◇ホーム・スイート・ホーム 5

第五話

一、

 畳に沈んだ先生を、大慌てで抱き上げる。

「先生!大丈夫ですか?志穂先生っ!!」
 あかねも慌てている。
「たく…。くおらっ!クソ親父っ!てめえのせいで、先生、卒倒しちまったじゃねえかっ!!」
 俺が睨みあげると、親父が水を滴らせながら、縁側から上がって来た。俺の怒鳴り声が「気付け」になったのだろうか。
「う…ん…。」
 俺の腕の中で先生が小さく息を吐き出した。そして、ふっと見開く瞳。
 その瞳がはっとした表情を作って、俺を見上げた。

「あ、あら…。私。」

 そんな先生を見て、にっこりと作り笑い。それしか、対処する方法が見つからない。
 あかねもあかりさんも、すっかり萎縮して、おろおろしているのがわかる。龍馬も興味本位で寄って来る。
 先生の瞳が、また恐怖で打ち震える。
「きゃああああっ!!お化けっ!!」
 そう叫んで、再び意識が遠のきかける。
「くおらっ!親父っ!!てめえは、先生の視界から消えろっ!すっかり怯えてるじゃねえかっ!!」
 思わず、親父を見て叫んじまった。
『ワシはお化けではないよん!』
 親父め。そんな看板を掲げてやがる。水に濡れてパンダに変化しただけならまだしも、池の水が濁ってたせいもあり、ハスの葉っぱやら、真っ赤な鯉やら、藻屑やらを、獣の身体にびっしりとつけたまんま、上がってきたのを見て、先生が卒倒したらしいのだ。確かに、今の親父、見方によったら「化け物」に見える。
 落ちたのが親父だとわからなかったら、ここの連中だって見紛うかもしれない。
 そんな俺の傍でおどけるパンダ親父に、無性に腹が立った。

「てめえ…。脳天気じゃねえか!己がやったことに対して、罪の意識なんかねえんだろ…。このクソ親父っ!」
 はきつけた言葉に、志穂先生が反応した。
「親父?…親父って…。乱馬さんの?」
 そう言いながら、先生はやっと人心地ついたようだ。
「たく、すいませんね…。親父の奴…。」
 そう言って俺はじっと、おふざけパンダを見返した。

「ぱ、パンダ?」

 親父の図体を見て、先生がまた固まった。

「ぱ、パンダが親父?ええええーっ!!」

「ごめんなさい。先生。彼の父親、龍馬たちのおじいちゃん、わけがあってパンダなんです。」
 あかねがおろおろと答えた。
「こら、あかね…。それじゃ、説明になってねえぞ。」
 俺は思わず苦笑して、あかねを見詰め返した。
 あかねはあかねで、先生がぶっ倒れたのを見て、かなり動揺しているのだろう。
「おじいちゃんがパンダなんですか?」
「ええ、パンダなんです。」
 こら、ちっとも的を射てねえじゃねえか。
「話せば長いことながら、俺の親父は、水に濡れるとパンダに変身するんですよ…。」
 仕方がないから、俺が説明に割って入った。
「水に濡れてパンダに変身するって…。」

 俺の言葉を反芻して、目をぱちくりさせている先生に、さらに追い討ちをかける。

『そう、私がこいつの父親です。』
 そんな看板を掲げて見せるのだ。

「こら、親父っ!おどけてる場合じゃねえだろがっ!!とにかく、これを見てください。」
 俺は湯のみを持つと、思いっきり、おどけパンダに浴びせかけた。

「あちゃっ!熱いではないかっ!乱馬よっ!!」
 湯が滴り落ちると共に、にゅっと変身した親父。

「ぱ、パンダが人間に戻った…。」
 案の定、先生は半信半疑の瞳を差し向ける。

「そうなんです。ちこっと昔、中国で修行していたときに、ドジッて、呪いの泉に身を投じて、親父の奴、パンダに変身できる体質になっちまった…って、そんなところなんですよ。以後、水と湯でパンダと人間に入れ替われる、変な体質になってしまって…。」
 大雑把な説明をした。
「論より証拠じゃあっ!あらよっと。」
 脳天気な親父は、にっと笑うと、水と湯を交互にかけながら、人間とパンダの変化を繰り返して見せた。

「す、凄い…。パンダと人間が入れ替わる人間なんて…。初めて見ました。」
 すっかり上気した志穂先生。
 あったり前だろう。まんま、パンダになれる人間が、巷にぞろぞろ居るわけがねえ。
「ここの家ではこういう不思議は日常茶飯事だからねえ…。乱馬君。」
 そう言って、さゆりがにっと笑った。
「ま、俺も昔は変身体質だったからな…。」
「ちょっと、それは内緒でしょうがっ!!」
 思わずあかねがせっついてきた。
 俺が変身体質だったことも、親父がパンダに変化できることも、勿論、公にはなっていない。何処かのゴシップ誌が、前に面白おかしく「早乙女乱馬の女装癖」と銘打って記事にしたことがあったが、「そんな非科学的なことはないだろう。証拠にあげられてる写真は明らかに別人だ!第一、男と女が入れ替われる筈がない。」と、あっさりと否定された。
 その代わり、オフクロに隠し子が居たんじゃねえかとか、それはそれで騒動になりかけたが、今はすっかりおさまっている。
 呪泉郷や呪いなんて、現在社会にはそぐわない。所詮は御伽噺(おとぎばなし)の域に違いない。

 今の俺の言葉、どうやら、志穂先生には聞こえなかったようで、バケツとやかんを交互に親父に浴びせかけながら、きゃっきゃとはしゃいでいるのが目に入った。
 ううむ…。さすがに、若いから、ノリが良いと言うか、何と言うか。さゆりの奴も一緒になってはしゃいでる。

 てめえら、本業忘れてねえか?
 ここに何しに来た?
 家庭訪問に来たんじゃねえのか?

「こら!親父、調子に乗るなっ!!幼稚園児以上にはしゃぐな!いい年こいてっ!!」
 思わず後ろからポカッと手が出た。
『何をする!』
 と看板をにゅっと出す。
「きゃあ、未来ちゃんのおじいさま、すっごい!看板早書き、どうやったんです?」
 その様子に、志穂先生がキャピキャピと反応する。
『だてに長い間、パンダはやってません!』
 と再びおどけた。
 さゆりも一緒になって拍手喝さい。
 
 ったく…。こいつらは…。

 笑い転げる、先生たちに、龍馬も未来も若菜ちゃんも、一緒になってはしゃいでる。

 …ま、いいか。
 何に於いても、「楽しい」ってことは良いことだから。
 思わず目が合ったあかねと、ふうっと同時に溜息を吐き出して、にっこりと微笑んだ。




二、

「本当、大変だったわよ。」
 夕飯を片しながら、あかねが呟くように言った。
「あらあら、そんなに大変だったの?」
 先生たちが帰った後で帰宅したオフクロが、一緒に水仕事をしながらそれに答えた。
「お父さまも子供たちも、一緒になってはしゃいじゃって…。」
 ゴシゴシ食器を洗いながらあかねが答える。

 今日は疲れたろうからと、オフクロが買って帰って来た食材で鍋料理。季節的には鍋のシーズンは終わりだが、手っ取り早く作れて、栄養価が高くって、後片付けが楽チンということで、主婦には人気が高いそうな。ま、今朝は朝から大変だったからな。
 これ以上あかねに無理させたら、また、とんでもねえ、味付けの料理、食わされるかもしんねえからな。鍋だと出汁がしっかりしてりゃあOKだから、食い過ぎ以外に腹壊して転げまわることも滅多にあるめえ。

「さてと…。あかねちゃんも今日は早くお休みなさいな。私も疲れたから、今日はすぐに暇(いとま)させてもらうわ。」
 とオフクロは意味深な視線を俺に差し向けた。
「おやすみよ、オフクロ。」
 台所の椅子に座って、風呂上り、あかねとオフクロのやりとりを聴きながら、オンザロックでウイスキーを飲んでいた俺も、そう言って送り出す。
 すっかり夜も更けてきた。

 あかねと結婚して以来、オフクロと親父は天道家の裏庭に離れを建てて、普段はそっちで寝泊りしている。1DKのささやかな別棟だ。夕食は母屋で大家族揃って摂っているが、朝食はそっちで済ませることが多い。あかねが幼稚園児たちのために朝から奮闘しているのでオフクロなりに気を遣っているんだろう。
 大きな風呂はないが、簡単シャワー付きトイレもある。まあ、図体がでかい親父は、母屋の風呂場を毎日利用しているから、シャワーは汗を流すくらいしか使ってねえかもしれないが。
 時々、子供たちが「お泊り」と称して、母屋から離れへ寝泊りに行く。まあ、敷地内だが、それはそれで奴らの刺激にはなってるようだ。
 爺ちゃん二人と婆ちゃんと、それから俺たち夫婦と子供たち。そして、時々思い出したように帰ってくる、なびきとエロ爺。家族七人と不定期家族二人。思えば相変わらずの大所帯だ。

 カランと氷が良い音をたててグラスの中で沈んだ。
 ほろ酔い気分。
 昔から、決して酒が強いわけではない。でも、大人になって普通に嗜むくらいはするようになっていた。
 やっぱり、あかねの傍で飲む酒が一番美味しい。そう思う。
「おめえも飲むか?」
 オフクロが居なくなったので、そんなことをあかねに差し向けてみる。
「うーん…。どうしよっかなあ…。飲もうかなあ…。」
 小首を傾げて考え込んでいる。その仕草がとっても可愛い。
「やっぱ、やめとく。」
 そう言いながらエプロンを紐解く。
「おっ!風呂か?」
 と声をかけたら、
「一人でゆっくり浸かりたいから、駄目よ。」
 と牽制された。
「何が駄目なんだよ…。主語が抜けてるぜ。」
 そう言ったら
「バカッ!」
 と思いっきりアカンベエされた。

「たく、可愛くねえな。」
 思わず漏れる言葉を飲み込む。
 
 本当は、俺もあいつにくっついて、一緒に風呂場へ行きたかったが、ぐっと我慢した。
 俺は夕刻、こ飯前に汗まみれになった子供らと風呂に入ってる。家に居る時は、子供ら二人と風呂だ。これは父としての俺の役割分担。
 長い遠征が続いた後は、必ず子供らと風呂へ入る。裸の触れ合いが、絆を深める上でも一番有効だ。二人の背中や頭をわっしわっしと洗ってやる。俺も幼い頃に親父にしてもらったことだからな。
 特に、女の子の未来なんかは、ガキの今のうちじゃねえと、一緒に入れない。あと数年もしたら、一緒に入ろうって言ったら変態扱いされるだろう。
 未来も龍馬も競い合うように、昼間にあったことを喋り出す。それは賑やかな風呂場だ。
 考えてみれば、男の俺が始めてあかねと対面したのは、ここの風呂場だ。ざばっと湯船から上がったところで、入ってきたあかねと鉢合わせになった、記念すべき場所でもある。女に裸を見られるなんて、初めてのことだったから、それはそれでパニックになったんだっけ。まさか生まれて初めて裸を見られた女を嫁にするなんて、微塵も思わなかった昔の話だ。
 あれから、故障や修理以外の大きな改装もなく、広い湯船とタイルはそのままだ。
 広いから、子供らを二人同時に入れるのも、苦にはならねえ。
 たまには、あかねと一緒に湯船…ってのも捨てがたいが、辞めておいた。あんまり彼女を刺激するのも良策じゃねえ。それに…まだ、夜は長い。
 遠くで電車の音が響いてきた。タタン、タタンと聞こえる。
 それだけ、家の中も静かだ。
 子供たちも、疲れ切って、今頃は夢の中。
 幼稚園に通い始めてからというものは、幾分か規則正しくなった。幼稚園に上がるまでは、昼寝ってものが充分にできたから、結構、遅くまで賑やかにして宵っ張りだったあいつらも、もう八時過ぎると「バタンキュー」だ。
 幼稚園生活と言うものは、それはそれで、子供らに、適当な刺激と疲れを与えているのだろう。龍馬なんか、毎日、フル回転してる様子だものな。今日は、若菜ちゃんも来ていたから、いつもに増してはしゃぎまわってたみてえだし。
 あいつも、若菜ちゃんに出会って以来、端から見ていて面白いくれえ、ぞっこんぶりを発揮している。まだ、ガキの分、変な「勝気さ」も出てねえから、感情がまんま表に出てやがる。龍馬も年頃になったら、俺のように、自分の気持ちをなかなか素直に出せねえで、苦労するときが来るんだろうな。その時、若菜ちゃんとどうなってることやら。未来も本気で恋できる奴が出てくるんだろうな。
 親の立場から見ると、子供の恋愛というものは、己をなぞっているように感じるところもあるらしい。
 ま、俺とあかねの血を受けたガキどもだから、きっと、不器用な恋愛をするに違いねえ。見ててじれったくなるような。
 でも、本気で恋できる奴に出会って欲しいな。
 例えば俺とあかねのような…。
 喧嘩しながらも、強固な絆を作れるようなそんな存在。
 男は守るべき存在が出来た時、本当に強くなると思う。勇猛果敢に攻めるだけではない、何かが出来るからだ。守ることは決して弱いことではない。いや、むしろ、攻めるだけとは違う強さを求められるものだ。
 未だ俺が格闘界の頂点に立ち続けられるのも、あかねの存在が大きく貢献していると思う。
 彼女もこうやって、俺の家族を守ってくれるからこそ、真正面から闘える。しっかりと地に足をつけて踏ん張れるのだ。

 カランとまた、氷が動いた。
 グラスをおもむろに持ち上げると、一気に残りのバーボンを飲み干す。きゅうっと強い刺激が胃袋へ伝っていく。
「さてと…。」
 俺はトンッとグラスをテーブルの上に置いた。それから、立ち上がって電気を消し、のれんをくぐった。
 丁度、風呂から上がってきたあかねと廊下で鉢合わせになる。尤も、その頃合を計って出てきたのだから、当然なのだが。
 風呂上り、上気したあかね。身体からあがる、湯気と仄かな石鹸の香りと。
 俺は、にっと笑うと、すいっとあかねをすくいあげ、抱きかかえた。

「ちょっと、乱馬っ!!」

 唐突な俺の行動に、あかねが焦りの声を上げる。

「こらっ!じっとしとけよ。俺、酒が入ってっからな…。」
 そう言いながら大事に抱え込んだ。
「もう、何のつもりよっ!」
 おっと、可愛い顔が睨みつけてる。
「当たり前なことは訊かないの!」
 きっと、その時の俺、上機嫌な笑みを浮かべていたに違いねえ。
「こらっ!乱馬っ!乱馬ってば…。ん…。」

 抵抗するあかねに先回りして、濡れた唇を押し付ける。
 抱き上げたまま、大胆なキスの、先手攻撃。
 案の定、俺の腕の中、あかねは固まって大人しくなった。
 顔がほんのり赤いのは、風呂上りのせいだけではあるまいに。
「もう、乱馬ったら、大胆過ぎ…。」
 小さく胸元へ吐き出す。
 やっぱ、可愛いや。
 そのまま、俺、廊下を辿って、階段を上がり、ベッドルームへ。
 お嬢様抱きされてあかねは、恥じらいながらも、嫌な顔はしなかった。

「今夜は子供らも、親父たちのところへ行って、いねえからな。」
「もう、何言い出すのよっ!この、酔っ払いはあっ!!」
「酔っ払ってたって言っても、そんなに飲んでねえぞ。それに…。飲んでても良いの。女房は車じゃねーんだから。」
「何よ、それっ!!」
「飲んだら乗るな、なんて言わねーだろ?」
「あたしは乗り物じゃないわよっ!!」
 他愛の無い会話の応酬。
「今夜は離さねーからな。」
「もう、乱馬ったら、でっかい駄々っ子みたいなんだからあっ!!」

 仲よきことは美しき哉、昔誰かが言っていたが、それは本当のことだと思う。夫婦円満、家庭円満。
 ここは俺のホーム・スイート・ホーム。疲れを癒す、安らぎの家。



 完





 2004年の春先に書き出して約一年半、完結寸前でほったらかしていたのを、推敲して仕上げました。
 中々、気に入ったラストへ持って行けず悩みまくって筆が止まっていたのであります。
 試行錯誤の末、結局、無難に「乱馬視点のらぶモード」という安直志向に向かい、書き終わらせていただきました。
 プロットを思いついたのは娘の家庭訪問時。田舎は中学校でもしっかり「家庭訪問」が存在します。家の所在を確かめるのが主たる家庭訪問の目的だと言いますが、なかなかどうして。上がり込んでしっかり、話を訊けるのでありました。
 題名の「ホーム スイート ホーム」はブルーグラスというアメリカの民俗音楽バンジョーの名手「アールスクラッグス」の曲名から拝借しております。  で、私の人生の師匠でもある、フォークシンガー高石ともやさんの訳したアメリカンフォークに「ホーム・スイート・ホームという歌をつくったのは独身の男性だったにちがいないという歌」という長い題名の歌がありまして、それのアンチの意も汲んでおります。わっはっは。

 早乙女乱馬家の場合はどうなんだろう…?小学校編は同人誌「HAPPY!」でどうぞ(笑

(2005年12月完結)

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