第二話、四鬼神〜闇の復活


一、

 月明かりが眩しい夜半。
 夜の四十万(しじま)に星がきらめく。真夏は過ぎ去ったとはいえ、日中は蒸し暑い。だが、山の夜ともなると、何処となくひんやりとした空気が流れ出す。草むらでは秋の虫たちが、恋の歌をやかましく歌い続ける。
 ざわざわと辺りの森がさざめいた。都会のど真ん中にありながらも、こんもりと盛り上がるように残る鎮守の森。都会化が進んでも、神々の崇りを恐れるのか、手付かずに残された自然の森は点在する。その中の一つにこの月読神社の鎮守の森があった。
 そこに渡る人影が一つ。
「あまり気持ちの良いものじゃないな。」
 そう呟きながらも入ってくる白装束の若者。
 五寸釘だった。
 手には昼間、骨董品屋から買った呪札が握られている。ひらりとしたそれは、全部で七枚。赤い色紙に黒い文字で何か書かれている。勿論、見知らぬ文字なので彼には読めない。だが、おどろおどろした字体からは、どす黒い妖気のようなものが感じられた。
 辺り一面から虫たちの声がうるさいほどに響いてくる。彼の足音に驚いて、止まっては歌いを繰り返す。時々風に揺すられて、頭上の木の葉がざざざと音をたてて揺れた。その上にはいびつな丸い月。もうすぐ満月なので、妖しいほど白く光り輝いている。
「こ、これもあかねさんのためだ。」
 ぶるぶると震えながらも、五寸釘は勇気を振り絞って歩む。
 何度、夜中にここへ通っただろうか。
 あかねのためというのは、勿論、言い換えれば己のためでもある。哀しいかなこの少年は、こうやってここへ足を運んで妖しげな鬼呪術を行うことで、早乙女乱馬とあかねを引き離せると思っていた。早乙女からあかねを引き離すことで、彼女の気持ちが己の方へ向いてくれると頑なに信じていたのだ。
 あまりにも短絡的な考えであるのだが、一途な少年は、それが有効な手立てだと信じ切っている。鬼神の力を借りてでも、早乙女乱馬を倒し、あかねを己が物にしたいと強く願っていた。苔の一念は時としてこうやって暴走するものである。
 彼の目的地はこの神社の森の中ほどにある、人の頭大くらいの石が積みあがる場所だった。

 五寸釘は回想する。
 つい一月ほど前、盂蘭盆会が終わった頃、彼はたまたま一冊の古い冊子を手に入れた。いつものように、行き着けの骨董や「鬼宝堂(きほうどう)」の片隅で見つけた一冊の古びた古書。「鬼呪術法」と行書体で書かれていた。何気なく手に取ったそれは、不思議な呪法が書かれていた。勿論、古文は読めないので、顔なじみになっていた店の婆さんに読んで貰った。
『これは鬼神を呼び起こして神通力を呼び込むための呪術について書かれているようだねえ。』
 婆さんは老眼鏡を手に持ちながら五寸釘のために解説してくれた。
『こ、これ、ください!』
 神通力と聞いて興味が湧いた彼は瞬時にそれを買い取っていた。
 それから呪法を行うようになったのだ。
 婆さんの解説によれば、満願まで八回、秘法の呪術を行わなければならないという。
『これと対になっていた札があったよ、ちょっと待っておいで。』
 と奥から出してくれたのが呪札だった。婆さんは無くすといけないからと、札を毎回求めに来るように促した。
『あんた、ここんところ良いことなかったじゃろう?稀に見る凶角へと今月は入っているようじゃから。毎回ここへ求めに来なさい。』
 いろいろな占いごとにも長けている変な婆さんだったので素直に言葉に従った。とかく、己の周りには奇人変人が多すぎる。夏休みとはいえ、補習はあるし、変な連中につけ込まれるのも嫌だった。
『呪法を行うのは、月読神社にある、孔雀塚が良いようじゃぞ。』
 その折に婆さんが場所まで占ってくれた。
 孔雀塚。
 地元の人間はそう呼ぶ、小さな塚が月読神社の森の中にあった。いつの世から何のために誰が築いたものか。誰かの墓だったのか、それとも何か宝物でも埋めてあるのか。
『孔雀を葬った跡だという話も伝わっておるがの…。ま、昔のことじゃて。』
 
 最初の呪法を済ませて、二回目で使う呪札を鬼宝堂へ求めに行った時だ。
 いつも店番をしていた婆さんの姿はなかった。
『あら、いらっしゃい。あなたが五寸釘君?』 
 出迎えたのは若い女性。彼女によれば、お婆さんは夏の暑さにやられてしまい身体の調子を崩し、病院へ入っていると言う。その間、孫娘である彼女が店番を引き受けることになったのだそうだ。
『大学も九月中頃までは休校だからね。』
 そう言って屈託なく笑った女性。勿論、根から助平の五寸釘は、婆さんよりもこの美しい女子大生の孫娘の朱実(あけみ)の方が、嬉しいと思った。
 彼女がまさか、とんでもないことを企てていて、それに巻き込まれてしまったことなど、純朴な五寸釘には想像だに及ばないことであった。

 五寸釘は孔雀塚へ来ると、風呂敷包に入れて背負ってきた荷物一式を地面へと置いた。
 七回目ともなると手慣れてくる。
 頭には懐中電灯を結えてある。はじめの頃、蝋燭を頭につけていたときは、間違ってその火が髪の毛に燃え移った。夏休みだから良かったものの、髪の毛が生え揃うまでかなり悲惨な髪型をしていたのである。その教訓を生かして、その次からはこうやって懐中電灯を頭に結えて来るのが常となっていた。
 地面へ無造作に広げられた道具は妖しげなものばかりだった。香炉のような入れ物、様々な生き物の干物、黒い蝋燭、化粧水のような瓶に入れられた透明の液体。
 方位磁石をまず取り出すと、彼は方位を定めた。それから古びた本を横に置いて、パラパラとページをめくり出す。それから、見開いたページに書き込まれてある魔法陣を、器用にチョークで地面へ書き始める。それから護摩台のように、香炉を中央へと置いた。そして香炉の蓋を開けると、粉をその中へと親指と人差し指を使ってすり入れた。それからマッチをすいっと擦ると、火をおこし、香炉の蓋をしめる。
 と、甘ったるいような、何とも言えない匂いが辺りに充満してくる。
 それから彼は変な生き物の干物を徐に取り出して、描いた魔法陣の内外へと並び始める。それも、手順があるのだろう。本を透かし見ながら置いてゆく。七回目にもなればだいぶん慣れてはくるものの、毎回少しずつ勝手が違うので、間違わないように神経をすり減らす。
 一通り準備が整うと、彼は手にした本と、今目の前に置いた調度品がぴったりとあっているかどうかをチェックするのである。間違えていれば、途端に直す。一つでも置き間違えれば、呪術は成功しないからだ。彼は彼なりに必死で祈祷場所を作っていたのである。
 準備が完全に整うと、今度は経文を唱え始める。
「サアラマンダ、エンダ、ダットバ、オウロン。」
 夕方家で独習して丸暗記してきた呪文経文と、手足の動きをねんごろに行い始めるのである。
 こうすることによって、だんだんと呪文へと集中し始め、周りのことは全く見えなくなる。トランス状態へと己を導くことによって、術を行うのである。
 五寸釘は必死だった。
 勿論、彼は、己が鬼神たちに利用されているのだという事実は知らない。ただ、己の身勝手の願い事へと意識を集中し始める。
 だんだんと魔法陣が光り始める。こんなことは初めてだった。普段の五寸釘なら、こんな不思議な現象を見れば、「オバケ」だの「妖怪」だの言って大騒ぎになることは必定であったろう。だが、五寸釘は何かにとりつかれたように淡々と呪文を唱えるだけであった。

 彼を妖しげな瞳で見詰める二つの目があった。切れ長の目をきらめかせている黄装束の男。そう、白虎であった。
「ふふ、首尾は上々か。」
 物陰からそっと見守る。
「この孔雀塚は元々、朱雀が封じ込められていた塚だ。彼は知る由もなかったろうな。朱実が朱雀だとは思いもよるまい。最初の呪法で彼女が蘇り、三回目では青龍が、五回目ではこの白虎がその力と共に蘇った。」
 にんまりと彼は笑う。
「そして、七回目、今回の大願は、玄武の復活だ。おまえのおかげで順番にわれらが肉体を取り戻してきた。そして、最後には結界の張られし場所へと我等を解き放つ。玄武さえ復活できれば四鬼神が揃う。そうなれば怖いものはない。鬼門の結界を開き、われらが一族がこの現世に満ち溢れるのも時間の問題だ。くくく…。憎き人間どもを抹殺し、幽界へ閉じ込められた我が一族をこの顕界へ導く。何千年の大願がもうすぐ成就されるのだ。何も知らずに手を貸しているとは、この少年、夢にも思うまいがな。」
 彼はそう嘯くと、たっと木の上へと駆け上がった。

「もうすぐ、玄武の魂が蘇る。待っておれ。まずは、袋小路の一族を血祭りにあげてやる。」
 月が赤みを増したように輝き始める。その、明かりの強さに、満天の星たちは消え行くように夜の闇へと溶け出す。どこかでフクロウがホーホーと鳴き始めた。闇の世界の到来を喜ぶかのように。


二、

「はい、中華ヤキソバお待ちね。」
 トンとテーブルの中央に大盛りのヤキソバが置かれる。
 ここは猫飯店。天道家の面々がずらりと並んで夕食中だ。
「お、サンキューっ!」
「たく、いい気なもんなんだからあ。誰のせいで台所が使えなくなったかわかってんの?」
「親父のせいだろっ!たく、水道管ぶち抜きやがってっ!!」
 鼻息荒く乱馬が箸を掴んだ。
「おぬしが見境なく追いかけてくるからじゃろう?」
「るせーっ!人のぼた餅持って逃げた親父がいけねーんだろうが。」
「やめなさいな、みっともないっ!!」
 あかねの怒声が早乙女親子の会話を分断する。
「私はいいね。乱馬が、私に会いに毎日猫飯店へ来てくれたら、嬉しいね。たくさんサービスするから明日も来るね。」
 シャンプーはニコニコ顔で料理を作っては運び込む。
「毎日外食なんかになったら、こちらはすってんてんになるよ。水道管を修理するのも物入りだっていうのに。」
 早雲が嘆く。
「まあまあ、過ぎ去ったことはいいから、食べましょうね。」
 かすみはにっこりと動じずに微笑む。考えるよりも夕飯。この天道家の長姉は肝も据わっているようだ。彼女の促しによって、天道家一同は箸を割った。
「ときに婿殿。」
「あん?」
 口いっぱいにヤキソバを頬張りながら乱馬はコロンを顧みた。
「このところの地震、変だと思わんか?」
 コロンはじっと乱馬を見た。
「別に。いつものことじゃねーか。定期的にこの辺りは揺れてるぜ。地震の多いのは何も今に始まったことじゃねーし。日本は火山国なんだからよ。」
 ばくばくと食べ物を流し込みながら乱馬は答えた。
「何か気になることでもあるね?曾ばあちゃん。」
 お代わりのヤキソバを並べながらシャンプーが尋ねた。
「あ、いや。夕刻、呪泉郷のガイドから電話があってのう。」
「呪泉郷ガイド?あの下膨れのか?」
「こらっ!何てこと言うのよっ!乱馬はっ!」
 横からあかねが睨む。
「何でも、鬼人に呪泉郷の落泉者リストを盗まれたと言うんでな。」
「鬼人に落泉者リストを盗まれただあ?」
 思わず箸が止まる。
「何でも脅されて命からがら請われるままにリストを出したと言っておった。」
 コロンは次の野菜を中華鍋に入れながら答える。
「何でわざわざ猫飯店に電話なんかかけてきたのかしら?ガイドさん。」
 かすみがのほほんと尋ねた。
「いや、何か変わったころがないかどうかの確かめの電話じゃったようじゃよ。シャンプーとムースはこの通りじゃし、婿殿も良牙も今のところ何もないようじゃしのう。」
「何で良牙くんの名前が出るの?」
 あかねが突っ込んでくる。彼女はまだPちゃんと呼んで可愛がっている子豚の正体が響良牙だということを知らない。彼女の胸の中でプルンとPちゃんが一震いしてコロンを見上げた。余計なことは言うなという目付きだ。
「ま、良いわ。特に変わったことはないと、後で電話しておくよ。さて、お次はエビチリでも作るかのう、ほっほっほ。」
 コロンの言ったことは一同、聞き流していた。平和なこの一家には、禍などというものは無縁のように思えたからだ。

「食った食ったっ…と。」

 空の大皿が目の前に積みあがって満腹になったところで、乱馬はお腹をさすった。育ち盛りの真っ只中。その食欲たるや、見ていて気持ちが良いほどである。
「たく、何も考えないで大喰らいするんだからあ。」
「とほほ…。今月は他で切り詰めておくれよね。かすみぃ。」
 早雲が溜息を吐く。
「なるようになるわよ、お父さん。」
 かすみはあくまでも明るい。家計に余程手腕があるのか、それとも本当に何も考えていないのか。彼女の胴の入り方は、天道家一番かもしれない。ある意味、武道を嗜む父親の早雲や末娘、あかねよりも肝が据わっている。
「大サービスしておくね。だから、明日も是非来るよろし。乱馬の分はただね。他のみんなの分もサービス料金にしておくね。」
 独りご機嫌なのはシャンプー。それを聞いてむっとするあかね。
「明日は来ないわよ。水道屋さんが入ってくれるって言ってたわ。」
 ツンケンと言葉を返す。シャンプーと睨み合いになった。この二人、乱馬を巡って静なる対立を繰り返している。両者一歩譲らないという感じだ。
 その合間を、無類の鈍感無神経男は暖簾を潜り抜ける。
「ごっそさんっ!またなっ!」
 とあっさりしたものである。この男には乙女心など何処吹く風なのであろう。彼に続いて天道家の面々が猫飯店を出る。
 頭上に輝く月が微かに赤らんで見えた。中秋の名月と言われる十五夜は目前だ。そのせいもあるのだろう。いつもよりも月が太って美しく輝いているように見える。いや、むしろ妖艶な輝きであった。
 前を行くあかねは不機嫌そのものだった。
 シャンプーがこれ見よがしに乱馬にベタベタするのを食事中ずっと見せ付けられて胸糞が悪かった。Pちゃんを抱いたまますいすいと先を歩く。
「何怒ってるんだよっ!」
 乱馬が後ろから声を掛けてくる。だが、それも無視したまま無言で歩き続ける。
「何だってんだよっ!」
 この鈍感男には乙女心を理解せよと言う方が、所詮無理難題なのかもしれない。

 あかねはふと足を止めた。
「月があんなに大きく輝いてる。」
 曲がり角で目に入った頭上の月。妖しげに光り輝いているのが、目に入って来たのだ。
 

 と、その時だった。
 一陣の風がごおおっと渡っていった。生温かい陰気な風だ。
 湿った空気がツンと鼻を突いたように思った。
 ざわざわと木が枝葉を揺らして夜空にざわついた。
 嫌な風だと思った瞬間、今度は這うような地鳴り。

「じ、地震っ?」

 ぐらぐらとまた足元がぐらついた。
 昼間よりも大きい。
 そう直感した乱馬はふっと本能的にあかねを庇っていた。
 次の瞬間、地面がごおっと音を立てたような気がする。目の前の電柱も一緒に揺れている。
 乱馬は夢中であかねを抱かかえていた。どんな落下物があっても、大丈夫なようにあかねを腕にしっかりと抱え込んで、身構える。彼に備わった本能が、愛する者をいの一番に守ろうと思ったに違いない。あかねの胸元でPちゃんがぶぶぶと苦しそうに声を出したことなどお構いなしだ。
 昼間のことがあったから余計に彼女を守ろうと過剰に身体が反応したのだろうか。いや、本当は、地の揺れと共に何か陰惨な気を嗅ぎ取っていた。

(何だ?この荒んだ感じは・・・。)

 あかねを庇いながら感覚を研ぎ澄ます。
 だが、そいつは乱馬のことなど目もくれずに行ってしまった。そう、その妖の気が通り過ぎると共に、地の揺れが鳴り止んだ。
 たった、数秒のことだったろう。だが、長い時間に感じられた。

「もお、いつまであかねのこと大事そうに抱え込んでるのよ。」

 背後でなびきの声がした。
 はっとして我に返ると、あかねの真っ赤に熟れた顔が目の前に見えた。
「わ、ご、ごめんっ!!」
 慌てて身体を手放した。
「いよーっ!おあついねっ!」
「お二人さんっ!!」
 上機嫌で覗き込むそれぞれの父親たち。
「んなんじゃねーやっ!!」
 照れ隠しに怒鳴り散らす乱馬。彼を睨みつける子豚は、あかねの腕の中で興奮気味だ。
「もおっ!何のつもりなのよーっ!乱馬のバカあっ!!」
「いってーっ!ひっぱたくなよっ!!守ってやったんだろうがっ!!」
「あんたなんかに守ってもらわなくってもいいわよーっ!!」
 ぶいぶいぶいと頷く子豚。
「畜生っ!ほんっとにおめーは、かわいくねーなっ!!」
 あかねは思い切り乱馬の頬をぶっ叩く。この二人、ギャラリーがからかえばからかうほどに、ソッポを向く傾向があるのだ。
 夜空に響く痴話喧嘩。また始まったかと云わんばかりに、天道家の人々はとっとと先に歩き出す。いつもと変わらない平和な風景。
 だが、彼らは知らなかった。この後、まさに彼らに襲いかかろうとしている禍を。

 ただ、乱馬ひとりは、何か釈然としないものを感じていた。彼の闘争本能が何かを警告しているかのように。黙って過ぎ去った禍つ気を心で追いかけていた。


三、

 さて、時を同じくして、乱馬と同じように妖の気を感じ取っていたものたちが居た。
 
「大爺さま、何がそんなに気になるのですか?」
 一人の少年が前を行く白髪の爺さんに向かって語りかけた。
「大和よ、おまえ、このところの地震、気にならぬか?」
「地震ですか?」
「あまり大きな揺れではないが、広範囲すぎる。そうは思わぬかな?」
「そう言われてみれば…。」
 そうなのだ。余程大きな地震でない限り、日本列島を包み込むほど広範囲に地震が揺れることはまずもってない。だが、このところ揺れる地震は、震度こそ低いが、めくるめく広範囲に渡って揺れ動いているのである。
「それに、この澱(よど)んだ空気。何やら嫌な予感がするんでな。確かめに行こうと思ったのじゃよ。」
 爺さんは小難しい顔をして夜道を急いだ。道とは言えないほどの獣道。それも深夜だ。普通の人間なら、そんな道を走るなどということは無謀に近いだろう。だが、この二人は、すいすいと駆けて行く。
 ここは京都の北山と呼ばれる一体。鞍馬山から北へ続く、杉の植林地だ。真っ直ぐに伸びる木は見事に整っていて、昼間なら辺りの景観も美しいものだろう。しかし、今は夜中。
「大爺さま、何を確かめにこんな山奥へ。」
 まだ余裕があるのだろうか。少年が語りかけた。
「おぬしも知っての通り、我が袋小路家は代々御所さまに仕えて来た武道の家柄。おぬしから十六代前に格闘剣道の一流派を確立する前から、連綿と続く武勇の家だった。」
「ええ、それは承知しています。」
「はるか昔は、都の護衛を任された家柄だった。今から数百年前、京一体を妖たちが闊歩していた。都は荒れ果て、疫病が流行り、都大路に死体が溢れた時期があった。我が祖先は、それが妖(あやかし)の仕業だと気付かれたのじゃ。」
「妖ですか?」
「ああ、鬼の一族と言われておる。知ってのとおり、様々な語り物語の中に、鬼たちとの戦いは伝えられておる。その中に奴等と渡りあったという記録が我が一族に残っておるのじゃよ。」
「そんなこと初めて聞きますが。」
「そうじゃろうな、初めておまえに話すのじゃから。」
 
 少年の名は袋小路大和。そして前を行くのは彼の曽祖父、袋小路伊吹。
 袋小路家は由緒正しき格闘剣道の流派を継ぐ家柄。古くは宮中に仕えながら天子を守ってきた剣術の家柄だった。伊吹はその十五代目。そして大和はその十八代目当主となる少年だった。
 また、乱馬の母のどかと大和の母ほのかは異母姉妹。大和は乱馬の従兄にあたる。血の因果がそうさせたのか、大和と乱馬はごく似通った顔立ちをしていた。

 先を急ぎながら伊吹はことの経緯(いきさつ)を大和へと話し始めた。
「まだ、我々の一族が格闘剣道の流派を立てる前のことじゃ。四百年程前の戦国時代後半あたり、戦乱で都が乱れていた頃のこと、鬼の一族がその混乱期に乗じて、幽界からやって来たそうじゃ。彼らの目的は結界を開いて人の世を手中に収めること。」
「結界・・・ですか?」
「ああ、有史以前に伊耶那岐の命は伊耶那美の命と決別されたときにできた、幽界と顕界を区切る結界じゃ。奴らはそれを犯して顕界へ乗り込もうとしたそうじゃ。じゃが、我が祖先が天子さまの勅命を受け、それを阻止したと言われておる。」
「なるほど。」
「四百年前、鬼の世界から結界を通り越してやってきたのは四鬼神。」
「四鬼神ですか。」
「青龍、朱雀、白虎、そして玄武。この四鬼神じゃ。奴らは妖術を巧みにこなし、人間の力を取り入れる妖術を習得し、鬼門の結界を自力で乗り越えてきたというのじゃ。大方、戦乱で乱れた世の中が、彼らの邪気を現世まで呼び込むだけの力を持たせてしまったのじゃろうな。戦乱が続くと悪鬼が暗躍するという。そして、奴らは結界で頑なに閉じてある、鬼門をこちら側から開こうと試みたらしい。」
「鬼門…。」
「艮(うしとら)の方向にある、大門じゃよ。幽界と顕界を仕切る門じゃ。それが鬼門じゃ。いつの世からか、幽界と顕界の結界に据えられた大きな門だと言われておる。戦乱の御世、四鬼神の奴等はその門の結界が僅かに緩んだ隙に乗じて、鬼門を通り抜け、こちらの世界へ罷り来た。そして、奴等、巫女を人柱にして、鬼呪術を行い、頑強な結界を開こうとした。じゃが、我が祖先は布都の御魂の宝剣を使ってそれを阻止したのじゃよ。」
「布都の御魂。あの伝説の宝剣ですか。」
「そうじゃ。記紀神話にも記された物部氏が管掌していた石上神宮(いそのかみじんぐう)の祭神「布都の御魂」じゃ。」
「で、これからこの夜中に何を確かめに山の中へ?鬼門への手がかりか何かがあるんですか?」
「玄武塚の様子を見に行くんじゃよ。」
「玄武塚?」
「ああ、四鬼神の中でも玄武という鬼は狡猾かつ獰猛で一番禍(まが)つ力が強かった。その彼を封印したのが玄武塚じゃ。この山の中腹あたりにある。」
 爺さんは一向に疲れた素振りも見せないで走り続けた。息も切らしてはいない。
「玄武を封印した塚ですか。」
「そうじゃ。そこがどうなっておるか。気になってな。」
 伊吹は難しい顔をしながら走り続けた。
(大爺さまがこんなにも気になさっているんだ。最近の地震や気に乱れがあることと関係があるのかもしれない…。)
 大和は伊吹の後を遅れないように駆けながら考えた。
 何故今のこの時期に鬼神のことが浮かんだのか。伊吹の武道家としての勘が何か警鐘を鳴らしたのだろうか。いずれにしても、一筋縄では行くまいと予感が過ぎった。嫌な予感だった。
 そう、彼もまた、この前から陰湿な気を感じていたのである。もし、伊吹の懸念が現実の物になっていたら。
 闇の中を急ぎながら、薄ら寒いものを肌に感じていた。

「着いたぞ。あそこじゃ。」
 伊吹はやおら足を止めた。
 指差す方向に、何やら注連縄が張り巡らされた場所があった。古い井戸のように、四方から木が立てられ、縄が掛けられている。そしてその中央に五輪の塔のような石が積み上げられているのが見えた。苔生した石の表面は、何かおどろおどろしいものを感じさせる。
 何か居る。棲んでいる。そんな雰囲気だ。
 人など殆ど渡って来ないのだろう。じめっとした空気が鼻をついた。
「この下に奴を、玄武を封じたと先祖は伝えてきた。時々、ワシも何か変わったことはないか、京に帰る度に調べに来たが…。」
 伊吹は暗がりから気配を伺うようにその石をじっと見詰めた。慎重に注連縄に異常がないかどうか見渡す。かなり神経質になっているように大和には見えた。
「大爺さま。どうです?何か変わったことでも。」
「いや、今見た限りでは変わったところはないのう。」
 腕組みしながら伊吹は大和を振り返る。
 夜の闇の中に溶け込みそうなその塚。辺りはいやにシンと静まり返っている。虫の声すら渡って来ない静けさ。不自然だった。
 ざわざわと木立が風に揺られて騒ぎ始める。
「何っ?」
 先に気配に気がついたのは伊吹だった。
「どうしました?大爺さま。」 
 大和が切り返した時だ。ごおおっと微かな地鳴りが耳に届いた。
「なっ?地震?」
 瞬時も置かず、地面がゆさゆさと揺れ始めた。ざわざわと木々がさっきよりも激しくざわめいた。
 思わず大和は傍にあった玄武の塚石に手を触れた。
「なっ?」
 ぞくっと身の毛が弥立つような戦慄を覚えた。石塚が一瞬、にやりと笑ったような気がしたのだ。
 と、身体の中を激しい何かが駆け抜けたような感じがした。思わず伊吹に声をかけようと身を捩ったが、激しい地揺れにそれを阻まれた。とにかく足元を立っているのがやっとのような揺れだった。
 とその時だった。
 激しい閃光が彼らの上を襲い掛かってきた。

「何だっ?」

 本能的に身構える、伊吹と大和。

「ふんっ!先客が居たか。」

 光が弾けると共に、人影が見えた。
「誰だっ!」
 きっと声のほうを振り返る。と、一人の女性が、腕組みしながらこちらを見ていた。
 大和はごくんと唾を飲み込んだ。
「こ、こいつ、人間じゃない。」
 良く見ると額に角が生えている。
「まさか、貴様、四鬼神の一人かっ!!」
 伊吹が言葉を投げつけると、女性はにんまりと微笑み返した。
「だったらどうする?」
 楽しそうに二人を見比べてほくそえんだ。

「懸念が現実になったか。」
 伊吹はそう言うと、持っていた木刀を構えた。

「ふふふ。そなたたち、私と戦うというのか?」
 女は不敵な笑みと共にそう言葉を吐き出した。

 ざわざわと山鳴りが激しく唸り始めた。

 ここに闘いが幕をあけようとしていた。



つづく




ちょこっと解説 その2
布都御魂・・・ふつのみたま
 古事記からの引用です。剣のことです。大和朝廷の武器庫でもあった石神神宮の祭神としてあがめられました。のちに「布留の御魂」とも呼ばれます。(詳細の意味から言えば、布都と布留では意味が違うと言う説もあるのですが・・・)
 雷神の建御雷之男神(たけみかづちのを)の別名でもある建布都神(たけふつ)とも繋がりがあります。このあたり今後の創作にどうかかわってくるかは先のお楽しみに。
 また、布都とは剣で切る「ふつっ!」という擬音語が元になったと言われております。
 ちなみに題名の幽顕(ゆうけん・ゆふけん)も古事記からの引用です。古事記の序文に出てくる表現です。
 幽は伊耶那美が司る黄泉の国。それに対して顕は伊耶那岐が司る現(うつし)の国を表します。


(c)Copyright 2000-2005 Ichinose Keiko All rights reserved.
全ての画像、文献の無断転出転載は禁止いたします。