◇東雲の鬼

第一話 謎の客人来る


一、

 天高く馬肥ゆる秋。
 長く棚引くイワシ雲が西へと棚引き、茜色へと輝きを変える。遠景に望む山は青垣を作るが、近景の木立は、紅葉へと色褪せ始めた。
 すっかり日暮れも早くなった通学路。長い影を落としながら歩く若いカップルの姿があった。
 少女の方は短髪で、一見で制服とわかる井出たち。空色に近いブルーのジャンバースカートにボレロ風な上着。手には皮製の通学鞄。彼女が作ったのか、糸目が見える不器用な黒い子豚のマスコット人形が揺れる。
 その脇を、彼女の歩調に合わせ、腕を頭の後ろに組みながら、ゆっくりと歩むおさげ髪の少年。彼は制服姿ではなく、流行らない濃い青のチャイナ風上着を羽織っていた。

「ねえ、おじ様帰って来ないわねえ…。」
 少女はゆっくりと少年を振り返りながら、言葉をかけた。
「けっ!どうせ、どこかでパンダにでも変身して、のんべんだらりと面白おかしく過ごしてんじゃねえかあ?」
 心配げな少女を他所に、吐き捨てるように言い放った。
「あんたさあ…。一応、父親なんだから、もうちょっと心配してあげたらどうなのよ。おじ様、山で遭難したのかもしれないわよ!」
 少年の物言いに少しムッと来たのだろう。少女が食って掛かった。
「はん!一昨日(おととい)来やがれってんだ!あのクソ垂れ親父!あいつが、山で遭難するような柔(やわ)な奴だと思うか?全人類が死滅しても、一人だけ生き残りそうなしぶとさとしたたかさを持ち合わせてる奴だぜ。心配するだけ大損っ、てなっ!」
 と、これまた素気無く答える。
「ホント、あんたって冷たいんだから。」
 少女は大きく溜息を吐き出しながら言った。
「冷淡にもなるさ。おめえは、ここ数年の、すっかりおとなしくなったあいつしか見てねえしな。あいつは鬼親父だぜ。俺なんざ、物心ついた頃からずっと一緒なんだ!あいつがいねえ生活の方がかえって清々すらあ!」
 憤然と少年は答えた。


 少年の名前は早乙女乱馬。父親、早乙女玄馬とともに、並び行く少女、天道あかねの道場へと食客を決め込んでいる。いわゆる「居候」という奴だ。
 天道家に居候を決め込むまで、この父子、「武者修行」と称して寝屋を定めずに、日本列島をあちこち放浪三昧。父は息子を強く育てることしか眼中になく、息子もまた強くなりたい一心で父親に従ってきた。これまた破天荒な親子であった。
 だが、乱馬が十六歳になって間がない或る日、思い立ったように父親の玄馬は、息子を己の大親友「天道早雲」の元へと連れて行き、そのままそこへ住み着いてしまった。放浪生活に飽きたのか、それとも安住したいと願ったのか、父親の真意はわからなかったが、気がついて見ると、天道家の末娘、あかねと「許婚」という間柄が成立してしまっていた。
 乱馬にとってあかねは、当初から「気になる存在」であったが、右も左もわからずに、勝手に父親たちが盛り上がり、有無も言わさずに押し付けた手前、すんなりとその立場を受け入れたわけではなかった。更に、あかねにとっても、寝耳に水の乱馬との縁談話。まだ、年端もいかなかったこともあり、勝気な彼女なりに「強硬に反発」した。
 互いに、恋に不器用だった側面もあり、「まんざらではない」と思いながらも、互いの本音は殆ど、言の葉に乗せて表すこともなかった。
 片思い以上、両思い未満。そんな「微妙」な関係を、ずっと引きずったまま、時を重ねていた。
 互いに勝気で、一度口にしたら譲り合わない性質の似たもの同士。「喧嘩するほど仲が良い。」それを地でいっていた。
 そんな風だから、仲良さげに肩を並べていても、いつの間にか言い合いになってしまう。


「ホント!あんたって冷たいんだから!父親でしょうが。予定の滞在期間を過ぎて、少しは気にならないの?」
 あかねは、えぐるように言葉を続けた。
「けっ!修行って奴は、予定どおりにいかねえのが常だよ!一日、二日遅れて帰るのもままある事だぜ。おめえみたいなオコチャマ女学生の旅行じゃあるめえし。」
「な、何ですってえ?」
 互いの物言いに反発しあい、だんだんと雲行きが怪しくなってくる。
 
 そうだ。乱馬の父、早乙女玄馬は、ふと思い立ったように「一週間ほど山に篭ってくる。」と一言言い残して、一人天道家を出た。
 物心つかぬ乱馬を連れて放浪し始めて以来、一所にじっとしているのは性分が合わないのか、天道家に身を寄せるようになっても、時々、思い出したように「修行」と称して、野山へと繰り出すのは珍しいことではなかった。
 あかねの父、早雲も、同門の門下生だったので、彼も時々、玄馬の修行に付き合って野山を駆け巡ることがあったが、今回はその同行すらやんわりと断って、天道家を出たのだ。勿論、彼の息子、乱馬も伴うことがなかった。
 孤高の武道家とはいえ、玄馬が一人で修行へ出てしまうことは、珍しかった。必ず、息子の乱馬か盟友の早雲を伴って、連れ立って修行へと繰り出すのが、玄馬の常であったからだ。
 ごくたまに、一人でふらっと修行に出てしまうこともあるにはあったが、その場合は、そう遠くへ行かず、近辺で野営して修行していた。
 だから、この時も、町内の公園にでも居るのだろうと、最初は思っていた乱馬だが、この辺りに玄馬の気配は伺えない。

「確か、おじ様が修行へ出る前に、おじ様宛に書状が届いていたわよね…。」
 あかねは記憶を辿りながら乱馬に問いかけた。
「そうだっけかあ?」
 気のない返事が乱馬から返される。
「うん、あたし見たもの。今時珍しい、封包みで届いたから覚えてるの。ほら、昔の人が使ってたような式辞風の書状で…。」
「ふうん。初耳だな…そりゃ。」
「あんた見なかった?」
「全然、知らねー!」
「きっと何かおじ様に所用があった人が寄越したのよ。それで、おじ様慌てて出かけて行ったのかも知れないわ。」
 あかねは、考え込む仕草をしながら、乱馬に言った。
「大方、昔どっかで知り合った武道家に誘われたとか、そんなのだろうさ。」
「昔知り合った武道家に誘われたって何でよ。」
「知るかよ!例えばの話だよ!」
「あの書状とおじ様の修行って何か関係あるのかしら…。」
「たく、考えすぎだっちゅーのっ!第一、どこへ誘われたってんだよ!」
「カツラギ山中。」
 あかねはあっさりと答えた。
「あん?」
 乱馬は、何でおめえが知ってる、という瞳であかねを見返した。
「だから、カツラギ山中。」
「どこだ?それっ!」
「さあ…。知らないけど、書状見ながら、おじ様ブツクサ言ってたのよ。『カツラギ山か、面白い。』とかね…。」

「けっ!」

 暫し沈黙していた乱馬は、次の瞬間、思わず、吐き出していた。

「たくう!おめえも親父の事、心配する暇があったらよう、期末考査の勉強くれえ、始めたらどうだ?」
 と、投げやった。

「万年、赤点お呼び出しのあんたに、そんな事、言われたかないわよっ!ははーん、あんた、もしかして、今度の期末落としたら、三年進学がやばいってひなこ先生に言われたから…。ふーん、それで、おじ様に修行の置いてけぼり食ったんでしょう!?おまえは進級の事を考えねばならぬから、今回は一緒に来るなってね。違う?」
「なっ!」
「そっかあ…。おじ様に居残ってしっかり勉強しろって言って、一人で出かけてたんだ。それで不機嫌なんだ、乱馬君。」
「バ、バカッ!そんな事あるわけねーだろっ!」
 今度は己が小馬鹿にされて、乱馬が激情した。大人気なく、あかねに向かって反論しようとした、その時だった。

 後方から怒声が響き渡ってきた。
「どろぼーっ!待ちいやっ!」
 聞き覚えのある関西弁口調。久遠寺右京だ。その前方を、何やら脇に抱えて、人影が走り来るのが見えた。

「なっ!」
 あかねは避ける間もなく、その場所に釘付けになる。
 思わず、乱馬があかねを抱えると、たっと、脇に避けた。
 目の前を人影がすり抜けたと思ったら、後ろから右京のコテが飛んできた。

「あ、あぶねえっ!」
 思った矢先、右京の放ったコテのうちの一本が、乱馬の脳天を直撃しそうになった。あまりの唐突さと、あかねを抱えていたので、身動きが上手く取れず、避けた拍子に足元がぐらついた。
「でっ!」
 案の定、そのまま、仰向けに、あかねを抱えたまま、ひっくり返る。

 どっかーん!バラバラ…。

 良かったのか、悪かったのか。
 乱馬が仰向けに倒れこんだところは、用水オケが置かれた場所であった。
 
「でえーっ!つ、冷てえっ!」
 乱馬は背中からぐっしょりと水浸し。
 右京が追っていた人影も、乱馬が転んだ拍子に、弾んだバケツにつまずいて、一緒に転倒した。

「たく!盗人猛々しいやっちゃなっ!観念しいっ!」
 右京が、ぐいっと、転んだ人影を押さえつけた。

「どうしたんだ?ウっちゃん。物凄い剣幕でよう…。」
 水浸しになった乱馬が、あかねを脇に立たせながら、覗き込んだ。

「訊いたって!乱ちゃん!こいつなあ、ウチの店で無銭飲食しようとしやがってん!」
 右京は鼻息がまだおさまらないらしく、息を荒げながらも、ぷんすか怒って怒鳴り散らした。
「無銭飲食だって?こいつがかあ?」

 乱馬とあかねは、顔を見合わせながら、倒れた人影を覗き込んだ。人影はピクリとも動かない。地面に這いつくばったまんま、倒れこんでいる。見れば、白装束。頭には小さな烏帽子をかぶり、背中には笈(おい)を背負っている。おまけにグルグル眼鏡。かなりの近眼と見た。とても個性的な見慣れぬ風体だった。

「こらっ!気ぃ失ったフリして逃れようと思ってもあかんど!」
 右京は、許すつもりなどさらさらないらしく、盗人の上で仁王立ちしている。
「口惜しや…。腹が減ってなければ、逃げ遂せたものを…。」
 盗人は地面に突っ伏したまま、そんなことをぼそぼそと吐きつけていた。思ったよりも細い若者の声だ。

 と、その時だ。
 今度は前方から、再び、怒声が響き渡ってきた。見ると、もうもうと砂煙がこちらに向かって駆け抜けてくる。

「待つじゃーっ!泥棒じじいっ!」
 これまた、聞き覚えのある声、ムースのものだった。
 彼もまた、盗人を追っているようで、猪突猛進してくる。
「あ、あぶねえっ!」
 案の定、駆けてきた塊は、倒れていた右京の無銭飲食者の身体へとひっつまずいた。避けきる間もなく、折り重なるように倒れたのである。

 ガラガラ、どっしゃーん!

 再び、轟音が弾けた。

「ぐわあー、ぐわあー、ぐわあーっ!」
 乱馬が撒き散らした、用水桶の水溜りにそのまま突っ込んだムースは、ものの見事にアヒルに変身してしまった。そして、グルグルと倒れこんだ人影の上で怒号を浴びせかけている。

「たく、何だってんだよ…。」
 乱馬がひょいっとムースアヒルをつまみあげると、鋭いくちばしが、何をすると言わんばかりに、グワグワとまくしたてる。

「愛人、乱馬。その爺さん、取り押さえてくれたか?大歓喜!」
 と、ムースの後ろから走ってきた、シャンプーが乱馬の首根っこに飛びついてきた。
「ちょっと、シャンプー、何すんでいっ!」
 再び、足元をぐらつかせた乱馬は、そのまま後ろに尻餅をつく。
「乱馬、さすがある。私のために無銭飲食の老人捕まえてくれた。」
 そう言いながらシャンプーは、乱馬へとすりすりと頬擦りする。その様子に、あかねがヘソを曲げた。
「ちょっと、あんたたち、女同士で気持ち悪い事しないでよ!」
 と口を挟む。あかねのすぐ傍では、ムースもそれに同調したように、ガーガーとがなりたてる。
「あかね、おまえも居たのか。」
 シャンプーはにべもなく、あかねに対して吐き出した。あかねなど眼中にないと言いたげだった。
 そうなると、あかねは俄然、勝気さを出してくる。だが、この場にはもう一人、右京が居た。あかね同様勝気な右京が、黙って見ているはずはない。
「シャンプー。何やねん。後から来(き)くさって、乱ちゃんはウチのために、先に無銭飲食者を捕まえてくれたんや。あんたのはついでや!」
 と、鼻息も荒く、突っかかってきた。
「ついでとは何ね!乱馬は猫飯店のためにハッスルしてくれたある。右京、おまえの店こそついであるよ!」
 互いに、腕まくりしながら睨み合う。

「たく…。いきなりなんだってんだよ。なあ、あかね。」
 当の乱馬は、二人の少女が言い争い始めたのを見て、当惑したようにあかねを振り返った。
 だが、あかねはツンとソッポを向いて、無視を決め込む。あかねにしてみれば、シャンプーや右京が乱馬を巡って言い争う姿など、見たくもない。
 目を反らした拍子に、足元に折り重なるように倒れていた、右京やシャンプーの店のそれぞれの「無銭飲食者」らしい輩へと視線が移った。そして、奇妙なことに気がついたのである。

「あら…。この人たち…。」
 あかねは、きょとんと目を凝らして、折り重なる二人を覗きこんだ。
「やだ…。同じ衣装装束を身に付けてるじゃないの!この二人。」
 と声を上げた。
「え?」
 つられて乱馬も覗き込んだ。
 地面に突っ伏して目を回している、二人。一人は乱馬やあかねたちとさほど年の開きがなさそうだ。どう年長に見ても二十代そこそこ。いや、高校生くらいの感じがした。どこかあどけなさが残る青年。そして、もう一人は、六十代、いや七十代かとも思える、爺さんだった。
 二人とも、白袴と着物を身に付けている。そして、肩には笈(おい)。頭には黒い烏帽子。山伏のような、それでいて、四国四十八箇所巡りのお遍路さんのような、そんな変わったいでたちであった。
 そして、目を回して、地面へと倒れこんでいた二人は、共に「腹が減った…。」とうわ言を繰り返していた。


二、

「で?結局、家に連れて帰って来ちゃったの?」
 なびきが、呆れ返ったと言わんばかりに、声をかけてきた。
「だって、仕方がないじゃない。『お腹が減った、何か食べ物を与えてくだされ。』って、潤んだ瞳で訴えかけてくるんだもの。」
 と、あかねが苦笑いしながら、姉に対処した。
「だからって、何で家まで連れて来ちゃったのよ。それぞれ、右京の店とシャンプーの店で無銭飲食をしようとしたんでしょ?普通、そこまでお人良しはしないわよ。」
 現実主義のなびきは、突き放すように妹を見た。
「ま、良いんじゃないのかね?見たところ、悪い人たちには見えないし…。」
 早雲が、傍から口を挟んだ。

 天道家の茶の間。
 そこの真ん中にドデンと陣取って、無銭飲食で目を回していた、若者と老人。二人が、出された丼飯にがっついていた。
 なびきやあかねたちの会話など、どこ吹く風と言わんばかりに、無心に胃袋へと御飯粒を流し込む。息もつかずに、わしゃわしゃと箸を動かし続けている。その様子を見ながら、なびきが思わず、苦言を呈したのである。
「まだ、おかわりならありますからね…。どんどん食べてくださいね。」
 台所から御ひつを運んできたかすみが、にこにこと話しかける。
「急場なことだったから、漬物と納豆くらいしか用意できなくて…でも、御飯だけはたくさんありますから、召し上がってくださいな。」
 普通、望みもしない来客が上がりこみ、飯など食らおうものなら、怪訝な目の一つも向け、文句の一つも言おうものだが、天道家の長姉は、そんなことはお構い無しに、あかねが連れて来た見慣れぬ客人に接していた。主の早雲とて、同じだ。多少、困惑した表情は伺えたが、小言も文句も口にしない。それぞれ「出来た人々」であった。
 そんな中、次姉のなびきだけが、ごく良識的なことを指摘しながら、観察していたのである。
「まあ、細かい事は良いよ、なびき。情けは人のためならずってね…。ほら、よっぽどお腹が空いておられたんだろう。このかっ込み方。特に、眼鏡の若者の方は、さっきから息をするのも惜しいと言わんばかりに食べているんだから。」
 父親の早雲にそう言われてしまっては、なびきもそれ以上の言葉を継げなかった。仕方がないわねと言わんばかりに、一つ溜息を吐き出すと、じっと、無心で食べ続ける客人たちを見詰めていた。
 何杯、おかわりしたろうか。おひつが空になる頃、やっと、二人の客人は箸を置いて、見守る天道家の人々に愛想を振りまいた。

「ご馳走様でござった。納豆飯だけでも、お腹が膨れたでござるよ。ほれ、おまえも礼を言いなさい。」
 爺さんが、孫を促した。
「あ、ありがとうございます。おかげで満腹いたしました。」
 ペコンと樹は頭を下げた。髪の毛はぼさぼさ。前髪は下ろされていていて、少しそばかすがある鼻頭。後ろに一つにくくって束ねてはあるが、何日も風呂に入っていないのか、少し垢こけて見えた。衣服もさっきの乱闘ですっかり汚れている。
 丸いムースのようなグルグル眼鏡が、どことなく、親しみを持てる愛嬌ある顔に仕立て上げている。

「申し遅れました。ワシらは諸国を修行しながら巡っている旅の修験行者でござる。ワシは鴨野神足(かもの・こうたり)、こやつは孫の樹(いつき)と申します。」
 そう言って、老人は頭を下げた。

「修験行者?」
 訊きなれぬ言葉に、なびきがきびすを返した。
「修験道を極めるために、諸国を遍歴して旅を続けておる行者の事でござるよ、娘さん。」
 爺さんはそう言いながらにっと笑った。
「つまるところ、放浪の身の上ってことね。」
「なびきちゃん!そんなはっきり言っては失礼よ。」
 かすみがお茶を淹れながら制した。
「諸国修行の旅って言ったって、普通は無銭飲食なんかしないじゃないの?お財布持たずに放浪だなんて、無謀も良いところよ。」

「これは手厳しい娘御じゃのう…。」
 爺さんは笑いながら答えた。

「でもないよ。なびき。お金がなくたって放浪の旅はできるよ。現に、早乙女君たち親子だって、似たような修行生活を重ねていただろう?なあ、乱馬君。」
「あはは、まあ、実力で飯を調達できるなら、確かに、修行生活も、金なんてあんまり必要はねえけど…。」
 変なところで乱馬へと話題をふる早雲に、乱馬は苦笑いしながら答えた。
「でも、無一文じゃねえ…。」

「実は、無一文って訳ではなかったんです。一応、それなりの路銀は持ち合わせていたんですが…。途中ですられてしまって…。」
 もごもごっと若者が答えた。
「スリにあったの?そりゃあ大変だ。」
 早雲が声を荒げた。
「ええ、ボクらは大都会に出たのは初めてで…、それで財布をすられてスッカラカンに…。ねえ、お爺様。」
 樹が爺さんを覗き込んだ。
「そうなんですじゃ。田舎物と思って、カモにされたんでしょうなあ…。いやあ、都会は恐ろしいところでござりまするな。」
「都会たって、この辺はそんなに大都会というわけでもないわよ。東京二十三区内ではあるけどね…。」
 なびきがさらっと言ってのけた。
「でもよう、これからどこへ渡って行くつもりか知らねえけど、金を一文も持ってなかったら困るんじゃねえのか?」
 と乱馬が口を挟んだ。
「そうね…。無銭飲食は犯罪に違いないし…。」
 あかねも同調する。

「大丈夫ですじゃ。たまたま、腹が減って、息詰まってはおりましたが、ワシら、元々は修験者。路銀を稼ぐ業(わざ)くらいは持ち合わせておりまする。」
 爺さんは動じていないらしく、あっさりと言い放った。
「ワザ、ねえ…。」
 何が出来るの?と言わんばかりに、なびきをはじめとした、天道家の人々は爺さんを見詰めた。
「一宿一飯の御礼に、お見せいたしましょうかのう?」
 と爺さんはにっと白い歯を見せた。
「こら!てめえら、一宿一飯って…天道家に泊まっていく気かよう?」
 乱馬は思わず声を荒げていた。
 ずうずうしいのも程があると思ったからだ。
「ありゃりゃ、そこのお嬢様はそのつもりで、我らをここまで連れて来てくださったのではないのですかな?久々に柔らかい蒲団で寝られると期待してついて参ったのですが…。」
 と爺さんはあかねを伺う。
 あかねは困ったという表情を浮かべた。勿論、彼女はそこまでの心づもりで連れて来たわけではない。お腹が減って倒れこんでいた二人が気の毒になったのと、シャンプーと右京がそれぞれに警察に突き出すと言い始めたのを思わず制して、連れ帰ってきたのだ。
 お人好しのあかねらしい。それが真相であった。

「ねえ、お父さん、一晩くらいうちに泊めてあげたって良いかな?」
 あかねは早雲へと懇願の瞳を投げやる。
「あ、ああ…。ワシなら別に構わんよ。我が家は部屋数と蒲団だけはたくさんあるからねえ…。一晩くらいなら、泊めてあげても。」

 それを訊いて、爺さんは色めきだった。

「言ってみるもんじゃのう!樹よ、親切な天道家の人々が快く一晩の宿を引き受けてくれたぞよ。」
 と樹と手を取り合った。
「あ、ありがとうございます。一生恩に着ます!みなさん!」
 樹も一緒に喜んだ。
「べ、別に一生恩に着なくっても構わないから…。」
 あかねは思わず苦笑い。
「お風呂を湧きましたから、どうぞ。旅の汚れを清めてくださいな。」
 と、そこにかすみがにこやかに言った。
「おお、これはご親切に…。樹、先に湯をいただいてきなさい。」
 爺さんは一番湯を孫に譲ったようだ。
「で、でも…。」
 樹はちらっと一同を見渡した。一番湯を使って良い者かどうか、彼なりに躊躇したらしかった。
「ほれ…。何なら俺と一緒に湯浴みしようぜ。」
 乱馬が樹の傍へと、すっくと立ち上がった。

「ちょ、ちょっと乱馬っ!」
 横からあかねが慌てて制した。

「良いじゃねえか!どうせ、同性同士なんだし。」
 乱馬は悪戯っぽい瞳を樹に差し向ける。
「ら、乱馬さん!そ、それは、困ります!ボ、ボク…。」
 案の定、真っ赤になった樹が狼狽した。
 当たり前であろう。
 樹は乱馬を男性とは思って居ない。当然、女性だと思っていよう。
「良いから、良いから…。俺も頭っから水を浴びて、体が冷えてんだ!」
 乱馬は強引に引っ張って行こうとした。

「乱馬っ!いい加減になさいっ!」
 思い余ったあかねが、いきなり乱馬をポカリと殴りつけた。
「痛てえっ!何すんだよっ!」
 いつもの如く、頭をひっぱ叩かれて、乱馬はあかねを睨みつける。
「それはこっちの台詞よっ!何が同性同士よ!思いっきり違うでしょうが!」
「何が不潔なんだよ!」
 乱馬は強く言い返した。
「と、とにかく、あんたは樹さんと一緒に入らなくって良いから、来なさいっ!体が冷えてんなら、夕稽古してあげるから!」
「な、何が夕稽古だっ!うわあっ!そんなに強く引っ張るな!あかねっ!この凶暴女あっ!」
「うるさいっ!!とっとと、来るのぉっ!」

 ずるずるずると、あかねは乱馬の襟ぐりを引っ張って、目を点にして立ち尽くしているいる樹の前をすり抜け、茶の間から出て行った。

「ホント、仲が良いんだか、悪いんだかか…。はっきりしないんだから、乱馬くんもあかねも。」
 その後姿を見送りながら、ふうっとなびきが溜息を一つ、思わせぶりに吐き出した。



つづく




一之瀬からのお願い
  この作品の記述部については、「古事記」(新潮日本古典集成)、「日本書紀」、「続日本紀」、「日本霊異記」(以上・岩波古典文学大系)から紐解いた、一之瀬の勝手解釈です。いろいろ調べ上げた参考書と、学生時代に説話文学を研究する上で積み上げた知識に自分なりの解釈と創作を交えて書きこんでいる部分もたくさんあります。それゆえ、それっぽく聞こえる部分がありますが、デタラメに書いている事も多いので、「創作物」として、さらっと読み飛ばしてください。決して全てを信じないようにお願いいたします。


(c)Copyright 2000-2005 Ichinose Keiko All rights reserved.
全ての画像、文献の無断転出転載は禁止いたします。