前鬼乱馬

独鈷杵(どっこしょ)を持っていますが、制多迦乱馬ではありません。
こいつは「前鬼乱馬」のイメージ画です。
作品では刺青が両頬にあるんですが、いきなりそれを書くと「何じゃこりゃ?」になりそうなので割愛しました。

私が住んでる奈良県生駒市は前鬼と後鬼の伝承地。
なもので、地元譚が少し絡みます。
「ヴァジュラ・オン〜ヴァジュラ・オン〜」
イメージ曲は「鬼神童子ZENKI」…ああ、影山兄貴の歌声が脳裏に響く。
(そういえば、ちび前鬼は乱馬役の山口勝平さんが声出してたな…)


 拙作は、相棒の半官半民さんと、同人誌「あまから讀本」の別冊、「あまからクッキング手帖」の最終打ち合わせのときに、話がそれまくり、そこから脳内に湧き上がった骨子が元になっています。
 軽い気持ちで書き出したのに、気が付くと、長編様相になるわ、伏線が絡みつくわ…。投稿作としては、大迷惑な長編作品になってしまいました。

◆用語と背景にある歴史や地理についての解説◆

鴨野樹と鴨野神足、爺孫
 この二人のオリジナルキャラクターは賀茂氏の一族ということで「鴨野」と命名しました。
 樹は半さんに羅列していただいた、ゲストキャラの候補名から、もっとも中性的だったので、選出させていただきました。
 鴨野という名前には、勿論、意図するものがあります。賀茂氏や葛城山中、修験道でピンと来た方がいらっしゃったら相当なものです。


賀茂氏について
 実際に「賀茂氏」の「カモ」の語源は「カミ」にあるという説があります。誰の論文(学説)で、言語学関係か説話文学関係か歴史関係か民俗学関係か、出典は忘れましたが、学生時代に読んだ記憶があります。
 賀茂氏(加茂氏)は京都の上加茂神社に、「賀茂の斎」という「斎宮」を置いていました。現在でも加茂社の葵祭りでは、賀茂の斎が任命され、祭で重要な役割を担っています。
 賀茂氏は古来から、祭祀に長けた一族であったと思われます。物部氏も蘇我氏も葛城一体を中心に活躍していた、賀茂氏や葛城氏の一族だったとも言われています。


役行者(役小角) 伝637年〜701年
 賀茂氏は元々、葛城地方に根を張った名族が出自になっていると言われています。
 葛城地方とは奈良県南部にある葛城山から金剛山にかけての、切立った山々のことで、古代から神が居る山として畏敬の対象でした。ちなみに「役」とは、賀茂氏族の中でも、一番の力を持っていた一族に与えられた名のようなものであったそうです。役小角も、「賀茂役君小角(かものえだちのきみおづぬ)」と読んだ例があるそうです。(役や読み方についても諸説があります。)
 役小角は舒明天皇の時代に葛城山系の里に生まれ、聖武天皇の時代頃まで活躍した、修験道の開祖。その人生は謎に満ちていて、伝説に寄ると様々な術を使い、鬼神までも使いこなしたと言われています。中でも「孔雀明王経法」という孔雀明王を本尊として修する秘法をよく用いたと伝えられています。


一言主命(ひとことぬしのみこと)
 記紀神話に出てくる、葛城山系の国つ神の名前です。
 大和朝廷の進出と共に、併合された神の成れの果てという説など、いろいろ謂れがあります。
 役行者とも絡んだ伝説が、実際に残っており、一言主の讒言(ざんげん)によって、役小角は伊豆に流されたという説もあります。 その恨みによって、小角に呪詛(じゅそ)されて今も閉じ込められているという伝承もあります。
 一つの面白い事例として、一言主は「女性神」だったという物語が能の謡曲「葛城」に残されています。謡曲は舞のために女に置き換えられて創作されたという説もあります。また、実際に一言主が女神だったという伝承があったのかどうか、確認しておりませんが、葛城の印象が強かったので、そのままソースとして創作させていただいております。
 なお、有名な謡曲「土蜘蛛」も実は葛城山と深い関わりがある演目です。「土蜘蛛」というのも、元は前鬼や後鬼たちと同じように、大和へなびかなかった土着民だったのではないかという説もあります。
 なお、この作品での「一言主命」の扱いは、一之瀬の創作です。絶対に、信じないでくださいませ!


葛木山
 現在の表記の「葛城山」と、古代の「葛木山」は若干場所が違っているようです。現在の葛城山頂は古代のそれよりも北側に位地しています。古代の葛木山は現在の金剛山頂です。金剛山には「葛木神社」が鎮座しています。本作は金剛山を葛木山として書いておりますのでご了承ください。


生駒山と生駒市
 生駒山の表記はだいたい言われているままのことを書かせていただいております。
 生駒山は近畿地方のほぼ中心、大阪と奈良の県境にある山です。その東裾野に私の住む「生駒市」があります。奈良の都の西側に立つ事から、古より霊山として信仰されていたようです。奈良側の中腹に「宝山寺」があり、今も商売の神仏として信仰を集めています。宝山寺辺りは古い修行場が残っており、役行者、弘法大師などが修行したと言われる史跡も残っています。宝山寺には新旧たくさんのお堂が立っている、とてもエキゾチックな寺院です。歓喜天(聖天さん)の方が有名な寺ですが、実は本尊は不動明王です。役行者が開き、平安期に一度、逼塞したのを江戸期に再興され、現在に至ります。
 「行者磨崖仏」は市内にいくつかあるのですが、その中のひとつについて、実際の「見たまま表記」をさせていただきました。白庭台にあるこの石仏は、見事に造成事業で背後の山が、みるみる削り取られてしまい、木も抜かれ、悲惨な姿を晒しております。もう少し遺し方があったんじゃないかと、脇を通るたびに思ってしまいます。生駒山に連なる、交野には、天孫降臨に使った岩船を祭祀する「磐舟神社」もあり、巨石と生駒山の関わりをうかがわせます。
 また、今回の創作には出していませんが、東大阪側の石切神社はデンボ(できもの)切りの神様ですが、物部氏の祖、ニギハヤヒノミコト(饒速日命)が本当のご祭神です。古代、生駒山は物部氏と深い関わりがあったことを連想させます。
 宝山寺に向けては、近鉄生駒駅から生駒鋼索線(ケーブルカー)が走っていて、本文に出したブル号とミケ号も、実際に軌道を走っております。このケーブルカー、見る者の力が抜けるほどに間抜けな車体をしております。夜など、鳥居前駅(生駒駅)に点等して停車している姿など、滑稽を通り越して不気味です。
 また、生駒山頂遊園地は、現在、夏場しか営業していません。夏場は深夜まで営業していて、煌々と山頂に明りが灯っているのですが…。ここからの大阪方面の眺めは絶景です。特に夜景はおすすめです。奈良方面は家明りの絶対数が少ないので、思ったほど美しくはないです。ついでに申しますと、実は「生駒山ドライブウエー」は深夜は通行できないのだそうです。すいません(汗
 宿は宝山寺の門前町に旅館がありますが、生駒市が経営している「山麓公園・ふれあいセンター」にある宿泊施設をおすすめします。夏場は野外ロッジも利用できます。
 奈良へも大阪へも道路、鉄道、共にアクセスが良いところですので、生駒で一泊して関西周遊してみてはいかがでしょうか?とにかく、生駒山は自然の宝庫です。庭先をナメクジに混じって、カブトムシやクワガタが歩くくらい(苦笑



鬼取・生駒山頂を望む
手前の尾根が鬼取付近です。山頂に林立するのは関西のテレビ局鉄塔です。
宝山寺は右手の方にありますが、写真では切れています。
写真はK大付属病院から撮ったもの。


前鬼と後鬼
 役小角が手なずけた前鬼と後鬼にはそれぞれ、「儀学(ぎがく)」と「儀賢(ぎげん)」という名前があります。
 役行者に折伏されるまでは、生駒山周辺を暴れまわっていたと、伝説があります。
 彼らが折伏された地には「鶴林寺(かくりんじ)」という仏閣が建てられていましたが、江戸期に伽藍も移されて、現在は少し麓近くに建っています。鶴林寺は役小角が開基と言われていますが、一方で、行基開基という説も伝わっています。役小角だけではなく、奈良時代の民間僧として東大寺を建立するのに活躍した行基もまた、生駒となじみの深い僧侶です。なお、余談ですが、行基上人の墓は生駒市内にあります。


鬼取
 鬼取岩。岩の名前は一之瀬の創作ですが、薬師の滝は生駒山中に実在します。役行者の修行場所の一つと伝承され、現在は薬種如来の石仏があるだけの寂れた場所です。
 また、実際に、この薬師の滝辺りで役行者が、この山中と菜畑(なばた)の里を荒らしまわっていた前鬼と後鬼を折伏したと言われています。「鬼取町」という町名として伝承地は残っています。


聖なるライン
 地図帳があれば、是非に一度ご覧ください。三輪山と二上山を結ぶ線上(北緯34度32分)には、実にたくさんの「古代祭祀遺跡」がざっくざく並んでおります。
 天照大神に代表されるように、古代日本では、太陽信仰が一番の大元となっていたように思います。太陽信仰の証として、春分や秋分は先祖供養の日と崇められていますが、それも仏教と結びつく以前から信仰されていたものらしいです。古代日本人は春分や秋分の昼夜が均一となるこの特別な日を、先祖神との関わりの中、太陽を追い求め、追いかけた風習があったとも言われています。




◆作品私見◆
 この作品を書いている最中、二度、手が止まりかけました。
 一度目は、新潟地震。地震る…という項目を書いて暫くおいてのあの地震です。
 二度目は、日本中を震撼させた幼女誘拐殺人事件。実は佐助が乱馬たちを乗せて生駒から辿った道は、犯人が実際に行動していた国道だったりします。勿論、あの場面を書いた後での事件でした。あの事件以降、平和な田舎町だった地元は一転し、一種、独特な子供を守るぞという意識に包まれ、現在に至っています。事件のあった地は生駒の隣接の上、被害者のご家族が生駒に在住なさっていたこともあり、(犯人逮捕に至るまで、独特の緊張感に包まれていました。
 乱馬があかねを守ろうとする意識と、前鬼が後鬼を守ろうとする意識。その二つの合体が、この作品の根底に流れています。
 役小角に関しては、「不知火」に登場させようかと、前からごそごそ調べてはいたのです。変に記述が詳しいのはそのせいです。「不知火」では役行者は登場させない方向で進める予定です。彼に負わせようと思っていた役割は「小乃東風」に宛がって書いております。修験道と通じる五行博士として作りこんでいる最中です。公開はずっと後になりそうですが…。余談ですが、「小野道風」という書家が平安期に居ました。「おのとうふう」と読ませます。もしかして、けも先生、御存知でもじられたのかなあ。また、同じく平安期には小野春風という歌人も活躍しています。(どうでも良い話ではありますが…)
 脳内には役行者と乱馬とあかねが対決する別の話の骨子も浮かんでいますが、形にするか否かは、現時点では全く不明です。
 乱あ同人やる前は、もっぱら古代史にのめりこんでいたので、世界観は大好きです。まさに筆が乗るとはこのことで、予定よりもかなり長い複雑な話になりました。
 最後に、長い話にも拘らず、投稿を許諾してくださった、半官半民さんに厚く御礼申し上げます。




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