第八話 物忌み


 上段に身構えた乱馬から、切っ先が振り下ろされた。

「はっ!」
 
 あかねは思いっきり後ろへと飛んだ。

 ビュッと空を切る音がして、彼の剣が前につんのめった。バシッと続けて音がして、あかねの立っていた場所の地面に剣が突き刺さる。

(す、凄い切れ味。当っただけで、すっぱりと切られるわ・・・。)
 あかねは飛びながらごくんと生唾を飲み込んだ。
 今の乱馬は魂を抜かれたように、奴らの言いなりになって動いている。あかねが何を言っても耳に入らない様子だ。理性の欠片も残っていないのだろう。
 あかねを逃がしたとわかるや否や、再びその切っ先を向けなおす。そして間合いを取ることなく、再び切り付けてくる。

「やっ!」

 あかねも切られまいと逃げる。少しでも切っ先にかかれば終わりだ。
 彼女も必死だ。このまま黙ってやられる気はなかった。
 乱馬の刃を避けながら、中央へ立つ柱の方へと逃げた。乱馬との間合いを取りながら、柱の周りを逃げ惑う。乱馬はおかまいなしに、柱を切り付けてくる。
 そのたびに、パキンと乾いた音がして、柱から伸びている人体に傷が入り込む。

「な、何っ?」

 あかねは傍にあった少年の肉体が一瞬、苦しんで揺らめいたように見えた。
 そう、乱馬の剣先に傷つけられた少年の身体から、何かが弾け出たように見えたのだ。

「こ、これは・・・。」

 白い美しい欠片だった。あかねはそれを拾うと、再び己に下ろされる刃を避けた。
 乱馬の攻撃は止む気配がなかった。ハアハアとあかねの息が上がり始める。

「どこまで、そなたの体力が持つかのう・・・。相手は肉体を持たぬ魂ゆえに疲れは知らぬぞ。」
 上から見物を決め込んでいる妖魔たちが笑いかける。

(魂・・・。そうか、これってもしかしたら、ここへ封じ込まれた少年たちの魂なのかもしれない・・・。)
 再び柱周りを走りながらあかねは手にしたそれを握り締めた。掌にすっぽりと入ってしまうくらいのその玉は、冷たい。永遠の美しさと共に、儚さを秘めている。
 乱馬の振り翳した刃のせいで、コロコロと床を転げ出す白い玉。その一つを取ってあかねは乱馬に投げつけた。
「うう・・・。」
 一瞬、彼が呻き声を上げたような気がした。白い玉は弾けて消えた。
(これは使えるかもしれないわ。)
 あかねは転がった玉を拾うと、乱馬目掛けて投げつけた。そのたびに彼は大きく震えるように立ち尽くす。玉は投げられると、ふつっと消えてなくなる。
 それだけではない。中央に聳える御柱の少年が一人、また一人、玉が弾けるごとに消えてゆくではないか。玉が壊れると、その持ち主の身体が消えるのだろう。

「己っ!小娘めっ!我らが大切な御柱の美少年たちを・・・。」
 上から木芽が怒鳴り始めた。

「何勝手なこと言ってるのよっ!あんたたちが彼らを閉じ込めただけでしょ?それに、乱馬をたきつけているのだって、あんたたちじゃないのっ!」
 あかねは見上げて怒鳴った。

「その生意気な口を利けぬようにしてやるわっ!」
 木芽はそう言うや否や、だっと手を翳した。

「え・・・?」
 にゅっと伸びてきたのは、御柱の中に捉えられた少年の手。まるで生きているようにあかねの腕にまとわり付いた。それも一体だけではない。柱の袂に居たあかねの動きを封じるように、冷たい手が右手、左手そして右足、左足へと伸びる。少年たちの手はぞっとするほどに冷たい。血が通っていないことを感じさせる。
 あっという間に動きを封じられてしまった。
「ふふ・・・。もう動けまい。一気に片をつけてやれ。」

 目の前に乱馬がすっと立った。生気の無い目はあかねを捉える。
「乱馬・・・。」

 あかねはその目を見返した。その瞳の中に映る己。
 乱馬はゆっくりと剣を構える。

「そやつの何処からでもいい。切り刻んでやれ。そして自らその血肉を喰らうが良い。さすれば、そなたは永遠にその美しさを保てる。」

「そんなの嘘よっ!ここに居る少年たちは、永遠の美しさなんて望んでなかった。それに、永遠なんてものは、この世の中には無いわっ!!極上の魂は、限られた時間があるからこそ、輝いて美しいのよっ!」
 あかねはきっと睨みながら吐き出した。

「黙れっ!人間の分際で、わらわたちに指南する気かえ?さあ、やれっ!その剣でこやつの心の蔵を一突きにしておやり。」
「さあ、早く!おやりなさいなっ!」
「永遠の美しさを手に入れたいのでしょう?」

 ひょおおおっと風が吹き荒んできた。
「乱馬・・・。」
 あかねはじっと乱馬を見詰め返した。脳裏に女乱馬の声が響く。


『ああ、まだ俺は、こちらの世界で何も成し遂げちゃいねえ。それに・・・。おめえにちゃんと言わなくちゃならねーこともある。このままじゃ終われねーんだ。』
「ちゃんと言わなくちゃならないこと?」
『ああ、戻れたら言ってやる。』


 そう言って寂しげに笑った顔が浮かび上がる。

「乱馬・・・。あたしだってこのままじゃ終われないっ!あなたの言葉を聞きたいものっ!」
 そう吐き出すと、丹田に力をこめ始めた。

「無駄な足掻きを・・・。」
 勝ち誇ったように戦慄く妖魔。
「さあ、やってしまえ。その少女を血祭りに・・・。」

 乱馬ははっと目を見開くと、持っていた剣をおなかの前で真っ直ぐに構えた。それから勢い込んで走り出す。
「乱馬ーっ!!」
 あかねの絶唱が響いたときだ。
 何かが彼女の前に飛び出してきた。
「な、何っ?」
 妖魔たちはそいつを見て驚きの声を上げたようだ。

「乱馬・・・。」

 あかねの前に飛び出してきたのは、女乱馬だった。
「バカやろうっ!てめー、己が愛した許婚も忘れちまったのかようっ!!」
 女乱馬はそう吐き出すと、男乱馬が差し出した剣へとがっと掴みかかった。二人の乱馬の手から鮮血が滴り落ちる。

「お、おまえ・・・。何故ここへ現れた。」
「もう闇へと飲み込まれてしまったのではなかったのか?」
「そうだ、何故、力を得た・・・。」

「へっ!おあいにく様だったな。確かに俺は一度虚空へと消えかけたが、こいつらの魂のおかげで力を取り戻せたんでいっ!」

 女乱馬は後ろの柱を振り返った。
 ざわざわと御柱にどよめきが起こる。

「そうか・・・。少年たちの魂の玉が弾けて、おまえに力を与えたというのか。」
 木芽は忌々しそうに吐き出した。
「そうだ・・・。俺にはわかる。ここに眠っている奴らの本当の想いが伝わってくるんだ。てめえらを倒してくれってなっ!」
 女乱馬はそう言うと、がっと力を込めた。
「でやーっ!!」
 男乱馬が差し出した剣を逆手に持ち、気合を入れた。と、みるみるその闘気は男乱馬の身体を後ろへと吹き飛ばしてしまった。
 どおっと倒れこみ尻餅をつく、男乱馬。女乱馬は彼からもぎ取った刀をつがえていた。


 乱馬に何が起こったのか、あかねにはわかりかねた。だが、ひとまず危機は脱することができたようだ。
「あかねっ!大丈夫か?たく、無茶ばっかりしやがって・・・。」
 女乱馬はにっと笑って見せた。
「あんただって・・・。その手。」
 血がべっとりとついた手を見てあかねが呟く。
「こんくらい、大丈夫だよっ!俺は実体じゃねえから痛みは感じねえ。それより、闘えるか?」
 乱馬はあかねを振り返った。
「誰に向かって言ってるのよっ!」
 あかねはそう言って笑った。
「よっしゃ。そのくらい元気なら闘えるな。」
 にっと女乱馬は笑い返した。

「うぬぬ・・・。おまえたち、私たちに敵うとでも思っているの?」
「愚かな・・・。」
「身の程知らずめっ!」

 妖魔たちは忌々しげにあかねたちを見下ろした。

「へっ!俺にはわかってんだ。てめえらが力を失ってるってな・・・。」
 女乱馬はにやっと笑った。
「力を失うって・・・。まさか、日没。」
 あかねが女乱馬を振り返るとにんまりと笑った。そして続けた。
「それが証拠に、おめえたち、そこから動けまい?」
「何をっ!」
「図星だろ?力を失っているからこそ、その木の上にへばりついて見ているだけなんだろ?」
「おまえいつのまにそのことを・・・。」
 木芽が目をギラギラさせながら吐き出した。
「最初っからわかってたさ。だから、あかねの始末を、そこの俺にさせようとしたんだ、そうだろ?」
「だったらどうした?もうすぐ太陽が山端へ完全に隠れる。さすれば、再び我らは闇の力を取り戻す。おまえは再び彼の身体へと吸収されるのだ。」
「そうはさせねえ。その前にてめえたちをぶっ倒すっ!」
「ふん、実体のないおまえがどうやって我らに留めを刺すというのだ?拳だってワシらには入らぬぞ。」
 木芽が憎々しげに言い放つ。

 と、ごおおおおっと柱の奥のほうから微かな音が響き始めた。

「ほうら、もうすぐ、我らの「物忌みの時」が明ける。」

「あかね、俺につかまれ。」
 女乱馬はあかねに言った。
「つかまれったって、あんた、実体じゃないから身体、すり抜けるじゃない。」
「バカ、刀を持てって言ってんだよ。」
「刀・・・。」
「早くっ!」
 促されるままに、女乱馬の握っている上から、柄を握った。
「え・・・?」
 ふうっと乱馬の意識が同化しはじめたような気がした。
「あかね、いいか。この刀をあそこへ突き立てるんだ。」
 女乱馬は御柱の少し上のほうを見上げて言った。
 御柱の少しその上辺りが微かに光っているのをあかねは確かめた。
「あそこを狙う。いいか。俺はおまえと同化して力を出す。あいつらを倒すんだ。この世界を崩壊させる。」

「そうはさせない・・・。乱馬よ、そやつらを阻止するのだ。」

 木芽は傍に倒れこんでいる男の乱馬に命令した。
 すうっとその声に導かれるように立ち上がる男乱馬。
 がばっと両手を広げて、彼らが狙い定める場所の前に立ちはだかった。

「ふふ・・・。その男が居れば、狙えまい。そうさ、その男の身体を踏み越えなければ、目的地には達せられまいよ。その男が倒れれば同じ身体から派生しているおまえも無事ではいられまいからな。」

 木芽の声にあかねは女乱馬の方を振り返った。
「確かに、そうかもしれねえ・・・。だが、生憎、俺は死ぬことは怖くねえ。そこに腑抜けて立っている男の俺だって本当の想いは同じだからな。愛する者をみすみす滅ぼすわけにはいかねえんだっ!」
「乱馬・・・。」
 あかねが心配げに見上げた。
「あかね。案ずるな。俺のことよりも、今はこの世界の崩壊を促すのが先だ。」
 女乱馬は真っ直ぐに前を向いたまま答えた。
「この世界を崩壊させなければ、また、何人もの少年たちが生と死の狭間で彷徨うことになる。だから・・・。」
 言っている先に、柱から伝わる轟音が激しさを増してきた。
「躊躇ってる暇はねえ。柱の躍動が始まる前に、あかね・・・。」
 こくんと頷く小さな頭。
「わかったわ。乱馬。あなたの力のありったけをあたしに同調させて。」
「よっし、行くぜっ!あかね。」

 女乱馬は静かに目を閉じた。そしてあかねに重ねた手へと意識を集中し始める。
「乱馬・・・。」
 あかねは彼から伝わる波動を、身体の中にぐんぐんと取り入れていった。不思議なほど清涼な力が貯えられてゆく。
「行けっ!あかね。」
 彼の気に背中を押された。

「でやーっ!!」

 あかねは剣を持ち返すと、一気に身柱の中央目掛けて飛び出していった。
 彼女の切っ先は、正面に立ち塞がった乱馬の身体を目掛けて突き進んでゆく。立ちはだかった彼を貫いて、剣は御柱へと突き刺さった。無我夢中だった。後先を考えずに、傍らで支えてくれる乱馬を信じて突っ込んで行ったのだ。

「ギャーッ!!」
 木芽が叫び声を上げた。それから、そのすぐ傍にうずくまっていた雪消と小草の身体が一気に弾け飛んだ。
「おのれーっ!力さえ戻れば・・・こんな小娘どもの力に薙ぎ倒されることなどなかったものを・・・。」
 木芽は悔しそうに顔を歪めた。
 と、御柱がそれに呼応するようにうおおんと一声戦慄いた。その周りを埋め尽くしていた少年たちが、一瞬白んだ光を発した。

 バチンッ、バチンッ、バチンッ・・・

 乾いた音がそこいら中から聞こえ始める。そう。御柱に飲み込まれていた少年たちの身体が一斉に弾き飛ぶ音であった。彼らは消える間際に、魂を空へとはじき出す。まるで、シャボン玉が群集して飛び立つように、辺り一面、白く美しく光り輝く、玉が飛び出してくる。そして、それらは一つ一つゆっくりと空を舞い、そして、泡だまのように、空気へと同化していく。

「やったな・・・。あかね。」

 重なっていた乱馬の手はだんだんとその影を薄くしていった。

「乱馬?」

 はっとして乱馬を覗き込む。

「あかね・・・。この世界の崩壊はもうすぐだ。この柱を辿っておまえは地上へ戻れ。」
 乱馬はきびっとあかねに言い放った。
「乱馬・・・あんたはどうするのよ・・・。」
「俺は・・・。」
 ぎゅっと掌を握り締めると、乱馬は軽く微笑んだ。
「俺は、再び、そこに倒れている男の俺と同化する。あかね、お別れだ。」
「何言ってるの?ちょっと待ってよ。駄目っ!乱馬・・・。」

 あかねは必死で女乱馬に追い縋った。

 ゴゴゴと地面を揺るがすような地鳴りが響き始めている。

「あばよ、あかね。・・・。おまえに出会えて良かった。」

「乱馬ーっ!!」


 あかねの絶唱がドームへと響き渡った。そして、その声と共に、女と男、二人の乱馬の姿は見えなくなっていった。



つづく




一之瀬的戯言
 かなり突っ込んだ描写の連続で失礼してます・・・。
 自分で自分に突っ込みつつ・・・あんまり想像膨らませて読まないでくださいませ。書きながら自分でも多少気分が(以下略


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