◇Poolside Lovers   前編


 じりじりと照りつける太陽。眩しいその輝き。
 夏だ。
 じっとしていても汗ばむ季節。
 朝から真っ青に晴れ渡った空の下、俺は辺りを伺いながらチェックを入れる。

「よっし…。誰もいねえな。」

 人の気配が無いのを察知すると、こそっと物陰に入る。裏路地の物陰。ゴミの集積場所だ。手にしているのは紙袋。がさごそとその中を漁ると、派手めな色合いのTシャツにジーンズ。
 いつものチャイナ風の服をさっと脱ぎ捨てるとそれに着替える。それから、おさげを結っている紐を解く。ばさっと下りて来る髪の毛。さっとそれを手で漉くと今度は後ろへかき上げる。女の髪型で言う「ポニーテイル風」にだ。それからサンオイルを取り出すと、さっと肌に塗ってゆく。ぬるっとした肌触りが気持ち悪い。もう一度辺りを伺って、誰もいないことを確認すると、俺はサングラスを掛けた。
「一丁上がりっ!」
 変身完了。これで俺、早乙女乱馬だということは誰にもわからねえだろう。
 俺は着ていたチャイナ服を紙袋へ突っ込むと、またそれを手にして、照り始めた朝の太陽の光の中へとだっと駆け出す。
 これがここのところの日課になっている。
 サングラスを通して見る町並みは、少しくすんで見える。
 まだ早朝だから、犬の散歩やジョギングをしている人たちに出くわす。
 夏休みだから、学生の姿は少ない。が、休みとは無縁のサラリーマンたちが出勤を急ぐ駅への一本道。俺も背広姿の暑そうな親父たちの後ろを歩き出す。誰も俺のことを振り返らない。
 駅に着くと、いつものように切符を買って電車に駆け乗る。通勤ラッシュからは少しだけずれた時間帯。窮屈で死にそうなくらいの混雑はない。
 ガタンガタンと揺られながら二つばかり離れたところで下車する。
 吐き出された人たちと同じようにホームへ降り立つと、俺は顔見知りに手を上げる。
「やあ。」「おはよう。」
 俺も同じように挨拶する。みんな一様に吸い込まれてゆく場所。
 それは「公営プール」。
 暑い一日の始まりだ。

 何をしにここへ来ているのかって?
 アルバイトだ。
 しかも本来は俺がやるべきバイトではなかった。
 それも進んで来たわけじゃねえ。居候先の天道家の次女なびきのクラスメイトのピンチヒッターって訳だ。
 そいつは夏休み前にバイクですっ転んで怪我をしたという。話を持って来たのは、他ならぬなびきだった。
「ねえ、十日ほどアルバイトしてくれない?」っていう具合に…。
 面倒くせえから嫌だよと断わったのだが…。生憎、他の連中はもうアルバイトが決まっていて俺しか体が空いている奴が居ないと言う。高校生の夏休みだ。部活に精を出す連中、アルバイトに夢中になる連中、予備校通いに明け暮れる連中。皆それぞれに夏の都合があるらしい。
 断わるつもりだったのだが、横から「なびき」が絡んできやがった。
「いいじゃない。どうせ暇なんでしょ?それに、あんた、あかねに借りがあるんでしょう?」
 ときやがった。たく。油断も隙もねえ。何でそのことを知ってるんだと言い返したかったが堪えた。こいつの前で墓穴を掘ると、どのくらいたかられるかわかったものではねえからな。
「わかったよ。やってやる。」
 俺は渋々そいつのピンチヒッターを引き受けることにした。
 で、内容を聞いたら、都が運営している公営プールの監視員だという。事故ったそいつが復帰できる七月いっぱいの十日くらいを代わりにバイトすることに相成った。
 プールの監視員。
 こいつが結構大変な仕事なのだ。 
 只でさえ炎天下。そこへ座っているだけというのも、なかなか疲れる。じりじりと照りつけてくる暑い太陽。座っているだけでも相当体力を消耗する。だから、俺みたいに体力の塊の健康優良児に話がきたのもわかるような気がする。
 で、何で俺が、たかだかアルバイトに出るために普段と違う格好をしているのか。
 あかねに気取られるのが何だか嫌だったことがまず一点。実は俺は、この前、あかねの部屋でP助と乱闘して、彼女のお気に入りの置き時計と花瓶を割ってしまった。
 それ以来、あいつはずっと不機嫌。口すら利こうとしないし、むすっとへの字に口を結んだまんま。いい加減にしねえとかわいくねえぞと言いたかったが、天邪鬼な俺は、上手く謝ることも出来ずに過ごしている。弁償というガラではないが、少しはあいつに返しておいてやりたいという思いが、確かにどこかにあった。
 それからもう一点。素のままバイトすると、これまたこれで、厄介事があるのだ。それは、シャンプー、うっちゃん、小太刀という俺に付きまとう連中だ。夏休みだというので、のべつ間なく、執拗なアタックをかけて来やがる。只でさえ鬱陶しいのに。俺がこんなところでアルバイトしていると知れたらどういうことになるか。奴らのことだから興味本位に遊びに、いや、邪魔しにくるに決まっている。
 邪魔だけならいいが、プールサイドは大騒ぎになって、アルバイトどころではなくなるかもしれない。不必要なバトルだって繰り広げかねない。
「任せておいて…。あんたの懸念事項はあたしが何とかするわ。アルバイト引き受けてくれるんだったら…。」
 その辺りはなびきが上手く誤魔化すように手配してくれた。
 何で彼女がそんなにアルバイト斡旋に熱心なのか。
 大方、クラスメイトに代わりを懇願されて、金儲けに繋がると直感したのだろう。きっと、そいつからも斡旋料をせしめているに違いない。
 現に俺だってなびきの奴から何某か駄賃をせしめられている。俺のアルバイト量の中から一割ほどをピンはねだという。しかし、俺はあかねの手前、そして、トラブルメーカーたちから逃れるために、渋々、報奨金を払ってなびきに任せることにした。その方が得策だと割り切ったからだ。
 変装すること。それがなびきの提案事項だった。素のままいたら、好奇心旺盛な連中に、捕まってしまうだろうというのだ。変装してしまえば、危険の粗方は退避できる。なびきはそう提案した。

 なるほど一理ある。

 いつもとは違う姿になってアルバイト。
 ちょっと冒険しているような、そんな気持ちになっていた。女に変身しているときとは気分的に違う。違った自分になった気持ち。それは「わくわく」で少し「ドキドキ」だ。
 明日からはそのクラスメイトの怪我も回復して、バイトできるというから、今日で俺の代役は終わりだ。最後の一日って訳だ。これが終われば、日当を貰って、明日からは、ごく普通の夏休みが待っている。それも、懐が暖かい。朝寝坊も存分に出来るって寸法だ。
 俺が、毎日、定刻に出かけるものだから、事情を知っているなびき以外は、怪訝な目を差し向ける。昼日中の仕事なので、身体もこんがりと小麦色。特に親父は何かと言ってくるが「親父には関係ねえだろ!」の一点張りでかわす。
 何度か俺にくっついて様子を探りに来たことがあるが、俺だって武道家。親父の気くらいはわかるというもの。気配を断ってまいてしまう。そして、さっと変装するのだ。
 俺を見失ってキョロキョロする親父の目の前を涼しい顔をして通り抜けたこともあった。なびきの奴は長けていて、駄賃を取るだけのアドバイスはしてくれている。まあ、声を出さない限りは、俺だということはわからねえだろう。
 
 従業員用の門から擦り抜けて、プールへと向かう。脱衣所へ入って水着の短パンとスタッフのウィンドブレーカーを羽織る。それから軽くプールサイドを点検して、俺たちの仕事が始まる。
 時計は九時を指す頃、どっと客が雪崩れ込んでくるのだ。
 監視は二交代制。二人一組になって行動する。いくつかグループがあって一時間ずつ監視台に座る。メガホンと笛とを持って遊泳を楽しむ客たちを見守る。それが主な仕事。
 幸いなことに、今まで無事故、主だったトラブルも無い。
 生憎、俺は変身体質をひきずっているので、容易には水中へは飛び込めない。飛び込んだらきっと大騒ぎになっちまう。幸い、いつも組む大学生の西条さんは、水泳が得意らしく、水へ入る用事が出来た時は、彼に頼んで入って貰っている。結構物分りも良い人で、毎年、夏はここでアルバイトしているのだという。こなれたもので、アルバイトたちのヌシのような人だった。俺は、予め、水に入れない訳をそれとなく伝えておいた。
「そういう不思議な現象もあるものかね…。」
 と彼は最初半信半疑だったが、バイトがはねた後で、水へ入り変身して見せると
「面白い!」
 と言って笑った。勿論俺にして見れば、笑い事で済まされるものではなかったのである。
 だが、
「水の中の仕事は俺に任せてくれればいいよ。」
 と気軽に言ってくれた。

 普段どおりに更衣室へ入ると
「今日で終わりだそうだね。」
 西条さんは俺を見て開口一番声をかけてきた。
「ええ。おかげさまで。」
 俺は愛想笑いを浮かべて朝の挨拶をする。西条さんは兄貴肌で、なかなかの好青年だ。
「明日からは、普通の夏休み生活に戻るのかい?」
 西条さんは俺を見て笑った。
「ええ…。まあ。」
「何か部活でもやっているのかと思ったよ。でも、こういうところで、この時期バイトができるんだから、運動系の部活をやっているようでもないんだね。」
「まあ…。そうですね。部活は何もやってません。」
 俺は西条さんの前ではあまり横柄な言葉使いはしない。その辺り、礼儀は弁(わきま)えているつもりだ。
「そんないい身体をしているのに…。勿体無いな。」
 と西条さんは俺を眺めた。
「西条さんは何かスポーツをやってたんですか?」
「高校時代か?水泳部だったよ。夏になると、カッパのようにお天道様の下を泳ぎまくっていたものさ。」
「今は?」
「俺の大学には水泳部は無いからね。今は陸にあがったカッパをやってる。」
 少し寂しそうな顔。まあ、各々事情を抱えているのだろうから、それ以上は尋ねなかった。
 公営プールなので、専(もっぱ)らやってくるのは子供連れが多い。後、中高生といったガキも来る。眩いほどのプロポーションを持った女性はあまり現れない。OL辺りはこんな安普請のプールには無縁なのかもしれない。それに、平日だから仕方がないのかもしれない。せいぜい、同じ歳頃のギャルというのが、目の保養になる程度。
 それでも、ナンパに精を出す連中は居るらしい。
「また来てるな…。奴ら。」
 西条さんは、茶髪の男たちをアゴで指した。
 数人の男たち。ぱっと見、多分、俺とどっこいどっこいの年頃だろう。
「どうも、ああいう連中はいけ好かないな…。」
 西条さんはぼそっと吐き出した。
 確かに。
 ああいう風体の連中は、箸にも棒にも引っかからない連中が多いだろう。そう言えば、この前は女子中学生にやたら絡んでいやがったな。西条さんが何となく牽制していたんだっけ。
 今日も朝っぱらから、ナンパに精出しに来たらしいが、生憎さま。奴らがターゲットにしそうな女連中は形を潜めているのか、今日は朝からガキばかりがうようよ泳ぎに来ていた。
 
 日が昇るにつれ、客も大入りになってくる。
 夏休みの昼下がり。皆、涼を求めたがるのだろう。遊園地のプールよりは割安なので、ガキを中心に集まり始める。
 午後のプールサイドは灼熱地獄だ。ひと泳ぎしたくなるのをぐっと堪えて、監視台に上がる。
「今日で終わりだ。」
 そう思いながら自分に納得させる。
 と、西条さんの表情が変わった。
 どうしたのかと見ていると、今、入って来たばかりのとある集団が彼に近づいてきた。

「よっ!西条。」
 その中の一人が声をかけた。
 知り合いか…。そんなふうに俺は隣りでぼんやりと眺めていた。
「よお東野、律儀に来たのか…。」
「ああ…。紹介するよ、大学のサークル仲間だ。」
 東野と呼ばれた男の後ろには、いかついオッサンが勢ぞろい。皆筋肉質な身体をしているから、鍛えこんでいるのか、と俺はちらりと一瞥。
「で、件(くだん)の少女たちは?」
 西条さんが切り出した。
「さあ…。そろそろ来るかな。約束の時間は二時すぎだったから。」
「ふうん…。マメだな。」
「何言ってる、そのくらいの楽しみがないと、折角の夏休みも面白くなかろう。で、おまえはどうなんだよ…。」
「まあ、ぼちぼちだな…。」
「相変らず、女には疎いってか。ま、いい。彼女たちが来るまでひと泳ぎしてくらあ。」
 東野と呼ばれた男はそういうとプールの方へ歩いていった。

「知り合いですか?」
 俺は興味本位に尋ねてみた。
「ああ…。高校のときからの友人さ。たく…。空手のサークルをやっていて、昨日、大会があったんだそうだ。そこで、高校生たちをナンパしたらしい…。まあ、ナンパと言っても、あそこでたむろってる連中とは違って、不真面目な連中じゃねえんだけどな。」
「ナンパねえ…。」
「ナンパと言うには少し語弊があるかな。俺もそこへ居合わせたんだが、大会が終わって会場をウロウロしていたら、女子高生の一団とやり過ごして。中の一人が定期券を無くしたって騒いでいたらしいんだ。それをあいつらが一緒になって探し回って、見つけ出したってわけ。で、お礼っていうことで、大会が終わって今日は休日だから、プールへでも一緒に行かないかと誘ったんだよ。たまたま俺が傍に居たもんだから、バイトしているここへってことになったのさ…。他愛ない話だよ。」
「なるほど…。」
 俺はプールへ入ると、勢い良く泳ぎだした東野を見て納得した。確かに、不真面目な感覚は受けなかった。空手をやっているというのも頷けた。手足の筋肉が素晴らしく張りがあるのだ。
「さっきの人、相当強そうだな…。」
 と呟いた。
「わかるか?東野はぶっちぎりで優勝したからな…。あいつが女の子を誘うなんて、珍しいんだぜ。よっぽどひと目惚れでもした子が中に居たんだろうな。夕立が来ないといいけどな。」
 西条さんはそういうとからからと笑った。
 この時点までは「他人事」と思って聞き流していた俺だった。
 だが、真夏の気まぐれは、とんでもねえハプニングを連れてくるものだ。

 入口のほうが俄かに騒がしくなった。女の子たちの甲高い声が響く。
「おいでなすったか…。さて、東野の手腕を見物でもしながら仕事、仕事っと…。」
 監視台に上がって西条さんが呟いた。
 俺は、だんだんと近づいてくる、女子高生の集団。彼女たちを見て、次の瞬間、腰を抜かしそうになった。

「な…?」

 見覚えのある顔がずらりと並んで居たからだ。総計七人のグループ。
 通っている風林館高校で毎日のように突き合せていた顔が。ご丁寧にその一団の中に、あかねまで居る!
 その時点で俺のテンションは変に立ち昇っていた。
「どうかしたか?」
 西条さんが座椅子から声をかけた。
「い、いいえ…。べ、別に…。」
 俺はサングラスを取り出して、徐に顔へとかけた。あかねだけならまだしも、その集団の中、ゆかやさゆりといった、彼女の親友たちも居るではないか。
(や、やべえ…。)
 内心焦った。とにかく、俺と気取られないようにしなければ。
 それだけを思った。
 今の俺はおさげを解いている。黒髪ではなく、洗い流せるムースで髪も所々まだらな茶髪に染めている。そしてそれを一くくりに、ポニーテイルのようにゴムで縛り上げていた。着ているものも、Tシャツと海パン。焼け爛れた肌にサングラス。別人二十八号だ。
 気だって抑え込んだ。下手に滾(たぎ)らせると、あかねに感ずかれるからだ。なるだけ、己の素の気は放出させないようにした。
 案の上、そこに居たクラスの連中は俺のことは素知らぬ振りで、東野たらいう男たちの団体と合流した。
 どうでもいいが、男たちの視線があかねの方へ向けられている。そんな嫌な感覚が俺を襲った。
 こう言っては贔屓のし倒しかもしれねえが、あかねは眩い。ゆかやさゆりが決して見劣りするとかそういう訳ではないのだが…。あかねは目立つのである。
 普段「寸胴」だの「色気がねえ」だの、好き勝手言っている俺ではあるが、実際は違う。今日も、一際、少女たちの団体で浮き上がっている。
 容姿だって、可愛い。
 美人というのとはちょっと意味が違うのだが、清廉な美しさが彼女には備わっている。
 プロポーションも悪くはねえ。武道をやっているだけあって、身体は引き締まっている。力を篭めれば、男並の筋肉が現れるであろうが、こうやってリラックスしていると、柔らかな玉肌が光り輝いている。
「あの中に、気に入った子でも居るのか?」
 西条さんが俺の表情を読んだのか、上から声をかけてきた。
「い、いいえ…。そんなんじゃあ…。」
 そう、そんなんじゃあねえ。第一あかねは俺の「許婚」だ。
 俺は一団から視線を反らせた。

(でも、待てよ…。何であかねがこんなところに来る訳だ?)

 当然の疑問が湧き立ってくる。
 そう言えば、俺はここのバイトがあったから、親父たちの戯事と思って聞き流していたが、昨日、あかねが何某の武道会に出たとか言っていたのを思い出した。そう、最初は俺も出ろと言われた大会だ。
 俺はアルバイトの予定が入っていたのと、空手の大会には興味自体がなかったから「パス!」と言って取り合わなかったのだっけ。

(そうか、昨日だったのか…。大会は。)

 考えられるとしたら、さっき、東野という男が言っていた、昨日の「女子高生の団体」というのがあかねたちだったのだろう。大方、お人好しのあいつのことだから、一緒にと誘われて断われずにやってきた、ま、そういったところだろう。まさか、あいつからすすんでナンパされに来ることもねえだろうし…。
 ゆかやさゆりたちはキャピキャピと大学生たちと楽しそうに会話している。俺は監視台の座椅子から、遠巻きにその様子を眺めることにした。
 あかねの水着はワンピース。暗めの紺の下地に鮮やかな紫と緑のハイビスカス模様が眩しい。あいつは色が白いから、濃い目の色が似合うのだ。彼女たちの中にはビキニタイプやセパレーツタイプの水着を着込んでいる奴も居たが、あかねの水着には敵うまい。いや、まじ、そう思った。
 だから、余計に俺としては複雑な心境にかられる。
 とにかく、目立つのだ。公営の水溜りプールだから余計に。周りに華やかな花がない分、男たちの視線を集めている。
 さっきの茶髪のいけ好かない野郎どもも、あかねの方へ舐めるような視線を送っていやがる。
 あいつは、そこいら辺、警戒心も何にもない奴だから、そんなことお構いなしに、愛想笑いを浮かべている。
「そっか…。彼女かな。東野が言ってた子は…。」
 横から西条さんの独りごとが聞こえてきた。
 俺は思わずはっとして西条さんを見返す。俺に向かって話し掛けたようだ。
「あの花柄の紺のワンピースを着た子だよ…。プロポーションも抜群だし、何より笑顔がいい。東野の奴…。あの子のことをそれとなく狙ってるんだろうな…。」
 そんなことを口にした。
 ほらみろ。やっぱり、標的はあかね、おめえじゃねえか。
「けっ!あんな尻(けつ)のデカイ女の何処がいんだか…。」
 思わずいつもの調子で毒づいていた。
 俺の一言が聞こえたのか聞こえなかったのか。
「東野の奴…。案外、不器用だからなあ…。少し後押しでもしてやるかな…。」
 西条さんが友達思いな言葉を吐いた。

(ぬあんだと〜?)

 俺は内心、驚きながら吐き出した。
 と、「交代っ!」と後ろで声がした。
 見ると休憩に入っていたバイト仲間が俺たちの傍に立っていた。時計は二時半を差している。
「おあつらえ向きに休憩か。」
 西条さんがにやっと笑った。
「おまえも付き合うか?」
 と俺に流し目。どうしようかと一瞬迷ったが、結局、西条さんの後ろに付き従って、あかねたちの方へ擦り寄って行った。正体がばれないように細心の注意を払いながら。



つづく



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