第六話 佐士彦〜御魂の番人


一、

 乱馬は伊吹と共に、東京から西に向かって電車に乗っていた。
 二人とも口数が少ない。
 一緒に行動してきた、シャンプーや良牙たちとは、ほのかのところで一旦別れた。シャンプーはずっと一緒に付いて行くとかなりごねたのであるが、
「女は関われぬっ!それに、時間がない今、おまえさんが付いて来たら足手纏いになるでな。」
 と伊吹に一喝されてしまった。
「女と言ってバカにする。良くない!女傑族、尊厳傷付けられること一番憎む。」
 シャンプーは憤慨したが、
「仕方があるまい。業に入りては業に従えという言葉あろう。今は、伊吹殿が言うように時間がない。遊び半分ではこの世を鬼どもから守ること敵わぬじゃろう。今回は諦めるんじゃ。シャンプー。」
とコロン婆さんになだめられた。物の道理がわかる、曾祖母にそこまで言われては、シャンプーも引き下がるしかなかった。
 
 そして、程なく着いたのは、とある山中のひなびた温泉地。
 もくもくと前を行く息吹に乱馬は付いて行った。

「ここじゃ…。」
 辺りが日没の闇に包まれた頃、二人は古いお社に到着した。
「ここは…。」
 春日造りの荘厳な拝殿を乱馬は見上げた。決して大きな神社ではなかったが、それなりに風格を感じさせる佇まいがそこにあった。今時珍しく、石灯籠に蝋燭の光が灯っていた。
 拝殿の奥のほうから人影が近づいて来た。白い着物を着ているよyで、ぼんやりと夜の闇の中に浮かんで見えた。

「やっと来たか、イブちゃん。」

 その人影はこちらを認めるとそう声を掛けて来た。婆さんのしわがれた声だ。

「久しぶりじゃのう、ミワちゃん。」

「何だ?古い知り合いか?」
 乱馬は傍らの爺さんを見やりながら訪ねた。
「これ、しゃきっと挨拶せいっ!武道家の基本じゃぞっ!」
 息吹はがっと乱馬の頭をつかんで、無理矢理お辞儀をさせた。
「てててっ…、何なんだよ、いったい。」
 乱馬はガバッと起き上がり爺さんを見返した。
「ほっほっほ、元気があって宜しい。」
 ミワちゃんと呼ばれた婆さんは笑い出した。
「まあ、こちらへ。ほのか殿から電話を貰って、ずっとおぬしたちを待っておったのじゃから。」
 促されるままに奥へと通った。
 ギシギシと板が軋んで音をたてる。建物の古さを無言で物語っていた。ひんやりと裏の山から冷気が漂い始める。まだ秋にさしかかったところなのに、肌寒い。
 この山には何か棲んで居る。そう思わせるような雰囲気だった。
 辺りを見回しながら進んで行ったが、見た目は何の変哲もない古い神社だった。拝殿の正面には、神社らしく玉串や御鏡が祭られてある。

「あまり時間がないようじゃから、率直に問おう。おぬし、布都の御魂を求めて来たのだな。」
 婆さんは開口一番乱馬に問い質した。
「ああ、そうだ。俺は布都の御魂を求めに来た。」
 乱馬はキッと婆さんを見据えた。
「で、御印(みしるし)は持って来たのか?」
「御印?」
 怪訝な顔を上げて婆さんを見返した。
「太刀じゃよ。布都の御魂を使うためには、これがなければ話にならぬでな。」
 婆さんはそんなこともわからないで来たのかというような顔を向けた。
「太刀なら、これだ。」
 乱馬は脇に抱えていた刀袋から、一振りの太刀を取り出した。大和の母、春日ほのかから預った「甕布都(みかふつ)」と呼ばれる刀である。
「ほお、ホンに、春日の御印の太刀じゃ。」
 婆さんはふっと顔を緩めた。
「おぬし、それを鞘から抜けるのか?」
 婆さんは再び目を光らせて問い掛ける。
「造作ないこと。」
 乱馬は刀袋から太刀を取り出すと、ふんぬっと手をかけた。

「でやーっ!!」

 掛け声よろしく、右手で鞘から引き抜こうと力をこめた。だが、彼の予想に反して、太刀はびくともしない。そう、鞘にがっちりと強力接着剤でもついているようにびくともしないのであった。

「いやーっ!!たーっ!!」

 彼は意固地になって丹田に力を振り込め、引き抜こうとした。

「ふふ、やはり抜くこと叶わぬか。」

 婆さんは予めわかっていたかのようににやりと笑った。
「あれえ?おっかしいな。何で抜けねえんだ?」
 乱馬は刀をしげしげと眺めた。
「その刀には布都の御魂がこもっていないからじゃよ。御魂が篭っていなければ、ただの飾り物じゃ。」
 婆さんは笑いながら教唆する。
「その名刀「甕布都」を鞘から抜き出し、使うためには「布都の御魂」が必要不可欠なんじゃ。伊吹に教えてもらわなんだのか?」
「爺さん、そうなのか?」
 乱馬は伊吹を見返した。そんなことは訊いてねーぞと言いたげに目は吊り上がる。
「さて、言わなんだかな?」
 伊吹はすっとぼけた。
「訊いてねえっ!んなこたあ!!」
 乱馬はがっと掴みかかる姿勢を見せた。
「まあ良い。おぬし、確かに春日の血は引いておるようじゃな。」
 婆さんは乱馬を一瞥した。
「あ、ああ。俺も詳しく自分のルーツは知らねーが、春日の一族の末端には違いねえな。氏名(うじな)は春日じゃねーけどな。」
「ふふ。甕布都は春日の血を受けた者しか使うことかなわぬからな。それも、その名刀が持ち主と定めんとな。」
「持ち主を定める?」
「おうさ。甕布都が持ち主と認めるためには、まずは布都の御魂を手に入れることじゃな。御魂を刀に宿すことができれば、甕布都を使いこなすことができる。さすれば、幽界の鬼どもとも対等に戦えるじゃろうよ。」
「で、その肝心な布都の御魂は何処にあるんでいっ!」
 乱馬は血気逸った目をして婆さんを見つめ返した。
「この社の奥に眠っておる。」
「社の奥だって?」
 乱馬は社の拝殿を見上げた。
「この社の奥深くに御魂は封印されている。と伝えられておる。おまえさんにその封印が解けるかな?」
 婆さんはにやりと笑った。
「良くわからねえが、必要ならば封印を解いてやる。」
「魔物が封印を守っているやもしれんぞ。」
「けっ!魔物や妖怪が怖くて、武道家が勤まるかっ!」
 乱馬は真っ直ぐに婆さんを見据えた。
「命をとられるやもしれんぞ。」
「魔物にやられるような、そんなに安っぽい命はしてねーよ。」
「ほーっほっほ、勇ましい少年じゃな。往年の伊吹どのを見るような。」
 婆さんはにっと笑って見せた。抜けた歯がチャームポイントだ。
「こやつは確かにワシの血を引いて居るからな。」
 伊吹爺さんも同じように目を細める。
「良かろう。そのくらいの元気があったら、何とかなるじゃろう。おまえさんなら奴を倒して布都の御魂の封印を解けるかもしれんな。」
「かもしれんじゃなくて、解く、だ。俺は四鬼神を倒さねばならねーんだ。」
「世の中を救う為にか。」
 婆さんは乱馬を見返した。
「世の中を救うなんてそんなことは関係ねえさ。俺は…俺の許婚を助け出す方が大切なんだ。」
 乱馬は虚空にうそぶくように言い放った。そうだ、世界平和がどうのとか、人間界を守るとか、そんなことはこの少年には些細なことだった。彼を突き動かしている意識。それは、あかねへの強い想い、そのものだったのである。
「はっはっは、正直な奴じゃ。その了見の狭さ。己が一番と思うところ。春日の一族の猛者らしいな。気に入ったぞ。」
 婆さんはここぞとばかりに笑った。大事よりも小事の方が大切と言う乱馬の本音。それを、堂々と口にする飾らない心。彼女はそれが気に入ったのだろう。
「これを持って行け。」
 徐に婆さんは懐から何かを取り出した。
 婆さんは傍らにあった酒徳利をひょいっと持ち上げて乱馬に渡した。丁度、水筒のような大きさだろうか。
「あん?」
 乱馬は訝しげに酒徳利を見た。
「お神酒(みき)じゃよ。」
 婆さんは笑う。
「お神酒だって?婆さん、俺はまだ高校生だぜ。酒なんて飲めねーぞ。」
「馬鹿者っ!誰がおまえに飲めなどと言うものか。ふふふ。これは御魂の好物なんじゃ。」
「御魂の好物だって?」
「ああ、清酒で刀は清められるでな。ふふ、まあそういうことだ。何かの役に立つじゃろう。さあ、行って来い。春日の血を受けるものよ。」
 婆さんは拝殿の奥を指差して言った。
「ああ、そうするぜ。」
 乱馬は婆さんから受け取った徳利を腰へと結わいつけた。チャプンと揺れているように思える。確かに液体が入っているのだろう。
 判然としないことも多々あったが、ここで時間を食う訳には行かない。
「日暮れか。闇に埋もれし者たちが出てくる頃合じゃな。絶対にここへまた戻って来いよ。さもなくば「彼女」を助けることはできぬぞ。いや、この世もな。良いな。」
 伊吹の険しい顔に乱馬はこくんと首を振って答えた。
「御魂の在り処は、この神殿の裏側にある、注連縄の張った祠から入ってゆくが良い。そこのかがり火を持って行け。少しでも明かりがあるほうが良かろうからな。己の力を信じることじゃ。幸運を祈っておるぞ。」
 婆さんも乱馬を正面から見据えた。

「じゃあ、行ってくるぜっ!」
 乱馬は傍にあったかがり火を手に取ると、もう片方の手を挙げて、老人たちへと合図を送った。それから、脇目もふらずに、拝殿の奥へと歩み始めた。ギシギシと床が音を鳴り響かせる。やがて、彼は拝殿の奥へと消えて行った。


「さて、運を全て天へ任せるか。彼が戻って来られるか否か。四鬼神と戦って勝てるかどうか。」
「おぬしらしくなく弱気じゃな。」
 伊吹の呟きにミワ婆さんは笑った。
「ふふ、そう見えよるか。ワシも年を取ったものじゃ。」
「どっちにしろ、ワシら年寄りのできることは祈ることのみじゃな。」
 婆さんは吐き出すように言った。


二、

 ざわざわと社に覆い被さる木々が夜風に揺られて葉枝を揺らし始めた。
 乱馬はすっかり日暮れた山端に向かって建てられた奥の拝殿の裏側へと回った。古びた社の建物は、明かり一つなく、月影に浮かんで不気味に見えた。その社の傍らに、小さな祠がひっそりとこちらを向いて建っていた。今にも切れそうな注連縄が頼りなげに掛かっている。
 ひょおおっと生温い風が渡った。カタカタと音を発てて、祠の戸板が微かに揺れた。人一人がやっと通り抜けられる格子の引き戸だ。乱馬はゆっくりとその前に立った。手にした松明は、彼の影を照らして揺れている。
「ここへ入るのか。」
 乱馬はそう小さく呟くと、引き戸に手をかけた。
 すっと音もなく開く戸板。ふわっと奥から風が吹いてきて、松明の火が大きく揺れた。どうやら奥が深いらしい。渡ってくる風の気配でそれがわかった。
 彼はふうっと一つ溜息を吐き出すと、意を決したように戸板を潜った。
 中へ入るとすぐに階段があった。暗がりの地中へと続く石段が灯火の下に見えた。先は真っ暗で見えない。
「この下へ行くんだな。」
 乱馬は辺りの気配を伺いながら、階段へと足を踏み入れていった。ひんやりとした空気が、下方から流れてくるのがわかる。かび臭い匂いが鼻を突く。湿気を帯びて棲み易いのか、虫たちがざわざわと足元を這いずり回るのが見えた。松明の光に驚いて逃げてゆくのだろう。よく目を凝らすと、ムカデやらヤスデやらといった感じの蟲がぞわぞわっと動いて暗がりへと慌てて逃げ込むのが見える。 
 それらを避けながら乱馬は階段を一歩一歩踏みしめてゆく。中は思ったよりも広かった。人一人はちゃんと歩ける天井の高さであった。上方はコンクリートで塗り固められてあったが、二十段も進むと、ただの土と岩の自然な壁になっていた。人工的な石段も、何時の間にか、土の斜面へと変わってゆく。
 足元に何かが当って驚いて松明を掲げると、土器(かわらけ)がたくさん地面にばらまかれているのが見えた。おびただしい素焼きの土器。祭事に使ったのか、祭壇がところどころに設けてあるのも見えた。
「あんまり気持ちのいい場所じゃねーな。」
 古(いにしえ)からの祭祀場なのであろうか。乱馬はそれらを尻目に、更に奥へと進んでいった。迷路ではない一本道。下へと下っていた道もいつかは平らになり、敷き詰められた土器もただの土くれへと変わってしまった。それでも道はまだ続く。
「どこまで続いてるんだ?」
 不可思議に思いながらもどんどんと歩みを進める。

 と、松明の火が大きく揺れた。風が正面から吹き抜けてくるのが、空気の流れからもわかる。
 乱馬は歩みを更に急いだ。
 
「ここは…。」

 土壁が途切れたところ、そこから見上げると星々が瞬いているのが見えた。
「外か?」
 乱馬は辺りを見回した。勿論、松明以外には灯りはない。今抜けてきた方を見ると、ぽっかりと岩肌に開いた洞穴が見えた。
 周りには草が迫り、木々の梢もぼんやりと暗闇に浮かび上がる。その先に一筋の道が続いている。勿論その先は闇が広がり、何処へ続いているかさえわからない。獣道くらいの頼りない道。
 だが、迷っている時間はなかった。
 この先に求める「布都の御魂」がある。そう信じて歩み続けるしかなかったのだ。
 いつか手にしていた松明は果てた。
 幸い天上には蒼い月。その明かりを頼りに何とか先へ進めそうであった。
 乱馬は誘われるように道を歩み続けた。
 山を渡る風は生温かく、頬を掠めてゆく。この時期に鳴いている秋の虫たちの声すらしない静寂な世界。ただ、満月近い月だけが己の道行きの友として、頭上から煌々と照らしつけていた。
「本当に、この先に布都の御魂が封印されている場所があるんだろうな。」
 流石の彼も、だんだんと心細くなってくる。行けども行けども続く夜の闇の道。
 どのくらい歩み続けたろうか?

 いきなり何かふわっとした物が足に当った気配がした。柔らかく生温かい物だった。
 バサバサっとそいつは蠢いた。

「あいたたっ!おんどりゃーっ、いきなり何しくさんねんっ!!」

 そいつは怒鳴り声を上げるとパカッと乱馬の頭をこついた。
「何だ?」
 乱馬はこつかれた頭を押さえながら、目を凝らした。
 よく見ると、何か両腕ほどの生き物がこちらをきつく睨みつけているではないか。
「と、鳥?」
 そいつには大きな羽があった。真っ黒な身体に円らな瞳。そして太い足。黒い大きなカラス。そんな風体だろうか。

「おまはんか、ワシを起こしくさったんはっ!それにいきなり踏んづけるやなんて、痛いやないけっ!!」
 そいつは憤慨収まらぬ口調で乱馬に問い掛ける。その言い草が、右京のそれとちょっと似ていた。そう、関西方面の方言イントネーションであったのだ。
「ご、ごめん。おめえが寝てるなんて知らなかったんでよう。」
 乱馬は悪びれずに謝った。
「ほお、人間やんけ。久しぶりに見るな。」
 鳥はまざまざと乱馬を見返した。珍しいのだろうか、ジロジロと一瞥する。
「で、おまはん、誰や?」
 鳥は大きな目を乱馬に差し向けて問い質した。
 乱馬はどう答えたら良いものか一瞬戸惑った。
「はよ名乗らんかいっ!」
 ばさっと羽音がして、再び乱馬の頭をパカッとやった。
「ててっ!何しやがるっ!!」
 乱馬は思わず手で頭を押えた。
「そやし、誰やって訊いてるんやんけーっ!ワシ、気が短いねんどっ!!」
 また攻撃しようと身構えたので乱馬は慌てて答えた。
「お、俺は無差別格闘早乙女流二代目、早乙女乱馬だっ!これでいいんだろ?」
「ああん?めっちゃ長い名前やんけ。そんなもんっ、覚えられるかーっ!」
 再び蹴りが入る。
「わたっ!だから、早乙女乱馬だって言ってるだろうがっ!!」
 乱馬は堪らず鳥をなぎ払った。恐ろしく短気で、荒っぽい鳥だ。しかも、言葉は関西弁。
「早乙女乱馬か。」
 そいつは乱馬の名前を聴き取ると、攻撃体勢を止めた。ほおっと漏れる溜息。
「なあ、おまはん、布都の御魂でも探しに来たんけ?」
 鳥はじっと乱馬を見返した。
「あ、ああ。そうだ。俺は、布都の御魂を求めてここまで入って来た。」
「ほお、命知らずなやっちゃなー。」
 鳥はがさごそと乱馬の前に立った。丁度、腰くらいの高さだろうか。鳥としてみれば結構大きな立派な体格をしていた。興味深い目で乱馬を覗き込んだ。
「そうか、布都の御魂を求めて来たか。ワシは佐士彦ちゅーねん。布都の御魂の監視役をしとるねん。」
「監視役?」
「そや。布都の御魂は誰もが持てる代物やあらへん。だから、ここへ迷い込んでくる奴をきちんと品評して、封印された場所へ通すか通さないか決めるっちゅー大切な役目を仰せつかっとるんや。」
 鳥はえっへんと胸を張って見せた。
「なら、手っ取り早いや。俺を布都の御魂の封印場所へ連れてってくれ。」
 乱馬は鳥を見下ろして言った。

「あほんだらーっ!!」

 再び鳥は乱馬を足蹴にした。

「ててっ!たくっ!何だってーんだよっ!てめえはっ!!」
 無防備な頭を今再びこつかれて、乱馬は鳥をきっと見返した。
「そう簡単に、御魂の在り処へ通す訳にはいかんのやーっ!このど阿呆ッ!」
「だったらどうしろってーんだよっ!俺は急いでるんだっ!!」
 乱馬は涙目になりながら鳥を睨みつける。
 鳥は小首を傾げて暫く乱馬を見詰めると、再び横柄に吐き捨てた。
「まあええわ。おまはんを通すも通さないも、最終的に決めるのはあの方やからな。ついて来いっ!見極めたるっ!おまはんが封印の場所へ行けるかどうかをな。」
 鳥はガサガサっと羽音を立ててくるりと背を向けた。
「偉そうに…。何でいっ、こいつは。鳥の分際で。」
 乱馬はぼそっと独りごちる。
「あん?何か言ったけ?文句があるんやったら、案内せーへんでっ!それにワシ、ただの鳥やあらへんで。」
 鳥は乱馬を振り返って言った。
「ただの鳥じゃねえのか?まあ、そうだろな。ただの鳥だったら人間の言葉は喋らねーよな。」
 これ以上蹴り上げられては叶わないと乱馬はできるだけ穏便に言葉を選んで答えた。
「ふふん。そうや。ワシは八咫烏の子々孫々やからな。」
「八咫烏?あの天孫降臨で活躍したカラスか?」
「そや。聞いて驚け。天孫降臨のときに神武帝を導いたんは、ワシの曾爺さんの曾爺さんの曾爺さんの…。」
「んなこたあ、どうでもいい。てめえが立派な血筋を引いてることはわかったから、さっさと俺を布都の御魂のところへと案内してくれっ!」
「いらちなやっちゃなあ。」
「俺には時間がねーんだよっ!夜明け前に戻らなきゃ、大変なことになるんだ。」
「ほお、夜明け前までねえ。まあええわ。とにかく、おまはんを御魂の所へ案内できるかどうか見極めてもろたるわ。」
 八咫烏は乱馬を先導して前を飛んだ。真っ暗闇でも、平気で活動しているのだ。やはりこの鳥は只者ではないのだろう。乱馬は遅れまじと必死でくっついて歩いた。
 道無き道をドンドン遠くへと進んでゆくカラス。乱馬はその後をぴったりとついて先を急いだ。


三、

「さて、着いたで。」

 そういわれるや否や、奴は乱馬の背中をドンっと押した。

「わたっ!」
 急に押されたので、乱馬は踏ん張ることができなかった。
「わあーっ!!」
 バランスを崩して目の前の空間へと放り投げられた。
「そこで見極めて貰いなっ!」
 頭上を飛び回るカラス。
 ドッポンッ!
 次に水飛沫が上がった。
 そう、乱馬は傍にあった泉へ突き落とされたのである。
 ぶすぶすと音がして、水へと身体は沈む。だが、彼は泳げるので、ある程度のところで体勢を立て直した。そして、苦しい息を堪えながらも、水面に向かって上昇始める。

「どわったっ!てめーっ!いきなり、何しやがるーっ!!」
 当然のことながら、乱馬は少女へと変身を遂げていた。呪泉郷の泉の呪いを受けた身だ。水へ落ちれば女へと変化した。
「ありゃま、おめえ、変身できるんけ?さっきまでは男やったのに、女になってしもとるやんけ。こら、おもろいっ!わっはっは。」
 カラスは失礼にも大口を開けて笑い始めた。
「何がおかしいっ!てめーっ!何のつもりでいっ!!」
 拳を水面から振り上げて乱馬は鳥を睨みつけた。

「おお、水が光りよった。」

 カラスは乱馬のことなどお構いなしに言葉を継いだ。
「結果が出るぞ。」
 カラスはさあっと旋回すると、泉の端に降り立った。
「何が結果でいっ!!」
 ずぶ濡れになった身体を引きずりながら、乱馬はようよう水から上へと上がった。身体中から水が滴り落ちる。

「倭姫さま、どないでっしゃろ?この男女は。」
 カラスは傍らに立つ石像に向かって問いかけた。そう、泉の端に、人間より少し小さい、地蔵のような石像が意味ありげに安置されて立っていた。
「こらっ!その男女つーのは何なんでいっ!」
 乱馬はきっと睨みつけた。
「黙ってえっ!じゃかあしいわいっ!男女が気に喰わんのやったら女男かあ?」
「こ、このヤローっ!人をバカにする気かあ。」
 短気で血気はやる乱馬は思わずカラスに突っかかろうとした。

「佐士彦や。この者なら、この先へ通しても大丈夫だろうよ。」

 徐に石像が口を開いた。へっという顔をして乱馬は思わずそちらへと顔を手向ける。福与かな女性をかたどった石像が、乱馬を見てにんまりと笑った。決して気持ちのいい景色ではない。
「この男、早乙女乱馬は、純粋な思いで御魂を求めに来たに過ぎぬ。それに、ほら、御印の宝剣も持っておる。」
 ぎしっと石像は垂らしていた右手を乱馬の腰元へと指差した。
「ほんまや。こいつ、御印の宝剣、「甕布都」を持ってるやんけっ!生意気にっ!」
 いちいち癇に障るカラス野郎だった。
「ふふ、なるほどのう。幽界の鬼どもにさらわれた許婚のあかねを助けるために、布都の御魂が必要なのか。四鬼神。確かに、倒すためには布都の御魂が必要不可欠じゃろうな。」
「四鬼神って、あの幽界の鬼どもけ?それとおまはんが戦うってか?」
 カラスはジロジロと乱馬を見返した。
「悪いかっ!」
 思わず大声が出る。
「悪いというより、ただの命知らずのあほやんけ。それ。」
「何をっ!」
 
「これこれ、佐士彦。人にはそれぞれ事情というものがあるんだから、そういう口の利き方は良くないぞ。」
 石像はカラスを嗜めた。
「そうだぜ。たく、俺だって好きでここまで入って来たわけじゃねーんだっ!それよりおばさん、何で俺の許婚の名前までわかった?事情だって粗方飲み込んでるようだし。」

「こらっ!倭姫さまに何ちゅー口の利き方するんや、このドアホッ!おばさんやのうて、倭姫さまと言わんかいっ!」
 カラスがクチバシでまた乱馬をこついた。

「これこれ、言ってる先から、この子は。なあに、今し方おまえさんが落ちた泉、それは真実の泉と言われておってな、落ちた者の素性や心の内の一切を映し出すんじゃよ。それを見せてもらったまでじゃ。」
 石像は淡々と言葉を継いだ。
「真実の泉?」
 乱馬は目を見張った。
「ああ、そうじゃよ。おまえさまの名前も素性も全て見せて貰った。あかねという少女を助けたいことも、呪泉郷の泉の呪いを受けて、そうやって女に変身してしまったこともな。ほっほっほ。」

「なあるほど。呪泉郷の落泉者かおまはんは。道理で泉の水に浸かって変身しちまったってか。カカカカ。ドジな奴。」
 カラスは笑い転げた。
「くおらっ!てめーにそんな風に言われる筋合いはねーぞっ!」
 乱馬はむっとして言い返す。
「他に目論みや野望もないようじゃし、こやつ、思った以上に純真なようじゃから…。御魂を預けても良かろう。」
 石像はにっこりと微笑んだ。
「佐士彦。御魂の御蔵まで案内しておやり。時間も余り無いみたいだから、特別に補佐もしてやるが良い。」
「ええええーっ!ワシが付き添うんだっか?この女男に。」
 佐士彦は素っ頓狂な声を張り上げた。
「こらっ!その女男つーのは余計だろうがっ!!」
 乱馬が目を剥いたが、奴は無視をした。
「ほほほ、相変らず、歯に衣着せぬ言いようしかしないのじゃな、佐士彦は。良くお聞き。こやつが許婚を助けること、即ち、顕界を救うことにもなるんじゃ。四鬼神は鬼門を開くためにこやつの許婚を人柱に据えたのだからな。」
「ぬぁぬぁぬぁんとっ!人柱やって?人柱ちゅーたら、昔からカワイ子ちゃんがやるって相場は決まっとるもんや。どら、どんくらいこいつの許婚が可愛いか覗いてやるべ。」
 カラスはばさっと羽を広げると、泉の周りを旋回して、水面を覗き込んだ。
「のわーっ!!こ、こ、こ、こいつはーっ!」
 カラスはそう言うなり、再び急降下し乱馬目掛けて足を突き出した。
「てててっ!この野郎っ!何、攻撃してきやがんでーっ!!」
 こうたて続けに攻撃されては乱馬としてもたまらない。

「われっ!なんちゅう可愛い娘を許婚にしとるねんーっ!めっちゃワシの好みやんけーっ!それに、何で守りきられへんかったんじゃ。このど阿呆っ!!」

「だからあっ!布都の御魂を持ってなかったら歯が立たなかったて言ってるだろうがっ!!」
 乱馬は堪らず怒鳴った。
「これこれ、二人とも。いい加減におしっ!とにかく、こやつが人柱を救えなかったら、顕界と幽界の結界は解かれる。そうなれば、世は乱れ、混乱を余儀なくされるじゃろうよ。この神界にも禍は及ぶというものだ。どうじゃ。佐士彦、それでもこやつを助けるのは嫌かえ?」
 石像は重い口を開いた。
「倭姫さまがそこまで言うんやったら、しゃあないな。」
 佐士彦はしぶしぶ承諾の意を告げる。
「お、俺だってこんなカラスの助けなんて欲しいとは思わねーぞっ!!」
 攻撃されて涙目になりながら、乱馬が怒鳴りつける。
「ほっほっほ。若いということは血気盛んなものだねえ。羨ましい。…。」
 それから石像は佐士彦と乱馬を見比べた。
「佐士彦。我らは結界を守る一族の宝剣に宿す、布都の御魂を守るという役目がある。そして同時に、その御魂を宝剣を司る眷属へ導くという役目もあろう。神界、顕界そして幽界。それぞれの秩序と扉は守らなければならぬ。乱馬よ、おまえもあかねを助けたいのなら、佐士彦の助けを素直に受けるが良い。布都の御魂を持って帰らねばならぬのなら、尚更な。」

 乱馬は黙って倭姫の言葉を聴いた。

「しゃあねえなあ。ま、意にそぐわん話やけど、あかねちゃんというカワイ子ちゃんを助けるのと秩序のためや。一肌脱いだろ。」
 カラスはこくんと頷いた。
「ほな、いっちょ、案内したろか。ついて来い。」
 佐士彦はばさっと羽音をたてると、漆黒の空へと舞い上がった。
「御魂の御蔵へ行くのなら、そのままじゃまずかろう。ほらっ!」
 石像はふいっと右手を挙げた。人差し指の先から輝いた光は乱馬の女体を包み込む。
「あっ…。」
 みるみる男の身体へと立ち戻った。
「ありがてえ。やっぱ、男の身体でなくっちゃな、力が湧かねえや。」
 乱馬は右手をくいっと折り曲げて力こぶを作ってみせた。
「乱馬よ、佐士彦に案内してもらいながら行くが良い。おまえの力なら、多分、布都の御魂を捕らえることができるじゃろうて。さてと、私はもう一眠りするとしようかのう。」
 倭姫の石像はそう言うと、ひとつ生欠伸をした。
「早く来いっ!時間がないんやろ?」
 佐士彦は上空から乱馬を見下ろした。
「お、おう。」
 釈然としない気持ちを引きずりながら、乱馬は先に飛ぶ、佐士彦の後を追いかけた。

 夜の帳の降りた山道。それも、人一人がやっと通れるくらいの細い獣道。両側から山の草木が競り伸びてきて、容赦なく乱馬の手足を撫でてゆく。幸い乱馬は父親との修業三昧の日々のおかげで、こういった道の歩き方は慣れていた。擦り傷だらけになりながらも、何とか佐士彦の後を遅れまじとついて歩いた。
「早よ来んかいっ!じれったいやっちゃなあ。」
「うるせーっ!空を飛べるてめえはいいぜっ!何も障害物がねーんだからよっ!こちとら、草木に阻まれてるんでいっ!ちったあ気を使いやがれっ!」
「文句の多いやっちゃなあ。」
「どっちがでいっ!!」
 佐士彦の上方言葉に対して、乱馬は必要以上にきっぷしの良い、江戸っ子の言葉。別に意識して対抗している訳ではないのだろうが、二人とも鼻息が荒かった。
「あいつ…。やっぱただの鳥じゃねえな。こんな暗闇の中、夜目が良く効くんだからな。」
 乱馬は必死で後を追いながらそんなことを考えた。彼の羽ばたく羽先からは、薄らぼんやりと薄蒼い光がこぼれている。それを目印に乱馬は足を進めた。
 やがて、彼は一つ空を描いて旋回し、すうっと羽を収めた。
 乱馬は背よりも高い草原の海を、鞘におさめたままの甕布都で薙ぎ払うと、ふと足を止めた。

「こ、ここは。」
 
 乱馬は大きく目を見開いた。



つづく




ちょこっと解説 その6
 この作品に出てくる人間のオリジナルキャラクターは、だいたい「地名」を基本に命名しています。
 大和、伊吹、飛鳥、そしておミワ婆さん(三輪)。ほのかさんはのどかさんとの語呂で命名しました。
 同人誌「半夏生草紙」ではのどかさんベースの創作をしておりますが、こちらの姓も「春日」と地名連想です。
 オリジナルキャラクターを命名するのはなかなか難しいです。
 佐士彦については次回で!

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