◇Poolside Lovers 後編
休憩時間は三十分。この時間は比較的に自由に過ごせた。飯を食うも良い、泳ぐも良い。一日二回、休憩を許されていた。
西条さんは東野という奴の傍に行って、あかねとの間を取り持つ気なのだろうか。
俺は少し離れたところに立って、様子を伺うことにした。
「やあ、君たち。昨日はどうも…。」
悪びれないで西条さんがあかねたちに挨拶した。
「あ、昨日の…。ここでアルバイトなさってたんですか。」
人懐っこいゆかが最初に声を出した。
「まあね…。昨日は早く引けて、こいつの応援をしに、体育館へ行ってたけどね…。決勝戦だけで十分だって言われてたから、あの時間にウロウロしていたのさ。」
(なるほど、そういう訳だったのか。そおいや、西条さん、昨日は定刻より少し早く帰ったっけ。)
「昨日は、ありがとうございました。」
さゆりがぺこんと頭を下げた。
「見つかって何よりだったよ…。」
「ええ、まあ…。」
(そうか、さゆりが定期券を無くしたのか…。たく、ドジな奴だぜ。)
「でも、また会えて、ほら、こいつら喜んでやがる。何しろ、可愛い子ばっかだからな。」
西条さんはウィンクして見せた。
それから、和気あいあいと会話が進み出す。何だか体の悪い合コンの集団みてえだった。俺は一応部外者なんで、少し距離を置いてその団体の少し外側で様子を伺う。
「昨日はあんまり話せなかったから…。」
男連中は、何となく浮き足立っている。畜生!皆あかねの方を向いてやがる。ゆかやさゆりたちには悪いが、完全に彼女たちは「刺身のツマ」。会話の中心も、あかねの方に持っていきたがっているのが、ありありと分る。
それに、あかねの鈍ちんは、男たちの関心事が己に向いていることを全然悟っていないのである。ある意味、無防備なのだ。
愛想笑いを浮かべつつ、丁寧に、己へ投げかけられる質問などに答えている。
「折角、プールへ来たんだから…。泳がない?」
西条さんが声を掛けた。
「こいつ、水泳やってたから、凄いぜ…。」
東野が西条さんを見詰めた。
「へえ…。水泳部かあ…。」
あかねが憧憬の目を向けたのを俺は見逃さなかった。そう、こいつってば、「カナヅチ」なのだ。それも名うての、不器用カナヅチと来ている。
「久しぶりにみんなで競争してみるか?」
東野が勝負を誘った。
「望むところだ!」
こういうイベントは女の子たちの心を揺さぶるものらしい。
きゃあきゃあと黄色い声が上がる。
「あなたは泳がないの?」
水支度している、西条さんや東野たちを見比べて、ゆかが俺に声を掛けてきやがった。
「興味ねえよ…。俺には関係ねえから。」
わざと無愛想に、それも低めの作り声を出した。
泳げるものなら、この連中と競ってもいいが、何しろこちとら、水に濡れると女に変身するという超不都合な体質を引き摺っている。競泳などしようものなら、たちどころに俺だってばれちまうじゃねえか。
「じゃあ、行くぜ。飛び込み遊泳は禁止だから、ちゃんと中からスタート。」
人込みを掻き分けて、西条さんたちが水の中へと入った。
「位置に付いて、ようい…・スタートっ!」
さゆりの掛け声に、一斉に泳ぎ出す。
流石に西条さんは早い。トビウオのようにさあっと水に馴染んで一直線に泳ぎ始める。と、東野という男も、なかなか早いのだ。スポーツ一般に優れているのだろうか。何人か居た男連中の中で、この二人は、流れるような筋肉が、やたら水際に栄えている。少女たちの、いや、プール中の注目を集めた。
「どっちもがんばってぇーっ!!」
あかねも嬉々として声援を送る。俺は面白くねえという表情を向けながら、二人の勝負の成り行きを見送った。
勝負は早く決着がついた。
いや、正確には勝負にならなかった。
生憎、そこそこ混み合う炎天下のプール。
子供らがウロウロしていて、競泳には不向き。どちらともなく、本気で泳げず、先頭で競っていた二人も途中で足を付いた。そう、勝負は途中でお流れとなったのだ。仕方があるまい。
「二人とも、凄く泳ぎが上手なんですねえ…。」
あかねは水から上がって来た二人に声を掛けた。こいつ、完璧に己がカナヅチなことにコンプレックスを持っているようだった。
「あんたも泳げば良かったのに…。」
ゆかが、俺にまた声を掛けてきやがった。
(しつけえな…。)
俺が見返すと、
「なになに…。あんた、あかねみたいに泳げないとかあ?」
さゆりが失礼なことを俺に言いやがた。
(ちがわいっ!このカナヅチ女と一緒にするなっ!俺は、正体がばれたくないから泳がねえんだっ!!)
と、心で泳がない理由を正当化することを忘れずに。
「へえ、あかねちゃん、泳げないのか…。」
後ろで声がした。
東野の野郎だ。
(こいつは、人の許婚に向かって、もう「ちゃん」付けかあ?)
俺はまたムッとした。
「丁度いい。東野に教えて貰えば。こいつは見たとおり水泳も得意中の得意だから…。泳げるようにしてもらえばいいさ。」
西条さんがにやっと笑った。
「あかね…。いいなあ。特別コーチかあ…。」
「で、でも…。」
躊躇しているあかねに、クラスメイトたちはたき付ける。
「いいじゃん、気にしなくて。」
「それとも浮気はできないとかあ?」
「そなんじゃないわっ!」
「そうだよね…。乱馬くん、ここには居ないし。」
(居るぞ!)
俺の目前でこそこそと突付きあっている少女たちを透かして見た。
「じゃあ、あかね。遠慮なく、あの人に教えてもらいなよ。」
「そうね…。今年の夏こそ自分の力で泳いで見たいし…。」
「そうよ。乱馬くん見返してやりなさいよ。いっつも嫌味とか悪口とか言われてるんでしょ?」
あかねはどうやら決心したようだ。
「さてと、俺たちは休憩終わりだ!」
西条さんは俺を促した。
ちぇっという表情を浮かべて、西条さんに付き従う。
「アルバイト頑張ってねえ…。」
ゆかがやたら俺に話し掛けてくる。
「ああ…。」
俺は気のない返事を彼女へ返すと、また、監視台へ上がった。
「どうやら、さっきのゆかちゃんとかいう子、君に興味を持ったみたいだね。」
西条さんがとんでもないことを俺に向かって吐き出した。
「あん?」
俺は突拍子もない声を張り上げる。
「女の子の心理って微妙だからなあ…。」
と西条さんは笑っている。
「君、彼女居るのかい?」
(許婚なら、そこに居るけど…。)
「あの子もなかなか可愛い子じゃないか。どう?後で誘ってみれば?」
(問題外だ!)
「彼女が居るなら、無理にとは言わないけど…。後で誘われるかも…な。」
(馬鹿なこと言わねえでくれっ!!)
まさか、己の許婚が目の前のガキのプールでバタ足打っているとは言えず、俺は苦虫を潰したように押し黙った。
そう、あかねは小学生用の浅めのプールに入っていた。流石に水深があるところでは練習できないらしい。そのくらい彼女のカナヅチ度は凄まじい。
プールサイドにつかまって、あっぷあっぷとバタ足をやっていた。真剣な表情で。その前には西条さんの友達、東野。小学生たちが笑いんがら彼女を指差している。
あかねは、周りの嘲笑など気にならないらしく、懸命に頑張る。そういう奴なのだ。
少し離れているのでここから二人のやりとりは聞こえねえが、時々笑みが零れる。何だか楽しそうにやっていやがった。
(畜生っ!面白くねえっ!!)
そうだ。そのとおりだ。
俺は監視台の上から、時々視線を転じてあかねを見ていた。だが、あまり凝視するのも躊躇われた。というのは、時折、ゆかとさゆりの方からも、変に熱い視線が飛んでくる。西条さんがさっき言ったことも、強(あなが)ち嘘っぽではないのかもしれない。
勿論、奴ら、俺が「早乙女乱馬」だって知らないから、そんな視線を投げかけてくるのだろうけれど…。
案の定、他のクラスメイトと離れて、ゆかとさゆりが揃って監視台の前に来やがった。
「ねえ、あんたさあ…。何て言う名前なの?」
ときた。
やばい!非常にやばい。
本名を名乗る訳にはいかねえだろう。
「名無しの権兵衛…。」
俺は適当に答えてやる。
その様子を見て、二人ともぷっと吹き出した。
「変なの…。」
「おいおい…。ちゃんと答えてやった方がいいんじゃないか?」
横から西条さんが小声でちゃちゃを入れる。
「いいんです…。西条さんも俺の名前は絶対彼女らに教えないでください…。」
と、頼み込むのも忘れなかった。
「どうしてだい?」
「どうしてもです!」
西条さんは勿論、俺の名前を知っている。偽名でアルバイトしている訳ではなかったから、勿論、本名をだ。
「名前くらい教えてくれてもいいじゃない…。」
「権兵衛…。それでいいだろ?」
俺は無愛想に答える。
二人は執拗にいろいろと俺のことを探り出そうとしてきた。興味を持たれちまったようだ。
「おっ!東野の奴、積極的に行動に出たか。」
そんな最中、西条さんがそんなことを独りごちた。
俺の視線は当然、あかねに釘付く。
あかねは東野から差し出された手へしがみ付いてバタバタやり始めた。
(おいこらっ!密着度、高くねえかっ!?)
思わす心が叫ぶ。
「ねえってばあ…。聴いてるの?」
ゆかが俺に声を張り上げた。
「あん?」
「だからあ…。彼女居るのって、訊いたのに…。」
「居ねえよ。」
気のない返事だ。いや、正直、あかねの方へ気を取られて、心ここにあらず。
「良かったぁ…。」
そんな声が聞こえた。何が良かったかは知らねえが、「彼女」はいねえけど「許婚」なら居るんだぜ。
あかねが笑いながら、水から上がってくるのが見えた。
気もそぞろ。そちらへ視線が飛んでゆく。
『水も滴る良い女』。
それがあかねだ。
悔しいが、俺も彼女に釘付けられてゆく。
だが、鈍ちんはそんな視線などお構いなし。
とびっきりの笑顔を俺以外の奴にも、惜しげもなく大サービス。
(あんの野郎…。)
東野の奴が、あかねの肩にさりげなく触れてやがる。
「お、なかなかいい雰囲気だ。」
西条さんが笑った。
「もう一息ってところかな…。」
(じ、冗談じゃねえっ!)
俺のお姫さまはそんな複雑な視線などどうでもいいように、また笑顔。
(そんなに笑顔を安売りするなっ!)
天上から降り注ぐ暑い太陽のように、じりじり焦(こが)れる俺のヤキモチ。
「あんた、なかなか渋いわね。」
ゆかが突拍子も無いことを俺に言った。
「はあ?」
なんだか意表を突かれた感じ。
「サングラスの奥にはどんな目が眠ってるのかな…。」
などと言いやがる。
「とって見てよ。」
女っつうのはわがままだ。
「やだよ…。」
牽制する。取ったら十中八九、俺だってばれる。少なくともこいつらにはばれる。
「ケチ…。」
「ああ、ケチだ。」
そんな俺たちのやりとりに、隣りで西条さんが笑い転げていた。
「何で君はそんな風に女の子に素っ気ないの?勿体無い。」
西条さんの囁きが聞こえた。
と、水を滴らせながらあかねがこっちへ歩いてきた。
「首尾はどお?あかねは。」
「少しは泳げるようになりそお?」
上がって来たあかねにさゆりとゆかが声をかける。
「まあね。」
(ふん、てめえみたいな不器用女が、一日やそこらで泳げるようになるわけねえだろう…。)
あかねはタオルで水気を拭きながら、俺の方へ視線を流した。
あれっ?という表情を一瞬こちらへ向けた。
俺は慌てて彼女の方から顔を反らす。
(ばれたか?)
ドキンっと心臓がひと唸り。
「ねえ、あかね、この子カッコいいでしょう?」
ゆかがはしゃいでやがる。あかねはじっと俺の顔を伺っていたが、
「まあまあね…。」
と答えた。
(まあまあとは何だ。まあまあとはっ!てめえ、そんな程度でしか俺が見えてねえのか?)
変装していることなど忘れて内心ムカッと来た。
「それは乱馬くんと比べてってことかな?」
「もおっ!ゆかっ!!」
「楽しそうだね…。ほら、ジュース買ってきたよ。」
マメな男連中は、気まぐれなお姫様たちにそれぞれ飲み物のサービスだ。
俺は、はあーっと大きな溜息を吐いた。
「どうした?」
西条さんが不思議そうに俺を見た。
「いえ、別に…。」
「君、本当に女の子には興味がないのかなあ…。」
とにこやかだ。
決っしてそんな訳ではない。
俺は俺でちゃんと人並みな興味は持っている。ただ、俺の興味は、「あかね」だけ。彼女の方にしか向いていないのだ。
と、傍で一悶着起こった。
プールサイドが俄かに騒がしくなったのだ。
いけ好かない茶髪野郎たちが、こともあろうに、あかねたちの一団と何やら押し問答を始めたようだ。
「やばいかなあ…。」
西条さんはゆっくりと監視台から立ち上がった。俺もそれに続いた。監視員として放ってはおけないからだ。
「あんたたち、やめなさいよっ!!」
あかねの甲高い声が響いた。
やれやれ、俺のお姫さまは相変らず血気盛んだ。
「あんだと?このアマっ!」
「アマとは何よ。あんたたちそんなことやって恥かしくないの?」
どうやら、くらいの少年とこのいけ好かない野郎どもとでいざかい事があったようだ。
「どうしたの?」
東野の野郎が横から口を挟んだ。
「どうもこうも…。このアマがよお、変に絡んできやがんだ。あんたの彼女か?」
にやつきながら茶髪のトサカ頭が言った。
「いや、別に彼女って訳じゃあ…。」
(何、気負ってやがる。彼女な訳ねえだろ…。)
俺は西条さんの後ろから覗き込む。
「たく、俺たちがかつあげしてるだのと、いちゃもんばっかつけてきやがる。」
「なあ、おれたちゃ、おめえに金なんかせびってねえよな。」
ぐいっと中学生たちを睨みつけ、凄んでみせる。
(あーあ、あかねの奴、無茶しねえといいけど…。)
俺の心配は現実になる。
「何言ってるのよ。その子たちからさっき、お金せびりとってたじゃない。あたしの目は節穴じゃないわ。」
あかねは正義感が強い。
「お客さん、本当ですか?」
西条さんの問いかけに、中学生たちはしどろもどろ。そんな聞き方じゃあ、こいつらびびっちまって、真っ当に答えられねえかもしれねえぞ。只でさえ、後でどうなっても知らねえぞと言う風に茶髪たちがにやにや笑っている。
「あ、あのう…。僕たち…。」
中学生たちは気弱な声を張り上げようとした。
「ぼく、見たよ。このお兄ちゃん、さっきこっちのお兄ちゃんの財布からお金を取ってた。」
幼稚園くらいの男の子が横から声を出した。これくらいの子供のほうが公平性があるのかもしれねえ。
「てめえはすっこんでろっ!!」
茶髪の中で一番体つきがでかい奴が、男の子を牽制した。
「小さい子に向かって脅すなんて、サイテ―っ!」
血の気が多いあかねが吐き出した。火に油を注ぐ気か。
「あんだと?黙ってればいい気になって、このアマッ!」
ひゅんっと茶髪の大男があかねの胸倉を掴もうとした。と、あかねはひょっとそいつの懐へ入り込む。
「遅いっ!」
そう言うと、美しいくらいの一本背負い。どおっと茶髪大男は倒れこむ。
(あの、馬鹿っ!)
俺は身構えた。このまますむ訳はないだろう。武道家の直感だ。
案の定、あかねの一本背負いにカッとなった連中が、堪忍袋の緒が切れたことは言うまでもない。
「こいつっ!」
「やっちまえっ!!」
茶髪たちの軍団は一斉にあかね目指して襲い掛かる。
あかねはだっと身構えた。ばねのある腰や手足。ここが武道場や土の上なら、或いは、あっというまにこんな連中なんか、のし上げてしまえるあかねだろう。だが、悪いことにここは板張りの上じゃねえ。土の上でもねえ。
そう、炎天の下のプールサイド。
裸足には慣れていても、水に濡れている。それにじりじりと照りつける太陽。慣れた道場とは勝手が違う。
この様子じゃあ、あかねの奴はその辺りを計算に入れていねえだろう。
増してや、傍にはでっかい水溜まりが口を開けている。
俺の危惧はすぐに形になって表れた。
茶髪たちの何人かは、きっと、あかねのことを遠巻きに観察していたに違いない。そう、あかねが「泳げないこと」に感づいていやがったのだ。
あかねはというと、そんなことにはお構いなしに、寄ってたかってくる、愚連隊相手に真っ向から挑もうと構える。それが甘いんだ。ここは道場じゃねえ。相手は不文律など無視する狼藉者たち。
勿論、傍に居た東野もあかねに加勢してはいるが、あっちは六人くらいの血気の早い愚弄集団。数の上でも見劣りする。東野とて、強いと言っても、武道大会のレベル。こういう乱闘向きでないことは一目瞭然だった。
その次に来る、予測。
茶髪の中のひょろっとした一人が、あかねの懐へ飛び込むと、もう一人があかねを羽交い絞めにかかる。
「何するのよっ!」
あかねの怒号が飛んで、彼女が右足で蹴りを入れようとした瞬間だった。その足をひょいっと、さっきあかねに背負い投げされた大男がつかみ取った。
「きゃあっ!!」
一瞬だった。
あかねの身体は、どっぼんと大きな水飛沫を上げて、プールの中へと吸い込まれた。
「水の中へ引き込んだらこっちのもんだぜ。」
「このアマ、どうしてやろうか?」
「水着、脱がしちまえっ!!」
愚弄集団が次々と水の中へと飛び込む。
「やべえっ!!」
次の瞬間、反射的に俺の体は動いていた。
「乱馬くん、君…。」
西条さんがそう叫んだのが聞こえたが、俺はお構いなしに水際へ走った。
「西条さん、奴らを取り押さえてくれっ!東野さん、あんたもだっ!」
サングラスを外すとそう叫びながら、あかね目指して飛び込んだのだ。
あかねは男たちに囲まれてあっぷあっぷやっていた。だが、それもすぐに見えなくなる。水の中へと沈んでいった…。
「あかねーっ!!」
寄って来る男たちに、振り上げざま、俺は気砲をぶっ放す。水中で放つ気砲は、水飛沫を固い弾丸として、あかねを襲っていた奴らに面白いほど命中してゆく。
「な、何だ?こいつはっ!!」
水中で変身した俺を見て、奴らは口々言葉を放つ。俺は夢中でそいつらに気弾を浴びせ掛けてやった。やがて、遅れて飛び込んできた西条さんと東野が、気弾を食らって気を失った男たちを順番にプールサイドへと引き上げてゆく。
「あかね?あかねーっ!!」
粗方、男たちを倒した後で、俺は水に沈んだあかねを必死で探した。
「あかねは、そっち。あの監視台の方へ沈んでるわっ!!」
プールサイドからゆかの声が飛んできた。
俺は一旦、水面高く、飛び上がった。そして、確かにあかねの沈む姿を認めると、息を思い切り吸って、そっちへ向かって潜水した。
水底に沈んでいるあかねを両脇に抱えると、懸命に水をかき上げた。それから、物凄い勢いで、プールサイドへと彼女を運ぶ…。
水から上がったときは、茶髪連中は皆、プールサイドに引き上げられて、アルバイトの監視員たちが一斉に取り押さえに掛かっていた。俺は、あかねを抱きあげたまま、ゆっくりと医務室へ連れて行った。
辛うじて間に合ったらしく、気は失ってはいるものの、あかねは規則正しい呼吸を繰り返していた。
「たく…。向こう見ずなんだから…。おまえは…。」
ぐったりとしな垂れかかってくるあかねに、俺はほっとしながらそう言葉を継いだ。
俺の髪を染めていた、水性の染髪料は流れ出し、黒髪がだらりと後ろへ靡いていた。
「あんた、乱馬くんだったの…。」
ゆかがあかねを抱いた俺を見て、なあんだという表情を見せた。
医務室で横たわったあかねは、すぐに血色が戻って気がついたようだった。
西条さんと東野も心配げにあかねを見ていた。
俺は、あかねをベッドに寝かせると、横にあったポットから白湯を拝借して、すぐさま男に戻っていた。
だが、もう、サングラスはかけなかった。慣れた手つきで、ゴムひもを取り出すと、さっとおさげを編んで、いつもの容姿に立ち戻っていた。この方が自然だ。
目を見開いたとき、あかねは一瞬、驚いた表情を俺に見せた。だが、それもたちどころに笑顔に変わる。
「やっぱり…。乱馬だったの…。」
安心したようにそう声を出した。
「やっぱりって…。気がついてたのか?」
俺は目覚めたあかねにきょとんと開口一番声を出した。
「当たり前でしょ…。」
「でも、変装してたんだぜ。」
「変装してても気でわかったわ。」
「気で?」
「ふふ…。なびきお姉ちゃんが乱馬が都営プールでアルバイトしてるからって。今日が最終日だから、見ておいでって…。」
なびきめっ!何だかんだ言ってても、妹に喋ってやがったのか!
「すぐ分かったわよ…。どんな姿形をしていても、乱馬の気はあたしにはわかるの。だって、始終女に変身しているところを見て感じているからね。それに、あんたが居たから、安心して無茶できたの…。あたし…。」
さあっと窓辺から風が流れ込んできた。
最初から俺ということが分っていたらしい。
「でも…。やっぱり、乱馬はおさげがいい…。おさげの方が、断然、似合ってるよ。」
「バーカ…。」
俺はふっと表情を緩めると、あかねの頬をツンと突付いてやった。誰も居なければ、ここでキッスの一つくらいは交わしてやるんだけれど…。流石にいろんな連中がいる場所では遠慮せざるを得ない。残念ではあったが。
「早乙女くんが、あかねちゃんの彼氏だったとはね…。東野、残念だったな。」
西条さんがふっと笑った。
「彼氏じゃねえ…。」
俺は西条さんに答えていた。
「あかねは彼女じゃねえ…。あかねは、俺の許婚だよ…。大切な、な…。」
さわさわと風がカーテンを揺らして通り抜けていった。
「さてと、夕方までもうひと仕事…。もう少しで上がるから、おめえはここで待ってな…。一緒に、帰ろう…。」
俺はそう嘯くと、大きく一つ伸び上がった。
あかねはこくんと頷くと、寝ながら空を見上げた。
プールサイドへ戻ると、そこは抜けるように青い空の下。ガキたちの歓声と、賑やかな水飛沫と。
俺はまた監視台へと上がる。今度は変装なし。素のままの俺で。
帰り道、カキ氷でもあかねにご馳走してやろうかとふっと思った。
アルバイト料も入ることだし。
たまには二人で肩を並べて歩くのも…。
空には眩いばかりに輝く太陽。
水の匂いを胸いっぱい吸い込むと、ぐんと欠伸を一つ。
俺たちの、十七歳の夏休みはまだ始まったばかり。
完
一之瀬的戯言
「らんま大好き館」(婀井羅ゆうかさま・閉鎖)へのサイト開設祝い。
先日、娘の小学校の脇を通ったら、威勢のいい子供たちの水飛沫と歓声が聞こえてきた。それを受けて、ふと「乱馬を監視員に仕立てて一本書いてみよう」と思い立つ。たまには乱馬らしくない格好でもさせて…。ヤキモチもいいかも。
プロットは十七歳という一歩元作より進んだ年齢から創作。
夏は鎖骨。水が溜まるような乱馬の見事な鎖骨…大好き。(このオバサンわ…)
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