四、乱馬



 玄関先にて一家総出で出迎える。
 傍らに置かれたスーツケースは、不在が長かったことを告げているようだ。
 久しぶりの大黒柱の帰還に、自然と家族たちは浮き足立っているのだろうか。
 中でも双子たちのはしゃぎようは目を見張るものがあった。飛びつかんばかりに、競いながら父親の逞しい腕にしがみ付く。精一杯背伸びして、父親の笑顔を浴びようとする。

「やあ、元気にしてたか?柊馬、雪馬。」
 人垣の向こう側に立つ乱馬。
「とうちゃん!お土産っ!」
「たく、おまえらはしっかりしてるなあ。」
 父と子の会話。
 
(か、かっこいい・・・。)

 あかねは後ろからボーっと見惚れてしまった。
 高校生の頃よりも、ふたまわりくらい大きくなった身体つき。いや、完成された肉体になったとでも表現するべきだろうか。ブラウン管を通して見た彼よりも、俄然引き締まって、均整の取れた美しい身体をしていた。
 顔立ちも心なしか、少年の頃よりも彫りが深くなったような気がする。すっと一本と追った鼻の線に、煌めくダークグレイの瞳。太い眉には崇高な強さがある。
 髪型は昔と代わらない連髪。そう、おさげに編んである。それが、妙に似合うのだ。
 一言も発することができないくらいに、あかねはじっと佇んで彼と双子たちのやり取りを見ていた。
 と、乱馬と視線が合った。
 思わず心臓がドクンっと一つ唸る。

「ただいま。」

 短くそう言うと、ふっと緩む頬。
 一瞬の静寂が二人の上に流れた。

「あかねっ!この子は、何見惚れてるのよ。ほら、ちゃんと出迎えてあげなさいよっ!!」
 なびきがコツンと横から肘を突付いてくれた。そして我に返る。

「あ、お、おかえりなさい。」

 どもってしまう言の葉。
 
(あたし、何ドキドキしてるんだろ。いやだ、まともに乱馬の顔が見られない!)

「何だよ、どうした?顔が真っ赤だぜ。」
 乱馬はつっと顔を近づけて来た。それからやおら、おでこをコツンと指で弾く。
「ら、乱馬?」
 目の前で悪戯っぽい笑顔がこちらを見詰めている。
「ふむ。やっぱ、ちょっと熱があるみてーだな。たく、不摂生してるから風邪なんかひくんだよ。」
「何で風邪ひいたこと知ってるの?」
「アホ、なびきがちゃんとマネージャー通して連絡くれたよ。」

 ふふん、と得意そうに鼻を鳴らす姉が傍に立つ。

「マネージャー?」
 ますますもって訳が分からない。
「おまえなあ、熱で現状を忘れたって訳じゃなかろう?このところ、マスコミに追っかけまわされてうんざりきてたから、なびきが俺のマネージメントを一切引き受けてくれたってこの前ちゃんと言ったろう?」
「あ、ああ、そ、そうだったっけ。」
 ここは素直に現状を肯定しないと、何やら周りが怪訝そうにあかねを見ている。
「そうよ、乱馬くんっ!さっきのテレビの発言。あれはないわよ。」
 なびきがじんわりと忠告する。
「仕方ねえだろ。あっちはプロの聞き上手なんだぜ。」
「ま、いいわ。ちゃんとさっき根回しして、ここへ取材が殺到しないように手は打ってあげたから。その代わり、テレビ出演の依頼、もう二本ほど受けてもらうからね。」
「え?マジかよう・・・。」
「文句言わないのっ!ここへどかどかと土足で取材陣が現れたら、あかねだって可哀相でしょう?」
「へいへい・・・。言うこと聞かせていただきます。」

「お姉ちゃん、凄いんだ・・・。」
 思わずあかねは口を挟んだ。
「可愛い妹のため・・・。というより、九能企画のドル箱だもんね、乱馬くんは。」
「九能企画?」
「あら、あたしと九能ちゃんが組んで企画会社やってるのよ。乱馬くんの専属マネージャーは佐助さん。」
「ああ、この武道大会からマネージメント頼んだけど、佐助さんは良くやってくれてるよ。おかげで格闘の試合にも集中できたし。」
「ふうん・・・。そうなんだ。」

 感心するやらしないやら。あかねは一人こくんと頷いた。
「今回の休暇は二日くらいだからね。」
「ええーっ!!嘘だろ?」
「嘘じゃないわよ。」
「道場の稽古だってあるんだぜ。」
 乱馬は思い切り吐き出す。
「道場の経営はお父さんたちがやってくれるからいいじゃない。あかねも居るしね。不服?」
「ああ、折角、入門者も増えて、活気が出てきたところなのによぅ。」

「玄関先の立ち話も何だから、家に入りなさい。そろそろお食事にしましょうね。」
 のどかさんの一声で、一旦話は打ち切りになった。

 だが、だいたいの天道家の現状はあかねも飲み込めた。
 乱馬は自分と結婚し、子供をもうけ、そして、武道家としての道をまい進しているのだ。

(やっぱり、理想世界なのかしらね・・・。)
 と小首を傾げる。

 夕食の席は久々にみんな揃って賑やかだった。 
 乱馬はスーツから着物に着替えていた。濃い緑色の曝しの生地だ。それがまた、良く似合っている。体格も大きくなったことにも影響しているのだろうが、これまた貫禄があって、いい雰囲気なのだ。
 言葉少なげにあかねは、乱馬をずっと見詰めていた。
 双子たちは互いに競うように父親にまとわりついている。久々に帰宅した父に、彼らなりに思い切り甘えているのだろうか。
「柊馬も雪馬もちゃんと寒稽古やってたか?怠けてないだろうな。」
「怠けてないっ!」
「今日だってちゃんと六時過ぎに起きて爺ちゃんと組み手したんだよぅっ!!」
 にこにこと貫禄で乱馬は子供たちの話に耳を傾ける。
「ねえ、とうちゃん、組み手してよ。」
「ねえねえ、お願い。」
 子供でも強い父親の胸を借りたいのだろう。
「今日は疲れてるからな。よっし、明日、いっちょ、組んでやるか。」
「ホント?」
「やったねっ!!」
「ああ、どれだけおめえらが強くなったか見てみたいしな。」

(しっかり、父親してるのね。乱馬。)

 なんだかくすぐったいような変な気持ちだった。だが、これが幸せというものなのだろうとあかねはふっと思った。



 夕食の後は、少し休憩して、子供たちと風呂へ立った乱馬。
「久しぶりだからな、おまえたちに背中でも流して貰おうかな。」
 子供たちは嬉々としている。やはり、父親が好きなのだろう。

 それを見送った後でほおっと溜息を吐いた。

「あんた、ホントに今日はどうかしちゃってるわよ。」
 なびきが笑いながら話し掛けてくる。
「仕方ないわよ・・・。風邪で熱っぽいんだから。」
 何でもかんでも体調不良のせいにしてしまえと、今では肝も据わってしまった。
「ねえ、あかねちゃん。今夜、柊馬と雪馬は離れで預るわ。」
 のどかが食器を片しながら言った。
「おお、それがいい。あかねくんは風邪気味で調子が悪そうだし。久々に柊馬と雪馬と枕を並べるのもいいしなあ。はっはっは。」
 玄馬も同調する。
「離れ・・・。」
 きょとんと言葉を投げた。
「お父さんはどうするの?」
 なびきが早雲に尋ねた。
「なびきはどうするつもりだね?今夜はここへ泊まってゆくかね?」
「ううん。今夜はかすみお姉ちゃんのところへ行こうかって思ってて。お姉ちゃんもいらっしゃいなって言ってくれたし。」
「かすみかあ・・・。」
「お父さんもどう?お姉ちゃんのところの孫もたまには抱いてみたいんじゃないのぉ?東風先生のところ、今日は休診でしょ?」
「そうだな・・・。あかねのことは乱馬くんに任せて、ワシはかすみのところへ行くかな。」
「じゃ、あかねちゃん、それでいいわね?」
 決まったと云わんばかりにのどかがにっこりと微笑んだ。
「え、ええ。」
 あかねはそう返事するしか術が無かった。
 あかね抜きで話がどんどんと決まってゆく。
 みんなの話を総合すると、どうやら、天道家の庭先には離れがあり、現在そこへ早乙女夫婦が住んでいるらしい。母屋は自分たち夫婦と早雲が居るのだろう。
 かすみはどうやら小乃東風と結婚したらしい。住まいは恐らく接骨院に接した東風の自宅だろう。かすみの前ではちぐはぐな東風がどうやって結婚するに至ったのか、そこまではわからなかったが、それぞれ、みんな、己が幸せな家庭を築いて営んでいるようである。

「じゃっ、決まり。」
 なびきが言った。
 それぞれの今夜の寝床は決まったようだ。

 お湯から上がって来た柊馬と雪馬は、少し不服そうな顔をした。彼らにしてみれば、長い間留守にしていた父親がせっかく帰って来たのに、一緒に寝られないことに不満があったらしい。
「えーっ!とうちゃんと寝たいよう・・・。」
 二人ともそう口を揃えた。
「わがまま言わないの。お母さんの調子が悪いでしょ?」
 のどかがにこにこと説得する。
「こっちへ来たら爺ちゃんがパンダさんゆらりんこやってやるがのう・・・。」
 玄馬も変身という最終武器を提示した。
「え?爺ちゃん、パンダさんゆらりんこやってくれるの?」
「なら行く行くっ!!」
 パンダさんゆらりんこがどんなものかはだいたい想像はつく。幼い子らにとったら、パンダに変身する爺ちゃんは人気者に違いない。
 子供とはかくも単純なものだ。いや、乱馬の子供だから単純なのかもしれないが。

「じゃ、そういうことだから。風呂はあっちで入るよ。あかねくん、湯が冷めないうちに入っておいで。」
「それから、温かくして寝なさいよ。」
「じゃーね。あかね、乱馬くん。また明日来るわ。お父さん、支度して。」
 

 何が何やら良くわからないうちに、色々と物事が進んでしまったようだ。
 ここは夢の中なのか、それとも、本当に未来世界へ迷い込んでしまったのか。


 あかねは湯舟に浸かりながら、ふうっと溜息を吐き出した。
 仮想現実としても、あまりにもリアルすぎる。可愛らしい双子たちと、逞しい夫と。そして結束力の変わらぬ家族たち。
 でも、それも悪いものではないと思った。
 幾分、肉がついてふくよかになった身体を湯に浸らせながら、いろいろなことに思いを馳せる。
 ぽちゃんと音をたてて天井から水が滴り落ちる。水の輪は湯舟の中に弧を描きながら広がってゆく。
(これが現実ならばどんなにいいかな・・・。ここへ至るには、今のあたしたちじゃあ遠すぎるものね。)
 はあっと思わず漏れる溜息。
 そうなのだ。高校生という現実では、乱馬のまわりはゴタゴタしすぎている。それに、彼の変身体質のせいで、いろいろな輩がやってきては引っ掻き回す。心身ともに未発達な二人の神経を逆なでる現実。
 いすれにしても遠い未来だと思った。

『そう、がっかりしなさんな。確かにここに至るまでの道は遠いだろうが、これはおまえさんの、いつか来る、そう、来るべき世界なんじゃよ。夢などではなく現のな。夢玉はここへおまえさんを導いてくれたんじゃ。』

 どこかでそんな声が聞こえてきた。
 聞き覚えのあるしわがれ声だった。

(え?夢玉?)

 ここへきて、はっとした。
 昼間助けた老人から貰った玉のことを思い出したのだ。今の空耳はあのお爺さんの声に似ていた。

(ま、まさかね・・・。)

 身も心も未来へとタイムスリップしてしまったのだろうか。このあまりにもリアルな感覚。夢とは解し難いいろいろな事ども。

(ダメ・・・。疲れてるんだわ。あたし。きっとここから上がってみたら、夢から覚めて・・・。)

 考えれば考えるほど混乱してくるのである。思考はそこで一旦止めた。


 さて、湯浴みから上がってみると、誰も居ない天道家。廊下が変にシンとしている。
 湯上りの身体からはほんのりと湯気。熱っぽい身体にいささかかいてしまった汗。水分を補給してから寝ようと、台所へと足を運んだ。
 やっぱりそこは良く知る天道家ではあるものの、違う空間が広がっている。大まかな部分は同じなのであるが、電化製品や調度品が所々良く知る世界とは違っているのである。かえってそれが不気味に思えた。人気がなくなったから余計にそう思えたのかもしれない。
 コップを水屋から取り出して、ごくんと一気に飲み干す。冷ややかな感触が胃袋へと下りて行く。
「誰?」
 ふと気配を感じて振り向いた。
 視線がかち合ったのは、凛々しい青年。良く知る少年ではない。
「乱馬?」
 思わず立ちすくんだ。
「何身構えてるんだよ。」
 青年は柔らかな声を出した。
「べ、別に。」
 ふと見上げた彼の瞳に、あかねはそのまま捕らわれてしまった。真摯に見詰めてくる眼差し。視線を外そうと試みる前に、たおやかに伸びてきた彼の逞しい腕。
「湯冷めしちまうぜ。ただでさえ台所は火の気がなくなると冷えるんだからさあ。」
「そ、そうね・・・。」
 何故か唸り始める心臓。

(な、何、このシチュエーションは・・・。)

 軽く感じた躊躇いは、いつしか動揺となってあかねを襲い始めていた。
 そう、あることに気が付いてしまったのだ。
 双子たちは離れの祖父母の元。父早雲は姉と共に接骨院へ。ということは、この広い家の中に、乱馬と自分の二人きり。それも、「許婚」ではなく「夫婦」という設定だ。

(ま、不味いっ!!)

 心が警鐘を鳴らし始める。心臓の跳ね上がる音と共に、一気に体温が上昇し始めたような気がした。






いいところで切る邪悪さや・・・
さて問題です。あかねの元に立つ乱馬は、何をしようとしているのでしょうか?
訊くだけ野暮ってこともありますが・・・。


(c)2003 Ichinose Keiko