第四話 呪術(マナ)


『あかね・・・。あかね・・・。』

 耳馴染んだ声が傍で聞こえた。
 その声にふと目覚めると、身体にふんわりと毛布が掛けられていた。どうやら、乱馬の遺体の傍で寝入ってしまっていたようだ。

『こんなところで眠ったら、風邪ひいちまうだろうが・・・。バカ・・・。』

「ら、乱馬っ!?」

 あかねは目の前に立っている人影に、思わず声を上げた。そう、彼女のすぐ傍らに、白い道着の女乱馬が立っていたからだ。

『おめえ、泣いてたのか?らしくねえな・・・。』
 にやにやと笑いながら覗き込んでくる。
「べ、別に、あんたのために泣いていたわけじゃないわよっ!」
 どうしてこんな時にも素直に言葉を継げないのだろう。
『そうか・・・?さっきから随分、いろんなこと、俺に話し掛けてくれていたんじゃねーのか?』
「あ、あんたっ!全部聞こえてたの?」
 あかねは真っ赤になって乱馬を見詰め返した。
『あ、いや、全部聞いてたわけじゃねえ。俺の本当の魂はここにはないからな。』
 乱馬は少し考えこみながら答えを返した。
「あんたさあ、幽霊?」
 あかねは率直に切り返した。傍には乱馬の遺体が寝かされているし、目の前の女乱馬は何より白っぽく暗闇の中に浮き上がって見える。
『うーん・・・。ちょっと違うけどな。ま、そんなようなところかな。』
 心なしか乱馬の顔が苦笑いを浮かべている。
「で、あたしに何の用?何かあるからそうやって化けて出て来たんでしょう?」
 あかねは乱馬を見返した。
『あのなあ・・・別に化けて出て来たわけじゃねーぞっ!いいか、良く聞け。俺はまだ死んだわけじゃねーんだ。』
 意外なことを口にした。
「え?どういうことよ。」
 あかねは思わず身を乗り出した。
『どう説明したら良いんだかな。』
「でも、あそこにあるあんたの身体、息してないじゃない。心臓だって止まってるわ。」
『まあな、見てくれはそうだな。でも、後で東風先生辺りに確かめて貰うといいけど、死斑も出てねえし、死後硬直もしてねえはずだぜ。』
「じゃあ、生き返る可能性もあるってこと?」
 あかねはがばっと乱馬に詰め寄った。
『ああ、そういうことになるな。』
「何があったの?」
『時間があんまりないから率直に言うけど・・・、今、俺は仮死状態にある。だが、このままだとあと六日ほどで本当に冥府へと引きずり込まれる。』
「冥府・・・死ぬってことね?」
 こくんと頷いた。
『あいつらの話だと、俺は「呪術(マナ)」をかけられたらしい。そして、生体から魂を抜き取られたんだ。』
「あいつらって?」
『魑魅魍魎の類かなあ・・・。俺にも正体はよくはわからねえが。化け物、妖怪、妖魔・・・そんなところだ。事情も良くわからねえ。わかってるのは、あいつらが俺のことを見初めたらしいんだ。』
「見初めたって・・・。」
『俺、カッコ良いからな。永遠にこの姿のまま歳をとらせないで魂ごと封じ込めたいなんてあいつら言ってたからな。美しさは罪なのかもしれねえな。』
「あんたねえっ!こんなときにまでナルシストぶるんじゃないのっ!!」
 あかねは吐き出した。
『とにかく、俺があと六回、あいつらの元で食事をしたら帰って来られなくなるそうだ。』
「何よ、それ・・・。だったら食事を摂らなきゃいいじゃないの。」
『俺は四六時中、そいつらに見張られている。それだけならいいが、厄介なことに男の身体をしている俺には殆ど意識がないんだ。多分、奴らにいいように扱われているんだと思う。ただ、あいつらは、夜明け前と日没後の少しの間だけ、その活動を停止するんだ。その僅かな時間だけ、こうやって俺の魂は自由になれるってわけだ。』
「その少しの時間を使ってここへ戻って来た・・・ってわけね?」
『ああ、そうだ。それも男の魂のままでは自由に出入りできねえことも昨日の日没時に確かめた。奴ら、俺が女に変化する能力があることは知らねーみたいだからな。』
「それで女の形(なり)で化けて出てきたってわけね。」
『あんなあ、だから化けて出るって、幽霊じゃねーって何度も言ってるだろうがっ!』
「同じようなもんじゃないの。」
『頼む。あかね。俺を見つけ出して男の俺を正気に戻してくれ。正気にさえ戻れば、現世にも戻って来られると思うんだ。』
「生き返りたいわけね・・・。」
 あかねは真摯に見詰め返した。
『ああ、まだ俺は、こちらの世界で何も成し遂げちゃいねえ。それに・・・。おめえにちゃんと言わなくちゃならねーこともある。このままじゃ終われねーんだ。』
「ちゃんと言わなくちゃならないこと?」
『ああ、戻れたら言ってやる。』
 乱馬は何故か視線を反らせた。
「ま、いいわ。こっちに戻ったら聞いてあげるわ。で、具体的にはどうすればいいの?」
『俺の捕らえられている空間とこの空間を結ぶ場所が、どこかに必ずある。俺は「常磐の砦」の中に居るらしい。空間の切れ目から侵入して、俺の居場所を探し出せ。その先は俺が何とかする。』
「わかったわ。」
『おまえを危険に巻き込むことになって悪いんだが・・・。』
「任せてっ!妖怪退治は格闘家の使命ですもの。お父さんたちと力をあわせてあんたを見つけ出してあげるわ。」

 と乱馬の身体が白み始めた。

『ちえっ!時間切れか。あいつらがもうすぐ目覚める。とにかく、また日没辺りで自由になれたらおめえの傍に出てくる。だから、間違っても俺の身体を火葬なんかにして燃やしちまわねーように、おめえから説明してくれよっ!じゃあ・・・。またな、あかね。』

 それだけ一気にまくし立てると、乱馬はすうっと空気と同化するように、暗闇へと消えてしまった。

「乱馬・・・。わかったわ。今のは幻じゃない。あんたの盗まれた魂を、絶対に、この肉体へと戻して見せるわっ!」

 明け行く空に向かってあかねはそう呟いた。




 それからのあかねは、乱馬に言われたとおりに、訝る家族たちに、乱馬が枕元に立ったこと、そして、言い残していったことを説明しはじめた。

「そんなのあんたの夢に決まってるでしょうが・・・。乱馬君の死があんまりにショックだったからって、非現実なこと・・・。」
 最初、なびきは取り合おうともしなかった。
「そうねえ・・・。それが本当の話だったら、乱馬が生き返ることも可能だから、おばさまも嬉しいけれど・・・。」
「なびきが言うように、非現実的すぎるしなあ・・・。」
 早雲も腕を組む。
「じゃあ、東風先生をここへ呼んで。乱馬の遺体をもう一回確かめてもらうのよ。本当に死体かどうかを!」
 あかねは必死で説得し始めた。
 乱馬の魂が戻れても、肝心な肉体が崩壊してしまえばお手上げだ。それこそ魂は永久に彷徨うことにもなりかねない。
「まあ、それであんたの気が済むなら・・・。」
 なびきは携帯電話を取り出すと、東風先生を呼び出してくれた。
 当然、かすみは遠ざけられた。彼女が傍に居たのでは、東風は舞い上がってしまい、正確な判断どころではないだろうからだ。

「どらどら・・・。昨日、臨終を告げたのは僕だからね・・・。」

 東風はあかねに促されるままに、乱馬の身体を点検しはじめた。

「うーん・・・。」
 東風は一言唸り声をあげると、考え込んでしまった。
「東風先生っ!どうなんです?乱馬の身体は。」
 かすみ以外の天道家の人々は、固唾を飲んで東風を見守る。
「確かにあかねちゃんの言うとおり、この死体、変だよ。」
 東風は静かに話し出した。
「ご覧、普通死体には死斑が出るものなんだ。でも、全くその兆候がない。血液の流れが止まってしまっているのだから、死斑が出ないのは不自然だ。それに、死後硬直が終わっているだろうとしても、彼の身体は瑞々し過ぎる。確かに心音もなく頬も青白く冷たいが・・・。それに思い当たることもあるにはあるんだ。」
 東風はゆっくりと話していった。
「夕方、乱馬君の身体をここへ運んだ時は、ちっとも硬直していなかった。つまり、当然あるはずの死後硬直の兆候が全くなかった。僕も気になったところなんだ。人によって硬直し始める時間には多少のずれがあるにはあるから、これから始まるのかとその時は軽く流したんだが・・・。」

「ほら、東風先生だってああ言ってらっしゃるわ。」
 あかねは必死であった。
「でも、家族が納得しても弔問に来た人たちに説明するのは・・・。」
「いいじゃない。一週間、葬儀を伸ばしたら。あと六回、つまり六日後までに身体に魂が戻らないと、乱馬はもう、この世界には戻れないって自分でも言っていたわ。だから、一週間、待って。それまでに、あたし、乱馬の魂を解放して連れてくる。」

「一度言い出したらきくような娘じゃない・・・か。あかねは。」
 早雲はふっと煙草の火を灰皿に押し付けて消した。
「そうね・・・。お葬式を出さないで済むんなら、良いに越したことないわね。葬儀代もバカにはならないし。」
 なびきもやれやれと妹を見返した。
「気の済むようにやってくれたまえ。あかねくんは乱馬の許婚だから。なあ、母さん。」
 泣き腫らした目をしているのどかにも玄馬は意見を求めた。
「そうですわね。東風先生の見立てでも、完全にあかねちゃんの言い出したことを否定はできなかったようですから・・・。一縷の望みにかけてみるのも。」

 話は決まった。

「そうと決まったら、おじさま。乱馬が修業しているときに、何か変わったことはありませんでした?」
 早速あかねは玄馬に問い質す。
「そう言えば、あいつ、変なことを口走ったなあ。」
 玄馬は腕組みして答えた。
「変なこと?」
「ああ、綺麗な湖を見たってな・・・。水を飲もうと手を入れても変身しなかったと言いおったので、夢でもみたんじゃろうと取り合わずに笑い飛ばしたが・・・。」
「綺麗な湖・・・。・・・きっとそれだわ。そこに「常盤の砦」があるに違いないわ。」
 あかねは色めき立った。
「まずはそこへ行って見て、手がかりを探せばいいのではないかね?」
 早雲が提案するまでもなく、あかねは乱馬が修行に入った山を調べに行くことにしていた。

「じゃあ、乱馬くんの身体は暫く僕のところでお預りしましょう。もし、生き返ってくるのであれば、少しでも医療器具があるところのほうがいいでしょうし。弔いに来た人たちには、乱馬君が息を吹き返したとでも言って説明しておけば・・・。まだ、意識を完全に回復した訳ではないからと面会謝絶にでもしておきましょうかね。」
 東風が頷いた。
「ありがとうございます。東風先生のところだと安心です。」
 あかねの表情が明るくなった。

 と、かすみがお茶を持って入って来た。

「皆さん、ご精が出ますね。ここらで一服ついてくださいな・・・。」
 
「か、かすみさん・・・。」
 東風の眼鏡が怪しく光った。
「こりゃだめだ・・・。」
「そうね・・・。ここいらでお開きね。あかね、頑張んなさいよ。乱馬くん、生き返るといいわね。さて、いろいろ言い訳考えて、それらしく演出しなくちゃね。ああ、忙しいわっ!」
 なびきはそれだけを告げると、かすみさんの毒気にあたって、踊りだした東風の脇をすり抜けて、どこかへ行ってしまった。



つづく




一之瀬的懺悔
 死後硬直と死斑はよく調べてないんで、もし実際と違っていたらすいません(無責任な・・・汗


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