第二話 夢現(ゆめうつつ)
何やらぴちゃっとした物が頬に当った。
「え・・・?」
ふと目を開く。と、畳の上に寝転がっていた。
「あれ?あたし、確か、ベッドの上に寝ていたと思うんだけれど。」
回らない頭でぼんやりと考えてみる。
「かあちゃん、おしっこ。」
傍らで子供の声がした。
思わず起き上がってみる。と、目の前に三歳くらいの男の子が立っている。
「え?」
思わず目を見張る。男の子はおさげを編んでいたからだ。
(乱馬?)
思わずそう思ったほどだ。
と、男の子はあかねに言った。
「早くぅ・・・。出ちゃうよ。」
「あ、はいはい。」
思わず反射的に動き出す。
「トイレはこっちだよ。かあちゃん。」
しっかりしてくれと言わんばかりの男の子。
「あ、そっか。」
大慌てであかねも廊下を渡ってゆく。どうやら寝ていた場所は奥座敷だったらしい。今は何でこの男の子が家にいるのか、躊躇っている暇はない。とにかくトイレだ。雪隠だ。あかねは急いだ。
「かあちゃん、ドアの外で待ってね。」
男の子はそう言うと、息咳切ってトイレへと駆け込んだ。
「かあちゃん、ちゃんと居るぅ?」
中から響いてくる幼い声。
誰がかあちゃんなのか、あかねは小首を傾げながら
「居るからちゃんとしなさいよ。」
と答えた。詮索はこれからだ。そう思った。
「たくぅ・・・。雪馬(きよま)は意気地がないんだからあ。かあちゃんが傍にいないとションベンもできねえのかぁ?」
背後でもう、一人、同じような声がした。
振り返ってぎょっとした。今しがたトイレへ駆け込んだ子と同じ顔立ちの男の子が、立っていたからだ。
(え?)
思わず見詰めてしまった。
「だってさあ、僕は柊馬(しゅうま)とは違うんだよ。おトイレ怖いんだもん。」
「何が怖いんだよ・・・。意気地なし。」
「おトイレって神様がいるんだよ。花子さんっていう。」
(花子さんねえ・・・。そんなこと言ってた時代あったっけ・・・。でもあれって学校のトイレじゃなかったっけ。民家のトイレに居るのかしら。)
他愛の無い子供の会話を聞きながらあかねはふと思った。
ようやく終わったのか、さっきのおさげの子がトイレから出てきた。
「手を洗えよ。汚ねえぞ!」
「言われなくっても洗わいっ!!」
(瓜二つだわ。)
あかねはキツネにつままれたような顔で二つの顔を見比べた。
やっぱり、この子たちはそっくりだ。違うところといえば、さっきのおしっこの子の方はおさげ、もう一人の子は一つに結えた髪をしているということくらい。そう、後で来た子はおさげになる前の乱馬の髪型をしているのだ。それ以外はそっくりそのまま、コピーしたように同じ目鼻立ち、背格好、そして声も似ている。
(何なの?この子たち。)
そう思うのはごく当然だ。
(でも、ここの風景って、天道家(うち)よねえ。)
回りを見渡す。トイレのドアも、廊下の具合も、まんま、自分が知っているその場所、その風景だ。
「君たち、誰?」
思わず口を吐いて出かけたとき、背後にまた人の影がした。
「あかね、もう具合はいいの?」
聞き覚えのある声。なびきの声だった。
「具合って?」
そう訊こうとして、振り返り、再びぎょっとした。そのまま口をあけて固まる。
立っていた姉は、あかねが見知っている風体とはちょっと違っていたのだ。髪の毛は同じようにショーとヘヤーだが、ヘヤーカラーをしている。茶系に脱色した感じ。それに、濃い目の化粧。
「お姉ちゃん、どうしたの?」
思わず訊いてしまった。
「どうしたのって訊きたいのはこっちよ。風邪で熱っぽいっていうから、さっきまで奥座敷で横になってたんでしょ?それに、あたしは今日は代休取ったの。このところ働き詰だったからね。たく、久々に実家に立ち寄ったらこれなんだからあ。お父さんたちじゃあるまいし。ボケるには早いんじゃないのぉ?」
物言い方はなびきそのものである。
何が何やら要領が得ぬままに、あかねはトイレの外側で立ち尽くす。
「ねえ、お姉ちゃん。あの子たちは・・・。誰だっけ・・・。」
さり気に訊いてみた。
「はあ?あんた、熱でどうかなっちゃったのぉ?あんたの子供でしょうが。柊馬(しゅうま)くんと雪馬(きよま)くん。二人ともこの前、四歳の誕生日迎えたところでしょう?お祝い持ってきてあげたわよ。」
(四歳。そうか、この子たちそのくらいなんだ。)
子育ての経験など勿論ないあかね。高校の家庭科の授業で、子育てについて少しだけ学んだことがあるが、実際のところ、子供の生態など知る由もない。
高校で学んだ知識といえば、子供には何度か反抗期と目される時期があるという。いきなり生意気になったり反抗的になったりする時期で、四歳前後のそういった精神面の発達は結構目を見張るものがあると、家庭科の先生がぼそっと経験から話してくれた。
汚い言葉を覚えるのもこの頃。親の真似をしようとするのもこの頃。自我の目覚めも。
ぼんやりとそんなことを考えていたら、急に元気な声が響く。
「なびきおばちゃん、オモチャ、ありがとうっ!!」
おさげの方だから雪馬の方だ。間髪入れずにもう一人も。
「かあちゃん、さっきね、なびきおばちゃん、車のオモチャくれたんだよ。でーっかいの。ね、おばちゃん。」
「かあちゃん、お熱出て、さっきまでお昼寝してたからまだ見てないでしょう?」
二人とも顔をほころばせながらあかねに懸命に言ってくる。
とりあえず母親を演じてみようと思った。ジタバタしても、この状況では、どう見ても自分はこの子たちの母親本人だ。それも悪くはないかと何故か素直に思えた。不思議なことである。
「お礼はちゃんと言ったの?」
「うん、言った。柊馬も俺もちゃんと言ったよ。」
「礼を尽くすのは武道家の嗜みだって、とうちゃんいつも言ってるもん。」
言葉の意味も分かっていないだろうに、口の利き方は生意気な子供たちだった。
「だから、二人でおばちゃんにありがとうって言ったからね、かあちゃん。」
にっこりと微笑む子供たち。
「その「おばちゃん」って言うのは止めてくれないかなあ。あたしはまだ若いのよ。」
なびきが苦笑いする。
「だって・・・。かあちゃんのお姉ちゃんなんでしょ?なびきおばちゃん。」
「はあ、オモチャ、持って帰ろうかしら。なびきお姉ちゃんって呼びなさいっ!」
「やだーっ!!」と二つ声が重なる。
「小憎たらしいったらありゃしない。二人とも同じ顔しちゃってさ。まあ、一卵性双生児なんだから仕方ないけど。」
「双子・・・。道理で似てると思ったわ。」
聞こえないような声で囁くあかね。
「ねえ、お姉ちゃん。・・つかぬ事訊くけど、今日は何年の何月何日?」
「たく・・本当にどうかしちゃったんじゃないの?今日は200×年の二月○日よ。」
「やっぱり、時計が進んでる。」
「はあ?」
「ううん、何でもない。それからさあ、この子たちの母親があたしなら、父親は?」
「あんたねえ、熱高いの?それともあたしのことからかってる?」
姉は白い目を向けてきた。
「あは、そうよね。このおさげだもんね。乱馬・・・だよね。」
語尾は自信なさげに小さくなった。
「もう、夫の名前、忘れてどうするのよ。確かに、最近、彼ってこの家に寄り付いてないけどさあ。」
「家に寄り付いてない?」
「あんた、愚痴ってるじゃない。最近、武道家として顔と名前が売れてきたのはいいけど、マスコミに引っ張りだこだって。あ、今日だってこれからオンエアあるじゃなかったっけ?」
「そうだ、とうちゃんのテレビっ!!」
「かあちゃん、見なきゃ!!」
「子供たちの方があんたよりもずーっとしっかりしてるじゃない。」
なびきが笑い転げる。
「だって、とうちゃんの留守中は俺たちがかあちゃん守らないといけないんだっ!!」
何を気負ってか柊馬がガッツポーズを取ってみせる。
「ホント、逞しい子たちねえ。乱馬君、よく躾けてるわ。」
「うおーい!始まるぞーっ!!柊馬っ!雪馬っ!!」
奥の方から早雲の声がした。
「ほらほら、始まるってさ。夫の姿見て、しゃんとなさいっ!しゃんと。」
なびきがあかねの背中をポンポンっと叩いた。
(やっぱり、あたし夢でも見てるかな。)
あかねは二人の子供達に手を引っ張られながら、ぼんやりとそんなことを考えた。
(いくら何でも、いきなり、子持ちだなんて。それも夫は乱馬だし・・・。)
でも、目の前に広がる世界は、妙に生っぽい。
(ま、いいわよね。夢なら楽しんでも。)
あかねも元来はあまり深刻に物事を捉えない方なのかもしれない。いや、何となく身体の気だるさがある。風邪の熱のせいで夢でも見ているんだと、思い込むことにした。こういうことは楽しんだもの勝ちだ。それに、この夢の世界の乱馬がどんなふうになっているのか、ちょっと興味があった。
手を引かれるままに入る茶の間。
入ってみて驚いた。あまりあかねの知る茶の間と変わっていない。
(やっぱり夢よね。)
でも、部屋の中央にあるテレビは変わっていた。液晶大画面というあれだ。
(夢ならばこのくらいの贅沢いいかな。)
そんなことを考えてしまう。すると自然に頬が緩む。
「何にやにやしてるのよ、あかね。やっぱり旦那さまが気になるのかしらね。」
なびきが横から突付いてきた。
「そんなんじゃないわよっ!」
反論を試みる。
「もお、あんたって、幾つになっても乱馬君のことだとムキになって恥かしがるんだから。ま、いいんだけどね。」
柊馬と雪馬は部屋の中央へと進み出ると、ちょこんと正座した。その傍らには、早雲と玄馬がニコニコ笑いながら座っている。玄馬は相変らずパンダの形をしている。ごく自然に溶け込んでいるところが、夢のいいところかもしれない。あかねはそんな風に考えを巡らせた。
つけられたテレビ画面はコマーシャルが流れる。何だかよく知らない商品や楽曲が流れてくる。
(夢ってリアルなんだ・・・。)
ついあかねも感心して見入ってしまった。
と、画面は変わって、夕方のバラエティー番組のような雰囲気。中央にアナウンサーやタレントが控えている。
(あれ、このタレントさんまで、年取ったんだ。あんなに化粧けばかったっけ。)
見覚えのある女性タレントがマイクを握ってがなっている。
『さあ、お待たせ致しました。本日のゲストは、武道家の早乙女乱馬さんです。』
「さて、乱馬くんの登場だ。」
みんな身を乗り出す。
あかねもごくんと生唾を飲み込んだ。
つづく
一之瀬的戯言 柊馬と雪馬
実は作品を書くにあたって、SEAさまにお願いして命名していただきました。
生命判断もされたそうで・・・なるほどと創作上の線引きのための参考にさせていただきました。
以下は私の考えた設定です。
柊馬(しゅうま)
先に生まれた戸籍上の第一子。つまり長男です。
性格は荒め。あかねの粗忽さも少し持ち合わせたやんちゃ坊主。頭はストレートな長髪で、後ろ一つに紐で結ってます。丁度、呪泉郷へ行く前の乱馬くんの髪型と思ってくださいませ。
どちらかといえば身体で考えるタイプ。
雪馬(きよま)
第二子、次男です。雪馬は柊馬に比べると少し線が細い感じ。ただ、あくまでも二人並べて見たときのことで、他の子たちの中に入れると彼も十分、やんちゃ坊主です。彼はおさげを編んでいます。
冷静沈着で、どちらかといえば考えてから動くタイプ。
名前の如く、二人は1月20日生まれ。そう「大寒」に生を受けたことになってます。これも私の勝手な想像。そこから乱馬とあかねはこんな名前を付けたことに。
クリスマス生まれというのも捨てがたかったんですが、創作の都合上勝手に大寒に決めさせていただきました。(横柄)
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