◇ホーム・スイート・ホーム 3

第三話


一、

 私の名前は「荘野志穂(しょうのしほ)」。職業は「幼稚園教諭」。
 この春、大学の保育科を卒業して、晴れて、念願の幼稚園の先生になった。中肉中背、容姿も体重も並。髪はおとなしめの茶系に染めたゆるい内巻きヘア。子供たちの相手をしているときは、ポニーテール風に後ろに一つくくりしている。
 一昔前までは、幼稚園の先生といえども、自由に髪の毛を染めるわけにもいかなかったようだけど、昨今はお母さんたちの髪の毛もカラフルになっているし、昔よりは染髪に対する偏見もなくなってきた。とはいえ、まさか金髪や銀髪、紫や緑、という訳にはいかないから、無難な茶色で決まり!
 さて、私がこの春から就業している幼稚園は「ひかり幼稚園」。どこにでもあるような名前の、これまたどこにでもあるような、普通の私立の幼稚園。大きな三角屋根の園舎があり、通園バスも二台ある。年少が一クラス、年中と年長が四クラスずつの、規模的にも中くらいの地元型幼稚園。園長先生は上品な五十代後半。以下、担任教諭が九人に各学年に補佐が一人ずつで計十二人、事務員さんが一人、そして通園バス運転手権事務員さんが二人。総勢十六人の職員に、嘱託で体育や英会話、リズム体操を教えに来ている先生方。
 本当にどこをとっても、どこにでもある、普通の幼稚園だった。
 都会でも少子化が進む現代にあって、幼稚園の経営もなかなか大変らしく、それなりの工夫を取り入れている。
 ここの特徴としては「武道」を早くから取り入れているところかな。
 園自体も創立三十数年という中堅どころ。先代の園長先生が大の格闘ファンだったこともあり、園流れが今の園長先生の代になっても受け継がれているみたい。
 で、そのことが口コミで伝わったのか否か。
 ここの幼稚園には、有名人のお子さんが数名、通っているというのだ。それを聴いたときは、正直、ラッキーと思った。
 どんな有名人?タレント?女優?喜劇人?それとも作家?
 園長先生によると、有名な武道家のご子息だそうだ。一人はオリンピックの金メダリストだったとか。もう一人は、あの当代切っての格闘家、早乙女乱馬のご子息だって。
 それを聞かされたときは、心臓が思わず高鳴っちゃった。
 早乙女乱馬って言ったら、格好良いのは勿論だけど、高感度が高くて、女性には人気の「イケメン」ナンバーワン。鼻持ちならぬ格好つけではなく、バラエティーにも気軽に出演してくる、気さくな雰囲気。何てったって、逞しい身体と、トレードマークのおさげ髪が可愛いのよね。
 大恋愛で結ばれた奥さんが居るってマスコミでも取り上げられて有名だったけれど、幼稚園児が居るほど、年上だったかしらって思ったわ。そしたら、今、二十八歳だって、先輩のさゆり先生が教えてくれた。
 このさゆり先生は、高校時代に早乙女乱馬と同級生だったらしく、やたら詳しいの。早乙女乱馬ご本人だけではなく、何でも奥様とは、親友で、結婚披露宴にも呼ばれたって言ってたな…。
 他の先生方がこそっと噂していたところによると、さゆり先生のコネクションで、早乙女乱馬のご子息が、ひかり幼稚園(ここ)へ入園することになったらしい。

 わくわくドキドキの新学期。新しい人生のスタート。
 で、蓋を開けてみると、私は年中さんを担当することに。この幼稚園は三年保育もあるけれど、年少さんは一クラスだから、あとの三クラス分は年中で入園式。
 私は、その年中さんの「パンダ組」を担当することになった。
 名簿を見たら、居る居る。オリンピックでメダルを取った柔道家の息子さんと早乙女乱馬の娘さん。
 私って案外ミーハーなところがあるから、こっそりと小躍り。
 だって、ちょっと興味あるじゃない?有名人がどんな子育てしてるか、なんてね。参考にはならないかもしれないけれど、好奇心をかきたてられるじゃない?それが人情ってものよ。
 で、驚いたことに、早乙女乱馬さんのご子息って二人も居たの。双子ちゃんだったのよね。もう一人の男の子の方は、学年主任のさゆり先生のクラスにってことになったみたい。

 入園式には、残念ながら、お父さんの早乙女乱馬さんは見えていなかった。でっかい格闘大会へ出場するために、長期にわたって渡米しているってことだったわ。うん、確か、深夜にやるスポーツ番組で連日、活躍を放映してた。日本では真夜中だから、こそっとビデオに録画して見ていたの。
 それでも、奥さんは来てるってことだったから、興味津々を露骨に出さないように注意を払いながら、ちらちらっと観察。
 早乙女乱馬の奥さん。それが、綺麗な人なのよねえ…。早乙女乱馬はおさげ髪だけれど、奥さんはさっぱりとしたショートヘアで。
 有名人の奥さんだから、もっとチャラチャラした感じの人を想像していたんだけれど、全然違った。化粧もナチュラルで濃くないし、毛だって染髪していない。目もぱっちりとしていて、美人。かといって、ツンツンしているわけではなく、穏やかにニコニコとしてらした。
 観察すると、ブランド物のバッグとか服とかも着てない。香水だってきつくない。ナチュラルな美しさをそのまま持った感じの方だったわ。清楚な美人。いや、美人だから、ごちゃごちゃした飾り立てなんて不必要なのかも。
 こんな愛らしい奥さんをゲットしちゃって。早乙女乱馬って案外、抜け目ないのかも。…なんて。
 週刊誌でも「恋女房」って紹介されてたっけなあ…。あんな、奥さんだったら、家庭も安泰よねって、改めて思ったわ。
 一応、早乙女乱馬さんのご子息ってことは、他の保護者の方には秘密だったから、知らない方も多かったろうけど、いずれは公になるでしょうね。人の口に戸は立てられないものだから。
 双子っていうことで、奥さんの他にもう一人、保護者としていらっしゃってた。これが上品な和装のご婦人。さゆり先生が後で、「あれが早乙女乱馬のお母さんよ。」って教えてくれた。これまた、綺麗な方だったから、きっとお子さんもそれなりになるだろうなあ…。
 まあ、無難に、私は、娘さんの方の担任に。
 さゆり先生が片割れの、男の子の方の担任らしいのだけど、かなり凄いクラスだって、溜息吐いていた。ベテランの域に達しているさゆり先生が大変って言うんだから相当だろうなって、思ったわ。
 うん、確かに凄かった。
 登園初日にして、その、早乙女龍馬君は、かなりの腕白坊主として、園内でも有名になったもの。いやあ、型にはまらない見事なやんちゃっぷり。滑り台の天辺から飛び降りて、ひょいっとポーズ取ってご機嫌。これが簡単にやってのけちゃうものだから、他の子に浸透しかけて。子供って人がやってるの見ると自分もってやりたがるじゃない。
 僕も私もってことになったものだから、こっちとしては、止めるのに必死だった。駄目だって言ったら「龍馬君はできるのに、どうして?」って来る。危ないから駄目だって理攻めにしても、子供って納得しないものなのよね。
 上級生のガキ大将にも平然と立ち向かって行って、泣かしちゃうし。
 本人には悪意がなく、天真爛漫だから、余計に性質(たち)が悪いそうな…。
 「親譲りなのね。」とさゆり先生が溜息吐き出していた。
 運動神経も見張るものがあったわ。何よりも「怖いものが何もない」と思わせるような行動。
 どんなクラスにも、一人や二人、マークしないといけない園児が居るものだけれど、早乙女龍馬君は相当だった。この年頃の子供って、幼稚園に入って親元から初めて離され、社会性がいきなり出てくる年頃でもあるから、結構難しい。
 幼稚園が始まって、三日もすれば、要注意園児としてのマークは完璧にされていたと思う。



 さて、ここの幼稚園。四月の末に「家庭訪問」なんていう行事がある。大事なお子さんを預かるんだからと、担任の先生が、一軒一軒丁寧に回って行って、二十分ほどだけど、御宅でお話をさせていただくの。
 案外、面倒な行事だけれど、園と家庭を結ぶ大切な行事だから、疎かには出来ないらしい。

「志穂先生は初めてなのよね。家庭訪問。」
 学年主任のさゆり先生が話しかけてきてくれた。

 ここの幼稚園は、何故か、上の姓字で呼びあわないで、下の名前の部分で互いを呼び合うようにしている。子供たちに親しみを持ってもらうためという、先代からの伝統だそうだ。
 本来はきちんと上の姓字で呼び習わすのが正統なんでしょうけど、「教育」よりも「子供たちとのふれあい」を基本に置くのが、ここの園の方針。幼稚園は義務教育ではないけれど、現状では、殆どの未就学児が幼稚園か保育園といった類の集団教育の場を経験している。幼稚園や保育園が、小学校へ上がる前の前哨戦的教育とも呼ばれる所以(ゆえん)だ。
 幼稚園を楽しく通えないと、なかなか小学校へもずんなり馴染めないだろうという考え方が、この園にはあるようだ。だからこそ、上の名前よりも下の名前で呼び合った方が、子供たちの精神上良いという考えに達したようだ。
 先生たちだけではなく、子供たちへの呼び方も、下の名前で呼んでいる。それも、母親や父親といった家族が一番良く使う名前で呼ぶようにつとめているのだ。基本調査票にも、わざわざ「ご家庭での呼称」なる項目を設けているほどの徹底振り。
 子供も、姓で呼ばれるよりは、家でいつも呼ばれている名前で呼んでもらうほうが、溶け込みやすく、親しみがわくようで、とにかく、園内はいつも和気あいあいとしていた。
 それはともかく、先輩後輩関係なく、先生同士も下の名前で呼びあっている。

「ええ、さゆり先生。初めてなので上手くできるかどうか…。ちょっと自信ないんですけど…。」
 と控えめに答えた。
「確かにね…。世間には色んな親御さんがいらっしゃるから…。で、予定は組めたの?」
 と覗き込んでくる。一応、学年主任として、新米の私が仕事をこなせているかチェックしてくれているのだろう。
「ちょっと見せて…。」
 そう言いながらすいっと、予定表を取り上げた。
「大丈夫?こことここ、離れすぎてるけど…。移動が楽に組むには、こっちの家庭を先に持って来たほうがいいわよ…。」
 ご尤もなアドバイスが続く。
 残念ながら、私は田舎から学生時代に東京へ出てきた口なので、とりたてて、この辺りの地理に明るいわけではない。土地勘もまだ無に等しく、地図上でしか確認できないところがある。
「私ならこっちから、こう回るわね…。」
 クラス分の生徒の家が赤い印で書き込まれた「国土地理院発行の白地図」を見ながら、アドバイスしてくれる。さすがにさゆり先生は、この辺りに生まれ育っただけはある。
「後は、家庭から出された日程表を考えながら、対処していったらいいわ…。えっと。それから…。」
 さゆり先生は、更に予定表を睨みながら言った。
「ご兄弟が通ってるところは、同じ日にできるだけ持ってきてあげなきゃね。志穂先生のところは…。兄弟通園は早乙女さんのところだけね。」
 おっと、そうだった。兄弟で同じ日に設定するのが暗黙のお約束なんだったっけ…。じゃないと、待つ側の親御さんの負担も大きい。
 この時期、家庭訪問は幼稚園だけじゃなくて、小学校、中学校もあるらしいから。兄弟が多い分、手間がかかってしまうというところ。出来るだけ保護者の負担は軽減というのが建前らしい。

 さゆり先生のアドバイスを受けて、早乙女家はほとんどさゆり先生の時間より少し前に訪問ということで調整した。
「早乙女さんのところは、この日の最後に持って行ったわ。」
 とにっこり微笑む。
 問題児といえそうな一癖二癖あるお子さんの家庭は、家庭訪問も面談もできるだけ最後に持っていくのはこの園の基本らしい。
「時間が殆ど重なりそうなんですけど…大丈夫でしょうか?」
 そう尋ねると、
「うちのコアラ組は龍馬君の他にもいろいろと問題がありそうなご家庭があるからね。龍馬君の前に設定したところもまた、物凄いから…。大丈夫かなあ…。多分、時間はかなりずれると思うわ。」
 と苦笑いしていた。




二、

 当日は、お天気も上々。
 お日様もぽかぽかと通り越して暑いくらい。長袖じゃなくって半袖でも良いような、そんな天気。
 地図を片手にそれぞれの家庭を目指して、先生方は街へと散らばっていく。大方が徒歩圏かた通園してくるので、こちらも使う手段は二の足が中心。それでもちょっと遠いところは、通園バスじゃ邪魔だから軽乗用車で送迎つき。
 最後の最後に残してあった、早乙女さんのところが、やっぱり一番楽しみだった。
 何てったって、有名人のご家庭だもの…。
 早乙女乱馬さんも居たらいいのにな…。などと、仕事そっちのけの期待を募らせる。

 はあっと息を吸い込んで…。
 いざ出陣。

「志穂先生!」
 大きな門へと手をかけようとしたとき、向こう側から私を呼ぶ声がした。
「さゆり先生?」

 そう、あたしの視界へ飛び込んで来たのは、さゆり先生だった。手を振りながらこちらへとやってくる。

「さゆり先生、もっと後の時間じゃなかったんですか?」
 あたしは驚いた表情を手向けた。そう、時間が隣接しているとは言え、さゆり先生は、もうちょっと後のお出ましとなるはず。
 私だって、ここまでは、殆ど予定が狂わずに、いや、心持ち、時間より早め進行で来たのに。もう、さゆり先生がここへと到達したなんて…。そう思いながら声をかけた。
「ちょっとね…。早乙女さんちの前に予定していたお宅が留守だったものだから。」
「お留守ですか?だって、保護者の方にはそれぞれ、その時間には在宅してくださいって、お願いできてるんじゃないんですか?
 私は目を白黒させて返事を返した。
「ま、本当はね…。でも、いろいろ複雑な事情がおありのご家庭だから、先にこちらへ伺ったの。それに、もしかすると、その家の方、ここまで来られるかもしれないし…。」
「はあ?」
 話が見えない私は、素っ頓狂な声を張り上げる。
「ま、重なっちゃったものは、仕方がないし。一緒に手っ取り早く済ませちゃいましょうか。」
「え、ええ。それは別にかまわないんですけど…。」
 さゆり先生は、先に立って、大きな門の戸を開ける。
 無差別格闘天道道場。門戸にはそう大きく墨で書かれていた。その脇に、早乙女という表札と天道という表札が仲良くかかっていた。
 二世代住宅なのかな…。
 そんなことを考えながら、立派な門を見上げる。
 昔のお代官様でも出てきそうな門構え。今時、東京の真ん中では珍しい。
「乱馬君も居るといいわねえ。」
 私の心の中を見透かしたように、さゆり先生が言った。
「べ、別にそんなこと…。」
 返答に詰まっていると、
「あらそう?普通興味あるでしょう?格闘界のフロンティア的存在の、早乙女乱馬の実生活なんて、そうそう覗けるものじゃあないわよ。ふふ。」
 さゆり先生はちょっと楽しそうだった。
「乱馬君ったらねえ…。恋女房なのよ。奥さんにゾッコンなんだから。ま、彼が居なくても、奥さんをしっかり観察してくれば良いわ。」
「は、はあ…。」

 さゆりせんせいは、さすがに、勝手知ったる、親友のお家のようで、門扉でキョロキョロしていたあたしを残して、すすすっと門を開けて入っていった。

「早くいらっしゃいな。ここのお家は広いから、中から呼ばないと奥まで聞こえないわよ。」

 戸惑いながらも、さゆり先生の後に続いて敷地内へ。

「ホント、広い…。」

 門の大きさから充分予想できたが、日本家屋が目の前に飛び込んできた。瓦屋根の二階建て。しかも、横へ目をそらすと、四角張った建物が別にある。そこから、聞こえてくるのは、子供たちの歓声。えいっ、やーっという元気な声が響いている。
「もしかして、あれって…道場?」
 こんな、都会のど真ん中の住宅地に、古びた道場があるなんて。正直驚いた。
「まあ、世界を股にかける格闘家のお家ですもの。道場の一つもあって然りなんじゃないの?」
 さゆり先生はそう言って笑う。

「こんにちは。ひかり幼稚園の者です。」
 無難な呼びかけ。

 と、隣りの道場の扉が、勢い良くガラガラッと開く。
 そこからにゅっと顔を出した見慣れた子供たち。

「わーい!ぞうのしっぽ先生だあっ!!」
 おさげの男の子が勢い良く飛び出してきた。
「ちがう!!龍馬、ぞうのしほ先生だってばあっ!!」
 ショートの少女が後ろから咎める。

(あはは。私の名前は「しょうのしほ!」象でも尻尾でもないんだから。この子達は…。)
 思いっきり苦笑する。

「龍馬君、未来ちゃん。しょうのしほ先生よ。」
 と、苦笑いしながらさゆり先生が修正してくれた。
 どうも、この子達の耳には「しょうのしほ」が「ぞうのしほ」に聞こえてしまったらしく、いつの間にか、しっぽ先生だの、ぞうさん先生だの好き勝手、言われている私。
「そう、志穂先生です。こんにちは。」
 私もつられてにっと笑った。

「こらっ!おめえらっ!!組み手最中に抜け出すなっ!!それも、靴もはかねえで、はだしでっ!!」

 道場から男の人の声。
 笑いながら出てきたのは、道着姿のおさげの青年。

(わっ!早乙女乱馬さんっ!!)
 思わず漏れそうになった声を押し殺して、おもいっきり作り笑い。
 ここで言うのも何だけど、ブラウン管や液晶画面を通して見るよりも、ずっと素敵!逞しい肉体は、均整が取れた筋肉。無駄のないしまった身体。道着から覗いている、おっきな肩と厚い胸板と逞しい鎖骨のくぼみ。
 顔も精悍で、おさげ髪が後ろに揺れている。
 光る汗を拭いながら、こっちに向かって歩いてくる。
 私の心音は、それだけでどっきん、どっきん。
 「格好良い」。月並みな言葉だけれど、そう思ってしまった。

「よっ!さゆりじゃねえかっ!ひっさしぶりっ!!」
 乱馬さんはさゆり先生にすっと右手を上げた。
「てめえ、幼稚園の先生になったんだってな。いやあ、高校生時代とは見違えたぜ…。なかなか似合ってるじゃねえか。先生稼業。」
「もう、乱馬君ったら、相変わらず口が悪いんだから。あんたこそ、すっかり貫禄つけちゃって…。あかねのお尻に引かれてるんでしょ。」
 さゆり先生がにっこりと微笑んだ。
「んなっ!残念でした。俺が尻に引いてるの。」
「嘘ばっかり。顔に書いてるわよ。でれでれだってね。」
「言ったな!」

 本当に、良く知ってるんだ。さゆり先生。
 軽口を平気で乱馬さんと交わしあってるんだもの。

 そんな二人を、子供たちも不思議そうに見上げてる。

「ああ、さゆり先生は父ちゃんや母ちゃんの同級生なんだ。」
「どうきゅうせい?」
 訊きなれぬ言葉に、子供たちの目は丸く輝く。
「高校の頃、おなじクラス、教室で勉強してたんだ。」
 と説明している。
「一緒にお勉強?」
「ああ、そうだ。それよか…。これから父ちゃんは母ちゃんと先生と、大事なお話があるから、おめえらは、道場で爺ちゃんたちと稽古しとけ。」
「ええ?僕らも先生とお話したい。」
「未来も!」
「駄目だっ!ここからは大人同士の話だから。」
 父親の威厳と言うものは、きちんとこの家庭には存在しているのだろう。渋々、龍馬君も未来ちゃんも、言うことをきいた。
 なかなか、子供に対して、バシッと言うことを言える親はなくなりつつある。この子達にとって、父親は絶対的な存在として、大きく映っているに違いない。
「きっちり、今日の分、修行しろよ。強くなりてえんだったらな。」
 そう言って諭す乱馬さんが大きく見えた。

「さてと…。呼び鈴押して中へ…。」
 乱馬さんはチリンと玄関先の呼び鈴を押した。

 
「はあい…。」
 トタトタとスリッパの音がして、来た来た、早乙女さんの奥さん。奥から、エプロン姿で現われた。
 私たち、二人を見つけると、にこっと笑った。

「いらっしゃい。お待ちしてました。」
 
 真正面向いて近距離でお会いしたのは、初めてなんだけれど、確かに、可愛らしい女性だ。二重まぶたのくりんとした瞳が、愛想良くこちらを見つめてくる。
 私たちの背後から一緒に入ってきた乱馬さん。柔らかい視線で奥さんを見詰めているのが、何となくわかった。明らかにテレビで見る、野性味溢れる格闘家の瞳ではない。
 その瞳の輝きに、思わず、ドッキリとする。
『乱馬君ったらねえ…。恋女房なのよ。奥さんにゾッコンなんだから。』
 さっきのさゆり先生の言葉を心の中で反芻(はんすう)する。確かに、さゆり先生の言ったとおりなのかもしれない。そんなことを考えて、何故だか、私が赤くなる。

「やだ、早乙女乱馬さんの前だからあがってるの?志穂先生。」
 そんな私を察したのか、さゆり先生がふっと笑った。
「そ、そんなんじゃ、ありません!」
 明らかに動揺していたのだが、差し出されたふかふかのスリッパを履くと、私は、奥さんとさゆり先生の後へと従った。背後の乱馬さんが凄く気になりながら、足を進めて行く。



つづく





 第三話は志穂先生視点。
 さゆりさんはアニメで名前があった、あかねと仲の良い風林館高校の同級生です。
 また、お気づきの方もいらっしゃると思いますが、同人誌「HAPPY!」へ収録した短編コミック「幸せの構図」のプロトタイプ作品でもあります。
 担当先生の好奇心…私も乱馬とあかねの家庭に行ってみたいなあ…という思いを込めて、この作品を楽しく書かせていただきました。

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