第五話 迷い道


 あかねは早雲と玄馬を伴って、山へと分け入った。
 つい、この前まで乱馬と玄馬が修業をしていた山である。
 今日は天候も穏やかで、ほんのりと春の空気を含んだ陽射しが柔らかく木立から照りつけてくる。
 長期戦になるかもしれないからと、食料と着替えそして身の回りの物、テントなどをぎっしりとリュックサックに詰めて山へ入る。この前まで覆い被さっていた雪も、少しずつ溶け始めているのだろう。
 木立を渡る小鳥たちの囀りも心なしか、春の恋歌に浮き足立っているようにも思えた。

「ここいらだ。」

 玄馬は山の中腹の少し平らなところへどっかとリュックを下ろした。

「いつもこの辺りにテントを張って、修業をしておるんでな。」
 良くみると、確かに、最近までここに人が立ち入っていた焚火の跡などが残っている。
「へえ、こんなところで乱馬君と修業を・・・。」
 早雲が感心したように言った。早雲の子供は娘ばかりなので、日頃から、修業と称して旅立つ早乙女親子を羨ましがっていた。時々は彼も同行するのだが、野性味溢れる早乙女流とは少し勝手が違う天道流。毎度毎度一緒に山に入っていたわけではない。
 早乙女流は元来、修業場所を選ばない。かなり自由奔放に発展した流派で、頭に同じ「無差別格闘」を名乗っていても、道場を根城にしている天道流とは根本のところで違う点がいくつかあった。

「いつも乱馬の奴は、この先の四辻から上の方で修業をしていたようじゃ。今回あやつは、木に攀じ登ったり、崖を下ったりして、冬の間鈍らになった腕力、脚力、腹筋、背筋といった身体の基盤を鍛えあげておったようだな。」
 玄馬はそう説明した。
「四辻?」
「ああ、こっちじゃよ。」
 慣れた足取りで玄馬は先に立って案内する。
 まだ雪が残る獣道のような細い道を辿ってゆくと、道が四つ股に分かれているところに出た。
「こっちの一本は山の上に繋がり、一本は谷に、そして二本はくねりながらここへと戻って来る輪の道なんじゃ。あの朝、乱馬は不思議な湖に出くわしたと言っておったが、ワシにはみつけられなかった。大方、この輪の道を寝ぼけて巡ったのだろうと取り合わなかったのじゃが・・・。」
「ふむ・・・。四辻か。」
「とにかく、夜は危険じゃ。道を詳しく尋ねるのは明日にして、今夜は早めに休もう。」
 玄馬は提案した。
 あかねが一緒なのだから無理は出来ないと判断したのだろう。
 山の怖さはあかねとて承知していたので、これからすぐにでも捜索を始めたかったが、ぐっと我慢した。

「さてと、夕飯支度しなくちゃ。」
 あかねははやる気持ちを隠しながら平然と言い放つ。
「いい・・・。あかねはいいっ!!」
 早雲がとんでもないとあかねを制した。
「そうじゃっ!!今日のところはわしたちに夕飯は任せておけっ!!」
 玄馬も同時に言った。
 そうだ。あかねの料理の腕は、死人をも蘇らせるのではないかと思うほどに不味い。あかねの料理などを食おうものなら、腹を壊して捜索どころではなくなるだろう。
 早雲も玄馬も脂汗を流しながら、あかねを説得した。
「そう?お父さんたちがそこまで言うなら・・・。」
 あかねは渋々承知した。
「さて、早乙女君、二人仲良く修業時代を思い出しながらスタミナ食を作ろうじゃないか。」
「そうだね、天道君。」
 親父たちはそそくさと、炊飯に取り掛かる。

 代わりにあかねは長期戦になるかもしれないからと、持って来た荷物を整理し始めた。
 何時の間にか日はとっぷりと暮れていた。

『よお・・・。』
 背後で気配がした。
「乱馬・・・。」
 あかねが目を上げると、いつの間に現れたのだろう。女乱馬がそこへ佇んでいた。
『また自由になれたからな・・・。ここまで入ってくれたのか。』
 乱馬はにっと笑って見せた。
「ええ、来たわ。ねえ、それよりも、どこにあんたが捕らえられた世界の入口があるか、見等つかないかしら?」
 あかねは率直に尋ねた。
 乱馬は首を横に振った。
『俺はとにかく、おまえの気を感じて、己を飛ばしてここへ来るんだ。その途中は全く見えない。』
「どっから沸いてくるのかわからなのね・・・。」
『ああ・・・。上手く説明できねーが、おまえの気だけは何とか辿れるんだ。他の奴のは区別すらつかねーのにな。』
 彼ははにかむように言った。
『おまえの気を感じて、念じれば、傍らに立てる。ほんと、まるで幽霊そのものなのかもしれねえな・・・。』
「ふうん。便利なのね。」
『でも一つだけわかるのは、この森のどこかへ、その入口が開いているってことだけ。それも、五日後には閉じて、またどこかへと入口が彷徨うらしいんだ。あいつらがそんなことを言ってた気がする。』
「わかった。とにかく明日から、森の隅々まで探してみるわ。」
『ああ・・・。だが、一つだけ。絶対、無理すんなよ。おまえ、俺のことだと意地になるようなところあるだろ?』
「何よ、それ。あんたのことだと意地になるって・・・。」
『文字通りだよ。向こう見ずで暴走してしまうだろ?とにかく、今の俺にはおまえを守ってやれる術はねえ。親父やおじさんにサポートしてもらえ。絶対に背伸びはすんなよ。別に俺は生き返れなくても・・・。』
「いいえ、絶対に生き返らせるわっ!」
 あかねは乱馬の言葉を遮るように言い切った。
『あかね・・・。』
「とにかく、あんたこそ、こそこそとあたしと会ってること、奴らに気付かれないようにしなさいよねっ!!」
『ああ・・・。』
 
 ざわざわと木が鳴った。

『時間だな・・・。またな、あかね。』
 そう言うと乱馬はすっと見えなくなった。

「あかねくーん。ご飯が炊き上がったぞ。」
「腹ごしらえして、今晩はさっさと休んで、明日からは忙しくなるぞっ!!」
 下のほうから声が上がってくる。
「はーいっ!今行きますっ!!」
 あかねは元気に飛び出していた。


 夜明けには乱馬は現れなかった。
 いや、現われたのかもしれないが、あかねはぐっすりと寝袋で休んでいたので、声をかけずに帰ったのかもしれない。
 遅い朝日が山の端に差し掛かったとき、あかねは目を覚ました。
「しまったっ!寝過しちゃった。」
 テントの外は朝の空気が刺してくる。まだまだ肌寒い。露がキラキラと木の葉や草に光っている。良くみると凍っている。
 朝ご飯を済ますと、あかねたちは、乱馬の捜索に出た。
 まずは丁寧に、四辻から一つ一つ、道を検証する。
 どの道も何の変哲もない、普通の山の小道だった。所々に雪が残って、足を取られそうになりながら、あかねたちは進んだ。
 
 その日は四辻から四本の道を辿ったが、ついぞ乱馬に繋がる手がかりは得られなかった。

 何の収穫もなく、一日目はとっぷりと暮れてゆく。

『そう気を落とすなよ・・・。見つけられなくてもおまえのせいじゃねえ。』
 乱馬は夕方にはやってきた。それも早雲や玄馬が傍らにいないときにふっと現れてあかねと言葉を交わす。
「でも、時間がないわ・・・。明日は道から外れたところもあたってみるわ。」

 次の日は、道を基盤に少し離れたところも探してみた。
 この山には慣れている玄馬の助言を受けながら、彼らが修業する岩場や谷底へも足を運んだ。
「乱馬ってこんな場所で好んで修業をしてたのね・・・。」
 思わず感心せずにはいられない、険しい場所もあった。彼の汗の後を辿っている己。切り立った場所や激しい修業をついこの前までこなしていた生々しい跡がある場所。
 得も言えぬ気持ちがこみ上げてくる。
 ここで彼が鍛え、そして磨き上げていた身体。そう思うと不思議な感動がこみ上げてくる。
「乱馬・・・。」
 だが、彼女の想いとは裏腹に、以前乱馬へ繋がる手がかりはつかめなかった。
 傍らから消えてしまったぬくもりを辿っているようで、切なかった。

「あと三日・・・。」
 着実に近づいてくる期限にあかねは内心焦っていた。

『そんなに釈迦力になるなって・・・。駄目元で頼んだんだから。』
 乱馬の方があっけらかんとしているように見えた。
「そういうわけにはいかないわよっ!本物の乱馬に再び会えるかどうかの瀬戸際なのよっ!!」
『ちぇっ!今の俺だって、十分、本物なんだぜ。』
「嘘・・・。あたしの手はすり抜けちゃうじゃない、ほら。」
 あかねはさっと右手を乱馬に差し出した。本来なら握られる手が、すっと乱馬の身体をすり抜けてゆく。目の前の女乱馬は、幽体のような存在なのだから、仕方がないことではあるが、事実を突きつけられると、流石の乱馬も黙ってしまう。
 このままあかねを再び腕に抱(いだ)くことなく、一生を終わってしまうのだろうか。
 一瞬、寂しげな表情を見せたが、あかねに悟られてはならないと、わざと声を大きくして強がって見せる。
『たとえ今はおめえの手に触れることはできなくても、俺は俺だ。絶対にどこかに入口はある。おまえなら探せるさ。たとえ俺にたどり着けなくても、それは運命だったと諦める。だから、背負い込むな。おまえにそんな顔をされると俺は・・・。』
「そうね・・・。まだ三日残っているんだもの。明日また頑張ってみるわ。」

 あかねは口にこそ出さなかったが、乱馬の影がだんだん薄くなっていることに気がつき始めた。最初、天道家の遺体の枕元に現れた彼は、本物の人間と見紛うほど、はっきりとした身体をしていた。だが、日毎、彼女の前に現れるたびに、その身体の線が薄くなっているように思った。
 おそらく生気が少しずつ失われているのだろう。そのうち、空気と同化してしまうのではないかと思った。残された時間は三日しかない。そう思わずには居られなかった。

 だが、あかねの願い虚しく、その日も乱馬へ繋がる手がかりは掴めなかった。
 肩を落としたあかねの傍に、その日の日没には乱馬は現れなかった。気恥かし屋の乱馬が、玄馬と早雲と、ずっと共に居て、あかね一人になる時間が持てなかったので現れなかっただけかもしれなかったが。

 最終日まであと二日という、夜明け。乱馬は寝入っているあかねの傍らにふっと現れた。

『あかね・・・。このまま何も伝えられずに俺は、終わっちまうかもしれねえ・・・。ごめん、結局、期待だけ持たせて、おまえを混乱させてしまっただけなのかもしれねえ・・・。』

「乱馬・・・。」
 寝返りを打ったあかねが言葉を継いだ。

『運命を受け入れる覚悟はできている。だが、一言、男の姿の俺でおまえに言っておきたかったことがある・・・。畜生っ!それもままならねえなんて・・・。』
 朝靄の中で乱馬は力なく呟いた。

『あかね・・・俺は多分、もうこれで、おまえの前には・・・。あかね・・・。結局おまえに本当の気持ちを言葉で伝えることはできなかった。ごめん。』
 乱馬はそれだけを言うと、ふっと、透き通る手であかねの頬に触れた。勿論、その手はあかねの肉体をすり抜けてゆく。だが、乱馬はあかねの頬と、小さな唇へと掌を翳した。まるで愛しい者を永遠に覚えておくため、なぞるように。
 そして彼は、朝日の光の中に静かに消えていった。



つづく




一之瀬的戯言
 消えるな、乱馬っ!そんな弱気でどうする!
 と自分で突っ込んでみる。
 邪悪な作文しとるよなあ・・・。


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