骨まで愛して



 トクン…。

 奴の心臓が跳ね上がりやがった。
 

 トクトクトク…
 ドッドッドッド…

 平穏を装ってやがるが、かなり緊張してやがる。俺には手に取るようにわかるんだ。何しろ奴の身体の一部分だからな。





 俺は、ここに突っ立ってる奴の鎖骨。早乙女乱馬ってしがねえ野郎の左側の鎖骨だ。
 鎖骨って何だって?丁度、奴の心臓の上、首の下辺りに位置してる骨のことだよ。
 人間には概ね「二百個」前後の骨がある。年齢やそれぞれの固体によって十個前後数が変わってくるらしいのだが、その中でも一際目立つ部類の骨、それが鎖骨だ。
 骨の部分は、男だと肉体の強さに比例するように美しい堀ができる。強い男は汗が溜まるほどに、美しい鎖骨の堀。女だとこの堀は色っぽさの象徴になるらしい。
 奴が愛用のぴっちりしたチャイナ服を着こんでたら見えねーが、夏ともなると、大概、黒ランの下からその骨は露出している。
 この男、「格闘技」を幼少からやっているので、俺たち骨や筋肉は「修行」という名目でガキの頃から酷使され続けている。その結果、俺も、自分で言うのも何だが、結構、野太くていい骨っぷりだ。
 ところがこの早乙女乱馬って男、なかなか複雑な野郎だ。俺たち骨は一様に、奴には散々苦労をかけられてきた。性格や取り巻く環境が複雑なのは勿論だが、体質が目茶苦茶だったのだ。
 いつだったか、修行中、「呪泉郷」の「娘溺泉」たらいうとんでもねえ呪いの泉に落っこちやがって、それ以来、水と湯で、ひょいひょいと女と男の体格へと入れ替わりがやがった。
 考えても見ろよ。
 水をかぶると女になって骨も縮んで、湯を浴びると男に戻る。その繰り返しなんだぜ。その変身に付き合う俺たち骨ってえものの立場。酷いときは一日に何十回と入れ替わりやがった。
 少しはこっちの身にもなってみろってんだ!たんび、小さく凝縮されたり、元に戻ったりじゃあ、骨たちだって悲鳴をあげらあ。
 この男の骨稼業というのも楽じゃねえ。疲労の塊だった。
 え?おまえは男の骨か女の骨かどっちになってるのがいいって?
 そりゃあ、早乙女乱馬本人に訊いてみろ。絶対「男」と答えるに決まってるさ。だから、俺も同じ。骨でもこいつの体の一部分だからな。
 女は嫌いかだって?んなことはねえぞ。でも、自分でなるのは真っ平だね。俺は始終男で居たいさ。

 この早乙女乱馬、体質だけじゃなくて取り巻く環境がこれまた「普通」とは言い難かった。
 奴の父親ってーのがこれまたぶっ飛んでいて、幼少時に母から引き離して、「修行三昧」の生活。まあ、それに対して、文句一つ言うわけでなく素直に修行してやがった。この男、その辺りは偉いと思うぜ。
 こいつが呪泉郷で溺れて以来、環境も生活も一変しやがった。
 呪いを受けてからは、流石に、荒修行をこなすことは少なくなった。
 というのも、奴の親父の旧友、天道家に身を寄せるようになったからだ。体よく居候して、高等学校にも通いだした。
 屋根の下に暮らして、温かい御まんまを食べて。それまでは、地獄のような極貧の放浪主体の生活だったからな。まあ、それは良しとしよう。だが、この家での暮らしぶりのぶっ飛び方はそれだけじゃなかった。
 天道家に連れて来られて、押し付けられたのが「許婚」。そう、将来を一緒に過ごすことになる「嫁」になる婦女子を宛がわれた。
 たかだか十六歳という年齢でよう。一種の「妻問い押し付け婚」だ。
 奴め、最初は猛烈に反発していたさ。
『これからおまえの許婚の元へ行く!』
 と急にあの親父さんに言われたんだからな。多感な時期だったし、反発しない訳なかろう?
 子供の頃から「許婚」が居るということは言われていたのは俺だって知ってるけどよ、この男、それが何の事なのか、天道家へ連れて行かれる際まで全然理解していなかったらしい。
 それまで「女」とは縁遠い世界で生きてきた奴だ。母親の有無すら知らずに来たんだぜ。
 親父に言われた「許婚」というのが、将来添い遂げることを余儀なくされた女性だということがわかった途端、そりゃあ血相変えて、食って掛かったさ。
 まあ、当然だろう。己の人権などまるで無視したような降って沸いた結婚話なのだから。
 体良く逃げ出そうとしたんだが、雨に打たれて女に変身したところをパンダ親父にどつかれて沈んだ。

『俺は絶対に、親父の言う女とは結婚なんかしねえっ!』
 確かに最初はそう思っていたさ。

 ところが、連れて行かれた先で、目の前に現れた少女は「天道あかね」という、可愛い長髪の娘。
 他の姉妹たちは着物を着込んだり、それ相応の格好して現れたのに、こいつだけは道着姿。
『へえ、こいつ、格闘やってんだ。』
 のっけから感心持ったのがわかったぜ。
 女のまま誘われて道場へ連れ出されて、彼女と組み手。
 その子の動きは読みやすかったさ。一本気で真っ直ぐで。
 手合わせしてみると、相手の性格まで見えちまうもんな。
 あ、俺か?俺も一発で彼女の鎖骨には「ほ」の字になった。いや、マジで綺麗な鎖骨をしてたんだ。このあかねって少女が。
 結構真面目に稽古してるのがわかるんだ。
 それでも、早乙女乱馬の方がずっと上手(うわて)で、軽くいなして勝負は終わっちまった。
 終わった後、あははは、なんて笑いあってよう。
『一目惚れ』ってーのはこれを言うんだろうな。
 奴がすぐさま彼女のことを気に入ったことはわかったさ。いや、惹きあう魂っつーもんが最初からあったんだろうな。
 だが、しかし、彼女と男の早乙女乱馬との出会いは強烈過ぎた。
 道場での手合わせの後、、風呂場で裸で勝ち合わせたんだぜ。彼女は胸元を軽く隠してはいたが、早乙女乱馬は湯船から上がろうと浴槽に足をかけてたから、モロ出し。…。まあ、あそこには骨は入ってねーから、しがなくぶらぶらしてたんだろうが。しっかり見られちまった訳。
 おかげで、すっかり「天道あかね」とは犬猿の仲に。惚れたと思ったんだけどな。
 まあ、彼女の方は他に好きな男が居たようで。のっけから、大嵐が吹き荒れたって訳。
 風呂騒動の一件があったからか、天道家への居候初日から、喧嘩三昧の日々の幕が切って落とされた。
 この男。元々の口の悪さも手伝って、そりゃあ、喉の下から聴いてて苦笑したぜ。「可愛くねえ!」だの「寸胴!」だの好き放題ぬかしやがる。心根じゃあ、絶対にそんなこと思ってねーくせに。
 俺も奴の一部分だから、考えてることは伝わってくるんだ。

 奴が十六年間生きてきて、「女」という生き物に興味を持ったのは、彼女が初めてだったからな。 
 ずっと格闘一直線で生きて来た野郎だ。女になんかは興味はなかった。多分、彼女に出会うまでは。 
 女なんて視界にも入らなかったんだろう。
 だからあかねは「初恋」だ。勿論な。
 だが、気の利いた扱い一つできずに、あかねを怒らせてばかり。
 それだけならまだしも、呪泉郷で溺れて呪われて以来、こいつの周りは波乱に飛びまくってた。
 「類は友を呼ぶ」んだろう。次々に呪泉郷の泉へ落下して呪われた連中など、一癖も二癖もある連中が集まりだしたんだ。そりゃあ、見事だったぜ。
 それぞれ好き勝手に早乙女乱馬という男に集(たか)ってきやがる。
 勝負を挑んできた者も居れば、珊璞や久遠寺右京、九能小太刀といった彼を好いた奴まで出る。あ、女の時は九能帯刀という変態野郎に付きまとわれてたっけ。

 骨の分際で言うのも何だが、やっぱり「強い男」は女性の気を引くものなのだろう。危ない魅力に引き寄せられるんだろうな。
 どの骨も筋肉も極上の「漢(おとこ)」を思わせやがるから。…その分、女になると丸っちくなってたがな。
 
 奴め、天道あかねという女に出会ってから、確実に変わったさ。
 「守る」ということを覚えやがった。
 彼女に出会うまでは「守る」という文字はこいつの武道の中には無かった。「攻め」だけの荒々しい格闘だったんだ。だが、あかねに出会って、いや、正確には彼女の笑顔と涙に出会って、こいつは変わった。
 男は守りたい女性(ひと)が出来ると真に強くなるという。多分それは本当だろう。
 俺は左の鎖骨だから、守りサイドに居ることが多い。奴の利き手が右だからだ。攻撃に向いている利き手に比べて、自然と守備が領分となる。
 右の鎖骨野郎は俺の最大のライバルなんだが、これ見よがしに攻撃本能を剥き出しにして相手に突っかかってゆく。右で気砲を撃つときも、あちらさんが頑張る。
 勿論、利き腕ばかりを鍛えていたんじゃあ、格闘家としては二流だから、奴も均等を保とうとそれなり努力はしている。だから、そん所そこ等の奴らよりは、利き腕ではない左とは言え、力は持ってるつもりだ。でないと、守りにも強く入れねえ。
 そりゃあ、利き腕の奴みたいに派手な活躍はないから、悔しいと思うことはあるぜ。俺だって一端(いっぱし)の勝気さは持ってるさ。
 だが、左側は左側で美味しい部分もなくはない。女の肩は左手で抱くものだって、何となく習慣がついてるからだ。多分、西洋式の右上位の思想がそうさせちまうことになったんだろうけどな。
 あ、元々日本は左上位だから、江戸時代まで、男は左側に並んでたんだぜ。昔だったら右左逆だったから、左側の俺は不利かもしれねえがな。
 まあ、んなウンチクはどうでもいい。とにかく、こいつも、彼女の右側に居やがることが圧倒的に多い。そんなときだけは、右側の鎖骨に得意満面になれるって訳だ。へへ、気持ちいいぜ。
 左、右と、ことあかねの制御権に関しては、競争が激しいのも、俺たち皆が彼女の真髄まで「ほ」の字だということの表れでもあるんだ。だって、好きな奴にはいつも触れていたいじゃねーか。触れていなくても、ちょっとでも傍に居たいって思うもんだろ?それが「恋」ってーもんだ。
 こいつの一挙手一投足に俺たち骨も振り回されているって訳だ。
 あかねが目の前に居る時は、俺たち骨も気忙しいんだぜ。
 やれ、どの骨があかねに触れたとか、こっちへ来いとか。てめえだけ良い想いしやがるなとか…。姦(かしま)しいったらありゃしねー。
 骨同士、互いに物凄いモーションをかけてやがる。
 まあ、本人にも周りの人間にも、骨たちの牽制や囁き合いは聞こえねえだろうが。
 だってそうだろ?血管を流れる血だって、傍で聞いたら怪音が聞こえてんだぜ。そんなもん、いちいち人間様の耳に聞こえたら気持ち悪いだろうしな。
 とにかく、鎖骨の俺が言うのも何だが、思いっ切り不器用な恋してたさ。この野郎は。


 風林館高校を出てからのこいつは、「我武者羅」に修行した。寝食を惜しんで力をつけようと懸命だった。己のために。そして、彼女のために。勿論、俺たち二百数個の骨たちも付き合わされた。時には傷つき、痛めつけられながら。
 修行の途中には、ちゃんと男にも戻ってやがった。完全な男にな。
 そんときゃ、骨も筋肉も小躍りしたさ。これで変身しなくってすむ。酷使されねえってな。
 ま、そう思ったのはほんの束の間で、実際奴の修行は凄惨を極めてた。何度死地に追い込まれかけたことか。こうやってここに居るのが奇跡みてえなところもあるんだぜ。
 そうやって苦労しながらも、いつか、武道の高みに上ってゆく。
 気がつくと、格闘界の若き鷹になっていた。人気、実力ナンバーワンとも歌われ、今やこいつを中心に格闘界が動いている。
 決して大袈裟言ってるんじゃねえぜ。





 だが、今日は少し様子が違っていた。
 妙に余所行きの雰囲気だ。道着を着込んで気合入れてやがった割には。
 目の前には一人の女性。ほのかに頬を紅色に染め俯いている。
(しっかりしろよっ!)
(この日のために、全てを捧げて修行してきたんだろ?)
シンと静まり返った中にも、そんな骨たちの心の囁きが伝わってくる。
 右掌の中には小さな小箱。それを握り締めている青年。逞しくなった早乙女乱馬。
 目の前の女性(ひと)のために強くなろうと懸命だったのだから。
 
(ほら、しっかり言えっ!)
(彼女だって待ってるっ!)
(今まで散々待たせたんだろう?)
(格闘界の若獅子がしゃきっとしろよっ!)
(決めるときはきちんと決めろよ。この唐変木。)
 

 てちてちとやかましい。
 奴に俺たちの声が全部聞こえたら、何て思われるだろう。元が奴の骨なので、性格も口の悪さも奴並なのだ。
 「一世一代のプロポーズ」。
 実は奴、大胆にもそれをやらかそうとしてる訳だ。
 いつののような軽口に始まった癖に、いざ、その時になると、途端固まってやがる。緊張が俺たちにまで伝わってくるんだ。

 はあ、見てられねーぜ。男だろう?もう、女に変身できたのは過去の遺物だろうが。女々しくもじもじせずに、きびっと一本決めてみやがれってんだっ!!

 長い間、躊躇するように見詰めあった末、奴は、ようやく長い沈黙を破った。

「あかね…。」
 
 俺たちは口をつぐみ、一斉に耳を澄ませる。

「これをおまえに…。」
 
 やっと意を決したのか、ずっと後ろでに隠し持っていた小さな箱を彼女へと差し出した。

「なあに?」

 うっすらと笑いを浮かべて、彼女が奴を見上げた。俺のところからは少し上目に見えるアングル。真摯な目が奴の瞳を捕らえる。
 やっぱ、可愛いよな。

「開けてみな。」

 真っ赤になってそれだけを言う。
 つくづく意気地の無い野郎だぜ。たく。
 彼女は促されて包みを開けた。中から出てきたのは小さなブロンズの箱。それらしい箱。
 ゆっくりと開いた彼女の目が、一瞬、きらりと輝いたように見えた。

「これ…。」
 ゆっくりと見開いた箱の中の小さな輝き。大きくは無いがエメラルドグリーンの清廉な輝き。そう、あかねの誕生石をあしらった指輪だ。
「付けてやるよ。」
 精一杯虚勢を張ってやがるのが何とも見上げてて可笑しかった。
 がちがちに固まりながら、右肩が揺れる。ちぇっ!いいところは利き腕が持っていきやがる。骨たちは黙ったまま、奴の動きをじっと見守っていた。
 あかねは右手を出してきた。

「バカッ!左手だっ!婚約の証である指輪は左の薬指にするもんだろうがっ!」

 えっという表情であかねが固唾を飲んだ。
「だから、その…。」
 耳まで真っ赤に染めて、奴が言い放った。
「俺と結婚しろっ!あかね。」

 ひょおっ!やっと己の意志をしっかりと口にしやがったか。

 風が一瞬吹き抜けた。さわさわと通り抜けた木立のさざめき。
「返事は?」
 風が通り過ぎた後、不安げに問い質す奴。
 だが、返事は無く。いきなり彼女は飛び込んできた。大きなその胸の中に。
 俺の目の前に彼女の柔らかい髪の毛が掛かってきた。

 ぎしっ。

 ふう、俺たちも奴のことをとやかく言えねえな。二百数本の骨が同時にきしみやがった。皆してウブなんだから…。ははは、俺も固まったさ。

「あたし、ずっと待ってた。乱馬!」
 胸の中であかねが吐き出した。
「あかね…。」
 右手も左手も一緒に動いたさ。胸に飛び込んできた彼女をゆっくりと、大切そうに包む。
 夢にまで見た彼女の体の柔らかさが、骨の真髄まで染み渡ってくる。
 はあ、幸せだなあ。
 俺だけでなく、二百数本の骨全体が彼女を包む。直接触れていなくても、情熱は奴の体中を駆け巡る。
 足掛け五年の純情恋愛の大成就の瞬間だった。遠回りばかりしていた恋だったもんな。
 どちらからともなく、触れる柔らかな唇。
 
 え?俺か?
 しっかり見たさ。多分、どの骨よりも近い場所から、その瞬間をな。
 夏の季節で良かったなって思うさ。寒い時期だったら、鎖骨は服の下だからな。いや、見えない場所の骨たちだって、それはそれで、祝福していたさ。
 へへ、俺には極上のアングルだった。
 まさに、鎖骨冥利に尽きるって奴。勿論、右側の鎖骨もしっかりと見据えてやがったけどな。
 でも、俺はあかね側からしっかり見られたってわけ。彼女の桜色の唇も、閉じた目から滴り落ちる玉の涙も。
 綺麗だった…。

 もうすぐウエディングベル。きっと彼女も輝かんばかりの笑顔を奴に差し向けるんだろう。
 結婚式はきっとタキシード着込んでしまうから、鎖骨の俺には花嫁衣裳姿ははっきりとは見えないかもしれない。 
 でも、構わないさ。これから先、彼女の笑顔は全て、「早乙女乱馬」に手向けられる。
 世界一の果報者だぜ。早乙女乱馬って奴はよう!
 あ、いや、俺だって世界一果報者の左鎖骨って訳か。死ぬまで一緒だ。墓の下に骨になってもな。ずっと一緒なんだ。俺たちは。
 え?そこまで言ったらロマンティックじゃないって?
 骨まで愛し合ってるんだ。いいじゃねーか。
 

 終わりよければ全て良しっ、てな。










 
 こちらは先ごろ無期休止に入ったいなばRANAさまの「1/2の星たち」の10万ヒット祝賀のために書き下ろした作品です。
 二次創作の奔放さを極限まで生かし(?)楽しませていただきました。
 全てRNRのトラの穴のせいで書き出した作品の一つです。RANAさんとの濃厚会話の中でプロットが浮かんだ、本邦初の(多分、乱あ同人界初の)鎖骨視点の作品。
 なお、乱馬君の左鎖骨というのがこの作品の大きなツボです。
 RANAさんのサイトは残念ながら無期休止に入ってしまわれたので、今回の掲載は「試作室」扱いにさせていただきました。

 


(C)2003 Ichinose Keiko