第七話 魂夢


 水底は平らな場所だった。何の衝撃も無く、そこへ降り立った。
 真っ暗な闇の世界が辺りを支配する。良く見ると、ごつごつした岩肌が剥き出しになっている。赤黒いその色は、おどろおどろしい世界を演出している。
 辺りを見回すと、薄らぼんやりと、視線の先に光が見えた。あかねはその光に誘われるようにゆっくりと歩き始める。
 ごつごつとした岩の感触に、あかねは得も言われぬ嫌な気配を感じながらも、用心深く進んで行った。だんだんと漏れてくる光が輝き始める。岩肌はその光との境目で途切れていた。
 丁度、ドームのように広くなった場所が光ととにも開けていた。天井は高く、吹き抜けになっているかのようだ。中央に聳えるように立つ茶色い柱。それが光を発しているようだった。

「何よ、これ・・・。」

 その柱のドームの中に入って、あかねは我が目を疑った。茶色っぽく見えた柱には、びっしりと男の身体が張り付くように抜き出ていたからだ。
 男たちの多くは、自分と同じ年頃の少年のようで、半開きになった目にはまだどこかにあどけなさが残る。どの顔も美しく、まるで何かに魅入られるように恍惚な表情を浮かべて、軽く目を見開いている。その瞳は、今にもまばたきしそうなくらい、輝いている。だが、どの身体からも生気はまるで感じられなかった。
 上を向いているものもあれば、下を向いているものもある。表情や身体の位置は、それぞればらばらであったが、どの少年たちも裸体であった。また、腰から下は、深く刺さるように柱へと埋め込まれていた。何十、いや何百もあろうかという、少年の裸半身像。
 
「気持ち悪い・・・。」
 思わずその異様な光景にあかねは立ち止まり、息を飲んだ。

「そんなことはない。選りすぐられた美しい少年たちばかりだよ・・・。」
 あかねの頭上で声がした。
「誰っ?」
 あかねは思わず身構えた。
「わらわは木芽(このめ)。ここの主じゃ。そなたこそ、誰じゃ?」
 天井から光がさあっと降りてきた。
 そして、あかねの目の前で止まると、ふわりと女性の姿になった。天女のような絹衣を身にまとい、乙姫のような髪型をした美しい女性だった。
「さっきから、上が騒がしいと思うたら、こんな少女が迷うてきたか・・・。女には用はない!たとえ美しくてもな。」
 そいつは厳しい目をあかねに向けた。
「あなたに用がなくても、こっちにはあるわ。乱馬を返して貰いに来たのっ!あなたでしょ?彼をここへ誘い込んだのは。」
 あかねは激しい気概を込めて、女性へと言葉を返した。
「乱馬?あの、格闘の少年のことか・・・。」
 女性の口元がにやりと笑った。
「返せぬ!」
 あかねを睨みながら答えた。
「力尽くでも連れて帰るわっ!!」 
 あかねは言葉を投げつけた。

「木芽お姉さま、どうされましたの?」

 もう一つの光があかねの周りに降りてきた。
「雪消(ゆきえ)か、この、少女が乱馬を返せと。」
「まあ・・・。ずうずうしい。」

「とにかく、乱馬は返してもらいますっ!!」

「へえ・・・。力尽くでも取り戻したいという意気込みね。人間の分際で。」
 ぼそぼそとあとで現れた女性は、姉と言った木芽の耳元へと何かを囁いた。
「なるほど・・・。そなたの元へ、乱馬の分身が助けを求めに出向いていたという訳か・・・。そなた、乱馬の何だ?恋人かえ?」
 高慢的な木芽の声にあかねはきびっと答え返した。
「乱馬、乱馬って気安く呼び捨てないでっ!乱馬はあたしの許婚よっ!」
 木芽の目がそれを聴くと無気味に見開いた。

「ふふ。そなたのような無骨な小娘が、あの極上の少年の許婚だとな?」

「し、失礼ねっ!」
 こいつらはもしかして、いつも相手している、シャンプーや小太刀よりもずうずうしい奴かもしれないと思った。己が無骨、粗暴なのは百も承知だ。だが、こう面と向かってのうのうと言われると、心底不快なものである。

「雪消、小草(おぐさ)を呼んで参れ。ふふ・・・。面白い余興を思いついたわ。」
 木芽の声に、ごおっと風が柱の周りをうねり始める。禍々しい風だ。
「小娘よ、くくっ、あそこに居るのが誰かわかるかえ?」
 吹き抜けの柱の向こう側に、身体を横たえた少年が見えた。
「ら、乱馬っ!」
 あかねの目が見開いた。だっとそちらへと駆け出そうとしたが、前へ立ち憚る影が一つ。木芽だった。
「おっと、これ以上は近づけさせぬわ・・・。」
 くくくと笑い出す。
「大体あんたたち、何なのよっ!勝手に乱馬をこんなところへ連れて来てっ!!」
 この気の強い少女は、怯むというような素振りは見せなかった。物怖じせずに、木芽を睨みつける。
「ほほ、活きの良い小娘だこと。そもそもあの少年は我らによって選ばれし者。これから、永遠の輝きを与えられるのだえ・・・。」
 木芽は笑いながら答えた。
「永遠の輝きですって?」
「そうだ。見よ。あの御柱を。内外の素晴らしい美少年たちばかりで輝いておろう。彼らのような美少年をここへ招いて、永遠の輝きと快楽を与えてやるのが、我らの愉しみ。」
 あかねはごくんと唾を飲み込んだ。
「ひょっとして、乱馬をあの中に引き入れようっていうの?」
「ほほほ・・・。あの少年は極上の輝きに満ちておる。そなたも許婚が永遠の御柱への供物に選ばれたのだ。誇れる話であろうが。」

「じ、冗談じゃないわ!」
 あかねは吐き出した。
「何はばかることあろう?あの御柱に身体を埋めるときは、永遠の美と快楽が与えられるのだえ。腰を深く埋め、恍惚の目を見開きながら、永遠にこの常磐の砦と共に朽ち果てぬ。今の輝きを留めおけるのだ。この少年もそれを欲している。そうは思わぬか?」

「お、思うわけないでしょっ!そんな勝手なこと。第一何の権利があって、少年たちの未来を奪うのよっ!!」

 あかねの怒りは頂点へと達しつつあった。このままでは終わるまい。格闘に長けたこの少女は、来たるべく彼女たちとの戦いを予感していた。

 くくくと口に手を当て、木芽は妖しく笑った。
「小草、これへ・・・。」
 木芽の呼び声に反応して光の輪がひとつ降りてきた。
「はい、木芽お姉さま・・・。」
 手に剣をたずさえた女がもう一人現れた。
「最後の戸喫(へぐ)いの支度はできたかえ?」
 木芽の問いかけに小草はこくんと頷いた。
「煮えたぎった鍋をあれに・・・。」
 ぎいいっと音がして、次の間が開いた。中央には人間が一人楽に入る大鍋がぐだぐだと煮えたぎっている。
「小娘。良く聞け。これからおまえの許婚は、七回目の食事を摂るのだ。我らがかけた呪術(マナ)は、この七回目の食事、お七夜の黄泉つ戸喫いで完了するのだ。これを食べればもう、あの少年の魂は肉体へは戻れぬ。この御柱に身体を取り込まれて、永遠にその美を称えながら我等と共に夢幻世界で彷徨う。」
「そんなことさせないっ!」
 あかねはぎゅっと拳を握り締めた。
「黄泉つ戸喫いか、呪術(マナ)か、何かは知らないけれど、絶対に、乱馬はあんたたちには渡さないっ!!」
 あかねは拳を振り上げた。

「ふふ・・・。無駄なことを。」
 ふわっと木芽の身体が浮かんだ。
「まあ、良いわ。そのくらい元気があった方が、最後の御食(みけ)の食材には相応しい。」
「な、何ですって?」
 ドクンと洞穴全体が唸りをあげたように思った。
「小草、その剣を少年に・・・。」
 木芽の言葉が終わるか否かの瞬間、小草は持っていた剣を乱馬の枕元へと突き立てた。
 と、次の瞬間、閉じていた乱馬の目がくわっと見開いた。

「さあ、乱馬よ・・・。その剣を取れ。」
 乱馬はゆっくりと起き上がると、声に従って刺さった剣の柄へと手をかけた。そして、ぐいっと力でそれを引き抜いた。
「そなたの獲物は、ほうら・・・。目の前の少女じゃ。」
 半開きになった乱馬の目が妖しくあかねを見据えた。ぞっとするような妖しい輝きに満ちている。
「どうだ?旨そうじゃろう?好きなように狩って、その剣で切り刻んで、あの煮えたぎった鍋に入れて、煮て食えば良い・・・。」
「ちょっちょっと、何てこと言うのよっ!!」
 あかねは怒鳴った。
 冗談ではない。それでは共食いではないか。
「くく・・・最大の見せ物じゃないか。許婚を狩り、その身体を、切り刻む。そして、その血肉を食むのだ。さぞかし、美しい御柱のレリーフができあがろうというもの・・・。乱馬には、この柱の中央の極上の場所へ入ってもらおうかのう・・・。」
 木芽がそう言って、手を翳すと、ざわざわと柱のレリーフがそこだけ蠢いた。
「嘘・・・。気持ち悪い・・・。」
 身の毛も弥立つような光景にあかねは思わず身震いした。程なくして、一人分のスペースがぽっかりと柱に空いたではないか。
 高みの見物を楽しむつもりだろう。女たちはそのまま、仲良く並んで御柱の出っ張りへと腰を下ろした。

「小娘。逃げ惑うが良いわ。恐怖におののけばおののくほど、そなたの血肉は引き締まって美味になるだろうよ・・・。あっはっは。」
「せいぜい長い時間、私たちを楽しませて頂戴ね、娘さん。」
「あなたも、彼の手に落ちて、胃袋の中で永遠に眠れるんですもの。幸せよ・・・。」
 くすくすと女たちは笑いあう。

 とても尋常の沙汰とは思えなかった。

 身構える乱馬の目が青白く異様に光り始める。

「乱馬・・・。あたし、あかねよ。あたしがわからないの?」

 あかねが搾るような声で問いかけても、彼の眉間は少しも動かなかった。おまえなど知らないとでも言いたげな、虚ろな瞳の輝き。

 脳裏に、最初に女乱馬が現れた晩に、交わした会話が巡った。

『あいつらの話だと、俺は「呪術(マナ)」をかけられたらしい。そして、生体から魂を抜き取られたんだ。』
「あいつらって?」
『魑魅魍魎の類かなあ・・・。俺にも正体はよくはわからねえが。化け物だ。事情も良くわからねえ。わかってるのは、あいつらが俺のことを見初めたらしいんだ。』
「見初めたって・・・。」
『俺、カッコ良いからな。永遠にこの姿のまま歳をとらせないで魂ごと封じ込めたいなんてあいつら言ってたからな。美しさは罪なのかもしれねえな。』
「あんたねえっ!こんなときにまでナルシストぶるんじゃないのっ!!」
『とにかく、俺があと六回、あいつらの元で食事をしたら帰って来られなくなるそうだ。』
「何よ、それ・・・。だったら食事を摂らなきゃいいじゃないの。」
『俺は四六時中、そいつらに見張られている。それだけならいいが、厄介なことに男の身体をしている俺には殆ど意識がないんだ。多分、奴らにいいように扱われているんだと思う。ただ、あいつらは、夜明け前と日没後の少しの間だけ、その活動を停止するんだ。その僅かな時間だけ、こうやって俺の魂は自由になれるってわけだ。』


 短いやり取りのいくつかが鮮やかに蘇る。

 そうだ、彼は確かに言った。夜明け前と日没後の少しの間だけ、妖魔たちは活動を停止するのだと。

(日没までどのくらい時間があるの・・・。)
 あかねはふっと腕にはめた時計に目を落とした。
 時間を計るために、念のため腕にしてきたものだった。
 その時計は液晶の秒針を刻みながら、滑らかに動いていた。
(今は、五時・・・。あと小一時間ってところね・・・。)
 不幸中の幸いは、日没まであまり時間がないということだけだ。小一時間逃げ遂せれば、何とかなるかもしれないと思った。

(とにかく、やるっきゃないわねっ!)

 武道家としてのあかねの闘気が上がり始めた。
 向こうは剣を持っている。こちらは素手。それだけでも大ハンディーなのに、乱馬はあかねよりも強いのだ。小一時間逃げ遂せるのも決して楽な話ではないだろう。

 じりじりと乱馬は間合いを計りながらあかねに攻撃を加える瞬間を伺っていた。

「さあ、行けっ!その手で少女の身体を切り刻んでやれ。ふふ、そうすればおまえは永遠の美しさを手に入れられる。」
 
 だっと乱馬はあかね目掛けて剣を振り下ろした。



つづく




一之瀬的言語解説
「黄泉つ戸喫い」
 「よもつへぐい」と読みます。「古事記」からの引用。伊耶那美が死んだ時、根の国の火で煮炊きした食事を口にしたから、現世へ戻れなかったくだりに出てきます。
 常磐の砦は氷の国のイメージ。御柱も氷の柱のようなものを想像していただけると嬉しいかも。氷付けの少年たち・・・ではなく、あくまでも生々しい少年たちがびっしりと・・・。
 美少年の御柱・・・一之瀬の趣味です。んでもって、多分、全部鎖骨麗しく(やめいっ!!

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