第十三話 狭間の決戦


一、

 岩崖にぽっかりと開いた大きな祠の穴。
 その手前に、薄っすらと張り巡らされている結界。
 乱馬にもその境界線がはっきりと見えた。

「行きますよ。僕から離れないで。」
 樹の言葉に、ぐっと、丹田に力を入れる。結界の向こう側には、凄まじい妖気が渦巻く。一歩、一歩、注意を払いながら、結界へと足を運んだ。

「越えますよ!」
「お、おおっ。」

 身体中に物凄い気が流れてくる。
 気の塊で、息が苦しくなったような気がする。
「すげえ…。いろんな気が、渦巻いてやがる。」
 乱馬は手を前に翳し、思わず吐き捨てた。
「ええ…。小寒様の気と、それに浄化された気。それから、浄化されきらないで漂う妖気と。それが、せめぎあうように、この結界の中で暴れているんです。」
 樹が説明してくれた。
「さあ、今度は、あの中へ入ります。」
 樹は真っ直ぐに、祠へと歩き出した。
 あたりに渦巻く気に圧倒されながらも、乱馬は、地を踏みしめながら歩く。
 祠の戸は、バタバタと風もないのに揺れている。渦巻く気に煽られている。近くで見ると、案外、大きな祠だった。人が一人、ゆうに入れる広さがある。
 
「ずげえ…。中から風が吹いてきやがる。」
 乱馬はその前に立ち止まると、頬に当たる風を感じていた。
「この奥に大きな洞穴があるんです。」
 樹が言った。
「洞穴?」
「ええ、一言主を封じていた洞穴です。その奥で小寒様は結界を張り護っておられます。」
 樹が説明してくれた。

「この中へ入るのか…。」
 乱馬の問い掛けに、樹は真顔で対した。
「怖いですか?」

 正直、ゾクッとした。おっかないとか怖いとか、そういう気持ちも全く無いとは言い切れなかったが、己の知らない世界へ飛び込んでいく、そんな「武道家」らしい、武者震いに襲われたのだ。

「ボクも、この下へ入るのは始めてなんです…。開かずの祠と言われていた、戸板ですから。」
 壊れかけた祠の戸。その横を注意深く探りながら、二人、洞穴へと足を手向けた。
 戸板には、獣の手形、足跡が生々しく残っている。泥にまみれた手や足で踏み鳴らしたのだろうか。良く見ると、熊のような痕跡だった。
「やっぱ、親父の奴が、思いっきり、壊したんだな…。」
 それを見ながら、思わず呟く。
 玄馬の事だ。雨に降られて、雨宿りでもしようとしたのかもしれない。ここへ辿り着いた時は、どうやら、パンダ化していたようだ。そう思ったら、この足跡の羅列も納得がいく。
 まさか、この祠の奥に、一言主という荒神が封印されていようとは思わなかったのだろう。きっと、彼は、そのまま、祠へ進入し、洞穴を降りてしまったのだ。
 それを指し示すように、樹が持って来た、懐中電灯の中に、転々と熊の足跡が、奥に向かって伸びていた。
 妖気が、ずっと奥のほうから、吹き上がってくるような気がした。

「これでも、小寒様が浄化なさってますから、幾分か、マシになってるんですよ…。」
 樹はそう言ったが、とても、そうは思えぬ妖気が漂っている。

 ずんずんと奥へと足を踏み入れ、乱馬はあっと声を上げそうになった。

 最深部と思しき部分、彼は一心に座禅を組んでいた。後姿しか見えないが、僧形で袈裟がけだった。だが、頭には短いが髪の毛がある。いわゆる「優婆塞(うばそく)」といった風体だった。いや、「破戒僧」と言った方が、もっとしっくるくるかもしれない。
 怪しげな檀を作り、榊や注連縄を張って、円座に座り、じっと前に広がる闇を見据えているように見えた。

「もしかして…。あいつが小寒って奴か?」
 ポソリと乱馬が問い質した。
 コクンと恥ずかしげに揺れる、樹の頭。照れているのだろうか。
「あいつが…おめえの、許婚ねえ…。」
 顔は見えなかったが、それ相応に鍛えこんだ後姿が逞しい。
(三十路男だもんなあ…。やっぱ、犯罪だぜ…。)
 さすがに、樹には吐き出さなかったが、後姿を見ただけでも年の差が感じられる。そこはかとない大人の男の色気が感じられる。

「そこに居るのは、樹か?」
 乱馬たちの気配を察したのだろう。小寒が後ろ向きのまま、言葉をかけてきた。

「は、はい…。小寒様。」
 樹がはにかみながら頷いた。

「遅かったではないか…。」
 小寒が言う。
「神足殿はどうした?そこに居るのは、別の女性、いや男性のようだが…。」
 後ろに目はない。だから、乱馬を背中でしか感じられない小寒だった。
「それが…。神足様は、一言主に連れ去られてしまって…。」
 樹は、一言主の結界を破った玄馬の影を追って東京へ足を延ばしたこと、そして、天道家であった、一部始終を、完結に説明した。

「なるほど…。一言主め。術者に神足殿を選んだか…。で、生駒山へ立ち寄って、前鬼と後鬼の独鈷杵を持ち帰ったんだな?」
 小寒は低い声で問い質してきた。
「は、はい…。ここへ持ってきました。」
「なるほど、それで、さっきから下界が騒がしいのか…。おまえたちが持って来た、前鬼と後鬼の独鈷に反応しているんだな。」
 じっと真向かいの闇を見ながら、小寒は言った。

「いずれにしても、今日は満月。闇の気が最大に高まる時だ。光が強い夜は闇も深くなる…。」
 小寒は静かに言った。この優婆塞は、年が長けている分、随分、どっしりとして見えた。

「小寒様…。これからボクらはどうすれば…。」
 樹が問いかけた時、乱馬が答えた。

「この先の闇へ行くしか無いんじゃねえのか?」
 じっと、闇を見据えた。
 彼には、何かどす黒い物影が見えたのである。まるで、そいつは、乱馬たちを手招くように、闇から浮き上がってくるような気がした。

「ふふふ…。おまえ、アレが見えるのか。」
 小寒が乱馬へと問いかけてきた。視線はじっと真っ直ぐの闇を見続けたままだ。

「いや…。見えねーけど、ビンビンに感じやがる。あれは…。親父の気だ。ガキの頃からずっと一緒だった気だ。見紛うことはねー!」

「そうか、貴様、封印を解いちまった、玄馬とか言う破戒僧の身内か…。」

「いや、親父は、破戒僧なんかじゃねえけど…。」
 乱馬は口ごもった。どうやら、小寒は、髪の毛が殆ど無い、玄馬を見て、優婆塞か僧侶と間違ったのかもしれない。こんな山中へ好き好んで入るのは、大方修験者だろうと思ったのかもしれない。
 破戒僧も何も、仏門の事に関しては、全く無知な親父だ。だからこそ、平気で祠へ雨宿りなど、罰当りな事を考えたのだろうが。

「俺は生憎、こっから動けない。俺が動けば、結界は吹き飛ぶんでな…。後のことは、おまえたち二人にせるしかない。樹よ、おまえは、あの闇の中へ入れ。丁度、根の国と現世との境目だ。一言主はあそこで、「儀式」をするに違いない。術者と巫を手に入れたのであれば、尚更にな…。」
 小寒は一気にたたみかける。物凄い気迫が、乱馬にも差し迫っていた。
「あの闇は、一言主命が長きに渡り、小角様に封じ込められてきた場所だからな。あの場で我が一族や倭国への恨み辛みをたぎらせて来た場所でもある。彼の怨念が染み付いた場所。従って、一番、強い波動を得られるからな…。満月の魔力が満ち始めた今、奴が現れたのは必定。」
 小寒も闇を見据えていた。

「時に、おまえ。早乙女乱馬とか言ったな。悪いが、樹に付き添ってやってくれ。」

「あ、ああ…。元々一言主の封印を解いたのは、俺の親父だからな。」
 乱馬は二つ返事で引き受ける。もとい、そのつもりだったからだ。一言主に表意された親父に、やられっぱなしで居るわけにはいかない。それに、連れ去られた「巫」はあかねだったからだ。

「奴らを滅する方法は一つ。おまえの呪力の全てをかけて、一言主命を法力にて打て。樹。おまえならできるはずだ。優婆夷(うばい)として幼少時から修行を積んできた、おまえなら。」

「はい…。小角様。」
 樹はきりっとした、中世的な顔立ちから、少女の顔に立ち戻っていた。その笑顔は神々しくさえ見えた。

(こいつ…。この野郎を心から慕ってんだな…。)
 人を想う強さが、垣間見えたような気がした。この二人の間には、倍と言う年の差など、些細な事なのだろう。

「乱馬よ。おまえには、樹を守ってもらいたい。法力を使うには、気を溜めなければならぬからな。俺が結界を張って守ってやるが、それでも、根の国から漏れてくる妖気があるはずだ。そいつらは、樹を狙い打つだろうからな。頼めるか?」

「ああ、勿論だ。任せとけ!」
 乱馬は頷いた。

「ふふふ…。かなり強い気の持ち主だな。君なら、何とかなろう…。良いな!樹。最大限に法力を高めてから、打てよ…。」

「はい…。」

「行くぜ…。奴ら、何か企んでる事は間違いねえ…。だんだん闇の気が大きくなって来てやがる。」
 乱馬は結界の先を睨んだ。


「しっかりやれよ。樹。」

(ちぇっ!俺への激励はなしかよ!)
 心で吐き出しながら、乱馬は、樹に伴われて、更に先に進む。

 小寒が結界を守っていたところを抜けて、更に奥に広がる闇へ向かって、歩き始めた。

「すっげえ…。何ていう、強い妖気だ。」
 乱馬は思わず吐き出した。
 岩肌は赤黒く、湿度も高い。ジメジメした嫌な気分に、思わず、足がすくみそうになる。ぐっとその気持ちを抑えて、先へ進む。
 気圧されそうになる妖気が渦巻く世界へ、真っ直ぐに降りていく。そんな気持ちになった。

 やがて、洞穴の奥深く、嫌な空気が吹き抜ける場所へ着く。
 
「匂ってきやがるぜ…。親父っ!いや、一言主っ!そこに居る事はわかってんだっ!姿現せっ!」
 乱馬は激しく怒鳴りつけた。


「ふっふっふ…。さすがに我が息子だけのことはある。気を探るのは、造作ないというわけだな。」

 すいっと暗闇から浮き上がって来た、見覚えのある姿。
 玄馬であった。見てくれは、乱馬が良く知る、親父と同じだ。だが、身にまとった「妖気」は半端ではない。
 乱馬ですら、気分が悪くなるくらいの、汚れえた妖気だった。

「てめえ…。あかねと神足爺さんは無事なんだろうなっ!」

 と吐き付けた。

「ふふふ、大切な術者と巫に、危害を加える、馬鹿は居りはせぬ。」
 玄馬は不敵に笑いかけた。

「あかねはどこだ?」
 次の瞬間はきつけていた。

「乱馬さん。だめです。そんなに激高していたら、奴の思う壺です。落ち着いてっ!」
 思わず、樹がなだめたくらいだ。
 その言葉にはっとした。
 そうだ。興奮するということは、冷静な判断を欠くことにも等しい。
 乱馬はふうっと一つ息を吐きつけると、深呼吸した。こうやって、落ち着かせるに限る。

「フン、まだまだ未熟な奴め。」
 玄馬は侮蔑したように吐き出した。

「まあ、良いわ。そんなに会いたいのなら、会わせてやろうか?」

 パアッと暗闇が一瞬、戦慄いたように見えた。
 暗闇の先で、もう一つ、空間が開いた。
 その先に、確かに、あかねの姿を捉える。その後ろには頭を垂れたまま、神足がうずくまっている。二人とも、意識がないようで、だらんと、後ろの岩肌にもたれかかって、目を閉じていた。

「あかねっ!」

 だっと駆け寄ろうとして、樹に腕をつかまれた。
「ダメですっ!乱馬さんっ!結界を無用心に越えてはっ!」
 そう言いながら、乱馬を後ろへ押し戻す。
「結界?」
 きょとんと声を上げた。

「たく…。未熟者め。これだけ強い結界が貼ってあるのに、見えぬとはのう…。」
 くくくと玄馬が笑った。

 玄馬と樹に促されて、乱馬は足元をじっと見た。
 薄っすらと、どす黒い、煙幕のようなものが、沸き立っているのが見えた。まるで、血を噴出しているように、じんわりと闇に煙幕が浮き立つ。

「あれは、一言主が張った闇の結界です。」
 樹が静かに言い含めた。
「ってことは、あれを越えたら…。」
「奴らの思う壺。僕らの力など、到底及びません。ほら…。向こう側から、闇の住人たちが渦巻いているのが、乱馬さんには見えませんか?」
 目をじっと凝らすと、確かに、ちらちらと霊のように闇が無数に舞い狂っているのが見える。
「根の国の精霊魂(せいれいこん)たちです…。あれにつかまったら、根の国へと引きずり込まれます。」
 
「って、ことは、あかねも爺さんも、根の国側に居るのか?」
 乱馬が問いかける。

「いえ…。正確には根の国じゃないんです。根の国は、あいつが張った結界の向こう側に広がっている亜空間。ボクたちが今いる場所は「狭間の世界」なんです。」
 樹が説明してくれた。
「狭間の世界。」
「境界の世界ですよ。」

「そう、そして、ワシが千年以上も押し込められていた、恨みの場所でもあるがな…。」

 ギロリと玄馬が視線を手向けてきた。

「その狭間の世界に、結界を張って、あかねや爺さんと、俺たちを隔ててるって寸法なのかよ。」
 乱馬は、更に畳み掛けた。

「ふふふ、頭の悪いおまえにも、やっと、事の仔細が飲み込めてきたようだな。」

「なっ!頭の悪いは余計だ!」
 思わず怒鳴り散らしていた。

「事の仔細がわかったところで、始めようか…。」

 玄馬がくわっと目を見開いた。


二、

 ズズズズズっと音が唸り始める。

「ふふふ、これから方術を行ううえで、うら若き乙女の生体エネルギーは、欠かせぬものだからな…。おまえさんたちの方から飛び込んできてくれるとは、好都合じゃわいっ!」
 玄馬が笑った。

「ぬかせっ!てめえにやられるような、柔な俺様じゃねえぞっ!」
 乱馬が気焔をはいた。

「ふん!男の形をしていない、おまえなど、恐るるに足らず。粉砕してやるわっ!」
 玄馬の言葉と同時に、彼の背後の闇の中から、漂っていた「根の国の精霊魂」が襲い掛かって来た。

「こいつら、結界を越えてこられるのかよっ!」

「ええ、でも、力は落ちています。こっちには小寒さんの聖なる結界の力が、微力ながら働いていますから。それに、こいつら、生気に弱いんです。」
 背中合わせになりながら、樹が答えた。彼女は持っていた三鈷鈴を共鳴させた。
 聞こえない鈴音。だが、精霊魂は嫌いなようだった。さあっと樹を避けながら飛ぶ。だが、中には、鈴音など平気な精霊魂も居る。
「やあっ!」
 それに向かって乱馬は気を投げつける。
 確かに、瑞々しい生気に弱いようで、精霊魂は乱馬の放った気に、ボンッと音を発てて、弾け飛んだ。

「そうら、まだまだ居るぞ!」
 結界の向こう側で玄馬が笑いながら、精霊魂を仕掛けてくる。

「キリがねえな…。」
 乱馬は気弾を弾けさせながら言った。
 力の弱い、精霊魂は樹の三鈷鈴で劇滅できるが、強い奴はそうは行かない。乱馬が気を投げつけて対処するが、気を放出させるエネルギーが尽きてしまえば、一貫の終わりだ。
「乱馬さん、ボクに襲い来る、大きいのだけ退治してください。ボクは法力を一発、一言主に浴びせるため、三鈷鈴を振りながら、気を溜めに入ります。」
 小声で囁く。
「幸い、奴もまだ、完全に復活していないらしく、小寒様の張った結界の影響を受ける、こちら側へは入れないようですし…。」
 彼女の指摘どおり、玄馬は決して己の張った結界を抜け出る様子はなかった。どうやら、結界を越えるのは、彼にとっても「リスク」が高いのだろう。そう考えるのが妥当だった。

「よっしゃ!こっちは俺に任せろっ!んで、奴に打つときは、俺も一緒に合わせてやる。飛竜昇天破を。」
 コクンと乱馬は頷いた。
 一人の気よりも二人分と踏んだのだ。一気に奴を滅ぼす、そう決意した。

「何を企んでおるかはわからぬが、ほうら…。この数に対応できるかな?」
 玄馬はいたぶるように、こちら側へ「精霊魂」を集めてくる。

「な、何?」
 最初はしょろしょろと少なかった精霊魂が一気に増える。
「くっ!」
 中には乱馬の気が間に合わず、樹へ食らいかかる奴も居た。
 乱馬とて、黙っては居ない。必死で化け物たちへと対した。樹は鈴を振りながら、払うと見せかけて、だんだんに気を体内へと溜めている様子だった。それに反応するように、小寒の結界も強くなった気がする。
 恐らく、少しでも強い精霊魂の進入を阻み、許婚を守ろうと、彼なりに考えているのかもしれない。

 まさに、双方の力のギリギリでせめぎ合う狭間の世界の闘い。

「乱馬さん、そろそろ行きますよっ!」
 気が充分に溜まったのだろう。樹が合わせた背中越しに合図を送ってきた。
「わかった、奴が今度、こっちへ精霊魂を差し向けた時、一気に行くぜ!奴は、振り込んだ時に、僅かだが、隙ができる。」
「はいっ!」

 互いにぎゅうっと握り締める拳。

「ふふふ…。最大級の精霊魂をおまえに送ってやろうか。乱馬よっ!」
 玄馬が乱馬へと啖呵を切った。

「てめえ、できるもんならやってみやがれっ!どんな妖怪だって粉砕して見せらあっ!」
 渡りに船だと思った。玄馬は樹から目を反らせている。己に、でかい精霊魂をたたき付けようと、わざわざ宣言してくれたのだ。せいぜい、あとは、煽るだけである。

「ふふふ、ならば、この父の愛の鞭!受けて見せよっ!覚悟せよっ!」
 玄馬が闇から、でかい精霊魂を呼び寄せ、そのまま、結界越しに投げかけてきた。
 確かに、でかい精霊魂だった。
 ナマズのように、ぬるんとした気が、闇深くから這い上がり、乱馬目掛けて襲い来る。

「けっ!親父、覚悟するのはてめえの方だ…。」
 乱馬はいち早くそいつを粉砕して、叫んだ。

「な、何?」
 玄馬ははっとした。

「何故なら、おめえに、これは避け切れねえし、樹の気は、てめえの半端な闇の力を粉砕する法力を持ってるんだっ!それっ!俺の気も一緒に、浴びやがれっ!クソ親父っ!」

 乱馬は振り向きざまに、向かって来た精霊魂と共、玄馬に向かって、気を浴びせかけた。飛竜昇天破の横撃ちだ。螺旋状の光の輪が、乱馬の掌から鋭敏に飛びだし、玄馬を駆逐すべく、突き抜けていく。
 そして、それと同時に、樹の気も、そのか細い両腕から流れ飛んだ。

「ぐわああああっ!」
 玄馬の顔が黄色く光った。
 そのまま、彼の身体を飲み込んでいくように、広がっていく。いくら玄馬でも逃げられない。黄色く発した光は、そのまま玄馬を包み込むと、目の前で弾け飛んだ。
 ボスンと鈍い音がして、燻るように、黒い煙が上がる。その中で、玄馬が苦しそうにもがき苦しんでいるのが見えた。

「やったかっ!」
 乱馬が歓喜の瞳を手向けようとしたその時だった。

「フン!それはどうかな…。」

 脇で声がした。玄馬の声ではない。別の声だった。
 と、同時に、気を浴びて、足掻き苦しんでいた玄馬の姿がすいっと、消えた。
 消えた後、白い人型の紙が、はらりと舞い落ちる。

 視線を転じると、樹の祖父、神足が、結界のすぐ脇に立っていた。
 確か、神足はあかねとともに、岩にもたれかかって、気を失っていた筈なのにだ。

「爺さん?」
 乱馬ははっとした。

 と、神足の背中がメキメキ音をたてて、バックリと割れた。そして、そこからおどろおどろしい気の根っこのような触手が、何本も飛び出し、樹の身体に襲い掛かった。
 まるで、枝葉がぐいぐいと伸び上がっていくように、樹の身体をすくい上げる。

「きゃあああっ!」
 樹が黄色い悲鳴を上げた。神足から出た「それ」に釣り上げられて行く。

「樹っ!」
 乱馬は思わず叫んでいた。

「乱馬さんっ!やられましたっ!さっき闘った玄馬さんは傀儡(かいらい)です。一言主の本体は、お爺様の中にっ!」
 闇の中、高く触手に絡め取られながら、樹が叫んだ。

「ふふふ、我、要の術者を得たりっ!これで、この場所には用は無いっ!」
 爺さんは、鬼のような形相で、にやりと笑った。
 思わず、背中がゾクッとするような笑いだった。
「おまえにも、もう、用はないっ!死ねっ!早乙女乱馬っ!」
 至近距離から放たれる「気」。それも最大級の妖気だ。しかも、乱馬は、殆ど体内に気を残していなかった。
「我が、闇の気で、消滅せよっ!このまま根の国の精霊魂の一員となって、未来永劫、狭間の狭い空間を彷徨い続けるが良いわっ!」

「う、うわあああっ!」
 万事休す!
 闇が目の前に迫り来た。逃れられぬ。そう思ったときだ。

 パアッと懐が熱くなった。 
 と、見る間に、黄金の光に包まれた。そして、身体が空に浮き上がったかと思うと、その場からすうっと乱馬の姿が消えた。
 跡形もなく。




「ちっ!小寒の奴め!小賢しいっ!」
 神足爺さんが舌打ちした。
「一言主っ!お爺様をさらった後、乱馬さんのお父さんから、改めて、お爺様の中に憑依し直したんだなっ!卑怯者っ!」
 神足の背中から延びる触手に絡め取られた、樹が唾を吐き付けた。
「いいや…。それは違うぞ。樹。」
 にっと神足は笑った。
「ワシは、最初からこの鴨野神足に憑依しておったのじゃからな。」

「な、何ですって?」
 樹は驚きの声をあげた。

「嘘…。じゃあ、玄馬さんが壊したとボクに言っていたあの祠は…。」

「フン、この鴨野神足が壊したのよ…。小角の封印は完全ではなくてな…。数十年に一度、呪縛が緩むことがあるのよ。フン、所詮は人間の秘術じゃからな。その「緩み」に便乗して、神足を呼び寄せ、そして、まんまと神足を依代に憑依したのだ。」

「なっ!じゃあ、最初から、ボクや小寒さんを、騙していたんですか?」

「そういうことになろうかのう…。最初に、このじじいに乗り移って暫くして、玄馬が現れたのだ。ワシの呼び出し状に反応してな…。そして、あやつを傀儡術で、さも一言主に憑依されたかのように、方術にて操っていたのだよ。」
 爺さんはにっと笑った。
「ど、どういうことです?」
 樹は畳み掛ける。
「何、簡単な事じゃ。ワシと早乙女玄馬は旧来からの知人でな…。奴が大峰山で修行していた、若い頃折に知り合ったのよ。」
「そ、そんな…。だったら、まさか、お爺様が玄馬さんを!」
「ククク、面白い修行書があるから、葛木山まで来てみぬかと誘ったら、奴の方から出向いてくれたのよ。」
「じゃあ、今までの玄馬さんは?」
「ワシが魂憑(たまうつ)りの傀儡術にて、影で操っておったのじゃよ…。ククク…それに、これを見よ。」
 神足は、すぐ後ろを促した。
 そこには、魂が抜けて、虚ろな瞳の玄馬が目に映った。ガルル、ガルルと牙をむき、よだれを垂らしている。眉間には皺。そして、何より。こめかみには二本の角がにょきっと生えていた。
「まさか…。お爺様…。いや、一言主、貴様、玄馬さんには、別の憑き物を!」
 ギリギリと締め上げられながら、樹は問い返した。

「勘の良い奴じゃ。さすがに術者としての裁量には光るものがあるのう…。そうじゃ。玄馬(やつ)には、我が式神、「幽鬼(ゆうき)」を憑依させてやったのよ…。」

「幽鬼…。一言主の「式」…。」

「ふふふ…。まだ、完全に式としては復活しておらぬ。抜け殻同様だがな。だからこそ、ワシもこやつの中に、自由に魂憑りできたのじゃがな…。」

「じゃあ、まさか、あかねさんをさらったのも…。」

「ああ、そうじゃよ、幽鬼も完全に復活させる餌(え)として、こやつに与えるためじゃ。あの娘に後鬼を憑依させて蘇らせるさ…。幽鬼は後鬼が好きじゃったからな。前鬼に奪われてしもうて、嘆き悲しんでおったのよ。それをワシは式にした。今でも、後鬼の美しい身体を食らいつくしたい程に、愛しておるよ、幽鬼の奴は。」

 うううと虚ろな瞳を差し向けながら、がっくりと頭を垂れる、あかねを見ている幽鬼。

「そうじゃ、あの娘に後鬼を蘇らせて、幽鬼に与えるのじゃ。幽鬼があの娘を「餌」として食らえば、その魂を核にして、幽鬼の真の力が目覚める。大和の国など、一頃に吹き飛ばしてしまうくらいに激しい、奴の力がな…。くくく…。そのためには、「要の術者」が必要なのだよ、樹…。」

「そ、そんなこと、小寒様が許すわけがないわっ!」

「ふふふ、小寒は最早、何事も成せぬわっ!奴はこの結界場を離れる事はできぬ。奴がここを離れれば、すぐさまにでも、根の国の住人が、現世へ雪崩れ込み、人間界は魑魅魍魎で溢れ返る。なれば、奴は、ここからは出られぬ。そう、ワシと対峙する術は、もうないのだ。樹、貴様が我が手に入った、今となってはなっ!はっはっはっは。」

 一言主は、笑いながら、地面に陣を描いた。何本もある、背中の触手の一つでだ。
 地面に滑るように描かれていく幾何学模様の式陣。

「一言主、おまえまさかっ!」
 背中で樹が足掻いた。

「おうさ…。玄馬もあかねも、二上山で待っているのだよ。」
「じゃあ、あそこに居るのは、あかねさんじゃないの?」
「今頃気付いたか…。どら。」
 パチンと鳴らす指に反応して、すぐ傍の岩にもたれかかっていたあかねが、ふうっと消えた。人型の紙になって散らばる。
「傀儡(くぐつ)…。」
「そうじゃ、そこに居たのは木偶(でく)だ。実体などではなかったのよ…。くくく、これでわかったろう?小寒がいくら優秀な役の末裔だとしても、離れた場では、何の手の尽くしようも無いということがな…。己の無力を呪いながら、大和が壊れていくところを、見届けるが良い。忌々しい、小角の末裔たちよっ!」
 そういい終わるやな否や、一言主が描いた式陣から、沸き立つように黒龍が競りあがった。

「きゃああああっ!小寒さまあっ!!乱馬さーんっ!」
 樹の悲鳴が、響き渡る。

 やがて、彼女を絡めたまま、神足は龍の背中へ駆け上がり、岩陰を通り抜けるように、消えてしまった。

 そして、辺りは再び、深遠な闇に包まれて行った。



つづく




優婆塞(うばそく)
 正式に認められた僧侶ではなく、在俗のまま、山野や仏門へ入り、仏教の戒律を守りながら修行する修験者のこと。女性修験者のことは「優婆夷」(うばい)と呼びます。
 また、余談ですが「遊女」も巫女から発祥したとも言われています。神と一夜限り交わる巫女が、転じて遊女へとなっていったとも。巫女にも身分があって、中世など大部分は「歩き巫女」と呼ばれた流浪の女性だったようです。
 いずれにしても、神通力を得るために、「流浪」「漂泊」は避けて通れない修行でもあったようです。


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