第三話 前夜


 乱馬が湯を出て再び部屋へ立ち戻ると、もう宴会が始まっていた。
 早雲と玄馬が嬉しそうに盃を交わして一献やっていた。
 傍らには山の温泉郷とは思えないほどの山海のご馳走がこれでもかと並べ立てられていた。
「へえ…。親父たち、いいご身分だな…。」
 乱馬は皮肉の一つも言ってやりたくなった。
 当たり前だ。本当は男ということを隠して今は女体変化した身の上。
 誰のお陰でご馳走に有り付けているのか分からせてやりたくなる程だ。傍には先代の女将の婆さんと若女将が控えていて、楽しそうにしている父親たちに愛想を振り撒いていた。その傍には先ほどの爺さんもちょこんと座っている。勿論、あかねも浴衣に着替えて座っていた。
「遅かったのう…。乱子。先にはじめとるぞっ!!」
 真っ赤な顔つきで玄馬が呼んだ。
「長湯してらっしゃったんですか?お湯加減は如何でした?」
 若女将が乱馬をちらっとみて笑った。
「いい湯加減でした。」
「そう、それは良かった…。」
 若女将はそう言うとジュースを乱馬に勧めた。
「お酒ってわけにもいかないでしょうから…。」
 そう言って笑う。未成年だから当たり前だ。
 さっきの爺さんも酒盛りに加わって、それは賑やかな夕食だった。和やいだ雰囲気の中で箸が進む。が、傍のあかねはいつもより食がすすんでいるように見えない。
「どうした?あかね…。」
 乱馬は黙りこくったまま部屋の隅でじっとしているあかねを見た。
「うん…ちょっと疲れちゃったかな…。あんまり食欲もないのよ…。」
 あかねは愛想笑いを浮かべた。
 その様子が少しおかしいことに気がついた乱馬は、あかねの火照った額に手を当てた。
「おめえ…。熱があるんじゃねえか?ちょっと熱いぞ…。」
「そおかな…?特に身体に異常があるとは思えないんだけど…。」
 あかねは薄っすらと微笑んで答える。目も潤んでいる。あかねのことだ。我慢しているに違いないと乱馬は思った。
「寝た方がいいんじゃねえか?」
 
 そんなこんなを話していると、若女将が傍へ来た。
「あら…。具合でも悪くなったのかしら?湯あたりかもしれないわね…。お蒲団敷いておきましたから、良かったら先に横になってくださいな…。」
「ありがとうございます。」 
 あかねはちょこんと頭を下げた。
 明日の神事もあることだから、先に休んだ方が懸命だと、あかねもそれは承知していた。
「先に休むわ…。あたし…。」
 そう言って立ち上がる。
 ふらっと足元が揺れた。
「おっと…。しゃんとしろよ…。」
 そう言いながら乱馬はあかねの腕を支えた。
「あ…。ごめん、ごめん…。」
「俺も一緒に行くよ…。」
 捨て置けないと乱馬も一緒に立ち上がった。
「おう・・。ご両人、仲良く床へ就くかね…。」
 玄馬が酔っ払いながらそう言い放った。
「ばかやろっ!下衆な想像してんじゃねえっ!!」
 乱馬は傍にあった御ちょこを投げた。
 兎に角、腹が立ってきた。誰のせいでこんな気苦労を背負い込んだと思ってやがる。そう言いたかったが、爺さんや女将さんたちの手前、己を暴露するわけにもいかず、それ以上はぐっと堪えて我慢した。
「さあ、こちらへどうぞ…。」
 若女将が先導する。その後に続いて部屋を出た。
「しっかり歩けよ…。」
「わかってるわ…。」
 廊下を挟んで向かい側の部屋に案内された。そこにはもう床が敷かれてあった。
「ごめんなさいね…。生憎、蒲団を綿打しなおしに出していて…。大きなダブルしかなかったの。お二人同じお蒲団で良いかしら…。」
 見ると思わせぶりな蒲団が一組。どかんと中央へ据えられている。
「あ、あの…。」
 乱馬は口ごもった。
 いくら女の形でもこれは不味いかもしれないとふと思ったからだ。
「ダメかしら…。若い娘さん同士だから、大丈夫かしらと思ったんですが…。」
 ここであからさまに嫌と言えば怪しまれそうな気もした。
「ありがとうございます…。これで充分です。」
 傍のあかねが乱馬より先に答えていた。
「お、おい…。」
「いいじゃない…。女同士だし…。乱子ちゃん、いやなの?」
「い、いやだなんて…。その…。」
 返ってあかねの方が積極的だった。全否定されてもしかるべきなのに…だ。
「じゃあ、湯たんぽ入れておきましたから。今晩は冷えそうだから暖かくして身を寄せ合って寝てくださいな…。」
 そう言うと女将はパタンと襖を閉めて出て行った。
 
 取り残された部屋。
 確かにエアコンはついていたが、ひんやりと冷気が降りている。
 あかねはそのまま、蒲団へと潜り込んだ。
 かなり調子が悪いのか、それ以上無駄口は叩いてこない。
「あのよ…。」
 乱馬は背後から声をかけた。
「いいよ…。乱馬も入ってくれて…。」
 どきんと乱馬の心臓が唸った。
 あかねはどう思っているのか知らないが、体つきはともかく、心は健康体の大和男児だ。平静で居られるわけがない。
「お、おめえなあ・・どういう了見で物言ってるのかわかってんのか?」
 乱馬はどぎまぎしながら答えた。
「だって、乱馬、今女の子でしょ?女として立居振舞してるんだから…。それに、他にお蒲団ないんだから、仕様がないじゃない…。」
「仕様がないって…おめえ…。」
 あかねの顔をじっと見返した。かなりきついのか、はあはあと肩で息をしているようにも見える。
「おめえ…。かなり熱高いんじゃねえか…。(じゃねえと、そんな無茶言わねえだろ…。)」
 後の言葉はぐっと飲み込んで、あかねを見据えた。
「まじいな…。」
 乱馬は何を思ったのか、たんと立ち上がると、部屋の片隅へ置かれたリュックへと歩み寄る。がさごそと掻き分けて何かを漁る。
「あった、あった…。」
 そう言って取り出したのは古ぼけた小さな巾着袋。
 部屋を見回して、置かれた湯のみとポットを見つけた。
 それへ湯を注ぐとあかねの寝ている方へ持って行って差し出した。
「ほれ。これ、飲め…。」
 差し出したのは黒い丸薬。
「これ?」
「早乙女家伝来の万能薬、万金丹だよ…。おめえも飲んだことあるだろ?」
 あかねはクンと臭いを嗅いでみた。何とも度し難い臭いが鼻を突く。
「気休め程度にはなると思うぜ…。飲みな…。」
 乱馬に促されてあかねはその薬を口へと放り込んだ。そして、目を閉じると、一気に湯飲みを持って飲み干した。
「たく…。旅の疲れか湯あたりか…。しっかりしろよ。明日、大役務めなきゃならねえんだからな。一晩で直せよ…。」
 乱馬はあかねをじっと見返した。言い方はきつかったが心配している。そんな言い様だった。
「うん…。」
 具合の悪いあかねは突っかかってくる元気もないのだろうか。乱馬の小言を黙って聞いた。
「じゃ、俺は、どっか適当に塒(ねぐら)探すから…。」
 そう言って立ち上がろうとしたとき、あかねの細腕が乱馬へと伸びた。
「ううん…。傍に居て。」
 強引とも言えるような力でぐいっと引き戻された。
「おい…。」
 乱馬は焦った。
「無茶言うなよ…。おめえ、俺が男だってこと忘れたわけじゃねえだろ?」
 乱馬は懇願してくるあかねの目線をわざと外してそう答えた。
(女に変化してても、俺は男だ。おめえの横でじっと寝られるほど修練されちゃいねえっ!!)
 そう言いたかった。
「そんなこと、わかってる…。」
「だったら、何で…。」
 乱馬は怒った風に答えた。
「傍に居て欲しいから…。あたし…。なんだか不安で…。どうにかなっちゃいそうなくらい…。しんどくて、身体が動かなくて…。」
 おめえらしくない。
 乱馬はそう言おうとあかねを見たが止した。
 縋るような瞳に、言葉は空へ飛び去った。
「お願い・・眠ってしまうまででもいい…傍に居て。あたしを一人にしないで…。」
 あかねは身体中の力を掴んだ手にこめているのだろう。
 身体の調子が悪い時は人間、弱気になるというが、今のあかねがまさにその状態のようだった。
「たく…わがままだな…。おめえは…。」
 そこまで懇願されて、放ってはおけない。乱馬は腹を括った。
「分かったよ…。(我慢すればいいんだろ!)」
 そう怒ったように吐き出すと、あかねの傍へと向き直った。
 それから、あかねが横たわる蒲団へと手を伸ばした。
「言っとくが、今晩だけだからな…。添い寝するのはっ!!」
 乱馬は照れ隠しにそう怒鳴る。
「ありがと…。乱馬…。」
 ほっとしたように微笑むあかねの笑顔。
(や。やっぱ、可愛いや…。)
 至近距離で見あげて、ドキッと心音が音を立てた。自ずと紅くなる頬。
 熱で潤んだ瞳、きゅっと結ばれた赤い唇。
 
 今は女の形で良かった…。

 そう思わずには居られない。

 でなければ、俺は…。
 
 このまま力ずくで抱き沈めてしまいたい衝動は抑えられないだろうと思った。
 すぐ近くに感じるあかねの体温。柔らかな髪と素肌。芳醇で甘い香りがする。
 
 乱馬がすぐ傍に居ることに安心したのか、あかねは薄っすらと目を閉じた。長い睫がいじましい。
 湧き上がってくる衝動をぐっと堪えて乱馬は眠りに落ちるあかねを眺めていた。
 手を伸ばせば届くあかねの柔肌。でも…。
(壊しちゃいけねえ…。いや、まだ壊せねえ…。)
 神々しいほど光り輝いている、甘し乙女。信用して、安心しきって身体を預ける彼女。
 その彼女の全身全霊を包み込むように、乱馬は優しく見詰めた。
(たく…。困った奴だな…。)
 乱馬はふっと顔をほころばせた。
「今晩だけだからな…。いや、今度一緒に眠るときは、その…。夫婦になったときだからな…。よっく覚えとけよ…。」
 胸の勾玉が一緒に熱くなるような気がした。

 そうだ…。俺は、こいつを守ってやらなければいけねえんだ…。何が起ころうとも…。

 乱馬は欠伸をすると、目を閉じた。あかねの直ぐ傍で、彼女の寝息を聞きながら眠りに落ちてゆく。

 守ってやるから…。ずっと傍に居るから…。安心しな…。あかね。




「眠ったか?」
「ええ…。ぐっすり…。」
「そうか…。今晩くらいは寝かせておいてやろう…。」
「そうね…。明晩あの娘たちはわが一族の生贄に…。」
「くく…。どちらも桜色の美しい玉肌の乙女じゃ…。」
「凍てつかせて喰らうのが楽しみな…。」
「どうやって凍らせようか…。」
「雪玉の中へと追い遣って凍らせようか…。」
「氷壁の中へ閉じ込めようか…。」
「まだ、早い…。全ては明日の…。」
「そう・・明日の神事の中で…。」
「くくく…。」
「ふふふ…。」
「せいぜいいい夢を見るがいい…。」
「現世の最後の夜なのだから…。」
「明日からは冷たい氷の中…。」
「そう、冷たい闇の氷の胃袋の中…。」
「あはは…。」
「うふふ…。」

 こそっと彼らを覗き見てほくそえむ魔物が二匹。
 明日はきっと大荒れに荒れるだろう…。



つづく



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