第七話  決着

 二人の若者がぶつかり合う。
 空気がびりびりと震動して揺らいだ。
 そして、二人の若者の対峙する間に、激しい気炎が立ち昇る。

「な・・・?」

 大和は振り下ろした剣が途中で止まってしまったことに驚愕した。
 乱馬の竹光は、さっきの雷同春光斬で根元からぱっきりと折った筈だ。だから、今の乱馬には反撃など出来よう筈がないのである。
 それなのに、振り下ろした剣は乱馬の身体を捉えることができなかった。

「貴様・・・。それは・・・。」
 大和はギロッと乱馬を睨んだ。
「けっ!何も切っ先なんかなくったって俺は、闘気で剣が作り出せるんだっ!」
 乱馬はにやっと笑って答えた。

「乱馬・・・。あなた・・・。」
 あかねは見た。
 乱馬の手元に握られた竹光の折れたところから、新しい切っ先が蒼白い炎と共に真っ直ぐに伸びているのを。
「あやつ・・・。闘剣を出せるというのか!!」
 ほのかの表情がさっと変わった。
「闘剣?」
 あかねが聴き返すと、のどかが答えた。
「格闘剣法袋小路流の最高奥義の一つよ。己の闘気を刃にして、一つの刀をつがえる技。そう、お父さまが編み出した極意。」
「おばさま・・・。」
 のどかはじっと息子を見詰めていた。
「そんな中途半端な闘剣など、恐るるに足らぬどす。大和、さっさと粉砕してしまいよしっ!」
 ほのかが叫んだ。

 大和は乱馬と激しく渡り合った。
 彼もまた、最大限の闘気を全身から漲(みなぎ)らせ始めた。
 乱馬の闘剣は負けじとそれを跳ね返すように、蒼く美しく光り輝いている。

「流石だ・・・。早乙女くん。でも、こっちにも袋小路流の隆盛が掛かってるんだ。負けられないっ!」
 大和はふっと表情を険しく眉間に皺を寄せた。
「言っとくが、おめえにあかねはやらねえっ!あかねは俺の許婚だからな。」
 乱馬も負けじと言い返した。
「あかねさんは僕が貰う!そして袋小路流の明るい未来を築くんだ!」
「ぬかせっ!流派のための結婚なんてそんなものクソ食らえだっ!俺は・・俺は、己のためにあかねを手放す訳にはいかねえんだーっ!!」
 ぼうっと乱馬の気がいきり立つように背中から激しく噴出した。

 ボウッ。

 激しい音がして、その闘気に圧倒されたかのように、二人の若者は互いに後ろへと弾け飛んだ。
 たっと構える床の上。再び一定の距離を置いて睨み合いが続いた。

「凄い・・・。熱気のような闘気が二人の背中からあがってる・・・。」
 あかねは見じろきもせずに、ただじっと戦いを見守った。それが、己のために戦いを繰り広げる若者たちへの礼節だと云わんばかりに。勿論、全身全霊で乱馬に勝利の女神が微笑むことを祈り続けていた。
 いすれにしても今度の技のかけあいで勝負が、決着がつく。
 そう思った。
 手に汗を握り締めながらも、あかねはじっと二人を見守った。

「今度の技で決着をつける。容赦はしない。僕は絶対に君には、春日の一族の血を受けた君にだけは負けないっ!」
 大和は再び気を溜め始める。紅い炎のような気だった。
「けっ!臨むところでいっ!」
 乱馬は静かに闘剣を握り直した。身体から迸る気は、剣の切っ先となって鈍く光っていた。
 乱馬は静かに目を閉じた。
 口を軽く開いて息をしながら、ピタリと動きを止めていた。
 その周りを、ゆっくりと大和が円を描き始めていた。ゆっくりと摺り足で、乱馬を中心に円を描くように気を溜めながらゆっくりと動き始める。
「楊柳熱波斬を使うつもりどすな・・・。」
 にやりとほのかが笑った。
「楊柳熱波斬?」
 あかねはふっとほのかを見やって反芻した。
「柳の枝のように、細やかな気を集めるんどす。ほら、見やれ。大和の動いた後を。」
 ほのかは勝ち誇ったような笑顔を見せた。
 大和が動いたあとに、微かに気の渦が見えていた。
「あれは・・・。闘気。」
 見えるほどの気炎である。だんだんとその気炎の渦は、取り囲むように乱馬へと伸び始めていた。乱馬の周りの床が、燃えはじめているように見える。
「ふふふ・・・。この技の怖いところは、ああやって狙い定められた獲物は動けなくなることどす・・・。乱馬はん、動きたくても身体が固定されて動けまへんで。」
「まさか・・・。」 
 あかねは手に汗が滲み出してくるのを感じていた。
「そのまさかどす。あの気の渦は、巻きついたら最後、相手を硬直させてしまうんどす。動こうにも足元は固定されて。どんな剣の達人でも、足の動きを止められてしまっていては、どないもこないもできひん筈どすえ。気の毒やけど、あんたはんの息子さんは大和の剣の餌食どす。」

 大和はゆっくりと動いていた。
 乱馬もその気の渦が己の足元をしっかりと捉えていることに、気がついていた。
 足は糊付けでもされたように、床からいや、足首から固定されて動かなかった。だんだんとその気の縄は己を堅固に縛り上げてゆく。そんな感覚に捕らわれていた。
 だが、彼は冷静だった。
 ただひたすらに目を閉じて、気を集中させているのだ。

「諦めましたどすか?」

 ほのかがそう言ったとき、大和が動きを止めた。

「どうだい?早乙女くん・・・。もう動けまいよ。君がそんなにバカだとは思わなかったな。普通なら、ここまで気で縛り上げられる前に、斬剣して、気を切り刻めば少しは動けたろうに・・・。くく。覚悟するがいい。これで君は捕らわれの剣士。僕のこの竹光、いや、闘剣で君を突き刺してあげよう・・・。」
 大和はにやっと笑うと、ダンッと竹光を地面へとぶつけた。
「大和くん!」
 あかねが小さく叫ぶと、竹光は地面へと突き刺さってぱっきりと折れた。
 それから大和は折れた切っ先へゆっくりと気を送った。
 大和の竹光の柄からは、紅い闘気があがっていた。
「熱気?」
 あかねは目を見張った。
「そうどす・・・。大和の剣は炎の化身。己の闘気を熱気に変えて打ち下ろすんどすえ。だから熱波斬どす。」
「熱気・・・。乱馬・・・。そんなに落ち着いていて・・・。大丈夫なの?」
 あかねは祈るような気持ちで乱馬を静かに見据えていた。
 
 円の中心の動かぬ乱馬は、だがしかし、じっと身じろぎもしないで呼吸を整えていた。
「勝負を投げたかい。降参するなら今のうちだよ・・・。」
 闘剣を出し終わった大和はいたぶるように言葉を投げた。
 乱馬はそれすら気にならぬようで、じっとそのまま闘剣を構えて冥想しているようだった。
「ふん!怖気ついたか。ならば、こっちから攻撃させてもらうぞ!」
 大和は再び気合を入れた。
 と、どおっと大和の背中から炎の闘気が立ち上がるのが見えた。

「くたばれっ!早乙女乱馬っ!!」

 大和が打ち込んできた。目にも止まらぬ速さで。
 このまま勢い良く乱馬を突こうと飛び込んだのだろう。

「この時を待ってたんだぜっ!」
 乱馬はくわっと目を見開いて、突っ込んでくる大和を睨み返した。
「受けろっ!俺の冷気の闘剣を!!」
 そう言うと乱馬は手にした剣を大和へとそれを下から振り上げた。

「あの技はっ!!」

 あかねは目を見開いた。
 と同時に、乱馬が叫んだ。
「食らえっ!飛竜昇天破ーっ!!」

 床がふわっと吹き上がった。上へと引き上げられた気の流れは、一気に彼の突き上げた剣を中心に激しく回り始めた。竜巻を起こして、飛竜破が天へと立ち昇る。


「わあっ!!」
 大和は叫んでいた。

 ごおおおおおおおっ!!

 乱馬の起こした風は、容赦なく、渦の中心へと大和を誘った。
 大和は竹光とともに、上空へと吹き上げられる。
「へっ!おめえの出した闘気は熱い熱だった。それが命取りになったんでいっ!」
 乱馬はだっと渦の中心へと飛び込んだ。
「うわあああああああっ!!」
 大和は体制を整える間もなく、乱馬の繰り出した拳一発に沈んだ。そして竜巻から弾き飛ばされて、どうっと地面へと投げ出されてしまったのである。まっさかさまに地面へと叩きつけられて、大和はもう、動くことだにできなかったのである。
「む、無念っ!!」
 大和は薄れ行く意識の下でそう残念そうに吐き出した。

「勝者!乱馬ッ!!」

 ここで勝負が終わった。


二、
「勝負は終わったぜ・・・。俺の勝ちだ。」
 乱馬はにっと笑ってほのかの方を見やった。

「ま、まさか・・・。大和が・・・大和が春日一族の郎等に負けるやなんて・・・。」
 ほのかは放心したようにそこへと直った。
「約束どおりあかねを返して貰おうか・・・。」
 乱馬はゆっくりと体制を整えて、ほのかへと頭を向けた。
 ほのかはわなわなと震え始めていた。

「お姉さま、約束は約束、武人たるもの、誓約は果たさねばなりませぬ。」

 言葉を発しようとしないほのかへ、のどかは静かに語りかけた。

「ふん、わかったような口をこの私に利くのやおへん・・・。」
 ほのかは己を取り戻したのか、そう言うとゆっくりとのどかを睨みつけた。
「そうよ、約束どおり、あたしは、ここから帰らせていただきます。」
 あかねはきっぱりとそう言い放った。

 と、そのときであった。

「ふふ・・。無事で帰れると思ったらあきまへん。」
 ゆらりとほのかは立ち上がった。
「お姉さま?」
 その様子が変なのを疑問に思ったのどかが声を掛けた。
「あんたに姉貴呼ばわりされる義理はおへんっ!私は袋小路流の当代を預かるもの。そして、大和は次世代を預かる者。憎き春日一族に義理立てなどおまへんっ!」

(や、やべえぞ・・・。あのおばさん。)

 乱馬はすぐさま彼女の気が荒(すさ)み始めていることを察知していた。
 大和が倒されたのを間近に見て、動転したのだろうか。

「大和は敗れはしたものの、春日一族への恨みは決して消えることなく・・・。覚悟おしっ!」
 ばっとほのかは構えた。そう、脇の屏風の後ろに隠し持っていた刀を構えたのだ。

「お姉さまっ!誇りをお捨てになられるおつもりですか?」

 のどかは咄嗟に身構えた。

「誇り?そんなもん、もとからおへん・・・。春日一族に踏みにじられたあの日から「憎しみ」しか心には生まれまへんどした。その恨みを果たそうと思った我が子は敗れ去り・・・。でも、春日一族だけに良い思いもさせまへん。愛する人を失った恨み、思い知るがいいっ!!」
 そう言い終わるや否や、ほのかはその刀を持って、あかねの方へと向き直った。

「え?」
 
 戸惑ったのはあかねである。彼女が何を意図して己を睨みつけたのか。
 戦慄があかねへと駆け上がった。

「おまえをこの手で血祭りにあげてやる!」

「あかねーっ!」
「あかねちゃんっ!!」
 同席していた天道家の面々から悲鳴とも云えぬ叫びが上がった。

「お姉さま、何をっ!」
 のどかも声を張り上げた。
 向けた刃はあかね目掛けて襲い掛かる。
「させるかっ!!」
 乱馬は間髪入れずに気砲を打った。

 どおんっと鈍い音がして、乱馬の打った気砲が弾けた。
「何を小癪なっ!!」
 ほのかは乱馬の気砲を身軽く避けた。そして再び振りかぶると真っ直ぐに振り下ろした剣。

 あかねの頭から鬘が転げ落ちた。そして、鮮血が飛んだ。


「乱馬っ!!」
 あかねは目の前で乱馬が己の盾になったのを認めた。
 
 そう、彼は気砲を打つと、翻ってあかねとほのかの間に割り込んだのである。彼の道着から血が滴っている。
「へっ!大丈夫だ。このくらい。浅いぜっ!」
 乱馬は間一髪で少しだけ刀を受けた右手を見た。すっと一本の切り傷が線を引いていた。
「ふん!丁度良い、お前たち二人を一刀両断で切り捨ててやる。仲良くあの世へ行けばよい。」
「させるかあっ!!」
 乱馬とて必死だ。あかねを守ることは己の使命と位置付けている。攻撃してくるほのか目掛けて己の気砲を浴びせ掛けた。
「ふん、利かぬわっ!」
 鬼神さながらに避けながら襲い掛かるほのかに乱馬は必死で応じた。だが、大和との闘いで気力を使い果たしかけていた身体からは思うように気が打ち出せなかった。
「くっ!あかね、」
 最後の最後、夢中で乱馬はあかねを両腕へ抱えると、そのまま身を屈めた。
「あかね・・・。」
 心で念じた時だった。ほうっと彼の身体から気が流れ出した。
「何っ?」
 振り下ろした刀は弾かれた。そう、乱馬が発した気がバリヤーとなって刀の刃を跳ね返したのである。
「何故切れぬっ!!」
 ほのかは再び振りかぶって彼らを切り下ろそうとした。

「無駄じゃっ!」
 背後で声がした。
「誰や?」
 ほのかが声を張り上げて、邪魔者を見やった。
「お爺様・・・。」
 そこにすっくと立っていたのは、伊吹であった。
「おまえにはその気は切れぬ。見よ・・・。」
 乱馬があかねを守っている気はほおっと暖かく包み込むように光を放っていた。
「これは・・・。」
「そうじゃ。武道家の魂の気じゃ。それを貫くことは出来ぬ・・・。」
 老人はしわがれた声を凛と響かせて乱馬を真っ直ぐに見下ろしていた。
 やがて乱馬の放っていた気は何もなかったように縮むと、すうっと空気へ同化して消えていった。そして、消え終わると乱馬はどっと前へと倒れた。
「乱馬?ら、乱馬?」
 彼の腕の下であかねが必死で名を呼んでいた。

「大丈夫じゃよ・・・。あかねさんとやら。ただ、気を使い果たしてしまっただけじゃ。この気技は相当な体力を消耗するでな・・・。」
 伊吹は目を細めて見やった。
「でも・・・。」
「心配はない。時間がたてば元通り目覚めるじゃろう・・・。しかし・・・たいしたものじゃな。無意識とはいえ、和(やわら)ぎの気を放てるとは・・・。それだけおまえさんは守りたい存在じゃったのか・・・。ほほほ、流石にわが曾孫じゃ。」

「お爺様。そのような者にわが袋小路家の血が流れているなどと、そんな言葉を・・・。」
 ほのかは非難するように伊吹を見た。

「馬鹿者っ!いくら消そうとしても、乱馬にわが一族の血が流れていることは事実じゃっ!それにまだわからぬかっ!憎しみは何も生み出しはせぬ・・・。」
 伊吹の語気は激しい。

「そうだよ・・・。母さん。憎しみは何も生み出しはしない・・・。」
 後ろで大和の声がした。
「大和・・・。」 
 ほのかは息子を見て、崩れるようにその場へとへたりこんだ。
「おまえの苦しみや悲しみ、それはわかる。母親も父親も知らずに育ったおまえをな・・・。飛鳥は、袋小路家を捨てた。おまえの母と共にな。じゃが、飛鳥はおまえが生まれたことも知らずにこの世を去ったのだ。父の顔を知らぬのはそこののどかとて同じことじゃ・・・。」
 伊吹は少し声を和らげた。
「でも、のどかには母が傍に居たではありませぬか・・・。」
 ほのかは涙声でそう続けた。
「人にはそれぞれの置かれた事情がある。のどかが何も苦労しなかったわけではあるまい。だが、おまえには袋小路流があったではないか。己を磨き高めるための剣道技。その心を忘れたと言うのか?ほのかよ・・・。誇りはどうした?のどかの息子、乱馬やその許婚を殺したとて、何も生まれはしない。」
 伊吹は諭すようにほのかへ言った。
「母さん・・・。そうだよ。早乙女君やあかねさんを傷つけたとて、何も生まれはしない。いや、むしろ、失うものの方が多い・・・。」
 大和は母を真摯に見詰めてそう論じた。
「おまえより、大和の方が物事の道理を弁えているようじゃのう・・・。」
 
 ほのかはがっくりと頭を垂れた。

「うちの負けということどすな・・・。」

 とポツンと言葉を吐いた。




三、
 気がつくと、あかねの顔が真上に見えた。
 心配そうにじっと見詰めている円らな瞳。
 乱馬はあかねを守ろうと飛び出し、絶体絶命の中、無我夢中で身体から気を放ってあかねを守り抜いた。そして気を使い切るとそのまま気を失ったのである。

「こ、ここは?」
 乱馬はふうっとあかねに問い掛けた。ぼんやりと、あかねを庇ったところまでは覚えていたが、その先が繋がらない。
「良かった・・・。ずっと眠り続けてこのまま目を覚まさないんじゃないかって・・・。あたし・・・。」
 あかねが口篭った。
 そして彼女はふと後ろを向いて黙ってしまった。肩が微かに震えているのがわかった。
(泣いてるのか?)
 乱馬は不思議そうにあかねを見た。
 と軽くノックの音がして、大和が静かに入って来た。
「目が覚めましたか?」
 彼はにっこりと笑うと。乱馬に繋がらない記憶の部分を丁寧に説明してくれた。
 あの後、ほのかは負けを認め、天道家の人々に詫びを入れたこと。のどかを妹として渋々であったが受け入れたこと。そして大和が一八歳になったことを受けて、今日から袋小路流の後継者は大和へ引き継がれたことなどを話したのである。

「そっか・・・。闘いは終わったんだな。」
 いとこ同士の二人である。引き合うと、打ち解けあうのも早かった。
「ありがとう、早乙女君、いや、乱馬。僕は自分のことしか見えていなかったようだ。君と剣を交えて、己の未熟さを思い知ったよ。君の剣は強かった。いや、剣だけではなくて、最後のあの大技も。あかねさんを守りたいという気持ちの強さ、良くわかった。母のやったことも許して欲しい・・・。勿論、僕のやったことも・・・。」
 その瞳は真っ直ぐに乱馬を見据えていた。
「許すも許さねえも・・・。勝負だからな。で、おまえはこれからどうするんだ?」
「もう一度初めから修業をやり直すよ。今日から俺は一八歳。母さんに代わってこの流派を盛り上げてゆかねばならない。大爺さまにもう一度基本から教えを乞おうと思っている。」
 彼の後を受けて伊吹が言った。何時の間にか部屋へ入って来たようだ。
「そうじゃ、日々、是修業。武道家は己を常に鍛錬しなければならぬ。肉体だけではなく、そこに宿る精神も全てな・・・。満足した段階で成長は終わってしまう。武道家は死ぬまで修業じゃ・・・。ほほっほ。」
「今度また勝負してくれ。今度は同じ武道を志す者としての新たな挑戦だ。勿論、今度こそ僕が勝ってみせる・・・。」
 大和は憑き物が取れたように澄んだ瞳をしていた。
「ああ・・・。いいさ。俺ももっと修業して更に上を目指そうと思ってるからな・・・。今度も負けねえ・・・。」

「あかねさん。」
 大和は後ろのあかねにも声を掛けた。
「ありがとう。君に出会えて良かった。君が好きだったことはうそ偽りじゃない・・・。でも、良くわかったよ。君への愛は早乙女くんにはとても叶わない。僕も今度は自分の手と足、そして目で本当の伴侶となるべき人を探すよ。」
「大和くん・・・。頑張ってね・・・。」

 あかねはふっと微笑んだ。

「たく、こんな乱暴女のどこがいいんだか・・・。」
 乱馬はこそっと吐き出した。

「もう少しここで休んでいきたまえ。後で家の者に送らせるから・・・。」
 大和はそう言うとふっと微笑んだ。これ以上二人の語らいを邪魔しては悪いと思ったようだ。
「他のみんなは?」
「先に送っていったよ。」
 そう言葉を投げると大和は伊吹と部屋から出て行った。
 
 後に残ったのはあかねと二人。
 彼らが出て行った後、あかねはこそっと言葉を吐いた。
「ねえ、少しはヤキモチ妬いてくれた?」
 くすっと笑って乱馬を見返した。
「誰がっ!」
 乱馬はつんとソッポを向いて見せる。
 心なしか顔が紅い。目の前のあかねは、角隠しと鬘はとってしまっているものの、花嫁衣裳の着物を身につけていたからだ。大方、着替えるゆとりもなかったのだろう。
 実はこの姿、乱馬には二度目のものであるが、少しばかりドキドキしていた。
「けっ!残念だったな・・・。色男と結婚しそびれて・・・。」
 乱馬は本来の天邪鬼を駆使して、染め上がった顔を隠そうとした。
「本当にそう思ってるの?」
 あかねもなかなか意地悪だった。
「うるせえっ!」
 くるりと後ろ向きに寝返りを打った。
「こんな傷を受けてもそう思うの?」
 あかねはそっと左腕から剥き出しになった切り傷をなぞった。ほのかの切っ先から身を盾にしたときについた刀傷が盛り上がって見えた。
「ありがとう、乱馬・・・。」
 身を呈して守ってくれた許婚にあかねは柔らかく礼を言った。その笑顔の眩しさに、くらっときた。
 だが、必死でそれを堪えると、苦し紛れに言い放った。
「礼なんかいいから・・・。とっととその衣装脱いじまえっ!」
 そして、また視線を外す。
「どうして?似合わない?」
 あかねは小首を傾げながら、乱馬へ問い掛ける。
「俺は嫌だからな・・・。」 
 乱馬はぶすっと言葉を投げ返した。
 それを聞いてあかねの顔がみるみる曇った。それから、少し切なげな表情を向けた。
「乱馬・・・。あたしとじゃ・・・。」
 そう言って言葉を途切れさせた。
(やべえっ!このまんまじゃ、泣いちまうかな・・・。)
 あかねの瞳に涙の気配を察知した乱馬は、内心慌てた。だが表情は憮然としたまんま。そして、ムスッとして言い放った。
「そんなんじゃねえっ!たく・・・。その衣装は大和と結婚させるために着せられたもんだろうが・・・。誰が、いつ、似合わねえとか、おめえとじゃ嫌だとか言ったよ!俺はただ他人の着せた花嫁衣裳なんかとっとと脱いじまえって言っただけだ。たく、鈍い奴だな・・・。」
「じゃあ、乱馬はちゃんとあたしに花嫁衣裳着せてくれるの?」
 あかねはそのまま勢いで尋ねていた。だからごく自然な流れの言葉に聞こえた。
「あたりめえだろ!俺は俺の好みでちゃんと選んでおまえに着せてやらあっ!・・・あ・・・。」

 一瞬、世界が止まった。乱馬はポロッと零れた言葉に、真っ赤になった。
 失言、いや、それは心の言葉であった。
 乱馬はその後の言葉と己の方向性を見失ったまま、しどろもどろでベットに横たわる。
 爽やかな風がさあっと窓辺から入って来た。

「きっとよ、乱馬。」
 暫し沈黙した後、あかねはにっこりと微笑み返した。その輝きに乱馬は見惚れた。
 と、ふわっと下りてきたのは柔らかい唇。
「え・・・?」
 あまりに突然だったので目も閉じられず、乱馬はそのまま固まってしまった。あかねに奪われた唇の感覚に驚きながらも、心に熱いものがこみ上げてくるのを抑え切れなかた。
「あかね・・・。」
 ようやく戻ってきた人心地に、乱馬はあかねを見返した。そして、じっとはにかみながら見詰めてくるあかねの瞳の輝きを確かめるように、そっと柔らかなその頬に掌を当てた。
 それから今度は柔らかく微笑むと、ゆっくりと目を閉じた。
 次に来る瞬間を捕らえるために。

 と、ガタンとドアが開く音がした。

「貴様っ!あかねくんを・・・。袋小路大和と果し合いをすると言うから、心配してきてやってみれば・・・。」
 扉の傍には、物凄い形相をした九能帯刀が立っていた。涙目で乱馬を睨みつけている。
「勝負に勝って、それをいいことに、あかねくんを誑かしよってっ!!」

「わたっ!これは・・・。違う。誑かしたんじゃなくて、その・・・。あかねの方からだな・・・。」
 おろおろと弁解を始める乱馬。
「問答無用っ!叩きのめしてくれるわっ!!」
「やめろっ!九能先輩っ!!」
「成敗ーっ!!」

 部屋の中で怒号が響き渡った。


「良いんですか?お坊ちゃま。止めなくて。」
 部屋の外で、送り支度をした五島が大和に声をかけた
 可笑しさを堪えていた大和が、クククと腹を抱えて笑い始めた。
「いいさ・・・。このくらいの意地悪くらいしないと憂さ晴らしにならないじゃないか・・・。」
 あまり愉しそうに大和が笑うので五島は続けた。
「凄い形相で乗り込んできた竹刀男をお通ししたと思ったら・・・いいところで恋路の邪魔をさせて。お坊ちゃまも人がお悪い・・・。」
「だって、このくらい仕返ししないと・・・。やられ損は主義じゃないからね、僕は。失恋の憂さを晴らすのにもってこいじゃないか。」
「で?この先は?」
「暫くほって置くというのが一番じゃないのか?」
「わかりました。」
「あかねさんには少し気の毒だけどね。」

 騒々しい乱馬と九能の追いかけっこをあかねも笑いながら眺めていた。

「さあて、またお爺さまと修業だ。」

 大和は傷だらけの晴れやかな顔でにっと笑うと、くんと一つ上へ伸びをした。
 天上は真っ青に晴れ渡る。季節はもうすぐ夏。








懺悔
 本当は「学園物」というリクエストをにーぼーさんから受けていたのですが、全然違った方向性を持つ作品になってしまったことをまずはお詫び申し上げます。
 プロットはかなり前に線引きしていたものです。桜の花を散らせて描く予定だった作品でしたが、春先の多忙に振り回されて結局使えず終い。(またどこかで使いまわそう・・・と密かに思う。)
 自作のキャラクター、「ほのかさん」と「大和くん」も気に入っております。ほのかさんに関してはもう少しギャグタッチに描き下ろしたかったのですが、ストーリーの筋がシリアス展開だったので止めました。
 大和くんに関しては少し消化不良の部分があり、また、乱馬との関わりをもった後日譚を機会があれば描いてみたいと密かに思っております。
 お目にかかった日はよろしく!
(「実は彼を使った作品を一本書いています。「幽顕鬼話」がそれになります。)


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