第十七話 あかねと後鬼


一、

「こ、ここは…。」
 息を吹き返したあかねの最初の視界に飛び込んできたのは、神足だった。

「お目覚めかね…。後鬼。」
 神足が彼女の名ではなく、別の名を呼ぶ。

「今度は誰?あたしを呼ぶのは…。」
 あかねは、声の主の方をまさぐって、ぎょっとした。
 そこには、神足が、笑いながらこちらを見ている。いや、それだけではない。傍に、明らかに尋常ではない「玄馬」と「樹」が侍っている。

 玄馬も樹も、神足の傍に侍り、彼の言葉を待っているように見えたからだ。明らかに、神足が「主」で、玄馬と樹は侍従。

「ふふふ…。後鬼。予想違わず、天道あかねの身体に、すんなりと馴染みよったわ。」
 爺さんは満面の笑みを浮かべて、あかねに近づいて来た。

「あ、あたし…確か…。」
 そうだ、爺さんに何か術みたいなものをかけられて、意識が沈んだ。大きな玉のような気を身体に入れられて、そのまま気を失った事をおぼろげに思い出したのだ。

「あたしに何をしようって言うの?お爺さんっ!」
 あかねは、きびっと爺さんを見上げた。

「ふふふ、そう言うな…。せっかくおまえを千三百年ぶりに目覚めさせてやったのだぞ…。」
 神足はにっと笑った。

「千三百年ぶりって…。何よそれ!ちょっと、何を寝ぼけてるのよ…。さっきから、後鬼だの馴染むだの…。一体あたしを誰だと思ってるのよ!お爺さんっ!」
 あかねははっしと神足を睨み付けた。

「ほお…これは…。」
 神足の顔が、驚きの表情に包まれた。
「おまえさん、もしかして、天道あかねかね?」
 と問い返す。

「当たり前の事を言わないでよ。あたしが誰に見えるってのよっ!」
 あかねは、語気を強めて、抗うように言った。

「これは、驚いた…。後鬼の肉体と化したのに、意識体は天道あかねのままだと言うのか?」
 神足爺さんが目を見張った。これは不思議だと言わんばかりに、皺の中の大きな瞳があかねを見詰める。
「後鬼の肉体?」
 あかねはきょとんと問い返す。
「ああ、おまえさんのその肉体…。見よ。人間のそれとは違おう?」
 爺さんは、じっと目を細めながら、あかねを見る。

「え…?」
 あかねは促されて、己の肉体を見た。
「きゃあっ!な、何よこれっ!!」
 思わず叫んでいた。
 玉肌の美しさはともかく、腕に湧き上がる「刺青」。勿論、そんなものを入れたり描いたりした覚えは無い。
 美しい玉肌に、紅色の刺青が鮮やかに浮かび上がる。

 それを見て、目の前の玄馬が、興奮しているように見えた。
 ハッハッと荒い息を吐きつけながら、あかねを窺っている。

「ふふふ…。幽鬼の奴め、後鬼と思って、案の定、強く反応しよったわ。」
 爺さんはにっと笑った。

「ちょっと、その、何よ!ゴキ(後鬼)とかユウキ(幽鬼)って言うのはっ!誰よっ!」
 あかねは激しい言葉を投げつける。

「後鬼か…。古代、生駒山系から葛城山系を飛び回っておった、鬼の名前よ。役小角の式神でもあった、美しき雌鬼よ。」

「役小角の式神ですって?」
 その時、あかねの中で、何かの気配が蠢いた。さっき、あかねの脳裏に流れ込んだ、記憶の情報が、ぶわっと、脳内に広がった。

(感じる…。見える…。思い浮かぶわ!全部…。これが、後鬼の記憶。)

 前鬼のことも、小角のことも、全てが、鮮やかに、あかねの脳内に浮き上がってきた。まるで、あかねを覆うように、体内へと雪崩れ込んできた。
 
 自分の目の前に、じっと乞うように見詰めてくる、玄馬の視線とかち合い、はっと、息を飲み込んだ。
 普段はスチャラカで温厚な乱馬の父親。だが、今の彼は、異様な雰囲気をかもし出していた。勿論、いつもの玄馬ではない。
 己を見詰める瞳に、思わず、ぞっと身の毛が弥立つ。

「ふふふ…。後鬼の記憶が交差しよったか。丁度良いわ。」
 神足爺さんはにっと笑った。

「幽鬼…。まさか、後鬼が叫んでる幽鬼が、おじさまの中に…。」
 あかねは怪訝な顔を差し向ける。

「ああ、そうだよ。今はまだ、あの男の中で眠りこけておるがね…。ふふふ、。起してやろうか?」
 と言いながらにっと笑った。

 確かに、玄馬の発する「気」には、覚えがあった。
 遥か昔、前鬼とこの辺りを闊歩していた頃、己を恋求める、もう一人の鬼人が居た。名を「幽鬼」。とある人間と獣の成れの果てだと小角様が教えてくれた。
 彼は、後鬼(おのれ)に惹かれた。敵としてありながら、惹かれてしまったのだ。彼の邪な思いが、後鬼(おのれ)へと何度も伸びだ。その度に、前鬼が身を挺して守ってくれた。そう、一言主との最後の闘いの時もだ。前鬼は傷つきながらも、全身全霊で後鬼を守り通し、そして、小角様と共に、幽鬼を倒し、そして、一言主と共に「狭間の世界」へ封印した。
 そんな、前鬼の記憶が、あかねの脳内を駆け巡る。

「月が丁度、山端から照り付けて来よったわ。ふふふ、照らせ、この闇を。そして、影を大きく作れ。我に闇の力を与えよ!望月よ!」
 神足の言葉に反応して、月がさああっと雲間から光を放つ。
 その光で、神社の御社に、深い影がさす。闇と光の境目が、嫌にはっきりと浮き上がる。
 と、樹がさっき、地面に描いた式陣が、神社の影と重なり、真ん中から、光と闇に真っ二つに分かれた。
 怪しい、方円陣が、闇と光の中に映し出される。その上に、玄馬がちょこんと乗っかっていた。

「今じゃ!樹!玄馬に幽鬼を降ろせっ!」
 すっと、手を挙げ、樹に合図を送った。

 あかねとのやり取りの間、ずっと樹は呪文を唱えていたようで、その合図に、五鈷鈴を鳴らした。

 チリン!

 闇夜に轟く、五鈷鈴の音。


 それは、乱馬の耳元にも、しっかりと聞こえていた。

「な、何だ?あの鈴音…。」
 確かに、どこからともなく聞こえたような気がした。
 ふと見下ろす下界。視野には暗い夜の山が広がる中で、月に照らされて、幻想的に輝く光の筋が見えた。真っ直ぐに二上山から立ち上ってくる光。
「ちぇっ!嫌な予感がしやがるぜっ!あかねっ!」
 異常を察知した彼は、懸命に飛んだ。



 五鈷鈴の音と共に、玄馬の身体が激しく雷同したように見えた。
 鈴の音を聞くごとに、だんだんに、盛り上がる筋肉。そして、異様な姿。あかね同様、人間の肉体とは少し違う、鬼のものへと変化し始める。

「ふっふっふ、こやつ、さすがに、呪泉で溺れ、獣に形態を変える体質を持つだけあるわい!幽鬼のやつめ、満月の魔力を最大限に引き出した闇の力に、喜んで、玄馬とやらの魂へ食らいつきよったわ!」
 にいいっと笑いながら、爺さんは、嬉しそうに叫んだ。

「魂降りじゃ!幽鬼の魂じゃ!はっはっは。」

 異様な盛り上がりを見せる、神足爺さん。
 あかねは、ただ、呆気に取られて、その様子を、端から見詰めている。

「後鬼…。後鬼…。」
 玄馬は、あかねを見つけると、そんな風に吐き出した。

「おおお…。少しは、口もきけるようになったか…。さすがに、満月の闇だ。ふっふっふ、おまえのためにわざわざ、後鬼も千三百年の眠りから呼び起こしてやったぞ。喜べよ。」
 目を細めながら、神足は玄馬を見た。玄馬は、喜べと促されて、尻尾を振ったようにも見えた。

「のう、幽鬼、再び、目覚めたからには、もっと強くなりたくはないかね?」
 爺さんは、玄馬を促すように、あかねへと指をさした。
「どうじゃ?そこに居る後鬼を身体に取り込んでみぬか?」
 爺さんは、とんでもないことを口走りだした。

「ちょ、ちょっと、取り込むって、どういうことよっ!それにあたしは、後鬼じゃないわよっ!」
 焦ったあかねは、思わず口を挟んでいた。

 玄馬の瞳が怪しく光る。そして、舐めるようにあかねを見上げた。
「勿論、前鬼も目覚めておる。こちらへ向かっておるわい。」
 忌々しげに眺める南の空。

「前鬼…。」
 その名前を聞いて、玄馬の顔が歪んだ。よほど忌み嫌っているように見える。

「ちょっと、何、あたしを無視してんのよっ!あたしは後鬼じゃないわ!天道あかねよっ!わかったら、さっさとあたしをここから解放なさいよっ!あんたたちの会話、絶対に尋常じゃないわよっ!それいこれは犯罪よ!」
 あかねは素に戻って叫び続ける。
 このままだと、玄馬に何をされるかわかったものではない。そのくらい、尋常ではない何かを、玄馬の中に感じ取っていた。
 だが、あかねの声など、全く気にならぬようで、一言主と幽鬼は、勝手に会話を進めていく。
「おまえが望むなら、魔宝珠を開いてやるが…。どうする?」
 一言主は、上手く、幽鬼をたき付けていく。
「魔宝珠…。」
 きらりと玄馬の瞳が光った。彼にはそれが何であるか、つかめている様子だ。
「ああ、その中で、ゆっくりと、力を溜めて来るがよいわ。あの美しき鬼、後鬼の霊力を全て食らって来い。その口元から吸い上げて…。」

 爺さんが再び手を真っ直ぐに挙げると、あかねの下にあった式陣が、ぶわっと、あたり一面に広がった。

「え?」
 あかねの頭上にもう一つ、式陣が、現れた。
 と、すっと、玄馬の身体も浮き上がった。丁度あかねと玄馬を挟むように、二人の上下へ式陣が付された。

「どら…。ここいらで、ちゃんと、始めるとしようかのう…。」
 予定と違って、目覚めたのは後鬼ではなく、あかね嬢のようではあるが、まあ、体制に、さほど影響はなかろうて…。」
 くくくっと爺さんは笑った。
 そして、やおら、懐から大きな玉の宝珠を差し出し、高く掲げた。
「ちょっと!始めるって何をする気よ!」
 とあかねはせっついた。

「決まっておろう?幽鬼とおまえをこの魔宝珠の中へ導いてやるのよ…。」

「な、何ですって?」
 あかねは激しくはきつけていた。
「これから、更に、幽鬼を強くせねばならんでな…。そのためには、おまえの霊力が必要なのじゃ…。くっくっく。」
 いやらしく爺さんが笑った。
「それって、どういう意味よっ!」
 霊力と言われて、さあっと血の気が背中から引いた。

「文字通りだよ、後鬼よ。いやあかね君!」
 そう言うと、爺さんは印を空に切った。
いきなり、ぱああっと光が目の前に溢れ出す。
 天上から差し込める、白い月の光と反応して、プリズム。それが、あかねの身体をみるみる包んだ。禍々しいほどに、明るく美しい月の光に、肢体ごと捕らえられた。そんな感覚だった。

「な、何?」
 あかねは、一瞬、目をすぼめる。
 と、途端だった。ぐいぐいっと、何か強力な力に、吸引される。
「きゃっ!な、何よ、この力っ!!いやあああっ!」
 みるみる、飲み込まれるように、光と共に、一言主の持つ、宝珠へと身体が吸い上げられていった。





二、



 辺りは思ったよりも、漠然とした白い世界が広がっている。


「こ、ここは…。」

 辺りを見回してぎょっとした。
 見たことも無い、白んだ世界が目の前を広がっていた。揺れる木々に色はなく、雪がかぶったように真っ白い。枝葉も揺れる葉も全て白い。
 木だけではなく、土も真っ白だった。

 ぽつねんと、広い世界に放り出されたような感じである。地面はドライアイスが敷き詰められたような、薄い煙が立ち昇り、無味無臭の世界だ。
 身体の、手足の自由は効いたが、突然、異世界に投げ入れられたような感覚だった。

『どうかね?魔宝珠の中の心地は…。』
 どこからともなく、爺さんの声が響いてきた。
 
「何よっ、ここっ!!出してよっ!出しなさいよっ!じ、冗談じゃないわよっ!」
 思わず怒鳴ったが、どこにも出口の痕跡を見つけられない。

『くくく…。気の毒だが、出してやるわけにはいかない…。それに、さあ、お楽しみはこれからだよ…。はっはっは。』
 爺さんが乾いた声で笑った。

「いったい、何を始めようって言うのよっ!」
 あかねは姿の見えぬ、爺さんの声にせっつく。

『ふふふ、楽しい余興だよ。これから幽鬼もそっちへ送ってあげるからね。これから余興が始まるのだ。ふふふ、奴に霊力を食らわれるのじゃ。』


「冗談じゃないわよ!霊力を食らわれるって、どういうことよ!」

『幽鬼が本来の姿に戻れるように、おまえの霊力を食らうのよ。そのためにその中へ導いた。そこなら、邪魔者も入らないしのう…。その魔宝珠の中で、せいぜい逃げ惑うが良いわ。少しでも長く、足掻いた方が、霊力も美味くなるというもの。』
 楽しそうに爺さんは言い放つ。

「ちょっとっ!あたしの人権はどうなるってのよっ!」
 あかねは思わず声を張り上げた。

『生憎、おまえさんには選択の余地はない!ほらほら、逃げぬと、その玄馬とかいう男に食らいつかれるぞ。ふふふ、霊力は口から吸い上げるのが一番なのでな。』

 その声と当時に、流れ込む、禍々しい気。
 ズンと、中の空間が、一瞬、重くなったように思える。
 見ると、白煙と共に、玄馬の姿が、目の前に現れた。
 ゆっくりと、玄馬が、あかねの方を見据える。その姿を認めると、にっと笑った。

「お、おじ様…。」
 あかねは、異様な風体の玄馬を見て、ゴクンと唾を飲み込んだ。背中に冷たい汗が滴る。ぞくぞくっと身体が戦慄いたように思った。
 まるで、何かに魅入られたような瞳をこちらに差し向けてくる玄馬。
 ビリビリと周りの空気が肌に痛い。

『逃げてっ!あかねっ!』
 心の底から、後鬼の声が響いてきたように思った。
 その声に、だっとあかねは駆け出した。

『逃げてっ!あいつ、何をするかわからないわっ!あいつに「幽鬼」の御魂が乗り移っているのなら、尚更っ!』
 姿無き声が己の内側から警鐘を打ち鳴らす。
 その声に言われるまでも無く、異変を嗅ぎ取っていたあかねは、本能的に逃げ始めたろう。つかまったら何をされるかわからない恐怖が、あかねを支配しはじめていた。



「ふふふ…。始まったようじゃのう。どこまで逃げおおせられるかな。すぐにつかまってしまっては面白くはないからのう。せいぜい、頑張って逃げるのだな…後鬼よ。」
 玉を月明かりに翳し見ながら、神足が笑った。

「ほう、やっと奴さんが登場したか…。思ったより早かったな。」

 玉越しに見えた、夜空に光る一筋の赤い光。
 こちらに向かって、一目散に飛んでくる。

 やがて、光は大きくなり、神足の上で止まった。


「やいっ!じじいっ!あかねを返せっ!」
 上から神足の姿を認めると、そいつは、荒い息と共に吐き出した。
 背中に垂れる、黒髪のおさげ。精悍な身体には刺青が、月明かりを受けて妖しいほど光り輝いている。
 手には金剛杖。


「ふっふっふ…。前鬼よ、待っておったぞっ!」
 いきなり爺さんは、乱馬に気弾を浴びせかけた。先制攻撃の嵐である。

 乱馬は、難なくそいつを避けた。

「てめえ…。いきなり、挨拶に気弾とは、やってくれるじゃねえかっ!」

 すたっと地面に降り立つと、乱馬は爺さんをきつく見詰めた。
 くすんだ藍織りのボロ衣服。むき出しになった上半身、筋肉質な身体が浮き上がる。少し黒ずんだ肌には、鮮やかな線状の刺青が描かれている。角こそないものの、明らかに異形だ。チャイナ服の乱馬とは違った。
 彼の顔や身体の刺青は月明かりを浴びて、青白く輝く。一種独特の凄みがあった。

「おまえと再び、現(うつつ)の世界で会いまみえるとはな。」
 神足はにやりと笑った。

「一言主…。てめえ、性懲りも無く、小角様にたてつくとは…。懲りねえ野郎だ。」
 乱馬は、溢れてくる前鬼の記憶をそのままに、そう返事を返した。

「人間とは哀しきものよ。聖者と慕われ、力を持っていても、その寿命は短い。儚きものよ。」
 神足はじっと乱馬を見据えながら続けた。
「のう、前鬼よ、古の小競り合いなど水に流して、どうじゃ?この儂と手を組まぬか?小角はもうこの世には居ない。おまえ折伏し術で縛った者はもう居ないのだ。いつまでも、小角の幻影を追うこともなかろうて…。決して悪いようにはせぬ。神仏を忘れ去った罰当りな大和の人間どもに一泡吹かせてやろうではないか。」
 そう、誘いかけた。

「けっ!生憎様。俺は俺の意思で動く。小角様だって、好きにしろと言ったんだ。入滅するときにな…。俺を縛っていた小角さまの式など、当の昔に消えてなくなっているんだよ!」
 乱馬は神足を睨み付けた。

「ということは、この儂と組むつもりは…。」

「毛頭ないね!おめえは俺に断りも無く、後鬼とあかねを連れ去った。そんな奴と、金輪際一緒に手を組む気はねえっ!それが俺の意思だ!」
 乱馬は荒々しく己の意思を吐き付けた。

「ふふふ…。そう言うと思っておったわ。ならば、最早、おまえに用はない。幽鬼を蘇らせ、もっと強く育て上げるのみ。」
 神足はそう言うと、がっと後ろに飛び退いた。
「させるかっ!」
 乱馬はそれに反応して一緒に動こうとした。
「生憎、貴様の相手は儂ではないわ!樹っ!」
 神足の声に、後ろで控えていた樹が反応した。
 と、足元が、ぶわっと青白く光り輝く。

「な、何だ?」
 あまりの眩い光に、乱馬は右手で目を塞いだ。
 と、光の合間から、手裏剣が降り注いできた。先の尖った、独鈷のような形の手裏剣だ。それが、カカカと地面に突き刺さる。
「おっと!」
 光で目を眩ませられたが、乱馬はすんででそれを避けた。
 手裏剣を投げかけてくるのは、樹だった。心ごと、一言主に操られているようで、その顔には表情などなかった。ただ、無心で乱馬を攻撃してくる。
 再び、彼女の手が動き、手裏剣が飛ぶ。
「くっ!」
 乱馬はそれを避けながら後ろへと飛んだ。

「ふふふ…。さすがに、小角の式だっただけあるな。やはり、小角の血が色濃く流れている者に、反撃はできぬか!」
 神足はにやりと笑った。

「しゃらくせえっ!反撃できねーんじゃねーっ!したくねえだけだっ!」
 乱馬は怒鳴った。
 勿論、体内の前鬼が反撃を拒んでいるが、いくら操られているとはいえ、樹は樹だ。彼女を知ってしまった以上、乱馬の性格からしても、攻撃などできるはずが無い。勿論、それは「神足」にも言えることだ。彼もまた、一言主の依代になっているだけで、元は生身の人間である。
 明らかに、乱馬に負があった。

「ほっほっほ、反撃せぬと、おまえがやられてしまうぞよ。」
 乱馬が反撃できないのを良い事に、神足が調子に乗り始める。
 樹は容赦なく乱馬へと攻めあがってくる。

(畜生!どうすればいいんだ?これじゃあ奴らの攻撃を止める前に俺が力尽きちまう!)
 乱馬は樹の攻撃を避けながら、懸命に考えた。だが、良い知恵は浮かばない。

 樹はだんだんに、攻撃の手を強めてきた。
 いたぶるように乱馬を追い立て始める。手には手裏剣、幾つもそいつを、乱馬目掛けて投げつけてくる。
 雲間に入っていた満月が、再び、天上に姿を現したときだ。
 異様な力を、足元に感じた。

「なっ?」

 一気が放った手裏剣が、月明かりに照らされると、全て光り始めた。地面に無造作に突き立てられた先の尖った手裏剣。そいつが、一気に閃光を放ったのだ。
 ボコボコッ、バリバリッ。
 地面が裂けた。


「うわああっ!」
 凄まじい力が、地面から盛り上がってくる。そいつは、乱馬を絡めとると、一気に空へ立ち上った。
 乱馬の立っていた地から、せり上がってきたのは樹木だった。
 そいつが、一気に成長し、乱馬の手を枝葉でがっしりと抱えると、そのまま、立ち上る。みるみる乱馬は地上数メートルのところまで持ち上げられる。それも絡みとられ、でかく成長した樹木へと縛り付けられたような格好になった。

「畜生!こんなもん!」
 がっと気合を入れ、木を砕こうとした。だが、木に意思があるかのごとく、枝葉がザザザと揺れたかと思うと、青白い光を放った。
「うわああああっ!」
 乱馬の全身にその光が伝わって行く。

「無駄じゃ。樹の作り上げた呪木(じゅぼく)からは逃れられぬわ。」

 そして、神足は乱馬が絡めとられたのと同じ高さまで、樹と共に木の枝に乗って、競り上がってきた。

「てめえ、俺をどうるするつもりだ?」
 乱馬ははっしと神足を睨み据える。

「さあ、どうしてやろうかのう…。」
 乱馬を絡めとリ、余裕が出来たのだろう。憎々しげに神足が笑った。

「そうじゃなあ…。おまえの猛き気を全て、幽鬼に与えてやろうかのう。」
 妖しげに神足の瞳が光り輝く。

「幽鬼だって?あの、ヘナチョコ鬼野郎にか?」
 乱馬は前鬼の記憶を元に、吐きつける。後鬼をたらしこみかけた記憶が、脳裏に蘇った。

「ふふふ、幽鬼におまえの霊気を分け与え、最強の式神と成してやるのが、一番面白いかもしれぬな。」
 神足は笑い続ける。

 乱馬は足掻いたが、木の枝葉がしっかりと乱馬を絡めとリ、身動きだにできない。


「ふふふ、その前に…。幽鬼が今、何をしているのか、見せてやろうかのう…。」
 神足はますます、いやらしく笑った。

「けっ!そんなもんに、興味はねえやっ!」
 乱馬は唾と共に吐きつけた。

「これを見ても、そう思えるかな?」
 神足は、乱馬の目の前に、その玉を差し出した。すぐ目と鼻の先に、真っ直ぐにだ。
 月明かりを受けて、玉は、妖しげに青白く光った。いや、それだけではない。
 玉の中に、あかねの姿がはっきりと映し出されたのだ。

「あかねっ!」
 乱馬は叫んだ。動かぬ身体を精一杯に巡らせて、玉を覗き込む。
 神足の差し出した玉の中に、はっきりと映し出されたあかねの姿。
 彼女は懸命に、逃げていた。何かに追われるように、必死でだ。

「ふふふ、あかねは幽鬼と共に、この魔宝珠の中じゃ。どうだ?背後から幽鬼が追いかけておろう?」
 玉はすっと巡らせて、あかねの後方を映し出す。そこには、彼の父親、玄馬と思しき姿が映し出される。
「親父…。」
 乱馬の口はそう象った。
「そうよなあ…。あれは、おまえの依代の父親でもあったかのう。今は幽鬼が憑依しておるわ。」

「てめえ、親父に何をさせようとしてやがる?あかねをどうする気だ?」
 乱馬はキッと神足を睨み付けた。

「知りたいか?ならば教えてやろうか。幽鬼はあの娘を食らう気よ。」
「な、何だって?いい加減なことを!」
「いい加減なことではないぞ。幽鬼はあの娘を食らって、その霊力を支配し、完全に復活する事を選んだのじゃよ。ほら、あの娘が力尽きた時、幽鬼はあの娘に襲い掛かり、その口元から気を吸い上げ、貪り尽くす。なかなか、面白い余興じゃろう?」
 神足はにっと笑った。
「前鬼よ、どうじゃ?おまえの女が別の鬼に食らわれる瞬間を見られるのじゃぞ。くくく、これ以上の屈辱はあるまい?」
「てめえ…。」
 乱馬は怒りに震えはじめていた。

「後鬼を食らった後は、貴様じゃ。今度は、貴様へあの玄馬とか言う男に取り付いた「幽鬼」の御魂を魂移しさせてやるわ。さすれば、最高の式神が生まれる。おまえは、我が式神の器となって、未来永劫、この儂に仕えるのだ。」

「畜生!てめえっ!」
 乱馬は動かぬ身体をよじらせながら吐き付けた。

「そうよ、啼けっ、わめけ!叫べっ!おまえは動けぬ。儂の術中にはまったのじゃ。まずは、己の無力を噛みしめながら、おまえの愛する雌鬼があの鬼に食らわれてしまうところを、見ておれ。わっはっはっは。」

 絶体絶命。
 そんな言葉が乱馬の脳裏にこだまし始めた。



つづく



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