第七話  陰謀


 あかねはよろよろと立ち上がった。
 目の前には水たまりができていた。その中ほどに赤いカンザシが落ちていた。
(あたし…。勝ったんだ。)
 あかねは暫し放心した。
 水たまりはきっと雪女が溶けたあとに違いない。
 ほうっと安堵の息を吐き出した。
 と背後に気配を感じた。

「良くやったぞ。赤巫女よ…。上出来じゃ…。」

 何時入ってきたのか、祭壇の前に神主の爺さんがすっくと立っていた。
「神主のお爺さん…。」
 あかねはほっとした表情を爺さんに手向けた。警戒心は無かった。
「ほほほ…。あとは白巫女が奴を倒せるかどうかにかかっておるがな…。まあ、倒せなかった時はそれはそれで構わないのだが…。」
 爺さんは笑いながらあかねににじり寄る。
「大丈夫…。乱馬はきっと、帰ってきます。」
 あかねはきっぱりとそれに答えた。
 それからあかねは赤いカンザシを手に持った。
「封印…。解いてしまわれたのかのう…。」
 あかねはこくんと頷いた。
「ごめんなさい。あたし、何にも覚えていないんですけど…。あたしが封印を解いてしまったようです。」
「なあに、攻めている訳ではありませぬぞ、むしろ感謝したいくらいですからのう…。」
 爺さんの瞳が怪しく光った。声色が低く変わった。
「これで、確かに満願叶う…。この刀とおぬしがわが手にあればなっ!」

「なっ!!」

 一瞬の出来事だった。油断していた。当て身を食らわされたのだ。

「何を…。」

 どさっとそのまま床へと沈む。カランと赤いカンザシが床に転がった。


「なあに…。新たな六百年を刻むために、おぬしには悪いが、生贄にいや、この邪木が生き長らえるための新しい依り代になってもらいますでな…。」

 倒れたあかねを爺さんは片手で掬い上げると、にっと笑って赤いカンザシを拾った。

「見れば見るほど、上物の巫女じゃ…。この白い雪のような無垢な身体、穢れを知らぬ乙女よ。再び若き力を呼び戻すための生贄に相応しい。また六百年、時を生きるための常乙女。先に生贄にしたお雪の御魂に成り代わって新たな霊木の依り代になるのじゃ。…。そして、次の六百年の齢を我に与えよ…。ふふ…。深い眠りに付くが良い。このご霊木、いや邪木の依り代となって…。」
 爺さんはそう独りごちながらあかねを祭壇へと抱きかかえてゆっくりと進む。
 そして、開かれた棺の蓋へと手を掛けた。
 ぎぎっと重い音がして、棺が開いた。
 爺さんはあかねの身体を一旦、祭壇へと高々と捧げた。あかねの短い髪がゆらゆらと風もないのに靡き始める。妖艶な光があかねを包み始めた。
「ほうら…。真新しい、生贄だ。穢れを知らぬ乙女。約束どおり、また、おまえにくれてやる。再び老朽ちた我に力を与えよ…。若き御魂の、瑞々しきを…。」
 ひょおおっと洞窟が一瞬蠢いた。新たな生贄を悦ぶように歓声を上げた。
 あかねの身体がふわっと浮き上がる。
「さあ、常乙女…。あとは氷女を閉ざした白カンザシを手に入れればよい。この封印の刃で氷女を再び切り裂いて、白いカンザシを分捕れば、儀式は終わる。また、新たな六百年をこの邪木と共にワシはこの世に生きるのだ…。」
 そう口にすると、あかねをにやりと見た。
「おぬしとて嬉しいじゃろう、赤巫女よ…。ご霊木の依り代になれるのだからな。艶やかな肌。邪木が悦んでおるのが手に取るようにわかる…。その身体に邪木を受け入れて、六百年、次の依り代へ交代するまで貪られるがいい…。ふふふふふ。」
 爺さんは手を上から下へとゆっくり振り下ろした。
 と、あかねの身体は、吸い込まれるように、棺の中の漆黒の空間へと落ちていった。



『そうやって、己はいつまで浮世を彷徨えば気が済むのだ…。兄じゃ…。』
 傍らで男の声がした。
「ふっ!康成か…。今頃ワシになんの用じゃ?」
 爺さんは声のするほうを睨みつけた。
『兄じゃは、こうして、私からお雪を奪ってこの下へ封印したのだな…。』
「おうよ、それがどうした…。戦乱の世を生きるための力が欲しかったからじゃ…。強いものが弱いものを礎にしてのし上がる。それの何処が悪いのじゃ。騙されたおぬしらが悪いのじゃ…かかか…。」
『よくも…。この山を根城にしていた妖怪どもだけでは飽き足らず、無垢な乙女の魂を生贄に永遠の命など…。無用の長物。この六百年生き長らえて兄じゃは何をした。何もしてはいないであろうが…。世を己が物にすることあたわず、ただ、無意味に生きておっただけではないか…。』
「そおでもないぜ…。巫女たちの身体に喰らいついて、尽く貪ってやったぞ…。雪女と氷女が憑依しなかった奴らにはな…。サエなどはとても上物だったぞ…。抗ったから殺してしまったがな。人生は面白おかしければそれでい。長さがあればもっと…。」
 にやっと笑う不敵な微笑み。
『兄じゃ…。下衆な野郎だな…。この身体朽ち果てても、決して忘れることの無かったお雪の御魂。返してもらうぞ…。我にとっても今宵は満願の日。それを忘れるなっ!』
「勝手にしな…。もう、お雪の御魂には用はないわ…。真新しい御魂が手に入ったんだ。今日からこの邪木は「お雪さまのご霊木」ではなくて「あかねさまのご霊木」と呼び習わされるじゃろうからな…。」
『おぬしの思惑通りにはならぬだろう…。ワシが呼び寄せた益荒乙女は、おぬしの野望を打ち砕いてくれるだろうからな…。我らの魂と共に、闇へ帰れ…。』
「益荒乙女だって?何処に女の形をした男がいる?昨日、湯殿で確かめたが、白巫女はただの女だったぞ。見事な身体の…。よしんばあの娘が益荒乙女だったとしても、もう手遅れだ。サイは投げられた。この闇の下から依り代を救い出せはせぬわ…。」
 爺さんは高らかに笑った。
『それはどうかな…。夜明けまでにはまだ間がある…。貴様の思惑、必ず、打ち砕いてみせる…。お雪に報いるためにも…。しかと刻みおけっ!!』
「ふん、肉体も滅びてここには実体のない魂だけのおまえがどうやって手を下せるというのだ。黙って草葉の陰から見ておれ…。ふははははは…。」
 爺さんが振り返ったときにはもう、武士の気配はなくなっていた。



 上でそんな事態が起こっているとは知らずに、乱馬は襲い来る氷女の攻撃をかわす術なく、観念して目を閉じた。
 このまま心臓を鋭い氷の牙で貫かれて生玉ごと喰らい出される。そう思ったときだった。
 氷女の牙は確かに乱馬の巫女衣装の上まで喰らいついた。ところが、氷女はがぶっと一噛みしようとした途端、乱馬の身体から炎が上がった。
「あちちちち…。な、何だ?この熱さは?」 
 氷女は何が起こったのか一瞬戸惑いを見せた。そして今度は、鋭い牙を乱馬の咽喉元へ立てようとした。
「う、うわあっ!まただ…。気の炎がおまえから湧き立つ…。」
 氷女は一瞬たじろいだ。
 氷女を焦がした炎は、乱馬の傍を燃え始め、身体を縛り付けていた氷がみるみる溶け始めた。
「何だ?何故炎が上がる…。ま、まさか…。おまえは…。益荒乙女なのか?男の気を持っているのか?」
 乱馬を包む真紅の炎の熱に耐え切れず、氷女が後ろへとたじろいだ。
 バリン。
 乱馬を縛っていた氷の威力が半減したところで、力を振り絞って呪縛を解いた。
「し、しめたっ!氷さえ溶ければ、こっちのもんだっ!!」
 乱馬は身体に気を溜め出した。
「お、おまえ…。何者だ?女ではないのか?両性具有なのか?」
 氷女は乱馬を包む激しい炎の気に気圧されながら歪んだ空間の中をのた打ち回る。
「確かに…。見方によっちゃあ、両性具有だな…。だがな、一言言っておくっ!俺は乙女なんかじゃねえっ!ましてや益荒乙女なんかでもねえっ!俺は、俺様は、乙女は乙女でも、早乙女乱馬。心根も身体も、正真正銘の、おとこだーっ!!」
 そう言いながら溜めた気を一気に放出させた。
「き、貴様、確かに、その本質、その力、その気、男か…。ぐっ!女ではないのかーっ!!くそうっ!女で無ければ喰らえぬ…。おおおおー。来るなっ!!近寄るな…。わらわも燃えてしまう。」
「おまえも炎の闘気には弱いみてえだな。ならば、くらえっ!俺の燃え盛る闘気砲を、でやあっ!!」
 乱馬は怯んだ氷女に向かって気砲を撃った。
 彼の掌から迸るような赤い闘気が飛び出した。
「うわあああ…・。嫌だ、溶かされる。」
「まだまだこれからだ、そうらっ!!」
 乱馬は放った闘気を自在に操りだした。彼の手の動きに共鳴するように闘気が氷女を目掛けて充満してゆく。
 うおーっと響き渡る唸りは空間を歪め、炎と共に回り始めた。閉ざしていた氷はいつか水に変わり、濁流となって乱馬を飲み込んだ。
「おおおお…。くそう、こんな、馬鹿な…。男の闘気がわらわを燃え尽くすというのか…。ぎゃあああああ…。」
 つんざくような悲鳴が上がった。そしてやがてそれは炎の中へと吸い込まれるように消えた。
「焼き尽くしたか…。」
 乱馬は気を緩めた。
「こっから出ねえとな…。」
 乱馬はぎゅっと白いカンザシを握り締めて、虚空を睨んだ。このままでは亜空間に閉じ込められてしまう。必死で出口をまさぐった。
「あそこだなっ!!」
 僅かな空間の裂け目がそこに見え隠れするのが視界に入った。
 彼は標的を見上げると、ダンッと思いっきり地面を蹴り上げた。
「畜生っ!届かねえっ!」
 思ったより、その出口は高い位置にあった。
「くっ!」
 乱馬は身を翻すと、さっと右手の拳を蹴ってきた地面へ向かって振り下ろす。
「飛竜昇天破ーっ!!」
 乱馬は叫んだ。そう、炎の渦に冷気を打ち込んだのだ。冷気は竜巻となって乱馬を包んでゆく。
 ふわっと身体が浮き上がった。飛竜昇天破を叩きつけて、起こる竜巻の反動を利用したのだ。
「しめたっ!!そのまま、外へっ!!」




 洞窟が戦慄くように震え始めた。気が大きく揺れ動く。
「ふふ…。氷女め、白巫女の奴を喰らったか…。」
 爺さんはふっと空間の歪みに目を向けて待った。
 もうすぐ、そこに、白巫女を喰らった氷女が現れる。そのときに、この刀を振り下ろし、氷女の白いカンザシを取り上げ、この棺へと放り込めば、全ては終わる。
 そう皮算用していたのだ。
「出てくるっ!」
 そう思って刀の柄を握り締めた。ゆっくりと裂け始めた空間の歪みへ向けて切っ先を構えた。

 ぱあんっ。

 はじけ飛ぶような音が響いた。だが、予想に反して中から現れたのは白い巫女衣装を着た少女だった。
「な…。白巫女?」
 意外な展開に爺さんの手元は僅かに狂った。
 差し出された切っ先は、寸でで乱馬の肩を掠った。
「なっ、何しやがるっ!!」
 乱馬はいきなり喰らいついてきた刃を交わして、きっと爺さんを見詰めて降り立った。
「ほほーっ!おぬし、氷女に勝ったのか…。」
 爺さんは刀の柄を持ち替えて乱馬をしげしげと眺めた。
「あったりめえだっ!俺があんな奴にやられて溜まるかよっ!」
 乱馬は得意げに鼻を啜った。
「そうか…。で、白いカンザシは?よもや忘れてきたなどとは…。」
 閉じてゆく空間を横目で流しながらにっこりと微笑んで問い掛ける。
「ちゃあんと持ってるぜ、ここに…。」
 乱馬はにっと笑って白いカンザシを持ち上げた。
「そこへはさっき倒した氷女の魂が宿っておるはずじゃが…。」
 爺さんはしげしげと乱馬を見詰めた。
「そっか?ただのカンザシにしか見えねえけど…。」
 疑うことを知らない乱馬は、カンザシをすかしてみた。
「ところで、爺さんっ!あかねは?帰って来たのか?」
 乱馬は堰を切ったように問い掛けた。あかねの安否が気がかりで堪らないのは許婚として当然のことだろう。
「大丈夫じゃ…。ちゃんと雪女を倒してくれたぞ…。」
 爺さんはにやりと笑って乱馬に擦り寄った。
「そっか…。で、先に上に上がっちまったのか?」
「ま、そういったところじゃな…。」
 迸る殺気を隠しながら爺さんは乱馬へとにじり寄る。
「棺…。開いちまったのか…。」
 乱馬は開いたままの棺を見やってそう問いかけた。
「ああ・・。でも大丈夫だ。この刀さえあれば、また封印できる。」
 じりじりと歩み寄る、爺さんは、刀の柄を握り返した。
「ふうん…。それでまた結界張って儀式は終わりって訳か…。」
 乱馬が棺の淵へ手を掛けたとき、じいさんの刀は唸りを上げた。



つづく



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