第十九話 千三百年目の真実


一、

 丸い月が寂しげに地面を照らし続ける。
 月は既に西の山端へと差し掛かり、小夜は更けていく。

 その明りに照らされて、小寒が手にしていた「魔宝珠」が煌めいた。
 あかねを飲み込んだその魔宝珠。
 乱馬は成す術もなく、地面に描かれた式陣に捕らわれている。
「畜生!畜生っ!ちくしょーっ!!」
 乱馬は月に照らされて妖しく光る魔宝珠に向かって吼えていた。

「小寒よ…。おまえ、何ていうことを。」

 地面に倒れ伏していた神足爺さんが、九能に憑依した小寒へと声をかけた。一言主が抜け、正気に戻った様子だった。

「これは、神足爺様。お目覚めですか。」
 小寒は九能に憑依しているだけに、それだけでもかなり高圧的に見えた。

「馬鹿者!何故、おまえは…。」
 老人に戻った神足はそのまま、絶句する。

「何をうろたえていらっしゃるんですか?一族の最年長の爺様らしくない。これで良いのですよ。一言主を封じる事は、役としての使命ですから。」
 そう淡々と告げた。

「本当にそんな事を思っているのかね?おまえは…。」
 爺様の唇が震えたような気がする。
 コクンと静かに頷く小寒。
「一言主を封じるのが役を継ぎし者の使命ならば、何故、樹をあのまま、魔宝珠へ封印せなんだ!何故、無関係なあの子たちを巻き込んだのだ?小寒よ。」
 爺さんは立ち上がると、小寒の胸倉をつかんだ。
「樹には次の役を産むという大切な使命があるではないですか。彼女は役の妻となる女性。」

「おまえ…。」
 わなわなと爺さんは震えだした。

「それに、あの子たちは、あながち無関係とも言えませんよ。爺様。」
 小寒は冷たく言い切った。
「何故そう言い切れる?」
「前鬼と後鬼の御魂があの子たちに魂移りしたのが、いい証拠です。」
 ちらりと、乱馬の方を眺め見た。

「確かに、彼の中に、前鬼が息づいているようじゃ。だが、それは結果論であって、彼らが望んだものではなかろう?」

「屁理屈ですよ、爺様。」
 小寒が爺さんの言葉を押し退けた。
「私は小角様がやり損ねたことを、やろうとしただけのこと。」
 そう言い切った。
「小角様がやり損ねたことだと?」
 聞き捨てならぬと、爺さんは身を乗り出した。
「ええそうです。我々役には、先祖代々、連面に受け継がれてきた「伝承」があるのです。それは、他の一族たちとは違って、一子相伝にて受け継がれてきた伝承なんですよ、爺様。」
 小寒はとうとうと話し始めた。
 
「小角寒様はね、爺様、一言主を葬り去る事はできなかったんですよ。」

「ああ、それは知っておる。小角様は前鬼と後鬼をお使いになり、幽鬼共々、倒されたとき、もう殆ど体力も霊力も残されておられなかった、そう伝えられておるからな。」
 爺様は相槌を打った。だが、小寒は首を横に振る。

「一族の中へは、そういう伝承になっていますが、残念ながら違うんですよ。爺様。」

「何?」
 いきなりのフェイントに、神足は怪訝な瞳を差し向けた。

「元々一言主は、我が一族が崇めてきた、葛木山の地祇、国つ神の一柱だった。違いますか?」
「それも知り置いておる。」
「ならば、一言主が「女性神」だったことを、爺様は知り置いておられますか?」

「女性神?一言主命が?」

 爺様の顔が驚きに変わった。

「そうです…。女性神です。だからこそ、爺様よりも樹の身体の方を好んで、魂移りを繰り返したのですよ。そして、樹の身体を追い出すと、好んであの、あかねとかいう娘の身体へ逃げ込んだのが、何よりも女性神としての証拠です。」
「逃げ込んだだと?あれはおまえが導いたのであろうが。」
 ふざけるなと言わんばかりに、神足が小寒へ言葉を吐き出した。
「そもそも一言主はあなたの孫娘の身体を依代にするつもりだったんですよ、あの祟り神めは。」
「何を根拠に、そんなことを。」
「根拠ならば、いくつでもありますよ。一言主は、『古事記』にも「我は悪事(まがごと)も善事(よごと)も一言で言い放つ神」と書かれているように元は託宣を与える、言霊の神、呪言神(じゅごんしん)だった。それは爺様とて知っておられましょう?」
「ああ、確かに、そんな伝承があるのう。そこから一言主という神名がついたとも伝えられておる。」
「古来、託宣は我が一族も、多くは女が請け負っていましたからね。巫女が神懸りして託宣するあれですよ。女には女の神が降りる事が多かった。神は器の能力に反応する。至極当然のことです。一言主命は、小角様の許婚、「葛女(くずめ)様」の器に憑依して地へ降りたのです。最初はね。」
「小角様の許婚、葛女だと?」
 爺さんは初耳だったらしく、きょとんと小寒を見返した。
「ええ、小角様にも許婚が居ました。名は「葛女(くずめ)」。役の役目の一つに、優秀な託宣を行える子孫を後添えに伝えていくという「一族の掟」は古くからあったんですよ。私に樹が選ばれたように…。」
 小寒は倒れている樹の方を振り返った。一言主が抜け出た今、彼女は意識を失ったまま、倒れている。
「元々、我が一族は託宣を受ける血筋、シャーマンの血が色濃かったからこそ、小角様のような超人も生まれたのですからね。
 だから、小角様にも幼少期からあてがわれた女、許婚が居ても不思議はありますまい。むしろ、あったと思ったほうが自然ではありませぬか。」
 小寒は畳み掛けるように話した。
「それに、小角様に女が居なければ、我らとて存在は無かったのではありませぬか…。女があったからこそ、母となり、小角様の血が今の世にまで伝わっているのです。そう考えるのが自明の理ではないですかね。爺様。」
 確かに、小寒の言うとおりだった。小角を祖とする役がまだ、存在している以上、小角に妻が居たことを暗示している。ただ、あまりに古の聖人過ぎて、確たる伝承は残っていない。
「葛女様はこれまた、優秀な巫女だったと伝え聞きます。小角様との間に子を成した後でも、まだその巫女の力は衰えずに残っていた。そして、産み落とした子を、小角様の母、白専女(しらとうめ)にお預けなさると、小角様と共に山海に入り、修行に明け暮れた、そんな女だったそうです。」
 まるで見てきたかのように、とうとうと、小寒は、役としての己のみが知る、一子相伝で伝え聞いた伝承を話し始めた。
「あるとき、葛女様に一言主命が呪言神として憑依した。そして、そのまま、葛女様の中に居ついてしまったのです。普通、呪言神は、託宣を終えると、そのまま再び戻って行くものですが、一言主命は役小角という男に惹かれてしまい、魂抜けする機会を逸してしまった。
 小角様は若い頃から、それは大そう美しき人だったとも聞きます。
 神が人間に惚れるという事も、稀なことではなかった。そんな、神界との結びつきが強かった古の御事(おんこと)。
 一言主命は、葛女様の身体を依代に、小角様を慕ってそのまま人間界へ逗留したんです。」

「そんな話、初めて聴くぞ。」
 神足は目を見張った。

「そうでしょうね。これは役の秘話とされてきましたから…。尤も、私とて、爺様が一言主命に、ほんの一瞬でも憑依されていたことに敬意を表して話してさしあげているのですから…。」
 くくくと小寒が笑った。
 どうやら、一言主をあかねに押し込め、葬り去れると思った瞬間、封印されていた昔語りの呪縛も解けたのかもしれない。

「子を成し、子孫を後の世へ伝えるという「使命」を果たした小角様は、嫁だった葛女様といえど、それ以後、「修行の御身」と称し、交わりと持とうとはなされなかった。修験者として大成するために、激しい修行を行う生活へと、己を追い込み、転じていかれたのですよ。
 最初は一言主命も、葛女様の中に大人しく居て、小角様のお傍に居ること、それで良かったようですが、長きに渡って人間界へ逗留するうちに、神としての神格も崩れ、いつしか「ほころび」も出てくる。人間の放つ「毒気」は、純粋な神ほど悪い方向へと流されるものです。清流は泥流となり、やがて、堰が切れてしまう、そんなように、「愛したがゆえに憎さ」も出てくる。
 いつしか、一言主命は相手をなされようとしない小角様を憎むようになっていかれた。純粋な呪言神は荒神に取って代わり、小角様を憎み、修験道を憎み、そして、最後には蕃神を受け入れた大和の民までも憎むようになってしまわれた。
 やがて、一言主命、彼女は祟り神となり、小角様と対決するようにまでなったのですよ。可愛さ余って憎さ百倍とはよく言ったものです…。
 激しい情愛は、同時に激しい憎悪をも呼ぶ。
 そして、いつか、小角様と一言主命は「敵(かたき)同士」となってしまわれた。」

「葛女様という女性はどうなってしまったのじゃ?一言主命が憑依した後。」

「葛女様は憑依され、魂抜けが行われなくなり、いつしか依代から、肉体も心も同化してしまい、一言主命と一体化したのです。

「一体化だと?国つ神とか?」

「ええ、魂から見れば、特に珍しい現象ではありませぬ。葛女様は類稀なる、清浄な気をお持ちだったようですし、何より神懸りできる優秀な巫女でもありましたから。彼女の身体はよほど、一言主命には馴染んだようです。
 そして、葛女様は残念ながら魂移りしていた一言主命に従いました。
 幽鬼を造り、でっち上げを大和朝廷に進言し、何度にも渡って小角を破る事に失敗した、一言主は、小角様と激しい闘いとなったのです。後は伝承のとおり。小角様が前鬼と後鬼を従え、死闘の末、一言主を追い詰めたのです。葛木山のあの祠の場所に。」
 爺さんは衝撃的な話だったのか、ただ、黙って小寒の話に耳を傾けていた。
「それに元々はあなたがまいた種だ。あなたが、一言主に付け入られなければ、何事もなく、今回の役目も次の役へと受け継がれただけだったのですよ。爺様。」
 嘲るような小寒の声が、神足へと射掛けられていた。






(何て高慢ちきな野郎なんだ…。あの、小寒って男はよう。本当に小角様の役を継いだ男なのか?)
 そんなことをおぼろげに思いながら、乱馬も、薄れゆく意識体の中で、小寒の話に耳を傾けていた。






 鮮やかに、脳裏に「前鬼の記憶」が蘇る。小角と一言主の死闘。小角が勝ち、一言主が敗れ去った時の記憶。
 小角が入滅する前に遺した言葉など。
 脳裏に広がるのは、葛木山の洞窟。



二、


『前鬼、後鬼。何とか一言主の野望を砕いたわ。』
 満身創痍の小角が記憶から現われた。

 幽鬼を倒し、そして、小角と一言主の激しい術合戦を間近で体現した。
 一言主は葛女のまま、激しい攻防戦を繰り広げたのだ。
 己と後鬼も元は、彼の術にて使役されていた力。一言主の繰り出す、一つ一つの術に、小角と共に駆けた。勿論、後鬼とセットになってだ。それでも、最期の闘いは、手出し無用とされた。
 小角が張ってしまった式陣の中、悶々としつつも、ただ、遠巻きに、後鬼と共に、見ているだけだった。
 荒ぶる祟り神となり、たとえ、貶められても、一言主は葛城一体を治めていた国つ神。腐っても神様の中に羅列された神である。
 その闘いは凄惨だった。
 愛する者同士が争う、哀しい結末。
 小角は生命力の全てを投じてあい対した。

 その激しい闘いが終わった時、一言主は葛女の姿のまま、小角の張った結界の中へ倒れこむ。

『おのれ…。小角…。』

 彼女は凄惨な気を放ちながら、結界陣の中、小角を見上げていた。

 小角とて、平気ではなかった。
 衣はずたずたに破れ、ところどころ身体からも流血していた。
 闘いに勝利した小角も、殆ど霊力は残されて居ないようだった。

「小角様…。」

 それでも、張った結界は解けず、後鬼と共に、小角を見ているだけだった。

『前鬼よ…。儂はもう長くは無い。これから最期の力で、この荒神を、この狭間の世界へ封印をする。』
 小角は柔らかな顔を己たちの方へ手向けた。
『ふふふ…。さすがに「葛城山を長年に渡り、斎いてきた国つ神のお一人。強さも半端ではなかったわ。情けないが、彼女の生まれた「根の国」へ帰す力は、もう儂には残ってはおらぬ。』

 根の国。
 伊耶那岐と伊耶那美、二柱の創造神が葦原の中つ国を作りしとき、火の神「火之迦具土(ひのかぐつち)」を生んだ傷で身罷ったとき、渡っていった「黄泉つ国(よもつくに)」のことだ。
 伊耶那岐と決別した後、黄泉の国に留まって「黄泉つ神」となった伊耶那美。後に、伊耶那岐の生んだ三貴神、「天照」「月読」「須佐之男」のうち、須佐之男が渡っていったといも言われる「常世の国」、すなわち、不浄の者が住まう死の国だ。
 伊耶那岐と伊耶那美、二神が決別の後、この二つの世界は相反し断絶している。
 小角の口ぶりからすると、一言主も元は根の国に根幹を持つ、国つ神だったようだ。

「根の国…。」
 はっとして、小角を眺め返した。

『そう、根の国、全ての禍の根幹。本来なら、葛女の身体から解脱させ、然るべき術にて「根の国」へ送り返してやらねばならぬのだが…。儂の力はここまでだ。年を取りたくはないのう…。』
 小角はそう言いながら、力なく笑った。

『じゃが、力尽きたとはいえ、このまま一言主をこの狭間の結界へ封印する力くらいは残っておるがな。』

「小角様、まさか…。」
 思わず目を見開いて、小角を見返す。小角が何をやらかそうとしているのか、瞬時に飲み込めたからだ。
「葛女様の身体のまま、一言主命を、そんな所へ封印なさるつもりなのかよう…。」
 乾いた唇から、そんな言葉が飛び出した。
「そうよ、小角様、そんなことをしたら葛女様は…。」
 後鬼も共に叫んだ。彼女もまた、小角が何をしようとしているか、飲み込めたようだ。

 どうやら、小角は一言主を魂返しすることは敵わぬとふみ、依代の葛女ごと、狭間の世界へ封印をするつもりらしい。
 そんなことをすれば、葛女の肉体は狭間の世界に朽ち果てる。生きながらにして、土中へ埋められる人柱と同じことになる。
 前鬼も後鬼も封印の後、葛女がどうなるか、予め理解していた。だから、止めようとしたのだ。
 


『かまわぬ…。祟り神に身体を持っていかれたとはいえ、葛女は我が一族の巫女。彼女とて、承知の上だろう。一言主とて元々は彼女が降ろした神だ。それに、彼女は一言主を、己の身体から逃すつもりもないらしい…。力尽きた一言主が、彼女の身体から出てこないのは、葛女が奴を逃すまいと抑えていることに相違ないからじゃよ。』

 地面に這いつくばった、葛女の瞳には、一言主の鋭い眼光が宿って、こちらを睨み据えている。確かに、依代から抜け出ようと足掻いている様子が伺えた。だが、依代の力が、彼女の魂抜けを拒んでいるように見えた。

「そんな…。小角様は葛女様を巻き込むつもりなのかようっ!」
 居た堪れなくなって、己は小角に叫んでいた。

『こうする他に術も時間も遺されてはおらぬ…。このまま捨て置けば、こやつは再び、現世を闊歩する。葛女が死ねば、他の依代に居つき、それを繰り返し、大和国に禍をもたらし続けるじゃろう…。
 その時、儂が生きておれば良いが、もうそれも限界じゃ。役小角のこの肉体も、寿命が来た。英気が消えようとしておる。儂はじきに入滅せねばならぬ。それに、入滅後は儂は神仙界へ昇る。そうなれば、現世に直接干渉する事はできぬ…。神仙界へ昇る者の定めじゃ。』

「小角様…。」

 見上げた小角の顔は真剣だった。最早、決意は揺るぎが無いものになっているのは明らかだった。

『ふん、貴様ら人間が、たとえ、我が身を封じても、いつかその封印、破り捨て、復活してやる。』
 一言主命は、腹の底から響く声で、小角を睨み上げた。

 小角は、聞く耳など、持たぬように、ざっと九字を切った。
『臨(りん)、兵(びょう)、闘(とう)、者(しゃ)、皆(かい)、陳(ちん)、列(れつ)、在(ざい)、前(ぜん)っ!』
 そして、最後に、でやーっという掛け声と共に、光を発した。

『必ず、復活して、この大和に禍を!小角ーっ!』

 禍々しいまでに神々しい光が、一瞬にして一言主命が寄り付いた葛女の身体を包み込んだ。
 葛女、いや一言主が最後にわめいた言の葉も、瞬時に飲み込んでいく光の渦。
 やがて、光は、下に引かれた式陣の上に置かれた「勾玉」の中へと飲み込まれていった。
 一言主が飲み込まれていた勾玉。それは掌にすっぽりと入る小さな黒い勾玉だった。

 再び、辺りは静かになる。
 息を飲みながら、一言主が消え去るのを見た。
 優しい、葛女の笑顔が、その中に一緒に消えたような気がした。前鬼は葛女の静かな物腰が好きだった。決して表に己の感情を顕にしなかったが、どことなく芯の強い女性であった。後鬼とは違う、「尊敬の念」を彼女に抱いていたのだ。後鬼も恐らく同じ気持ちだったろう。彼女もまた、葛女が一言主と共に消えて言った勾玉を、飽くことなく、じっと眺めて居た。
 勾玉の中で、葛女は現と同じように年を取る。人間の肉体がいつまで持つかは知らない。生きながらにして封印され、時の流れと同時に朽ち果てる。それが、勾玉に飲み込まれた人間の末路だと、前鬼も良くわかっていた。
 誰かが封印を破ったとしても、彼女の瑞々しい肉体は戻らないだろう。長いときを経れば、骨すら残らない。それがわかっていて、あえて、一言主と共に、勾玉に封印される事を望んだのだ。物静かでも激しい情熱の女性、葛女らしい選択だったろう。
 にしても、それを承知で、封印した小角。
 
 一瞬、切なげな表情を手向けた。
 それから、一言主と共に葛女を飲み込んだ勾玉をぎゅっと、一度握り締めると、地面に描かれた結界陣の中央へと、静かに置いた。ドクンと一度、結界陣が戦慄いたように見えた。やがて、結界陣は一度輝く。そして、何事もなかったように、光はゆっくりと空気に同化した。
 光がなくなるのを確認すると、小角は再び結界の前に立ち、えいっと一度阿字を切り、勾玉の上に封印の札を置いた。白い札に朱墨で書かれた呪文。それを勾玉の上に張るように押し付ける。


『これで良し。』
 
 独り言のように吐き出すと、今度は静かに前鬼と後鬼の前に立った。
 今の技で相当霊力を消耗したのだろう。足元もふらついているように見えた。
 心なしか肩で息をしているように見えた。
 そして、ゆっくりと言葉を紡ぎ始める。

『いずれ、長い時が経て、一言主はこの封印から抜け出るだろう。儂の結界は持っても一千年と少し。それ以上は恐らく持たぬ。』
 小角は鋭い瞳を前鬼に手向けた。
『奴は再び、地上へ蘇る。長き時を経、器を得てな…。儂の卜占がそうはっきり告げた。』

「じゃあ、どうすんだよ!奴は復活する、小角様は入滅して居ねえ…。そんな遥か時の果ての禍に、どうやって対処するってんだよ。小角様くれえの術者が結界が解かれた同時代に現れるとは限らないんだぜ!」
 悲痛な言葉を吐きつける。

『大丈夫。ちゃんと対策は高じる。前鬼、後鬼よ。』
 小角はふらふらと自分たちの前に立ちはだかった。
 二人の結界はまだ解かれていない。従って、まだ動く事すら敵わない。ただじっとその場に座して、二人、小角を仰ぐ。
『おまえたちが、重要な役割を果たしてくれる。』
 そう言うと、最後の力を振り絞って、二人の前に立った。

「小角様?」
 その異様な風体に、思わず声が上ずる。

『これからおまえたちを生きながらにして封印する。良いな?前鬼、後鬼。』
 そう言い放った。

「封印?俺たちを?」
「何故?」
 思わず二人、声をあげた。

『ああ、そうだ。前鬼、後鬼よ。この国の未来、おまえたちに託す。おまえたちは、長い時間をかけて、必要な気を溜めるんだ。目覚めてからも全力で立ち向かえる力を溜めるために、ずっと、生まれ故郷の霊岩に包まれて眠り続けろ。目覚めて後は、この国へ降り注ぐ禍を薙ぎ払い、その後は自由に生きよ。もう、儂の式では縛らぬ。』
 そう言うと小角は二つの独鈷を差し出した。

「ちょっと、待て!小角様!そりゃないぜ!俺たちは…。」
「小角様が入滅なさるなら、あたしたちも一緒に…。」
 言葉を吐きつけようとしたが、小角は耳を貸さなかった。

『我と来て、我が鬼神を封印す。汝らが名は前鬼、そして後鬼。』
 その後の言葉は、空で聴いた。
 何か文言を唱えたようであったし、そうでなかったかもしれない。
 小角の切り出した言葉と共に、足元の結界が全開して光った。
 身体に刺すような光の渦。それにみるみる包まれていく。

「うわああああっ!」
 その光のあまりの眩さに、叫び声を上げていた。

「前鬼ーっ!」
 すぐ傍で後鬼の声が響いたような気がする。
 思わず伸びる手。
「後鬼ーっ!」
 彼女の手に触れた時、その声は響いてきた。


『前鬼、後鬼…。頼みましたよ。この大和の秋津島の未来は、あなたたちの手腕の中。小角様が愛した美しき山や川、谷、里を守り抜いて下さい。そして、哀しき孤独神、一言主命様のことも…。しかと、託しましたよ。』

「葛女様?」
 確かに、葛女の声だったような気がする。
 だが、次の瞬間、眩い光の中へと、後鬼共々、二人吸い込まれて行った。
 しっかりと、腕に後鬼を抱きしめながら。温かい光に包まれて、ゆっくりと意識は沈んでいった。





 そんな古い前鬼の記憶が、流れ込みあふれ出してたのだ。乱馬の脳裏へ。






 ふと気がつくと、相変わらず、小寒が御託(ごたく)を並べていた。
 己の意識が飛んだのは、ホンの数秒のことだったのかもしれない。


「結局小角様は根の国へ帰されず、狭間の世界へ一言主を封印されたに留まりました。小角様は、一言主命を根の国に帰す事ができなかったんです。
 小角様らしくない。いえ、小角様だから出来ない事だったのでしょう。
 交わりはなくなったとはいえ、葛女は小角様の「嫁」でありましたからね。愛した女を、一言主の身体ごと禍つ国、黄泉へ追い遣られるのは居た堪れなかったのでしょう。
 修験の道をまい進することを選ばれて後も、心根では葛女様を愛しておられたんでしょうね。その甘さが今回の禍を招いた。私はそう思いますね。」

 何て勝手な解釈だろうと思った。
 そんな中途半端な思いで、愛する者を勾玉に封印したのではない。勾玉へ魂移しし、そのまま封印する事の重さを、小寒(こいつ)はわかってはいないのだ。
 根の国へ帰したくなかったから、とか、禍つ国へやりたくなかったから、とか、そんな短絡的な理由で、狭間へと封印したのではない。
 それは、この前鬼の記憶に鮮明に現れている。

「一言主命は大和の殲滅と小角様を諦めて、冥府、根の国へ逃げ帰ろうとしました。でも、最期の最期、小角様がそれを許さず、愛する者と共に狭間の世界へ幽閉した。そして、そのまま、力尽き、小角様は入滅なされたんです。だけど、私は同じ鉄は踏まない。
 これから、あの娘と共に、一言主を根の国へ送り届けます。」
 そう言いながら、魔宝珠を掲げた。

 と、その時だ。

「てめえ、さっきから黙って聴いてりゃあ、好き勝手な事を…。」
 ゆらりと乱馬が立ち上がった。
 彼の中に居る、前鬼の意識がそうさせたのかもしれない。

「何も本当のわけを知らねえ癖に…。御託だけ並べて、あかね共々、一言主を根の国へ帰すだと?」


「お、おまえは、何故立ち上がれる?」
 小寒がぎょっとして乱馬を見返した。
「私の式陣は完璧なはずだが…。」
「式陣かあ…。てめえ、前鬼と同化した俺を、式神化するつもりだったってか…。だから、後鬼が憑依したあかねを、一言主諸共魔宝珠へ閉じ込めやがったな。」

「だったら、どうだというのだ?」
 居直ったような言葉を小寒が乱馬へと差し向けた。
「式神は術者の言う事をきくものだろう?前鬼、いや、乱馬よ。」
 ぐいっと数珠を前に持ち身構える。
「私がおまえに前鬼の力を与えてやったのだぞ!従え!鬼神、乱馬よ。この役の末裔、小寒に!」
 彼はそう言いながら、九字を切ろうとした。
 だが、乱馬は、抗った。

「ふん…。たとえ、前鬼の力と同化させてくれたのはてめえでも、俺はおめえの式神になるつもりはねえ!おまえの祖が役行者だろうと何だろうと、俺は…。俺は自分の意思で動く!」
 はっしと睨みつける瞳。その中に赤き炎が揺らめいて見えた。前鬼もこの術者、小寒に従う気は毛頭ないと身体の中で吼えている。彼は後鬼を秘めたあかねが、小寒によって魔宝珠へ放り込まれたのを、怒っているのだ。フツフツと彼の怒りが伝わってくる。それが良くわかった。

「おめえの、腐りきった結界や式陣なんか、こうだ!」
 乱馬は体内に溜めていた気を一気に発散させた。
 ぶわっと周りの空気が揺れた。
 と、見る間に彼の足元にあった、結界が払拭される。

「何が役だ!何が小寒様の後継者だ。てめえは、ただのジコチュウじゃねえか!」
 乱馬はゆらりと小寒の前に立ちはだかる。そして、はっしと睨み付けた。
「あかねや後鬼を巻き込んでおきながら…。いけしゃあしゃあと…。」
 乱馬はすっくと立ち上がると、きっと魔宝珠を見た。
「ここから先はてめえの好きにはさせねえ!俺は俺の意思で動く。そして、あかねと後鬼を生還させる。そのために、前鬼の力をして、ここへ降臨させてもらったんだ。それがおめえの祖先、役小角の意思だ!」


 くわあっと見開かれた瞳。
 
 何故、その呪文がすんなりと唱えられたのか知らない。小角が前鬼が眠りに就く前に潜在意識の中に埋め込んでくれていたのかもしれない。

「臨(りん)、兵(びょう)、闘(とう)、者(しゃ)、皆(かい)、陳(ちん)、列(れつ)、在(ざい)、前(ぜん)っ!…我、来たり、我が名は前鬼、小角様の修法を持ちて、魂移りせん!」

 その文言と共に、光の筋が魔宝珠から延びてきた。
 それは、乱馬を迎え入れるように、魔宝珠の中へと導く。
 あっという間に、乱馬は魔宝珠の中へと飲み込まれ、消えていった。



つづく




小角の許婚
 全くの創作でありますので、さっさか読み飛ばしてください。絶対に信じないように!
 また「葛女(くずめ)」は「土蜘蛛」の別名「くず」から取らせていただいております。(結構、この作品のオリジナルキャラクターの名付けにはこだわっています。)


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