に言葉を継ぎながら、話を始めた。

「葛木山は古代より、霊山としての信仰がありました。大和には、「八百万の神々」がその土地に溢れ、彼らを祀る事によって、自然と一体となり、人間は営みを続けていました。
 山の神々は、祀られる事により、人間に手を貸したり、また、反対に疎まれる事により、禍をもたらしたり。山だけではなく、川にも湖にも海にも森にも、人間の周りの自然の中に、八百万の神々は息づいていました。
 人間の築いた集落が小さかった頃は、それぞれの種族にそれぞれ崇める神が居ました。祖霊であったり、すぐ傍の超自然の神であったり、形は様々でした。ところが、人間が、文明を手に入れてから、集落は次第に大きくなり、共同体が生まれ、ムラとなり、やがてそれがクニへと変遷を遂げました。
 と、同時に、神々の間でも、支配層と被支配層と、格差が生まれました。やがて、クニの中に「倭」と呼ばれた一勢力が、格段の力を持ち、やがて彼らは、支配の過程で、己たちの祭神の中へ、支配したムラやクニの神々を併合させていったのです。

 倭が祀った神は「太陽神・天照(アマテラス)」。
 この巨大な力の太陽神に、支配隷属させられたムラやクニの神々は、天照大神を中心とした「天つ神」の軍門に下りました。出雲神話の国譲りの神話などは、それを端的に表していると言われているのは御存知のとおりです。
 倭に併合された神々は、それぞれの支配権を譲り、倭神、天照大神の支配下に入ることで、神格を保ちました。「国つ神」と呼ばれるのが彼らです。
 
 でも、中には、「天つ神」の侵略を快く思わない神々も居ました。
 当然、彼らは軍門には下らず、中には激しく抵抗した者も居ました。
 抵抗した神々は「荒ぶる神」となり、倭の人々だけではなく、国許の人々も脅かす存在になりました。」

「ふうん…。何だか難しい話だなあ。」
 乱馬が、小首を傾げながら呟いた。
「ふふふ、日本史や古典の時間は眠ったまんまの乱馬君だったら、何言ってるかわからないでしょう?」
 なびきが笑った。
「けっ!おめえにはわかるのかよ。」
「このくらいのレベルのことはね。一般常識よ、一般常識。」
「嘘こけっ!知ったかぶりしやがって…。」

「あはあは…。あかねが居なくなったら、なびきと乱馬君が痴話喧嘩かね?」
 早雲が間に入った。

「ばっ!誰が好き好んで、なびきと痴話喧嘩なんか…。」
 乱馬が唾を飛ばした。
「ふっ!そうよね。あたしじゃ、乱馬君の相手は役不足だわ…。やっぱりあかねでなくっちゃねえ。」
 なびきが小ばかにしたように、乱馬を見返す。

「良いから、樹さんの続きを聞きましょうね。二人とも。」
 にこにことかすみが割って入る。

「こほ…。では続きです。
 倭国はやがて、中国大陸や朝鮮半島の影響を受け始めます。
 当時の東洋世界の中枢は「大陸の大国、唐」でした。
 国名も倭から大和へ変わった頃、こぞって唐と交易を結び、入ってきたのは「仏教」です。」

「はい、ここでおさらいよ、乱馬君。日本に仏教が伝来したのは何年でしょうか?」
 なびきがにやっと笑いながら、問いかけてきた。
「し、知るかよっ!んな、大昔の事!知ってて何か得でもあるのかよっ!」
 思わず怒鳴った。
「ふっふっふ。やっぱり、あんた、日本史は眠ってる口よね。五百三十八年に伝来したって言われてるのよ。「ごさんぱい」って覚えるの。知らない?」
 くくくとなびきが笑った。
「うっせー!んなもん、知ってたって、腹が膨れるって訳じゃねーだろがっ!」

「あの…。」
 乱馬となびきの割り込みに、樹が、苦笑いした。
「あ、こっちは気にしないで、ドンドン先に進めてちょうだいな。」
 なびきが笑った。

「仏教の伝来は、通説では確かに五百三十八年ごろということになっていますが、それも、絶対正確ってわけじゃありませんからね。朝鮮半島と早くから関係を結んでいた蘇我氏辺りは、天皇家に入るより以前に、仏教を取り入れていたとも言われていますし…。
 ま、それは良いです。
 仏教はいわゆる宗教としての側面は勿論、最新の文化として、時の支配層の人々を夢中にさせたそうです。絢爛豪華な仏像や仏画、そして、お経など。
 でも、その教えが、だんだんに、古来からの土着神、「八百万の神」たちを追い込むことにもなったのも否めません。「天つ神」を祭祀していた大王家ですら、仏教へと傾倒しはじめたのですから。
 特に、聖徳太子が頭角を現してからというものは、顕著に、仏教傾倒へと時代が傾いていきました。

 でも、勿論、古来の「神道」に固執する豪族も居ました。何故、本来祀るべき「天つ神」を投げやって「蛮神(ばんしん)」である「仏教」を信仰するのか。……。特に、大王家の祭祀と密着に関係していた「物部氏」の危惧は相当なものでした。大陸急進派の蘇我氏と、事あるごとに対立し、遂には「戦」になりました。
 血で血を洗う戦乱は、蘇我馬子の勝ちとなり、物部守屋は失脚。大王家の重臣という役目を追われ、仏教を柱とする急進派の世の中に時代は変遷していきました。
 大化の改新で、蘇我氏が権力の中枢から追い出され、天智帝、天武帝の時代に、天つ神が持ち直したこともありましたが、天つ神が、仏教の前に強大な力を失っていったことも確かです。
 その頃から、神々の世界でも、波乱が起こり始めました。
 大人しく「天つ神」に従っていた神々の中にも造反者が出始める。
 平安、中世の戦乱へと至る中、「本地垂迹(ほんじすいじゃく)」という考えがしっかり定着するまで、神界では、実は非常に不安定な時代が長く続いたのです。」

「ほんじすいじゃく?何だそれ…。」
「仏や菩薩が民を救うために、日本の神の姿を借りて現れるという「神仏習合」の考え方の一つよ。簡単に言えば、大和の神々が仏教の守り神になったって事よ。ほら、日本の仏閣の中には神社の祠や鳥居があったりするでしょ?あれよ、あれ。」
「おまえ、結構物知りだな…。」
「あら、あんたが何も知らなさ過ぎなのよ…。あかねが苦労するのがわかるわ。…もうちょっと、色んなところにアンテナを張って、勉強もなさい!格闘ばかりしてないで。」
「なっ!」

「ほらほら、静かに。樹君が困惑しているよ。」
 早雲が、溜まらず、シッと人差し指を当てる。

「続き、いきますよ。
 で、葛城の山も例外ではありませんでした。
 大和朝廷に併合される形で、支配を許した土着の神々が、仏教がこの国へ根を下ろし始めた頃から、造反を企てはじめたのです。
 中には過激な神も居て、大和国の転覆までも視野に入れて、積年の恨みを晴らそうと思う恐ろしい荒ぶる神も居ました。その中心になったのが「一言主」なんです。
 一言主は葛城の御魂と崇められたほど力を持った国つ神でしたが、雄略天皇の時代、大和朝廷へ下りました。彼は最初は親大和的な国つ神だったんです。
 ところが、大王家といろいろあったようで、いつしか、「天つ神」に造反するようになっていったのです。
 彼の造反はいつも失敗しました。何度も、朝廷側に挑んでは、ほうほうの態で逃げ出す、その繰り返しだったそうです。
 やがて、一言主は落ち延びた先々で、人間の「怨恨」などの邪心に触れるうちに、より強大な「荒ぶる神」へと豹変する術を持ったのです。そういう神の事をボクたちは「祟り神」と呼んでいます。
 「祟り神」となった一言主は、やがて蛮神の仏教にあえて触れることにより、仏神の力も引き込むことを覚えたのです。そう、密教と呼ばれる、仏教の一流派の術を、己の神通力と合わせ、邪の力へ変換し、使役する事を覚えたのです。巧みに妖術や方術を操り、大和朝廷に造反心を持つ、国つ神の力を己の中に取り込むことによって、力を蓄えていきました。」

「密教って何だ?」
「「大日如来」を世界の中央に置く、一流派よ。日本には、「空海」と「最澄」が持ち帰って開祖したと言われているわ。空海は高野山に、最澄は比叡山にそれぞれ寺院を開き、今でも崇拝されているわ。ま、詳しく知りたかったら、高野山にでも行ってみるといいわ。」
 乱馬の足りないところをなびきがフォローする。
「あんた、これ以上、あたしに解説を要求するなら、解説料をいただこうかしらね…。」
 なびきがにやりと笑った。

「良いですか?続き行きますよ。」
 乱馬たちの向こう側では、樹が苦笑いしながら、待っていた。
 

「仏教は、大和の支配層だけではなく、豪族から一般民衆へと浸透していきました。古代から葛城の神を祀ていた我ら賀茂氏の一族の中にも、奈良時代に入ると、やがて、仏教的、密教的なものを積極的に取り入れる行者も出てきました。
 その中に、一人の天才が賀茂一族の中に生まれました。
 その名は「役小角」。」

「修験道の開祖と言われている、役行者の事だね。」
 早雲が横から割り込んだ。
「えんのぎょうじゃ?誰だ?それ…。」
 乱馬はきょとんと見上げる。
「あんた、本当に、何も知らないのねえ…。古代日本のスーパースターの一人よ、役行者って言ったら。様々な術を駆使して、民衆の間に絶大な支持があった人よ。」
 となびきは呆れた顔を手向ける。
「んなこと言ったって、知らねーもんは知らねーんだってばよっ!」
 ぶくっと乱馬は頬を膨らませた。
「ほら、皆さんがちゃんと聞かないと、樹君が困ってらっしゃるわよ。」
 とかすみがニコニコと微笑んでいる。
 

「あはは、全然話が前に進みませんねえ…。」
 樹が苦笑している。
「混沌とした争乱の時代には、必ず、スーパーヒーローが現れる。それも世の常でして、「一言主」が邪力をつけはじめた頃、役小角もまた、強力な術者として登場したんです。
 役小角は僅か十歳になるかならぬかの頃、葛城山中に入り、厳しい修行に明け暮れました。元々、古代祭祀の血筋。シャーマンの血も色濃く持っていた役小角様。丁度、朝鮮半島から来日していた密教僧、慧灌(えかん)と邂逅し、彼に孔雀明王経法という秘法を授けられました。
 やがて彼は、その秘法を持って、大和国を滅ぼそうとしていた一言主と対決し、大勝を喫しました。そして一度は許しを乞うた一言主を許しているのです。」

「ほお…。何故許されたのですかな?役行者様は。」
 早雲の問い掛けに、樹は答えた。

「一言主は、元々、葛城山系の国つ神でしたからね。我が一族が祭祀してきた神でもありましたから、小角様とて、直接手を下したくはなかったのでしょう。」

「でも、それが甘かったんだろ?」
 乱馬がストレートに尋ねてきた。

「結果的にはそうなりますね。
 一度は小角様に破れた一言主。でも、お察しどおり、それで引き下がったわけではなかった。二度目はまず、小角様の失脚を狙いました。
 小角様と言えば、庶民の間ではスーパースター的な存在でしたからね…。大和朝廷は、当然彼を警戒していました。彼の術を持って、政権が転覆されるかもしれないとね…。
 一言主はそれを巧みに利用したのです。
 小角様にはたくさんの弟子が居ました。勿論、自称も含めてですが。彼の元に、韓国連広足(からくにのむらじひろたり)という、仏教との戦いに敗れた没落貴族、物部氏出身の男がいました。一言主は広足に憑依し、小角様の秘法を盗もうとしたのですが、あえなく失敗。大和朝廷へと逃げ込んだ彼は、逆に、小角様に「国家転覆の謀有り」と讒言(ざんげん)してしまったのです。
 小角様は捕らえられ、伊豆大島に流されました。
 一言主は喜び、再び大和を滅ぼそうと襲い掛かったのですが、孔雀明王経法を会得していた小角様は、伊豆大島から葛木山へ飛来し、使役していた鬼神と共に一言主と壮絶なる、術合戦を繰り広げたそうです。」

「ほお…。なるほど、役小角と一言主は、宿敵と言っても良いような関係であったのか。」
 早雲が腕組みしながら唸った。
「けっ!ただの伝説だろうが…。非現実的すぎるぜ、伊豆大島から飛来するなんてよう…。」
「あーら、あんたがそんな事言うの?非現実的な体質をしてるくせに…。」
 なびきが嫌味を言った。
 あかねが居ない分、彼女の役目を、この姉が果たしているように見えた。
「うっせえ!好きでこの体質を引き摺ってんじゃねえっ!」
 乱馬は一括した。
 尽く、話に水を差したがる連中に、樹の方も慣れてしまったようで、構わずに話を進めた。

「ちゃんと、そのあたりのことは『日本霊異記』などに記載されていますからね…。最も、皆さんが日ごろ目に触れる文献での伝承と、我ら一族に伝わる伝承は少し違う部分もあるのですが…。
 それはともかく、小角様は、持てる方術を使って、一言主と対しました。
 小角様も一言主も、互いに鬼神を使い、術を出し合い、力の限りを尽くしたそうです。
 互いに一歩も引かず…。
 長い戦いの末、ようやく雌雄決し、小角様は一言主を倒しました。
 そして、一言主を葛城の山奥へと封印したのです。奴が式として使っていた鬼神「幽鬼(ゆうき)」と共に…。」

「まあ、大変だったのね。」
 かすみがお茶のお代わりを淹れながら、吐き出した。
 本当に大変そうに聞こえないのが、この、のほほんとした姉の口調ではある。
 湯飲みを前に、こぽこぽとお茶を注ぎ入れる。
 ほんのりとした茶の香りが、鼻先に広がる。

「で、役行者の施した封印ってえのを、俺の親父の野郎が、解いちまったんだったよな。」
 乱馬は、お茶を手に、言葉を継いだ。

「ええ。そうです。彼がつい一週間ほど前に、やって来て、封印の岩坐(いわくら)の前に、陣取って荒修行を始めて…。」
 樹はこくんと頷いた。

「そう言えば、修行に出るとき、「絶対、乱馬よりも強くなってやるもんねー!」とか言って、張り切っていたからねえ…。早乙女君…。」
 早雲が苦笑いした。
「たく、普段は、修行なんて真面目にやらねえ奴が、張り切った途端…。これだもんなあ。大迷惑な話だぜ、ったく!」
 と乱馬は吐き付けた。

「で、親父に憑いた一言主の奴の狙いってのは何なんだ?」
 乱馬は真摯な瞳を手向けた。

「鬼神「幽鬼」を蘇らせ、この国を滅っすることです。」
 樹は、よく通る声で言い切った。



つづく




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