◇雪夜幻想


第一話 夢玉


 木枯らしが吹き荒ぶ如月の昼下がり。
 コートの襟元を立てながらとぼとぼと歩く少女が一人。
「良く降るわね・・・。」
 垂れ込めた空を恨めしそうに見上げてほつっと白い息を吐いた。
 傍らのフェンスからぼたっと積もった雪が地面に落ちる。いつもその上に寄り添うようにある影は、今日はない。
「たく・・・。あのバカ、今頃何してるのかしら。こんな雪中じゃあ修業になんてならないでしょうに・・・。狂気の沙汰よね。いくら身体が鈍ってしまったとはいえ、こんな寒波の中おじ様と山へ入るなんて。それも授業を放ったらかしにして。」
 空から舞い降りる雪は生きとし生けるものを音もなく静かに覆ってゆく。鮮やかな色を全て失ったような雪色の世界。彼が居ない世界は、無色の味気のないものに見える。
 思い馳せるのは、山に籠もってしまった許婚の乱馬の事。普段は喧嘩ばかりの許婚ではあるが、居ないとなると妙に物足りない。この雪の中を行き倒れていないかという余計な心配までしてしまう。
 少女はストンと肩を落とした。

 と、その時であった。
「まだ乱馬帰ってないか?」
 背後で聞き慣れた少女の甲高い声がした。
 恋敵とも言える、シャンプーであった。毎日、乱馬の有無を確かめにこうやって下校時になると決まってあかねの様子を伺いに来る。今も出前の帰りなのだろう。手には岡持を携えている。
「シャンプー・・・。あんた、こんな雪の中、自転車で走っても平気なの?」
 あかねは半ば呆れながら彼女の方を見返した。凍てついた雪道を自転車で走るなどとは、常識では考えられない暴挙だからだ。それをこの少女は事も無げにやっているのだ。
「平気ね。女傑族の村、雪深い。それに私、あかねと鍛え方、根本から違う。」
 シャンプーはにっこりと微笑むと、くるりと方向を変えた。乱馬が居ない以上、あかねとこれ以上話すこともないのだろう。随分、あっさりとしたものだ。
 と、シャンプーが方向を返した方向に、老人が一人。ふらふらと雪道を歩いていた。

「危ないっ!」

 シャンプーの自転車の前輪がふらついて、その老人の方へと吸い寄せられる。

 あかねはなりふり構わず飛び出していた。運動神経には自信があったが、咄嗟の雪道。老人を抱え込んで横に飛んだところまではよかったが、受け身を取った拍子に、傍の防火バケツの前にすっ転んでしまった。
 ガラガラッ!ガシャン。
 非情な音がして、あかねは頭から防火バケツの水を被ってしまった。
「冷たいっ!」
 当然だ。この雪の中、それも冷たく凍りついた水。制服の上からずぶ濡れになってしまった。
「あかね、大丈夫か?」
 シャンプーは自転車にまたがったまま覗き込んでくる。
「だ、大丈夫よ・・・。これくらい。平気。」
 この勝気な少女は、それがライバルだと虚勢を張ってしまう。
「送っていこうか?」
「あのね・・・。こんな雪道の中、二人乗りは危険すぎるでしょ?いいわよ。一人で帰れるから。それより、おじいさん、お怪我はなかったですか?」
 傍らに投げ出されて驚いている老人に向かって声をかけてみる。
「大丈夫じゃ。おかげさまでワシはほれこの通り、ぴんぴんしとりますじゃ。」
 お爺さんはそう言いながらゆっくりと身体を起こした。
「良かった・・・。シャンプー。あんたも気をつけて走りなさいよね。こんな雪道を自転車で走るなんて、危険迷惑行為以外の何物でもないんだから。」
 だが、そう言い掛けたときには、無責任娘の姿はなかった。
「たく、全く、人の話を聞こうともしないんだから。」
 あかねは腰を上げると、恨めしそうに吐き出した。
「娘さん・・・。あんたこそ大丈夫かね?怪我はしてはおらんかね。」
 爺さんは目を細めながら尋ねてきた。
「大丈夫です。ちょっと失敗して水をかぶっちゃいましたが、怪我はしてませんから。」
 あかねはそう言いながら丸い目を瞬かせた。
「この老いぼれのために、申し訳ないのう・・・。」
「いいえ、悪いのはシャンプーの方ですから。おじいさんは何も悪いことはなさってませんよ。」
 あかねは微笑みながらそう言い返した。
「雪があまりに綺麗じゃったから、ついつい、下界にまで降りてきたのがいけなかったかのう・・・。」
「下界?」
 訊きなれない言葉だった。
「ほーっほっほ。まあ、気になさるまいな。老いぼれの戯言ですじゃ。それより、娘さん。」
「はい?」
「お礼と言っては何じゃが。」
 そう言いながら何やら怪しげな玉を一つあかねに差し出した。乳白色でマーブル上に翠の縦文様が入っているいかにもという玉だった。
「困ります。お礼だなんて、そんな・・・。あたしはただ。」
 あかねは通り一遍等に辞退を申し上げる。だが、老人は笑いながら軽く受け流した。
「いや、それではワシの方が気がおさまらぬというもの。何、老人の自己満足ですじゃ。」
 そう言いながら玉をあかねの手の中に握らせた。
「これは夢玉と言いましてな。娘さんが望む時代世界を映し出すという代物ですじゃ。」
「望む時代世界って・・・未来が見える玉なんですか?」
「あいや、未来とは限らん。過去の可能性もある。過ぎ去った古き良き時代へのノスタルジーに浸れることもあるのじゃよ・・・。でも、まあ、娘さんの場合は過去ではなくて未来じゃろうがのう・・・。懐かしがるほど人生経験をつんだ訳ではあるまいから。」
 爺さんはそう言って笑った。
「夢玉ねえ・・・。」
「その名の如く夢を見せてくれるとでも言えば良いかのう・・・。何、騙されたと思って、試してみなさるといい。枕元に置いて今夜寝て見なされ。夢玉は一回しか利かぬから、大して害はあるまいよ。一夜明けてしまえば、ただのガラス球になってしまっているじゃろうがのう・・・。どんな現がおまえさまを待ち受けているか。」
 半ば押し付けられたような形で、あかねはその玉を貰い受けることになった。勿論、爺さんが言っていた効果のほどは眉唾物だと思うことも忘れなかった。

「何だか、不思議な玉だわ・・・。」
 道すがらあかねは掌に収まった玉を見詰めていた。玉の壁面には覗き込む己の顔が映し出されている。
 と、クチュンとくしゃみを一発。鼻の奥がもぞもぞと気持ち悪い。
 クチュンッ!
 また一発。
 急にぞくぞくと背中から悪寒が走る。
「寒くなってきたわ、早く帰ろう。」
 あかねは一目散に家路に就いた。

「あかねちゃん、風邪?」
 かすみが心配げにあかねを覗き込んだ。あかねの顔はいつもよりも赤く、腫れぼったい。
「う、うん・・・。そうみたい。」
「今日は早く休みなさいな。」
 かすみは夕食を片しながら声を掛ける。どうも家に帰ってからもぞくぞくは止まらない。自然食欲も衰えていた。
「あかねみたいな頑強な身体の持ち主でも風邪をひくの?」
 口の悪いすぐ上の姉は、そう言いながら茶を啜る。
「風邪はひき始めが肝心だから。」
 そう言いながら乱馬の母のどかが何やら黒い粒を出した。
「これは?おばさま。」
「早乙女家伝来の万能薬、万金丹よ。」
 そう言えば、前にやはり風邪をひきかけたときに、乱馬にこの薬をもらったことがあったのをあかねは思い出していた。匂いはイマイチだけど、効き目は確かにあった。
「ありがとうございます、おばさま。」
 あかねは口に薬を含むと一緒にのどかが持って来てくれた白湯を胃袋へと流し込んだ。
 じわっと薬の嫌な味が広がる。良薬口に苦しと言うが、薬は不味い方が何故かありがたみがあるというものだ。
「それを飲んだらあとは暖かくしておやすみなさいな。」
 かすみはふきんでさっと卓袱台(ちゃぶだい)を拭きながら言った。
「そうするわ。」
 あかねはトンと立ち上がる。ちょっとくらっときたような気がした。熱がどうやら出てきたようだ。
「乱馬くんに看病してもらえなくて残念ね。」
 なびきはまだ物足りないと云わんばかりに、あかねにちょっかいをかけてくる。
「お姉ちゃん、うるさいんだ!!」
 じろりと流すあかね。気にしないようにしているのに、何故にこの姉はこうやって人の心をかき乱すようなことを言うのだろうか。
「まあ、早く良くなんなさいよ。明日帰ってくるっておじさまから連絡あったんだから、ねえ、かすみお姉ちゃん。」
 なびきはふふふと笑いながら妹を見た。明らかにその反応を愉しんでいる。人の悪い姉である。
「おやすみなさいっ!!」
 それには反応しないであかねはとっとと自分の部屋へと上がっていった。

「乱馬が明日帰ってくる。」

 茶の間では反応を示さぬように押さえ込んだが、トンっと心臓が一つうなりを上げたような気がする。彼の帰宅をどれだけ待ち侘びたことか。
「たく、ずっと連絡も寄越さないで、元気にしてるんだかどうだか・・・。」
 独りでに零れる言葉。白い息がはあっと天井に向かって吐き出される。ぞくぞくっとまた背中が震えた。家族が集う茶の間は暖かかっただけに、一人の部屋はシンとして空気も冷たい。この家はボロ家なので風通しも良すぎるし、温まりにくい。典型的な木造の日本家屋なのである。
 窓の外を見ると白い塊がふわふわと舞い降りてくるのが見えた。
「また雪かあ・・・。どおりで冷えると思ったわ。異常低温注意報か何か発令されてるんだろうなあ。」
 凍えそうな寒さの中あかねは着替えを済ませると、たっとベッドに潜り込んだ。蒲団もひんやりとしていて冷たい。思わず、電気あんかのスイッチを入れた。足先が冷えていては安眠などできそうにないからである。
「やっぱ熱出てきちゃったかなあ・・・。」
 ほっぺたが妙に熱っぽい。ふと見上げれば、夕刻、お爺さんから貰った夢玉。こちらを伺うように机の上から見下ろしている。まるで、小さなその玉の中に何かが潜んでいるようなそんな気配がした。決して陰気ではなかった。仏壇の中のそれや神棚のそれといった感じだろうか。
「やだ・・・。あたしったら、やっぱり熱があるんだろうなあ。」
 あかねはふと玉から視線を外した。
 こういうときは大人しく寝てしまうに限る。
「あいつ、帰って来たら何て言うかなあ。だらしねーぞって言うんだろうな。大丈夫かなんて・・・そんな優しい労わりを言ってくれる奴じゃないわね。」
 一人で悦に入って微笑む。あの唐変木(とうへんぼく)が優しい言葉の一つもかけてくる訳はない。
「乱馬・・・。大人になっても、きっとあんな具合に愛想が無くって、ぶしつけで、あたしのことなんか等閑(なおざり)で、優しくなんてしてくれないんだろうな。」
 ぶつぶつと蒲団の中で考えを巡らせる。
「大人になったら、あたしたちってどんな風になってるんだろう・・・。たいして変わってないんだろうな。一緒に住んでるっていうことも、あるのやら、無いのやら。・・・あいつだって結婚する意思があるのかどうか怪しいものだものね。はあ・・・。」
 見上げる天井。豆電球が頼りなげにこちらを照らしていた。
「乱馬、変身体質治るのかな・・・。どんな大人になってるんだろ、あたしたち・・・。ちょっと先の未来を見てみたい気もするな・・・。」
  
 熱のためか、ぼんやりと頭が蕩けてくる。これ以上は考えを巡らせるのは無理だった。
 だから気付かなかった。彼女の言葉に反応して夢玉が微かに翠色に光り始めたのを。
 あかねは寝息をたてながら、浅い眠りに落ちていった。



つづく




ターゲットは「seaSide」。
前からサイト立ち上げ祝いには何かとお約束しておりましたので・・・。果たしたらこんな作品に(苦笑
seaさまにリクエストをお聞きしたところ、「乱馬とあかねが未来に迷い込んで子育てしている作品」。とのご返事。
実はこの逆バージョンを同人誌の方でやっているので、ない頭ひねくりだして、「あかねが未来へ迷い込んで未来の乱馬と子供たちに遭遇」というプロットにさせていただきました。
途中出てくる子供の名前の名付け親はseaさまです。姓名判断までしてつけていただきました。
全六話。まだ導入部分ですが、回を追う毎に暴走していきます(汗
第五話辺りはかなり「やばい」ので特に甘味モードに免疫のない方はご注意ください(笑・・通常作品です。年齢制限はかろうじてありません。

なお、一之瀬はリクエスト作文は受けておりません。ホンの気まぐれで出す事はありますが…滅多にないです。

また、SEAさまサイトは残念ながら閉鎖になりました。呪泉洞の投稿作品コーナーに幾つか作品をいただいておりますので、是非そちらもどうぞ、ご堪能下さい。


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