第二十一話 東雲の鬼


一、

 一言主に憑依されたあかねは、破壊樹の触手で動きを封じられた乱馬目掛け、独鈷を手に、勢い良く乱馬へと繰り出した。
助走をつけ、真正面から、一気に乱馬目掛けて、独鈷を繰り出した。

『嫌あっ!』
 つんざくような怒号が、耳元に響いてきたような気がする。
 あかねの声なのか、それとも後鬼の声なのか。案外両方だったような気もする。

 ゆっくりとあかねの肉体は、持っていた独鈷を乱馬目掛けて、突き立てた。
 スローモーション画像のように、一コマ一コマ区切られたように見開かれた、あかねの円らな瞳が、己に迫る。
 手にしている黒い独鈷。そいつが己の身を貫いた瞬間、眩いばかりの光が独鈷の接点からあふれ出た。
 乱馬の身体を包み込んだ瞬間、どこからともなく声が脳内に響いた。

『汝、その秘めたる力を持ち、覚醒せよ!東雲の鬼神、乱馬っ!』

 体内から響いてきたのか、それとも空から響いてきたのか。
 前鬼の声でもない、聞き覚えのある低い張りのある声。

(役小角…。)

 そう思った途端、体内で何かが爆発した。瞬く間に躍動し始めた熱くたぎる血潮。
 同時に、腹部に浮かび上がる「カーンの梵字」。いや、それだけではない。額の部分も熱を帯び、メリメリと皮膚を突き破って、生え揃った二つの鬼角(つの)。
 己の身体に起こった変化。
 だが、その変化より一瞬早く、あかねの握った独鈷は無常にも、乱馬の懐深くに、えぐるように突き立てられていた。
 
「くっ!すんでで、あかね(こやつ)の意識が反応し、心臓への急所が反れたか!」
 一言主が、憎々しげに、独鈷が突き刺さった腹部を眺めた。
 しかし、乱馬の身体を貫いたことには違いがない。
 みるみる、乱馬の強靭な肉体が赤く染まった。鈍い痛みが、傷口から身体全体に広がる。
 乱馬の顔が、苦痛で歪んだ。

「ざまあないな。」
 一言主は勝ち誇ったように、乱馬を眺めながら発した。勝利宣言したつもりなのだろう。
「急所は外れたが、重傷は免れぬ。ふふふ、これで、破壊樹はおまえの身体から全ての血と気を抜き取り、餌(え)にしてやろう。」
「さあ…。そいつはどうかな?」
 乱馬が睨みつけながら、きびすを返した。
「ふん…。負け惜しみの強い奴だ。傷ついた身体で何ができる?素直に負けを認めぬか。」
 侮蔑したように、言葉を吐きつける一言主。
「生憎俺は、諦めが悪いんだ!勝つまでは絶対にやめねえ!」
 乱馬は、勝ち誇る一言主の前で、痛みに耐えながら、にっと不敵に笑って見せた。

 一言主が憑依しているあかねの瞳から、笑みが消えるのに、そう時間(とき)はかからなかった。
 大き右手が、あかねの手の上へと、強く添えられていたのに気付いたのだ。柔らかでいて、力強い乱馬の手。まだつかんでいなかった、もう片方の左手もゆっくりと重ねられる。
 乱馬は渾身の力を持って、独鈷を握っていたあかねの両手を握り締めたのである。勿論、独鈷と一緒にだ。
 握った独鈷の片先は乱馬の肉体に深く突き刺さっている。そこから、血が滲み出し、滴り落ちていくのが見える。
「ぐぬっ…。」
 一言主は、黒く濁った独鈷を乱馬の身体から引き抜こうと、手に力を入れたが、乱馬に強く抑えられていて抜けない。それどころか、独鈷のもう片方の切っ先は、あかねの方を向いている。

 痛みを堪え、乱馬は握った手に、更に、ぐっと力をこめた。逃がすまじという、彼の強い意志が伝わってくる。

「貴様…。」
 一言主はあかねの瞳越しに乱馬を睨みつけた。
 乱馬も視線を外すことなく、真正面から、彼女の中に宿った荒神を見据えた。口元に軽く浮かべる微笑。
 
「へへっ、捕まえた。絶対に逃さなねーぞ。一言主!」
 荒い息を吐きつけながら、乱馬が言った。

 一言主は、焦りながら、乱馬に突き刺さった独鈷を抜こうと、更に足掻く。だが、あかねの身体は乱馬よりも一回り小さい。当然、力も乱馬よりは弱い。それは一言主が憑依したとて変わらなかった。元々、腕力の強い神ではないのだろう。
 彼女が足掻けば足掻くほど、逃すまじと、乱馬は渾身の力をこめる。
 その上、地面から突き上げるように伸びてきた、破壊樹の根が、乱馬の血で活気付いたのか、二人の身体の上に、覆いかぶさるように集ってきた。乱馬の身体から滴る血を求め、群がる白い不気味な根。ざわざわと音をたてながら、破壊樹の根は乱馬とあかねを包囲し始めた。伸び上がる破壊樹に根が、撫でるように沿いながら、二人の身体を包んでいく。まるで、二人を包み込むように、幾重にも、根っこが絡み付いていった。

「貴様…。何をするつもりだ。」
 あかね越しに、一言主が、荒い言葉で吐き付けた。
「けっ、てめえには、わかってんじゃねえのか?」
 乱馬も肩で息をしながら、そう吐き付けた。
「まさか…おまえ…。」
 一言主を象る、あかねの唇が、震え始めた。

「おめえを闇へ返すには、この手しかねえんだ…。小角様と前鬼が俺に与えてくれた、この力と方法でなっ!」
 乱馬は苦しい息の下からはきつける。

「や、やめろっ!そんなことをしたら、このあかねとかいう娘もタダでは済まぬぞ!」
 一言主は、平常心を既に失っていた。

「もとい、そのくらいは百も承知だ。」

「ならば、何故?この娘の命がどうなっても良いというのか?我と一緒に、破壊樹の中に飲み込まれるのだぞっ!」

 か細い声を震わせながら、一言主は乱馬へと畳み掛けた。

 ぎゅっとあかねの手を、上から握り締めながら、乱馬は言い放つ。

「俺は…。俺をを育んでくれた「日本(このくに)」が好きなんだ。それを害する奴には容赦はしねえ…。たとえ己が身が滅ぶ事になっても、その意思は…変わらねえ…。」

 そう言いながら、乱馬は左手をあかねの身体へと伸ばした。

「なあ、あかね…。おまえも、同じ気持ちだろう?だから…俺たちは、小角様の式神、前鬼と後鬼の力を融合させて、てめえを、本来在りし常世の国へと、魂送りしてやる…。」

 ぐわっと見開いた乱馬の瞳。その大きなダークアイは、あかねの姿を捉えた。一言主に憑依された、瞳の奥で、あかねがかすかに頷いたように見えた。

「嫌だっ!は、放せっ!やめろっ!」
 明らかに動揺する、一言主。

「あかね…。逝(い)くぜっ!」

 そう覚悟の一言かけると、乱馬は、伸ばしていた手を、思いっきり己の身体へと、引き戻し、ぎゅっとあかねを抱え込むように抱きしめる。
 その瞬間、ぐっと、下腹部へと力をこめた。

「還れ!常世へ、おまえが生まれた根の国へ!一言主っ!うおおおおっ!」
 乱馬の身体とあかねの身体が、惹き合うようにぴったりとくっついた。乱馬の体内とあかねの体内。黒い独鈷は二人の狭間で、両方の肉体を深く貫いた。

『乱馬…。』
 あかねの声が傍で聞こえたような気がする。
『前鬼…。』
 その声に重なるように、後鬼の声も聞こえてきた。己の中にある前鬼の魂が、後鬼の声に反応したように思った。

 四つの魂が、同時に交差したように思えた。

 遺された最期の力を振り絞り、独鈷から手を離し、そのまま、あかねを抱きしめる。
『あかね…。後鬼…。』
 重なる二つの魂へ、呼びかけながら、唇を重ね合わせた。濡れた柔らかな唇。その感触を永遠に塗りこめるよう、ゆっくりと瞳を閉じた。
 と、同時に眩いばかりの光が、闇を一気に照らし出したような気がする。その瞬間、独鈷が弾け飛んだようにも思った。

『全ての禍が闇へ還る。俺たちも…。』

 次第に遠くなる、意識の中で、乱馬は引き寄せたあかねの身体を、ぎゅうっと抱きしめた。



 おまえたちの還るべき場所は、闇ではない。
 然るべき光の世界。
 蘇れ、東雲の鬼神よ。明るき太陽の光を背に受けて!



 どこからともなく、そんな声が聞こえたように思った。









二、


 ふっと目覚めた時、畳の上に居た。
 蒲団を丁寧に着せられ、見上げる、和室の天井。
 心配げに見詰める、瞳にぶつかった。

「あかね?」
 思わず、声が上ずった。

 がばっと蒲団を跳ね除け、起き上がった。

「たく、やっとお目覚めね。」
 にやにやとあかねの傍で笑う視線ともかち合った。なびきである。
「たく、何時間眠り続けたと思う?このまんま、目が覚めないんじゃないかって。そこの誰かさんなんか、ずっと心配で枕元つきっきりだったんだから…。まあ、樹君も小寒さんも、大丈夫だって言ってたから、あたしはそんなに心配はしなかったんだけどね。」
 なびきはそう言いながら笑った。
「もう、お姉ちゃんったら、余計な事、言わないでよ!」
 真っ赤に染めた顔を、ぷくっとふくれさせて、あかねが姉に言い返す。

「こ、ここはどこだ?あの闘いはどうなったんだ?」
 
 乱馬はきょとんと、あかねとなびきを見返した。

「あの闘いなら、終わったわ。全て。」
 あかねは、全てを心得ていたようで、乱馬にそう囁きかけた。夢ではなかったと、彼女の真摯な瞳が語りかけていた。

「終わったのか。」
 きびすを返した乱馬に、あかねは、丁寧に言葉を継いだ。

「ええ、終わったわ。一言主は根の国へ還って行ったわ。荒神が生まれた場所へ…。破壊樹も枯れたわ。そして、根の国との結界もきれいに塞がれて、今はもう…。」
 あかねの言葉を聞いて、ふっと乱馬が微笑んだ。
「そっか…。終わったのか。それで?あれから俺たちはどうなったんだ?」

「それは、ボクから説明しましょうか。」
 背後から声がして、樹が入ってきた。朱色の袴と白い着物の巫女装束を身にまとった娘としてだ。髪の毛は短いまだだったが、本来の女性の姿を取り戻し、少しばかり華やいだ気がした。



「あの後、乱馬さんたちは、前鬼と後鬼に連れられて、魔宝珠から出て来たんです。」
 樹はゆっくりと噛みしめながら、事の成り行きを説明し始めた。
「ボクは小寒様とお爺様と共に、二上山雄岳の山頂で、じっと、乱馬さんたちが闘っていた魔宝珠を見詰めていました。」









「小寒様っ!お爺様っ!」
 樹は手にしていた魔宝珠の異変を感じ、思わず声をあげた。
 俄かに魔宝珠が、七色に輝きはじめていたのだ。
「おおっ!」
「それは…。」
 爺さんもも小寒も、それを見て声を荒げる。
 魔宝珠はしっかりと抱えていた樹の手からするりと抜けた。
 そして、そのまま、ゆっくりと空へ浮きあがった。まるで、魔宝珠そのものが一つの意思を持っているかのように、己で抜き出で、そして浮かび上がったように見えたのだ。
 そいつは、三メートルくらい上でピタリと静止した。

「止まったぞ…。」
 魔宝珠を目で追いながら、一同はじっと見上げた。
 そ、その時だ。上で見下ろすように止まっていた魔宝珠が、瞬いたかのように光を放った。そして、眩まんばかりの閃光を浴びせながら、粉々に空で砕け飛ぶ。
 それは美しき飛散だった。
 破壊音すら起こらず、一気に光を放ちながら、砕け散る。
 光の粉がさらさらと、あたり一面に舞い降りていった。
 キラキラ輝きながら散らばる破片の粉。その中から、すうっと浮かび上がった人影があった。

「あなたたちは…。」
 
 呆気にとられたまま、佇む、樹たち三人の前に、すっくと二つの人影が立つ。
 次第に輪郭がはっきりと浮き上がる輪郭に、樹も小寒も神足も目を見張り、驚いて息を飲みこんだ。
 鬼人がそこに立っていたのだ。それも二人。
 自分たちよりもひとまわりくらい体がでかい、鬼人だった。倍ほどある身長を、有し、その姿形は異形。額に鋭い鬼角(つの)を持ち、ぎらぎらと輝く力強い瞳。むき出しになった上半身、その胸には「カーン」の梵字がくっきりと浮き上がっている。
 カーンの梵字。不動明王の種字。修験道に生きる、彼らには一目でわかった。
 左手に金剛杵を持っているその男鬼の後ろに、もう一つ人影。ひとまわり小さい鬼人がいた。一目で女性とわかる風体だった。
 透き通る薄絹を身にまとい、抜けるような白い肌。思わず、目が釘付けになるほど、美しい鬼人がそこに居たのだ。
 勿論、彼女の額にも鬼角があった。樹たちを見据える瞳は、男よりは幾分か穏やかに見えた。彼女の手には、銀色の独鈷が握られていた。黒色から銀色の光を取り戻した独鈷だった。。
 一同が驚いたことに、その鬼人は乱馬さんとあかねさんと瓜二つだった。
「乱馬さん?」
 樹は、思わずその人影に、声をかけてしまったほど、似ていたのだ。

『我が名は、前鬼。』
 男鬼が進み出て、声を発した。
『我が名は後鬼。』
 続いて女鬼が発する。

「前鬼と後鬼。小角様の式神…。」
 驚いて見詰め返す樹たちに、鬼人は言った。
『汝ら、役小角様の縁者たちか…。』と。

「一言主はどなった?聖なる結界はっ!」
 先に我に返った、小寒が、急き込んで食い入るように鬼神に尋ねた。役の末裔として一言主の行く末を訊いたのだ。

『一言主は還った。そして、聖なる結界も無事だ。』
 前鬼は静かに言い含めるよう言い放った。

「おまえたちが、還してくれたのか?」
 小寒は続けてたたみかける。

『いや…。我らではない。一言主を還したのは、全てこの者たちの所業だ。』

 そう言って、差し出した彼らの腕の中に、乱馬とあかねが居たのである。


「前鬼は乱馬さんを、後鬼はあかねさんを、それぞれ抱き上げていました。上背のある、鬼たちよりは、一回りほど、小さな人間の身体でした。それぞれ、硬く閉ざされた瞳と唇。血色もなく、息をしているか否かもわからないような状態だったんです。」
 樹はゆっくりと言葉を継いだ。
「彼らは言いました。『この者たちは、我らの力を源に、良く頑張ってくれた。本来は、我らがやらねばならなかった、魂送りをしてくれたのだ。』と。
 そして、ボクらに、魔宝珠の中で起きたことの仔細を教えてくれたんです。
『我らはこれから再び深い眠りに就かねばならぬ…。その前に、この二人をこちらへ帰しに来た。』
『まだ息があります。然るべき方術を施して、蘇生させなさい。役小角の後継者たちよ。』
 そう告げて、前鬼と後鬼は、あなたがたをボクたちに託したんです。」



 樹の口から聴かされた話。なるほどと思った。
 前鬼と後鬼が消えてしまった後、樹と小寒と爺さんの三人は、持てる方術を駆使して、何とか、乱馬とあかねの魂を再び肉体へ定着させ、蘇生させてくれたのだという。


「信じられない話かもしれませんけど…。」
 ちらっと樹はなびきを見た。超現実主義のなびきのことだ。樹の話を、どこまで本気と捉えているか。いや、既に、妄想呼ばわりされているのかもしれなかった。それが証拠に、完全に疑いの眼差しになっている。

「あたしの方が先に目覚めたの。」
 あかねが後を受けるように説明してくれた。
「そっか…。全てうまく行ったのか…。」
 乱馬はふうっと大きな溜息を吐き出した。

「で、他の皆はどうした?九能先輩や親父は?」
 乱馬はついでに尋ねた。

「九能ちゃんは、葛木山の洞窟で小寒様と魂入れ替えされて、中年親父になってたらしいけど、今は元の肉体に戻ってるわ。元に戻った途端、血の気が多くて元気だったから、さっき、樹君が方術をかけて、黙らせたわ。」
「ってことは、また固まってやがんのか?」
「そう言うこと…。あのまんま東京に連れて帰ろうって、佐助さんも言ってたし。」
「そだな、また運転させろーなんて言いながら暴れだしたら大迷惑だもんな。あ、いいから、そのままにしとけよ。」
 乱馬は苦笑いしながら言った。
「で、親父はどうした?まさか、あのまんま、幽鬼に憑依されたまんまなんてことは…。」
「幽鬼も、一言主と共に結界の向こう側に還されたわよ。式神を仕切っていた術者が居なくなったんですもの。当然でしょ。」
「ってことは…。」
「今頃、お父さんと神足爺さんと、酒盛りよ。」
「酒盛りだあ?何、悠長な事やってやがるっ!たく、あいつが今回の騒動を引き起こしたって言ったって、過言じゃねえぞ!」
 乱馬は、思わず苦言を呈した。
「そこら辺は、あんたのお父さんよ。憑依されていたことなんか、これっぽっちも覚えてないってさ…。今頃、上機嫌で一杯やってるわよ。」
「たあく!あのクソ親父!さんざん迷惑かけまくったくせに。一回締め上げてやろうか!」
 乱馬の鼻息は荒い。
「で?小寒の野郎はどうした?あいつめ、あかねと一緒に、一言主を葬り去ろうとしやがって…。」
「ああ、彼なら、葛木山の洞窟にそのまま篭ってるわ。」
 なびきが口を挟んだ。
「篭ってる?」
「ええ、何でも、今回の事で、まだ役を継ぐには早過ぎるって思い知ったから、一から修行をやり直すってね。」
 なびきは傍らの樹を見ながら答えた。
「まだ、結界も完全に塞がって安定したわけじゃないから、暫くは山篭りするそうです。それから、今回の事は、己の不足が招いたと、乱馬さんとあかねさんには充分お詫びしたいと言っていました。」

「ま、当然だな!あかねなんかは、あいつに消されかけたんだからな。」
 乱馬の鼻息はまだ荒い。
「まーだ、根に持ってるのね…。あんたも、案外、しつこい性格してるわね。」
 なびきがそれを見てくすくす笑った。
「仕方がないですよ。ご自分の許婚をあんな目にあわされたんですから…。愛する者を必死で守るのは、男の務めです。」
 腕組みしながら、樹が言い含めた。
「おい、樹(おめえ)は、まだ、あの男と添い遂げる気なのかよ…。」
 半ば呆れ顔で乱馬は樹を見返した。
「ええまあ…。一族の卜占と許婚は絶対ですし。」
 と頬を染めた。
「純愛なんだ。あーあ、良いなあ。」
 なびきがからかい口調で笑った。
「あ、そうだ。乱馬さんとあかねさんも許婚なんですってね。」
 照れたのか、樹が話題を変えてきた。
「そうよ、この二人も、適当にアツアツだわよ。」
 なびきがころころと笑い転げる。
「だから、乱馬さんはあかねさんを助けるのに必死だったんですね。」
 うんうんと頷く樹。乱馬とあかねは黙してうつむいた。
「いつ、祝言をあげられるんです?」
 にたっと笑う樹。この辺りは、まだ無垢な少女の言動だ。

「俺たちは…。」
「そんなんじゃないわよっ!」

「照れない、照れない…。何なら卜占して差上げましょうか?」
 樹が笑いながら聞き流した。

「良いよ…。もう、卜占は。」
 乱馬はきっぱりと断った。
「己の将来は見えなくて良い。転ばぬ先の杖なんかも要らねえ…。俺は俺の二の足でしっかりと未来に向かって立っていたいからな。」

「へえ…。なかなか言うじゃん。あたしの義弟(おとうと)君は。」

「だから、何でおめえが俺の姉さんなんでいっ…。」
「そうよ、お姉ちゃん!」
 つい、ムキになって反論を試みる乱馬とあかね。

「ふふふ、良いんですよ…。あなたがたは、二人で一対です。でなければ、あの前鬼と後鬼が同時に憑依などしませんよ。」
 くすくすと樹が笑った。
「あの鬼たちは夫婦(めおと)でしたからね。」

「あん?夫婦だったのか?あいつら。」
 思わず、乱馬は叫んでいた。

「ええ、小角様に折伏されるまでは、生駒の菜畑(なばた)辺りを暴れまわっていた夫婦鬼だったそうです。互いを求め合い、それは仲の良い夫婦鬼だったと伝えられていますし、共に小角様に折伏され式神として帰依し、夫婦で仕えたそうです。だから、あかねさんを乱馬さん、あなたが守ったのも、前鬼が後鬼を守ったのと重なりあうんですよ。そんな鬼たちに憑依したくらいですから、あなた方も、良い夫婦になられることは、宿命みたいなものかと。」

 「夫婦になる」そんな、樹の言葉に、二人とも、また、真っ赤になって俯いてしまった。

「ま、いずれにしても、こうやって無事に全て終わったんだし…。明日朝早くここを出て東京へ帰るからね。せっかく、奈良まで来たっていうのに、ゆっくりできないけど。ま、今夜一晩くらい、ゆっくりしなさいな。早々にお邪魔虫は退散するわ。」
 なびきは、にんまりと含み笑いを浮かべるとさっさと部屋を出て行った。



 なびきと樹が出て行くと、二人きりになった部屋。
 少し、気まずくなったのか、乱馬はすっと障子を開き、部屋の空気を入れ替えた。
 月明かりが深々と上から、中庭を照らしつけている。部屋の前に、紅葉の枝葉が照らし出されて佇んでいる。
 風がさあっと吹き付けると、ひらひらと落葉が舞い上がった。
 思わず、その美しさに見惚れる。
「なあ、俺たちの中に、前鬼と後鬼が確かに居たんだよな。」
 乱馬はすっかり暮れなずんだ空を眺めながら言った。月が静かに東の空に登り始める。
「ええ、居たわ。」
 あかねは静かにきびすを返した。
 二人、濡れ縁に座り、さめざめと照らす、月明かりを眺めた。
 少しまん丸から欠けた月には、最早、妖気はない。白い優しい光が、天上から降りてくる。
「あいつら、また、深い眠りに就いたんだよな…。」
 ふっと吐きつける息は白い蒸気を吹き上げた。しんしんと冷える晩秋の夜。
「あたしたちの傷を引き受けてくれたって言うけれど、大丈夫なのかしら?」
「大丈夫じゃねえのか?相手は鬼だし。」
「前鬼と後鬼かあ…。あたし、気になったから、樹さんにいろいろ尋ねてみたんだけど、前鬼と後鬼は役小角に折伏されてからは、彼の手足となって万民に尽くしたらしいけど、その前は相当悪い鬼だったらしいわよ。人殺しなんかも平気でするような…。」
「へえ…。そんな感じにも見えなかったけどよ…。ただのやんちゃくれ鬼って感じだったぞ。後鬼は色っぽかったし…。」
「役行者と関係が深い寺には、小角の像と共に、前鬼や後鬼の像なんていうのもあるらしいわ。」
「前鬼が男鬼で、後鬼が女鬼。夫婦鬼ってのが、何となくな。」
 ふっと乱馬の頬が緩んだ。鬼取岩にて、前鬼に、後鬼を返せと凄まれたことを思い出したのだ。確かに、あのときの前鬼は必死だった。
「きっと、今頃、また、あの鬼取岩で、仲良く片寄せあって眠りに就いてんだろうな…。」
「そうね…。そして、また祟り神が現れたら、誰かに憑依して、大暴れするのかも…。」
「ちぇっ!迷惑な話だけどな。」

 くすっと顔を見合わせて笑った。

 さあっとまた風が吹きぬけて、紅葉をすくい上げていく。
 自然に触れ合った肩へ、そっと手を置くと、己の方へと引き寄せる。
 再び、取り戻した温かい身体を愛しげに抱き寄せた。あかねも、乱馬の方へと、頭を傾ける。

 二人、見上げる空には白い月。微笑みながら、重なり合う二人の影を、鮮やかに照らし出していた。










参考にした文献
『日本書紀』岩波日本古典文学大系
『日本霊異記』岩波新日本古典文学大系
『古事記』新潮日本古典集成
『密教の本 驚くべき秘儀・秘法の世界』学研
『修験道の本 神と仏が融合する山界曼荼羅』学研
『役行者伝記集成』銭谷武平著・東方出版
『役行者と修験道の歴史』宮家準著・吉川弘文館
『生駒の道』生駒市制施行30周年記念要覧(生駒市)
 あと、大学時代にかじった「能・謡曲」に関するノートのきれっぱし(笑



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