第三話 ブラウン管の向こう側
いよいよ乱馬の登場だ。
あかねも画面に釘付けされる。
司会のタレントに紹介されて颯爽と登場してきたのは、目を見張るような好青年。
「嘘・・・。あれが乱馬・・・。」
思わず絶句する。
(これって夢だから、あたしの理想の乱馬が映ってるのかしら。)
そう思わずには居られない。
画面にでかでかと映し出されるのは、いつも傍らに居る、優柔不断の優男ではない。上背も体格も一回り以上がっしりとした青年乱馬がそこに立っていた。
少し緊張して照れが入っているのだろうか。愛想笑いが印象的だ。
でも、均整の取れた肉体は、着こなしたダークグレーのスーツの上からでも良くわかる。肩幅はがっしり、首も太く、手足も適度に長い。身体の骨格も武道を嗜む者のそれと一目ですぐ分かる。何より鋭い眼光は、強さを無言で物語る。
「さて、今日のゲスト、早乙女乱馬さんは、現在、無差別異種格闘大会、略称M闘三連覇された人気第一の格闘家でいらっしゃいます。」
ブラウン管の向こう側で、司会の女性タレントが愛想笑いをしながら乱馬を紹介していた。
「では昨日の第五回大会の決勝の模様をどうぞ。」
画面が切り替わって、格闘大会の会場になる。
「昨日の決勝戦もあっという間だったって言ってたわね。どこのスポーツ新聞も彼の記事で埋まってたわ。勿論トップ記事もね。」
なびきがぽそっと言った。
「へえ・・・。乱馬ってそんな有名な武道家になったの。」
つい軽く言ってしまう。
「あんたね。自分の夫でしょう?いくら子育て中で格闘技の第一線から引いているとは言え、それは無いんじゃないの?」
と横槍が飛んできた。
(何も言わない方が身のためね。お姉ちゃんの詮索って鋭いし・・・。)
あかねは苦笑する。夢とはいえ、なびきの突っ込みはやはり厳しいらしい。
「ほら、黙って、昨日のいいところなんだから。」
早雲が笑いながら人差し指を口元へ立てる。
画面いっぱいに広がる、格闘場面は、あかねが思っていたよりも壮絶だった。乱馬の野性の瞳の輝き。そして、流れるような身体の動き。所狭しと武道場の上を動き回る若き無差別格闘流の獅子。
あっという間だった。相手が床に沈んでしまったのは。
割れんばかりの拍手喝采大声援が会場を埋め尽くしてゆく。
「強い・・・。」
思わず漏れる溜息。
「やったーっ!」
「とうちゃん、強いっ!!」
傍では双子たちが興奮している。
「昨日から何度もこの画面を見てるでしょうに・・・。あの子たちも将来はこれで決まったも同然ね。また格闘バカがこの一家から生まれるってか。」
なびきが呟く。
「昨日の模様、見ていただきましたが、素晴らしい試合でしたね。」
「ありがとうございます。」
「いやあ、コメンテーターの丸星さん、早乙女さんは物凄い人気を誇っていらっしゃるんですよ。」
「わかりますねえ・・・。素晴らしい身体つきだ。さぞかし、女性たちにもてるでしょう?」
好奇の目が行く。
「るなちゃん、惚れちゃいませんかあ?」
バラエティー系のアイドルタレントに畳み掛けるコメンテーター。
「そりゃあ、もちろんですよお。るな感激ですぅ〜。こんなに近くで本物の早乙女乱馬さんにお会いできるなんてえ。」
画面に映り込む人々は心なしか興奮状態である。格闘技そのものがそんなカリスマ性のあるスターを生む土壌があるので、あんな決定的な強さを見せ付けられれば、アイドルでなくても胸キュンになろうというもの。
(夢の中だものねえ・・・強い方がいいわ。)
あかねも変な納得の仕方をしている。
「でもね、残念なことに、世の女性の皆さん、早乙女さんはお子様もいらっしゃるんですよ。一切ベールに包まれていた早乙女さんのご家庭について、本日は独占してお送りしようと言う贅沢な企画です。」
司会者が淡々と告げる。
「え〜っ!?うっそぉ〜っ!」
ざわめくスタジオ。
「案外知られていないようなんですが、お二人も男の子さんがいらっしゃるのよね。」
「はい。悪戯盛りなの双子が。」
「まだ二十四歳なんでしょう?それでお子様はおいくつ?」
「四歳になったところです。」
悪びれずに答える乱馬。
「四歳っ!ということは二十歳でお父さんですか?若いっ!できちゃった婚とかあ?」
「違いますっ!」
ちょっとムキになって答える乱馬。
下品なコメンテーターである。
「中年親父コメンテーターってば、品が無いわねえ・・・。ま、台本にあるんだろうけど。」
なびきの厳しいチェックが入る。
「それがね、丸星さん、奥様もお綺麗な方なんですって。うちのスタッフがこの前お見かけしたけど、可愛い方なんですって。」
乱馬は思い切り照れているのか、おさげを右手で軽く触っていた。
「どんな方なんですか?」
「え・・・。あの、気が強くて力持ちで・・・。俺よりも強いかもしれませんね。」
「恐妻家ですか?」
「ええ、勿論っ!」
あははと笑うスタジオ。
「もおっ!乱馬ったらあっ!!」
思わず赤面するあかね。
「かあちゃんって、とうちゃんより強いの?」
「さあ、どうなんだろう。」
小首を傾げる双子たち。
「勿論強いわよお、あなたたちの母さんはね。乱馬くんがノックアウトされるくらいですもの。」
うふふとなびきが笑いながら答えた。
「お姉ちゃんっ!!」
テレビ画面を前に大騒ぎだ。
「こうなったら、今日は徹底的に奥様のことお伺いしましょうかね。」
調子に乗る司会者やコメンテーターたち。
「お幾つくらいからつきあっていらっしゃるんです?お二人の出会いは?」
「えっと、十六の時です。高校一年でした。」
「かれこれ十年近いんですね。ご結婚の決意は?」
「決意も何も、家内とはずっとその頃から許婚でしたから。」
どよめくスタジオ。それはそうだ。「許婚」などと言う言葉は、一般では死語に近いものである。それをこの格闘界のスーパースターが平然と口にしたのだ。
「許婚ですか?へえーっ!今の日本で、まだそんな封建的なことがまかり通ってるんですかあ??」
封建的。確かにそう言われてしまえばそれまでだ。
「許婚って何?るな、わからない。」
とぶりっ子アイドル。
「乱馬くん、いいのかなあ、そこまで喋っちゃって。こりゃあ、女性週刊誌がほっとかないわ。あかね、明日は覚悟しておいた方がいいかもよ。ま、ちゃんと手は打ってあげるけど。」
となびきが笑い出す。
「許婚というと、親同士が決める結婚の約束ですよ。るなちゃん。」
「ええー?乱馬さんみたいな素敵な方が親の意思のままにご結婚されたんですかあ?信じらんなーい!。」
「互いに惹かれる部分が始めからありましたから、出会いの形は如何にせよ、親に決められていなくても、あいつとはちゃんと出合って、セオリーどおりに恋愛して、結ばれていたと思ってます。」
「もしかして、初恋が許婚だったとか?」
「ええ、そうです。守りたいって生まれて初めて思った奴がたまたま許婚だったってことですかね。」
「守りたいって思ったんですか。」
「はい。己のことは後回しにして我武者羅に突き進むタイプの女の子で、こちらが守ってやらないと、危なかしくって見てられなくて・・・。あいつは俺が守ってやらなきゃって、いつか自然にそう思えるようになってました。男って守りたいって思うことで強くなるものでしょ?あいつが居たから今の俺があるって言っても過言じゃないんで。」
少し顔を赤らめながらも断言する彼に、司会者一同、ほおーっという感嘆の目を向けた。
「まあ、ぬけぬけと。お熱いことで。」
「お姉ちゃん、少しは黙ってよ。突っ込まないとテレビを見られないっていうのは、年取った証拠よ。」
「言ったわね。」
姉妹対立である。
それにしても、乱馬が公衆の面前で、これだけのことを断言するのである。勿論、今までにこんな経験は無い。直接言われた訳ではなく、ブラウン管を通して言われたことでは在るし、夢の中だとたかをくくってはいるものの、嬉しいやら気恥ずかしいやら。何よりも、夢の中なのにに心臓がドキンドキンと跳ね上がるのがわかる。あかねにはそれが不思議で溜まらなかった。
疾風怒濤の乱馬のゲスト出演はあっという間だった。
時計は六時を差している。
「さてと、あかね。そろそろ夕飯の支度にかかってくれるかね?乱馬君もこれでやっと、長い仕事の一区切りがついたんだ。十日ほど留守していたが、オンエアが終わって、足早に帰ってくるだろうし。」
「あ、は、はい。」
夢の中だけれども、お腹は確かに減っている。どうやら、かすみは一緒には住んでいないらしい。全く気配がない。
『今日のご飯は何かなあ?』
玄馬のパンダが看板を掲げて嬉しそうだ。早乙女夫婦は一緒に住んでいるのだろうか。
「のどかさんもそろそろお帰りになるだろう。今日はお稽古日だからね。あかね、頼んだよ。」
二つ返事で引き受けたものの、あかねは気乗りがしない。
夢の中とはいえ、料理の腕はどうなっているのか、自信がなかったからだ。
己の料理の腕前といえば、みんな顔色を変えて逃げ惑うようなへっぽこさ。まともに食してもらえたことなど、今まで何回あったことか。
(でも、たとえ夢とはいえ、みんなあたしが夕食を作ることで一応納得してるし。よっし、いいわ。こうなったら適当にやっちゃえっ!!)
台所でエプロンをつける。ピンクのフリルがちらっとついた若奥様風。
材料はと見渡すと、野菜やら肉やらたくさん買い込んである。
「作るわようっ!!」
腕によりをかけてまずは煮物と鍋に手をかけた。
「えっと、出汁を取って、それから野菜を切って。でりゃーっ!!」
万事いつもの如くの料理格闘技が始まった。
「ねえ、早乙女君、何だかあかね、いつもと様子が違うような・・・。」
『気合が入っているだけじゃないのかね?天道君。』
「そうかな・・・。」
「あ、柊馬くん、雪馬くん、邪魔しちゃいけないから、なびきお姉さんと遊んでましょうか?」
「うん。おばちゃんっ!!」
「遊ぼうっ!おばちゃんっ!!」
「お姉さんっ!あたしはおばちゃんじゃなくってお姉さんっ!!」
ごそごそと暖簾の外。
夢だから適当にやってればいいと思っていた。
あかねは不器用な手つきで野菜を切り分け鍋にぶち込む。
「やっぱり、変だ。早乙女君。」
鍋から煮立ってくる匂いの異様さに気がついたのは早雲。
「まるで高校生の頃のあかねを見ているような・・・。」
と、勝手口が開いた。
「ただいま。帰り道、買い物してきたわ。」
のどかである。
「あら、あかねちゃん、起きて大丈夫なの?」
「あ、おばさま。」
「うふふ、おばさまじゃないわよ。乱馬とあかねちゃんは結婚したんですもの。」
「あ、そ、そうでしたね。お母さま。」
「あらら、野菜の煮物?ちょっと変わった匂いがしてるわね。作り方変えたのかしら?」
そう言いながらのどかもエプロンを取った。
「手伝うわ。どれ、お味見。」
そう言って取り皿で煮物を一口パクリ。
「うっ!」
のどかの咽喉元が一度鳴った。と、途端、後ろへと倒れかける。
「奥さんっ!!のどかさんっ!!」
早雲が慌てて支えにかかる。
「ちょっと、目眩が。」
「どらどら、ワシも。」
早雲が鍋に手をかけた。
「うぐっ!!」
咽喉を詰めて早雲まで白目を剥く。
「どうしたの?」
あかねがきょとんと見詰めると、はっと気が付いた早雲が言った。
「あかねっ!今日はいいっ!おまえ、熱が高いんだろ?」
「そ、そうね。熱で舌がやられることは多々あることですものね。」
のどかもはっと起き上がる。それから、あかねの額に手を当てた。
「あら、やっぱり、少し熱が上がったようね。ちょっと熱いわ。あかねちゃん、いいわ、今日は私が代わるから。奥で休んでなさいな。」
「そ、そうですかあ?」
内心むっとしたが、実はホッともした。夢の中とはいえ、料理には自信がない。それに、確かに頭が微かに痛む。調子が悪いことには変わりが無かった。
「あかねちゃん、万金丹飲んで横になってなさいな。今日は乱馬も帰ってくるだろうし。ね。」
のどかがにっこりと笑った。と、パンダがさっと万金丹を差し出した。何処へ忍ばせていたのか、準備が良い。
「あ、ありがとう、おじさま。」
『おじ様じゃなくてお父さまだよーん!』
茶目っ気は相変らずだ。
何だかいつもと調子が違う。おじさまとおばさまはお父さまとお母さまで、それに双子の元気な子供までいるし、夢って疲れるのね・・・。
奥の座敷にじっと横になる。時々聞こえてくる茶の間の笑い声に耳を傾けながら冷たい床の上に身を横たえた。
「たく・・・。夢じゃないことが、まだわかってないのかのう・・・。あのお嬢さんは。」
「仕方ないですよ。いきなり投じこまれた未来の世界を認識しろということ自体が、無茶なんですよ。昔のような純朴さは今の大和人には忘れ去られているんですよ。」
「せっかくの夢玉。もっと楽しめばよいのに・・・。」
「まあ、爺さんも意地悪ですね。なら、夢玉など託さねば宜しいのに。ほほほ。それに、まだ夢玉の効力は残っていますから。」
「そうじゃな。もう少し楽しませてやれるかのう・・・。」
老人と老婆の声がぼそぼそと聞こえてきた。
(え?)
耳を疑ったあかねは天井を見上げた。もうすっかりと日暮れてしまった暗がりの向こうに、ちらほらと降り始めた雪が見上げる雪見窓から見える。音も無い静けさ。座敷の喧騒は遠いあちらの世界。
「夢じゃない、現(うつつ)の世界?まさかね。」
気のせいかとまた目を閉じる。
「目を開けば、また元通りの高校生へ。」
ぼんやりと考えを巡らせる。
「やっぱり、熱あるかなあ。あたし・・・。」
と、玄関先が賑やかになった。
トトトトトッと廊下を掛ける子供の足音が二つ。
「あかね、旦那さまのお帰りよーっ!!」
なびきがひょっこりと顔を出した。勿論、高校生ではない、大人な姉だ。
「旦那さま・・・。って乱馬のことよね。」
はっとして跳ね起きる。夢の世界としても、彼といよいよ対面するのだ。さっきのブラウン管の向こう側に映った逞しい彼が目に浮かんできた。
ドックン。
鳴り出す心音。
逢うのが怖いような。でも逢いたい。
すっかり心は乙女チック浪漫。
ゆっくりとあかねは立ち上がり、玄関の方へと歩み始めた。
高鳴る胸の時めきとともに。
つづく
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